【楽しい?北タイ紀行】
第4話)秘密のツアーオプション?

《タイ旅行記|北タイ|チェンマイ|チェンラーイ|メーサイ|エアアジア》

チェンラーイに着いたのは昼過ぎであった。バスターミナルからはトゥクトゥクでBゲストハウスを目指す。小奇麗な中庭があって、なかなか居心地がよさそうだぞ、Bゲストハウスは。

さて、チェンラーイはタイで最も北に位置する街だ。もうちょっと少し北上するとそこはミャンマーやラオスへと通じている国境山岳地帯だ。その先の中国も近いせいか、街中の道路標識は英語だけでなく中国語でも表記されている。そして、チェンラーイ近郊にはラフ族、アカ族、カレン族、リス族、ヤオ族、など多くの少数民族が暮らしており、これら山岳民族の村々を巡る旅の拠点の街でもある。街中にはいくつもツアー会社がオフィスを構えていた。

チェンラーイの愉快な仏像
チェンラーイのファンキーな仏像

僕はBゲストハウス近くのSトラベルの事務所を訪れた。とりあえず知ってる限りのタイ語をかき集めて、事務所の女性に尋ねてみる。

 僕 :พรุ่งนี้ มีทัวร์อะไรบางครับ(プルンニー ミー ツアー アライ バーン クラップ)(明日はどんなツアーがありますか?)」

すると「明日は山岳民族の村を訪れるツアーがあるわよ。」と全くなまりのない日本語が返ってきた。それもそのはず。事務所の女性は日本人だった。タイ人の男性と結婚して、ここチェンラーイで旅行会社を営んでいるのだった。

彼女は電話でどこかに確認を入れ「明日はアカ族やカレン族の村に行くツアーがあるわよ。もう2人イタリア人の同行者が決まっているから、あと一人ならOKよ」とのこと。値段は1300バーツ。このあたりの相場である。僕は前金を払って明日のツアーを予約した。

翌朝8:30、Sトラベルのオフィスに行くと、他の同行者2人は既にスタンバっていた。1人は中国留学経験のあるT子さん、彼女は3週間ほど東南アジアを周遊中だという。そしてもう一人は何度もタイにきているというS子さん、首から掛けた手ぬぐい(タオルではない)が強烈なインパクトを放っている。さすがにチェンラーイあたりまでやってくる旅行者は女の子といえどもただ者でないオーラがぷんぷんする。(あれ、同行者はイタリア人のはずじゃなかったっけ。まあいいや、タイだから。)

これに陽気なドライバー兼ガイドのSネーさん、彼は日本語も英語も堪能なおしゃべり好き、の4名が今日のご一行様。Sトラベルの小型4輪駆動車に乗り込んで、イザ出発~♪

途中Sネーさんはコンビニに立ち寄ってお菓子を大量に買い込む。そんなにオヤツはいらないゾと思ったが、実はこのお菓子、山岳民族の村を訪れるときは必需品なのだが、むろんそのときはその使い道を知る由もなかった。

さて、最初の目的地はメーサロン。ここは中国内戦から逃れてきた国民党軍の残党が住み着いた山奥の村だ。10年ほど前まで彼らの主な収入源はケシ、すなわちヘロインだった。今はタイ政府と和解して違法なケシ栽培を止めているが、それまでは外国人が簡単に入り込めるようなところではなかったという。

大通りからそのメーサロンへ向かう道に曲がって進んでゆくと、Sネーさんが「ああ、お腹へった。パイナップル食べない?」とハンドルを切って畑の中のあぜ道に突っ込んでいった。オイオイ危ないじゃん!と思ったが、そこはさすが4輪駆動。泥道を物ともせず、パイナップル畑を突き進んで行く。車を停めると彼はナイフを取り出し畑の中に入っていった。

 「あった。これ美味しそう!」

なんと、彼は畑から熟れたパイナップルを失敬して僕らにごちそうしてくれた。でもいいのか!勝手に盗んで!(まっ、いいか、タイだから)。

パイナップル畑で、、、
パイナップル畑で、、、

しかし、盗んだパイナップルの味は格別であった。Sトラベルには決してパンフレットに載ることのない素敵なオプションが付いていた。

パイナップル畑を後にして、クルマ車は険しい山道を突き進んでいった。中国国民党残党の村メーサロンは山深い高原にあるのだった。

(続く)


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最終更新:2016年08月26日 21:28