【イラン、ここは本当に悪の枢軸国?】
第7話)落とし穴は最後に待っていた(1)

《イラン旅行記|ゴム|マライヤ|エスファハーン|テヘラン》

古都エスファハーンから首都テヘランに戻った。テヘランは巨大な街だが、大きいだけで見所はあまり多くない。地下鉄もあるにはあるが路線は少なく、市内の移動はもっぱら市バスだ。しかしテヘランのバスを乗りこなすのは至難の業。何せ路線図もなければ、バスの表記もみなペルシャ語。どこに行くにも非常に疲れる。勢いタクシーを利用せざるを得ない。

テヘランは標高4000mのアルボルズ山脈の麓に開けた街なので、北側を向くとどこからでも雪をいただく山並みが見える。この山の一角にはテレキャビンと呼ばれるロープウェーが架かっていて、そこから広大なテヘランの街並みが一望できるという。イラン最終日、特にすることもなかったので、そのテレキャビンに乗ってみることにした。

タジュリーシュ広場まで市バスで行き、そこからテレキャビン乗場行きの乗合タクシーに乗れとガイドブックに書いてあった。宿の近くのホメイニ広場のバスターミナルからタジュリーシュ広場行き145番のバスを探した。ところがこれがまた大変で、145番といいながらも、バス番号はペルシャ数字。結局片っ端から「このバスはタジュリーシュ行きですか?」とまわりの人に聞くしかなかった。当然ながら返ってくる答えもペルシャ語なので、結局タジュリーシュ行きのバスを見つけるのに軽く30分はかかってしまった。

やっと見つけたお目当てのバスは、市内を北方向に向かって行く。北に行くにつれ山に近づき、標高がどんどん高くなっていくのが分かる。40分ほどして市バスはタジュリーシュ広場に到着した。ちなみに今日は金曜、イランの休日。なのでいつもは交通渋滞がひどいテヘランだが、今日は思ったより早くついた。

市バスを降りてテレキャビン行きの乗合タクシーを探す。すると、「ジャッキーチェン!」と声がかかる。振り向くと地元の少年たちがやってきた。彼らはペルシャ語しか話さないがそれでも「どこからきたのか?」と言ってるくらいは容易に想像できる。「日本から」と答えるとみな一斉に嬉しいそうに空手の真似をしだした。まったく単細胞なやつらよのう。で、いつのまにか彼ら5人組といっしょにテレキャビンに乗りに行くことになってしまった。またくイラン人は人なつこいのだから。

さすが地元民だけあって彼らは一発でテレキャビン乗場行きのタクシースタンドを見つける。後部座席に4人、前の助手席に僕と少年1人でタクシーの中は寿司づめ状態。それでも陽気な少年たちはペルシャ語に時折「カラテー」だの「ナカター」だの知りうる限りの日本語を交えて大騒ぎ。

今日は休日なのでケーブルカーを目指すテヘラン市民もいっぱいいるようだ。ついには坂の途中で渋滞が起こる始末。僕らを乗せた乗合タクシーもスピードを緩め、やがて停止してしまった。

 その時である!

 ガチャッ!

急に車のドアが開いたかと思うと、少年たちは一斉に車を降りてしまった。「あれれれ、どーしたの?」急に寿司詰め状態から開放された僕は、しばらく様子がつかめないでいた。だが、すぐに異変に気づいた。ベルトのあたりが妙に軽く感じられるのである。僕はベルトケースにしまってあるはずのデジカメを右手で触ってみた。

 あっ!

 ない!!!!!!

やられた。タクシーを降りた少年たちにデジカメを盗まれていたのだ。僕はタクシーを飛び降り逃げさる彼らを追いかけた。果たしてカメラは取り返せるのだろうか?

(続く)


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最終更新:2016年08月27日 10:11