【おんぶにだっこ・マダガスカルの旅】
第1話)病院立ち寄り

《マダガスカル旅行記|モロンダヴァ|アンタナナリヴ|ペリネ自然公園》

3年前の春、「今度のGWはマダガスカルに行こう!」と何の脈略もなく思い立った僕は、まだ肌寒い3月下旬、東京・麻布にある大使館へビザの申請に行った。むろん会社には病院に立ち寄ると嘘こいて、、、

マダガスカルはバオバブの木で有名
マダガスカルはバオバブの木で有名

マダガスカルは仏語が公用語なので、取り寄せた申請用紙も仏語とマダガスカル語表記。だから何をどこに記入していいのか一瞬おおいに迷う。おまけに同じ書類を4枚も記入させられるから面倒くさいったらありゃしない。ともかく久々に仏語の辞書など引いたりしてしまった。

高級住宅街のとある一角に大使館はあった。受付でビザ申請の旨を伝えると係員のいる小部屋に通された。事務机の前でネット新聞のパソコン画面に夢中になっていたおばさんがビザ担当である。

 「ビザ代は2400円よ。発給したら宅配で送るから、あと800円いいかしら。」

僕はビザ代と送料を支払った。

 「はい領収書。ところであなた、今マダガスカルで何が起きているか知ってるわよね。」
 「え”っ!」
 「まぁ、あなた、何も知らないの!これを見て御覧なさい。」

おばさんはパソコン画面をこちらに向けた。どうやらマダガスカルの仏語新聞のオンライン版のようだが、あいにく新聞を読みこなすほどの仏語力を僕は持ち合わせていない。かろうじて判別できたのは二人の大統領という単語だけだった。

 「大統領が二人いるのですね、マダガスカルは。ユニークですね。」
 「何を呑気に!クーデターが起こって前の大統領と新しい大統領で紛争が起きているのよ。
 おかげであたしなんか2ヶ月も給料が払われていないんだから。それでもあなた旅行に行く
 の!」
 「あわわわ。」

そんなことになっているとは知らなかった。が、それならそうとどうしてビザ代払う前に言ってくれないかなぁ、、、僕はわざとらしく領収書をしげしげと見つめたが、係りのおばさんはもう僕のことは眼中になかった。

まあ支払ってしまったモノは仕方がない。それに1ヶ月もすれば事態が好転するかもしれないじゃないか、とその場はそう自分を納得させてGWを待った。が、、、世間はそんなに甘くなかった。間際になっても騒乱は収まらず渡航勧告は出続けたまま。僕はビザ代2400円ともどもマダガスカル旅行を諦めるしかなかった。

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あれから3年、橋の下を河の水が流れた。

アジア路線を運休していたマダガスカル航空がバンコク乗入れで復活。これはもう撤退しないうちに行くしかない! 2005年夏、リベンジを果たすため再び大使館にビザ申請。今度もまた会社には病院立ち寄りと丸3年進歩のない嘘をついた。

梅雨の蒸し暑い朝、麻布の大使館に行くと3年前のおばさんはもういなかった。代わりに新入りネーちゃんがビザ担当で「4階の会計でお金を払って領収書を持ってきてください」と極めて事務的に言われてしまった。

僕は通路の奥にあるエレベーターの入り口に向かった。廊下をすれ違いざまマダガスカル人職員が汗をかきながら台車でなにやら荷物を運んでいた。エレベーターを4階で降り、会計係らしき表札を見つけノックをする。でも応答がない。僕は恐る恐る勝手に扉を開けてみた。あれれ誰もいないではないか。

仕方がないのでしばらくボーとしていると、見覚えのある顔がやってきた。なんだ、さっき廊下で荷物運んでたおっさんじゃないか。

 「ビザかい」
 「そうです」
 「観光かい、マダガスカルはどこに行くんだ?何日滞在する?マダガスカルはいいところだぞ。
 そうそう俺の故郷はなぁ、、、、、、」

わかった、オッサン。それよりサッサと仕事をしてくれ。こちとら忙しい平日に仕事を抜け出して来ているんだから、と思いつつ彼の機嫌を損ねたら出るものも出なくなるのはマズイ。なんとかオッサンの話に付き合ってやっと領収書をもらえた。

再びビザ係のオネーちゃんの所へ戻り「じゃ発給したら宅配で送ってください」とお願いする。すると

 「宅配?そんなサービスはありません。えっ。昔はやっていたって。知りません私。
 ともかく一週間後にまた来てください(ピシャリ!)」

と冷たくあしらわれてしまった。

大使館のビザ発給は3年前よりサービスが後退していた。おかげで、またまた「病院立ち寄り」の日が増えてしまった。
(続く)


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最終更新:2016年08月27日 16:08