【暑くて、熱い。ミャンマー・オカマ祭】
第5話)巨大な無駄の塊
||ミャンマー旅行記|ヤンゴン|マンダレー|タウンビョン||
タウンビョン祭りで2日間を過ごして、Nさんは先に日本に帰国した。翌日は家族サービスでソウル旅行だそうだ。パパをやってくのは大変です。尊敬!
さて、残ったGちゃんと僕は残りの1日マンダレー近郊を観光することにした。昨日までは3人だったので、ガイドの手配した車もワゴンカーだったが、今日は人数が少ないのでセダンタイプのフツーの車だ。
ガイド&車付きの旅行は、知らない間に見所巡りができてしまうので、楽チンなことこのうえない。が、便利すぎるのもちょっと考えもの。
ローカルバスを乗り継いで自力で観光スポットに行こうとすると必然的にそこの名前ぐらいはキチンと頭の中にインプットされているものだが、車で連れてってもらうと、はてここは何という所だっけ?状態になってしまう。
有名なウーベイン橋までは覚えているのだが、その後大仏工房やら、織物工場やら寺院やらを巡っていいるうちにもうどこがどこだか分からなくなってきた。
ところで今日の車、なぜか昨日までの車と違って冷房の効きが悪い。夕方前には少々気分が悪くなってきて、僕だけ早めにホテルに帰ることにした。
「気分は大丈夫ですか」
「ちょっと暑さにやられたようです」
「そうですか」
ガイドのソウ・ウィンさんは運転手になにやら指示をした。するとあ~ら不思議。さっきまで生ぬるい風しか出てこなかったオンボロカーエアコンが、何故かビンビンに効き出した。てっきり半故障状態のエアコンだと朝から諦めていたのに、ちゃんと効くじゃん。今更遅いよ~。
結局その日は僕は夕方からずっと寝込んでしまった。Gちゃん、一人で夕飯行かせてしまってスマン。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
翌朝、僕らもマンダレーを離れ、タクシーで空港に向かった。Gちゃんはヤンゴンに寄り、僕はタイ・チェンマイに寄ってそれぞれ日本に帰る。
僕が→ヤンゴン→バンコクと乗り継がず、敢えて数少ないチェンマイ便を選んだのは、分けがある。その方が値段が安かったからである。
マンダレー→ヤンゴン 87ドル(国内線)
マンダレー→チェンマイ 80ドル(国際線)
さらに、距離からいえばマンダレーはヤンゴンよりもチェンマイのほうが全然近い。わずか40分のフライトだ。
マンダレー空港は最近になって郊外の新空港に移転した。なんでも滑走路はアジア一の長さを誇っているそうだ。なーんもない農地に突如として異質な近代建築物が浮かんでる感じ。設備はピカピカの国際空港だ。3列もあるチェックインカウンターに、大型機に直接乗り込めるジャバラの搭乗口が何台も。日本の地方空港が裸足で逃げ出すほどに何でもある。
だがこの空港、決定的なものが欠けている!
それは設備に見合っただけの乗客。チェックインカウンターが何列あろうと便数が少ないので、カウンターは1台で十分。それに小型プロペラ機しか飛んでいないマンダレー空港で、大型機用のジャバラ搭乗口をどうやって使えというのだ。結局みんなタラップ使ってバスで乗り降りしてるではないか。
そして、あろうことに、僕のチェンマイ直行便はキャンセルされ、ヤンゴン乗換に振り代えられていた。(不思議なことに、マンダレー→ヤンゴン→チェンマイ[国内線+国際線]となっても値段は80ドルのままで、マンダレー→ヤンゴン[国内線] 87ドルよりも安い。)
ともかくこの国際空港、とうとう唯一の国際線まで失ってしまったというわけだ。つまり出入国管理の設備も無駄になってしまったというわけ。
まったくもってマンダレーの新空港は巨大な無駄の塊である。この分の建設費を1チャット札に代えて、空からお札のシャワーを降らせたら3年は振り続くだろう。その方がよっぽどミャンマーの人たちの為になる。
巨額の建設費をかけて要らないものばかり造り、黒幕がフトコロを暖める。まるでどこかの国の悪いシステムをそのまま見習ってしまったようだ。
数年後に HAKOMONO-GYOSEI なる外来語がこの国の辞書に載らないことを願いつつ、僕はマンダレーを後にした。
最終更新:2016年08月27日 18:08