第12回

ショウタの伝説

 ハルカは、周囲が驚くほどに勉強に集中した。これまでのことで、相当下がっている成績を元に戻し、できればトップクラスにまで上げるためだ。それにより周囲や両親を安心させ、余計なことを一切言わせないためだ。
 それにより、一刻も早く『とおくのまち』を目指すためだ。
 メギ曜日にはフトシと会い、新たに多くのことについて学んだ。
 フトシは、過去数十年にわたって、「メギの組」の間に伝わってきた膨大な伝承を、すべて脳に蓄えた驚くべき語り部だったのだ。
 伸吉文書でもわかるように、メギ曜日の記録は非常に残しづらい。そこに行くことができるのは、ほとんど子供であるし、行った者はほぼすべて死ぬか狂うか、ハルカのように「調整」されてしまう。
 ノートなどを残しても、子供か狂人のたわごととして処分されるのがほとんどだ。そのためメギの組には、フトシのような語り部が必ず一人いて、メギ曜日の歴史を代々受け継いできたのだという。
 フトシから学んだ中で、特に重要な二つのことについて、ここに記しておこう。
 ショウタとキクコ、そしてあの「物語爆弾」についてだ。
 ショウタとキクコ(御ショウタ、御キクコと呼ばれることが多い。)は、昭和四十二年~四十四年ごろに実在した、メギの組の伝説的なリーダーらしい(17代目)。ショウタについて残された伝承は少なくとも四つあって、
 「ショウタ君」
 「ショウタさんの話」
 「御ショウタ伝」
 「翔太の冒険」
 フトシはそのすべてのバージョンを、一字一句に至るまで完全に覚えていた。
 細部の描写などからして、「ショウタ君」が一番古く、字を当てている「翔太の冒険」が、実は一番最近のものらしい。そのため「翔太」が表記として正しいかは大いに疑わしかった。(口伝えなのに、これのみ漢字がわかるのは、「翔太の冒険」に、「ショウタのショウは飛翔のショウ」という一節が何度も登場するためだ)
 一番古い「ショウタ君」は、おそらくショウタの実際活動した時期か、あるいは数年後にまとめられたもので、ショウタが壊滅寸前だったメギの組を組織しなおし、「爆弾」で、0犬や青青魚魚、オウキ、ウウウエイ(同様の怪物だったらしいが不明)などを撃退したことが淡々と語られている。キクコの扱いは小さく、ほとんど名前のみの登場にすぎない。
 結末が唐突なのも特徴で、これのみショウタが最後にどうなったかについて、語られていない。ショウタが怒りっぽく、粗暴な性格だったことに触れているのも、このバージョンのみだ。
 続く「ショウタさんの話」では、一気に理想化が進み、後のバージョンの共通点である「物語爆弾の完成」、「キクコとの結婚」、「インチキさんを追って『とおくのまち』へ去るショウタ」などの要素が、はじめて登場する。
 唯一成立年代が判明している「御ショウタ伝」(昭和五十一年九月八日)では、クリスチャンの子供などが関わったためだろうか、宗教的な要素が多く混入し、ショウタとキクコは、イエスとマリアのような聖者、救世主に扱いが変化している。
 「翔太の冒険」は、言い回しが難しい「御ショウタ伝」に対して、より低学年の子供にもわかるように作られたものようで、当時人気だったらしいアニメや漫画の要素が多く混ざり、ほとんど別の物語になっている。
 いずれにせよ、ショウタが「物語爆弾」を使用することで、青青魚魚などを一時的にせよ撃退し、メギの組を再興した、偉大なリーダーだったらしいことは間違いない。
 物語爆弾そのものの構造、製法については、「ショウタさんの話」に詳しく登場するのだが、ハルカはそれをおよそ理解できそうになかった。
 何というべきか、それは呪文と数式が組み合わさったような、16番まで続く奇怪な歌のようなもので、途中からフトシが神がかりのような状態(相当怖い)となるため、言葉にすることすら困難なのだった。
 苦心してなんとか理解した範囲では、それは紙(これはノートの切れ端でもなんでもいい)に書いた三十六画の「核字」を、三十六個の部首(!)が、ある順番で包み込んだ全体像を、さらに一つの文字として「同時に」頭に思い浮かべることで作動する…らしいのだが、それがどのように爆弾としての効果を発揮するのか、さっぱりわからなかった。
 それは、メギの組の子供たちも同様だったようで、「物語爆弾」を一応完成させることができたのはわずか四人。あの日カナタが使用したものも、彼がなんとか理解できた14番までの情報をもとに、核字と部首を二十にまで簡略化した、不完全なものであったらしい。
 ただ、それが不完全なものであれ、「物語爆弾」の威力にはおそるべきものがあった。
 「御ショウタ伝」では「物語爆弾」が全面的に使用された時期について「物語戦争」あるいは「ラケシの三学期(意味は不明)」と呼んでいるが、この時期青青魚魚などをほとんど根絶できた反面、多くの子供たちが爆発に巻き込まれて物語を破壊され、またメギ曜日の大田区全体も、そのためかなり荒廃してしまったことが語られていた。
 (このことは、伝承の日付に異様に執着するフトシの記憶の中に、昭和四十四年から五十一年にかけてのものが非常に少ないことからも裏付けられる)
 このようにしてハルカは、メギの組の28代として、新たに多くのことを学んだ。
 メギ曜日の、メギの組の歴史を、メギ曜日を行き抜くための術を、そしてカナタの目指していたものを知った。
 カナタは、「物語爆弾」が、やがて敵味方の双方を破滅させてしまう危険を知っていた。
 だからこそ彼は、再び勢力を盛り返しつつあった青青魚魚との絶望的な戦いを続けつつ、「グーメン弾」を用意し、その一方で、インチキさんやショウタが最後に赴いたという『とおくのまち』へ、必死の救援を求めようとしていたのだ。
 しかし、これは書いておく必要があると思うが、インチキさんはともかく、ショウタが実際にとおくのまちにたどり着けたかは疑わしい。
 「ショウタ君」の唐突さからすると、彼の最期は、むしろ物語爆弾による事故死であって、だからこそ結末があえて語られていないのではと思えた。
 0犬や青青魚魚におびえるメギ曜日の子供たちが、はるか遠くに見える『とおくのまち』を、いつしか救いの地として見るようになり、無残なショウタの死をも、それで美しく飾ろうとした…と考える方が自然ではないだろうか。
 いずれにせよ、それがどれだけ非現実的な希望であったか、カナタ自身にもわかっていたに違いない。だが彼はそれをやったのだ。メギの長として。
 (私もやる)
 ハルカは決意していた。
 今やハルカの時間は、ほとんどが勉強に費やされた。
 平日には受験の、メギ曜日にはメギの組の。
 学ぶべきことはあまりに多く、ハルカは睡眠時間を削り、遊びにもほとんど行かなくなった。
 カナタのことを思い出せば、そんなことはどうでもよかった。
 病院からもらった薬は、すべてトイレに流した。
 ついつい薬を飲みたくなってしまう誘惑に負けないようにするためには、そうするしかなかった。
 いつの間にかハルカは、薬を飲まないと眠れなくなっていたのだ。
 わけもない不安や苛立ち、そして窒息や発狂、死の恐怖が湧き上がってきて、深夜何度も、汗まみれになって目覚めてしまう。
 だが、薬を飲めばメギ曜日には行けない。
 だから、薬は捨てるしかなかった。
 不眠のため、みるみる形相が変わっていくのが自分でもわかった。
 自分は妄想にとらわれて治療を拒否し、どんどん狂気の世界にはまり込んでいるのだ。ハルカの心の一部は冷静にそう分析していた。
 だが、そんなことはもはやどうでもよかった。
 (カナタは私を助けてくれた。だから今度は、私がカナタを助けなければならない)
 (どんなことをしてでも)

ヒコギ

 足腰も鍛え始めた。
 カナタの自転車「ヒコギ」を乗りこなすためだ。
 あの自転車には、特別な目的があった。
 フトシによれば、カナタは数年前から、あの「サンライズカマタの戦い」の直前まで、これによって『とおくのまち』を目指したのだ。
 だが、それは163分という制限時間の中ではギリギリの行程であり、カナタは何度も挑戦したあげく、とうとう見出すことができなかったのだという。
 (ハルカがはじめて偶然カナタと出会ったときも、まさに彼はその帰途にあったのだろう)
 以前にも少し説明したが、この奇妙な装備品だらけの自転車は、フトシによれば、正しくは「ヒコギ」あるいは「ヒコーギ」という。
 雲母粉を混ぜた黄色いペンキで塗装されており、ブレーキもチェーンも変速機も、全てカナタが手を加えた特殊なものだ。ハルカにはとてもこんなものは作れない。
 「インチキさん」の昔から伝えられてきたものらしいが、奇妙な仕組みがあちこちにあって、ハルカはもちろん、製法を記憶していたフトシでさえ、それが何なのかよくわからなかった。
 おそらく、実際作ったカナタもわかっていなかったのではないか。
 大きなプラスチック定規や分度器(学校の先生が授業で使うようなやつだ)、その補強のためらしいビニールパイプやアルミ板を組み合わせたそれは、なにかの計測器のようにも見えた。
 ハルカは以前に三日でやめた早朝ジョギングを再開し、一ヶ月をかけて多摩川の土手を走りこんだ。受験のための体力づくりと親には言った。
 時にふと、夕闇の中を去って行ったカナタの力強い走りを、その後姿を思い出した。
 カナタもあるいは、こうして走っていたのだろうか。
 もはや名前以外、顔も声も思い出せない彼の、それは数少ない記憶だった。
 ハルカが足をいくら鍛えても、ヒコギをカナタほどに走らせることは無理だろう。そうすると『とおくのまち』など夢のまた夢ということになる。だがハルカには強みがあった。
 カナタはメギの組36人の長として、『とおくのまち』までたどり着くだけでなく、仲間を救うため、そこからさらに帰ってくる義務があった。
 ハルカには、それはない。
 メギの組は今やハルカと、フトシの二人だけだから。
 復路を考えなければ、時間は倍使えるのだ。
 一ヶ月がたって、ハルカはフトシに言った。
 「フトシ、いっしょに『とおくのまち』に行こう。帰れなくなるかもしれないけど」
 フトシに返事はなかった。
 そんな質問に意味はなかったからだ。
 この、いまやハルカの忠実な相棒は、たとえ地獄に行くのだって、目を輝かせて、ハルカから離れるわけがないのだ。
 ヒコギを残像化させない方法も学んだ。
 それは細かく分解した車体を自分の体に密着させ、金属の蓑虫のような格好となってメギ曜日を待ち、覚醒とともに、即座に元通り組み上げるという、おそろしく複雑で、ほとんど常軌を逸したものだった。
 だが実際ヒコギは、カナタの手でそのように作られており、部品の組み合わせ次第で、子供が自転車を細工して作った不格好なオブジェのよう見せかけて、普段の部屋にも置いておけるのだった。
 もちろんそれは女の子の部屋にいかにも不釣り合いな代物ではあったが、毛糸のカバーをかけることで、両親の不審の目を何とかごまかすことはできた。
 ハルカは今さらながらカナタの仕事に驚嘆しつつ、スパナや六角レンチの扱いを腕に覚え込ませていった。
 『とおくのまち』への行程については、フトシもよく知ってはいなかった。
 これまで誰もが、カナタのように見つけることができなかったか、あるいは「インチキさん」のように行ったまま帰ってこなかったためだ。
 だがガス橋から見える塔、つまり『とおくのまち』の方向と、道路図との関係からを考えると、おそらくは国道二号線沿いか、少なくともその付近にあるのではないかと思われた。
 国道二号線は、さらに上流の丸子橋からが直通で、ガス橋からは細い枝道を通って行く必要がある、しかしガス橋から直進を選べば、国道14号線を経て、やがてハルカが以前巻き込まれた国道一号線に出てしまう。
 それならカナタは、素直に多摩川大橋からのルートを選ぶはずだった。
 ガス橋を選んだのは、丸子橋までの遠回りの時間を惜しんだためではないだろうか。
 ちなみに、国道一号線は最終的に、京浜急行の子安駅付近で国道二号線とも合流する。
 ということは、『とおくのまち』も、その地点までのどこかにあるということだ。
 ガス橋からの総距離は、約18キロメートル。
 進路としては全体的に南下のコースで、ここまで来るとほとんど横浜だ。
 残像と接触しながら維持できるヒコギの速度、そしてメギ曜日での疲労の具合、なによりフトシとの二人乗りを考えると、復路を考慮に入れなくとも、これはギリギリの遠征となりそうだった。
 この旅は、失敗すればまず生きて帰れないだろう。
 あらかじめ何度か試走をし、ルートを確認してからとも思ったが、やめた。
 『とおくのまち』は、おそらく常に目視できるため、多少コースを間違っても、修正ができるという目算もあったが、それよりはるかに重大な理由があった。
 薬を止めたその反動なのか、いまやハルカは様々な妄想や幻覚に昼夜を問わず悩まされるようになってきていた。
 周囲の人間が、皆ひそかに自分のことを嘲笑し、あるいは監視しているように感じられ、また時には自分の思考に別の誰かが入り込み、命令を与えるように感じられて、その度合いはひどくなる一報だった。
 新聞の文字もますます読めなくなり、地図を見れば、いつの間にか東京の区が全部で17になっていた。都道府県の数も47しかない。
 (おかしい、変だ)
 (確かもっとあったはずだ)
 なぜか奇妙な確信があった。
 かといって、それが一体いくつだったのか、何区や何県がなくなってしまったというのか、よく思い出せなかった。
 ハルカの叔父が住んでいたはずの下田も、いつのまにか神奈川には存在しなくなっていた。神奈川県そのものの形が変わっているように見え、その代わり静岡に、見たこともない怪しい半島が生えていて、そこに字だけは同じでまったく別の「下田」という街ができあがっているように見えた。
 それがいかにも胡散臭く、ニセモノのように見えるのが奇怪だった。
 そもそも叔父のことそのものが、ひどくぼんやりとしか思い出せなかった。以前、何かとても大切なものを送ってくれたはずなのに。
 (あれはなんだったのだろうか、思い出せない)
 (こうして次第に自分の物語を奪われていけば、やがてはカナタのように影になってしまうのかもしれない)
 (あるいは、これこそが、「病院」の狙いだったのではないか)
 (薬を捨てている自分、禁止されたメギ曜日へ干渉を繰り返す自分が、あえて放置されているのも、実はそのためなのではないか)
 (薬を飲んで「調整」されるか、それとも飲まずに影になるか、奴らにとってはどっちでも好都合なのだ)
 (違う、こんなものは全部ただの妄想だ)
 (いや、どっちなのか)
 (わからない)
 (こわい)
 (影になってしまう)
 (影になってしまう)
 (こわい)
 (だけど)
 (私はカナタを助けなければならない)
 (私はカナタを助けなければならない)
 孤独の中、狂気と妄想のはざまにあって、ハルカは煩悶し、恐怖した。
 この状態で、試走などと悠長なことをしていては、遠からず完全に正気を失ってしまうだろう。
 まだ自分が自分でいられる間に、一気にやってみるしかなかった。
 最大の不安は、『とおくのまち』に万一たどりつけたとして、それからどうしたらいいか、カナタの言っていた『すべてのすくい』とは何か、自分にもフトシにもよくわかっていないことだった。
 10月9・5日、メギ曜日。
 ハルカとフトシは、ガス橋を越え、『とおくのまち』を目指した。

国道二号線

 自分とフトシの分、そして残像で破けた場合の予備とあわせて5着、黄色のレインコートを用意した。
 ポケットには、雲母粉、手帳に赤鉛筆、そして二発のグーメン弾。
 グーメン弾については、フトシの指示通りにやってみたのだが、ハルカには二発しか作ることができなかった。もっとも弾体をケド第二曜日にさらすなど、そもそも製法について理解できない部分も多かったため、これは名前ばかりでほとんど気休めにしかならないだろうと思った。
 背中には吹き矢とデイパック。デイパックの中身は、飲み水用のペットボトルと、カロリーメイト。そして四万分の一の神奈川県地図。
 ヒコギを元通りに組み上げ、それぞれの家から、橋の上に集合するまで1047を数えたところで、ハルカたちは出発した。
 フトシがいてくれれば、時間についてはとりあえず安心だ。
 フトシは以前のハルカのように、後輪の車軸の上に乗って、ハルカの肩につかまった。肥満体のフトシに寄りかかられるとずっしりと重く。坂道が大変そうに思われた。
 ハルカはできるだけ車残像を避け、慎重にハンドルを操作しつつペダルを漕いだ。
 通るのは主に車線中央だ、中央分離帯のある場所はやっかいだが、歩行者道や車道の端では、一時停車する車や原付の残像が多く、スピードが出せなかった。
 これも体感だが、だいたい平均して時速6から10キロのペースを維持できているように思えた。
 だがこれは、順調に車線中央を走れている場合だ。
 今日のように、いくつか枝道を通って国道二号線に乗るためには、車残像をまともに横断しなければならない部分があちこちにある。
 少しでもダメージを減らすように、車残像の進行方向にあわせてヒコギを乗り入れたり、そのつど雲母粉を塗りなおしたりしていると、時間はどんどん過ぎていった。
 ようやく国道二号線まで出たときには、すでに3600以上、一時間が経過していた。
 往復を考えると、足を伸ばせるのは、あと5キロがいいところだろう。カナタの苦労がしのばれた。
 『とおくのまち』は予想通り、常に視界の中にあってよく見えた。方角もすこし西寄りだが、二号線沿いのルートで大きく間違っていないようだ。
 あいかわらずはるか巨大にそびえ立つそれは、いくらペダルを漕いでも、少しも近づくように見えなかった。よほど遠くにあるか、あるいはよほど大きいのだろう。
 時折、0犬と思われる黒い塊がいくつか、遠くの空に浮かんでいるのが見えた。だが黄色いレインコートのためなのか、他に獲物がいるためか、ハルカたちのそばに近づくことはなかった。
 他にもいくつか、細長い翼を持ったものや、光りながら飛ぶ大きな布のようなものを見た。
 あるいはあれが、「ショウタ君」に登場する、「オウキ」や、「ウウウエイ」なのかとも思ったが、よくわからない。
 疲労が、次第にたまってきた。ヒコギをこぐ疲れよりも、むしろ残像を避け、通過していくための疲れだ。不安定な車軸の上に立ち続けているフトシもかなりつらいに違いなかったが、一言も不平を漏らさない。終始笑顔で、時々思い出したように、様々なメギの組の伝承を語ってくれた。
 ハルカたちは一本のペットボトルを回し飲み、昔からあまりおいしくない大塚のカロリーメイトをかじりながら、国道二号線をさらに南下していった。
 国道二号線は、ほとんどが東急東横線に平行して走っている。東京に比べれば少しだけ緑の多い、のんびりとした神奈川の風景が続いた。
 日吉駅付近を通り過ぎ、綱島駅の近くでフトシが4890、つまり81分半を告げた。
 メギ曜日の半分は過ぎた。これ以上進むと、もう戻るための時間はなくなる。
 『とおくのまち』までたどり着くか、それとも、死ぬか狂うかだ。
 目の前、やや西寄りに見えるとおくのまちは、依然として視界の中に小さく、近づく気配を見せない。残り81分半で、あそこまで本当にたどり着けるか、微妙だった。
 ハルカはフトシを振り返った。
 フトシは無邪気に、力強くうなずいた。
 その疑うことを知らない、というか、多分何も考えていない笑顔に、ハルカも吹っ切れた。
 (行こう!)
 幻覚も妄想も今やどこかに消し飛びんだ。
 不思議な高揚感が湧き上がってきた。
 ハルカは再びペダルを漕ぎ出した。綱島駅前を通り過ぎ、さらに大綱橋を渡った。鶴見川だ。ここからは鶴見区となる。目の前の道に次第に勾配がつき、やがてはっきりと上り坂となった。大倉山だ。
 普段なら、たいした坂ではないのだろう。だがここはメギ曜日で、後ろには丸々と太ったフトシが乗っかっていた。さっきの高揚感はどこへやら、やっぱりこんな重しを連れてくるんじゃなかったと思った。ハルカを信じきっているのか、面倒だからか、フトシはニコニコとして後輪に乗ったままだ。この肥満児が、ここで降ろして一人で坂道を登れるかも不安だった。
 山頂に到着するまで、おそらく20分近くかかったろう。
 さすがにいったんヒコギを降りて、道路中央で休むハルカに、フトシが突然小さく声をかけた。
 ちょうど山頂部分の中央線を指差している。
 見ると、中央線のペンキに傷をつけて、何かが小さく彫り付けてあった。
 黄色い。
 油性マーカーか何かで、字がよく目立つよう、傷の部分に塗りこんである。
 車が走っている日中なら、ほぼ誰も気付かないだろう。
 最初は、何か工事のための目印かと思ったが、違った。
 漢字が五つ。どれも今のハルカには読めない字だ。だからこそわかった。
 カナタだ。
 読めないのは、それが彼の名前、破壊された彼の物語の一部だからだ。
 ハルカはしゃがみこみ、読めないその字を、指先で何度もなぞった。
 彼はここまで来たのだ。
 ハルカより脚力のあるカナタは、81分半でここまで来た。そしてここに印を残し、仲間のところに引き返したのだ。
 ここから先には、おそらくまだ誰も行ったことがない。インチキさん以外には。
 ハルカたちに残されたのは、あと1時間。
 それで、どこまで行けるだろうか。

国道二号線

 苦労して登った後の下り坂は爽快だったが、時折道路中央にはみ出た車残像に突っ込んで転倒しないよう、何度かブレーキを使わねばならなかった。
 再び平地に戻り、20分ほどペダルを漕いだ。
 残り時間を考えると、そろそろとおくのまちの近くに来ていなければいけないはすだ。
 だがとおくのまちは、最初見たときと比べ、相変わらず近づいてはこない。
 フトシが7500を告げた。
 地図を取り出し、見比べた。
 焦った。計算が合わない。とおくのまちは、この道の果て、国道一号線と合流するまでの18キロ間にあるはずだ。それなら163分で走破できるはずと計算して、ここまできたのだ。
 まさか、と思った。
 あれはどこまで行ってもたどり着くことの出来ない、蜃気楼のようなものではないのか。
 急に不安になってきた。
 ハルカはペースを早めた。車残像と高速で接触するのは危険だったが、もうそんなことも言っていられない。
 フトシが8000を継げた。163分は9780だ。
 脇や額に、次第に冷や汗がにじみ出てきた。
 肩をのしかかるフトシの重さに、わけもない苛立ちを感じた。
 ふと、道の向かって左側に、黄色い建物が見えるのに気づいた。
 最初はまた「シミズデンキ」の支店にでも行き付いたのかと思ったが、そうではなかった。
 空き地の真ん中に、正確には、おそらく元は何か建っていたのだろうが、取り壊されて駐車場となっているところに、いかにも唐突に、小さな黄色い家が建っていた。
 「圓團圖門」と同じ、特徴的な半透明だ。
 時間が惜しかったが、ヒコギを停めた。手がかりになるかもしれないと思ったのだ。
 交差点の近くで車残像を横断し、駐車場に入ってそばまで近づいてみると、家は家なのだが、屋根も窓もドアも、ちょっと見たことのないデザインだ。
 アフリカだか南米だか、どこかの国の写真で見たことがあるような、やっぱりないような、何ともいえない不思議な家だ。
 周囲を巡ってみて気づいた。家の裏手は破壊され、すでに廃屋となっているようだった。
 そばのフトシが8500を継げた。
 軽い吐き気が喉の奥から登ってきた。メギ曜日が終わろうとしているのだ。
 もう時間がない。ハルカはそれ以上の調査をあきらめてヒコギに戻り、さらに先を急いだ。
 めまいと吐き気をこらえつつ、ハルカはふと気が付いた。漕ぎ続けるペダルが、次第に軽くなっている。
 下り道はすでに終わって、道は平地のはずなのに、ヒコギはどんどん加速を続けているのだ。
 ハルカは困惑しつつ、ふとあることを思い出していた。
 あの多摩川。
 なぜかはわからない。だが、あの時と同じ何かが起こっているようだった。
 ヒコギは何かに引っ張られるように、ますます速度を上げ、飛び過ぎていく風景の中で、やがて先ほど見たような黄色い廃屋が、周囲のあちこちに姿を見せるようになった。
 菫色の風景の中で、それはとてもよく目立った。
 最初は駐車場や空き地に、だがやがて、普通の家やビルにも重なって、先に進むたびに、つまり東京方面から離れるたびに、黄色い家はその数を増していくように思えた。
 家だけでなく、逆三角形を連ねたように茂る奇妙な木や、その森のようなものも見えはじめた。
 どれも黄色だ、目がチカチカした。
 菫色の風景は、しだいに黄色い風景に覆い尽くされ、空と大地は鮮やかな二色のコントラストの中にあった。
 もはやここが神奈川県とは、ほとんど思えなかった。
 住宅地に食い荒らされ、無残に削られた、みすぼらしい山々の替わりに、ゆるやかな黄色い丘陵が現れ、どこまでも広がっていた。
 激しい吐き気とめまいの中で、その光景はこの世ならぬ美しさに思われた。
 時速はすでに80キロ近いだろう。速度に耐え切れないヒコギは激しく振動し、ハルカは必死にハンドルにしがみついた。だが、それがあるときピタリと止んだ。
 フトシが小さく声を上げた。理由がハルカにもわかった。
 ヒコギは飛んでいた。
 高速のためか、それとも他に理由があるのか、いまやヒコギの車輪はわずかに路面から浮いて、ハルカとフトシを矢のように運んでいるのだった。
 そして目の前に、街が現れた。
 黄色い丘陵の向こうに、金属質に輝く、黄色い城壁のようなものが見えた。
 その中に囲われた、同じ黄色の街が見えた。
 全体がうっすらと透き通っており、おそらく神奈川のどこかの駅なのだろうが、こじんまりとした菫色の駅舎や商店街を包み込むようにして、壮麗で奇妙な街が、そして天空にそびえ立つ塔が目の前に近づいてきた。
 『とおくのまち』が、そこにあった。 
 ふと、ハルカは気付いた。
 道の前方、50メートルほどに、誰かが立っていた。
 人間だった。
 一面の黄色の中で、さらに抜けるような鮮やかな黄色の、マントのような奇妙な服を着た、それは男だった。
 フトシが、9000を告げた。
 男は、ゆっくりとこちらに歩いてきた。

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最終更新:2014年12月12日 11:36