第5回
遠征(1)
閉店間際のユザワヤ11号館に駆け込んだハルカは、雲母粉が油絵コーナーにないと聞いて驚き、また心の中でガッツポーズをとった。
雲母粉は日本画の画材なのだ。油絵では普通使わない。
ではなぜそんなものを大量に買ったか。
答えはすぐに試せる。明日は日曜日だ。
ハルカは、15グラム160円で雲母粉を買い、100円ショップで家事用ゴム手袋を買い、蓮沼駅のそばに見つけた釣具屋で、冷凍オキアミ、小分け1ブロック200円を買った。
推測が正しければ、ハルカはこれまで以上の遠征に挑戦できることになる。
あの奇怪な伸吉文書が、果たしてどこまで信用できるのか、それを試す絶好の機会だ。
両親ともに釣りには疎かったので、ハルカはオキアミを、単なる冷凍の小エビとごまかして、冷凍庫に忍ばせることができた。
そして日曜日。7月24日。
ハルカはレンジで解凍したオキアミを、オリーブオイルで炒め、パセリとともにパスタに和え、夜食に食べた。これは書いておくが、はっきり言ってマズい。台所中に広がった生臭さを、どうやってごまかそうかと思った。さすが魚のエサだ。よほどの物好き以外はやめといたほうがいいだろう。
ハルカはベタイン、グリシン量こそがメギ曜日に至る誘発成分だと思っていたが、この激マズいオキアミに効力があるのだとすると、あるいはそれ以外の要素も考えるべきなのかもしれない。
喉の奥から逆流しそうなオキアミの生臭さをこらえながら、部屋に戻り、いつもどおりの予習と入浴を手早く済ませ、11時を待ちきれずベッドに入った。だが今日はパジャマ姿ではない。いよいよ実験だ。
早朝ジョギング用のタンクトップに短パン(以前に三日でやめた)に着替えると、100円ショップのゴム手袋をはめた。厚めのナイロン袋にパックされていた雲母粉を開封し、慎重に手袋の指になすりつけた。
「掌ニ塗ラヌコト」だ。
光線の加減でキラキラと輝く雲母粉は、魔法の粉みたいでちょっとカッコいい。
剥き出しの手足や顔をはじめとして、服に隠れる部分にも雲母粉をたっぷりと塗っていった。感触はまるで細かい砂のようだが、少しチクチクして、あまり体によくはなさそうだ。
片方づつ手袋を外しながら、最後に残った手の甲にも塗る。
布団を粉で汚さないように、敷き布団にバスタオルを敷き、いつものタオルケットでなく、すぐに洗えるバスタオルを掛け布団のかわりにした。
さらに伸吉の記述を参考にして、10円玉と1円玉を、それぞれバンドエイドで両足に貼った。たしかこうやると電気が発生するとかの、うさんくさい健康法があったっけ、とぼんやり思った。
とにかく、この際伸吉が薦めたことは一通りやってみるつもりだった。
目覚ましにはいつもの携帯のバイブレーター。
だが、その必要なかった。興奮でとうとう寝付けないまま、3時28分、ハルカは覚醒した。
遠征 (2)
7月24.5日、メギ曜日。
伸吉にならって、こう書こう。
オキアミの効果なのだろうか、これまで以上のクリアーさで、周囲の風景は一気に菫色に変化した。
体も動く、しかも軽い。雲母粉のおかげだろうか。
そろそろとバスタオルをめくり、呼吸を整えてから、ベッドの横に立ち上がった。
いつもの、空気に触れるとき感じるチクチクした感触がない。水の中を泳ぐような抵抗感は相変わらずだったが、まとわりつく空気を雲母粉が弾いているように感じられた。
とりあえずカーテンを開けて、外の様子を確認しようかと思い、やめた。今日はやることが多い。まずは外に出なければ。
ハルカはドアに向かった。開ける必要はなかった。ハルカの体は、ガラスの自動ドアをすり抜けたように合板のドアを、その残像を、そのまま通過したのだ。重なった木目の中に、肌を潜り込ませていくゾクゾクする感触を、何に例えたらいいだろう。
ただ、今日も廊下に漂う母の残像と交わるのは避けた。あの歪んでしまったガラスのように、母がおかしくなったら困ると考えたのだが、なんとなく生理的にはばかられたのもあった。
廊下の端を進み、玄関までたどりついたハルカは、ドアの前で躊躇した。これも通過してみようか?
しかし万一、途中で力尽き、ドアの残像の中で身動きが取れなくなってはたまらない。雲母粉の効果がいつまで続くかもわからないのに、無駄な危険は犯したくなかった。ハルカは結局ドアを手でこじ開けることにし、そこではじめて「掌ニ塗ラヌコト」の意味を理解した。
あらためて観察をしてみると、この作業が、ドアを「開けている」というより、残像を一方に寄せることで、そういった状態というか確率というか、とにかくそうしたものに「近づけている」のだとも気付いた。
ドアをこじあける苦労は変わらないが、開いた隙間から抜け出すのは雲母粉のおかげで楽だ。以前の数倍の速さでマンションの廊下まで出ることに成功したハルカは、階段を下り、玄関を通過し、ついに道路の上を流れる、例の残像の前に立った。
いよいよ新しい冒険のはじまりだ。
まず、指先をつっこんで見た。やはりというか、かなり痛い。というか痺れる。
しかし、これなら熱い風呂のように、我慢すれば入れないほどではない。ハルカは意を決して、残像の中に大きく一歩を踏み出した。
するどい痛みが伝わった。
「つッ!」
おもわず声を出した。
踏み入れた足が、車線の進行方向に流されるのを感じた。人間の残像と交差したときには起こったことのない現象だった。運動エネルギー量の違いだろうか。ハルカはバランスを崩されそうになり、あわててさらにもう一歩を踏み出した。
今度の一歩には、途中流れを踏み抜くような感触があって、足のすねから下あたりがすっと軽くなった。
走る車には、左右のタイヤの間に、何もない空間が常に存在する。おそらくそこに踏み込んでいるのだろう。すねから上は強い力で流され続けるため、うっかりすると足をひねられて、捻挫をしそうだった。
急流を渡るようにして、そのまま大股で残像を渡りきり、道路中央の黄色いラインに達してようやく足を止めた。
振り返って見ると、マンションの前から、3メートルほど横にずれている。残像に流されたのだ。しかし、とうとうハルカは、これまで通過できなかった車の残像を超えたのだった。
こうした道路の中央部分や、歩道と車道のすきま、残像のない部分を進むことにすれば、行動半径は飛躍的に広がることになる。
となると、今日の目標はもう決めてあった。
多摩川大橋。
カンバス3のあの場所だ。そこに何が見えるのか確かめたかった。以前に抱いた、突拍子もない思い付きを確かめたかった。
遠征 (3)
なんとか横断が可能とはいえ、熱湯のような車の残像に入り込むのは、今もかなり大変だ。時間もとられる。
となると、以前の自転車遠征のように、多摩川までの道を適当に選べるわけではない。
道路中央に立ちつくしたまま、しばらく考えた。
できるだけこうした「車残像」と交差しないよう、多摩川を目指すとなると、ルートは一つしかない。まずはマンション前の住宅地を進み、環状八号線、通称「環八」まで出る。
「環八」は東京都の物流の要の一つであり、ハルカのマンションと、多摩川の間を、横たわるようにして遮っている。
住宅地をゆっくり走る車残像でさえあの苦痛だから、大型トラックがひっきりなしに行き来するこの環八を、横断して先に進むのはちょっと無理だ。
しかしそのまま環八を500メートルほど西に向かえば蒲田陸橋がある。これは環八と、多摩川にいたる国道一号線が直交する場所だ。国道一号線側に合流する車以外は、ほとんどが立体交差の上を行くようになっている。
この下をくぐるようにすれば、合流用の脇道を二本横断するだけで、国道一号線に行き着けるはずだ。
国道一号線に出さえすれば、多摩川大橋までは一直線。全体距離にして、往復でも四キロたらずの道のりとなるはずだった。
今日の体の軽さからすれば、1時間ちょっとで行けそうだ。
「163分」という伸吉の情報がどこまで正しいか、その検証にもなりそうだった。
ハルカは、自分の左右をそれぞれ逆方向に流れる「車残像」に触れぬよう注意しながら、一メートルに満たない車道中央の隙間を、そろそろと歩き、環八を目指した。
いつも見慣れた風景の中を、いつもとはまったく別のルールで移動していくのは、なんとも奇妙で、面白い感じだった。
なかばカニ歩きのように、車道中央に沿って環八に至ったハルカは、目の前の眺めに目を見張った。
それは、堂々と流れる残像の大河だった。
一日に何万台という、膨大な車の流れが、運動エネルギーの奔流として見えていたのだ。
クリスタルガラスのように透明で、ところどころ未知の金属のようにあやしく輝いていた。
ハルカの背丈を二倍も超える高さがあった。
目の前を横断して、視界の及ぶ限り、どこまでも続いていた。
毎日騒音と排気ガスをまきちらす、あのいまいましい車の流れが、こんなにも美しいものに姿を変えていることに、ハルカは不思議な感動を覚えた。
流れのあちこちに、一定の間隔で、濁った淀みのようなものが見えた。横断歩道の上だ。信号待ちする車がスピードを落とすため、そう見えるのだろう。もちろん今は横断することなど、とても考えられないが。
ハルカは、さっき横断した車残像の隣、反対車線側をさらに横断することで、環八沿いの歩道と、車道との隙間に出ることができた。最初はそのまま歩道に入ろうかとも思ったのだが、歩道には通行人や自転車の残像が不規則に流れて、進むには困難だった。むしろ歩道の端、ガードレール外の縁石あたりが、車も人も通ることがないため、安心して進める場所となっていたのだ。
環八に沿って、一歩一歩注意しながら、ハルカは蒲田陸橋まで進んだ。
菫色の空には、今日も光の弓となった太陽が輝き、星の軌跡が同心円を描いている。
目を細めてみると、いく筋か星とは軌跡の異なる銀色の線が、空を横切っているのがかすかに見えた。以前には気付かなかったが、おそらく羽田から飛び立つ旅客機か、人工衛星の残像なのだろう。
蒲田陸橋に到着してみると、予想通り、環八の流れの大半は、立体高差の上に向かっていた。
だが合流用の脇道も、意外なほど残像が濃い。やはり住宅地の道路よりは、交通量が多いのだろう。
ただ、ここも横断歩道があって、流れは淀んで、濁っている。残像のスピードが遅いのだ。それが助けになりそうだった。
ハルカは陸橋の根本にある横断歩道の脇までたどり着き、二つの幹線道路が直行する、その境に立った。
目の前には、環八と同じか、それ以上に巨大な、別の大河が、悠然として横たわっているのが見える。国道一号線だ。紫の太陽の下で、直交する残像の大河は、なかなかの壮観だった。
横断すべき二本の脇道は、手前には環八から国道一号線への合流路。高架部分を挟んで、奥にはその逆となる。
突然気付いた。合流路と言うことは、もしも横断の途中でちょっとでも流されすぎれば、そのまま、あの恐ろしい流れのどちらかに巻き込まれてしまうということではないのか。そうなったら、いったいどうなるのか見当も付かない。生命に関わることになりそうな予感がした。
マンションの前の道路では、一車線を横断するのに、だいたい3メートルは流された。目測では、今度の余裕は、せいぜい7、8メートルと言ったところだ。これを二本、無事渡り切れるだろうか。
普段は何気なく通り過ぎるだけの陸橋下の横断歩道が、今やまったく違って見えた。
だが、オキアミと雲母粉の成功は、ハルカを強気にさせていた。
ハルカはしばらく呼吸を整えると、一気に目の前の流れに飛び込んだ。
走った。
強い力が、ゆっくりとだが確実に、自分の体を国道一号線方向に押しだそうとするのに、恐怖を感じた。すぐ横に、残像の大河がぐんぐん迫ってくる。視線は輝く壁のようなその流れに釘付けとなった。
さらに走った。
どうやら5メートルほど流されただけで、ハルカは高架下に到達した。高架下にある20メートルほどの歩道部分は、ちょっとした緩衝地帯となっている。全身から汗が噴き出した。
もう一本。できるだけ流れの端に寄り、息を整え、ハルカは再び走った。
なんとしても多摩川にたどり着きたかった。そこで確かめたかった。
「メギ曜日の風景」を。
S・G 2603
二本目の脇道を越え、ハルカはついに国道一号線沿いに出た。
ここまで来れば、あとは車道と歩道の隙間を進むだけだ。多摩川大橋に向かって、国道一号線は六車線の緩やかな登り坂となっている。その上を幾筋も走る残像の流れは、まるでのたうつ巨大な竜の群れのように一段と美しく見えた。
ラーメン屋の横を通り過ぎ、ファミコンショップを過ぎ、またラーメン屋を過ぎた。
環八からこのあたりは、タクシーやトラックの運転手のためのラーメン屋が多いのだ。コンビニの前を過ぎ、カー用品店の前を過ぎた。
視界が開けてきた。多摩川が近い。交番の前を過ぎ、そしてハルカは見た。
ずんぐりとしたあの形。
「圓團圖門」がそこにあった。
それは不思議な眺めだった。六郷水門とそっくり同じ形の「圓團圖門」は、伸吉の絵の通り、菫色の風景の中でそこだけ黄色味がかっており、よく見ると向こう側が透けて見えた。ただし、形がはっきりしている点が残像とは違う。 そしてそれは、多摩川大橋も同じだった。
多摩川大橋と「圓團圖門」は、互いに半透明になって、同じ場所に重なっていたのだ。まるで、多重露光の合成写真のように見えた。立体版の。
そのはるか向こうには、「塔」が見えた。ハルカが以前に見た方向の、伸吉の絵の構図の通りだ。
ハルカの直感は当たっていた。
「圓團圖門」はメギ曜日にのみ存在しているのだ。あの「塔」のように。
ハルカはゆっくりと 「圓團圖門」の周囲を巡った。
川原の砂利道が透けており、透視図のように国道一号線の基部が、それに覆い隠された濠のようなものが見えた。門の感触は普通のコンクリや鉄のそれだ。残像のように中に潜り込むことはできそうになかった。
「圓團圖門」のプレートも、絵に描かれたその場所にあった。間近で見れば、あるいはどういう字か判るかと思ったが、相変わらず読めそうで読めない。その四角い線の塊を、改めてじっくりと眺めるうちに、ハルカは突然気付いた。
プレートに、小さく何か掘り込んであった。
細い針のようなもので傷をつけた感じだ。
「S・G 2603」
背中から電撃で撃たれたような気がした。
シンキチ ゴトウ
2603の意味はよくわからない、だがそれが伸吉の残したサインであることは間違いなかった。ハルカは思わずプレートに駆け寄った。よく見ると文字は他にも無数に掘り込まれ、プレートの余白をビッシリと覆っていた。
此処ニ来タル者ヘ
此処ヨリタマ川ヲコヘ
曜日世界ヲメザシタマヘ
我ハスデニ成セリ
大曜日世界ハ今ヤ開カレタリ
日曜日
(メギ曜日)
(メギ静止曜日)
月曜日
(クロイ曜日)
火曜日
(ケド第1曜日)
(ケド第2曜日)
水曜日
(ミフ曜日)
(ミフ静止曜日)
(ケド第3曜日)
{ 木曜日
(タイシ曜日)
(ウウウエイ曜日)
(ヒヒ曜日群(第一~第十一))
(ケド第四曜日)
(イムヒ曜日)
金曜日
(ケド第五曜日)
(サンムトリ第一曜日)
(サンムトリ第二曜日)
(サンムトリ静止曜日)
土曜日
(ケド第六曜日)
(第二曜日残骸群?)
(ルク静止曜日)
(大曜日空隙)
S・G 2603 8・18
この一文を見出したときのハルカの驚きを想像してもらえるだろうか。
ずいぶんと長い間、その場に立ちつくしていたような気がする。
なんということだろう。
メギ曜日だけではないというのだ。
日曜と月曜の間だけではないというのだ。
こんな世界が、他にも無数にあるとしたら!
あまりの途方もなさに、ハルカはただ呆然としていた。しかしやがて、別のことが気になり始めた。このメギ曜日で時間を正確に知るすべはない。だが予定では往復で一時間ちょっとのはずが、気がつけば、おそらくすでに1時間以上を過ごしてしまったような気がした。
もといた場所に戻れなかった時のことを思い出した。
「圓團圖門」の実在が確かめられた今となっては、163分という伸吉の情報を信じるべきかもしれないが、それにしても確証はない。とりあえず多摩川大橋の方を見て、引き返そうとハルカは思った。
「タマ川ヲコヘ、曜日世界ヲメザシタマヘ」という伸吉の言葉が気にかかっていた。
橋の形そのものは、普段とかわらない。だが門と同様、全体的に黄色味がかった半透明の多摩川大橋を渡りながら、ハルカは考えていた。
(多摩川を越えることに、どんな意味があるのだろう)
(やはり、あの塔を目指せということなのだろうか)
(それにしても、これから一体どうする。そろそろ受験勉強も始めないと)
橋の向こう側は神奈川県の川崎市だが、歩道の残像をよけながら、渡りきるのには五分もかからない。川崎側の岸辺に近づくにつれて、橋が次第に透明度を失っていくのがわかる。しかしその先にあるのは、国道一号線の続きと残像の流れでしかなく、周囲に目立ったものはなかった。
ただ、あの「塔」だけが、近づいた分、視界をさえぎるものがなくなり、少しだけはっきり見えた。
風景の中で、門と橋、そしてあの塔だけが黄色味がかっている。何か関連性があるに違いないが、今は想像もつかなかった。
とにかく、今日はこれで十分だ。とりあえず引き返そう、そう思って振り返ったハルカは、そこで凍りついた。
後ろには0犬がいた。