探求(1)
5月29.5日
ブラックタイガー(無頭冷凍、東急ストアにて10尾980円。うち4尾 スープで煮込む)
ぼんやりと菫色を感じるのみ。
6月5.5日
ブラックタイガー(先週の残り、週末までにおかず用に4尾食べられ、2尾。バター炒め)
目覚ましを低音量にて使用。
失敗。鮮度が悪いためか発生を確認できず。
6月12.5日 (甘エビ刺身用、サンカマタにて15尾580円のうち7尾、醤油とワサビにて生食)
枕の下に携帯を敷き、バイブレーションアラームを使用
成功。しかしまたも手足動かせず。
これは五月から六月にかけて、ハルカがあの菫色の世界に到達というか覚醒というか、とにかく行き着いたその記録だ。
日付に小数点がついているのは、それが日曜と月曜の、どちらともつかない間にあるからだった。
ハルカはあの現象が発生する状況を、できるだけ細かく分析しようと考え、実験を重ねていた。
まず、はっきりとわかったことがあった。発生するのはやはり一週間に一度だけ。日曜日の夜だ。正確には日曜日と、月曜日の間、午前三時二十八分。
買ってきたエビは、たいてい一日で食べきれないので、月曜や火曜の献立に上ることも多い。しかし、日曜以外はどうしてもうまくいかないのだ。
曜日というのは、時間に対して人間が勝手に刻んだ目安でしかない。なぜ日曜の夜なのか。正直なところ理解に苦しんだ。
あるいは観測者である自分の精神状態、つまり、明日からまた退屈な一週間がはじまる、という嫌悪感のようなものが、その引き金となっているのかもしれない。
ただ、そうやって考えを進めると、要は自分の錯覚である、という、いかにもな結論が出てしまうので、そこはあまり深く考えないようにした。
エビ。日曜日と月曜日の間、午前三時二十八分。
起き続けているか、あるいは少なくとも20分以上前に、自然な形で目覚めていなければならず(これには携帯のバイブアラームが都合よかった)、時間ピッタリで急に起きようとしたり、大きなアラーム音を鳴らしたりと、目覚めにショックが伴った場合には発生しないようだ。ここまではわかった。
だが何度試みても、最初のときの、ベッドを抜け出して歩き回れるような自由が得られなかった。せいぜい布団の中で首を巡らせるだけだ。これでは研究を進められない。
いかにして一回目のときのように、はっきりとした発生に行き着くか、そこが課題だった。
もちろん、条件のひとつは明白だ。すなわち、あのイセエビ八匹。
だがあんな立派なイセエビは、そうそう食べられるものではない。お中元のカタログで調べたところ、あのサイズの活きエビの相場はだいたい3匹1万円。我が家の家計からして、晩のおかずに出る可能性はまずないし、ハルカの個人的こづかい(月2500円)から考えても、手が出るものではない。
しかし、グラタンやてんぷらの、安い小エビでも小規模の覚醒は起こった。
とすると、あの現象は、エビ全般に含まれる何らかの成分によって誘発されるものに違いない。
ならばその鍵となる成分を突き止め、よりコストパフォーマンスの高い、つまり安いエビの可能性を探っていくべきだとハルカは結論づけた
探求(2)
6月26.5日
オマールロブスター(一尾、東急ストアにて780円、ボイル)
ワイン(グラス半分)を飲用
かなり意気込んでみたが失敗。発生確認できず
淡白なロブスターには誘発成分が少ないのではと推察
7月3.5日
相模湾産活きクルマエビ(特大1尾 東急ストアにて560円 塩焼き)
目まいのため意識を失うものの、ついにベッドから起き上がり、這い出すことに成功。
さらに実験は続いた。特にエビについて、研究の進歩は目ざましかった。
これまでの経験から、味の濃い、いわゆる「旨い」エビほど覚醒の誘発効果が高い傾向にあることがわかってきた。では、エビの旨さとは何か?
ハルカはまるで水産科の学生のような熱心さで、エビの旨みを解き明かす調査に没頭し、とうとうその鍵を握るのが、ベタイン・グリシンであることをつきとめた。
ベタイン・グリシンは、アミノ酸の一種で、エビの身に、あの独特の甘味を与えている。これこそ、日本人が特にエビを好む原因なのだそうだ。
日本の食卓にのぼるカニ、エビ類の、ベタイン・グリシン含有量は以下の通りである
(ベタイン・グリシン含有量) |
クルマエビ |
539 |
|
イセエビ |
420 |
|
ズワイガニ |
357 |
|
タラバガニ |
417 |
|
ハナサキガニ |
476 |
(mg/100g) |
これによれば、エビ類の中でも最高のベタイン・グリシン量を含有しているのはクルマエビだ。これが捜し求めていた「誘発成分」とするならば、クルマエビには、イセエビを超える効果が期待できる。
また、エビのタンパク質は自己分解性が激しく、すぐに食感が失われてしまうこともわかってきた。つまり、素材はボイルや冷凍でなく、活きエビでなければならない。
活きクルマエビ。それがあの世界を探検する鍵となるかもしれない。
夏向けの洋服をいくつか我慢してでも、チャレンジする価値がありそうだ。
思いつめた表情のハルカを見て、周囲はきっと英単語でも覚えているのだと思っていたろうが、ハルカの心の中は、もはやエビで一杯だったのである。
そして夏休み直前の7月17日。
ハルカは大事なお年玉貯金を下ろし、東急ストアで活き車エビ(特大)6尾を、特価2000円にて購入。台所で塩焼きにし、一人で食べた。ビールのつまみに一匹欲しがる父にも渡さなかった。
両親もこの頃になると、日曜の深夜にエビをむさぼり食う娘の姿を見ても何も言わないようになっていた。受験を控えていることだし、何か神経がたかぶっていると思ったのだろう。
携帯のバイブアラームを枕の下にセットし、万全の布陣で、ハルカは覚醒に臨んだ。
全体的には、気が触れたようにしか見えなかったと思うが。
再び菫色と水飴
7月17.5日
これまでにないクリアーな覚醒だった。
いつもの金縛り状態でなく、体を動かせることにも気づいた。
あの最初の日と同じだ。水中で動くような抵抗があるものの、ゆっくりとなら体を動かせることにも気付いた。空気は重い、まるで水中のようだ。
カーテンを下ろした窓の外が明るい、窓のはじには、なにか光の筋が走っているのにも気付いた。窓の外がどうなっているのか、廊下の先にまた水飴はあるのか。
(今日こそ確かめてやる。)
ハルカは興奮をおさえきれず、さっそく行動に移った。
タオルケットを持ち上げた。手の重さが増す気配はない。いける。
寝汗を吸ってやわらかいはずのタオルケットが、まるで日に数日もさらした雑巾のような感触で、妙に固まって感じられた。
ベッドからゆっくり上体を起こす。
大気がねっとりと重い。ガラス繊維に触れるような、チクチクした軽い痛みが皮膚を走った。
注意しながら横に転がって四つんばいの状態になり、そのまま窓を目指してゆっくりと這った。
体育座りをするように足を体にひきつけ、呼吸を落ち着けてから、窓枠に掛けた手を支えに一気に立ち上がった。
脳の血液が、急にぐわんと巡った。目まいがした。
ハルカはしばらく目を閉じて、窓に背を向けたまま立ち尽くした。
カーテン越しの外の光が、背中に感じられた。しかしそれは太陽の温かみとはどうも違うようで、はたして暑いのか寒いのか、よくわからないのだった。
ハルカは辛抱強く目まいがおさまるのを待った。今日こそ、この不思議な世界をしっかり見てやろうと、半ば意地になっていたのだ。
薄目を開けて窓の方に向き直り、カーテンを開いた。
小学生の頃から部屋にかかっているキャラクター柄のカーテンが、やはり干されて固まった雑巾のような感触だったが、いちいち気にして入られない。
四階の窓から外に見えたのは、宝石を思わせる深い菫色に染まったまま、不気味に静まり返った蒲田の町だった。
見渡す限り、動くものは何一つなく、またうまく説明できないのだが、すべてが動くはずもないように思えた。
町じゅうの道路に、例の水飴が流れ出していた。
乳白色、半透明のなかに混じった、青や赤、緑。
あたりを照らし出す菫色の光のため、正確にどんな色なのかはよくわからない。
それは、まるでガラス細工の巨大な工場が事故を起こし、溢れ出した色ガラスに、街が水没しているようにも見えた。
街路樹や窓、アンテナや電線などの細かい部分は、なぜか妙に霞んで見える。
カーテン越しに見えた光の筋は、天球をまたがって輝く、巨大な光の弓のようなものに見えた。
それは太陽の替わりに地上を紫色に照らし出しており、なにかひどく不気味なものに見えた。あたりをくまなく照らし出しているはずなのに、明るいのか暗いのかはどうも定かでなく、あたりのどこにも影がなく、またどこもすべて影のなかにあるようにも見えた。
風景全てが、なんともいえない違和感のなかにあった。
呆然としたまま空を見上げ、北のある一点を中心に、無数の同心円を空に描く光の筋を見て、ハルカは気付いた。
「星だ」
同じものを理科の教科書で見たことがある。
シャッターを開けたまま夜空を写真に撮ると、星はああして見える。
今こそハルカははっきりと理解した。
残像だったのだ。
星は光の筋となる。天空をまたぐ光の弓は、太陽の軌跡だ。
あの水飴は、町を行く人や車の流れなのだ。
この菫色の世界では、動くものすべてが、その動く軌跡そのままに、立体的な残像となって、空間に固まっているのだった。
どれくらい眺めていたろうか。ふと気づくと、はるか遠くに、見慣れないものが見えた。
何か塔のようなものだ。
南西、神奈川方向、川崎駅か、あるいはその先の横浜あたりだろうか。足元は、ビルの群に隠されてよくわからない。霞み具合からすると、相当の遠くにあるように見え、またその距離でこの高さに見えるとなると、かなり巨大なもののようだった。
ハルカの記憶している限り、窓の外にそんなものが見えたことはなかった。
視界の中でその塔だけが微妙に黄色っぽく、それはいかにもよく目についた。
ハルカはその塔の位置を、イトーヨーカドーと、ライオンズマンションとの間を目安にして覚えておくことにした。
そしてドアの外へ
(そうだ、外は。)
新たな好奇心がわきあがってきた。
ハルカは注意深く、再びはうようにして部屋のドアに向かった。
よく見ると、ドアの合板がうっすらと透き通っていることに気付き、驚愕した。木目の向こうには、洗面所に続く廊下の様子が見えている。
しばらく考えて理解した。
このドアは一日のうちに何度も開閉される。おそらくそのため、これも一種の残像となって、完全な不透明にならないのだろう。
ドアは鉛のように重く、ノブは力をこめてようやく回った。
ノブを回す手が、まるでヤスリがけをするようにヒリヒリと痛んだ。
酔っ払っていたとはいえ、よくこんなものを気付かずに開けたものだとハルカは思った。
あるいは最初の覚醒のときは、もっと簡単に開けられたのだろうか。
ようやく通れるくらいの隙間を押し開けて、ハルカは廊下に出た。
振り返ると、ドアは、蝶番を中心にした、一片の巨大なバームクーヘンのように見える。
廊下にはあいかわらず水飴が流れていた。
今ははっきりと、これが母だとわかる。以前と流れ方が違うように見えるのも理解できた。
今日、母は掃除を手伝わせるために、何度もハルカの部屋を訪れていた。そのためハルカの部屋に向かう側の水飴は、より濃度が濃いのに違いない。
声をかけてみようかと思い、やめた。それはやはり、ただの影のようなもので、生命として存在しているようには思えなかったのだ。以前のような、うかつな接触をしないように、母の残像を避け、廊下の隅を横向きになってそろそろと進んだ。
玄関のドアは、マンションによくあるスチール製だ。これもよく見れば透き通っているのかもしれないが、暗さのせいか、あるいは材質のせいなのかよくわからない。
ハルカの部屋の、軽いドアでさえあの重さだった。ノブの固さ、ドアの重さはさらに増して、ハルカの力ではびくともしなかった。まるで銀行の大金庫をこじあけようとでもするようだ。
一瞬あきらめかけた。だが、なんとしても外に出て見たいという欲求は抑えがたかった。
あの高かったクルマエビを、今度食べられるのはいつかわからない、という、きわめてわかりやすい理由もあった。
パジャマのすそで手をくるみ、全身の力をこめてノブを回した。ノブに触れたパジャマの表面は、たちどころにボロボロになった。
ノブが回ったところで、何度もドアに体当たりをした。音がほとんどしない。以前と同じだ。まるで空気が振動を拒むようだった。
パジャマの肩口がズタズタになった頃、わずかにドアが動いた。急がないと、回したノブがまた元にもどってしまう。
ハルカは、ドアと、脇にある靴箱の間に、体を斜めに挟み込ませて、両足を踏ん張った。
少しづつドアは開いていった。足の裏はまるでドアの中にめり込んでいくように感じられ、すりむけて結構痛い。しかしここまで来たらやめられない。靴を履こうかとも思ったが、ハルカのお気に入りのスニーカーは、ものの見事に、小さな細長い水飴となっていた。歩く軌跡が見えているのだろう。地面を蹴ってはまた戻る、小さな弧をいくつも描いて、半透明のドアに混じるようにして外に消えていた。
こうして見ると、自分だけが靴のように水飴状になっていないのは、逆に奇妙なことのように思えてきた。
休み休み、時間を知るすべはないが、おそらく五分ほどをかけて、ハルカはとうとうドアをこじ開け、マンションの廊下に出た。
水飴の滝
玄関の暗がりから出ると、外の明るさはいかにも強烈で、ハルカは、菫色の光に一瞬目がくらみそうになった。
ここもやはり、しんと静まり返っている。足の裏の痛みに、コンクリートの冷たさがひんやりと心地よかった。
色とりどりの水飴の塊が廊下を埋め尽くしているのが見えた。マンションの住人の姿なのだろう、
ハルカが両親とともに住んでいるマンションは、ごく普通の小さな3LDKだ。部屋のそれぞれが廊下に面していて、中央にエレベーターと階段がある。
ハルカはとりあえずそこを目指した。
空気はますます濃密に、液体のように感じられた。ハルカはあえぎながら、泳ぐようにして、一歩一歩前に進んだ。やはりできるだけ水飴を避けるため、体は横向きで、端を選んで歩いた。
普段の出入りにはエレベーターを使っていたが、使い物にはならないだろうと思われた。
近づいて見ると案の定、エレベーター全体が灰色の水飴と化している。外に出るためには階段を使うしかなかった。
エレベーターにくらべ、通行が少ないせいだろう、階段の水飴は、廊下に比べて濃度が薄かった。ハルカは注意深く、そろそろと階段を下りていった。
それはまるで、水飴の滝に沿って下るようだった。階段の段差が、水飴に美しい一定のパターンを作っている。それはいつか家族で見に行った、鍾乳洞の奇岩を思わせた。
時々、誰か壁に手でもついたのだろうか、壁めがけて突き出された水飴があり。そのたびハルカは身をかがめて、トゲのようなその下をくぐるのだった。
ようやく一階にたどりついたハルカは、マンション入り口の自動ドアで足を止めた。
大きなガラスの自動ドアは、すりガラスのようになっていた。
ハルカにはその理由がわからなかったが、あるいは一日に何百回も開閉するために、表面のさまざまな反射が、それぞれ残像となって重なって見えるためかもしれない。
階段から流れ出した水飴は、エレベーターからのそれと合流して、太い一本の流れとなり、そのままドアを貫通していた。
ハルカは悩んだ。
これは玄関のドアのように開けられそうになかった。いや、ある意味では開いているとも言えるかもしれないが。いずれにせよ、外に出るには、この自動ドアを抜けるしかなかった。
しばらく悩んだ末、ハルカはドアに足先を突っ込んでみた。
ザクリ、と嫌な感触があって、しかし足先はわりと簡単にガラスのドアを貫通した。
母親とはまったく感触が違った。柔らかだが厚みのある人体と、薄いが固いガラスとの差かもしれない。ガラスの表面にゆっくりと波紋が生じ、それとともに、なんともいえない痛みが、ハルカの足先から伝わってきた。正確に言えば痛みというより、正座した後の足の痺れのような感じだ。ただそれよりずっと強烈だった。足を抜こうか、このまま進もうか迷ったものの、結局そのままドアの外に飛び出した。
ついにハルカは屋外に出た。
目の前には、また別の、これまで見たことのない水飴が流れていた。
全体的に幅広で、その分背は低かった。濃度から言えばこれまでのものよりずっと薄く、ほとんど透明に見えた。しかし全体になにかキラキラとした光沢があるのが違っていた。先に進むためには、この見慣れない水飴を超えていくしかない。ハルカは決心して、新しい水飴の中に片足をつっこんだ。
絶叫した。
ガラスとは比べものにならない。激痛だった。まるで熱湯に足を入れたかのようだ。
反射的に足をひっこめて、その反動で、アスファルトの上に派手にしりもちをつきながら、ハルカはこの水飴の正体を直感的に理解した。
(車だ!)
マンションの前を走る車の残像に違いなかった。
おそらくこれは、運動エネルギーの塊のようなものなのだろう。速度が速い分、透明度が高く見えたのだ。
ハルカは、新たに目にした、この危険な残像に触れないよう注意深くマンションの周囲を一周してみた。しかし、どこもやがては、キラキラした残像に突き当たるのだった。都心の住宅街だから当然といえば当然だ。車の通らない道などない。これ以上は進めない。
ハルカはなすすべなく、マンションの入り口、植え込みの前に立ち尽くした。植え込み全体が、ぼんやりとかすんで見える。葉が風でそよぐ、その残像なのだろう。菫色がかった半透明の緑が美しかった。
ふと、眠気がゆっくりと全身を浸しつつあるのに気づいた。
いつもの、あの強烈な眠気だ。
突然のことにとまどいつつ、ハルカは恐怖した。ここで眠ってしまったら?
このボロボロのパジャマで、マンション入り口に倒れているなど、冗談にもならない。
(戻らなければ!)
だが、ひょっとしたら、と思ったが案の定、体もしだいに重くなってきた。
ハルカは、はいつくばるようにして来た道を引き返した。ドアのガラスを乱暴に通過し、必死で階段を駆け上った。部屋が四階であることを呪った。
手足はどんどん重くなり、眠気はますますひどく、次第に周囲が暗くなってきた。三階の途中までしか記憶にはない。
やはり起きたら何事もなく月曜日。
しかし目覚めたハルカの方は悲惨だった。
いったいどうやったのか、ベッドの中には戻っていたものの、全身はひどい筋肉痛で、特に車の残像に突っ込んだ足はひどかった。
ひとつ勉強になった。眠ってしまう前に、もといた場所に戻っておかないと、こういう目に遭うのだ。
本来日曜日と月曜日は切れ目なくつながっている。その間、いる場所が変わっている、なんてことはありえない。そのありえないことをやってしまうと、無理やりもとの場所まで引っ張り戻されるのではなかろうか、その距離が離れるほど、それはこういう大変なことに…などと考えているひまはなかった。やはり遅刻寸前だ。
ボロボロのパジャマを丸めてクローゼットに放り込み、あわてて着替えを済ませた。朝食をかっこみ、母ににらまれながらマンションの出口に走ったハルカは、自動ドアのガラスが、なんだか全体的にゆがんでいるのに気付いた。
理由はわかっている。
しかしこれが自分の仕業であるとはまさか言えないし、言ったところで誰も信じないだろう。ハルカはそ知らぬ顔で自転車を飛ばし、いつものように学校に向かった。
思わず顔がにやけた。いまやハルカは、この見慣れた街の、全く別の姿を見ることができるのだった。