連載の経緯

もとはと言えば、今は昔、筆者が大学五年生の時描いた「吉田松陰」というバカ漫画が91年春の講談社モーニング四季賞の準入選に引っかかって、「こりゃもうこれからはオレ漫画家でうひょー」とか浮かれてたのだった。しかしその頃の筆者の作風というのは、そりゃもう今以上に発狂しまくってたので、とても「島耕作」と同じ雑誌に載せられるわけもなし。縄文時代のシャーマンが現代に蘇って凶悪犯人を次々呪殺しまくるバイオレンス刑事もの「縄文刑事」など、今考えても自分の正気を疑わざるを得ないネームを次々と没られてはしばらく鬱々と日々を暮らしていたのだ。
ところで、当時の講談社というのは大変に面倒見のよい出版社で、筆者のようなヒヨッコにもちゃんと担当編集さん(東さんお元気でしょうか)が、温情でステカットなどの仕事を回してくれており、筆者のところにも当時大人気だった相撲漫画「ああ播磨灘」の、「播磨大人気御礼・読者プレゼント企画漫画」みたいなのが回ってきたのね。
これは読者プレゼント記事を漫画で楽しく説明するという内容で、漫画そのものは割とどうでもいいんだけど、筆者はなにしろ、その頃いろいろ滾ってたので、必要以上の気迫を込めて描いたのだ。すると面白がった編集さんが、「あんな感じで短編を一本描いてみないか」と声をかけてくれたのだった。つまり題材が相撲なのはまったくの成り行きで、筆者は別に相撲が好きでもなんでもなく、回ってきたのが「テニスグッズプレゼント」だったら、テニス漫画になってたかもしれない。

「播磨灘みたいに豪快な社長、『横綱社長』ってどう?」と、モーニング表紙の播磨の顔にメガネをラクガキした最初のアイディアを持ってきたのも実は編集さんのほうである。筆者はこれに語感のおさまりがいいように「大」をくっつけて、16ページのネームを考え、収集がつかないので最後に「次回に続く!」とか書いて渡したら、そのまま連載になったというのが経緯である。
しかし、そんな一発ネタで話が続くわけがないから、以後ストーリーはどんどん暴走を始めてますます収集がつかなくなり、最後まで誰にも先が読めないカサンドラクロスみたいな漫画となった。
当時は学校のほうでも、ちょうど教育実習が始まって(教育学部だったのだ)、これをクリアしないと卒業できないという事態に陥ったために、昼は小学生に「正しい大人になりましょうね」とか言いつつ、夜は「ここで電脳世界に横綱ダイブうけけけけ」みたいな狂った漫画を描いてたのだからムチャな話である。みんな正しい大人になってくれたであろうか。

結局、一回の休載をはさんで、大学卒業までに単行本一冊分(全9回、144P)をなんとか描ききったのだが、最終回に仕込んだ、とっておきのネタが、あまりにとっておき過ぎて問題になり(掲載時に相当の修正が加えられてます。)当時筆者は若気の至りもあって編集さんと大ゲンカ、そのまま喧嘩別れのような形となって、筆者の漫画デビュー作は哀れにも単行本化もされずに今日に至っているのであった。南無南無。

(070610追記)と思ったらめでたく単行本化されたのであった。よかったら買ってね。


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最終更新:2009年10月25日 01:39