言葉狩りをしよう

インターネットしててすげえ気持ち悪いことがあります。
それは、単にわがままと片づければいいものかもしれません。
嫌ならそういうのを見なければいいものかもしれません。
ですが、インターネットの目的を「情報収集」と位置付けたとき
こういう趣味をしている場合は特に、
どうしても目につくところに転がっている
どうしても生理的に受け付けないモノがあります。
この“モノ”という言葉がおかしいなら“コトバ”と言えばいいでしょうか。

それがどんなコトバかって言えば、“どこかで聞いたコトバ”。
“レッテル貼り”“貧困な語彙”“誰かの言葉の引用”
もうやめようや、そういうので面白ぶるの。そういう陳腐で何かを語るのは。

正しい日本語や作法の定義の話じゃなくて、もっと姿勢の根っこの部分のはなし。
あなたのコトバが本当にあなたのコトバですか、ってコト。
無個性を演じていませんか、平均化されていませんか、建前と発言がズレていませんか。
自分の感情に都合が良い、そんな他人の意見に乗っかっていませんか。
存在しない神様が定めた多数決の論理で、自信を無理やり正当化していませんか。
(多数決を正義と定義した神様なんて多分どこにもいませんよ)


自分にとってインターネット掲示板とかの嫌いな部分がここにあるわけです。


まるで、数多平均顔の人間が書き込んでいるかのような錯覚。
右に倣え、空気を読め、流れに沿え、ケツを舐めろ、糞して死ね。
あたかも自身が正しいから、世間(流れ)がこうなんだという
悪党の矜持を捨てたような不特定多数の不自然な悪意。
悪意を持って正義は語るな、悪党を潰せるのはさらなる悪党だけなのに、なぁ。


ネットにある、ある程度の匿名性の高さが好きだからこそ、
声を大にして、全ての卑怯者に目を覚ませといいたいです。
悪党の矜持がどこへいってしまったのかと問いたいです。
祭りなんて炎上なんて糞喰らえ、ていうかお前つまんねぇ。

そんな話。




名無しさんが書き込みました。
名無しさんが書き込みました。
名無しさんが書き込みました。

さて、自分の言葉で自分の言葉を書き込んだ名無しさんはどれほどいるでしょうか。


だっせぇ様式美みてぇなのを勝手に義務感感じながら吐かれた言葉があると思います。
くっせぇ一体感みてぇなのを味わいたくて演じられた言葉がたくさんあると思います。
そこにはオリジナルなんてどこにもねぇと思います。

ていうかぶっちゃけ嫌いなんですよね、流行語とかインターネットだけの言葉とかそういうの。
特に対象を勝手にカテゴライズしちゃう言葉。そうとれる言葉。
早い話が、一般論ぶられるのが、とにかくとにかく気持ち悪いんわけです。

てめぇの意見を一般論みたいに言っちゃあいけないと思うんです。



ここからはちと長い前振りになりますが、“平均顔”ってあるじゃあないですか。
人はこれまであった人の顔を無意識に平均化して、それぞれを区別してるってヤツ。
思うんですけど、顔の見えない相手を想像したときって、
この平均顔をそのまま当てはめちゃいがちじゃねっすかね?
画面に並んだ言葉から勝手に「何かしらの平均」を出して
画面に並んだ言葉を吐いた相手を想像してませんかね。


なんつぅか、顔(表情)ってやっぱ個性なわけですよ。
たとえば笑いなれてる人って笑顔が格別に素敵だからわかる思うし、
それこそなんとなく同性のオタクの人は顔みたらわかる、みたいな。
そういう勘、みてーのがネットじゃ働かなくなるんですよね。どーしても。

ぐたぐだと、それがなんなんだって言われれば、
言わば「目隠しした状態で会話する」のがネットだと思うわけです。
たとえ多少なり声の抑揚や癖みてーのは表現されるとしても、
無個性を気取られたら、匿名の一般人にしか感じないっつーんでしょうか。
実際が悪意と打算の塊で、思ってもないことを並べられたとしても
なんとも「ふつーのひと」が「じょーしきにしたがって」言葉してるように見えてしまう。
オレはそれが、ネットとか掲示板のすっげぇこわい部分だと思うわけです。
とくにありがちな言葉を綴られた時はとくに。

具体例挙げましょう。
自分はゲームとか好きなんですけど、初めて見たときに
ショック通り越してフリーズぶっちぎって、
信じられなかった(今でもしょーじき信じられない)言葉があるわけですけど。
それが「妊娠」「GK」「痴漢」って言葉。
知らん人の為にあえて言うと、それぞれ任天堂とソニーとマイクロソフトの信者さんを
Disった感じで吐かれる言葉らしいです。
正確な定義は知らんから、そういうのは詳しい人のところへ行ってください。

もうさ、ホント、ばかっばかっばかっ。というか、もうなぜそうなるの領域。
いやさ、敵を固定する言葉ってヤツはさ、すっげー打算とかが入るわけで。
蔑称を創って、それを定着させるためにみんなして右に倣えっつーの?
まじでキモイ。というかそういう言葉はいて満足ヅラできる人間がいると思いたくない。
でもそういう言葉を見たとき、どうしても「したり顔」のアホが浮かぶわけですよ。
ソイツの吐いたアホの言葉からは。ソイツの吐いたアホの言葉に乗っかってる人間からは。
ソイツの吐いたアホの言葉を嬉々としてピックアップしてるアホの顔が。
インターネットの何がキモいって、そういう、アホが一つの旗に群れたがるところ。
「情報収集」って目的を考えればそれもある程度の必然なだろうけど、
それでもだからこそ、てめぇの意見はてめぇの意見としてあるべきだし、
それこそ「誰が何と言おうと譲りたくない(譲ることは可能)」って領域が
てめぇの意見っつーもんなわけやないですか。
少なくとも、誰かの作った蔑称みてぇなのを嬉々として自分も使ってみる場ではないです。
たとえそういう場だとしても、それはほめられた真似じゃない。
それだけで指さされてクズ認定されていい、と思う。
相手は関係ない。相手がクズじみてる面があることと、
てめぇがクズってことに関連性はないんだから。


たぶん、リアルでそのコトバを書きこんだ人間のツラを拝んだとき、
顔を見たただそれだけで軽蔑したくなるような
そんな人間が吐いた言葉もネット上には山ほどあると思う。
それがダメとは言わない、むしろそれでいい。
環境や境遇や、過去や現在や未来や。
そんなのとっぱらって、てめぇの言葉ひとつ
それがネットのすげぇいいところだと思うわけですよ。

それがなに誰かの言葉を借りて、てめぇの言葉ぶってんだと。
あんたの血肉みたいなコトバがそんな借り物でホントにいいのか、と。
あんたは本当にその言葉が好きなのかと。その言葉こそがと思って吐いているのかと。
アホみたいに「挙手」だの「~なのは私だけ?」だの、意味がわからない。
自分と同じ意見があって安心する気持ちはよくわかる。
だけど、同じ意見があったからって、それが正しいなんてそんなワケねぇだろう、と。
意見ってヤツが千差万別で、そのまま個性に置き換えられるって話。
すべて正しくてすべて間違ってて、すべてに矛盾があって、すべてに嘘がなくて。
それぞれに理由があって。それが意見ってもんじゃん。ある程度練ったらそうなるって。


“これだから○○は”
“仕方ねぇよ○○だし”
“○○だと思うのは私だけ?”
“そろそろ一番○○なの決めようぜ”


おいおい、そんなあっさり綺麗な言葉に飛びついてんじゃねぇよ。
てめえの汚れた心と向き合ってみろよ。
あんたが吐くべき言葉は、上辺だけ取り繕った“ありがち”なのか。
それじゃあリアルと大差ねえじゃんか。顔色覗って、言わされてるだけじゃねぇか。
“ありがち”のどこにもあんたはいねえじゃんか。

自分の意見に沿う流れだったら安心する。
そして安心する言葉を吐いてくれた人間が人間クズである可能性から目をそらせ!
そんなん、とんだヘタレ野郎じゃねっすか。

なんつうか、炎上とかそういうのにしても、そう。
てめぇの掲げた正義がタイマン張れる正義じゃねぇから、徒党組んでるように見える。
正直、炎上に加担してる人間の中の愉快犯ほどのクズはいねぇと思う。
特定個人を攻撃して、否定材料ばっか探して、安全圏から、叩く。
悪党としてのスジが通ってねえよ。
だってさ、叩かれる覚悟キメてねぇってコトじゃんか。
てめえはただ正義ぶりたいクズだよ。時代錯誤もびっくりだ。
暴力主義のくそったれ学生運動とも大差ねぇよ。

だってそこにあるのは一般とか正義とかなワケで。
てめぇの言葉はほとんどねーだろ?


恥を覚えてそれを乗り越える
オレ自分個人としては文章を吐くってのを、そういう行為だと思いたいわけです。
だから、“恥かきたくないから”って発想そのものが気に食わんわけ。
そうやってありがちな意見とか言葉とかに飛びつくのが気に食わんわけ。
どんだけ野暮でも言葉にしてまとめたかった感情なわけ。

でもやっぱ、こういうことをわざわざ言葉にしてしまうのは
自分でもどこかおかしいと思うわけです。
誰が、誰しもが。ほんとバカじゃん。




とりあえず思いつくことはそんな感じ。
一発書きだとこんなもんかな。
ちともったいない気もするし、若干接続とか展開とかも修正点はある思うんで
気が向いたらもう少し方向性固めてまとめようと思います。
でももしかしたら今のままの雑多な言葉こそが正直ってヤツかもしれない。

むずかしいわホント。





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最終更新:2009年09月21日 21:44
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