第2話

風立ちぬ夜はいつだって地の底から始まる。
涙すらも隠してくれる、たった一人の夜に手を伸ばして。
こうして夜は舞い、未来すらも覆う闇を放つ。
闇に呑まれて怯えて泣くな、目を凝らせ。
瞳を閉じれて闇は視界に広がる。
然らば逆も然り。
光在れ。


第2話 夜明けの抜け道


「火渡戦士長が?!」
「ええ、どうやらここ数日行方不明らしいわ」
聖サンジェルマン病院の廊下で会話をする影は、早坂桜花と中村剛太のものだった。あなたが過去に至る物語を考えたならば、それは少し珍しい組み合わせかもしれない。知らぬ仲では無いが、だからといって互いの顔を合わせることがファイナルまでの物語上は無きに等しい間柄の二人。エンゼル御前を介した通話ほどしか交わしたことのない二人であろう。
それは、行き交う流れが偶然重なったためによる会話だが、始まりとは得てして偶然が繋がった時であるのが常である。 さらに言えば、ファイナル以降の剛太と遭遇する確率が最も高い場所は、言うまでもなくこの病院だ。そういった意味ではこの遭遇も必然、もしくは運命の歯車だと言えるだろう。
傷つき俯いた先輩、津村斗貴子を気にするあまりに、剛太は情報収集の面で戦士としては失態とも言える遅れを取っていた。だが、桜花が知らしめた火渡戦士長の行方不明という事実に驚くとともに、それでも思考を大切な人の方向へ向けるのをそれでも止めないのが中村剛太という少年である。
「そのことを先輩には?」
「まだ伝えていないわ。まだ確定した情報じゃないし、それに…」
飲み込んだ言葉、『今の彼女に必要なのは、きっとそんな言葉じゃないはずだから』。そして、『そうね。今の津村さんに届く言葉なんてあるのかしら』。飲み込んだ理由は、言うに及ばず。必要なのは痛みある言葉ですらないのである。
あのファイナルの結末を経て。誰の目にも明らかに、津村斗貴子は自らの世界に籠もってしまったかのように見えた。心を読まずとも、恐らくはそうだろうと確信してもいいほどに。
「あなたも今はまだ、何も言わないほうが良いわね。津村さんは何か考え事をしているみたいだし、それに…。あなたが、つらい思いをすることになるだけでしょうから」
「別に俺は…」
やさしさの矛先を急に向けられた剛太が隠しきれなかった気持ちは未練か、それとも後悔か。そして自責だろう。剛太もまた傷つき俯いている。それでも顔をあげて何かしようとあがいている。なにができるのかとあがいている。なにをすればいいのかと!
「そういう風に自分だけを傷つける真似はやめなさい」
それは冷酷さばかりが目立つ笑みだった。確かに桜花の微笑みにはいつだって冷たさがあったかもしれない。それでも空気をを切り裂く言葉は時として、胸を突き刺す楔の役目を果たす。突き放す冷たさは時に背中を押すチカラとなることを桜花は知っていたから。たくさんの不器用な人たちと出会い、別れ、離れ、願う。
そして桜花は廊下の窓から外を仰ぐのを止め、剛太の後方へまっすぐ目を向ける。立ち止まる剛太や全てに見せつけるように歩き出し、そうやって言葉を残す。
「今の津村さんに会っても、きっとすぐに見てられなくなるわ。どうせすぐに見ずにはいられなくなるでしょうけど、今ぐらいはこれからの自分のことを考えなさい。ね。」
伝えるべき言葉で心は刺した。すれ違いざまに置いて行かれた言葉、剛太。風が責めるかのように窓を叩く。
それでも少年は一人立ち尽くすしかできない。思い出すのは、胸に秘めるのは戦友として頼まれてやったあの夜の約束。先輩のコトは俺に任せろ。あの約束を違えるつもりはない、だが。
「必ず帰って来い、か…」
窓の外の月を見上げる。いったいいつまで約束を果たせばいい?そもそも今の先輩に何をしてやればいい?今の先輩に必要なのは…。
「いったい、今俺は何をどうすればいいんだろうな」
誰の胸にも重くのしかかっているであろう言葉。先輩のためなら何だってする覚悟はある、気持ちはもっとある。だけど。 『俺じゃできないコトがあるんだ。あるんだよ』。
今は剛太を背に捨て置いて、静かに早坂桜花は歩みを始めていた。病院を出て、携帯を取り出す。
「もしもし、秋水クン?私。あのね、ちょっと確認を頼みたいの」
少しでも予防策は早めにとっていいだろうという想い。今やれることなど限られているのだからという願い。だからとにかくやれることはやっておきたい心。月に消えた彼のように、今だからこそやれることはやっておこうと決める信念。
「ええ、そう。私はこれから彼のところに向かうわ。あなたはそっちを、お願い」
嫌な予感はいつだって誰の胸にだってある。大切なのはそれとどうやって向き合うのか。立ち向かう為に、討ち果たす為に。
桜花が見上げた月は、どこか見下す色と輝きを放っていた。人は無力で、ひとりひとりはなおさら無力である。
「それで、あなたはどうするのかしら、パピヨン」
この世界を暗く覆うのは絶望、諦めるもやむなしの選択肢。それでも蝶々は羽撃く。光なき夜を、闇から闇へと舞うのだろう。何を求めて?

これからどこへ向かって、歩けばいいというのだろうか。

火渡戦士長の鹵獲こそが、ヴィクトリアが動き出すよう背を押した決め手であった。ヴィクトリアの旅立ちはつまり火渡が失踪した時期とリンクする。火渡という存在が失踪し、錬金戦団上層部がその対応に苦慮していただろう時こそが千載一遇、ヴィクトリアは暗躍可能の時間帯なのである
火渡戦士長が行方不明になって、2日が経っていた同じ頃。起こった出来事は、おそらく誰にでも予想のつく出来事だろう。まだ三枚目に日の目は与えられていないから、いざ垂らされた糸の先で待つのは蜘蛛か釈迦かバケモノか。放たれる後光は何処の誰を照らすと云うのだろうか。
―――まず起きたのはこれまでただ一人しか成し得なかった不可能の実行であった。つまり、錬金戦団からの、脱走である。ヴィクターに始まる混乱の境地で起きた、静かなる月の逃走劇。
みなさんみなさん、お月様が逃げようとしていますよ。
どこから?地下から。

この月が再び顔を出す時こそを決定的という言葉で表現したい。
欠けることのない満面の笑み、闇を照らす乱反射する鮮血色。ホムンクルス・ムーンフェイスとヴィクトリアの邂逅。この瞬間こそ、未来という仮定を決定した瞬間そのものであった
「むーん。まさかこんなに簡単に脱走できるとはね、少し驚きだよ」
「監視も甘かったからね。あなた、物凄いナメられていたんじゃない?」
地下の探照燈に照らせぬものは無い。秘密基地だろうが、そこに壕を掘る事は何も問題無かった。光学迷彩だろうが完全ステルス機能だろうが、亜空間経由だ。少し手間と骨は折れたがヴィクトリアは早々に、そして強引にやり遂げたのである。見事少女は三日足らずで月の発掘に成功していた。
「しかし、キミが彼の娘、とはね。なるほどなるほど」
「あまり喋らないで。その口を閉じてくれるかしら」
ヴィクトリアは不快感をそのまま晒けて吐き出した。手を汚れることは厭わない。が、憎むべきものを忘れてもいないのだ。
錬金術の全てが嫌い。ホムンクルスと一緒にいるだけで、気分が悪くなる。それはもう。
「いいかしら。あなたにとっても、さっきの話、悪い話じゃないはずよ。だから、力を貸しなさい」
ムーンフェイスを、バケモノを造反劇の相方に選んだのには理由がある。それは手段といっていいだろう。夜を照らす月明かりは、探照燈と相性もいい。
ムーンフェイスが、長い防空壕(トンネル)を物珍しそうにペタペタ歩きながら笑った。「わるぎ」とも「あくい」とも読める邪気を振りまいて征く、三日月の笑み。
「ま、助けてもらったからしょうがないね。なにより、彼の娘の頼みさ」
「交渉成立ね。見返りよ、受け取りなさい」
ムーンフェイスの結びの言葉を無視し、ヴィクトリアは月に向けて、一つの石を放り投げた。それがつまり同盟の証、核鉄。
「…シリアルナンバーXX(20)…。いったいコレはだれの核鉄かい?」
「錬金戦団戦士長、火渡赤馬のものよ。ちょっと前に、もらったの」
「むうん、それはまた大物を。詳しく話を聞きたいところだけど」
「ええ、そんな時間はないわ。あなたにはこれから世界中へ飛んでもらうのだから」
月は世界を選ばずこの惑星の夜空で輝く。それこそ、ムーンフェイスを引き入れた最大の目的であり、ヴィクトリアの選んだ選択肢の始まり。こうして夜更けを告げる煩悩が如き金は鳴り響く。
月が、喜びを噛みしめて魂での咆哮をゆっくりと宙天へ吐いた。
「武装錬金」
月牙の武装錬金、サテライト30。特性は月齢の数だけの増殖。
「ムーンフェイス“二十六夜”!」
「ムーンフェイス“繊月”!」
「ムーンフェイス“眉月”!」
「ムーンフェ…」「うるさいわ。早く行きなさいよ」
遮るように言い放つ。ヴィクトリアが30体分の自己紹介を聞くほどやさしいと思った?
聞いてられない、聞くわけがない。どうせ顔以外は同じなのだ。
「…むーん」
そして、月は世界へ散り散り張る。
闇は月を隠さない。だが月光が雲にたやすく遮られるように。
気がついた時には月は夜空に浮かぶ。まるで、我こそが全ての死を傍観する存在だと自負するかのように。

月は自身が抱く意図を秘め、ただ言われるがままの役割を受け入れた。
出立したムーンフェイスを見送り終えたヴィクトノアは空に呟く。それは無意識に誰かに語りかけたかった意志のあらわれか。
「さて。これから、いったいどれだけが生き残るのかしらね」
別にどれだけの命が失われようと気にしない。願いもしないが、気にもとめない。なぜなら彼女は一人で生きていける。誰がいて誰がいなくなろうと、一人だけの世界に変化はないのだから。
さあ反乱劇の舞台裏が騒がしくなってきた。ならば早々に総力戦を始めようじゃないかと闇夜が突き刺し迫る。
全ては、未だヴィクトリアの胸に閉じられた彼女しか知らない目的の為に。

ヴィクトリアには会いたい人が、一人いた。残された人間の中に、一人ぼっちの存在。 しかし話をするにはまだ足りない。まずは立ち上がってもらわないと始まらない。無理やり立たせるにしても今はまだ時期尚早だろう。そこまで時間は厳しい状態にない。
ならばとその前に、まずは先に別の存在に会いに行こう。どうせ、反乱が始まるまでにも少し時間がかかるのだから。ちょっとした暇つぶしだ。
始まりの幕間に挟むのは、少女が気まぐれというのもそう悪くはない。
もう一人の「仮面の男」との“ごっこ遊び”。これはほんの気まぐれ。ほんの遊び。まさに子供心。

この物語は麗しの蝶々を軸とはしない。が、幸せな結末に欠かせない存在もまた、ひらひらと舞うだけの存在ではないように。 「仮面の男」たるヴィクトリアと蝶々との邂逅。この気まぐれこそが、実は未来で広がる波紋の一石となる。それは、ヴィクトリアすらも望めなかった圧倒的ピリオドで価値が生まれる、大切な一歩。

ムーンフェイス脱走の二日後、仮面の蝶々は「仮面の男」と呼ばれていた少女に再会することとなる。
ヴィクトリアにもはや仮面はなく、男ですらなくなっていることは問題ではない。むしろ問題はそのあとに起きたことだった。
それは恐らく蝶々の望まない話の流れ。それでも彼は、武藤カズキとの決着を望むのなら、そうであるなら。ほんとうの終わりの始まりはそこから始まるんだ。
月並みに。だけどそれこそが欠かしてはいけない儀式なんだろう。
嗚呼、きっと。

世界は確実に暴走へ向けた方向へ転がり始めているのに、いつだって行動は暴挙の後に追いすがる。
情報を集めるために奔走を始めた早坂姉弟だが、最新の情報と手遅れの過去が同義であるように、情報が絶望と合致する場面は星の数を超える。
その手遅れを噛みしめて、それでも行動を実行に移せる者は少ない。経過を辿れば、日数は立ち止まらないのが答えとなろう。止まったままの日めくりカレンダーが正しい時を告げるものではないのだから。今日は今日から明日へ流れることを決して止めない。
「ありがと、秋水クン。わかったわ、そっちはお願い」
そういって桜花は電話を切った。頼んでいた確認の答えが取れたのである。
もちろん情報とは流動的であり、真実である保証など無い。だがそれでも、静かに、だが確実に世界は再び狂い始めていることを桜花は誰より早く察しつつあった。望まぬ戦いの幕が上がる兆しが彼女には見えていたのだ。
その戦いに意味はあるのだろうか。だが戦いの意味などは問題ではない。なぜか。錬金術の歴史、錬金戦団の存在理由こそが戦い。
故にか、憎む者多いのだろう。だが、好む者多いのもまた事実。
桜花は夜空にため息をついた。秋水から受けた報告は至ってシンプルなもの。―――『再殺部隊も行方不明のようだ』。
火渡戦士長の失踪、ムーンフェイスの脱走。そして、再殺部隊の暴走。全ての線はどの未来地点で交差するのか。だが少なくとも桜花は、その推測を確信として理解し始めていた。
まだ今は水面下で蠢いているに過ぎないのかもしれない。だが、これから何か起こった時に何かやらかす存在は、確実に再殺部隊がその筆頭に立つ。
事実、行方不明を暴走と直感した桜花の読みに狂いは無かった。もしも無粋極まるパラレルワールドの存在を許すのであれば、ここがひとつの分岐点。対策が遅れれば確実に悪い事態へ事が運ぶ懸案事項となろう。
後になって判ることだが、火渡戦士長の(ヴィクトリアに対する敗北による)行方不明は、再殺部隊の抑止力という意味でも大きな意味を持っていたのである。再殺部隊の(意図は不明の)行方不明。さらには、ムーンフェイスの脱走という情報もある。全てが何を意味するのか、どこへ繋がるのか。それでも桜花にはまだ手がかりが足りない。そして推理は決して未来を描かない。 これは、行動が求められてこその、望む未来を掴む戦いなのだから。

何かが壊れたこの世界の顛末と結末はいかにして。
それでも言えることただひとつ。
戦いが、近いということがすなわち近い未来。

携帯をふところに戻す桜花の肩で御前様が呟いた。
「オメーはどうするんだ、パッピー?」
「…五月蝿い」

出会いが始まり、逃しはしない。
ピリオドを打つ者の描く未来。
決戦の幕は、舞台裏でこそ整うのだろう。








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最終更新:2010年04月14日 22:32
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