第1話

その言葉はタガタメに。


第1話 諦めるつもりはない


始まり始まりを告げるにはあまりに静かな出来事が始まりの始まりだった。日常のように駆け抜けて、非日常のように速やかに。そうして始まりは始まったのである。
「…ここが、ニュートンアップル女学院か」
一人の戦士が座して見下ろす彼の眼下にはニュートンアップル女学院が悠然と構えていた。核鉄を持ったホムンクルスがこの学院にいる、天にあぐらする彼が受けた報告である。
それが誰か、もちろん件のヴィクター実子ヴィクトリア・パワードである。さらに空中を燃やす戦士は、ホムンクルス(敵)たるその少女が孕む闇の深淵までもを知れる立場にある者であった。標的の少女はまるで絶望の仔のように、後天的な漆黒忌子。そんな過去の絶望を命に乗せて運ぶ存在。男は、戦士の信念次第では殊更に躊躇うが値する事情も当然のように把握していたのである。
それでも純然たる殺意を抱いて、男は戦士としてこの場に来ていた。
全てを知りつつも彼が“あえて”この場に現れた理由は至ってシンプル。つまり、“どこの誰かまで知れているホムンクルスを放置する理由がどこにあるだろうか(いいや、どこにも無ェ!!)”という理念に基づく結論と選択。
それは任務ではない。むしろ彼に与えられていた権限が、彼の行動を肯定する拠り所となる。さらに重ねて、彼なりの信念と、もしくはそれに順ずる何か。それがつまり不条理であれということか。
ハレルヤよ、救いの歌は何故に容易く鳴ってくれぬのか。
標的の拠点は学院の内部、件の礼拝堂にある。さあ、だがどうやって侵入をしようか。彼が、男が妖精ではない男がそれだけで怪しまれるこの亜空で、それでもこの学校の正面から強引に突破を図ろうか?
確かにそれもやれないことではない。が、もっと手っ取り早い方法が、彼にはあった。
いつだって栄光は彼と共に煌めく。

今は早朝を描く夜明けが始まらんとする時間帯。明星にも負けぬ輝きが、校舎を貫いた。光在れ。
そこはニュートンアップル女学院、礼拝堂上空。火渡赤馬、満天月下の敗北を経て、それでも戦いの人生を引き続き貫き続行する!!
「行くぜ、まずは挨拶代わりだ」
武装錬金、――――――ブレイズ・オブ・グローリー!!!
全戦士最強を誇る破壊力が禍根を断つそれだけの為に、学園を蹂躙する未来へ向けて、不条理な魔境として赤く焼き付けることが定められるほどの灼熱を帯びて放たれる。
こうして、始まりの刻は訪れた。仮初魔夜の始まりは、陽が堕ちることから始まり始まる。しかしそれは、始まりを告げるにもあまりに静かな出来事だった。
「ようこそ、私とママの秘密の部屋へ」
こうして、再びの幕は深い闇を目指す。幕は再び闇を焦がして、深遠なる黒を欲するのだろう。

いつか咲いた花はすでに枯れ落ちて。
世界が長い冬へ向かう秋一番の秋風が吹きそうな、寂しさの似合う季節にあった、ひとつなぎの長い戦夜。
そのすべてを語るに於いて、全ての鍵となりて扉を開く役割を果たした一人の少女がいた。
その名をヴィクトリア・パワード。悲しき人でなし、バケモノの娘。
全て呑み込むその底にあるものは、何処へ向かおうと言うのか。
絶闇を照らす光はだれの未来を照らすというのか、人間の仔よ。

アンダーグラウンドサーチライトが闇との境界を照らし出す。
落炎の絶火中、火渡が隙間見たのは黒穴であった。それはつまり奈落を意味する闇にも似た、虚無への誘導。屋根へと墜ちる刹那に絶景が歪みを見せる。そうして屋根を覆う暗闇のようにぽっかりと開いた広く深い亜空間に火渡は落ちていった。
ようこそ、地獄という秘密の領域へ踏み込むその入口へ。
ただ落ちるしかできないのがりんごの摂理。それはこの学院に相応しく不条理なルール。既に絶速に達した落下速度に、炎の全身が呑み込まれてくのを止める術は無かった。 己に立ち返ってぞ知る、自身の強さとその証明か。
ただひたすらに、どこまでも、どこまでも墜ちていく。墜ちていけ。
「ちぃィッ!!」
火花すら散らす歯ぎしりと共に、火渡は空中で速度を相殺する爆発を起こした。ブレイズ・オブ・グローリーごと宙空静止を強引に行う。その爆音は共鳴することもなく拡散していった。その周囲に広がっていたのは、ただただ空間。何もない、上下左右すらも存在しないのかと思えるほどに釈迦の掌を感じる空間、孤独を描く世界。
「ふふ、御苦労さま。避難壕が、何のために存在するのか、ご存知なかったのかしらね」
声が共鳴しているかのように四方八方から響いた。それは、火渡という一点に向けて放たれたサラウンドシステムが語る通告の儀。敗着を告げる声はまるでエコーでもかかっているかのように、闇でくぐもっていた。
共鳴の中心で聞こえた少女の肉声。達観したようなその声は、それだけで声の主を確信させる響きがある。焼夷弾の武装錬金とシェルターの武装錬金が描く、亜空逆転の世界。火渡自身は初めて少女の声を聞くが、それ故に彼はノータイムで理解を働かせた。
この武装はアンダーグラウンドサーチライト。特性は、壁や床に避難壕を造ること。
既に千歳から報告は受けていたことである。その為、一撃目が凌がれるだろうことも予測がついていた。
だが、それは外壁が防ぐ、という予想の上で成り立つ予測。ならば、この様はなんだというのか。避難壕の中に焼夷弾が招き入れられているという不可解な状況。見渡す一面、これは周囲500mなんて次元じゃあない広さ。深さに至っては、それこそ底が見えない。だがそれでも結果として避難壕は焼夷弾を凌いでいた!
この空間こそ武装錬金の仕業。ならば持ち主はどこですか。

少女の声だけが、静かに響く。
「誰か戦士が来るだろうとは思って準備はしてきたけど、まさか戦士長自らのお越しとはね」
「…俺が誰だか知っているみてーな口ぶりだな」
「ママがあなたの“お友達”の脳をスキャンした時にわかったこと、ひととおりは私把握しているつもりよ」
悪意ある声の主、ヴィクトリアは姿を現さない。恐らくは別室から音声を飛ばしているのだろう。だが、べっとりとへばりつくような言葉は、それがヴィクトリアによるものであると伝える鍵となる百年分の響きがあった。
そんなヴィクトリアの言葉には、わずかに驚きと喜びの響きがあった。―――火渡赤馬、これは思わぬ人間が網にかかったものだ。そうでも言いたげな響きがあった。それは、火渡に遅れを実感させるに十分な響き。
一歩遅かった、“企み”が既に動き出していたということを、その声響だけで火渡は感じ取る。
しかしこの無にも似た空間で火渡にできることは限られていた。少なくともそれは、この世界に平和をもたらす類の、愛と勇気を必要としない、単に現実的な選択肢。
この結果を思い、相性の悪さが災いしたからだと、自身の自信を支える為の言い訳を紡いで彩るのもいいだろう。だが、火渡は不条理にも似た突然の現実に揺るぐことなく、現状を把握する。ヴィクトリア・パワードの強さを、受け入れ理解する。
「まあ、誰かが狩りに来ると知ってて、それを待ってる馬鹿もいねーか」
だからこそ火渡は、敵に構えられたり逃げられたりするその前に、最速で狩りに来た。
「…とりあえず聞いとく。逃げもせずわざわざ待ち伏せみたいなマネしやがって、テメェは何を企んでやがるんだ?」
「大丈夫、あなたは何も心配しなくてもいいわよ。…これから先、何が起きてもあなたは大丈夫だから」
決定的な情報に欠けた状況において、それは意味のわからない言葉であった。火渡も隠すことのない不快さを表情に浮かべたが、ヴィクトリアは続けて言葉を綴るただそれだけでシンプルに受け流す。
「だってここは避難壕、とてもとても安全な秘密の部屋」
それはつまり、“大人しくしていれば”というメッセージを意味する言葉で。『今は黙っておやすみなさい(子守唄、必要かしら?)』
ヴィクトリアの真意はまだ推し量ることはできない。それでも火渡は、彼女が今この瞬間を機に動き出そうとしていることを理解した。
ヴィクトリアが言葉を続ける。企みが加速を始める。今が始まりだとヴィクトリア自身も意識する。
「ひとつ交渉、あなたの核鉄を渡して頂戴。そうすれば、水や電気やその他、ここでの生活の保障を造ってあげるわ。もちろん、床もね」
それはつまり捕縛されろという申し出に他ならない交渉だった。命を差し出せば命の保証はくれてやろう。戦士長たる存在に軽々しく申し出るには意味を持ちすぎる言葉を、少女は軽くあっさりと吐いて捨てた。
「オレにこんなところで隠居してろってか、老頭児のマネ事でもしてろと?」
「大人しくしててくれればそれでいいのよ。殺してもいいんだけど、別にわざわざ殺すつもりもないわけだし。私はコレ、悪い話じゃないと思うけど?」
それはもはや通告の域を越えていた。宣告か、もしくは勧告。従うことを前提とした、暴言ともとれる悪意。
火渡とてただヴィクトリアの言葉を為す術無く聞いていたわけではない。
まず、ここがヴィクトリアの武装錬金によって構成された空間であることは理解した。ならばと内側から破壊することも考える。だがこの広さ、果たして内壁に彼の炎が届くかどうか。そしてここには、燃えるものがほとんど存在しない。一時の灼熱を凌がれてしまえば、そこにあるのは無酸素状態による消火、つまり死である。さらに言えばこの地下空間、破壊に成功したとて土中に投げ出されては火は為すすべを持たない事も致命的だろう。
決断は早かった。
「どうするの。もう少しだけ、無駄にあがいてみる?」
「良い話ってワケじゃあないねぇが。まあいいさ、とりあえず武装解除すっから、まず床を出してくれねえか」
「床は、あなたが武装解除をしたら出してあげる」
「やれやれ」
―――“ま、何であろうと関係ねェ、俺の負けだ”。“いーや。俺達は不条理の中で戦い生きているんだ。思う様に行かないのも当然有りさ”。だから―――。
「武装解除っ」
それは決意を隠す吐き捨てだった。彼は何もかも諦めたわけではない。むしろ、これは攻めの降伏か。何かを克服するためには、まずその何かと同化することから始めなければならないという信念。今は悔しい想いをしたってかまわない。悔しい想いとだって同化してやろう。全て手遅れになって、最後に泣くハメになるのはゴメンだから。
こうして火渡赤馬は、引きの一手を選択し、自らの意志を携えて蚊帳の外へと後退したのである。遥か先であるかもしれない未来を見据えて。
「意外ね。もっと考えなしに抵抗するかと思っていたんだけど」
「…あいにく、不条理な状況には慣れててな」
火渡は笑って見せた。この死に直下しうる状況下、彼は心からの笑みを浮かべたのである。火渡の余裕すら漂う態度も、ヴィクトリアからすれば気に入らない態度に違いない。 だが、それはお互い様と、少女は自虐の笑みを浮かべて闇に流した。
今、全ての闇に背を向けるために。歩み始めよう。旅が始まる(それじゃあ、行こうか)。
ヴィクトリアはまず、使えるコマを増やさないといけないと考えていた。それにこれからは時間も戦うべき相手となる。
彼女には心当たりが一人在った。それこそパパのお友達たちの、最後の生き残りか。
まずは彼に会いに行って、それからそれから。全てはある目的の為。偽り無き意志はすべての行為を肯定する。
錬金戦団戦士長・火渡の鹵獲。こうして終幕に向けた物語の幕開けは天まで昇る。
ホムンクルスを総べる存在として反乱の頂点に立つには十分すぎるほどの手柄。こうして刻まれる機会を欠けた反乱劇が、表舞台に顔を出した。
そうして踊れ、神と悪魔の掌で。
最後に笑う人は誰ですか。急がば回れ。

旅とは旅立とうとした者に委ねられる未来。
同じ空はどこにもなく、同じ空も全く違って見えるのが旅立ち。
羽休めの夜もいい、が。月語りに任せた夜道を行くのも悪くない。
ヴィクトリアはニュートンアップル女学院を抜け、そして振り返った。
「―――いってきます」
望む決着を求めて、百年の引き籠りが世界を目指した未来へ向けて。
ヴィクトリアの静かなる旅立ち、それが幕間劇の夢物語る仮初の歌。
夜空で月が、どこまでも無粋にヴィクトリアを照らしていた。

振り返り、そして全てを思い出すところから始めよう。

誰も彼も、俯きうなだれる。
「なーなー、ツムリン。そろそろ学校行こうぜ。みんなわかってるって、誰も責めたりしないって」
「ちゃんと現実を見なさい。武藤君はもう――」
ここは聖サンジェルマン病院。そのとある病室に、彼女はいた。
「…わかっている。だから今考えている。この地を去る前に、最後に私がカズキにしてあげられるコトは何かって…」

誰も彼も、俯きうなだれる中で。
それでも、誰一人として。
諦めるつもりはない。

もちろんそれは、麗しの蝶々も同じこと。

振り返り、そして全てを思い出すところから始めよう。








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最終更新:2010年04月14日 22:30
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