ジェンダーフリー&バックラッシュ騒動まとめ
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ジェンダーフリー&バックラッシュ騒動まとめ
ja
2007-11-02T08:24:20+09:00
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3-1 ウェブ空間における定義パターンの広がりと「運動」としてのバックラッシュ
https://w.atwiki.jp/seijotcp/pages/36.html
***3-1 ウェブ空間における定義パターンの広がりと「運動」としてのバックラッシュ
ファルーディの『バックラッシュ』は、保守派が設計したプロパガンダに基づき、雑誌やテレビ、ラジオ、映画等で誤った情報やネームコーリングが反復されることによって生まれた「フェミニスト」のイメージとその実態のズレを指摘するというものだった。一方で、そのイメージはどのように受容されたのか、そのイメージを受容する過程でどのようなコミュニケーションが行われていたのか、明確な意思に基づいたプロパガンダではなく非意図的な伝達行為がどのように加担していたのか、それらイメージが具体的にどのような効果を生んだのかなどについては触れられていないため、「機能」を明らかにするにはさらに踏み込んだ議論が必要になる。
本章ではネットコミュニケーションに注目することで、バックラッシュの広がり方を観察しつつ、その受容のされ方と効果、および社会的機能を明らかにしたい。但し、Web 上の言説交換は広範にわたり、膨大な量であることに加え、後になって通時的に議論を追うことが難しいため、これまでのような構築主義的アプローチを採用することは難しい。そこで、参与観察的なアプローチから、言説のフローとWeb上のトライブの構成について記述した後、バックラッシュとはどのようなコミュニケーションによって構築されているのかを分析する。
2007-11-02T08:24:20+09:00
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2-6 「バックラッシュ」の「成果」とはなにか
https://w.atwiki.jp/seijotcp/pages/35.html
前:[[2-5-5 自民党による「3520の実例」の構築 >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/34.html]]
***2-6 「バックラッシュ」の「成果」とはなにかの
以上、2006年までの間に行われた「バックラッシュ」言説の構築プロセスを簡単に追ってきた。では、かようなクレイム実践は、具体的にはどのような政治的効果を持ったのだろうか。
「過剰」な言説によって、普段はそのコミュニケーションに関心を持たない層をある単純化した枠組みの中に瞬間的に回収する「バックラッシュ」言説は、特定のトピックスを政治的課題として構築する「運動体」によって解釈、利用される。かような実践の効果として、地方議会や国会答弁などにも見受けられるように、「男女共同参画」や「ジェンダーフリー」を「社会問題」にすることで、保守派側から争点化しやすくなった点はあげられるだろう(議題設定効果:McCombs & Shaw 1972 )。その結果、男女共同参画基本計画に否定的な注釈がつけられた他、「ジェンダーフリー」という文言が使いにくくなるなどの効果を生んだ。また、地方でも「男女共同参画条例」の争点化が観測されるようになる。
具体的には、例えば市川市の例が分かりやすい。市川市では2006年まで積極的格差是正措置(ポジティブアクション)などを掲げるなど「先進的」と見なされていた条例を保有していたが、「過剰なジェンダーフリーを是正する」ことを理由に次のように変更された。
・「この条例において、男女共同参画社会とは、男女がその特性を生かし、必要に応じて適切に役割分担しつつ、互いが対等の立場で協力し、補完し合って、家庭、地域、職場、学校その他の社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保されることにより、個性と能力を最大限に発揮することのできる社会をいう」と定義づけ
・「男女が性別により直接的又は間接的に差別されることなく、その人権が尊重される社会」が「男女が性別により差別されることなく、その人権が尊重される社会」に
・「男女が自立した個人として、多様な生き方を選択することができる社会」→「男女が男らしさ、女らしさを否定することなく、互いにその特性を認め合い尊厳を重んじる社会」
・「「男は仕事・女は家庭」という固定的性別役
2009-03-19T00:00:41+09:00
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2-5-5 自民党による「3520の実例」の構築
https://w.atwiki.jp/seijotcp/pages/34.html
前:[[2-5-4 「ジェンダー論の嘘」の構築 >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/32.html]]
***2-5-5 自民党による「3520の実例」の構築
2002年頃より一貫して行われているのは、「ジェンダーフリー」「男女共同参画」の「弊害」を社会問題化するために、批判対象の「過剰性」を強調することで、普段その議論に関心のない層へとスキャンダル=ワンフレーズ=アジェンダを波及させること、その「実態」を過剰な言説(流言飛語など)によって築きあげ、そのことによって批判言説の「正当性」と求心力を高めることだ。『ブレンダ』の件は、その手法として象徴的な事例だといえよう。
それでは、「過激な実例」を列挙し、クレイム申し立てを行うという実践は、政治コミュニケーションとどのように結びついたのか。山谷えり子などのクレイムメイカーが国会や地方議会などで「過激な性教育」などの例を挙げ、係争の対象にしてきたことは既に指摘してきた。それらはどのような成果を挙げることが出来たのだろうか。最も大きな政治的アクションとしては、自民党PT(自民党過激な性教育・ジェンダーフリー性教育調査検討プロジェクトチーム)の存在が挙げられるだろう。その動きについて、以下簡単にまとめてみたい。
2005年3月、それまで国会等で男女共同参画やジェンダーフリーに批判的な発言を繰り返し行っていた山谷えり子参議院議員が中心となって、「自民党過激な性教育・ジェンダーフリー性教育調査検討プロジェクトチーム」(安倍晋三座長、山谷えり子事務局長)が発足した。このプロジェクトチーム(以下PT)の目的は、表向きは性教育やジェンダーフリー教育の実態について調査検討するためということであったが、実際は、12月に迫っていた男女共同参画基本計画の更新を目安に、女子差別撤廃条約や男女共同参画基本計画の問題点について検討をしていた。
自民党の「ジェンダーフリー」に対するスタンスは、4月15日に送信された、自民党が配布しているメールマガジン「自民党 NEWS PACKET」(2005.4.15 Vol.223)に現れている。
>(4) Newsなコトバ・・・・『ジェンダーフリー』
>「よく聞くけどどういう意味?」「どんな仕組みなの?」
>「いまさら
2007-10-31T22:40:20+09:00
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2007-10-31T21:19:53+09:00
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2-5-4 「ジェンダー論の嘘」の構築
https://w.atwiki.jp/seijotcp/pages/32.html
前:[[2-5-3 「過激な性教育」の構築 >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/31.html]]
***2-5-4 「ジェンダー論の嘘」の構築
「ジェンダーフリー」バッシングは、次第に「ジェンダー」概念自体のバッシングへと重ねられていく。特に2002年以降、各エビデンスの強調によるネームコーリングが繰り返される一方で、ジェンダー論自体が似非科学であり理論的根拠はない、あるいはジェンダーという言葉自体に政治的意図があり危険であるというタイプのクレイム実践が大きく展開されていく。但し、理論的細部の検討よりも、『ラディカルに語れば…』(平凡社、2001)における大沢真理や上野千鶴子の「失言」 やジェンダー理論について触れたワンフレーズから数パラグラフ を元に、「男女共同参画基本法」の「隠れた意図」を指摘しつつ、「保守の油断」を「反省」しながら「反撃」 をうながすような言説が多く、その分かりやすさゆえに衆目を集めていった。また、「ジェンダー」概念の背景には共産主義や革命思想が蠢いているとする定義パターンも継続されていた。
そんななか、「ジェンダー概念の嘘」の論拠として急ピッチで構築されていったパターンとして、『ブレンダと呼ばれた少年』を用いたものが登場する。その経緯は小山エミ「『ブレンダと呼ばれた少年』をめぐる保守言説の迷走」(『バックラッシュ!』双風舎、2006)に詳しい。小山はその経緯について、次のようにまとめている。
> 1966年、カナダ・ウィニペグ。生後8ヶ月の双子の一人、ブルース・ライマーの包茎手術中に器具が不動作を起こし、ブルースのペニスは破損される。ブルースの将来を心配した両親は、当時著名な性科学者としてテレビ番組などで活躍していた心理学者ジョン・マネーに相談し、かれの勧めでブルースに性転換手術をほどこし女児として育てることを決意する。マネーの理論では、新生児は生後しばらくのあいだ性心理的に中立であり、適切な性器形成手術や思春期以降のホルモン療法をほどこすことによって元の性別とは関わりなく男の子として育てることも女の子として育てることも可能であるとされていたのだ。しかしブレンダと名前を変更されて育てられたブルースは、誰に教えられることもなく「女性」であることを拒絶し、十代半ばでデイヴィ
2007-10-31T22:39:15+09:00
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2-5-3 「過激な性教育」の構築
https://w.atwiki.jp/seijotcp/pages/31.html
前:[[2-5-2 「ジェンダーフリー=男女同室着替え」の構築 >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/30.html]]
***2-5-3 「過激な性教育」の構築
フェミニズムに対して「フリーセックスを望む運動」とする批判パターンは90年代以前に既に繰り返されており、夫婦別姓批判においても「恋愛至上主義=フリーセックス」という定義パターンが反復されていた 。一方、ジェンダーフリーバッシングにおいては、「過激な性教育が広がっている」という定義と共に、「実例」を基に反復されるケースが多く観察される。とりわけ、「ジェンダーフリー」を「フリーセックスの実現を目論むもの」として定義した上で批判するものが多い。繰り返された定義パターンには、「過激な性教育」の「実例」として、「ピル推奨本」「セックス人形」「性器の名前を連呼させる授業」などが挙げられる。それぞれがどのように構築されていったのかを記述していこう。
2001年、母子衛星研究会編『思春期のためのラブ&ボディーBOOK』が作成される。この冊子の作成経緯は次のようなものだ 。
> この冊子は、「性行動の低年齢化、加速化、それに伴う人工妊娠中絶や性感染症の急増など、不測の事態を危惧した厚生省(現厚生労働省)は、これらの課題を解決するための具体的な施策として、思春期の男女本人が携帯し、活用することを前提としたハンドブックを作成し配布することを計画しました。これを受けて「女性健康手帳(仮称)検討委員会」が設置され、二〇〇〇年八月、「思春期の性と健康に関するハンドブックの作成について」の報告書が提出されました。
> 親しみやすい名称、キャッチコピー、イラストや写真を多用した、わかりやすい解説など、具体的な校正と内容が示された報告書に基づいて、『ラブ&ボディBOOK』(B6版33頁)を作成し、二〇〇二年4月二〇日付け、地方公共団体(自治体)の母子保健担当および教育委員会学校保健担当宛に配布通知があり、教育現場への無償配布が行われました。
それに対し、2002年5月14日、「三重県いのちを尊重する会」が「フリーセックスの助長」として三重県教育委員会および三重県知事、母子衛生研究会、坂口力厚生労働大臣等に電話やFAXで抗議を行い、産経新聞や朝日新聞などで取り上げ
2007-10-31T22:27:34+09:00
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2-5-2 「ジェンダーフリー=男女同室着替え」の構築
https://w.atwiki.jp/seijotcp/pages/30.html
前:[[2-5-1 「ジェンダーフリーの<理念>」の構築 >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/29.html]]
***2-5-2 「ジェンダーフリー=男女同室着替え」の構築
フェミニズムバッシングにおいて、「男女の差異を一切無くす思想」「女を男並にする試み」「女尊男卑の運動」「モテナイ女のルサンチマン」という批判パターンは「バックラッシュ」以前から繰り返されているが、ジェンダーフリー批判において特に顕著なのは、「ジェンダーフリー推進の一環として、実際に同室着替えが行われている」というクレイム申し立ての定義パターンが繰り返されたことだ。クレイム後に文部科学省が行った調査では「ジェンダーフリーに基づく男女同室着替え」は確認されておらず、「ジェンダーフリーの推進側」としてしきりにクレイムメイカーに拠って繰り返し批判されている日教組でさえ、更衣室の実態調査「更衣室の絶対的不足」を訴え、文部科学省に整備拡充を申し入えるなど、「ジェンダーに敏感な視点」から改善を訴えている。つまり、この定義パターンは端的に流言飛語であった。
「ジェンダーフリーは同室着替えを目論む」という定義パターンは、「ジェンダーフリーは生物学的性差を否定する」という定義パターンに沿った言説である。まずはその構築過程を見てみよう。まず、八木秀次は『反「人権」宣言』(ちくま新書、2001.6)において、次のように記述している。
> 「男女共同参画」とは「ジェンダー・フリー」のことである。
> ここにわかりやすい例がある。千葉市の男女共同参画課が発行する広報誌「ハーモニーちば」平成十二年(二〇〇〇)八月号に、カタツムリがインク瓶に登っているイラストとともに次のような文章が添えられている。
> 「カタツムリは、雌雄同体。“結婚”すると、両方の個体が土の中に白くて小さな卵を産みます。同じ一匹で雄の気持も雌の気持も良く分かるなんて、ちょっぴりうらやましいような・・・」
> つまり「ジェンダー・フリー」とは雌雄同体、雌雄の区別がつかないカタツムリのような生き物に人間をしてしまおうという発想なのである。そして従来の男女の性別意識を取り払い、世の中を改変してしまおうという発想なのである。
同様の記述は『諸君!』(2001年1月号)「『男女共
2007-10-31T22:25:07+09:00
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2-5-1 「ジェンダーフリーの<理念>」の構築
https://w.atwiki.jp/seijotcp/pages/29.html
前:[[2-4 批判言説のパターン構築 >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/28.html]]
***2-5-1 「ジェンダーフリーの<理念>」の構築
「バックラッシュ」の10年間の歴史は、「ジェンダーフリー」に対する定義づけの歴史でもある。ジェンダーフリーの「理念」については1章に記したとおりだが、保守派による定義づけでは、「反(アンチ)」として働く「運動」を高めるために様々な試みが行われていることがわかる。
1999年8月13日の『日本時事評論』に掲載された「男らしく女らしく」というコラムでは、「ジェンダーフリー」について次のような定義付けが行われている。
>(ジェンダーフリーとは)「女性が男性によって不当に支配、抑圧されている」との決め付けによるもので、社会を「二者対立」でしか見られない偏狭な価値観だ。これを左翼思想の日教組がするのは分かるが、数多くの地方自治体が熱心に取り組んでいるのだから驚く。例えば「結婚したら、世帯主は夫がなるのが当然」「女性は家庭のことをきちんとしてから仕事に出るべき」などを「はい」「いいえ」で答えさせ「はい」の数で評価するチェックシートを作り、「男らしく・女らしくにとらわれてはいけない」との考えの浸透を図っている。
この記事に象徴されるように、「ジェンダーチェック」や家事、育児に対する価値付けを行いながら、批判対象に「マルクス主義」 や「左翼思想」、「日教組」のラベリングを行うことで、それらの思想に対する反発を持っている層へのクレイム対象指示を行うという言説実践が、初期から繰り返されて反復していることがわかる。以下、大まかな流れを記述しよう。
・2000年5月12日の『日本時事評論』「“共参”主義の押し付けはご免だ!!」では「冷戦によって完全に理論破綻を来した共産主義思想をそのまま受け継いだ共産主義の亜流ともいうべき『“共参(共同参画)”思想』はご免こうむりたい。もともと、『子どもを社会が育てればいい』という発想は、マルクス主義に端を発するもので、延長保育、休日保育、ゼロ歳児保育などの保育園の理想像はまさに共産主義国家を髣髴とさせる。その典型は、土、日曜日だけ家に帰させる北朝鮮だ。『女性は子どもを産みさえすればいい』との発想であり、人間性を念頭に置か
2007-10-31T22:16:08+09:00
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2-4 批判言説のパターン構築
https://w.atwiki.jp/seijotcp/pages/28.html
前:[[2-3-3 「バックラッシュ」の言説史 2005年~ >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/27.html]]
***2-4 批判言説のパターン構築
以上、「バックラッシュ」を観察する上で特に重要と思われる発言などを簡単にまとめてみた。もちろんこれらは「ジェンダーフリー」や「男女共同参画」への批判実践全体からみればごく一部にすぎないが、この年表から、2000年以前からローカルな保守メディアで行われていたジェンダーフリー批判、あるいは個別に行われていたクレイム申し立て実践が、2002年頃から徐々にマスメディア上で拡大再生産されつつ、多くの論者よって共有されると共に、地方行政や国会などに議題設定が伝達されていく過程がうかがえるだろう。その後、メディア上におけるジェンダーフリー批判の度重なる反復は、「ジェンダーフリーはマルクス主義の焼き直しである」「フェミニストは男女脳などの身体的性差を無視している」「男女共同参画は男女同室で着替えをさせる・男女同室で宿泊をさせる」「過激な性教育を行っている」「ジョン・マネーの「双子の症例」実験に基づいている」「上野千鶴子と大沢真理が教祖的役割を果たしている」「伝統文化を否定する」「ジェンダーフリーに国家予算が10兆円使われている」などの定義パターンを、様々な論者に共有させることとなる。
バッシング言説を行っている資料を収集してみると、2002年頃から広がっていく定義パターンは、その多くが2002年以前に既に行われていた定義の反復であることが分かる。日本時事評論社が2002年10月に出版した『湧泉』は、それまで『日本時事評論』にて掲載されていた「男女共同参画」「ジェンダーフリー」批判記事をまとめたものだ。2002年までの『日本時事評論』には、既に後に繰り返されることになる「ジェンダーフリー=デルフィ起源節」「生物学的性差の無視」「共産主義」「マルクス主義」「フリーセックス」「家族解体」などの定義パターンが繰り返し行われている。
また、『日本時事評論』を分析して興味深かったのは、2001年ごろまでは「夫婦別姓」批判が前面に出ており、その定義づけとして「恋愛至上主義(フリーセックス)「専業主婦の排斥」「徳育の放棄」などが行われていたが、これらの定義づけがそのまま「ジ
2007-10-31T22:11:56+09:00
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2-3-3 「バックラッシュ」の言説史 2005年~
https://w.atwiki.jp/seijotcp/pages/27.html
前:[[2-3-2 「バックラッシュ」の言説史 2003年~2004年 >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/26.html]]
***2-3-3 「バックラッシュ」の言説史 2005年~
***2005年 1月
・国際勝共連合、年度方針にて「学校では過激な『性交教育』が闊歩し、社会では『男女共同参画』を隠れ蓑にしてジェンダーフリーが大手を振って徘徊している。これらはいずれも文化共産主義の為せる技である」と言及。
・西尾幹二・八木秀次『新・国民の油断』(PHP研究所)出版。
・『正論』(05年02月号)、八木秀次「嘘から始まったジェンダーフリー 『ブレンダと呼ばれた少年』が物語る“性差”の真実」掲載。
***2005年2月
・山谷えり子、少子高齢社会に関する調査会にて「ジェンダーフリー思想のおかしさといいますか、男女同権とは何の関係もないですね、その思想の乱暴さといいますか空想的といいますか、その辺の御説明をもう少ししていただきたい」と質問、参考人の松尾宣武、「男と女の違いというのは、乳幼児期から遊びの違いということを一つ取り上げても非常に歴然としておりまして、数年前、二十一世紀の縦断家庭調査というのを厚生労働省が開始いたしましたが、その成績でも一歳六か月のときに性差は明らかなんですね。ですから、ジェンダーフリーという考え方は事実と全然反していると思います」と言及。
・世界日報、「政府のジェンダー定義は誤り マネー理論崩したM・ダイアモンド博士(ハワイ大学)に聞く」掲載。
・世界日報や『新・国民の油断』などのメディアが『ブレンダと呼ばれた少年』(無名舎)を「ジェンダー論の虚構を暴く」本として紹介したことを受け、「復刊ドットコム」にリクエストが集まる。「現在のジェンダーフリー理論の源流となるため」「『正論』・2005.02号所載の八木論文を読み」「フェミニストによるジェンダーフリーなる妄説の押し付けが、何と役所や学校を通して国民に行われており、この妄説がいかに非科学的で愚かなものであるかを本書が実例をもって明確に示してくれているから」「フェミニストが信奉しているジョン・マネーによる「育て方で性が替えられる」という狂気の実験、その欺瞞ぶりが暴かれている、貴重な著作だと聞いています。是非復刊をお願い
2007-10-31T22:10:33+09:00
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