ジェンダーフリー&バックラッシュ騒動まとめ
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ジェンダーフリー&バックラッシュ騒動まとめja2009-03-19T14:06:02+09:001237439162メニュー
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**目次
-[[0-1 はじめに(このサイトについて) >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/20.html]]
-[[0-2 バックラッシュの定義について >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/11.html]]
-[[0-3 研究の背景 >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/12.html]]
-[[1-1 「ジェンダーフリー」と「男女共同参画」の言説史 >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/14.html]]
-[[1-2 東京女性財団のパンフレットと報告書 >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/15.html]]
-[[1-3 「ジェンダーフリー」の広がり >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/16.html]]
-[[1-4 「男女共同参画」の誕生 >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/17.html]]
-[[1-5 「男女共同参画」誕生の「内因」と「外因」 >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/18.html]]
-[[1-6 「ジェンダー主流化」の時代 >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/19.html]]
-[[1-7 ジェンダーフリーの「誤配」 >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/21.html]]
-[[1-8 ジェンダーフリーの実践と、その問題点 >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/22.html]]
-[[2-1 「バックラッシュ」の発生 >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/23.html]]
-[[2-2 「バックラッシュ」の起源と広がり >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/24.html]]
-[[2-3-1 「バックラッシュ」の言説史 1997年~2002年 >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/25.html]]
-[[2-3-2 「バックラッシュ」の言説史 2003年~2004年 >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/26.html]]
-[[2-3-3 「バックラッシュ」の言説史 2005年~ >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/27.html]]
-[[2-4 批判言説のパターン構築 >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/28.html]]
-[[2-5-1 「ジェンダーフリーの<理念>」の構築 >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/29.html]]
-[[2-5-2 「ジェンダーフリー=男女同室着替え」の構築 >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/30.html]]
-[[2-5-3 「過激な性教育」の構築 >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/31.html]]
-[[2-5-4 「ジェンダー論の嘘」の構築 >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/32.html]]
-[[2-5-5 自民党による「3520の実例」の構築 >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/34.html]]
-[[2-6 「バックラッシュ」の「成果」とはなにか >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/35.html]]
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2009-03-19T14:06:02+09:0012374391620-1 はじめに
https://w.atwiki.jp/seijotcp/pages/20.html
***0-1 はじめに
このページは、「ジェンダーフリー」および「バックラッシュ」をめぐる騒動のまとめサイトとして、次のような手順でまとめ作業を進める。
まず、90年代後半から日本でフェミニズムに対しておこったバックラッシュの変遷をまとめ、書籍、雑誌、新聞、テレビなどのマスメディアにおいてどのような言説が生産、流通、変化していったのかを記述する。そのうえで、「保守派知識人」や「保守運動」がフェミニズムをどのように「理解」し、「クレイム申し立て」と「議題設定」に参与することで、いかにして「ジェンダーフリー」へのバッシングを「社会問題」として構築していったかを描く。同時にフェミニズムがどのようにして「ジェンダーフリー」およびバックラッシュを「理解」し、「議題設定」に影響を与えていったかを構築主義的アプローチ((ここでいう「社会構築主義的アプローチ」とは、スペクター&キッセ『社会問題の構築―ラベリング理論をこえて』(マルジュ社、1990)において提示された「想定された状態について苦情を述べ、クレイムを申し立てる個人やグループの活動」によって構築された「社会問題」について、「クレイム申し立て活動とそれに反応する活動の発生や性質、持続」を観察し、その機能を明らかにするという分析スタイルを意味する。すなわち、本質主義(essentialism)に対する「構成主義」ではなく、客観主義(objectivism)に対する「構築主義」として用いる。本稿において重要なのは、クレイム申し立て活動は「社会問題」を構築するという機能ばかりでなく、そのクレイム申し立て活動=コミュニケーションそれ自体(運動や流言飛語の生成過程)が何かしらの効果と社会的機能を持ちうること、あるいは「クレイム申し立て」の動機や意図とは別にその「申し立て」の際の「表現」が別のコミュニケーションから創出されたり、別のコミュニケーションへと接続されることが常にあり、むしろ別のコミュニケーション=「擬似問題」へのコミットメントが「社会問題」の推進力として必須であるという面があるという観点である。)) を用いて記述する。
続き:[[0-2 バックラッシュの定義について >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/11.html]]
2009-03-19T14:03:37+09:0012374390172-6 「バックラッシュ」の「成果」とはなにか
https://w.atwiki.jp/seijotcp/pages/35.html
前:[[2-5-5 自民党による「3520の実例」の構築 >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/34.html]]
***2-6 「バックラッシュ」の「成果」とはなにかの
以上、2006年までの間に行われた「バックラッシュ」言説の構築プロセスを簡単に追ってきた。では、かようなクレイム実践は、具体的にはどのような政治的効果を持ったのだろうか。
「過剰」な言説によって、普段はそのコミュニケーションに関心を持たない層をある単純化した枠組みの中に瞬間的に回収する「バックラッシュ」言説は、特定のトピックスを政治的課題として構築する「運動体」によって解釈、利用される。かような実践の効果として、地方議会や国会答弁などにも見受けられるように、「男女共同参画」や「ジェンダーフリー」を「社会問題」にすることで、保守派側から争点化しやすくなった点はあげられるだろう(議題設定効果:McCombs & Shaw 1972 )。その結果、男女共同参画基本計画に否定的な注釈がつけられた他、「ジェンダーフリー」という文言が使いにくくなるなどの効果を生んだ。また、地方でも「男女共同参画条例」の争点化が観測されるようになる。
具体的には、例えば市川市の例が分かりやすい。市川市では2006年まで積極的格差是正措置(ポジティブアクション)などを掲げるなど「先進的」と見なされていた条例を保有していたが、「過剰なジェンダーフリーを是正する」ことを理由に次のように変更された。
・「この条例において、男女共同参画社会とは、男女がその特性を生かし、必要に応じて適切に役割分担しつつ、互いが対等の立場で協力し、補完し合って、家庭、地域、職場、学校その他の社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保されることにより、個性と能力を最大限に発揮することのできる社会をいう」と定義づけ
・「男女が性別により直接的又は間接的に差別されることなく、その人権が尊重される社会」が「男女が性別により差別されることなく、その人権が尊重される社会」に
・「男女が自立した個人として、多様な生き方を選択することができる社会」→「男女が男らしさ、女らしさを否定することなく、互いにその特性を認め合い尊厳を重んじる社会」
・「「男は仕事・女は家庭」という固定的性別役割分業意識に縛られることなく、家事、子育て、介護等の家庭の営みに家族全員が関わり、その責任を共に分かち合える家庭」→「専業主婦を否定することなく、現実に家庭を支えている主婦を、家族が互いに協力し、支援する家庭」
・「家族一人一人がジェンダーに捕らわれることなく、それぞれの個性を大切にする家庭」→「家族一人一人が家庭尊重の精神に基づいた相互の理解と協力の下、それぞれの個性を大切にする家庭」
・「子を産むという女性のみに与えられた母性を尊重するとともに、育児における父性と母性の役割を大切にし、心身共に健康で安心して暮らせる家庭」が追加
・「妊娠期、出産期、更年期等の女性の生涯の各段階に応じて、適切な健康管理が行われる職場」→「妊娠期、出産期、育児期、更年期等の女性の生涯の各段階に応じて、適切な健康管理が行われ、母性及び子の最善の利益が尊重される職場」
・「男女が制度、慣習又はジェンダーに捕らわれることなく、平等に地域の活動に参画し、その意思決定ができる地域」→「男女がその特性をいかしつつ、平等に地域の活動に参画し、互いに協力していくことができる地域」
・「女性の積極的な社会参画により、女性の多様なリーダーシップが発揮される地域」→「男女の積極的な社会参画により、多様な能力が発揮される活力ある地域」
・「ジェンダーに捕らわれない、男女それぞれの人権を大切にする教育」→「男女が互いにその特性を尊重しつつ、それぞれの人権を大切にする教育」
・「性別に捕らわれない名簿を採用した教育」→「必要に応じて適切に名簿の作成が行われる等、区別と差別を混同すること」
・「性別に捕らわれない係、当番等の役割分担が行われる教育」→「男女別実施による運動種目の設定、男女別室での着替えなど、思春期の性別に配慮した教育」
・「セクシャル・ハラスメントのない教育」→「心と体のバランスや生命の尊厳に配慮し、発達段階に応じて適切に行われる性教育」
この条例に象徴されるように、言説実践の反復は各「陣地戦」において一定の成果を得たかのように見える。いくつかの自治体は、「ジェンダーフリー」という文言について触れないとわざわざ明記しているが、これも「成果」に加えられるだろう。
その背景には、「過剰なジェンダーフリー」が社会問題化され、広範に共有されているという実態が関わっていることは確かだ。浜井浩一は『犯罪不安社会』(光文社新書、2006)において、報道によっていかに実態とかけ離れた「治安低下」というリアリティが作られたかを以下のように述べる。
> 現実の犯罪発生に関係なく、特異な事件をきっかけに人々のあいだで犯罪が増加し、治安が悪化しているという印象が広まり、犯罪不安が急速に高まっていくような現象は「モラル・パニック」と呼ばれている。
> 社会学者マーシャ・ジョーンズ(2000)によると、モラル・パニックは社会の保守的な階層の中での、「社会が蝕まれている、社会的な秩序やモラルが崩壊しつつある。このまま放っておくととんでもないことになる。今すぐに手を打たなくては……」という危機感の高まりによって発生し、マスメディアの報道によってそれが市民に浸透していく。
>(…)しかし、犯罪不安が、集中砲火のような報道による一時的なパニックであれば、それはモラル・パニックであり、気まぐれなマスコミの関心が移れば、騒ぎも次第に沈静化に向かうことが多い。昔、大騒ぎになったにもかかわらず、大きな事件を忘れている人も多いと思う。つまり、マスコミが不安を煽ることである種のパニックは発生するが、パニックに実態がともなっていない場合には、時間経過とともに沈静化し、忘れられるのが常態なのである。
>(…)ところが、パニックに行政が対応して制度変更を行うと、パニックの原因となった問題は恒常的な問題と認識され、行政的な手当ての対象となるため、社会問題そのものが固定化していくことになる。
> ジョエル・ベストは、マスコミ報道によってつくられたモラル・パニックが、市民運動家(支援者等の「アドボケイト」と呼ばれる人々)行政・政治家、専門家の参加に拠って、一過性のパニックとして終わらずに、新たな社会問題として制度に組み込まれ、恒久的な社会問題として定着していく過程を分析している。
> 彼は、これを「鉄の四重奏」(直訳すると鉄の四角形)と呼んでいる。
> マスコミが問題を探し出して報道し、市民運動家が社会運動の中でこの問題を取り上げ、政府に対策を求め、行政・政治家がこれに対応して法律等を制定し、医学・法学・心理学などの分野の専門家が、学問的な権威としてこの問題を解釈するという一連の作業が、パニックを超えた恒久的な社会問題を作り出すとベストは指摘している。
この分析は犯罪を対象にしたものだが、ジェンダーフリーの問題や「教育問題」など、過剰な「不安」をフックにすることで動員をはかる社会問題一般に当てはまるだろう。「過激な性教育や行き過ぎたジェンダーフリーが蔓延している」というパニックを利用し、マスコミが報道する過程で一般には流言飛語の部分が拡大され、それを元に社会運動や条例化が行われる。各地条例が争点されているのは、他でもなくそれが「争点」として構築されているからだ。
社会問題の構築は、実際にその問題があるかないかとは異なり、何が係争の対象になるかには必然性はない恣意的なものであるといえる。例えば「男女同室着替え」自体は70年代頃から既に多数存在していることが確認されており、「教育予算の不足」などが指摘されるほか、そもそも公立学校に男女別の更衣室を設置すべしとする建設基準が設けられていないなど、元々現象としては存在していたものであり、慣習として浸透しさえしていたように思われる。それが「行き過ぎたジェンダーフリーの実例」として社会問題として突如構築されるわけだが、あくまで「行き過ぎたジェンダーフリー」の例として係争化されたためか、その後に保守団体が更衣室を設けることを請願する社会運動にコミットしたという話は聞かない。
かように社会問題として争点化されることで、各地条例に対する運動が盛り上がった面は「効果」として挙げられるだろう。しかし例えば、男女共同参画基本計画の第二次案も、各自治体の条例による「抵抗」も、「基本計画の根本的な見直し」からは程遠く、むしろ曖昧な表現を避けさせることで議論の精緻化に加担したと部分さえあると言える。国政では、再三のクレイム申し立てによっても基本法の見直しは行われず、安倍が首相になってからも大きな方向転換は観測されない。仮に「ジェンダー」の文言が法文から削除されていたとしても、あるいはさらに「区別を差別と見誤ることなく」「専業主婦を否定することなく」「父性や母性の重要性」などの文言が条例に加えられたとしても、「雇用機会」や「雇用環境」「女性の再就職」に関する政策から撤退する、あるいはあからさまな区分けを正当化することは出来なかった(出来ない)だろう。
また、実際にこれらの条例に、例えば「景観法」や「迷惑防止条例」「路上禁煙条例」「淫行条例」「青少年育成条例」など、具体的な規制が明記されている条例ほどの拘束力を、各個人や各世帯のライフスタイル、教育方法ほかに対して与えることは困難だろう。仮に拘束力を持たせるとしても、「法律の範囲内において制定される」(憲法94条 および地方自治法第14条第1項 )という性質を持つ条例は、国法よりも下位に位置付けられるという法的な形式的効力の観点から 、基本計画の方針は遵守されるからだ。それどころか、どれほどの「抵抗」を示したとしても、結局は「男女共同参画基本条例」という名の条例は策定されるのであり、条例そのものを作らないという「抵抗」はさほど観測されないのである。そもそも同条例は、それ自体としては自治体運営の指針表明以上の効果を(個別の議論において主張の準拠点として持ち出される場合などを除き)持ち得ないと思われる。その意味で条例の変更や否定的注釈などは、「先進的」な状態から、「出来うる限りスローモーな漸進」へと変更された程度であり、結果として「男女共同参画行政」のコミュニケーションそのものを進めることに加担しているといえよう。
「バックラッシュ」を起こすことで、保守運動はどのような効果をあげたのだろうか。市川市の条例や基本計画の否定的注釈などについて、保守派は「勝利」と位置づけているが 、それは「象徴のレベルでの失地回復」 によって「運動」を継続するための(今後のクレイム申し立ての準拠点にすることを含んだ)動機を確保する以上の「効果」が得られるかどうかは疑わしい。条例の文言が異なっていたとしても、行われる政策などに大きな差異がなければほとんど意味がないからだ。「専業主婦を否定することなく」と書かれていようと、「ジェンダーに捕らわれることなく」ではなく「男女がその特性をいかしつつ」が書かれていようと、例えば保育所の導入などに関して具体的な方法論に大きな違いが出てくるわけではないし、そもそも予算がほとんど付かなければ何も行われないという点で差異がない。あるいは逆に、国が策定した基本方針に忠実で「急進的」な条例を作ったとしても、結局は各地元のニーズをめぐった別の「運動」が行われなければならない点で変わりはないだろう(「理解ある」条例が作られた後に、ほとんど予算が付かず具体案に手が付かなかったり、具体案に「合計特殊出生率の目標値」を掲げるなどの地域もある)。
また、「男女がその特性をいかしつつ」というような文言を評価する保守派も、「差別的な文化は当然なくしていかなくてはならない」「専業主婦も働く女性も同等に認めよと言っているのがわれわれである」と述べ、行政による「一方的な価値観を強制」 することに反対とするスタンスを一応はとっている。あるいは、「男女平等に反対するわけではない」と前置きをしながら「真の男女平等」を主張するように、仮に「対抗」のために持ち出された便宜的な語彙であったとしても、制度的な格差を肯定したり、完全分業の法的実行を主張することまでは踏み込めない情況のままだ。
つまり、過剰なケースを構築することで「男女共同参画」が擬似的な形で社会問題化され、議会などで係争の対象として設定されたとしても、「男女平等を(制度的に)いかに実現するか」というアジェンダに基づいたコミュニケーションは継続されているということだ。フェミニストが各定義に対して対抗クレイムを発していくことが既に批判対象の設定したアジェンダに乗っているという面はあるが、既に保守派は「男女平等」をめぐるコミュニケーションのプレイヤーとして位置づけられ、そのコミュニケーションを根本的に否定することは出来ないでいる 。保守派は「ジェンダーフリー」を否定することで「男女平等」の内容に関する定義づけを優位に進めようとしたが、そのことは既に保守派にとっても「男女平等」が重要な課題であることを示唆すると同時に、「男女平等」を係争のポイントにすることでそのプライオリティの向上に加担している。バックラッシュが生じても、アジェンダが残り続ける以上は、対象となったコミュニケーションはそのまま継続する。しかも、その現象を直ちに歴史化したうえで、さらに精緻なものと化したうえで、である。
各地条例をめぐる「運動」について考えてみよう。保守派は「日本全国にジェンダーフリーや男女共同参画の過激な実例がある」という動機付けの元に、クレイム実践を行っている。それは同時にフェミニズム運動にも「バックラッシュ派と闘う」という動機を与えることで、コミュニケーションの継続に加担する。それらの言説は、元々「運動」にコミットしていない層を「過剰に」動員するほどの効果は挙げていない。例えば徳島県議会に提出された「『男女共同参画社会基本法』及び『同基本計画』の改廃を求める請願」など、各地で展開された条例案をめぐっての抗議や応援のFAX、メール、郵便などは互いに数十~数百ずつで、双方のメーリングリストや掲示板でのやりとりを観察するに 、「運動体」によるものがほとんどであることが分かる。春日市議会あてに、「男女共同参画を推進する条例」の早期制定を求め3団体が請願書と署名約2万2600人分を提出するというケースと比較しても、「署名」のようなイージーな形で巻き込むことはあっても、敷居の高い「抗議」まで行う層はさほど拡大していないと思われる。実質的には、バックラッシュを経た後も、一部の運動体同士の陣取り合戦以上に発展していないとさえいえるだろう。
各地で起こっている「バックラッシュ」と呼ばれている騒動はどうか。フェミニストである上野千鶴子が講演会を拒まれた国分寺市の事件や、フェミニストの書籍が図書室から排除された福井県の事件は、フェミニズムにとって「バックラッシュ」の象徴的な例として語られる 。しかしこれは、果たしてどこまでがバックラッシュの効果だといえるだろうか。ある派閥が自らの規範にとって望ましくない思想の排除を目論む小さな小競り合い自体は、バックラッシュと無縁に起こっており、これらの事件には「過剰な人々を瞬間的に巻き込む」という要素が見当たらない。
もちろん一方で、社会問題化されることによって「運動体」の関心をひきつけることには貢献しただろう。元々保守政治に関心のあった「運動体」が、ジェンダーフリーなどを争点として認知することで、各地で係争化していくという点においてである。例えば市川市のケースは、日本政策研究センターから講師を迎え、市川市の保守系4会派が1年半の非公開勉強会を行い、保守系4会派の代表が提出した同条例案を採択したという流れがある。これ自体は極めて個別的な係争の結果だといえるだろう。社会問題化することで、「反フェミニズム」のコミュニケーションを回路づけるという意味においてが効果を持ち、一時的な世論の表出の向きを形作ることは出来るが、潜在的なプレイヤーそのものを増加させること、あるいはコミュニケーション自体を止めることにはさほど貢献しないといえるのではないだろうか。
バックラッシュは、単純化を伴った社会問題の構築(擬似問題化)によって、集団を瞬間的に対抗コミュニケーションの動機として動員する。但し、瞬間的に動員された集団は、その後継続的にコミュニケーションに参画し続けるわけではない。
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@ 2009-03-19T00:00:41+09:001237388441目次
https://w.atwiki.jp/seijotcp/pages/1.html
**サイト説明
1990年代後半から2006年頃まで続いた「ジェンダーフリー騒動」についてまとめたサイトです。文責は[[ 荻上チキ >http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/]]にあります。本当は3章以降に、ウェブ上の騒動、90年~00代型フェミニズムの問題点、「反」コミュニケーションの社会的機能などの分析、現代的な社会運動と政治とのかかわり、その他資料集や2006年以降の展開などを簡単に加筆しようと思っていたのですが、しばらく多忙でできそうにないので、途中ですが公開することにしました。このサイトに掲載している文章は、解釈作業や価値判断はあまり加えていないので、資料や年表などとして幅広くご利用いただけるかなと思います。そう遠くないうちに、研究者仲間と一緒にまとまった形にしようと思っておりますので、なにか動きがあればブログやこのトップページでアナウンスします。
**「ジェンダーフリー&バックラッシュ騒動まとめ」目次
[[0-1 はじめに(このサイトについて) >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/20.html]]
[[0-2 バックラッシュの定義について >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/11.html]]
[[0-3 研究の背景 >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/12.html]]
[[1-1 「ジェンダーフリー」と「男女共同参画」の言説史 >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/14.html]]
[[1-2 東京女性財団のパンフレットと報告書 >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/15.html]]
[[1-3 「ジェンダーフリー」の広がり >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/16.html]]
[[1-4 「男女共同参画」の誕生 >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/17.html]]
[[1-5 「男女共同参画」誕生の「内因」と「外因」 >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/18.html]]
[[1-6 「ジェンダー主流化」の時代 >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/19.html]]
[[1-7 ジェンダーフリーの「誤配」 >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/21.html]]
[[1-8 ジェンダーフリーの実践と、その問題点 >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/22.html]]
[[2-1 「バックラッシュ」の発生 >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/23.html]]
[[2-2 「バックラッシュ」の起源と広がり >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/24.html]]
[[2-3-1 「バックラッシュ」の言説史 1997年~2002年 >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/25.html]]
[[2-3-2 「バックラッシュ」の言説史 2003年~2004年 >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/26.html]]
[[2-3-3 「バックラッシュ」の言説史 2005年~ >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/27.html]]
[[2-4 批判言説のパターン構築 >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/28.html]]
[[2-5-1 「ジェンダーフリーの<理念>」の構築 >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/29.html]]
[[2-5-2 「ジェンダーフリー=男女同室着替え」の構築 >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/30.html]]
[[2-5-3 「過激な性教育」の構築 >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/31.html]]
[[2-5-4 「ジェンダー論の嘘」の構築 >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/32.html]]
[[2-5-5 自民党による「3520の実例」の構築 >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/34.html]]
[[2-6 「バックラッシュ」の「成果」とはなにか >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/35.html]]
2009-03-18T23:56:12+09:0012373881721-4 「男女共同参画」の誕生
https://w.atwiki.jp/seijotcp/pages/17.html
前:[[1-3 「ジェンダーフリー」の広がり >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/16.html]]
***1-4 「男女共同参画」の誕生
まずは「男女共同参画」という言葉の誕生の経緯を記そう。世界の女性政策を考えるメルクマールになる「国際婦人年」(1975年)の4年後の1979年12月18日、第34回国連総会にて「女性差別撤廃条約」 が採択された。これは「女子に対する差別が依然として広範に存在している」現状を是正するべく「女子に対するすべての差別を禁止」し、「男女の平等の原則の実際的な実現を法律その他の適当な手段により確保する」というもの。この条約への締約国は、条約の実施状況について、条約を批准してから1年以内に第1次報告を、その後は少なくとも4年ごとに報告を提出しなければならなかった。
日本は1980年7月17日、政府代表が同条約に署名し、1985年6月に正式に批准することとなり、その翌年(1986年)の4月に男女雇用機会均等法が施行。その後も「男女の完全な平等の達成」のために、適当な措置をとる必要が日本に生じた。批准まで5年がかかった理由はいくつかあるが、主要な理由を二つあげよう。ひとつは同条約と当時の日本で標準的なモデルとされていたライフコース(個人が一生の間にたどる道筋)とのギャップが大きかったこと。当時の日本は高度成長期から消費社会、バブル経済に差し掛かる時期で、70年代後半から80年代前半にかけて専業主婦の割合が最も多い時期となり、「男は仕事、女は家事と育児(あるいはコピーとお茶汲み)」という性別による差異化がまだ自明視されていた時代だった。もうひとつは、労働や教育、国籍などについて触れた男女平等に関する法律がなかったこと。そのため、同条約を批准するためには国際結婚で父親が日本人でなければ子どもは日本国籍をとれないという父兄血統主義の国籍法や、教育における男女別課程(具体的には家庭科・技術科)の見直しや、男女の雇用差別をなくすための具体的な法規の制定などの国内法の整備を共に考えておかなければならなかった。国籍法・戸籍法は1984年に改正され、家庭科共修は1986年の教育課程審議会で、小中高で男女共修にする方針がようやく示され、雇用上の差別をなくす法規は「男女雇用機会均等法」として1985年に可決されることとなった。
行政が大きな動きをみせたのは90年代半ば頃。1995年9月、北京にて開催された国連会議、「第4回世界女性会議」(北京会議)において「北京宣言及び行動綱領」が採択され、1996年7月には男女共同参画審議会が答申した「男女共同参画ビジョン」が公表。そこでは「男女共同参画社会の実現を促進するための基本的な法律についてすみやかに検討を進める」とされており、政府はこのころから「男女共同参画」という用語を中心的に用いだす。同年12月に男女共同参画推進本部は、「男女共同参画2000年プラン-男女共同参画社会の形成の促進に関する平成12年(西暦2000年)度までの国内行動計画-」を策定した。当時の与党は橋本政権であり、自民党は社民党(党首は土井たか子)と新党さきがけ(党首は堂本暁子)と連立与党を組んでいた。3党の合意事項には男女共同参画を推進することが盛り込まれており、基本法の制定を目標として掲げていた。
1998年2月、男女共同参画審議会基本問題部会基本法検討小委員会が設置。同委員会は6月に「男女共同参画社会基本法の論点整理」を報告。7月末までに全国から約4000件の意見が寄せられるなど大きな注目を集めた。この意見をまとめた答申を元に、政府は1999年4月に基本法案を提案、6月に男女共同参画社会基本法が公布・施行されることとなる。2001年には行政改革は橋本内閣から小渕内閣へ引き継がれ、省庁が22から12になる際、新たに内閣府が誕生し、男女共同参画局が設置され、この中に国内本部機構「男女共同参画会議」がつくられた。
1999年6月に生まれた男女共同参画基本法は、女性差別撤廃条約の第2条に規定されている「男女の平等の原則が自国の憲法その他の適当な法令に組み入れられていない場合にはこれを定め、かつ、男女の平等の原則の実際的な実現を法律その他の適当な手段により確保すること」という条文に応じるものである。2000年には男女共同参画基本計画が策定され、以降、各自治体で男女共同参画の促進に関する立法が相次ぐこととなる。それと並んで、「男女共同参画」という言葉もメディア上に登場する頻度が増えていった。
続き:[[1-5 「男女共同参画」誕生の「内因」と「外因」 >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/18.html]]
2007-11-03T11:46:46+09:0011940580063-1 ウェブ空間における定義パターンの広がりと「運動」としてのバックラッシュ
https://w.atwiki.jp/seijotcp/pages/36.html
***3-1 ウェブ空間における定義パターンの広がりと「運動」としてのバックラッシュ
ファルーディの『バックラッシュ』は、保守派が設計したプロパガンダに基づき、雑誌やテレビ、ラジオ、映画等で誤った情報やネームコーリングが反復されることによって生まれた「フェミニスト」のイメージとその実態のズレを指摘するというものだった。一方で、そのイメージはどのように受容されたのか、そのイメージを受容する過程でどのようなコミュニケーションが行われていたのか、明確な意思に基づいたプロパガンダではなく非意図的な伝達行為がどのように加担していたのか、それらイメージが具体的にどのような効果を生んだのかなどについては触れられていないため、「機能」を明らかにするにはさらに踏み込んだ議論が必要になる。
本章ではネットコミュニケーションに注目することで、バックラッシュの広がり方を観察しつつ、その受容のされ方と効果、および社会的機能を明らかにしたい。但し、Web 上の言説交換は広範にわたり、膨大な量であることに加え、後になって通時的に議論を追うことが難しいため、これまでのような構築主義的アプローチを採用することは難しい。そこで、参与観察的なアプローチから、言説のフローとWeb上のトライブの構成について記述した後、バックラッシュとはどのようなコミュニケーションによって構築されているのかを分析する。
2007-11-02T08:24:20+09:0011939594601-2 東京女性財団のパンフレットと報告書
https://w.atwiki.jp/seijotcp/pages/15.html
前:[[1-1 「ジェンダーフリー」と「男女共同参画」の言説史 >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/14.html]]
***1-2 東京女性財団のパンフレットと報告書
まず「ジェンダーフリー」という言葉の「起源」を見てみよう。後に係争の中心におかれ、社会問題の構築の契機として機能する「ジェンダーフリー」という言葉が日本において最初に使われたのは、1995年、東京女性財団((東京女性財団は1992年に設立された「公設民営」型の財団。都の財政援助のもとで運営され(職員は都が用意)、95年には東京ウィメンズプラザを開設。2001年に石原都政下の財政打ち切りにより廃止、東京ウィメンズプラザは財団の代わりに東京都の直営という方針で運営される。なお、この女性財団の廃止が持ち上がったのは、石原知事の意向で始まった外郭団体の見直しのなかでのこと。都にある外郭団体は62団体、これを統廃合して47団体に減らし、都は支出を720億円減らすという計画だった。但し、完全に廃止されたのは、実際には女性財団のみであり、それによって削減された都の支出は7200万円であった。))のパンフレット「Gender Free」およびそのプロジェクト報告書においてであるとされる。1995年3月に発行された東京女性財団による報告書「ジェンダー・フリーな教育のために」は、3名の教育学者、深谷和子、田中統治、田村毅によって作成された。当時の肩書きは、それぞれ東京学芸大学教育学部教授、筑波大学教育学系助教授、東京学芸大学教育学部助教授である。
プロジェクト報告書の一章には、まず次のように書かれている。
>「ジェンダー・バイアスの是正に向けて」
> 戦後50年を経た今、諸外国同様に、日本でも法律上の不平等など制度的な男女間の不平等は次第に解消され、目に見える形での男女差別は大きく減少した。結果として男女の間に不公平感が減ったことは、「生まれ変わるとしたら、今度は男性に生まれたいか、女性に生まれたいか」という社会調査の中での、性役割受容度に関連したデータにも、よく現れている。戦後すぐと現在と比べると、社会調査に現れた、自己の性別とその役割を受容する女性の役割は大きく増加している。
> しかし、長い歴史の中で、支配-被支配、優位-劣位の関係にあった男性と女性の関係は、制度的な平等が進められたからと言って、一挙に解消したわけではない。労働市場や家庭、学校、マスメディアなどの諸領域に目を向けると、目に見えない形で、男女や女性の自由な生き方を圧迫している文化や慣習が見受けられる。そしてこうした現状に問題を感じながらも、こうした文化を受容しようとし、また同様な慣習に適応しようとしている人びとの姿がある。今後は、こうした不平等を支える「人の心」の問題に迫ることが、これからの大きな問題であろう。
> このように、両性の生き方を不自由にしているような文化的側面を、「ジェンダー・バイアス」と言う言葉で呼ぶとしよう。ジェンダー・バイアスとは性別に伴うステレオタイプで、いわばわれわれが祖先から代々受け継いできた文化の1部である。これらは全ての人の成長過程で継続的に刷り込まれ、心の奥底に、また習慣や態度や価値観として、現在もしっかりと共有されている。人の態度の修正は、いずれの側面でも簡単ではないとされるが、とりわけジェンダー観の是正は難しいもののひとつである。なぜならこれは、一人の人間の中の態度や価値の問題に留まらず、男女の相互の幸福感に関わるテーマだからである。
> 仮に少し前の、われわれの親世代では決して珍しくない光景であった、夫が妻を「オイ」と呼び、妻がそれを受け入れている夫婦を考えてみる。この夫婦間に多くの側面で対等でない人間関係があったとしても、もし彼らがそうした関係の中で相互に十分な幸福感を持ち合っていたとすれば、「この夫婦は平等でない」と他人が苦情を言うのは、ある意味でお節介と言うものだろう。
> しかし、その夫婦に子どもがいれば、事情は変わってくる。親たち夫婦の男女のあり方は、子どものジェンダー形成のモデルとなり、それがジェンダーの再生産装置として子どもに働くからである。さらに将来、その子どもが成人して作る家庭で、次の子ども世代のジェンダー観をも形作る可能性をも否定できない。とすれば、そうした夫婦の優位-劣位関係を、自分たちの個人的な問題として済ますことはできないであろう。
> しかしジェンダーの再生産装置の機能は、家庭以上に、学校がもっている。社会の中で、文化の維持や再生産機能を担う機関として作られている学校は、当然男女の役割関係やそれにともなう価値観をも子どもに伝達する。学校は、その社会の文化の中で、「いちばんいいもの」を選択して子どもに与える。しかし、後で述べるように、学校は「いちばんいい文化」として選ばれた(精選された)教材を、子どもに学習させるだけではない。「見えないカリキュラム」と呼ばれるような「陰の文化」が、教師の行動や教材を通じて、無意図的に子どもに伝達される。
> 教師は見える部分で男女差別を教えることはしないが、生徒に指導をする際に、自分の中にあるジェンダー・バイアスから完全に逃れることはできない。無意識のうちに、もはや過去のものとなった価値観や態度を子どもに伝達し、子どもの意識や態度の形成に影響してゆくことは、近年の女性学研究の中でも、数多く指摘されている。
> したがって今後は、わが国でも教員の養成過程や初任者研修、また中堅現職の研修機会に、ジェンダー問題をめぐって、児童に適切な指導ができるような教育プログラムが積極的に開発され、実地されるようになることが、ぜひとも必要であろう。
このようなプロローグを受け、この報告書では次の4つのねらいを実現するための教育プログラムを提案していく。4つのねらいとは、(1)ジェンダー問題の存在に気づくこと、(2)自分の中にあるジェンダー・バイアスを発見すること、(3)自分の中のジェンダー・バイアスを修正しようとする動機をもつこと、(4)ジェンダー・バイアスの修正に向けて、教室での指導技術を工夫する糸口を作ること。同報告書では、これらの目標を達成するために「ジェンダー・フリー」というテーマが必要であるとし、次のように説明を続ける。
> なぜ「ジェンダー・フリー」か
> 法律や制度を見ても、形の上での男女平等は次第に整ってきている。
>ごく最近の社会的な動きをとってみても、嫡出子と非嫡出子との区別は住民票上から消滅したし、結婚に伴う男女別姓制度も検討されている。しかし職場や家庭内に目を転じれば、そこには性別に限らず、さまざまな地位に伴う役割上の不公平が、文化や慣習の形で十分に残っている。
> こうした不公平は、それに適応して異議を唱えない、または漠然とした不満を感じても、それを意識上にはのぼらせない多くの人々の意識や心のあり方が支えていると考えられる。これをジェンダー・バイアス(性別に関して存在するステレオタイプ)と呼ぶことにしたい。男性と女性の間に何らかの公平でない状況があり、それに適応していることについては、俗に「意識が低い」と言う表現がされるが、それは意識の高低よりも、その人の中でのジェンダー・バイアスに結びつけて理解するほうが適切と思われる。
> そうしたジェンダー・バイアスの修正こそが、性的不平等を是正するために必要であり、それが達成された社会が「ジェンダー・フリー」な社会ではなかろうか。ハンドブックにも記されているように、それが男性も女性も、性別にとらわれず、性別にこだわらず、大きく生きることができる時代の到来を意味している。
> 従来用いられてきた「男女平等」は主として制度的側面に用いられる用語であるが、予備調査によれば「ジェンダー・フリー」は、男女平等をもたらすような、人々の意識や態度的側面を指す語として、若い人々にも受け入れられそうである。とくに学校のように、おおむね男女平等な扱いが行き渡っている集団でも、今後は、さらに教師や子どもの意識に踏み込んで、「ジェンダー・フリーな教育」の場であることを目指すべきであろう。
東京女性財団の「ジェンダー・フリー」は、すでにある程度達成された(という前提の)「制度的側面に用いられる用語」「男女平等」とは別に、「人々の意識や態度的側面」に「踏み込」むための言葉として定義され、「心や文化の問題」として扱うために同語を使うとしている。また、「従来用いられてきた『男女平等』は主として制度的側面に用いられる用語」という記述など、これまで「男女平等」という語に込められてきた女性運動の経緯を単純化したうえで、行政から教育の現場に「踏み込んで」いくことで男女差別の是正をするための《打ち出の小槌》や《魔法の杖》のようなフレーズとして意図されていた。すなわち「ジェンダー・フリー」という言葉は、(1)学校教育を対象に(2)制度面ではなく態度・意識面の問題として(3)それまでの女性運動の歴史を捨象しながら(4)啓蒙的、「教育」的に扱うための(5)行政主導の言葉として、突如として日本に「誕生」した。
同報告書内ではしばしば「ジェンダー・フェア」「ジェンダー・センシティブ」「ジェンダー・バインド」などの用語が登場する。これらのカタカナ語の羅列から見えてくる同報告書のスタンスは、<ジェンダーチェックなどを通じてジェンダー・バイアスに自覚的(ジェンダー・センシティブ)にし、それらを取り除くことでジェンダー・バインドの状況を脱し、生徒の内面をジェンダー・フリーな状態にすれば、ジェンダー・フェアな教室が実現する>という見取り図として捉えるというものだ。しかし、これらのカタカナ語については、報告書内においてそれぞれ明確に定義されているわけではない。それは「ジェンダー・フリー」でさえ例外ではない。「ジェンダー・フリーのコンセプトですが、一言で言えば、性別にこだわらず、性別にとらわれずに行動すること、でしょうか」「ジェンダー・フリーとは、お互いを大切にし合うこと。これまでの生き方をみつめなおすこと」など曖昧なスローガンは要所にちりばめられているもの、議論の具体的背景、理論的バックボーンが同報告書では不透明だ。
当時のフェミニズムにおいてすら、これらの言葉や概念が定着していたとは考えられない。こうしたジェンダー観の曖昧さなどから、3人の学者が「フェミニズム」に対してどれほどの知識を持っていたかは不明である。例えばパンフレット「GENDER FREE」では、「70年代以降」「日本ではその運動が、あまり受け入れられませんでしたが」「80年代後半から」「それまで一心不乱に企業社会を支えてきた日本の男性たちは、高度経済成長の終焉と共に、今までの生き方に疑問を持ち始めました。女性が『女らしさ』に縛られていたのと同じように、男性達も『男らしさ』に縛られていないだろうかと、男性もジェンダー問題について考え始めたのです。このようにしてジェンダー問題はだんだんとその裾野を広げ、かつての『女性による女性のための運動』から『女性と男性がいっしょに考えていく問題』に変わってきたとも言えましょう。遅ればせながら、日本の人々も少しずつ変わろうとしています」という独特の歴史感が記される一方、深谷は心理学、田中は教育学、田村は精神医学が専門であり、「ジェンダー・フリー」という概念の背景にあるディシプリンは、1996年度版の報告書「ジェンダー・フリーな教育のためにⅡ」を読む限り、教育と啓蒙効果について古典的な教育社会学を念頭においていることがわかる。報告書では、ウィリス、パーソンズ、シュッツ、ゴッフマン、バーガー=ルックスマンなどの社会学の古典、柴野昌山や森繁男などの日本の教育学者、および欧米の教育学者の論考などが参照されていることが示唆されており、フェミニズムの流れを主に意識して作られたものというわけではないことが伺える。
「ジェンダー・フリーな教育のため」の一貫として、東京女性財団は「ジェンダー・チェック」という研修用、実践用のチェックリストを作成。ジェンダー・チェックとは、「男が泣くのはみっともないと思うか」「女の子はすなおでなくてはならない」などに○×で答えさせるものや、質問事項に自由記述、あるいは選択回答を行うことによって、調査対象者のジェンダー・バイアスの度合いを測ることで自覚を促すというものである。ジェンダー・チェックの結果は、大抵加点式で表示され、点数が高いほど「ジェンダー・フリー」から遠い状態として表示される仕組みになっており、「ジェンダー=取り去るべきもの・否定するべきもの」という認識に基づいた思想チェックのようにも捉えられる。なお、この時点では、「Gender Free」という啓発用ハンドブックとジェンダー・チェックという研修用テキスト以外に、具体的な方法論は提示されておらず、あくまで試みのひとつとして提示されているに留まっている。但し、その「バイアス」の内容に関しては報告書においては不透明なままであり、また「ジェンダー・チェック」という手法が、果たして「ジェンダー・フリー」の実現にとって有効であり、正当なものであるかの吟味も行われていない。
その不透明性は、「ジェンダー・フリー」という用語の定義に既にシンプトマティックに現れている。報告書においては、「ジェンダー・フリー」という言葉のについて次のように書かれている。
> ジェンダー・フリー教育の必要性と教師教育
> Ⅰの章で述べたようにジェンダー・フリーは、人々の意識や態度的側面を指す用語である。この用語に関する論文が、最近刊行された論集に収められている。(Houston B, “Should Public Education be Gender Free?”, in Stone, L. ed., The Education Feminism Reader, Routledge 1994, pp.122-134. 参照)。この論文では、ジェンダー・フリーの意味を強いものから弱いものまで、三つに区分している。我々が用いる意味は、第三のジェンダー・バイアスからの自由に近いだろう。論文の筆者は、ジェンダー・センシティブという用語のほうにコミットしているが、それはジェンダー・フリーの戦略上の観点からである。
ここでは、バーバラ・ヒューストンの論文「公教育はジェンダー・フリーであるべきか?」が参照すべき文献として名指されており、ヒューストンはジェンダー・フリーを擁護するためにあえてジェンダー・センシティブという用語にコミットしている、と紹介されている。しかし、山口智美の「[[『ジェンダー・フリー』をめぐる混乱の根源>http://homepage.mac.com/tomomiyg/gfree1.htm]]」における指摘によれば、そのような理解は完全なる「誤読」であった。
> 私は、ヒューストンの原典を読んでみた。そして天地がひっくり返るほど驚いた。彼女は、ジェンダー・フリーは平等教育の達成には不適切なアプローチだと批判し、ジェンダーに敏感になることを意味する「ジェンダー・センシティブ」を薦めていた。これを正しく素直に読む限り、日本語文献によく出てくる「ヒューストン提唱のジェンダー・フリー」は、誤読に基づいていたとしか思えない。
> 仰天した私は、ヒューストンさんご本人に確認した。彼女は、やはり「ジェンダー・フリー」ではなく「ジェンダー・センシティブ」を提唱していた。さらに、日本の学者たちがヒューストンの「ジェンダー・フリー」解釈の一つとする「ジェンダー・バイアスからの自由」については、具体的効果がなく弱すぎる解釈だとして関心を示さなかった。ヒューストンは、男女平等の達成には、具体性を欠いたかけ声だけの「ジェンダー・フリ-」は意味がない、ジェンダーに敏感な具体策をたてることが必須である、こう主張しているのだ。
> 日本の学者たちは、ヒューストンが個人の意識レベルでの「ジェンダー・バイアスからの自由」という意味でジェンダー・フリーを提唱していると誤読した。そしてジェンダー・フリーの意識啓発こそが目的なのだと解釈した。さらに、原典にしっかり当たらなかったであろう他の学者たちも、この誤読に基づいた解釈をし続けてきたのではないか。(「『ジェンダー・フリー』をめぐる混乱の根源」)
さらに、この「誤読」について山口は、「『ジェンダー・フリー』論争とフェミニズム運動の失われた10年」(『バックラッシュ!』双風舎、2006)において次のように分析している。
> バックラッシュが酷くなるにつれ、バックラッシュ派の「ジェンダー・フリーは和製英語」という主張への対抗として、「アメリカの教育学者が使ってきた」という説がより強調されることになった。だが、そこで出てくる参考文献は、常にヒューストンの「公教育はジェンダー・フリーであるべきか」だった。今に至るまで、私はヒューストン以外で具体的に引用された英語圏の教育学者の名前を見た事がない。
> 東京女性財団の報告書は、リンダ・ストーンが編集した、The Education Feminism Reader 『教育フェミニズム読本』 という、学生むけの教育学のリーダー本掲載のヒューストン論文を参照しており、その後に続く本も皆、ストーン編の本に掲載されたものを引用している。だが、実は、この論文は 「公教育はジェンダー・フリーであるべきか」と題したシンポジウムからの抜粋であった 。そして、この際「ジェンダー・フリー」を支持する立場に立ってディベートを行ったのは、日本で引用されてきたヒューストンではなく、トロント大学の教育学者、キャスリン・モーガンという別人であったのだ。だが、なぜかモーガンの論文は日本では一切注目も引用もされずに終っているという、不思議な状況なのである。
> おそらく、東京女性財団プロジェクト関係者が当時発売されて間もなかったThe Education Feminism Readerをたまたま入手、そこに掲載されていたヒューストンの論文を引用したのだろう。そして、その報告書が孫引きされ続けて行ったのか、あるいは原典を他の学者たちも誤読し続けていったのかわからない。だが、唯一はっきりしているのは、引用した学者たちが誰も当論文が発表されたアメリカでの状況の経緯や議論の流れにまったく無関心のまま、原典に立ち返って確認するということを怠ったということである。(「『ジェンダー・フリー』論争とフェミニズム運動の失われた10年」)
報告書において述べられているバーバラ・ヒューストン=「ジェンダー・フリー」提唱説は「誤読」であり、ヒューストンは「公教育はジェンダー・フリーであるべきか?」という問いに対して「否」と答えている 。
ところで注目すべきは、この東京女性財団の報告書ですら「我々が用いる意味は、(ヒューストンの言う)第三のジェンダー・バイアスからの自由に近いだろう」「この用語に関する論文が、最近刊行された論集に収められている」(括弧内引用者)と言い回しで、ヒューストンによって権威付けてはいるものの、「ヒューストンが用いているから」という形で理論の拠り所にはしていているわけではないということだ。例えば「ジェンダー・フリー」というカタカナ語について、報告書作成に関わった中心人物の中で唯一の女性である深谷和子は、「[[もっとジェンダー・フリーな教育を>http://danjo.city.kashiwa.lg.jp/information/freetalk/images_freetalk08/8-1.jpg]]」(千葉県柏市男女共同参画室発行の情報紙「フリートーク」、1996年9月号)というコラムの中で次のように述べているのは象徴的だろう。
>ジェンダーフリー…あまり耳にしたことのない言葉だとお思いでしょう。でもこれからは、日本でも欧米同様、誰もが使う言葉になると思います。これまえでの「男女平等」と言う言葉のもつ重苦しさに比べて、からっとした使いやすい言葉だと、どなたもそう言われますから。
>今更何をとお思いかもしれませんが、私たちは生まれるとき、男性か女性か、どちらかの性別をもって生まれてきました。でも性別だけが、私達の唯一の特徴ではありません。長女だとか、山田さんちの家族とだとか、春夏小学校の1年生だとか、主夫だとか、母親だとか、母の会の役員だとか…ちょっと思い出してみても、誰もがたくさんの身分をもっています。
>但し社会学では、この場合、身分でなくて「地位」という言葉を使います。性別も、誰もがもっている、生まれながらの一つの「地位」です。誰もが、その地位にふさわしい行動をするように、社会から期待されるので、それを「人はその地位に応じて、さまざまな『役割』を身につけていく」、と表現します。
>考えてみると、私たちは「性別」以外にさまざまな特徴(地位)をもっていて、性別の違いは、ほんのちょっとの部分でしかありません。それなのに、どなたも、日頃、性別にこだわりすぎて行動していませんか、性別にとらわれすぎて、相手をみていませんか。
ここで議論(権威)の拠り所が「フェミニズム」ではなく「欧米」に置かれていることは重要だろう。これまで引用した「遅ればせながら、日本の人々も少しずつ変わろうとしています」というパンフレットのフレーズのように、パンフレットではカタカナ語や英語を羅列するなど「欧米」のもつ「先進的な」イメージが先行する一方、そのバックグラウンドが不明であるがゆえに(「欧米」でどのように用いられているのかさえ不明である)、フレーズやスタンスのみが浮遊し、理論的背景などについて(再)吟味する足がかりが不透明であることが浮き彫りになる。
このようなスタンスは、後にジェンダーフリーへのバッシングが顕在化してくるにつれ、多くの学者らによって反復されることとなる。いくつか例をあげよう。例えば亀田温子は「バーバラ・ヒューストンはジェンダー・フリーをジェンダー・バイアスから自由であることとする見解を示した人物である」と書き 、“人間と性”教育研究協議会(性教協)は2004年8月26日付けの東京都教育委員会への通知において「本来『ジェンダー・フリー』という用語は、アメリカのバーバラ・ヒューストンが『性別に関して存在する決めつけからの自由』、すなわち性別による偏見からの解放という意味で用いているのを、日本では東京女性財団が紹介し広まったものです」と書いている。原ひろ子は「ジェンダーフリー和製英語ではありません。米国の教育学者が使用しはじめた用語なのです」 と書き、文芸評論家の斎藤美奈子は『[[物は言いよう>http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582832415/seijotcp-22/ref=nosim]]』(平凡社、2004)において、「ジェンダーフリーは「性差解消」ではなく「性差の呪縛から自由になること」の意味。「性差別からの解放」と訳したっていいほどだ。ちなみにこれが和製英語だというのも誤解で、発祥は八〇年代のイギリスにある」 と書いている。
この「ジェンダー・フリー=バーバラ・ヒューストン提唱説」は、2004年11月に山口智美が指摘するまで様々な論者によって繰り返し主張されていく。この「誤読」の経緯は、「バリアフリー」という言葉が持つニュアンスのように「はじめに定義ありき」で浸透し、「バーバラ・ヒューストン=ジェンダーフリー提唱説」が権威付けのために事後的に採用され続けていたこと、ジェンダーフリーという語がカノンを持たないカタカナ語、「空白」(解釈の余地や拡散可能性)の多いスローガンとして広がっていったことを示唆する。「ジェンダーフリー」という言葉を用いていたほとんどの人が、バーバラ・ヒューストンという人名も主張も直接目にしたことがなく、各々の解釈に委ねられていき、出自の不明を問われた際にのみヒューストンという「権威」が「発見」される、というわけだ。
注意すべきは、「ジェンダー・フリー」という言葉は、「バーバラ・ヒューストンが使ったから」「アメリカで受け入れられている女性運動だから」という理由で広がっていったわけではなく、「誤読」によって誕生して以降は東京女性財団の「Gender Free」における解釈と分離しつつ、独自の概念として広がって「誤配」されていったということだ。それは同時に、その浮遊した用語を運動の拠り所にすることによって、「ジェンダーフリー」を肯定する学者達が結果として「フェミニズム運動の失われた10年」 に加担したことをも意味する。例えば伊藤公雄は、『[[男性学入門>http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4878932589/seijotcp-22/ref=nosim]]』(作品社、1996)において、「メンズ・ムーブメントの本場のアメリカでは「メンズ・リブ」という言葉は、どちらかといえば、男性の権利擁護や、精神的な男性性の回復をめざすグループをさす言葉になっていて、女性問題に対しても開かれた「ジェンダー・フリー」(ジェンダーの拘束から自由になる)の立場をとるグループ の間では、あまり使われていないという事情もある」と記述している。このようなスタンスは、例え直接的でなくても、間接的に「アメリカ=本場=ジェンダーフリー」という認識を強化する例といえよう。
1995年の報告書「ジェンダー・フリーな教育のために」は、1994年度の研究開発の報告書である。報告書内では、1994頃から「ジェンダー・フリー」という言葉を用いて取り組んでいたことが示唆されており、これは「バックラッシュ」という言葉が日本に紹介されたその年に「ジェンダー・フリー」という言葉が用いられはじめていたという、きわめて皮肉な歴史的交錯を示唆する。
報告書に収められた研修用テキスト「あなたのクラスはジェンダーフリー?」には、次のようなやりとりがロールプレイングされている。「ジェンダー・フリーだと、どうしても人間が中性になっていく気がするんですが。だって、逐語訳すれば、「性別からの自由」じゃないですか」という疑問を投げかける声に対し、「中性のすすめじゃありませんよ。性別の間にある「垣根」の高さを、もっと低くして、風通しをよくしませんか、っていう提案なんですが……欧米には、性別によって生き方を制限されることなく、男女がもっと自由に暮らしている社会が、沢山あるじゃないですか」「ジェンダー・フリーは、人々の行動を不自由なもの、不幸せなものにしてしまう『ネガティブな意識や行動』からの『フリー』を指す言葉であって『男女の魅力的でポジティブな特徴』についてのフリーではない」「どんな時代にあっても、異性はお互いにひかれあう存在でなければ……男らしさ女らしさ、大いに結構!」「多少とも、過去を引きずって生きている現在のわれわれ大人たちのジェンダー・バイアスは仕方がないとしても、子どもの中に、ジェンダー・バイアスを『再生産』してはいけないと思います。これはどなたにも同意されるでしょう」という「回答」が用意されている。このやりとり自体が、後に起こるジェンダーフリーへのバックラッシュ言説とその応答の典型であるのは実に皮肉だろう。結果としてこのパンフレットが「バックラッシュ」の起源として機能したことを含めて。
続き:[[1-3 「ジェンダーフリー」の広がり >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/16.html]]
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2007-11-02T00:21:39+09:0011939304991-1 「ジェンダーフリー」と「男女共同参画」の言説史
https://w.atwiki.jp/seijotcp/pages/14.html
前:[[0-3 研究の背景 >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/12.html]]
***1-1 「ジェンダーフリー」と「男女共同参画」の言説史
90年代半ばから後半にかけては、様々な意味で日本のフェミニズムの転換点となった時期として「記述される」。1995年に北京で行われた国連の世界女性会議以降、「ジェンダー」という言葉・概念を女性運動、性差別運動のキータームとして位置づける国際的な動きが強まった。行政が「男女共同参画社会」の形成へと舵を切った一方で、行動する女たちの会の解散やフェミニズムのアカデミズム化、長期不況や「後期近代化」による批判対象としての「公共圏」の変容など、フェミニズム運動の主体や地盤、前提などが大きく変動していた。
スーザン・ファルーディの『バックラッシュ―逆襲される女たち』(新潮社)が日本で翻訳、出版されたのは1994年。その翌年の1995年、日本に「ジェンダーフリー」(あるいはジェンダー・フリー。「・」に特に意味づけは不要とし、以下、本稿において、書名、引用以外は「ジェンダーフリー」で統一する)という言葉が生まれる。この言葉は、「誤読」によって誕生し、さまざまな誤配と誤解を生み、多くの騒動の契機となり、きわめて政治的な言語になり、多くの象徴闘争(特に、2002年頃から顕在化する、「男女共同参画」「フェミニズム」「ジェンダー論」へのバックラッシュ現象)に関わっていくことになった。
本稿では、その言説史を詳細にまとめるとともに、その背景についていくつかの考察を加えていきたい。
続き:[[1-2 東京女性財団のパンフレットと報告書 >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/15.html]]
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2007-10-31T23:26:04+09:0011938407640-3 研究の背景
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前:[[バックラッシュの定義について >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/11.html]]
**研究の背景
2000年前後より、メディア上では「ジェンダーフリー」や「男女共同参画」に対する批判的言説が量産された。その言説の担い手は主に保守系のメディアであるが、(講演、勉強会、ミニコミなどの)ローカルメディアからマスメディア、そしてネットなどの個人メディアを媒介として多くの「普通の市民」達の間にも「ジェンダーフリー」「男女共同参画」(という言葉の元に収斂されたイメージとしての「フェミニズム」一般)への否定的イメージが浸透していき、各方面にてクレイム申し立ての応酬が行われ、「社会問題として構築」(スペクター&キッセ)されていった。
その結果、2006年頃の日本では、実際にジェンダーフリー運動に関わっていたフェミニストは一部であるものの、フェミニストと言えば「過激な」「行き過ぎた」という枕詞とセットになったジェンダーフリー論者として想起されやすいという状況となっていた((このような視点に立ってこれまでに発行された書籍には、日本女性学会・ジェンダー研究会編『Q&A 男女共同参画/ジェンダーフリー・バッシング―バックラッシュへの徹底反論』(明石書店、2006)、若桑みどりほか『「ジェンダー」の危機を超える!―徹底討論!バックラッシュ』(青弓社、2006)、木村涼子編『ジェンダーフリー・トラブル』(現代書館、2005年)、浅井春夫ほか『ジェンダー/セクシュアリティの教育を創る』(明石書店、2006年)、奥山和弘『ジェンダーフリーの復権』(新風舎、2005年)、浅井春夫ほか『ジェンダーフリー・性教育バッシング―ここが知りたい50のQ&A』(大月書店、2003)などがあり、その他リベラル寄りの雑誌やフェミニズム系の冊子などでも同様の特集が多く組まれた。))。このような現象について「フェミニズム」は「フェミニズムへのバックラッシュ」と認識し、応答を加えながらコミュニケーションを展開していた。その応答に共通するスタンスは、バッシング現象への認識を深め、共有したうえで、ジェンダー概念や男女共同施策、いくつかの教育方法や理念などを擁護するというものであるといえるだろう。
現在、フェミニズムはバックラッシュをどのように「理解」しているのだろう。フェミニズム辞典『The Women's Movement Today: An Encyclopedia of Third-wave Feminism』(Leslie Heywood編、Greenwood Pub Group、2005)において、バックラッシュは次のように解説されている。
> Sir Isaac Newton's famous Third Law of Motion states that "for every action there is an equal and opposite reaction." This is precisely the process described by the term "backlash," which denotes a counteraction not against physical forces but against social or political events. The word took on a specifically feminist slant with the publication of Susan Faludi's book, Backlash, in 1992.The main thrust of her argument is that feminism has become the victim or its own success, since the immense social changes it has instigated are being attacked by a reactionary, or conservative. counter-ideology.
また、『岩波女性学事典』(岩波書店、2002)において、「バックラッシュ」は次のように解説されている。
> 一定の影響力を得たフェミニズムへの巻き返し、逆流の現象。スーザン・ファルーディは、1970年代から一定の進展を見せてきたフェミニズムに対して80年代に現れたさまざまな反動について『バックラッシュ』(92年、邦訳94年)で論じた。それらは、性別秩序の変動期に生じうるさまざまな問題に加え、レーガンおよびブッシュ共和党政権の新自由主義政策の歪みから生じる問題まで、すべてフェミニズムの進展のせいだと宣伝し、攻撃するものだった。日本では、80年代にセクシュアル・ハラスメントの問題化に対するマスメディアの反発が現れた。90年代、長期不況になると、少子化、核家族の揺らぎ、子どもたちの社会化の欠落、男性が社会的に抱えている問題などの原因をフェミニズムに帰する言説や、慰安婦問題を否認する歴史修正主義的言説が現れ、一定の影響力を獲得しつつある。(細谷実)
これらフェミニズムのバックラッシュ観に大きな影響を与えているもの、あるいはかようなバックラッシュ観において重要な参照元となっているのは、ファルーディの『バックラッシュ 逆襲される女たち』(新潮社、1994)である。同書における論述スタイルは、メディア上に浮遊する女性像に対する「誤った」統計やラベリングを元に行われる、「女性が誤った道に進んだのは『フェミニズム』の仕業である」と主張するバッシング言説を列挙しながら、その「不当性」を批判するというものだ。それは、一言で言えば「批判者を嗤い、濡れ衣を乾かす」とするスタンスともいえるが、この系譜立ておよび「解説」からも伺えるように、現在のバックラッシュ研究およびフェミニズムに関する議論においては、「運動」としてはバックラッシュに対しては「守り」に入る一方で、「保守」言説の批判的考察の枠を超えたバックラッシュの機能分析およびバックラッシュの背景の分析、あるいはバックラッシュ以後のフェミニズム理論およびメディア戦術の見直し、および学問的考察と吟味は現時点では積極的、十分には行われていない。特に、フェミニズムのコミュニケーションにとってバックラッシュとして観察される「現象としてのバックラッシュ」が、どのような背景と社会的機能を持っているのかという視点からはほとんど論じられていない。
そこで本稿は、これらの論点について考察するため、「はじめに」で述べたような方法論を用いて記述と分析を行う。筆者はメディア研究、コミュニケーション研究、および流言飛語研究の一環として「バックラッシュ」をサンプルとして取り上げているが、本稿がひとつの言説史として今後、メディア論や流言飛語研究の枠を超えた、様々な分野における研究の一助となれば幸いと考えている。
続き:[[1-1 「ジェンダーフリー」と「男女共同参画」の言説史 >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/14.html]]
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2007-10-31T23:24:18+09:0011938406580-2 バックラッシュの定義について
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前:[[0-1 はじめに(このサイトについて) >http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/20.html]]
**0-2 バックラッシュの定義について
このwiki(以下、本稿に統一)で取り扱う「バックラッシュ」について、まずは定義する。
バックラッシュとは通常、あるコミュニケーション の指向性にとって逆流として働く現象を総称して用いられる。『Longman Web Dictionary』 、『Oxford Advanced Learner's Dictionary』 、『Cambridge Dictionaries Online』 、『Encarta® World English Dictionary, North American Edition』 において、「backlash」はそれぞれ次のように定義されている。
>a strong negative reaction by a number of people against recent events, especially against political or social developments.
>
>a strong negative reaction by a large number of people, for example to sth that has recently changed in society: The government is facing an angry backlash from voters over the new tax.
>
>a strong feeling among a group of people in reaction to a tendency or recent events in society or politics:
>the Sixties backlash against bourgeois materialism
>the backlash against feminism
>
>1. strong reaction: a strong adverse reaction among a group of people to an event, development, or trend, especially one that benefits another group
>2. violent backward movement: a sudden violent backward jerking movement, e.g. when a cable breaks under strain
>3. mechanical engineering recoil between machine parts: a jarring recoil that sometimes occurs when worn or badly fitting parts of a mechanism come together
>4. mechanical engineering play between machine parts: excessive play between adjacent parts in a mechanism such as a set of gears, usually as a result of the parts being worn or badly fitted
>5. fishing twisted fishing line: a tangle in a fishing line wound on a reel
辞書ごとに説明が異なる部分もあるが、概ね「政治、社会、文化の進展を進めるような出来事やモードに対する、集団的で大きな反発の現象」というような意味で用いられている。日本語では、似たような言葉に「反動」(保守-反動)があるが、「反動」は、『広辞苑 第五版(電子辞書版)』(岩波書店、1998)において次のように解説されている。
>はん-どう【反動】(reaction)
>1.一つの物体が他の物体に作用を及ぼすとき、反作用をうけてその物体自身の運動状態が変化すること。ゆりかえし。
>2.ある動きに対して生じる反対の動き。「好景気の―がこわい」
>3.歴史の潮流に逆行して、進歩をはばもうとすること。
特に政治をめぐる言説実践においては、「革新」に対する「反動」として、「3」の意味で否定的なニュアンスと共に用いられることが多い。「バックラッシュ」という言葉もまた、「3」の意味でラベリング的に用いられることも多いため、本稿では「バックラッシュ」を「反動」とは差異化し、(1)(「ジェンダーフリー」と、それに対する批判や反発という)異なるコミュニケーションが交錯することで生じる、(2)(内面や政治的スタンスではなく)集団的な分極化によってもたらされる「現象」を指す言葉として用いる 。
「バックラッシュ」は政治的な「揺り戻し現象」一般を指して用いる事が多いが、類似の言葉「スウィングバック」(振り子現象)が二元論的な政治的選択対象の(例えば米政治における共和党と民主党の間のような)往復運動を指して用いられるのに対し、バックラッシュはある思想や運動、文化、コミュニケーションの指向性に対する「反(アンチ)」のリアクションの総体――そのうちの観察、記述可能なもの――を指して用いられるため、「揺り戻し」や「スウィングバック」とも差異化して用いる。
「バックラッシュ」という呼び方自体は、ある特定のコミュニケーションを進めようとする立場から一元的に観察したものである。バックラッシュを受けたシステムは、その反応について吟味・言及・レスポンスしながら、自らのコミュニケーションをさらに駆動させるための動機付けとして組み込んでいく。その仕方は、コミュニケーションのタイプによって異なるため、「保守」言説の推進から観察して「革新」言説の高まりがバックラッシュとして機能することもありうる。
ある「抵抗」が「バックラッシュ」として観察されるには、そのコミュニケーションにとって観察可能、記述可能な状態でなければならない。また、仮にバックラッシュを起こした要因が複合的なものであったとしても、そのコミュニケーションにとって「バックラッシュ」として認識されない場合は、その他の「要因」は「バックラッシュ」として扱われない。「バックラッシュ」として観察された現象の要因自体は複雑で多元的であったとしても(例えば経済、文化、政治、法、外交など、様々な問題含んでいたとしても)、コミュニケーションは観察としての「バックラッシュ」を独自の仕方でコミュニケーションへと導入していく。
このような理由により、「現象としてのバックラッシュ(バックラッシュ一般)」(本稿では括弧なしのバックラッシュ)と「観察としてのバックラッシュ(フェミニズムへにより観察される批判言説への瞬間的な高まり)」(本稿では括弧のついたバックラッシュ)とは区別する。
続き:[[0-3 研究の背景>http://www12.atwiki.jp/seijotcp/pages/12.html]]へ
2007-10-31T23:21:27+09:001193840487