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2-5-4 「ジェンダー論の嘘」の構築

 「ジェンダーフリー」バッシングは、次第に「ジェンダー」概念自体のバッシングへと重ねられていく。特に2002年以降、各エビデンスの強調によるネームコーリングが繰り返される一方で、ジェンダー論自体が似非科学であり理論的根拠はない、あるいはジェンダーという言葉自体に政治的意図があり危険であるというタイプのクレイム実践が大きく展開されていく。但し、理論的細部の検討よりも、『ラディカルに語れば…』(平凡社、2001)における大沢真理や上野千鶴子の「失言」 やジェンダー理論について触れたワンフレーズから数パラグラフ を元に、「男女共同参画基本法」の「隠れた意図」を指摘しつつ、「保守の油断」を「反省」しながら「反撃」 をうながすような言説が多く、その分かりやすさゆえに衆目を集めていった。また、「ジェンダー」概念の背景には共産主義や革命思想が蠢いているとする定義パターンも継続されていた。

 そんななか、「ジェンダー概念の嘘」の論拠として急ピッチで構築されていったパターンとして、『ブレンダと呼ばれた少年』を用いたものが登場する。その経緯は小山エミ「『ブレンダと呼ばれた少年』をめぐる保守言説の迷走」(『バックラッシュ!』双風舎、2006)に詳しい。小山はその経緯について、次のようにまとめている。

 1966年、カナダ・ウィニペグ。生後8ヶ月の双子の一人、ブルース・ライマーの包茎手術中に器具が不動作を起こし、ブルースのペニスは破損される。ブルースの将来を心配した両親は、当時著名な性科学者としてテレビ番組などで活躍していた心理学者ジョン・マネーに相談し、かれの勧めでブルースに性転換手術をほどこし女児として育てることを決意する。マネーの理論では、新生児は生後しばらくのあいだ性心理的に中立であり、適切な性器形成手術や思春期以降のホルモン療法をほどこすことによって元の性別とは関わりなく男の子として育てることも女の子として育てることも可能であるとされていたのだ。しかしブレンダと名前を変更されて育てられたブルースは、誰に教えられることもなく「女性」であることを拒絶し、十代半ばでデイヴィッドと名乗る男性として生きることを選択する。これが一般に「双子の症例」と呼ばれる事件のごく簡単な─そして表面的な─あらましだ。

間違った性科学と医療に翻弄されたデイヴィッド・ライマーの個人史を綴ったジョン・コラピント著「ブレンダと呼ばれた少年」(原題「As Nature Made Him」=自然の作ったままに)は、発売とともに米国でベストセラーとなり、またペニスの形成が不十分とされた男児に対する医療方針について医学界に再考を促すなど、大きな衝撃を与えた。しかし、日本では2000年の邦訳発売の翌年に出版元の無名舍の親会社が出版事業から撤退したため早々と絶版となり、その後2004年5月にデイヴィッドが自殺するという事件があったにも関わらず国内では大きな話題にはならなかった。

その「ブレンダ」が日本で一躍注目を浴びるのは、「新しい歴史教科書をつくる会」関係者や保守系言論誌「正論」などが中心となって「ジェンダーフリー」教育やフェミニズムに対するバッシングを激化させるようになってからだ。かれらは、「双子の症例」はフェミニストや男女共同参画行政による「ジェンダー=社会的・文化的に形成された性差」という論理の虚構を暴くものであるとして、マネーの理論が崩壊したいまジェンダー論は全面的に見直されるべきだと主張した。

 ここでまず確認しておきたいのは、マネーが問題としていたのは現在「ジェンダー・アイデンティティ=性自認」と呼ばれるものであり(社会学習論)、現在のジェンダー論(社会構築主義)とは別であるということだ。上野千鶴子の『差異の政治学』(岩波、2002.2)における「ジェンダー」をめぐる歴史記述の部分にマネーが登場することから 、マネーが現在のジェンダー概念においても重要人物であると見なしたのだろう。実際は構築主義と「氏か育ちか」の議論は別であり、ジェンダー論全体がマネーの理論に「依拠」しているわけでもなければ、「双子の症例」によって「氏か育ちか」に決着がついたというわけでもない。それにもかかわらず、「マネー=ジェンダー論の拠り所=実験の失敗=フェミニズムの嘘」といった「一点突破」型の論法が強調されていく 。

 詳細な通時的分析は小山論文において行われているため、ここではそのおおまかな流れのみ整理しておこう。2003年5月、中川八洋『これがジェンダー・フリーの正体だ』において、「アメリカのマネーらが一九七〇年代初頭、ジェンダーという言葉を別の概念として使い、広めたものです。日本のフェミニストがつかうジェンダーという概念は、主としてこのマネーが書いたものです」と言及されているものの、「双子の症例」に関しては言及されていない。一方、同月発売の『正論』2003年6月号においては、「双子の症例」に関連してジェンダーフリーについて批判を行うものが掲載された。しかし、この頃既に『差異の政治学』を用いたクレイム構築ははじまっていたものの、クレイム申し立て全体からは「双子の症例」は重要な焦点としては扱われておらず、『ラディカルに語れば・・・』に見る「上野千鶴子の本音」の方が重要視されていた。

 情況は2004年後半から徐々に変わっていく。2004年9月14日『世界日報』は「迷走する「男女共同参画社会」(31)第四部 ジェンダー論の系譜 1 狂気のマネーの性転換手術」を掲載。15日には「迷走する「男女共同参画社会」(32)第四部 ジェンダー論の系譜 2 「ブレンダ」失敗で理論破綻 女性学、いまだにマネーが有力根拠」、16日には「迷走する「男女共同参画社会」(33) ジェンダー論の系譜 父権制打倒を唱えたミレット「性的に男性が女性を支配」説く」、17日には「迷走する「男女共同参画社会」(34) 虚構重ねた80年代の学説 ジェンダーがセックスに先行」を掲載するなど、立て続けに「双子の症例」について言及する。以後、「脳の構造で幼児期から性差 人間総合科学大学教授 新井 康允氏に聞く」(2004.9.22)に掲載された脳科学者・新井康允とのインタビューにおいて「双子の症例」についてインタビュアーが質問するなど、間接的にも取り上げていくことになる。

 『世界日報』のクレイムメイクが伝播したのか、日本製作研究センターが発行する『明日への選択』(2004年12月号)や、『日本時事評論』などの冊子でも取り上げられだす。また、『正論』(05年2月号)で八木秀次が「嘘から始まったジェンダーフリー」を掲載。ジェンダー論はマネーの学説に依拠しているが、「双子の症例」の失敗が明らかになった以上ジェンダー論はウソだと暴かれた、ジェンダー論に基づいている男女共同参画政策は見直されるべきだと主張した。八木論文の内容自体はこれまで『世界日報』や『明日への選択』が行ってきたものの反復といえるが、大澤や上野ら著名フェミニストはマネーの理論に依拠しており、それらはすべて一冊で否定されたとする議論の平易さと、当時「つくる会」の会長であり、要所でこの論文に触れるという実践などから、この論文が最も影響力を持つことになる。なお、八木は2005年1月23日に行われた、「つくる会第27回シンポジウム『国民の油断~ジェンダーフリー・領土・教科書~』」では、「教科書を攻撃し、ジェンダーフリーの旗を振る人は同じである。今日の3つのテーマは地下ですべてつながっている。男女共同参画は国連女子差別撤廃条約が元だが、アメリカの左翼が国連に入り条約を作っている。千葉市の男女共同参画パンフレットでは、性差が無い生物カタツムリを象徴的に描いている。各自治体では性差を否定したテキストを配り、同色のトイレ表示を行っている」と発言しつつ、『ブレンダ』に言及している 。

 2005年2月16日、『世界日報』に「政府のジェンダー定義は誤り マネー理論崩したM・ダイアモンド博士(ハワイ大学)に聞く」が掲載され、マネー理論を批判的に検証したダイアモンドに対してインタビューの誘導を行いつつ「上野千鶴子氏は、自分の主義主張を宣伝するために、利用できることは何でも利用しようとしている。正直ではない」と発言させる 。

 2005年2月18日には、東京都議会文教委員会にて古賀としあきが「今まで私、こういう議論でいろいろなことを紹介してまいりましたけれども、ジェンダーフリーの論拠となっているものの一つに、マネーという人がいるのです。アメリカの性科学者。この人は、男の子でも、女の子として育てれば女の子になるという実験をしたということで、非常に注目を集めた人です。日本でいえば昭和四十二年ごろに、男性性器の手術をやって、それに失敗をして、このマネーという科学者が、その男子を女の子として養育するように説得をして、それを実践したという一つの実験をやったわけです。これがジェンダーフリー論者にとっては好都合の理論だったわけですよ。男の子でも、女の子として育てていけば、男ではない、女の子になるのだということを実験して成功したという事例を科学者が発表したわけですから、これは社会的、文化的に形成された性別というものを、その概念をより強化するためにはもってこいの理論であったわけですけれども、実はこれは失敗したんですね、この実験は。それは余り知られていないのですけれども、その後、子どもさんは、十四歳でちゃんと男の子の名前で、男の子として認定をされて、結婚までしているのです。ところがそのことは余り議論されていない。いまだにこのマネー理論というのが幅をきかせているという実態があります」と言及。(…)先ほどのマネー氏の実験というのが、実際は書かれているような内容ではなかった。つまり、女の子として育てれば、男の子でも女の子になることはないのだということを証明した大学教授もいるわけです。それは、有名な、皆さんももうご存じだと思いますけれども、「ブレンダと呼ばれた少年」という本で出ています。だから、今、ジェンダーフリーの人たちも、こいのぼりは否定しないとか、ひな祭りは否定した覚えはないのだとか、一時女性財団がつくったジェンダーチェックというのにいろいろ掲げたようなことは、もう表向きはいわなくなっているのですけれども、こういう思想的な背景、根拠が崩れても、なおかつまだ先ほど申しましたように--条例の制定時であるとか、学校現場ではこういう事例があるということを、ひとつ皆さんにも承知しておいてもらいたいと思うのです」と発言し、八木らによる『ブレンダ』に対する定義を反復する。

 『世界日報』や『新・国民の油断』などのメディアが繰り返し『ブレンダと呼ばれた少年』(無名舎)を「ジェンダー論の虚構を暴く」本として紹介し、「この翻訳はどういう経緯か、すぐに絶版になります。そのため古本がずいぶん高い値段で流通している状態です。(…)どうも出版界に不当な圧力が加わっているようなのです」(『新・国民の油断』における八木秀次の発言)、「ベストセラーになったにもかかわらず、日本で二〇〇〇年に出版された邦訳の方は翌年、なぜか絶版となっていた」(『世界日報』2005.2.26)などとアナウンスしたことを受け 、「復刊ドットコム」にリクエストが集まる。リクエストをする際にはコメントを寄せるシステムになっている「復刊ドットコム」には、「現在のジェンダーフリー理論の源流となるため」「『正論』2005.02号所載の八木論文を読み」「フェミニストによるジェンダーフリーなる妄説の押し付けが、何と役所や学校を通して国民に行われており、この妄説がいかに非科学的で愚かなものであるかを本書が実例をもって明確に示してくれているから」「フェミニストが信奉しているジョン・マネーによる「育て方で性が替えられる」という狂気の実験、その欺瞞ぶりが暴かれている、貴重な著作だと聞いています。是非復刊をお願いします」「新聞の特集記事を読み、是非読んでみたいと思ったが、すでに絶版になっていると知り、復刊して欲しいと思った」「「新・国民の油断」を読んでジェンダーフリーという狂気の思想を知りました」などの定義パターンの反復が観測される。

 主な火付け役となった『世界日報』も、「『ブレンダと呼ばれた少年』ネット上で復刊望む声高まる「復刊ドットコム」交渉開始を表明」(2005.02.26)とする記事を掲載し、間接的にリクエストを呼びかける。リクエストが規定の人数に達し、「交渉開始」されると、扶桑社が版権を獲得した。産経新聞は4月11日朝刊社会面にて、「ジェンダーフリーの虚構暴露 『ブレンダと呼ばれた少年』復刊 来月にも」と言及するなど、「ジェンダーフリー」への否定的言説と共に本書を紹介する。3月23日付けの「SAPIO」における「ジェンダーフリー狂騒曲」と題した特集に八木と並んで評論家の呉智英が寄稿し、「女性解放思想に取り憑かれた吉外科学者による恐怖の人体実験」を暴いた書として絶版中の「ブレンダと呼ばれた少年」を紹介した。5月には扶桑社より発売されるが、無名舍版と比べ、扶桑社版ではサブタイトルや帯の文句 が変更され、訳者あとがきが書き換えられたうえ、「ジェンダーフリーの『嘘』を暴いた本書の意義」と題する八木秀次による「解説」が追加されている 。

 2005年5月14日、「人づくり県民ネットワーク 平成17年度総会 国民の油断 教育とジェンダーフリーを考える 忍び寄るジェンダーフリー、家族破壊教育、偏向教育子供たちを守るために、いま私たちがすべきこと」にて、山谷えり子が「『ジェンダーフリー』は和製英語であり、『男女平等』とは全く関係はありません。昔、反体制運動がはやっていたころ、アメリカのジョン・マネーという学者が男性器を傷つけてしまったデイビットという男の子をブレンダと名づけ、女の子として育てました。それをもとに『いかに女という存在は作られたものに過ぎないか』という論文を書きましたが、実はこれは大失敗だったのです。かわいそうに、ブレンダと名づけられてその男の人は最後は自殺してしまったのです。失敗例をあたかも成功例のように吹聴したのです。いまでもこの考えが残っていて、『男であること、女であることは作られたものに過ぎない』という考えを広めようとしている人が学校や行政にいます。『桃太郎も役割分担だから駄目』『桃から生まれた桃子ちゃんが平和に話し合いで解決しました』なんてお話を作ってやっています(笑)。私は「女らしさ」は恵みだと思っております」と言及。このほか、様々な論者が講演会やシンポジウムなどで『ブレンダ』について言及したと見られる。

 2005年6月19日、山谷えり子が産経新聞朝刊に「ジェンダーの根本は何か」と題する書評を掲載。「今、日本の教育現場では男女の区別は差別のはじまりとされ、ジェンダーフリー(性差否定)運動がすすめられている。本書は、こうしたジェンダー学の理論的支えになった米国の性科学者の学説が、実は根拠のないものだったことを示す米国でベストセラーとなったノンフィクションである(…)国会議員の間でも話題になっている。現在三割ほどの大学などで女性学、ジェンダー学が必修化されているが、本書がそもそも“ジェンダー”とは何かを根本的にとらえ直すきっかけとなることを期待する」と記述。復刊された『ブレンダ』に対し、Amazon.comのカスタマーレビューには「日本のフェミニスト達はその後も「ジェンダーフリーが嘘から始まった」事実を黙殺し続けています」「八木秀次先生の解説には涙を誘うものがある。 天賦のものである性を、人智で弄ろうとしたマネーの論説がいかにおかしかったが良く判る。それを根拠にしている日本の男女共同参画推進者、男女機会均等至上主義者、フェミニストの言説は、この書籍を持って破壊され、廃墟と化したのは間違いなかろう!」「八木秀次氏を始め保守系の識者の方々が仰っているように、 この「性器・性交教育」とも言うべき「過激な性教育」や「ジェンダーフリー教育」は「日本の子供達の人格を異常なものに改造するため」の左派の人達による革命戦術の一種です」などのコメントが寄せられた。

 かように、「ジェンダー」概念をめぐるクレイムは、その出自が「マッドサイエンティストの人体実験」 という「捏造事件」によるものであることが「暴かれた」現在、「ジェンダー(フリー)は嘘から始まった」ため、「男女共同参画政策の抜本的見直しを迫られる」、という定義パターンを「捏造」 していくこととなる。「過激な性教育」や「同室着替え」同様、議論はスキャンダリズムによる動員に重きを置くようになっていく。

 類似ケースとして、「脳科学が性差を証明している」とするものが挙げられよう。「ジェンダー概念は科学的ではないと既に証明された」というフレーズを反復することによって、その内実に踏み込まずとも「良識の勝利」を掲げられるというわけだ。一方で、『性差は生まれつき」であり、「生得的な違いに根ざした文化的な性差を制度化することによって」メリットが生まれるため、「人類は男女の区別を教え込むための文化的な仕掛けをいろいろに発達させてきた」。特に「男女の文化が分かれて発達した日本の文化は、じつは最も進んだ洗練された文化」であり、「男女文化の区別がある日本のような型が最も発達した姿」であるため、そのように「男女の区別を科学的に正しく教え、そのうえで両性の分業と協力の正しいあり方について考えさせる教育」が重要であると説かれるケースもある 。「科学」というワンフレーズによって相手を論駁し、正当性を主張するというものだが 、このパターンは「ジェンダーフリー」批判以前より繰り返し行われており、「脳科学」のところに流行のテーマが代入されている。

 だが、「脳科学」のケースでは、その成果や還元の仕方の議論をすることで「ジェンダーの価値付け」に議題が設定されていたのに対し、『ブレンダ』のケースは、スキャンダル=過剰性の列挙によって「批判対象の誤り」を指摘するという「バックラッシュのための議論」に限定されている。こうした「バックラッシュ」のスタンスを端的に象徴するのが、八木秀次の『国民の思想』(PHP研究所、2005)だ。八木はあとがきにおいて、次のように書いている。

 「日本」とは何か。それは単なる地理的な概念ではない。「日本」とは少なくとも二千年の歴史を持った文化的な概念である。この二千年の間に培われた美しい日本語、そこに住む人々の無駄のない立ち居振る舞い、正直で勤勉な国民性、深い美意識、手先の器用さ、温和な性質、宗教と渾然一体となった日常生活、天皇を戴く政治体制などなど、諸々のものを含んだ総合体、これが「日本」である。
 (…)今日のわが国が直面する問題、例えば、深刻化する少子化、それに伴う保険・年金財政の破綻、学力低下や学級崩壊など教育の荒廃、凶悪化する少年犯罪 、「ニート」の増大 、離婚率の上昇、性道徳の乱れ、家族の崩壊、政界の腐敗、経済界の拝金主義、公務員の綱紀の乱れ、はたまた、近隣諸国との間の首相や閣僚の靖国神社参拝問題、歴史教科書問題、等々、これらの問題の背景にあるのは”縦軸の哲学”の欠如である。

 八木は同書において、「文化マルキスト」という「害虫」のせいで「清らかで美しかった」日本が「音を立てて崩れている」と主張したうえで、「縦軸の思想」という「国民の精神的な姿勢」によって「日本は再生する」と説いている。ここで用いられているのは、批判対象の失点=スキャンダルの列挙(構築)という身振りによって自己の正当性を高めるという手法である。