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2-5-3 「過激な性教育」の構築

 フェミニズムに対して「フリーセックスを望む運動」とする批判パターンは90年代以前に既に繰り返されており、夫婦別姓批判においても「恋愛至上主義=フリーセックス」という定義パターンが反復されていた 。一方、ジェンダーフリーバッシングにおいては、「過激な性教育が広がっている」という定義と共に、「実例」を基に反復されるケースが多く観察される。とりわけ、「ジェンダーフリー」を「フリーセックスの実現を目論むもの」として定義した上で批判するものが多い。繰り返された定義パターンには、「過激な性教育」の「実例」として、「ピル推奨本」「セックス人形」「性器の名前を連呼させる授業」などが挙げられる。それぞれがどのように構築されていったのかを記述していこう。

 2001年、母子衛星研究会編『思春期のためのラブ&ボディーBOOK』が作成される。この冊子の作成経緯は次のようなものだ 。

 この冊子は、「性行動の低年齢化、加速化、それに伴う人工妊娠中絶や性感染症の急増など、不測の事態を危惧した厚生省(現厚生労働省)は、これらの課題を解決するための具体的な施策として、思春期の男女本人が携帯し、活用することを前提としたハンドブックを作成し配布することを計画しました。これを受けて「女性健康手帳(仮称)検討委員会」が設置され、二〇〇〇年八月、「思春期の性と健康に関するハンドブックの作成について」の報告書が提出されました。
 親しみやすい名称、キャッチコピー、イラストや写真を多用した、わかりやすい解説など、具体的な校正と内容が示された報告書に基づいて、『ラブ&ボディBOOK』(B6版33頁)を作成し、二〇〇二年4月二〇日付け、地方公共団体(自治体)の母子保健担当および教育委員会学校保健担当宛に配布通知があり、教育現場への無償配布が行われました。

 それに対し、2002年5月14日、「三重県いのちを尊重する会」が「フリーセックスの助長」として三重県教育委員会および三重県知事、母子衛生研究会、坂口力厚生労働大臣等に電話やFAXで抗議を行い、産経新聞や朝日新聞などで取り上げられる。その二週間後、5月29日に山谷えり子が参議院文部科学委員会において、『思春期のためのラブ&ボディーBOOK』に触れつつ、「ジェンダーフリー教育や、あるいは性や家族、多様性と自立ということを余りにも前面に出して、年齢による発達段階、成熟度合いを無視したような、ある種の文化破壊であったり、ある場合は生き方破壊」「セックスが命をはぐくむ営みだという、重く神聖なものという視点が非常に欠けた書き方をしております」「胎児の染色体異常がふえる傾向」や「環境ホルモン」などの「副作用」がある、と言及する。これらの定義は既に「三重いのちを尊重する会」が抗議を行う際に用いていた定義づけの反復である。また、製薬会社の「支援金」を受けてつくられた「結託」であるという定義もこの頃から開始された。答弁の際、山谷は「例えば三重県では、母親たちが学校教育課長に意見を言いに行って、文書で回答するということだそうで、まだ回答はもらっていないらしいんですが、長崎でもお母さんたちが、やはりこんなものを配ってほしくないと言っている」と述べていることから、両者の間の何らかの「接触」によって定義づけの共有が行われていると推測することができる。

 山谷の答弁が行われた翌日の30日、産経新聞は「中学生にピルのススメ!?」と報道。その後、石川県や熊本県などの市民団体が、「中学生では妊娠したら解決できないから、避妊するためにピルが必要だという、ピルを推奨するかのような構成がおかしいし、血栓症になる危険性があるなど、デメリットが記されていない」などの抗議を展開。各自治体で『ラブ&ボディBOOK』を巡る抗議の動きが連鎖的に広がっていく。その間、「WHOにて使用禁止されている」 「中絶を容認している」「性交を奨励している」 「援助交際を許容している」 という定義づけも、この頃に加えられていく。

 2002年6月27日、民主党78議員が「行き過ぎたジェンダーフリー教育や性教育から子どもたちを守る」ために「健全な教育を考える会」が発足。代表幹事の山谷えり子は、2002年11月4日の世界日報で、山本彰記者のインタビューに次のように答えている。

――民主党議員七十八人で、今夏発足させた「健全な教育を考える会」のビジョンは。
 この会は、人はいかに生きるべきか、美しい生き方とは何かという、子どもたちが健全に育つための教育の在り方を責任をもって追求しようとの趣旨でつくられた。学力低下とともに、倫理や価値の体系の喪失で、現代の子どもが生きる意味を奪っていることに対処すべきだと思われるからだ。
 まず、この会が問題にしたのは、「新子育て支援――未来を育てる基本のき」という文部科学省委嘱で作成されたジェンダーフリー教育の小冊子だった。雛(ひな)祭りや鯉(こい)のぼりを否定したり、こういう名前は女の子、男の子ならこういう名前と決めつけてはいけないなどと指摘する内容で、日本人の美意識とか宗教的情操を否定するようなものだった。そういうものを配っていいのかという疑問があった。
 次に問題にしたのが、厚生労働省の外郭団体・(財)母子衛生研究会が作成した『思春期のためのラブ&ボディBOOK』だった。体への悪影響を考えないで中学生にピルによる避妊を奨励していて問題が多く、国会で取り上げ絶版・回収となった。
 多様性、個人の自由、自己決定権拡大を認めるのが時代の進歩という考えの下に、教育現場でこんなことが起こっているのかという危機感を「健全な教育を考える会」の議員は皆持つようになっている。

 6月28日、産経新聞はこの会議の発足を報道。『ラブ&ボディBOOK』についても言及する。6月29日には「『ピル冊子』作成に製薬8社が支援金」掲載、7月2日の「主張『ピル冊子』中学生にここまで必要か」では「性の自己決定権」を与えるのは「時期尚早である。中学生の場合、まず親や先生に相談すべきではないか 。小冊子には、性器のサイズなどに関する興味本位的な記述もある。しかし、多くの中学生は性行為に関して、それほど十分な知識をもっているとは思えない。いたずらに性行為への興味をあおるような内容は、学校では不適切である」と記述。7月6日づけの「産経抄」にて、『ラブ&ボディBOOK』について「ピルというのは常用しなければ役に立たず、常用とは性行為の日常化のこと。これはフリーセックスの勧めだろう」と記述。7月8日には、「【解答乱麻】明星大教授高橋史朗 性教育から商業主義排せ」を掲載、高橋は「ピルのメリットだけを強調し、服用には子供の生命にかかわる副作用があること、ピルが環境ホルモンであることを記述していないが、これでは子供が誤った理解をし、ピルの安易な使用を促す危険性がある」と記述する。これらの論点は、7月19日以降の『日本時事評論』など、多くの媒体で反復される。

 2002年8月6日、『ラブ&ボディBOOK』は回収および追加資料の配布という措置がとられる。その後、様々なメディアがこのパンフレットに言及。世界日報は18日、「学校配布、今後は認めません 厚労省系“性交奨励”本で方針」と報道。その際はこの「回収」に、新たな定義が加えられていくこととなる。

 その後も、『ラブ&ボディBOOK』への批判は「ピル冊子」および「フリーセックスの推奨」という定義と共に広がっていった。11月1日、山谷えり子は「中学生にピルを勧める、あるいはフリーセックスをあおるような内容の「思春期のためのラブ&ボディBOOK」、保護者も大変に反対いたしまして、波紋が広がって回収というようなことにもなったわけでございまして」と発言。世界日報は2002年11月9日「過激性教育冊子「ラブ&ボディ」-相模原市が回収決定」にて、山谷発言から「ような」をとった形となる「衆院文部科学委員会で一日、民主党・山谷えり子委員が、『フリーセックスを奨励するなど内容に問題があるのに、また配布の動きがある』とし、問題がきちんと総括されていないと追及。これに対して、遠山敦子・文部科学大臣は「問題ある資料は直ちに回収すべきだ」と明快な答弁を行った」として記述。2日にも「性交渉を煽る中学生向け性教育冊子」と記述する。11月21日には、山谷のほか、馳浩が「小冊子の全部回収の行政指導をすべきであると強く主張」する。そこでは、リプロダクティブライツの早計、ピルの副作用のほか、「同性愛に関して誤解を与える」(同性愛を認める)という定義が加えられている。

 このクレイム申し立て実践の背後には、「包括的性教育/禁欲教育」というスタンスの違いが大きな影響を持っている。一般に、「包括的性教育」は性の自己決定権を認めつつ、自己コントロールを適切に行うための性知識を与えるという立場をとり、「禁欲教育」は、自己決定権は認めず、性の情報から極力遠ざけるという立場をとりやすい。両者は概ね「適切な時期までは性交をしないほうが望ましい」「望まない性交を避けるための対処法を伝達する」という点で共通している部分が多いものの、その「対処法」および現状認識をめぐって対立することが多い。

 同冊子には「ピル冊子」「フリーセックスを助長」という定義が広がるとともに、回収措置に関連して「避妊教育ではなく道徳教育を」とする主張が反復されることとなる。世界日報は教義の関係もあり、「純潔教育」を一貫して主張しているが、産経新聞などの保守メディア、多くの保守論者もまた、道徳教育の必要性を主張することとなる。

 10月8日、山谷えり子は世界日報「禁欲教える価値観こそ必要」にて、「性は神秘的なもので、むしろ相手の人生に責任を持とうとすれば我慢しなければいけないという、もう一つの価値観を教えないといけない」と言及。11月に出版された八木秀次編『教育黒書』(PHP研究所)に収められている渡邊殻「驚愕!戦慄!フェミニストたちの“過激変更性教育”」は、『ラブ&ボディBOOK』を批判しつつ、「(10台の人工妊娠中絶などの増加の)原因は、道徳教育の不足なのである。アメリカはそのことに気づき、「人格教育」なる道徳教育によって、自己抑制を教えるようになったのである。(…)この「ひどい貧しさ」から子供達を救うのは、繰り返して言うが、性教育ではない。それは、人を思いやる心、節制、生命の尊重、父母祖父母への敬愛の念を教える道徳教育なのである」と結んでいる。

 2002年11月01日、衆議院文部科学委員会にて山谷えり子は『ラブ&ボディBOOK』に言及しつつ、アメリカの成功例について発言 。12月、産経新聞は「米国で禁欲主義教育広がる」という記事を掲載。28日には「性道徳の指導を抜きに、避妊の知識と技術を教えるだけの“コンドーム教育”も全国に広がっている」と記述。以降、「アメリカでは純潔教育が成功」 「アメリカではフェミニズムの害毒に目覚めた」というような定義パターンとセットが反復される 。

 2003年1月には『週刊新潮』が「ポルノまがいといって差し支えない性教育」と報道。高橋史朗、山谷えり子らのコメントを掲載する。「性のみだれ」を「避妊教育」の結果として位置づける言説も加わっていく。かように「左派を嗤う」に終始する『週刊新潮』などのスタンスと「道徳教育」の主張を加えていく保守メディアとは微妙に異なるものの、事後的な言説の定義づけによって一定の影響力を持っている。

 『ラブ&ボディBOOK』への批判が報道されるにつれ、「過激な性教育」の批判に様々なパターンが見られだす。2002年12月11日の東京都議会第14回定例会にて、自民党の川井しげおは「国立市立国立第五小学校において、性教育にかかわって非常識な授業が行われていた」「一年生の生活科の授業で、心と体の学習として、男女の生殖器の具体的な名称や働きを説明するとともに、いわゆる男女の区別が明確でない性をあらわすインターセックスなどについても取り上げていたことが明らかに」なった、「しかも、この学習の理解を深める資料として、覚せい剤所持で逮捕された歌手の歌まで、学年便りに掲載してい」たと指摘。また「子どもの成長の段階を考慮しないこのような性教育は、子どもの健やかな成長にとって有害であるばかりでなく、公立学校の信用を失墜させる」「一部左翼分子グループが意図的にやっているとするならば、断じて放置しておくわけにはいかない」と述べた。横山洋吉教育長は、こうした認識をおおかた認める答弁をした。

 また、『産経新聞』2003年2月23日付の「《主張》性教育 児童に過激な内容は慎め」は、この質問を直接的あるいは間接的に受けたか、「小学一年生に性器の名称を教えるなど過激な性教育が次々と明らかになった」と書き出される。「性器の名称を教える」授業のほか、小学五年生の理科のテストで「性交について出題した」こと、小学六年生に「性器が映った無修整の出産シーンが入ったビデオを見せた」授業を「問題」とし、「援助交際」や「性感染症の拡大」が「小学校からの過激な性教育と無関係ではない」と論じたのち、最後に「感染症の予防と安易な性行為に走らないための道徳指導も忘れてはならない。」と結ぶ。

 先ほど引用した世界日報による山谷えり子のインタビューにもあるとおり、『ラブ&ボディBOOK』が話題になる一方で、『未来を育てる基本のき――新子育て支援』もほぼ同時期に問題化されていた。これらへの批判言説の中、「ジェンダーフリー」と「過激な性教育」とが結び付けられていく。『ラブ&ボディBOOK』自体はジェンダーフリーに関わる記述は見受けられないものの、以後「行き過ぎたジェンダーフリー」と「過激な性教育」という言葉のハブ的役目を果たす場面も見受けられる 。また、「行き過ぎたジェンダーフリー」と「過激な性教育」を結びつける「合理化」の言説もこの頃から創作されていく。

 例えば、『日本の息吹』2002年10月号「行政に食い込む『ジェンダーフリー』思想のもたらす恐るべき実態」、11月号「共産主義社会を目指す『ジェンダーフリー』」にて、新田均が『ラブ&ボディBOOK』をジェンダーフリー実践の一例としてとりあげる。そこでは「性教育」と「ジェンダーフリー」の因果関係について、次のような説明がなされている。

 「ジェンダーフリー=フェミニズム」思想から見れば、結婚や家庭は人間にとって最も大切な性交渉の自由に反し、認められないものなのだと前回書いた。この理屈を裏返せば、「フリーセックスこそ人権の根幹だ」ということになる。したがって、最近は高校生の四割前後がセックスを経験し、未成年者の中絶が増加しているという事実を前にすると、道徳教育の強化によって未成年者の性行動を抑えようとするのではなく、安全なセックスの方法を教えようという短絡的な議論が幅をきかせることになる。

 2003年1月15日には、「男女共同参画を考える会」(自由民主党千葉県支部連合会主催)の講演にて、高橋史朗が次のように述べる 。

 実は性教育とジェンダーフリーということが根っこでつながっているわけであります。そして急進的性教育が男女共同参画ジェンダーフリーという追い風を受けて、どんどんどんどん広がっている。これが今日の日本の姿であります。その背景に何があるかということも少しお話をしておいた方がいいと思うんですが、ジェンダーフリーということは二つのコンセプトが中心であります。一つは今日、長谷川先生がこんこんとお説きいただいたジェンダーとは何かという。もう一つのキーコンセプトはセクシュアリティ(sexuality)というコンセプト、これもご年輩の方は何のことだと、セクシュアリティというのは意味がお分かりにならないかもしれませんが、よく性現象というふうに訳す、これは非常に珍妙なわけなんですが、性的欲望というものが自然的、生物的でないかのごとく思わせる。
 これはフーコーという方がいまして、この方がいわばジェンダーフリーのバイブルになっている「知への意志」という本を書いている。その中でこう言っているんです。セクシュアリティとは、フランス語だからセクシュアリティというのは英語の発音ですけれども、快楽と身体、つまり「ラブアンドボディ」であると。この二つが性的欲望の装置に対抗する反撃の拠点なんだと。性愛と生殖とは全く関係ないのに、国家が人口を必要としたことから、家族と生殖に直結するように男女間の性愛が正常とみる考えが権力によって知とされたにすぎないと。ちょっと難しい言葉の表現ですが、簡単に言えばゲイとかレズというものを否とする力、これを是とする知に転倒しなければならないと、こういう考え方ですね。つまり生殖というものをリプロダクティブ、再生産、生殖するということを否定した性的要望のみが正しいというのがこのフーコーという方の基本的な考え方です。これがこのセクシュアリティということの根底にありまして、例えば大澤真理さんに言及しますと、彼女のフェミニズムって何だろうという日本評論社の本がありますが、こういうふうに彼女は言っていますね。
 レズビアンという言葉も・・・途中を省略しますが・・・異性間の性交のみを普通で、男と女の性交だけが普通だと。普通で正常で自然であるとする制度化された偏見に閉じ込められた不幸な歴史の産物と言えるだろうと、こう言っているわけですね。なぜ両性具有ということが出てくるかといえば、それはカタツムリ、どこかの男女共同参画の象徴になりましたけれども、カタツムリというものは両性具有、人間はカタツムリと違って両性具有同士が結婚して出産したということはありません。私が言うまでもないことでございますが、その二つの性器を持つ両性具有、これは0.0005%だと、私は読んだんですけれども、それを子供たちに教えようということの、なぜそんなことが性教育に出てくるかという背景にはそういう考え方があるということであります。
 つまり日本型のフェミニズムというものの根本には非常に非科学的なジェンダー仮説というものをねつ造して、そしてそのジェンダーを解体する、あるいは社会秩序を解体しようという、そういうことを目指している革命運動というものが実はあって、表面は男女平等、男女共同参画という非常にソフトな美しいスローガンで、そのこと自体に私どもは反対するわけではありませんが、しかし、実はそれは男女の区別とか、家庭とか家族の解体を目指している。
 つまりジェンダーフリーというものと急進的な性教育は同じ穴のムジナであって、それはある意味で革命戦略の一環であります。男女平等、男女共同参画という隠れ蓑の下で、本当に狙っていることはそういう秩序の解体と。その真意をしっかりと踏まえた上で、そうならないような男女共同参画社会の条例を作っていくことが今求められていることであります。

 また、中川八洋は『これがジェンダーフリーの正体だ!』の中で次のように言及する。

 ―(ジェンダーフリーの)そうした過激な実践が、セクシュアリティという言葉を葵の御紋にして、すでに学校でなされているわけですね。
 中川 教科書にセクシュアリティという言葉が入っているというだけの話ではありません。昨年、厚生労働省所管の母子衛星研究会が作った『思春期のためのラブ&ボディBOOK』という性教育の教材が、ピルを推奨したり、中学生もセックスをするという前提で作られているということで、国会で問題となりました。このタイトルの「ラブ&ボディ」は、フーコーの「快楽と身体」を訳したものです。人間とは男も女も単なる身体にすぎず、身体は快楽を得るための道具なのだから快楽さえ得られればいいと言う狂人フーコーに従っての狂説「ラブ&ボディ」が、正常な人格形成の場である教育に侵入しているのは、日本の学校教育が子供たちを精神(人格)異常者に育成する狂気に暴走していることにほかなりません。
 つまり、日本人全員を完全にセックス・サイボーグみたいにする教育が、高校はむろん日本の中学校ですら実行されようとしているのです。
 ― 男性性や女性性を抹殺するジェンダー・フリーという考え方の背景に、このフーコーの理論の影響が大というわけですね。
 中川 ジェンダーという言葉は、アメリカやヨーロッパのフェミニズムの用語の一つであるのは事実ですが、「ジェンダー・フリー」という言葉は日本だけのものです。「ジェンダー・フリー」という言葉は、日本のフェミニストがフーコーの理論などを援用して作った“日本語”です。
 人間の人格の正常性を破壊してしまうジェンダー・フリーという言葉は、世界のいかなるラディカルなフェミニストたちすら思いつかなかった。その意味で、ジェンダー・フリーとは、日本のフェミニストたちのどす黒い狂気からの産物ですし、その狂気の類例のない異常さを示すものです。自らのこうした狂気を「真理」と狂信して、人間を非人間に改造する運動がジェンダー・フリーです。これからの日本人の正常な人格を破壊することに拠って、日本を滅亡させることが「ジェンダー・フリー」を実践する日本のフェミニストたちの目的なのです。許してはならない悪魔的な犯罪です。

 さらに、八木秀次は、「小学生に「セックス!」と連呼させコンドーム装着実習までやらせる仰天現場」(『sapio』、2005.3.23)にて次のように書く。

 ジェンダーフリー思想の柱は大きく分けて2つある。第一に「本来、男女の生物学的な違いは曖昧で、社会的・文化的につくり出されるのが性差であり、その性差そのものを解消する」というもの。男女を区別することさえ禁じ、「自分は男なのか、女なのか」という意識を捨て去った人間で構成される社会を目指している。第二に「女性は女らしさを払拭して、性に関して大胆になりなさい」というものだ。
 常識で考えれば、このような考え方を素直に受け入れられる人は少ない。しかし、特定のイデオロギーをもつ集団の手で、この異形の思想が学校教育や行政の現場に侵食しているのである。(傍線引用者)

 これら「行き過ぎたジェンダーフリー」と「過激な性教育」が「根っこでつながっている」とする言説実践を経て、「ジェンダーフリーは過激な性教育を行うもの」という定義が広がっていく。各「合理化」の際に生じる矛盾点も、「破綻した論理に頼る左翼のオカシサ」として回収していくことで棚上げされていき、推進力が確保される。ジェンダーフリーを「過激な性教育」として批判する定義はかようにして、2002年までの間に『ラブ&ボディBOOK』を中心に築かれたが、2003年には、教材「スージー&フレッド」等を中心に定義が構築されていく。

 産経新聞が2月23日付の「《主張》性教育 児童に過激な内容は慎め」にて、「性器の名称を教える」「性交について出題した」「性器が映った無修整の出産シーンが入ったビデオを見せた」と記述、7月2日付の「『性的虐待アニメビデオ』で性教育」という記事にて、「都内の公立小中学校や養護学校で計十一件の不適切な性教育が行われていたこと」、「事態を重く見た都教育庁は近く調査に乗り出す方針」と記述するなど、いくつかの論点が加えられる。

 7月2日の東京都議会定例会にて、土居たかゆきは、「最近の性教育は、口に出す、文字に書くことがはばかられるほど、内容が先鋭化し、世間の常識とはかけ離れたものとなっています」と質問し、「せっくすのえほん」「からだのうた」 「スージーとフレッド」を紹介。「切教材配置の実態を含めて、問題が指摘された学校については至急、他の学校については順次調査をすべきと考えますが、見解を伺います」「三百二十人いる指導主事の活用を図り、都教委が直接、あるいは区市町村教育委員会と協力して、教員を直接指導する必要があると考えます」「他にも不適切図書、教材が存在していると考えますが、第一に調査、第二に廃棄処分とすべきと考えますが、見解を伺います。同時に、教材購入、自主教材の使用に当たって、チェック体制を確立すべきと考えますが、見解を伺います」と言及。この質問に答えて、石原慎太郎東京都知事は、「挙げられた事例どれを見ても、あきれ果てるような事態が堆積している。(…)そういう異常な信念を持って、異常な指導をする先生というのは、どこかで大きな勘違いをしているんじゃないかと思う」と言及。横山洋吉教育長は、「からだのうた」について、「ご指摘の歌の内容は、とても人前で読むことがはばかられるものでございまして、男女の性器の名称が、児童の障害の程度や発達段階への配慮を欠いて使用されている、極めて不適切な教材でございます」と言及。

 これらの発言が行われた2日後、東京都立七生養護学校に古賀俊昭、田代ひろし、土屋たかゆきの各都議会議員、町田の大西宣也市議、日野の渡辺眞市議、杉並の松浦芳子区議達と、東京都教委、産経新聞の記者達計17名が「調査」に入る。渡部眞、「具体的でないと分からないというなら、セックスもやらせるのか。体験を積ませて学ばせるやり方は共産主義の考え方だ」と発言。翌5日、産経新聞が「まるでアダルトショップのよう」と言及。9日には都教育委員会が「事情聴取」を行い、性教育についての教材145点を押収。

 7月23日、日本の家庭を守る地方議員の会(代表、古賀俊昭、副代表、土屋たかゆき、田代ひろし)が都議会議事堂にて「不適切な性教育教材展示会」を開催。翌24日、産経新聞が「不適切な性教材公開」と報道。

 8月28日、東京都教育委員会定例会会議録にて委員より「これは目的が違うはずです。組織的な犯罪です。これは性教育というものを持ち込んで、男らしさ、女らしさということを否定するという、今はやりの男女共同参画ということの名をかりたジェンダーフリーの徹底したイデオロギーです。そのことの一番大きなもとは、男女混合名簿の作成にあったわけです。ここが一番最初のスタートなんですね。しかし、今、男女混合名簿と言ってはいけないので、女男混合名簿と言わないといけないということになったようですけれども、これがおおもとです。そのことは指導部は知っているはずです」と言及。

 『正論』9月号にて古賀俊昭、土屋たかゆきの連盟で「ここまできた性教育 アダルトグッズが乱舞する教室」を掲載。9月には都立養護学校の教員の大量処分がなされる(22校の校長、教頭、教員計102名を減給あるいは戒告、厳重注意処分。但し、性教育の実践内容については処分なし)。

12月15日、日本の家庭を守る地方議員の会と東京都の教育正常化を願う父母の会、「過激人権侵害性教育を許さない!都民集会」共催。渡部眞、公式HPにて「都教委が主体的に例のビデオ放送に関与 したものたちを処分すればよいのです。カルトとも言うべき彼らの変態性教育の犠牲者をこれ以上増やしては不可ません」と記述(2004年2月26日)。

 「からだうた」や「スージーとフレッド」などの「セックス人形」は、養護学校で使われている知的障がいのある生徒向けの教材であり 、「ジェンダーフリー」とはほとんど関連付けられていないものであったが、性教育一般が「過激」になっている、それを「ジェンダーフリー」思想が推進しているという定義づけの論拠として繰り返し使用されていく。『Sapio』2005年3月23日号では、七生擁護学校への「調査」の際に野牧雅子が撮影した写真が掲載され、「ジェンダーフリー推進派が力を入れる過激な性教育。性器のついた人形は小学生向けの教材だ」「コンドームの装着実習用教材。対象が小学校低学年から。このほか、男性性器模型と注射器を組み合わせ牛乳が飛ぶ仕掛けになっている。『射精』を教えるものなど、信じがたい教材が多くの学校で使われている」とのキャプションがつけられており、「ジェンダーフリー」に対するクレイム申し立てを誘導するミスリーダブルなものになっている。

 この『Sapio』の記事は象徴的だ。いくつもの「過激な」例を列挙した後、「イデオロギーに捉われたジェンダーフリー推進派が家庭・国家の解体を夢見るのは勝手だが、その目的の犠牲になるのは未来ある子供たちである。ジェンダーフリー教育を、断じて、このまま野放しにするわけにはいかない」と括られる。『基本のき』に見られたようなケースを元に性教育の方法論や、縮減すべきジェンダーバイアス、残すべきジェンダーバイアスの価値判断に関する議論ではなく、誇張や修辞によって批判対象の「過激さ」を誇張することで批判言説の推進力を高めつつ、一点突破的に対象全体を否定するという言説パターンだ。

 2003年以後、ジェンダーフリーおよび過激な性教育への定義パターンに、「性器の呼称授業」「からだほぐし体操」「混合体育」などが加えられ、反復されていくが、これらの定義においても「だから批判対象は間違っている/だから自分達の介入が必要である」という一点突破が行われる。

 このような主張の前提として、「マルクス主義」などの「起源」や「理念」、あるいは「失言」を持ち出し、「過激になるのは必然(だから真逆の選択が正当化される)」という排中律的な論理展開がしばしば見受けられる。その議論の矛先は、やがて「ジェンダー」概念へと向けられていく。