※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。


2-2 「バックラッシュ」の起源と広がり

 「ジェンダーフリー」「男女共同参画」への批判は、遅くとも1998年から1999年の春頃にはローカルな媒体などを通じて徐々に行われていた。山口県に本部を持つ日本時事評論社の発行している『日本時事評論』は、98年1月1日の時点で「日教組に加入している教員が、性差をなくす(ジェンダーフリー)教育を展開しているのもこの一環だ」という表現を用い、男女混合名簿を批判している。日本会議の機関紙『日本の息吹』の「平成11年4月号」(保守系のメディアは西暦ではなく年号を用いるものが多い)には「男女共同参画基本法案の非常識 「男女平等」で人は幸福になれるか」という記事が掲載されている(書き手は久保田信之学習院女子大学教授、当時)。記事のキャプションには、「夫婦別姓、ジェンダー・フリーなど推進してきた家族解体、社会解体運動の新たな一手、男女共同参画基本法案。その問題点とは何か―。家裁現場十年の実績者が語る「男女平等」の悲劇」と書かれている。また、1998年11月12日には、東京都文教委員会にて古賀俊昭都議(当時)がジェンダーフリーおよび日本女性財団、「男女混合名簿」に批判的な質疑を行っている。

 以後、日本会議(1997年に設立、全国9ブロック47都道府県に組織をもつ日本最大の保守系組織)の『日本の息吹』(約2万5千部)、日本政策センター(1984年に設立された保守系シンクタンク)の『明日への選択』(約3000部)、『日本時事評論』(保守系の仏教団体「新生佛教」の会員や社会への啓蒙活動の一環として発行されている。約3万部)、『国民新聞』(国民新聞社、自称5万部)、『世論』(日本世論の会、約3000部)などの保守団体の会報などで徐々に触れられていく。各冊子は、会員に配布されるほか、熱心な会員がコピーして戸別配布を行ったり街頭で配布したり 、勉強会にてロジックを共有するためのレジュメに用いたりするケースも多い。また、記事のレポートや読者投稿欄の白熱ぶりなどから、男女共同参画批判などをテーマにした講演会や集会がこの頃から徐々に行われつつあったことが伺える。

 産経新聞、『諸君!』(ex:「山口県大泉知事の恐るべき思想を糾す! ファシズム化するフェミニズム」)、『正論』(ex:「家族はもういらないのか」(2000年3月号)、「フェミニズムにひた走る地方自治体の危機 男女共同参画なんてカルトじゃないか」(2000年12月号))などの保守メディアも、2000年前後から「男女共同参画」に対する批判的な記事に取り組みだす。但し、各メディアは2002年頃まで、「ジェンダーフリー」よりはむしろ、「夫婦別姓」の問題を主眼に置き、男女雇用機会均等法批判の延長線上において批判を展開していた。この頃、「女性問題」に関連する社会問題構築のためのクレイム申し立てとして好んで用いられていたのは、「ジェンダーフリー」ではなく「夫婦別姓」や「男女雇用機会均等法」「セクシュアルハラスメント」等の問題であった。しかし、情況は2002年頃から大きく変化する。

 男女共同基本計画が2000年12月に閣議決定され、2001年にはフェミニズム寄りの論者が「男女共同参画」に関する議論を展開する一方、各地で条例の策定に関わる議論が進んでいく。「ジェンダーフリー」も啓発用の用語として言及される機会が増えた。この頃から、男女共同参画基本計画(第二次)が閣議決定されたのが2005年12月までの間は、おもに「ジェンダーフリー教育」と「男女共同参画」を標的にしたバックラッシュが一部のメディアで熱をおびだす。

 たとえば「統一教会」(世界基督教統一神霊協会)系の新聞、世界日報は2002年5月20日に「教育現場に浸透する『ジェンダー・フリー』」という記事を掲載して以降、ジェンダーフリー・バッシングの特集を行う。その特集記事は、後に数冊の小冊子 や、書籍 にまとめられた。また、産経新聞は、2002年4月14日の一面トップにて、ジェンダーフリーに批判的な記事を掲載して以降、社説や識者コラムなどでも関連ニュースを繰り返し批判的に取りあげる(例えば日本政策センターの小冊子、『これがジェンダー・フリーの正体だ』を2003年6月23日、7月7日の二度に渡って紹介するなど、他の保守系メディアに呼応することも多々見受けられる)。あるいは、産経新聞社のオピニオン雑誌『正論』(公称10万部)も、2000年ごろには既に男女共同参画批判の論文を断続的に掲載していたが、2002年5月号以降は、ほぼ毎号のようにジェンダーフリーなどへのネガティブ・キャンペーンを展開した。

 ジェンダーバッシングを展開する宗教団体としては、統一教会のほか、キリストの幕屋が有名であり、しばしば男女共同参画に関わるシンポジウムや保守系の集会に「動員」される模様が観測される 。また、日本会議に親和性の高い宗教団体として、神道政治連盟、国柱会、仏所護念会、霊友会、成長の家、神社本庁、モラロジー研究所、念法眞教、生長の家、神道青年会など多くが指摘されている 。

 ジェンダーフリーや男女共同参画、ときには男女平等自体をバッシングする本も多く出版され、TVでも何度か取りあげられた。ウェブ上にもそれらの言説に啓発されたブログやホームページ、掲示板での書き込みなどが数多く見うけられ、数多くのメーリングリスト、メールマガジンにおいても議題として採用されていき、例えば「反フェミニズム通信」(300部前後)、「「日本国の刷新・再生」―21世紀研究会―(読者参加型)」(1200部前後)、「ひのまるなび」(500部前後)など、百~数千単位の読者登録数を持つメールマガジンが、少なくとも百件以上「男女共同参画」「ジェンダーフリー」等に否定的な言及をしていく 。

 当時最も注目を集めていた保守団体「新しい歴史教科書をつくる会」は2001年8月15日、中学校教科書の採択結果発表を迎える。結果は歴史の採択率は0.039%、公民は0.055%。つくる会もまた2002年頃からジェンダーフリー問題に熱心に取り組み出す。斎藤美奈子はその変遷を「ポスト歴史教科書問題」(『物は言いよう』、平凡社、2004)と名づけた。

 上野陽子・小熊英二『〈癒し〉のナショナリズム草の根保守運動の実証 研究』 (慶応義塾大学出版会、2003年)では、上野陽子が担当したエスノグラフィーにおいて、次のように書かれている。

 採択の結果が思わしくなかったことなどを受けて、「つくる会」では、どんどん「運動支持派」層が脱会している。「運動推進派」の担い手が宗教団体「キリストの幕屋」の信者たちに移り変わりつつある。教科書採択、というフィールドではもはや限界がある、と見切った「運動支持派」は興味の矛先を「夫婦別姓問題」にシフトしている。
O氏(28)はアンケートにこのようにコメントしている。
「私にとって「歴史」はすでにメインテーマではありません。これからは夫婦別姓とフェミニズムです。(2002年1月29日)」
T氏(44)も次のように述べる。
「保守系は「活動家」が少なく、ほとんどは一般人です。「つくる会」の会員も、(自分も含め)大部分は心情的な支援者で、「活動まではちょっと・・」という方がほとんどでしょう。そのような方を上手く組織化して、抵抗感の少ない形で運動に参加してもらうように誘導していくことが、今後必要と思います。(2002年2月20日)」

 草の根保守運動の言説は、社会不安に対して特定の「(外)敵=的」を名指し続けることで、「生活感覚」の保守、および「憂国」コミュニケーションの継続を担保するという機能を持つ(4章)。以後詳述するように、2002年頃まではフェミニズム、男女共同参画、ジェンダー概念などに対する批判的言説は様々な個別の論点(夫婦別姓、セクシャルハラスメント、アファーマティブアクションの是非など)に分かれていたが、2002年頃より、それまでの個別に批判されていた問題が「ジェンダーフリー」「男女共同参画」の名の下に一挙に収斂されていく。その変化は突如として起こったものではなく、2001年までの段階で、後に構築されることになる論点のほとんどは準備されつくしていた。それら「ジェンダーフリー」のイメージが実際のフェミニスト、男女共同参画批判の動機付け、「敵=的」のイメージとして採用されることで、バックラッシュが拡大していく。

 それらの言説実践に平行し、争点として構築された「男女共同参画」をめぐって各地条例案をめぐって攻防が展開される。国政でも「ジェンダーフリー」「男女共同参画」に関する答弁が、保守メディアの定義パターンを踏襲した形で展開される。また、自民党が「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」(以後自民党PT)を設置、男女共同参画基本法に対する批判を展開するなど、文字通りの政治的な焦点として位置づけられていく。