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1-6 「ジェンダー主流化」の時代

 かような状況において、1990年代日本に「ジェンダー」という概念が特別な意味を付与されつつあったのは偶然ではない。ライフスタイルを巡るポリティクスの場において、「ジェンダー」という言葉、および「ジェンダーフリー」という言葉が選択されたのは、男女相互の内部にさえトライブ(部族)の分化、不透明性の拡大が生じている中、万人にとって共通の議題の構築について吟味できるという期待があったのだろう。「ジェンダーフリー」を推進あるいは擁護する言説には、東京女性財団の報告書の記述にも顕著なように、これまでの「男女平等」では「特性論」あるいは「内なる差別」の問題を超えられず、これまでの女性運動では不足だった側面を「ジェンダー」という概念、フレーズによって「乗り越える」という姿勢が繰り返し主張された。それは「バックラッシュ」以後においてさらに反復され、強調されていく。これは、ジェンダーという概念によってフェミニズム運動の象徴性と動員力の回復を目論む期待があったがゆえに、バックラッシュ以後において「敵」に対する動員の手段として、なおいっそう「ジェンダー」という言葉の擁護が繰り返されたのだと読み取ることも可能だろう。

 90年代頃より、「ジェンダー」という論点が急速に構築されていき、大学などで「女性学」や「フェミニズム」ではなく「ジェンダースタディーズ」の冠をつけた書籍や授業カリキュラムの登場、書籍や行政用語で「ジェンダー」という用語が頻出していくこととなる。また、上野千鶴子『差異の政治学』(岩波書店、2002)、江原由美子編『ワードマップ フェミニズム』(新曜社、1997)など、著名フェミニストがフェミニズムの歴史を描く際、いかにして学問や運動が「ジェンダー」概念を獲得していくまでの歴史であったか、という史観に基づくような記述が多く見られるようになる。2006年に報告された、竹村和子、上野千鶴子、江原由美子、大沢真理、加藤秀一ら著名フェミニストが参加した「日本学術会議 学術とジェンダー委員会対外報告 ジェンダー視点が拓く学術と社会の未来」などにもその傾向は顕著であることから、「ジェンダー史観」の主流化というべき現象は大きな影響力を持っているとみていいだろう。

 「ジェンダー史観」が語られる際、「ジェンダーフリー」というフレーズが顔を覗かせる機会もいくつか観察できるようになる。例えば江原由美子は、『フェミニズムのパラドックス 定着による拡散』(勁草書房、2000)のまえがきに次のように記している。

 女性問題やジェンダー問題を主な仕事とするようになってからもうかなりになる。なのに、最近「ジェンダーは怖い」とますます実感するようになった。
 なぜ「怖い」のか。「考えつくす」ということがないのだ。「考え抜いた」つもりになっていてあとから振り返ると、「考え」が根拠としていたその「底」が不確かなものであることがわかったりする。自分の使用している概念や言葉、あるいは判断基準そのもの、ジェンダー・バイアスに気づいたりする。しかし「考えている」時は「考え抜いた」つもりになっているから、変に自信を持ってしまっていて、よけいにたちが悪い。つまり、「男女平等」や「ジェンダー・フリー」の実現のために主張しているつもりになっている自分自身が、ジェンダー・バイアスあるいは男女という固定的性別観を再生産することにつながる実践を行ってしまっていたりするのである。

 フェミニズムにとって「ジェンダー」が議題の中心におかれる傍ら、「ジェンダー・フリー」という語が「ジェンダー=縮減すべきもの」という理解を踏まえてスローガンとして用いられる。但し、その際のジェンダーフリー概念は、「性差別のない状態」という意味以上の新たな意味づけなどはほとんど見受けられない。

 「ジェンダー」がフェミニズムにとって学術的な重要性を付与させられていく一方、「ジェンダー主流化」という言葉が、行政とフェミニズムの関係について語る際の重要なキーワードとして語られるようになる。ジェンダー主流化とは、「ジェンダー平等の視点を全ての政策・施策・事業の企画立案段階から組み込んでいくことをいい、その視点に立って計画・実施・モニタリング・評価を行う過程」 であるとされている。政策のあらゆる場面に「ジェンダー平等」の施策の実地を求めるという視点からみれば、男女共同参画基本法は一つの成果といえる。一方、制度やアカデミズム上での「主流化(メインストリーミング)」の「成果」は、ジェンダー概念に基づく議論のブラシュアップ以外の効果をも生む。より正確に言えば、論点が「ジェンダー」概念周辺にカスケードしていくこと、および「ジェンダー」が「権威」として定着していくことによって、当初の「意図」とは異なる様々な効果(フェミニズム運動の失われた10年)を生むことになる。それは、一言で言えば「<ジェンダー>概念によるクレイム申し立て」へのカスケードが、その仕方によって「<ジェンダー>概念へのクレイム申し立て」を招くということでもあった。その流れについては、これから記述する「ジェンダーフリー」をめぐる騒動の模様から観察することができるだろう。