1-2 東京女性財団のパンフレットと報告書

 まず「ジェンダーフリー」という言葉の「起源」を見てみよう。後に係争の中心におかれ、社会問題の構築の契機として機能する「ジェンダーフリー」という言葉が日本において最初に使われたのは、1995年、東京女性財団*1のパンフレット「Gender Free」およびそのプロジェクト報告書においてであるとされる。1995年3月に発行された東京女性財団による報告書「ジェンダー・フリーな教育のために」は、3名の教育学者、深谷和子、田中統治、田村毅によって作成された。当時の肩書きは、それぞれ東京学芸大学教育学部教授、筑波大学教育学系助教授、東京学芸大学教育学部助教授である。
 プロジェクト報告書の一章には、まず次のように書かれている。

「ジェンダー・バイアスの是正に向けて」
  戦後50年を経た今、諸外国同様に、日本でも法律上の不平等など制度的な男女間の不平等は次第に解消され、目に見える形での男女差別は大きく減少した。結果として男女の間に不公平感が減ったことは、「生まれ変わるとしたら、今度は男性に生まれたいか、女性に生まれたいか」という社会調査の中での、性役割受容度に関連したデータにも、よく現れている。戦後すぐと現在と比べると、社会調査に現れた、自己の性別とその役割を受容する女性の役割は大きく増加している。
  しかし、長い歴史の中で、支配-被支配、優位-劣位の関係にあった男性と女性の関係は、制度的な平等が進められたからと言って、一挙に解消したわけではない。労働市場や家庭、学校、マスメディアなどの諸領域に目を向けると、目に見えない形で、男女や女性の自由な生き方を圧迫している文化や慣習が見受けられる。そしてこうした現状に問題を感じながらも、こうした文化を受容しようとし、また同様な慣習に適応しようとしている人びとの姿がある。今後は、こうした不平等を支える「人の心」の問題に迫ることが、これからの大きな問題であろう。
  このように、両性の生き方を不自由にしているような文化的側面を、「ジェンダー・バイアス」と言う言葉で呼ぶとしよう。ジェンダー・バイアスとは性別に伴うステレオタイプで、いわばわれわれが祖先から代々受け継いできた文化の1部である。これらは全ての人の成長過程で継続的に刷り込まれ、心の奥底に、また習慣や態度や価値観として、現在もしっかりと共有されている。人の態度の修正は、いずれの側面でも簡単ではないとされるが、とりわけジェンダー観の是正は難しいもののひとつである。なぜならこれは、一人の人間の中の態度や価値の問題に留まらず、男女の相互の幸福感に関わるテーマだからである。
  仮に少し前の、われわれの親世代では決して珍しくない光景であった、夫が妻を「オイ」と呼び、妻がそれを受け入れている夫婦を考えてみる。この夫婦間に多くの側面で対等でない人間関係があったとしても、もし彼らがそうした関係の中で相互に十分な幸福感を持ち合っていたとすれば、「この夫婦は平等でない」と他人が苦情を言うのは、ある意味でお節介と言うものだろう。
  しかし、その夫婦に子どもがいれば、事情は変わってくる。親たち夫婦の男女のあり方は、子どものジェンダー形成のモデルとなり、それがジェンダーの再生産装置として子どもに働くからである。さらに将来、その子どもが成人して作る家庭で、次の子ども世代のジェンダー観をも形作る可能性をも否定できない。とすれば、そうした夫婦の優位-劣位関係を、自分たちの個人的な問題として済ますことはできないであろう。
  しかしジェンダーの再生産装置の機能は、家庭以上に、学校がもっている。社会の中で、文化の維持や再生産機能を担う機関として作られている学校は、当然男女の役割関係やそれにともなう価値観をも子どもに伝達する。学校は、その社会の文化の中で、「いちばんいいもの」を選択して子どもに与える。しかし、後で述べるように、学校は「いちばんいい文化」として選ばれた(精選された)教材を、子どもに学習させるだけではない。「見えないカリキュラム」と呼ばれるような「陰の文化」が、教師の行動や教材を通じて、無意図的に子どもに伝達される。
  教師は見える部分で男女差別を教えることはしないが、生徒に指導をする際に、自分の中にあるジェンダー・バイアスから完全に逃れることはできない。無意識のうちに、もはや過去のものとなった価値観や態度を子どもに伝達し、子どもの意識や態度の形成に影響してゆくことは、近年の女性学研究の中でも、数多く指摘されている。
  したがって今後は、わが国でも教員の養成過程や初任者研修、また中堅現職の研修機会に、ジェンダー問題をめぐって、児童に適切な指導ができるような教育プログラムが積極的に開発され、実地されるようになることが、ぜひとも必要であろう。

 このようなプロローグを受け、この報告書では次の4つのねらいを実現するための教育プログラムを提案していく。4つのねらいとは、(1)ジェンダー問題の存在に気づくこと、(2)自分の中にあるジェンダー・バイアスを発見すること、(3)自分の中のジェンダー・バイアスを修正しようとする動機をもつこと、(4)ジェンダー・バイアスの修正に向けて、教室での指導技術を工夫する糸口を作ること。同報告書では、これらの目標を達成するために「ジェンダー・フリー」というテーマが必要であるとし、次のように説明を続ける。

  なぜ「ジェンダー・フリー」か
  法律や制度を見ても、形の上での男女平等は次第に整ってきている。
ごく最近の社会的な動きをとってみても、嫡出子と非嫡出子との区別は住民票上から消滅したし、結婚に伴う男女別姓制度も検討されている。しかし職場や家庭内に目を転じれば、そこには性別に限らず、さまざまな地位に伴う役割上の不公平が、文化や慣習の形で十分に残っている。
  こうした不公平は、それに適応して異議を唱えない、または漠然とした不満を感じても、それを意識上にはのぼらせない多くの人々の意識や心のあり方が支えていると考えられる。これをジェンダー・バイアス(性別に関して存在するステレオタイプ)と呼ぶことにしたい。男性と女性の間に何らかの公平でない状況があり、それに適応していることについては、俗に「意識が低い」と言う表現がされるが、それは意識の高低よりも、その人の中でのジェンダー・バイアスに結びつけて理解するほうが適切と思われる。
  そうしたジェンダー・バイアスの修正こそが、性的不平等を是正するために必要であり、それが達成された社会が「ジェンダー・フリー」な社会ではなかろうか。ハンドブックにも記されているように、それが男性も女性も、性別にとらわれず、性別にこだわらず、大きく生きることができる時代の到来を意味している。
  従来用いられてきた「男女平等」は主として制度的側面に用いられる用語であるが、予備調査によれば「ジェンダー・フリー」は、男女平等をもたらすような、人々の意識や態度的側面を指す語として、若い人々にも受け入れられそうである。とくに学校のように、おおむね男女平等な扱いが行き渡っている集団でも、今後は、さらに教師や子どもの意識に踏み込んで、「ジェンダー・フリーな教育」の場であることを目指すべきであろう。

 東京女性財団の「ジェンダー・フリー」は、すでにある程度達成された(という前提の)「制度的側面に用いられる用語」「男女平等」とは別に、「人々の意識や態度的側面」に「踏み込」むための言葉として定義され、「心や文化の問題」として扱うために同語を使うとしている。また、「従来用いられてきた『男女平等』は主として制度的側面に用いられる用語」という記述など、これまで「男女平等」という語に込められてきた女性運動の経緯を単純化したうえで、行政から教育の現場に「踏み込んで」いくことで男女差別の是正をするための《打ち出の小槌》や《魔法の杖》のようなフレーズとして意図されていた。すなわち「ジェンダー・フリー」という言葉は、(1)学校教育を対象に(2)制度面ではなく態度・意識面の問題として(3)それまでの女性運動の歴史を捨象しながら(4)啓蒙的、「教育」的に扱うための(5)行政主導の言葉として、突如として日本に「誕生」した。

 同報告書内ではしばしば「ジェンダー・フェア」「ジェンダー・センシティブ」「ジェンダー・バインド」などの用語が登場する。これらのカタカナ語の羅列から見えてくる同報告書のスタンスは、<ジェンダーチェックなどを通じてジェンダー・バイアスに自覚的(ジェンダー・センシティブ)にし、それらを取り除くことでジェンダー・バインドの状況を脱し、生徒の内面をジェンダー・フリーな状態にすれば、ジェンダー・フェアな教室が実現する>という見取り図として捉えるというものだ。しかし、これらのカタカナ語については、報告書内においてそれぞれ明確に定義されているわけではない。それは「ジェンダー・フリー」でさえ例外ではない。「ジェンダー・フリーのコンセプトですが、一言で言えば、性別にこだわらず、性別にとらわれずに行動すること、でしょうか」「ジェンダー・フリーとは、お互いを大切にし合うこと。これまでの生き方をみつめなおすこと」など曖昧なスローガンは要所にちりばめられているもの、議論の具体的背景、理論的バックボーンが同報告書では不透明だ。

 当時のフェミニズムにおいてすら、これらの言葉や概念が定着していたとは考えられない。こうしたジェンダー観の曖昧さなどから、3人の学者が「フェミニズム」に対してどれほどの知識を持っていたかは不明である。例えばパンフレット「GENDER FREE」では、「70年代以降」「日本ではその運動が、あまり受け入れられませんでしたが」「80年代後半から」「それまで一心不乱に企業社会を支えてきた日本の男性たちは、高度経済成長の終焉と共に、今までの生き方に疑問を持ち始めました。女性が『女らしさ』に縛られていたのと同じように、男性達も『男らしさ』に縛られていないだろうかと、男性もジェンダー問題について考え始めたのです。このようにしてジェンダー問題はだんだんとその裾野を広げ、かつての『女性による女性のための運動』から『女性と男性がいっしょに考えていく問題』に変わってきたとも言えましょう。遅ればせながら、日本の人々も少しずつ変わろうとしています」という独特の歴史感が記される一方、深谷は心理学、田中は教育学、田村は精神医学が専門であり、「ジェンダー・フリー」という概念の背景にあるディシプリンは、1996年度版の報告書「ジェンダー・フリーな教育のためにⅡ」を読む限り、教育と啓蒙効果について古典的な教育社会学を念頭においていることがわかる。報告書では、ウィリス、パーソンズ、シュッツ、ゴッフマン、バーガー=ルックスマンなどの社会学の古典、柴野昌山や森繁男などの日本の教育学者、および欧米の教育学者の論考などが参照されていることが示唆されており、フェミニズムの流れを主に意識して作られたものというわけではないことが伺える。

 「ジェンダー・フリーな教育のため」の一貫として、東京女性財団は「ジェンダー・チェック」という研修用、実践用のチェックリストを作成。ジェンダー・チェックとは、「男が泣くのはみっともないと思うか」「女の子はすなおでなくてはならない」などに○×で答えさせるものや、質問事項に自由記述、あるいは選択回答を行うことによって、調査対象者のジェンダー・バイアスの度合いを測ることで自覚を促すというものである。ジェンダー・チェックの結果は、大抵加点式で表示され、点数が高いほど「ジェンダー・フリー」から遠い状態として表示される仕組みになっており、「ジェンダー=取り去るべきもの・否定するべきもの」という認識に基づいた思想チェックのようにも捉えられる。なお、この時点では、「Gender Free」という啓発用ハンドブックとジェンダー・チェックという研修用テキスト以外に、具体的な方法論は提示されておらず、あくまで試みのひとつとして提示されているに留まっている。但し、その「バイアス」の内容に関しては報告書においては不透明なままであり、また「ジェンダー・チェック」という手法が、果たして「ジェンダー・フリー」の実現にとって有効であり、正当なものであるかの吟味も行われていない。

 その不透明性は、「ジェンダー・フリー」という用語の定義に既にシンプトマティックに現れている。報告書においては、「ジェンダー・フリー」という言葉のについて次のように書かれている。

  ジェンダー・フリー教育の必要性と教師教育
  Ⅰの章で述べたようにジェンダー・フリーは、人々の意識や態度的側面を指す用語である。この用語に関する論文が、最近刊行された論集に収められている。(Houston B, “Should Public Education be Gender Free?”, in Stone, L. ed., The Education Feminism Reader, Routledge 1994, pp.122-134. 参照)。この論文では、ジェンダー・フリーの意味を強いものから弱いものまで、三つに区分している。我々が用いる意味は、第三のジェンダー・バイアスからの自由に近いだろう。論文の筆者は、ジェンダー・センシティブという用語のほうにコミットしているが、それはジェンダー・フリーの戦略上の観点からである。

 ここでは、バーバラ・ヒューストンの論文「公教育はジェンダー・フリーであるべきか?」が参照すべき文献として名指されており、ヒューストンはジェンダー・フリーを擁護するためにあえてジェンダー・センシティブという用語にコミットしている、と紹介されている。しかし、山口智美の「『ジェンダー・フリー』をめぐる混乱の根源」における指摘によれば、そのような理解は完全なる「誤読」であった。

  私は、ヒューストンの原典を読んでみた。そして天地がひっくり返るほど驚いた。彼女は、ジェンダー・フリーは平等教育の達成には不適切なアプローチだと批判し、ジェンダーに敏感になることを意味する「ジェンダー・センシティブ」を薦めていた。これを正しく素直に読む限り、日本語文献によく出てくる「ヒューストン提唱のジェンダー・フリー」は、誤読に基づいていたとしか思えない。
  仰天した私は、ヒューストンさんご本人に確認した。彼女は、やはり「ジェンダー・フリー」ではなく「ジェンダー・センシティブ」を提唱していた。さらに、日本の学者たちがヒューストンの「ジェンダー・フリー」解釈の一つとする「ジェンダー・バイアスからの自由」については、具体的効果がなく弱すぎる解釈だとして関心を示さなかった。ヒューストンは、男女平等の達成には、具体性を欠いたかけ声だけの「ジェンダー・フリ-」は意味がない、ジェンダーに敏感な具体策をたてることが必須である、こう主張しているのだ。
  日本の学者たちは、ヒューストンが個人の意識レベルでの「ジェンダー・バイアスからの自由」という意味でジェンダー・フリーを提唱していると誤読した。そしてジェンダー・フリーの意識啓発こそが目的なのだと解釈した。さらに、原典にしっかり当たらなかったであろう他の学者たちも、この誤読に基づいた解釈をし続けてきたのではないか。(「『ジェンダー・フリー』をめぐる混乱の根源」)

さらに、この「誤読」について山口は、「『ジェンダー・フリー』論争とフェミニズム運動の失われた10年」(『バックラッシュ!』双風舎、2006)において次のように分析している。

 バックラッシュが酷くなるにつれ、バックラッシュ派の「ジェンダー・フリーは和製英語」という主張への対抗として、「アメリカの教育学者が使ってきた」という説がより強調されることになった。だが、そこで出てくる参考文献は、常にヒューストンの「公教育はジェンダー・フリーであるべきか」だった。今に至るまで、私はヒューストン以外で具体的に引用された英語圏の教育学者の名前を見た事がない。
  東京女性財団の報告書は、リンダ・ストーンが編集した、The Education Feminism Reader 『教育フェミニズム読本』 という、学生むけの教育学のリーダー本掲載のヒューストン論文を参照しており、その後に続く本も皆、ストーン編の本に掲載されたものを引用している。だが、実は、この論文は 「公教育はジェンダー・フリーであるべきか」と題したシンポジウムからの抜粋であった 。そして、この際「ジェンダー・フリー」を支持する立場に立ってディベートを行ったのは、日本で引用されてきたヒューストンではなく、トロント大学の教育学者、キャスリン・モーガンという別人であったのだ。だが、なぜかモーガンの論文は日本では一切注目も引用もされずに終っているという、不思議な状況なのである。
  おそらく、東京女性財団プロジェクト関係者が当時発売されて間もなかったThe Education Feminism Readerをたまたま入手、そこに掲載されていたヒューストンの論文を引用したのだろう。そして、その報告書が孫引きされ続けて行ったのか、あるいは原典を他の学者たちも誤読し続けていったのかわからない。だが、唯一はっきりしているのは、引用した学者たちが誰も当論文が発表されたアメリカでの状況の経緯や議論の流れにまったく無関心のまま、原典に立ち返って確認するということを怠ったということである。(「『ジェンダー・フリー』論争とフェミニズム運動の失われた10年」)

 報告書において述べられているバーバラ・ヒューストン=「ジェンダー・フリー」提唱説は「誤読」であり、ヒューストンは「公教育はジェンダー・フリーであるべきか?」という問いに対して「否」と答えている 。

 ところで注目すべきは、この東京女性財団の報告書ですら「我々が用いる意味は、(ヒューストンの言う)第三のジェンダー・バイアスからの自由に近いだろう」「この用語に関する論文が、最近刊行された論集に収められている」(括弧内引用者)と言い回しで、ヒューストンによって権威付けてはいるものの、「ヒューストンが用いているから」という形で理論の拠り所にはしていているわけではないということだ。例えば「ジェンダー・フリー」というカタカナ語について、報告書作成に関わった中心人物の中で唯一の女性である深谷和子は、「もっとジェンダー・フリーな教育を」(千葉県柏市男女共同参画室発行の情報紙「フリートーク」、1996年9月号)というコラムの中で次のように述べているのは象徴的だろう。

ジェンダーフリー…あまり耳にしたことのない言葉だとお思いでしょう。でもこれからは、日本でも欧米同様、誰もが使う言葉になると思います。これまえでの「男女平等」と言う言葉のもつ重苦しさに比べて、からっとした使いやすい言葉だと、どなたもそう言われますから。
今更何をとお思いかもしれませんが、私たちは生まれるとき、男性か女性か、どちらかの性別をもって生まれてきました。でも性別だけが、私達の唯一の特徴ではありません。長女だとか、山田さんちの家族とだとか、春夏小学校の1年生だとか、主夫だとか、母親だとか、母の会の役員だとか…ちょっと思い出してみても、誰もがたくさんの身分をもっています。
但し社会学では、この場合、身分でなくて「地位」という言葉を使います。性別も、誰もがもっている、生まれながらの一つの「地位」です。誰もが、その地位にふさわしい行動をするように、社会から期待されるので、それを「人はその地位に応じて、さまざまな『役割』を身につけていく」、と表現します。
考えてみると、私たちは「性別」以外にさまざまな特徴(地位)をもっていて、性別の違いは、ほんのちょっとの部分でしかありません。それなのに、どなたも、日頃、性別にこだわりすぎて行動していませんか、性別にとらわれすぎて、相手をみていませんか。

ここで議論(権威)の拠り所が「フェミニズム」ではなく「欧米」に置かれていることは重要だろう。これまで引用した「遅ればせながら、日本の人々も少しずつ変わろうとしています」というパンフレットのフレーズのように、パンフレットではカタカナ語や英語を羅列するなど「欧米」のもつ「先進的な」イメージが先行する一方、そのバックグラウンドが不明であるがゆえに(「欧米」でどのように用いられているのかさえ不明である)、フレーズやスタンスのみが浮遊し、理論的背景などについて(再)吟味する足がかりが不透明であることが浮き彫りになる。

 このようなスタンスは、後にジェンダーフリーへのバッシングが顕在化してくるにつれ、多くの学者らによって反復されることとなる。いくつか例をあげよう。例えば亀田温子は「バーバラ・ヒューストンはジェンダー・フリーをジェンダー・バイアスから自由であることとする見解を示した人物である」と書き 、“人間と性”教育研究協議会(性教協)は2004年8月26日付けの東京都教育委員会への通知において「本来『ジェンダー・フリー』という用語は、アメリカのバーバラ・ヒューストンが『性別に関して存在する決めつけからの自由』、すなわち性別による偏見からの解放という意味で用いているのを、日本では東京女性財団が紹介し広まったものです」と書いている。原ひろ子は「ジェンダーフリー和製英語ではありません。米国の教育学者が使用しはじめた用語なのです」 と書き、文芸評論家の斎藤美奈子は『物は言いよう』(平凡社、2004)において、「ジェンダーフリーは「性差解消」ではなく「性差の呪縛から自由になること」の意味。「性差別からの解放」と訳したっていいほどだ。ちなみにこれが和製英語だというのも誤解で、発祥は八〇年代のイギリスにある」 と書いている。

 この「ジェンダー・フリー=バーバラ・ヒューストン提唱説」は、2004年11月に山口智美が指摘するまで様々な論者によって繰り返し主張されていく。この「誤読」の経緯は、「バリアフリー」という言葉が持つニュアンスのように「はじめに定義ありき」で浸透し、「バーバラ・ヒューストン=ジェンダーフリー提唱説」が権威付けのために事後的に採用され続けていたこと、ジェンダーフリーという語がカノンを持たないカタカナ語、「空白」(解釈の余地や拡散可能性)の多いスローガンとして広がっていったことを示唆する。「ジェンダーフリー」という言葉を用いていたほとんどの人が、バーバラ・ヒューストンという人名も主張も直接目にしたことがなく、各々の解釈に委ねられていき、出自の不明を問われた際にのみヒューストンという「権威」が「発見」される、というわけだ。

 注意すべきは、「ジェンダー・フリー」という言葉は、「バーバラ・ヒューストンが使ったから」「アメリカで受け入れられている女性運動だから」という理由で広がっていったわけではなく、「誤読」によって誕生して以降は東京女性財団の「Gender Free」における解釈と分離しつつ、独自の概念として広がって「誤配」されていったということだ。それは同時に、その浮遊した用語を運動の拠り所にすることによって、「ジェンダーフリー」を肯定する学者達が結果として「フェミニズム運動の失われた10年」 に加担したことをも意味する。例えば伊藤公雄は、『男性学入門』(作品社、1996)において、「メンズ・ムーブメントの本場のアメリカでは「メンズ・リブ」という言葉は、どちらかといえば、男性の権利擁護や、精神的な男性性の回復をめざすグループをさす言葉になっていて、女性問題に対しても開かれた「ジェンダー・フリー」(ジェンダーの拘束から自由になる)の立場をとるグループ の間では、あまり使われていないという事情もある」と記述している。このようなスタンスは、例え直接的でなくても、間接的に「アメリカ=本場=ジェンダーフリー」という認識を強化する例といえよう。

 1995年の報告書「ジェンダー・フリーな教育のために」は、1994年度の研究開発の報告書である。報告書内では、1994頃から「ジェンダー・フリー」という言葉を用いて取り組んでいたことが示唆されており、これは「バックラッシュ」という言葉が日本に紹介されたその年に「ジェンダー・フリー」という言葉が用いられはじめていたという、きわめて皮肉な歴史的交錯を示唆する。

 報告書に収められた研修用テキスト「あなたのクラスはジェンダーフリー?」には、次のようなやりとりがロールプレイングされている。「ジェンダー・フリーだと、どうしても人間が中性になっていく気がするんですが。だって、逐語訳すれば、「性別からの自由」じゃないですか」という疑問を投げかける声に対し、「中性のすすめじゃありませんよ。性別の間にある「垣根」の高さを、もっと低くして、風通しをよくしませんか、っていう提案なんですが……欧米には、性別によって生き方を制限されることなく、男女がもっと自由に暮らしている社会が、沢山あるじゃないですか」「ジェンダー・フリーは、人々の行動を不自由なもの、不幸せなものにしてしまう『ネガティブな意識や行動』からの『フリー』を指す言葉であって『男女の魅力的でポジティブな特徴』についてのフリーではない」「どんな時代にあっても、異性はお互いにひかれあう存在でなければ……男らしさ女らしさ、大いに結構!」「多少とも、過去を引きずって生きている現在のわれわれ大人たちのジェンダー・バイアスは仕方がないとしても、子どもの中に、ジェンダー・バイアスを『再生産』してはいけないと思います。これはどなたにも同意されるでしょう」という「回答」が用意されている。このやりとり自体が、後に起こるジェンダーフリーへのバックラッシュ言説とその応答の典型であるのは実に皮肉だろう。結果としてこのパンフレットが「バックラッシュ」の起源として機能したことを含めて。



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最終更新:2007年11月02日 00:21

*1 東京女性財団は1992年に設立された「公設民営」型の財団。都の財政援助のもとで運営され(職員は都が用意)、95年には東京ウィメンズプラザを開設。2001年に石原都政下の財政打ち切りにより廃止、東京ウィメンズプラザは財団の代わりに東京都の直営という方針で運営される。なお、この女性財団の廃止が持ち上がったのは、石原知事の意向で始まった外郭団体の見直しのなかでのこと。都にある外郭団体は62団体、これを統廃合して47団体に減らし、都は支出を720億円減らすという計画だった。但し、完全に廃止されたのは、実際には女性財団のみであり、それによって削減された都の支出は7200万円であった。