プロローグ 1987年12月25日


1987年12月25日昼、ソ連、モスクワ

その日、モスクワは寒波に包まれていた。
吹き付ける雪が市民たちの頬に当たり、痛みを感じさせる―――もっとも市民のほとんどは外出などしていない。
いるのは兵士―――同じ国に所属していながら、今や敵対関係となって、戦闘を行っている軍やKGBの兵士たちだけだった。
無論、今、200名近い歩兵を引き連れて、クレムリン正門でクレムリン警備連隊と交戦しているソビエト陸軍少佐とて論外とはいえない。
むしろ彼はその象徴だった。
突然師団司令部より発令された命令は唐突で、あまりにも衝撃的だった。
クレムリンを制圧し、ミハイル・ゴルバチョフをはじめとする現政権内部の反動分子たちを逮捕、あるいは殺害せよ。
それは彼にも理解できた。つまりクーデターなのだ。
だが不可解なことにKGB将校たちもこれに賛同しているはずなのだが―――今、我々はそのKGBが警備しているクレムリンを攻撃している。
やはりKGB内部においても全員が全員賛同しているというわけではなさそうだ。
だが警備連隊は強固に戦っている。
正面門の部隊は警備兵たちに押され気味だった。予想以上の火力だからだ。
寒波がやってくる昼前、3機のミル輸送ヘリが空挺兵士を連れてクレムリンを占拠し様としたが失敗した。
降下前、警備兵の携帯型対空ミサイルによってヘリ1機が撃墜され、降り立った兵士たちも大統領警備隊と交戦しているとの連絡を最後に連絡が途絶えたままだった。
第二陣を送ろうとしたが、昼頃から突然寒波がひどくなり、中止となった。
つまり地上部隊がこれを制圧するしかないのだ。
だが聞くところによればゴルバチョフたちは最高会議場で閣議中であるらしく、またクレムリン内部にいる同志がいくつかある脱出用トンネルを決死の思いで爆破、これを塞いだらしい。
この話が本当ならば、彼らが打ち倒すべき敵は確実に中にいるということだ。
少佐は警備連隊が放ったRPGによって燃えかすとなったBMP装甲車から、クレムリンを覗いた。
クレムリンの最高会議場の窓から黒い煙が見える。
空挺が警備連隊と戦った跡。畜生、先月の革命記念日のパレードの時、少佐は兵士たちの行進を先導しながら、あの堂々たる姿を構えていたクレムリンを見ていた。それから一ヵ月後、俺はそこに鉛弾を撃ち込んでいる。
共産主義の総本山ともいえるこの場所は今や戦場と化していた。
あちこちで聞こえる銃声と罵声、断末魔。
「全員、RPGを構え!」
少佐が叫ぶと、各兵士、RPG7対戦車ロケットランチャーを持っていた者は、直ちにそれを構えた。
少佐も近くで頭に穴を開けた新兵とともに横たわっていた血まみれのRPGを取り、それを構える。
「撃て!」
あちこちで発射音、そして全てのロケットが正門にいる敵に命中し、爆発する。
一瞬にして屈強な警備兵たちは丸焦げの死体と化した。
少佐はRPGを放棄すると、今度はAK74突撃銃を構えた。
少佐は皮肉を感じた。アフガンで戦った次はモスクワか。
彼は口元を歪めた。
弾倉を取り替えると、撃鉄を起こす。これで撃てるようになった。
次の瞬間、彼は絶叫した。
「突撃!」
歩兵たちも絶叫して、クレムリンへ突撃していく。
1945年、ベルリンにいた俺の親父も、このような感じで国会議事堂に突入していったのかもな。
そう思うと、少佐は兵士たちに続いて突撃していった。

警備連隊が全滅し、クレムリンが陥落、ゴルバチョフ以下反動分子が突入した部隊によって射殺されたのはそれから一時間もたたないうちである。
その日、クレムリン以外にもモスクワの各所で戦闘が発生した。
モスクワは戦場となったのだ。
これがのちに『モスクワ・クーデター』あるいは『クリスマス・クーデター』などと呼ばれる事件である。
結果、反ゴルバチョフ派―――保守派が政権を握ることとなった。
保守派は傾いている経済を戻し、強大なソビエトを築くため、強硬な政策を取るも、逆に国家経済を悪化してしまう結果になってしまう。
国民はこれに対し、反政府暴動を起こしたが、KGBの実戦部隊がこれを鎮圧。
スターリン時代並の弾圧を展開した。
90年代の初めにかけて起こった東欧諸国の自由化運動もソ連軍、あるいはワルシャワ条約機構軍によって全てが弾圧。
国連や西側諸国が非難するも無視し続けた。
これにより東西冷戦が熱を帯び、ソ連、東側の軍拡化、それに伴う西側の軍拡化へと発展していく。
内政が悪化してゆき、それに埋め合わせるかのように軍拡化を続け、西側との対立を深めるという悪循環を続けているソ連。
いつ超大国ソ連の暴走が起きてもおかしくない一触即発の世界情勢―――まさしく危うい状態と言えるこの情勢下は20世紀が終わり、21世紀がはじまっても尚、続いていた。



最終更新:2007年10月31日 02:33