第2話 作戦発動


 都内某所にある国防省職員用官舎の一室。
 セルシス・ナトゥーア・プリムラは、毛布とシーツを剥がしたベッドに腰を下ろしていた。床には、最低限の着替えや日用品を収めたスーツケースが1個置かれている。部屋の中にあるものは全て片付け、管理人に預けてあった。
 20年前に飛鳥島と入れ替わりで空間転移し、日本海軍に救助されたセルシスは、国防省の管理下に置かれて生活することになった。彼女は病院で衰弱した心身の治療を受けながら、基礎的な日本語の教育を受けた。頭脳の柔らかい子供であったことが幸いし、セルシスは激変した環境に錯乱することもなく短期間で順応し、日本語も完全にマスターした。
 やがて彼女は孤児院に引き取られ、学校へも通うことになった。一時は日本人離れした容姿のせいで周囲から浮くことも多かったが、すぐに大勢の友達と打ち解けた。貧しくも楽しい孤児院と学校での体験は、それまで砂漠のように不毛だった心に潤いを与えた。特に、高校卒業までの十数年間を親代わりの保育士や兄弟姉妹同然の寮生と共に過ごした孤児院生活は、彼女の人生を大きく変えたと言っても過言ではない。時には喧嘩することもあったが、親を亡くした者同士で仲のいい者ばかりだった。高校卒業と同時に孤児院を出る時には、保育士と寮生が総出で泣いて見送ったものだ。
 だが、心の奥底に染み込んだ恐怖の記憶はいつまで経っても消せなかった。“キゾク”の恐怖。飢餓の恐怖。漂流の恐怖。情報担当のケース・オフィサーに、“向こう側”の様子や経験したことを定期的に根掘り葉掘り訊かれるたびに、その恐怖が蒸し返された。
 高校を出たセルシスは、国防省に特別職員として採用された。貴重な研究材料である彼女を手元に留めておきたい国防省上層部の意図からすれば、当然の措置と言えた。非公式セクションである飛鳥島調査プロジェクトチームの専属となったのも、必然中の必然と言えた。彼女に選択の余地はなかった。
 セルシスは感情を表に出さず、与えられた仕事を黙々とこなす日々を送った。それが辛い記憶を封印する唯一の手段だったからだ。その一方で彼女は、飛鳥島消失に関する調査が暗礁に乗り上げることを密かに祈っていた。そうなれば、自分と“向こう側”との繋がりは完全に断ち切られ、今いる世界に同化できるからである。
 しかし、科学はそれを許さなかった。やがて飛鳥島守備軍の救出作戦が立案され、自分がオブザーバーとして同行することが確実となると同時に、彼女は身辺整理を始めた。井脇ら国防省の技官や軍人の話では、何があっても無事に帰還できるとのことだったが、まるで死を前提としているか、控え目に表現したとしても二度と戻らないことを見越したような行動をなぜ取ったのか、彼女自身にも判らなかった。
 無論、死ぬつもりは毛頭なかったし、“向こう側”に留まる気もなかった。特に後者は論外だった。あの“キゾク”に支配された絶望の世界へ、誰が戻るものかと。それでも、無意識のうちに奇妙な葛藤を覚えていたのは事実だった。
 初めて井脇から異世界への転移方法が発見されたと聞いた時、セルシスは不安や戸惑いと共に言い知れぬ懐かしさを感じた。彼女はすでに日本を故郷同然に思っていたが、いくら陰鬱な思い出しかない世界であっても、本当の故郷であることに変わりはない。密かに望郷の念を抱いていることを自覚した彼女は、ぞっとした。
 インターホンの呼び出し音が鳴り、セルシスは我に返った。
「プリムラさん、下にお迎えの方が来てますよ」
「はい。今出ます」
 セルシスはスーツケースを持って外に出ると、ドアを施錠した。
 彼女はエレベーターで1階に降りると、ホールで待っていた管理人にキーを渡した。
「どうも、お世話になりました」
「お別れを言うには早過ぎますよ。また戻ってきて下さい」
 初老の管理人は苦笑した。
(別れたくないのに……また戻りたいのに……この気分は何なんだろう)
 セルシスは無言で会釈すると、官舎の前に停まった黒塗りの車に乗り込んだ。

 伊豆諸島沖を、日本海軍の艦隊が輪形陣を組んで南下していた。
 艦隊は軽空母「海龍」を旗艦とし、強襲揚陸艦「秋津」、イージス駆逐艦「初穂」「瑞穂」「真穂」、汎用駆逐艦「草薙」「縁川」「間雲」「水澄」「森野」「四道」、敷設工作艦「正臣」「江田島」、補給艦「木崎」の14隻から構成されていた。いずれも、戦後20年を経てようやく再建成った日本海軍の中核を担う艦艇である。
 「海龍」は、V/STOL艦上戦闘機や早期警戒機、哨戒ヘリなどを計20機搭載し、船団護衛、対潜哨戒、洋上防空、上陸作戦と、多種多様の任務に就ける多目的艦である。日本海軍はかつて複数の大型空母を保有していたが、第二次対米戦争終結までに全艦が戦没した。また、軍備制限や財政難などの要因が重なったため、戦後はこうした汎用性の高い軽空母が建造されるようになったのである。
 「秋津」は、各種舟艇と輸送ヘリを併用しての上陸作戦を行える大型揚陸艦で、戦闘車両や火砲などの主要装備を積載していた。強力な艦砲や多連装ロケット砲も上陸支援用に搭載している。さらに、機械化歩兵1個連隊1000名と戦車1個中隊、砲兵・後方支援各1個大隊から成る諸兵科連合戦闘団が乗艦していた。全国の陸戦隊各部隊から選りすぐられた最精鋭であった。
 日本の海軍陸戦隊は諸外国の海兵隊に相当する組織だが、艦艇部隊や航空部隊と同じように、あくまで海軍の一セクションとして位置付けられている。つまり、新兵は最初から陸戦隊員になれるのではなく、一般の水兵として基礎的な教育を受けた上で、本人の希望と適性によって陸戦隊に配属されるのである。配属後は改めて本格的な陸戦訓練を受け、各兵科で専門的な技能を鍛える。兵科によって差はあるものの、その戦闘訓練は陸軍とは比べものにならないほど過酷だ。
 3隻のイージス駆逐艦「初穂」「瑞穂」「真穂」は、射程100キロ以上の長距離対空ミサイルと、天頂から海面までを見渡せる発展型イージスシステムの組み合わせにより、弾道ミサイルからハエすらも通さぬ鉄壁の防空能力を持っている。
 「草薙」以下6隻の汎用駆逐艦は、ミニ・イージスシステムと射程50キロ以上の中距離対空ミサイルを搭載しており、前世紀のミサイル駆逐艦以上の防空能力を有していた。対艦・対潜任務においても、イージス艦に引けを取らない性能を発揮できる。
 「正臣」と「江田島」は、主立った武装もない支援艦で、他の主力艦と比べると明らかに脇役風情を漂わせていたが、この作戦を実施するためには不可欠な存在だった。
 さらに、予備の燃料や弾薬を満載した補給艦「木崎」が、これに続いていた。
 陸海空いずれにおいても小国に匹敵する戦力を、飛鳥島守備軍救出部隊は備えていた。ただし、将兵の士気はさほど高くない。雑音が多かった。“連れ戻し部隊”の自嘲だ。“追っかけ部隊”もある。どうでもいいやと、ほとんどの者が思っていた。日米の政府並びに軍部が固唾を呑んで見守っていることにも、さほど思いは馳せていない。
「ちょこっと行って、連れ帰るだけなんだろ? そんな簡単な任務に艦隊まで出すとは、国防省の連中も太っ腹だな」
「ま、これを終えて帰れば結構な手当と休暇がもらえるんだから、文句はないがね」
「飛鳥島に残ってる連中がトチ狂ってなければいいんですがね……」
「縁起でもねえ。そん時は、置いてけぼりにしてさっさと帰るまでよ」
 「海龍」の艦橋に詰める司令部要員の耳にも、それらの雑音は届いていた。
「これでは先が思いやられます。訓練を増やして気合を入れ直すべきかと」
 作戦参謀が、艦隊司令の梨林十郎太准将に進言した。
「まぁ、よかろう。そのくらいの鬱憤晴らしは勘弁してやれ」
 梨林は笑って答えた。
 彼は第三次大戦と対米戦争に従軍した経歴を持つ歴戦の勇士だったが、外見からはいかつさよりも温厚さが感じられた。ただし、目には強い意志が込められており、見る者に芯の太さを印象付けていた。
「それにしても、演習を終えてすぐ本番とは御苦労だな」
 梨林は傍らに立つ板橋に話し掛けた。
「本作戦の予行演習ですからね。気が引き締まっているうちに行かねば無意味ですよ」
 板坂の連隊戦闘団は、今作戦の予行演習として富士山麓での1週間に及ぶ野戦訓練を終えたばかりであった。
「かつて私の曾祖父も、極秘任務中に不可解な超科学現象に巻き込まれたことがあったそうだ。上からお触れが出たらしく、家族には一生涯そのことを話さなかったらしいがね」
 梨林の家は、前世紀からの海軍一族として知られていた。特に、彼の曾祖父である梨林吾郎は、最下級の水兵として入隊しながらも地道な努力を重ね、最終的には将官にまで昇進したことで有名だった。だが、退官直前に就いた最後の任務は、現在も謎に包まれていた。
「ところで、例のオブザーバーは?」
「数時間前に立川基地を連絡機で出発したと連絡が入っています。間もなく到着するでしょう」
 通信参謀が答えた。
 漂流時のトラウマを刺激することを避けるため、セルシスは直前に飛行機で艦隊と合流することになっていたのである。
「ふむ」
 梨林が特に意味もなく呟いた時、レーダー担当の下士官が報告した。
「航空機1機が接近中。敵味方識別コードを確認しました。本艦へのアプローチに入ります」
「あれがそうか」
 梨林が窓から外を見ると、艦尾方向から複座のV/STOL練習機が接近中だった。 

 飛行甲板上に警告音が響き、続いて航空管制オペレーターのアナウンスが流れた。
「第2プラットフォームに連絡機が着艦する。付近で作業中の人員は退避せよ」
 練習機は極めてソフトな着艦を決めた。
 整備兵が機首に掛けた昇降バーを伝って、セルシスは後部座席から飛行甲板に降り立った。そして酸素マスクを外し、ヘルメットを脱いだ。片手にはスーツケース1個。
 無骨な濃緑色のフライトスーツによく発達した肢体を包み、艶やかな長髪と物憂げな整った顔を風にさらす彼女の姿は、男心を十分に刺激するものだった。現に、この場違いな美しい珍客を目にした乗組員達は、しばし呆気に取られていた。
 今回の任務からは外されているとはいえ、「海龍」にも若干の女性将兵は乗艦していた。にもかかわらず、セルシスの姿がこれほどまでに注目を集めたのは、彼女の魅力が原因であった。本人がそれを自覚していないことと、普段乗っている女性乗員がいないことを差し引いたとしても。
 やがてセルシスは、出迎えにやって来た司令部付兵曹長に連れられて艦内へ入っていったが、その背後からは彼女への羨望と兵曹長への嫉妬の視線が、無数に注がれていた。

 その日の正午過ぎ、艦隊は作戦予定海域に到着して停止した。飛鳥島消失ポイントから北西に100キロという海域だ。
 すでに数隻の駆逐艦やフリゲート艦、観測艦が待機していた。救出部隊の空間転移を見守り、そのデータを収集するためである。米海軍からも駆逐艦1隻が派遣されていた。
 この時、「海龍」の艦橋では一悶着が起きることになった。
「司令、駆逐艦『雪風』から連絡です」
 通信参謀が言った。
「何事だ?」
「国防省の官僚が同行するため、内火艇で本艦へ移乗するそうです。ただ……」
「何だ?」
「『雪風』の通信士の声がひどく嫌そうでした。まるで、早いとこ厄介払いしたいと言わんばかりに……」
「ふむ。揉め事にならなければいいがな……」
 梨林は呟いた。
 やがて、セルシスが兵曹長に付き添われて艦橋にやって来た。梨林ら海軍将校と同じ濃紺の作業服に着替え、藍色の長い髪はアップにまとめて略帽の中に入れていた。
「セルシス・ナトゥーア・プリムラです。このたびは、よろしくお願いします」
 セルシスは略帽を脱ぐと、お辞儀をした。
「我が『海龍』へようこそ。短い航海だが、私からもよろしく頼む」
 梨林は彼女と握手を交わした。
「はい。ありがとうございます」
 と、セルシスは板坂がいるのに気付き、彼にも軽く頭を下げた。
「久し振りだな。気分や体調は問題ないかね?」
 板坂が訊いた。
「はい。大丈夫です」
「失礼だが、少し訊いておきたい」
「はい」
「向こうの世界に着いたら、君はどうするつもりだ?」
「……よく、分かりません」
 彼女は声をやや落として答えた。
「すまない。余計なことを訊いてしまったな。忘れてくれ」
 その時、背広を着た痩身の男が挨拶もせずに、いきなりズカズカと艦橋に入ってきた。彼が官僚だということを察した梨林達は、サッと敬礼で迎えた。
「あー、御苦労さん。国防省の小菅官太郎です」
「ようこそ。艦隊司令の梨林十郎太だ」
 小菅と名乗った官僚は、慇懃無礼な態度で梨林と握手を交わした。
「同行する文官というのはあなた1人かね?」
「ええ、小官は政府から特命を受けてましてね。いわゆるシビリアン・コントロールってやつですよ。要するに、飛鳥島の連中を帰順させるためには、文民の代表たる総理大臣と国防大臣の命令書が必要でね。国防官僚の代表である小官が代理人として、それを持って参ったというわけです。ま、小官も陸軍少尉として軍務に服していた時には、シビリアン・コントロールなんざクソどころか屁のつっかいにもならないものだと実感していましたがね」
 いかにも神経質で器の小さそうな官僚は、大声で唾を飛ばしながら喋りつつ、上着を大儀そうに脱ぎ始めた。彼の下品な物言いと不作法に、幕僚達の多くはあからさまに顔をしかめた。
「なるほど。理由は理解できた。それはともかくとして、まさかあなたも軍人だったとは意外だな」
 梨林は、この品性のかけらもない官僚に対してささやかな皮肉を投げ掛けたつもりだったが、小菅はそれに気付かなかったらしく、どこか嘲るような笑みをニタニタ浮かべたまま喋り続けた。
「梨林閣下も、前の戦争のことは覚えているでしょう? 当時は中学校を出たばかりのガキまで徴兵されましたからね。当然、私も例外ではありませんでしたよ。陸軍の防空部隊で高射機関砲を扱ってました」
 まるで、そんなことも忘れたテメェはボケかと言わんばかりの口調であった。
「配属先は本土だったのかね」
「ええ、まぁ。いわゆる死に損ね組ってやつですがね。それは今の我が軍の将兵全員に言えることでしょうけど」
「ふむ……私も乗っていた艦が損傷して修理中だったために生き延びた、数少ない年長者だったがね。少なくとも、ろくに戦闘経験もないのに軍人時代の肩書きを見せびらかしたがる誰かよりは、まともに国防に貢献したつもりだが」
「ハン?」
 瞬時に人格異常者じみた殺意と憎悪を表情に浮かべた小菅は、梨林をギロリと睨み付けた。
「いや、別にあなたのことを言ったわけではない。気にせんでくれ」
 それを予感していた梨林は、小菅と視線を合わさずにさり気なく受け流した。皮肉が多少露骨過ぎたかもしれぬというわずかな後悔と反省と共に。
「高木艦長、官僚殿を居室にお連れしたまえ」
 こういったバカは適当にもてなしておけば、少なくとも出しゃばることはないということを、彼は心得ていた。口だけのバカが出しゃばることほど、物事の妨げになることはない。
「ハッ。では士官室へ御案内します。大変失礼かつ不便とは思いますが、スペースの関係上で相部屋となっていますので、何か不自由があれば何なりと申して下さい」
 「海龍」艦長の高木誠次大佐が、柔和な口調で小菅を促した。眼鏡に小太りという風貌の彼は、軍服を着ていなければ小学校の教師か幼稚園の園長に見えそうな中年男であった。無論、彼は梨林の意図を十分理解していた。
「ああ、小官のことなら気を遣わなくてもいい。これでも一応、士官だったんでね。そのくらいのことは心得てるさ。ウム」
 小菅は自分の器が大きいように振る舞いたいようだったが、実際にはもてなしを受けるのが当然という態度が透けて見えていた。
 と、彼はセルシスが隅の方にいることに気付き、歩を止めた。
「おや、その婦女子の方は? 本作戦に参加する将兵は全員、男性ではなかったのかね。もっとも、女性がいるに越したことはないが」
 梨林は、セルシスを早めに自室へ戻すべきだったと本心から後悔した。小菅のような男が彼女と出くわせば、ろくな結果は生まれないからだ。
「彼女が異世界人のオブザーバーだ。すでに資料で御存知かと思うが」
 梨林が言った。
「あぁ?」
 怪訝な表情でまじまじとセルシスの顔を見た小菅は、次の瞬間には作り笑いを浮かべて慇懃な口調で言った。
「なるほど、君がねぇ……」
「……はい」
 セルシアは小さな声で応じると、目を伏せた。
 不純な好奇心と色欲が混じった視線は、セルシスに“キゾク”のそれを思い出させ、無意識的に恐怖感と敵愾心を抱かせた。
「20年も苦労しただろうけど、やっと元の世界に帰れるんだ。気を楽に持ちたまえよ。ウム」
「………!」
 小菅の配慮を欠いた言葉に対し、セルシスは思わず表情に怒りを露わにしてしまった。
「ハン? 何だよその顔は? もったいなくも小官は心配してやってるんだぞ。君は本来この世界の人間ではない。それが、この作戦で元の世界へ帰れる。当然のことだろうが。それとも君は何か不満でもあるのか、ええ?」
 小菅は彼女に詰め寄った。
 セルシスは無言のまま、握り締めた拳をぶるぶると震わせていた。
「まあまあ、プリムラさんにも色々と事情があるのでしょう。それより、小菅さんは働き詰めでさぞお疲れでしょうし、作戦開始までお部屋でお休みになって下さい」
 臨界点ギリギリの状況を打開したのは、やはり柔和な口調を崩さぬ高木だった。
「おお、そうだな。じゃあそうさせてもらおうか。何せこちとら、仕事続きでゲンナリさ!」
 上機嫌を取り戻した小菅は、意気揚々と歩き去っていった。
 事なきを得て安堵した梨林は、目を閉じて深い溜め息をついた。
「司令、申しわけありませんでした。私が必要もなくオブザーバーを艦橋に引き留めたせいです」
 板坂が梨林に頭を下げた。
「気にするな、板坂大佐。彼の乗艦を許可したのは私だ」
「何であんな奴を乗せたんですか」
 板坂と同じ迷彩服を着た陸戦隊の将校が、あからさまに不快感を顔と声に表して言った。地上部隊先遣中隊の隊長を務める、倉石大紀少佐だ。
「私も本音では嫌だよ。ただ、彼は形式上必要な役だからな」
「もし許されるのなら、今すぐ殴り倒して海に放り込んでやりたいですよ」
 倉石は吐き捨てた。
「陸戦隊勤務とはいえ、海軍将校の身で非常識なことを言うな。海洋汚染になるぞ。廃棄物コンテナに詰めて東京に送り返せ」
「あの程度の役人しかいないとは、国防省もおしまいだな。何がシビリアン・コントロールだ」
「全くだ。横須賀から乗せなくてよかった」
 小菅が退出したのをいいことに、他の将校からも次々と悪口が出始めた。
「諸君、そのくらいにしておけ。申しわけない、プリムラさん。どうか気を悪くしないでくれ」
「いえ、私は平気です。お構いなく」
 セルシスは略帽を目深に被り直すと、兵曹長の案内で自室へ戻っていった。

 それから数時間後、時空転移設備の設置作業が進行する中、「海龍」の大会議室で最終ブリーフィングが始まった。
「改めて繰り返すが、本作戦の目的は飛鳥島守備軍の救出と飛鳥島の再転移だ。作戦時間の上限は48時間。守備軍将兵の安否を確認し、島を転移させるには十分な時間である」
 各艦の艦長や各部隊の指揮官を前に、板坂が説明した。
「陸戦要員が携行する銃器の弾薬は、衝撃弾と即効性麻酔弾を併用する。これが効果を発揮しなかった場合のみ、実弾の使用を認める。我々の装備なら、威嚇だけでも十分な威力がある。いかなる理由があろうとも、現地人の殺傷は避けたい。我々の任務は戦闘ではなく、救出だからだ。任務を速やかに処理し、総員無事に帰還することを至上目標とする」
 出席者らは、緊張した表情で板坂の説明に耳を傾けていた。
「なお、セルシス・ナトゥーア・プリムラ氏にオブザーバーとして参加願った。転移先の世界情勢や地理などについて助言をいただく」
「プリムラです。よろしく」
 セルシアは一歩出てそれだけ言うと、すぐ後に下がった。
「何か質問は?」
 海軍の技術将校が挙手をした。
「今さら言うのも何ですが、威嚇で足りるのであれば、これほどの戦闘部隊は何のために必要でしょうか?」
「あらゆる可能性に備えるためだ。今のところはそれ以上答えられない。使うことがなければ、それに越したことはない。他に質問がなければ、私からは以上とする」
「この任務は、異世界に20年以上も取り残された戦友と、これからの日本の未来のために果たさねばならぬ義務である。諸君の健闘を祈る」
 梨林の訓示を最後にブリーフィングは解散となり、出席者達はそれぞれの持ち場へと戻っていった。

 2隻の敷設艦「正臣」「江田島」から繰り出された長大な電磁フェンスを、作業艇が輪形陣を取り囲むように曳いていた。フェンスには数百メートル間隔で大型のブイが取り付けられ、さらにそのブイからは電柱状のアンテナが伸びていた。輪形陣の左右に配置された「正臣」と「江田島」の艦上には、複雑な形状をした鉄塔状のアンテナが直立していた。
「あれが時空を越えるための設備とやらか」
 「海龍」の艦橋見張り場から作業状況を眺めながら、板坂が言った。
「そうです。対象となる物体をフェンスを囲み、敷設艦のアンテナとブイのアンテナとを共鳴させれば、時空連続体に穴を空けて転移させることが可能となります」
 刻々と変化するデータが表示された携帯端末を手に、井脇が答えた。
「動力源は?」
「敷設艦に搭載されている核融合炉を用います。本来は、潜水艦探知システムや磁気機雷を帯電させて無力化するために開発された装備だったのですが、その原理を応用したのです」
「まるでミステリーサークルだな」
 板坂は無理に顔を苦笑させながら言った。
「まるで、ではありません。人工的にミステリーサークルを作るのです」
「人体への影響はないのか? 体に障害が出たり、子供を作れなくなったりするのは勘弁してもらいたいものだが」
「不安ですか、大佐」
「我が家にはもう3人いるからいいが、まだ独身の若い兵も多いのでね」
「御心配なく。前世紀に各国がやった核実験のように、人体実験でデータを収集するようなことはしません。閉鎖された艦内にいる限りは、無害です」
「ならいいのだが、あまり気持ちのよいものではないな……」
「常識を超えた新発明・新開発の機械に、気味のよい代物などありませんよ」
「違いない」
 井脇の模範的と言うべき科学者的弁解に、板坂は本当に苦笑した。
「そろそろ中に入りましょうか」
「ああ」
 艦内の空気はすでに緊張感を帯びており、板坂は自然と身が引き締まるのを感じた。
「空間転移システム、敷設を完了。『正臣』と『江田島』は速やかに作業艇を回収せよ」
「電磁フェンス、プラス極とマイナス極の接続を確認。通電開始します」
 ヴゥンという唸り声のような起動音が、洋上に響き渡った。
「パワーフロー良好。フェイズ1、予定通りに進行中」
「総員、艦内への退避を再確認。所定の位置にて待機せよ」
「全システム、オールグリーン。実施までTマイナス300秒。観測隊は後退されたし」
「ブリッジ遮蔽、対閃光防御態勢を取れ。各自ヘルメットと救命胴衣を装着し、突発事態に備えよ」
 窓に耐爆シャッターが下り、艦橋内を外部から完全に遮断した。
 計測機器の電子音が高くなっていくのを聞きながら、板坂は横目でセルシスをチラと見やったが、その顔は以前見た時のように硬く張り詰めていた。
「ジェネレーター稼働率、限界値を超えます!」
 爆発的な閃光が、艦隊を覆い尽くし、そして消えた。
 海面には、ショートして黒ずみ、チリチリという音と共に白煙を立てるフェンスだけが取り残されていた。
 やがて観測隊の艦艇が前進し、海水の採取や電子スキャンといった調査を開始した。



最終更新:2007年10月31日 02:15