外伝Ⅳ 幻影の艦隊 前編



 どこをわたしは彷徨っていたのか。
 望みはどこに失せ、どれほど躓き、思想に迷いを生じ、生涯に罪を犯したことか。
 ―――なんということだろう、わたし自身の記憶がそれを忘れていたのだ。
 風のように、誇りが私を運んだ。
 魂を焦がす炎は、わたしを蝕むことなく、むしろ力と勢いを与えてくれた。
 世界の闘いを、晴れ渡った高みから谷間にただよう霧を眺めるように、わたしは眺めていた。
 わたしは寡黙な、誇り高い、人生の客人だった。

 『エクス・ポント』(イヴォ・アンドリッチ)



 彼らが現れて、もう二十数年ほど経っているだろう。
 彼らは、突如として大陸の東の果てに現れ、瞬く間に旧国を打ち崩し、自らの国を建国した。

 『インビンシブル』

 それが彼らの帝國の名前だ。
 その国が生まれた当時、私はまだ小さな子供で辺境の小さな村に住んでいた。それでも時々に村に来る旅人や商人達を通じ、大人達はその事を知っていた様子だった。

「なにやら王都では・・・が起こり、解放者が・・・、貴族達は・・・」

 難しい話だと、子供の私はそのときは理解するのを諦めていた。しかし、ある雪の降った日に鉄の馬車が村に現れた日のことは今でも鮮明に憶えている。大人達が外に出て行き、その様子を窓から眺めていた私はなにか得体の知れない感情に身を強張らせた。毛布を被り、風邪を引いてはいけないと暖炉の傍へ寄ったが、あの身の強張りはけして寒さだけではなかったと思う。
 数年後、私は優良学生に選ばれ帝都の学校へ行くこととなった。それは彼らがおこなった新しい教育体制の一環で、たとえ地方でも成績優秀な者は帝國へ招き、より高度な教育を受けさせる。こうして人材を育成し、帝國の発展に活用していた。
 だが、私は少々ひねくれ者だった。
 最終学科を終えた私は、卒業と同時にさっさと奨学金を返し、そのまま帝國の官僚になってゆく学友と別れ、新聞記者になった。まわりはそのことを奇妙に思い、嘲笑いもしたが、たいして気にはしなかった。
 新聞記者になったのには理由がある。
 無論、それを職として自立するためだが、それは彼らの帝國に近づくためでもあった。あの時の身の強張りの正体を、私は知りたかった。そのためには、帝國を外側から見る事が出来る立場でいる必要があった。
 いや、違う。
 私は、彼らの正体を知らぬまま自分が帝國に取り込まれるのが恐かったのだ。だが、恐れ、遠退くというわけにはいかない。
 やはり、私は彼らを疑っているのだろう。



 その噂を聞いたのは従軍記者として帝國陸軍の補給部隊に同行していたときだった。上空を前線へ向う航空機達が駆け、何気なくそれを見ていた私は、それよりずっと高い所に一機だけ単独で飛んでいる機影を見つけた。

 『実体のある幽霊機』

兵士達はその名を口にするたびに毒づいた。戦場の空に現れ、自分達を見下ろし、そして何もしない役立たずの臆病者だと。だが、私はまるで群れからはぐれた小鳥のような寂しさを感じた。
 それから時々空を見上げるようになった。そして探す。果てしない空の中を。まるで姿の見えない妖精を探しているようだと友達に笑われた事もあった。
 『実体のある幽霊機』は、正式には『独立観測航空隊』に属すフォッケウルフ・Ta152E改と呼ばれる観測機の事だ。彼らの事は「帝國の20年」に記したが、その為の資料収集は容易ではなかった。Ta152E改の写真すら、私の手元には一枚しか存在しない。それは、あるP-51Dムスタングの操縦士から手に入れたものだった。高々度へ昇ったときに偶然ガンカメラに映り込んだものというものだが、Ta152の飛行性能は凄まじく、その後彼のムスタングはたちまち引き離されたという。
 その写真には、断雲へ入り込む寸前の朧ろげな機影が僅かに映っているにすぎない。それでも、その飛行機の姿は見て取る事が出来た。P-51D、P-47といった他の帝國空軍とは、明らかに異なる機体だ。尾翼に振り返る黒い鳥の紋章が描かれている。しかし、それは機械であるはずなのに、まるで本物の鳥のようだ。心情的と笑われるかもしれないが、美しい鳥だった。
 しかし、彼らが飛ぶ空の高みでは、鳥は飛ぶことが出来ない。成層圏とは、生き物の存在を否定する領域だ。
 故に彼らは、孤独な鳥だった。



 今、私は帝國海軍の観艦式の取材の為に海の上にいる。十数隻の艦船が隊列を取り波間を往く姿は、帝國海軍の実力を見せつける圧倒的な効果を持って事だろう。そもそも、観艦式や軍事パレードというものは、緩やかな表現の脅しなのだ。
 しかし、私なりの考察を踏まえれば、今回の場合帝國海軍が威勢を示す相手は、他の二軍、陸軍や空軍では無いだろうかと思われる。つまり、この観艦式は帝國海軍の予算獲得ためのデモンストレーションということだ。
 この観艦式の主役は、私の乗るこの度コープス海軍工廠で新造されたシシバ級攻撃型正規空母三番艦『エウロパ』だ。基準排水量5万3500トン、全長302.9メートル。その艦載機の総数は140機にのぼる。輪形陣を組む帝國海軍が保有する艦船でも最大級の大型艦である事は間違いない。
 艦隊司令のダゴン・ヴォルフ中将は、まず取材陣を艦内に招き入れ、操艦・通信・航法・そして艦載機などについて説明し、この艦の優秀性について語った。ヴォルフ提督は、艦橋に上がってからも上機嫌で我々記者団と接していた。はしゃいでいるといっても良いかもしれない。記者達の質問にオーバージェスチャーで答え、質されずとも口を開いた。しかし、艦内の空気は、それと逆でピリピリとした緊張に包まれていた。空母『エウロパ』の艦長、ジャン・リュック・レオン大佐はそんな空気を読み取り、すれ違うクルー一人一人に声
を掛けながら、本来自分の居場所である航海艦橋へ入ると、航海図と今後のスケジュール表を見比べ思案した。

「副長、そろそろかね?」

「タイムスケジュールの誤差は許容範囲です」

 二つのタイマーを首に下げたライヤー副長が答える。
 「よろしい」とジャン艦長は言い、右手を上げ、落ちついた口調で指示を出す。

「エンゲージ」



 飛鳥島。数時間前。

「九条元帥? ああ、今は皇帝か・・・」

 科学技術総監執務室に呼ばれた有川は、無関心といった表情で氷室に答えた。有川はツナギの作業服を着て、足元に雑巾の入ったバケツを置いていた。久しぶりに、愛機でも洗おうと思っていところを呼び出された為だった。すぐに来いと言う事だったので、小汚い格好だとは思ったがそのまま行く事にした。
 「九条皇帝のお呼び出しだよ」というのが、総監執務室にいた氷室の第一声だった。

「それで皇帝閣下にどんな用事がある?」

「今日は、帝國第七艦隊の観艦式をやるそうだ。その視察に行くんだけど、送ってほしい」

 「Ta152E改は複座だろ?」と付け足し氷室が言った。有川の表情が雲る。

「なんで、Ta152E改で九条元帥を送らないといけないんだ?」

「そりゃ、F8Fや、AD-1は単座だからさ。まさか閣下に操縦させるわけにはいかないだろ?」

 「偵察機の彩雲は三座じゃないのか」と有川。それ以外にも、練習用の機ならば複座改良型がいくらでもあった。

「独立観測航空隊は幽霊機部隊だ。生きてる人間が乗るもんじゃない」

「そうだ。これは幽霊や妖精でなければやれない仕事になるのさ。やれやれ、ミルクをおごるから行ってくれないか?」

「何を言っている?」

「ブラウニーなら、どんな仕事をしても報酬には一杯のミルクしか貰わない。いい奴だ」

「そんな奴と一緒にするな」

「じゃあ、バンシー(霊魔)かい?」

 有川は鼻で笑った。
 自分達は死を看取るが、手を叩いて泣き叫びもせず、月夜の晩以外にも現れる。
 まったく、ろくでもない悪霊だ。

「氷室、いったいどういうつもりだ?」

 「盤石の帝國も、一皮剥けば人の集まりってことさ」と、氷室は呆れたというポーズを取った。

「帝國軍の予算配分は知っているかい?」

有川は首を横に振る。
 知る訳がない、俺には関係ない。

「海軍の配分率は、陸空海の三軍中、最も下位にある。まぁ、確かに今は大規模な制海権の確保は必要ないし、戦争が大陸内で行われているうちは海軍の重要性は低い。
 しかしだ。彼らだって上をみたいのさ」

「そんなこと、勝手にやってればいい。俺達はどう考えても蚊帳の外だ」

「それで埒が開かないから、実力行使に出たのだろう」

 氷室は数枚の書類を、テーブルの上に投げ出した。観艦式関係の書類だった。実施海域、参加艦艇、スケジュール、賓客名簿など。

「近年稀に見る大規模なもんだ。よくもまぁ、これだけ資金やら物資やらを集めたものだね」

「知っている。情報を集めたのは俺達だ」

 こいつのおかげで独立観測航空隊はここ数ヶ月間、トラックの列を追い、海軍司令部の通信に聞き耳をたて、港のコンテナの数をかぞえ、望遠カメラで撮影した人物の特定に駆け回る羽目になった。

「観艦式の目的は、海軍のプレゼンスの確保が目的なんだろ? それがどうした」

「それだけならいい。競争関係によってお互い切磋琢磨するのは良い事だ。だが、皇帝まで利用する気なのは少々度が過ぎている。すこしは溜飲を下げさせねば、ってことでココへお鉢がまわってきた」

 有川はようやく察しがついた。つまり、海軍に利用されそうな皇帝閣下は、自分がどれだけの権勢をもっているか再確認させようと言うのだな。独立観測航空隊は、理に属さないと言われている。そうでなければ、戦場の空を、散ってゆく命を、まるで他人事の様に見下ろし、悠然と飛べるはずがない。

「あの何物にも無関心で通す幽霊機さえも従わせる皇帝、どうだい絵になるとは思わないか?」

「そんなことで俺達が? 独立観測航空隊が? 実体のある幽霊機がか? 何が妖精だ、ずいぶんと俗じゃないか」

「だからさ。君には関係ない、だから“行け”と命じられる。君にはなんの利害もない」

「俺には、な。お前は、どうなんだ氷室?」

 「それはまぁ、ね」と氷室は答えず、不敵に笑う。
 有川がやるかたないため息をついた。

「くれぐれも、粗相の無いようにしてくれよ」

「どうするんだ? 『はい閣下、光栄であります』とでも言っていればいいのか?」

「それもいいだろう。任せるよ、アガシオン(姿の見えない使い魔)じゃないだろ? 実体はある」

 話はこれで終わりだ、といって氷室は準備するよう命じた。詳しいフライト・プランはブリーフィングルームに用意してあるという。
有川は足元のパケツをもって総監執務室のドアを開けた。



 有川の愛機、Ta152E改、識別名称『レイブン』は、すでにピカピカの新品のように綺麗になっていた。塗装は塗り直され(重ね塗りではなく、一度前の塗装を落とし、再び塗る。塗装の重量も航空機ではバカに出来ない。着艦時の衝撃に備えてか、オレオも変えられ、タイヤもいつもより太いものがついている。もしかすればエンジンも新品に換装されているかもしれない。
尾翼に後付けされたアレスティング・フックが目に止まった。

「着艦、か・・・」

 有川は空軍の兵士だったが、着艦の経験があった。好きでやったわけじゃない。対米戦争当時、被弾し損傷したため、空母『瑞鶴』へ着艦を試みた。自分はなんとか成功したが、僚機は駄目だった。オーバーランを起こし、復航が間に合わず海へ落ちた。『瑞鶴』は、それを引っ掛けバルパスバウを破損した。
 ともかく、あの戦争はケチがつきまくった。
 頭を振って、有川は嫌な感傷を振り払う。今更思い出してどうなる? あんなこと・・・
 Ta152E改の後部座席で、ごそごそ何かが動いた。誰何しようとする前に、後席の人影がこちらに気付き顔を上げた。

「デネブ。何をしている?」

 「片付け」と答え取り外した電子機材をだかえたデネブが、ラダーを降りて来た。

「すこしは広くなったと思うわ。私のサイズに合わせていては皇帝には窮屈でしょうから」

「皇帝を乗せるなら、こいつも妖精扱いされるそうだ」 

 有川が皮肉っぽく言った。

「妖精?」

「ああ、こいつは妖精かもな」

 Ta152の翼に触れる。Ta152は、不遇な運命に弄ばれた戦闘機だった。究極のレシプロ機と呼ばれながらも、その登場は遅く、HoenJagerと意味を持つその翼が天空を統べる事なかった。その存在自体が、消えてゆく炎の残滓のように淡く幻のようなものだった。

「けど、俺は幽霊だ・・・」

 デネブは機材を置いて横目でTa152E改を見上げる有川を見た。飛ぶ前の有川は、なかなか表情には出ないがいつも上機嫌でいるのに、今はそれがどこか浮かない表情をしていた。事情はどうあれ、今回の飛行は有川は気にくわないモノだと思っているだろう。その気持ちは、デネブはわからないでもなかった。

「拗ねてるわね」

「拗ねてる? ・・・ああ、そうかもな。腹を立ててるのかも知れない。こいつをこんな事に使われるのが、悔しいよ」

「有川、この機体は誰の物?」

 デネブがTa152E改を指して尋ねる。何が言いたいのかわからず、デネブの心意を掴み損ねた有川が「レイブンのことか?」と聞き返した。

「いえ、Ta152E改よ」

「独立観測航空隊・・・、いや、飛鳥島研究所・・・、違うな。・・・帝國、か」

 難解だと思っていた問題が、たやすく解けてしまったように有川は脱力した。たやすく解けた答えはなんともやるせないものだった。
 「そう、Ta152E改は有川の物じゃない」とデネブが続けた。

「けど、飛ばすのは有川でしょ? 皇帝のものは皇帝に、主のモノは主に、返せば良いのよ」

「わるいけど、俺は主を信じてない」

 デネブは苦笑して「なら、ポケットにでもしまっておきなさい」とスキットル・ボトルの入っていた右胸のポケットを叩いた。不思議と有川は、それですこし落ちついた気分になれた。ようは、心持ちだ。レイブンを俗な権力争いやら予算確保の建て前にされるのは気にくわない事だが、そんな些細な事空に上がれば忘れてしまうだろう。
 それでいい、と思う。九条という奴が皇帝だろうが、元帥だろうが、自分はそいつを目的地まで送ればいいだけだ。与えられた仕事に何か関係することなどない。
 有川はいったん格納庫を出て、飛行服に着替えた。ブリーフィングを受け、ラダーを上がって乗り込み、前席の操縦席に落ち着く。チェックリストを読み上げ、機付きの整備員にエンジンを始動のサインを送る。エナーシャが回されエンジン始動。10分ほどアイドリングをおこない、車輪止めを外して滑走路まで移動する。
 管制の許可を得て、滑走路内へ進入、離陸前にも一時停止。フル・フラップ、フル・ブレーキの状態で、一度エンジンを吹かしてやり点火栓の汚れを払う。レイブンは離陸準備を完了。再び管制から離陸許可を貰い離陸。フライトプランではまず帝都へ向い、皇帝をピックアップすることになっている。それから観艦式へ向い空母『エウロパ』に降りれば終わり。往路は皇帝閣下は彩雲でお帰りになるそうだ。だから、こちらはそのまま飛鳥島へ帰ればよい。所詮、引き立て役というのはそんなもんだ。
 しばらく、真っ白な雲海の上を飛んだ。見上げれば、どこまでも青くて深く、心が満たされる。雲の切れ間から時々海が見える。それも、もうじき陸地にかわるだろう。喜びを感じる時間はすぐに過ぎてゆくものだ。
 帝都が近づき、高度を下げた時、鉛色の淀んだ空気が見えた気がした。



 帝都の飛行場に着陸したTa152E改は、燃料補給を受けながら皇帝が来るのを待った。
 有川は機外に降りて給油作業をする整備兵の様子を見ていた。いや、監視していたというほうが正しいだろう。有川にとってはそちらの方が重要だった。
 九条星夜皇帝は、いかにも高級車らしい大型の車に乗ってTa152E改のところまで来た。すでに飛行服を着ている。整備兵達が飛び跳ねるように立ち上がり、直立不動で最敬礼する。一緒に降りたこの空港の職員らしい男が、やけに丁寧な口調で飛行中の諸注意について話した。有川と九条をあまり接されたくないらしいという雰囲気だった。有川とTa152E改の存在はこの場所では、あまりに異質な物として認知されていた。

「では、行ってくる」

「はい、閣下」

 榊原が会釈して見送った。
 帝都の上空を抜け、森と所々に集落が点在する地帯に入る。その向こうは海だった。九条は、しばし眼下に広がる領土と眺めていたが、それも海ばかり続く様になると、前席に座るパイロットに声を掛けた。

「さっきから、君はなにをキョロキョロしている?」

 「えっ?」と我に返ったように有川。どうやら自然と見張りをしていたらしい。行きや帰りは、比較的規則のゆるい飛行が許されていたが、この間の飛行だけは、フライトルートや高度、中継ポイント、到着時刻などが厳密に指定されていた。とくに高度については、皇帝に煩わしい酸素マスクなど付けずにすむよう、高度3000フィートまでしかない。Ta152にとっては、まるで地面を這っているような飛行だ。これだけ規則があるのは、逆に危険だと有川はブリーフィングで指摘していた。まるでわざわざ不意打ちを食らわせようとする為の陰謀じゃないのか、とすら思えてくる程の徹底ぶりだったのは、呆れを通り越して感心するほどだ。
 「あなたの安全に」と答えた。
 結局、それが空を飛ぶ者と、そうでない者達の差異なのだろう。飛行機を見る事しかしない人間には搭載機銃の口径やらエンジンの馬力を知りたがる。だが、飛行機に乗る人間はなにより視界の良さを知りたいと思う。気付かないのではなく、概念として存在するか否かだ。

「ふむ・・・ 有川祐二元空軍中尉だったかな?」

 皇帝が自分の名前を知っているのは以外だったが、事前の資料が渡ったのだろうと有川は考えた。

「元311飛行隊か・・・」

 その言葉に有川はすこし表情を曇らせる。九条皇帝は、ふと思い出したように「あの日・・・」と呟いた。

「B-2を落とし損ねた戦闘機も311の所属だったな。君は誰なのか知っているか?」

「落とし損ねたのは俺です。俺以外は、すでに311SQは全滅していた」

 有川は正直に答えた。あれどうしようもない負い目だ。それを清算しようとする為に、自分はとんでもないモノまで犠牲にしてしまった。今更、取り繕う気になどなれはしない。

「懲罰はなんでありますか」

「懲罰? 何を言っている。どうせ死に掛けた世界だ。この世界に来れたことを私は感謝しているよ。君はどうなのだ。元の世界に戻りたいと思うか?」

「俺には、なにも残ってはいなかった。未練も、後悔も、心残りになるようなことは全部戦争が焼き捨ててくれた」

 皇帝が「ふむ」と頷く。

「もとより玉砕覚悟の防衛戦だった。覚悟は出来ていたのだろう?」

「生き残るなんて考えてなかった」

 有川の言葉は、九条には感情を切り捨てたように感じられた。まるでタイプライターが喋っているようだ。デオスグランテ城のスタッフの話す事務的な喋りの方のほうが、まだ人間らしく感じる。

「あまり、嬉しそうじゃないな。まるで、生きていることが誤まりだと言っているように聞える。それは間違いだ、有川。先に逝った者達を悲しませるだけだぞ」

「皇帝、あなたみたいな人が、俺なんかを気にしてどうするんです?」

「今は、九条星夜という一人の人間として言っている」

「この幽霊機に乗るのは幽霊ですよ。今はたまたま、あなたを乗せているだけだ」

「君は・・・、自分が人間ではないと言うのか? ふむ、独立観測航空隊、実体のある幽霊機、地上の出来事を我関せずと傍観する人でなしの航空隊・・・。孤独なんだな、君は」

「あなたが気にすることではない。あなたは指揮官だ」

「指揮官だと、なんだと言うのだ?」

「指揮官は、部下にあまり深く関わってはいけない。バランスを崩すかもしれません」

 九条とて、日本軍にいたころは元帥まで昇りつめたベテランの指揮官だ。有川の言わんとしている事はどことなくはわかっている。確かに、指揮官に仲間とよべる者達など存在しないだろう。指令部につめる参謀スタッフ達は部下であり、実際に戦場で死ぬ兵隊など書類の上でした読み取る事の出来ない存在でしかない。それを皆、同じ人間なのだと本気で考えていては気が滅入ってしまう。意識するにしろ無意識にしろ、どこかで切り捨てなばならない。

「孤独なのは私か・・・。同情でもしてくれたのか?」

「いいえ。それはあなたのつとめだ。元帥でも、皇帝でも、変わりはない」

 どうやら、普段とはあまりに価値観の違う相手に途惑っていたらしい、と九条は自嘲ように笑った。
 しぱらく、会話が途絶えた。九条が口をつくんだのだので、有川もなにも喋らなかった。九条と話している間でも、有川は見張りは怠らなかった。
 東の空に芥子粒のような小さな黒点。注意していなければ、すぐにでも見失ってしまいそうなほど小さいものだったが有川には十分だった。

「御迎えだ。エウロパからだな」

 「どこだ?」と九条。指を指してやるが、なかなか見つけられないらしい。この手の見張りには独特の感が必要だ。

「じきに来る」

 有川の言葉通り、空母『エウロパ』から発艦した四機のF8Fベアキャット艦載戦闘機はTa152E改に対してアプローチを行ってきた。隊長機らしい一機が前に出て先導役をつとめ、二機がTa152E改の背後につく、最後の一機は後右上方を取って全体的な援護をするらしい。
 「まるで包囲されているようだな」と九条が言った。

「今回の観艦式の目的を知っているかね?」

 「氷室から聞いている」と有川。短い言葉だったが、意味を伝えるには十分だった。

「君は、曲芸飛行などは出来るのか?」

「曲芸?」

「このまま誘導されるのは癪だろう?」

 他者が現れた事で、九条は再び皇帝としての威勢を取り戻した気がした。この観艦式は海軍がそのプレゼンスを確保する為に行われているものだ。皇帝である自分を呼ぶ事もその一つである。だが、このような行動が今後頻繁に行われるようでは、どんな弊害や確執が生まれるかわからない。そこで釘を指す為に、海軍の用意した航空機でなく、実体のある幽霊機とよばれるTa152E改を使う事にした。ただ、その事もこの包囲されたような状態では、足りない気がするのは否めない。

「曲乗りは負荷がきつい」

「三文芝居に付き合ってくれた礼だ。好きに飛ぶがいい」

 「了解した」と答え、パイロットの表情が変わったように見えたとき、九条は有川について一つだけわかった気がした。この男の生き甲斐はこれだったのだ。
 有川は、操縦桿を右に倒しスロットル・ダウン、同時にラダーを踏む。Ta152E改が瞬時に水直横転。揚力剥離によって一気に沈下する。後ろにいた二機のベアキャットの視界から、Ta152E改の姿が掻き消える。スロットル・ハイ、プロペラ・ピッチ適性、スピン防止の当て舵を行いながらズーム上昇、二機のベアキャットの間を抜ける。返し刃を振るうような鋭い逆落としで、今度は先導役のベアキャットを追い越し、Ta152E改はさらに加速。
 少し離れて後右上方にいた四番機のベアキャットのパイロットは、この事態に驚愕すると同時に恐ろしいまでの幽霊機の機動に戦慄を覚えた。
 今のが実戦なら・・・、三機のベアキャットが一瞬で屠られていたに違いない。

「な、なんだ、あいつ! 無茶しやがって!!」

 三番機のパイロットが動揺を押えながら吠える。負け惜しみにしか聞えなかった。あいつは・・・、Ta152E改は怪鳥だ!

「ともかく追うぞ! ついてこい」

 隊長機が、すぐさま指示を出す。
 ベアキャット隊が一斉に加速。だが、Ta152E改には追い付けない。速い。
 あれが同じ飛行機なのか、彼らは疑った。まるで異世界からきた幻の鳥のようだ。
 レイブンは、海面を滑るように空母へ向かってゆく。



最終更新:2007年11月05日 19:23