外伝Ⅲ 加速する羽根 後編



 南部戦区。
 この忌々しい丘も今日で見納めだと、第553戦車連隊の戦車兵はほくそえんだ。
 彼の属する帝國陸軍第13軍団第112装甲師団は、ここ2週間補給線を整えるためこの丘を越える事が出来なかったのだ。それが帝國軍兵士達のフラストレーションを酷く溜めていた。それには理由がある。丘の向こうには、敵軍の防衛線があった。それは実質的な最終防衛ラインと言ってもよい。ここを越えればこの戦争は終わる、帝國の勝利という最高のカタチで。
 あと一歩で・・・、という焦燥があった。
 しかし、二週間待った代わりに、今回の戦闘では空軍にも増援が送られ、強力な地上支援が受けられる。さらに上空からの広域の地上敵を監視する大型偵察機も実戦で始めて使われるらしい。
 ハッチから身を乗り出し、後方を見遣る。陸続と続く戦車の群れ、100両以上の戦車とその倍に匹敵するその他の戦闘車両がひしめき、彼は今その先頭にいた。
 上空を先行偵察をおこなう彩雲が駆け抜けてゆく。空を見上げた彼は、厭なモノを見てしまったと思わず顔をしかめた。彩雲より遥か上空、ほとんど点にしか見えない機影。
 正体はわかっている。忌々しい幽霊機だ。
 戦闘があれば現れ、遥かな空の高みから地上で這い付くばるおれ達を見下ろしている。
 まったく忌々しい・・・、神にでもなったつもりか!

「部隊長、時間です」

 通信兵が報告し、「わかった」と短く答える。
 進撃開始。
 帝國戦車部隊、突撃!



 眼下の戦場を、Ta152E改は冷徹な瞳で見つめる。
 独立観測飛行隊の任務は、その名称が示すとおり観測することだ。彼らは見下ろす下界の出来事に、何もせず傍観者に徹する。彼らが『実体のある幽霊機』と揶揄される理由はそこにある。Ta152E改・高々度単発複座観測機は戦う翼ではない。
 敵の行動監視はTa152E改の下方、高度10000メートルで旋回するB-17AEWがおこなっていた。おかげで進軍は順調だ。地上と空中の連繋が行き届き、支援の効果を上げている。
 今日は早く帰れそうだと思ったとき、異変が起こった。

「有川」

 デネブが有川を呼んだ。
 後席コンソールの画面に新しいシグナルが映り込む。対魔力探知機の反応。この戦場で魔法が使われている。

「戦線後方で、波動を確認。大きい」

 対魔力探知機のコンタクト・シグナルは、水面に小石投げ込んだ時に起こるような波紋で現れる。赤く大きな波紋。波紋の振動で魔力の強さを、色で属性を示す。赤い波紋は炎属性だった。

「既存情報に該当なし、未知の攻撃だ」

「B-17AEWが警告を発している」

 帝国軍の通信を傍受したデネブが告げた。

「B-17AEWにも、対魔力探知機を搭載させていたのか?」

 有川は機体にバンクをつけ、肉眼で探す。この高度から見る地表は雲と同化し淡く、空との境は丸みを帯びている。だが、その中に紅蓮の尾を引くものを有川は見つけた。

「あれか・・・ 火球みたいだ」

 火球は地表を炙りながら、滑るように前線を目掛け飛翔。帝國陸軍の戦車部隊は対核防御隊形を取ろうとしていたが手遅れだった。
 地上の一点で閃光が瞬き、大気を純白に染め、波濤の衝撃波が広がってゆく。爆心地は、瞬時に解放された熱量による大気圧の急激な変化によってキノコ雲を形成していた。帝國陸軍第553戦車連隊が消滅。Ta152E改のパノラマ・カメラが、その様子を冷徹な瞳で撮影する。

「・・・戦車が蒸発したぞ、凄まじい威力だ。どこから放たれたかわかるか?」

 デネブはコンソールを操作し、もっとも早く反応の現れた地点を調べる。Ta152E改の胴体下部に張り出した半球ドームに収められた望遠カメラが、地表に描かれた巨大な紋章を捉えた。

「なんて大きな法陣。有川、あの火球を精錬したのは法陣あのに違いないわ。何十、いや百人以上の術師が集まって合成魔法を作り出している」

 有川も、その法陣を認める。、円形とペンタグラムと基本とし、おそらく何かの規則性に基づき描かれているであろう眼下の紋章は、まるでミサイル・サイロのようだと思った。

「B-17AEWが哨戒中の飛行隊を呼び出してる。航空攻撃で法陣を叩くつもりね」

「出来るのか?」

「法陣は彼のモノとの契約の証、正確に記さなければ確約は出来ない。少しでも傷がつけば意味を失う」

 地上支援任務についていた航空隊が集結。航空隊は突撃編隊を編成し、攻撃を開始。およそ30機の航空機による一斉攻撃に掛かる。ロケット弾を装備したP-47サンダーボルト戦闘攻撃機が先陣を切って突入し、2000ポンド爆弾を搭載するJu-87急降下爆撃機の突破口を切り開く。

「法陣前方に新しい反応多数!」

 その反応は前の反応に比べれば小型だったが、航空隊と法陣の間を隔てるように現れ、空に向って十重二十重の火線を開いた。不意の攻撃を受けた先頭のP-47が捉えられ、翼を焼き爆散する。後続機が、すぐさま地上目掛けロケット弾を撃ち込み仇を取る。回避機動すらままならない低空侵入を続ける航空隊の突入進路上では、同じような事が次々と起こっていた。

「今度はなんだ? 塵と変える炎の玉(ファイヤーボール)か、発火する火球(バーニング・スフィア)か」

「わからない。同じレベルだけど、熱量より射程と速度を優先させてる」

「対空用の魔法?」

「可能性はあるわね」

 事態はそれだけに止まらなかった。Ta152E改のセンサーは、法陣のなかで精錬される魔力を探知。「忙しい日だ!」と有川が吐き捨てる。
 しかし、法陣で新たに精錬された魔法は、地上軍を狙ったものではなかった。一つの火球が幾つにも分裂し、迫り来る航空隊に向けて放たれる。
 P-47隊は目前からの攻撃を受け、部隊のほとんどを損失し攻撃を中断せざるえない状況に陥った。B-17AEWがそれを察知し、後続のJu-87隊に警告と回避指示を出す。

「間に合わない・・・」

 Ju-87隊は、なすすべなく全機撃墜された。黒煙を引き深緑の森に落ちる。

「スツーカは低速だ。あの魔法を回避するには、もっと速度のある機体でなければ敵わない」

「B-17AEWが後方の基地に増援を求めている。飛行開発実験師団にも出撃要請が・・・」

 飛行開発実験師団だと、シュワルベを出すつもりか? 
 おそらくテリー大佐がせっついたのだなと有川は思った。オペレーターにはいい迷惑だ。

「法陣でまた反応! まだやるつもり!?」

「もう航空隊は付近にいない。何を狙ってる・・・?」

「まさか、B-17AEWを?」

 有川が舌打ち。

「それと、俺達だ」

 法陣より火球が放たれる。地上攻撃の時と違い、細く速い。P-47やJu-87を全滅させた魔法の強化版といったところだった。
 有川はラダーを蹴り、離脱旋回に入る。後席のデネブが首を捻り、火球を確認した。Ta152E改が進路を変えと、長い炎の尾が短くなり、ついに一点に収束される。つまり、火球は進路を変え真正面を向いて飛んできていた。

「追ってきた!」

 有川も、それを見遣る。火球はたしかに追尾してきている。だが、まだ距離があり、対応する時間は十分にあると思った。
 GM1・オン、加速。さすがに魔法ではチャフやフレアなどといったジャマーは通じない、回避機動で躱すしかなかった。命中まであと約15秒。
 右下方向で閃光がおこる。しかし、何が起きたのか確認しいてる暇はない。Ta152E改は機首を跳ね上げ大仰角で上昇、速度が下がり失速警報ランプが燈る。失速寸前、Ta152E改はスナップを掛け上昇反転からダイブ。身体が押えつけられる。成層圏の希薄な大気を、Ta152の翼が切り裂く。火球はTa152E改を追いきれず、背後を過ぎ去った。

「・・・躱したか。デネブ、状況は?」

 急機動で失い掛けた正体を取り戻しながらデネブは、おぼろげに見える右目を後席コンソールのPPIスコープに集中させた。高々度にいたシンボルマークが消えている。

「B-17AEWは撃墜されたみたい」

「長居は無用だ、離脱する。レイブン、方位0-1-5」

 Ta152E改が戦域から離脱を試みる。進路を変えた所で、PPIスコープに新しい輝点が現れた。

「コンタクト、機数12、方位1-9-5から接近。高度7500、速度は・・・、800以上!?」

「800以上だって?」

 時速800キロといえば、レシプロ機ではダイブをかけてようやくという速度だ。それも柔な機体では空中分解の危険すらある。しかし、ヘッドオンで接近する機影群は、水平飛行でその速度を軽々と上回っていた。
 高度13000メートルを飛ぶTa152E改の真下を、楔状の編隊を取るMe262シュワルベが通過する。

「こちら、ノヴォトニー。レイブン、この周波数で聞えていれば幸いだ」

 突然、無線機からノヴォトニー少佐の声が聞えた。有川とデネブが目を見合わせる。ノヴォトニー少佐は前回の模擬戦で使用した無線周波数を使っていた。

「これより戦闘にはいる。ジェット機のデータをキッチリと記録していてくれ、いつか役に立つはずだ。たとえそれを享受するのが空軍で無くともな」

 無線が切られると同時に、法陣がMe262隊に攻撃を開始する。Me262は速度に武器に回避。そのまま切り返して攻撃に移る。30ミリ機関砲と翼下に吊るされたロケット弾が、法陣周辺に点在した火点へ攻撃を開始した。
 Me262隊の戦い方は、有川の目から見ても鮮やかと呼べるものだった。ノヴォトニー少佐指揮下のもと、ジェットへの転換訓練を受けたMe262隊の練度は非常に高い。4機一組で横隊を組み、編隊掃射で確実に目標を叩いてゆく。反撃を受けると、すぐに編隊を開き撹乱させた後、再度攻撃を仕掛ける。
 法陣で再び火球が精錬されはじめた。異変に気付いたノヴォトニー少佐がすぐさま攻撃指示を出す。

「全機、法陣へ攻撃を集中しろ!」

 Me262隊が、編隊を組み法陣へ向けてロケット弾を放つ。法陣を破壊する事はではなかったが、多少なりダメージは与えたらしく火球は小さくなっていた。トドメを刺す為に、その後には500ポンド爆弾二発を搭載した別部隊が控えていたが、1000ポンド以上のペイロードを持つとMe262の速度性能は著しく低下する。そのためにノヴォトニーの率いる先行隊は、自分達に攻撃を引きつける囮となる必要があった。

「どうして!?」

突然、デネブが叫んだ。その理由は有川もすぐ気付いた。何機かのMe262が、明らかに速度が低下している。回避機動はおこなっているが、振り切るには絶対的に速度が足りない。

「少佐!!」

 有川が無線に向けて叫んだ。

「レイブン、君か?・・・  シュワルベの調子がおかしい、吸排気温が高い」

 Ta152E改の望遠カメラがシュワルベを確認。左翼エンジンから黒煙が伸びている。

「コンプレッサー・ストールだ! スロットルをカットしろ!」

 シュワルベの様子に、有川は直感した。コンプレッサー・ストールとは、エンジンへ正常に空気が送り込まれず推力を発揮しなくなる現象で、そのまま燃料過多になると、エンジン内で爆発が起こり燃焼室で火災を起こす危険がある。

「駄目だ・・・、翼から火が出ている」

「脱出しろ! 少佐ッ!!」

 直後に、少佐機は後方から襲いかかる火球に飲み込まれ爆散、その間に500ポンド爆弾を搭載したMe262が法陣へ殺到した。
 大地を削ぎ落とすような爆発が起こり、法陣が破壊される。



  陸軍が再び前進を開始。失われた航空兵力は後方基地より補充され、対地支援は続けられている。敵残兵力による抵抗は弱く、戦線の崩壊は時間の問題だった。
 結局、あの法陣が敵にとって最後の切り札であったらしい。
 残燃料を考慮し、独立観測航空隊は交代機のアンタレスにかわり、レイブンは帰路についた。
 先頭の居ない燕の群れが、烏を追い抜いてゆく。

「飛行技術の極意、か・・・」

「有川・・・?」

 デネブは、ヘッドレスト越しに有川の横顔を見る。空を見つめている、けど見張りをしているわけではない。けど、有川はなにか探し求めているようにをにデネブは感じた。
 何もない空の中。

「少佐が、探していたんだ」

 ゴーグルを掛け直し、有川は前を向いた。
 残念だが、自分にもその答えはわからない。
 答えがあるのかさえも。



最終更新:2007年11月06日 00:02