外伝Ⅱ 不帰順領域 第3話
有川は暗闇の中をライトで地面を照らしてTa152E改を飛ばすために必要な距離を歩き、時折小石を拾っていた。
今はともかく、動く事に意識を集中させていた。じっとしているのが嫌だった。
じっとしていては、考え込んでしまう。
気が付けば、湖の辺まで歩いていた。足元には、ここへ着陸したときの轍がまだ残っていた。
Ta152E改を飛ばすつもりなら、もう一度同じコースを走ればいい。立派な滑走路だ。きっと、飛び立てるだろう。
Ta152E改の方からデネブがカンテラを持って走って来た。
「E・プランの事だけど、明朝実行されるわ。ここに来るのは単機で、護衛の戦闘機はいないそうよ」
「塗装を剥がしたジェラルミン剥き出しのB-29爆撃機による高度一万メートルからの高々度爆撃か?」
「・・・知っていたの?」
有川の答えがあまりに的中していたのに驚き、デネブがうろたえる。
あまりに悪い冗談だ・・・、と有川は思った。やつらは本気で熱核兵器を使うつもりだ。今は、はっきりと敵愾心に駆り立てられている自分がわかった。
「でも、どうするつもり? このまま飛んでもラムサスに殺されるのよ」
「一つ気になってる。あいつは、なんで俺達を殺さないんだ?」
「どう言う意味?」
「今まで何度も機会はあったはずだ。P-51のやられた時は、こちらが振り切ったのかもしれない。でも、不時着後でもチャンスはあった。それに、あのワイバーンの時、なぜわざと逃がした?」
「それは・・・」と言い掛けたが、デネブにも見当がつかなかった。
「あいつは、いったい何を考えているんだ・・・?」
「・・・自分の魔力を見せつけ、畏怖によって私達に使役の術を掛けるつもりかしら?」
有川が表情を曇らせる。たしかに、Ta152E改のデータバンクを観閲すれば、帝國軍に対するあらゆる情報を引き出せるだろう。しかし、そんな事より自分から空を奪った相手に操られるなど御免だった。
「そうだとしたら、感情の起伏は押えた方がいいわよ」
有川の様子を察し、デネブが言った。
「さっき、私があの獣に術を使った時の事覚えているでしょ? 私は獣の頭を押えたとき、獣に自分では太刀打できないと感じさせたの、文字通り押えつけたった事。使役の術は自分を強大に見せ、相手の意気を喪失させ正体を奪うことよ。そういう意味では魂の一部を奪う事と同じになるわ」
「ずいぶん強引な魔法みたいだな」
「だから恨みも買うのよ。感情の起伏を押え、心を静めている事ね。動揺して周りが見えなくなれば、それだけ術に掛かりやすくなる」
生かされてるっても気分のいいもんじゃない、と有川は思った。戦場で沢山の死を見取るなかで、意味など無く人が死ぬ事を知っていた。命が無駄に消費される事実をいくつも眺めてきた。
だが、理不尽に生かされ続け、自己を奪われ利用されると感じたのは初めてだった。ある意味では、氷室が使っている強化人間の集団と同じだが、それに気付く事は苦痛になった。
「飛ぶ事は、俺の全てだったんだ・・・」
虚ろの目で呟く。
「あの術師にとって国は、俺にとっての空と同じ意味だったんだろう」
「同情は、今は最悪の感情よ」
デネブが冷たく言った。
「わかってる。あいつの復讐に付き合って、利用されるのはいい気分じゃない。けどな―」
「やめてよ!」
苛立たしくデネブが額をかいた。
「なんで、自分を捨てても失ったものを得ようとするの!? それは他に誰でもない、自分自身が求めているんでしょう」
「失ってから得るんじゃない! 失おうとしているから取り戻そうとするんだ」
「少なくても、自分ではそう思い込もうとしているのね?」
カッとなった有川に、素早くデネブが呪文を囁いた。
「眠りの幻想を・・・」
魔法を掛けると、有川はほんの僅かな抵抗さえなく眠りの淵へ落ちた。平静を失っていれば、それだけ術に掛かりやすい。力を無くし、倒れ掛かる有川の身体をデネブが受けとめた。
「現実は時に辛すぎる。けど、選択肢が限られた中で対峙するしかないのよ」
呪文の続きのように、眠ってしまった有川に語りかける。これから自分のする事は、有川はどう思うだろう。しかし、ここから抜け出す手段は、他に思いつかなかった。十分にためす価値があり、唯一の方法なのだ。
「せめて、今は良い夢を・・・」
デネブは森の中に入ってあてもなく歩いていたが、僅かのうちに結果は出た。草木が自然としなり道を作っている。自分を誘っているとわかった。
整えられた林道を歩いてゆくと、あの広場に出た。
「今度はお前一人だけか? まったく逃げたり入り込んだり忙しい奴だ」
初老の魔導師は、やはり巨木の根元に佇んでいた。目を伏せ、澄んだ顔でデネブの方を向いた。
「ラムサス、あなたが魂を売り、契約したのはこの森ね?」
ラムサスが、少し口元を歪めた。かまわずにデネブが続ける。
「でも、あなたが契約できたのはこの森だけ、湖や私達の飛行機が置いてある草地は含まれていない。違う?」
「ヒトの持つ魔力では、これが限界だろう。しかし、驚いたな。およそ500年も昔に禁忌とされた魔法を知っているとは、お前は何者だ? ただの修道士ではあるまい」
「私は知識として知っているだけよ」
「知識を持つだけでも大罪のはずだ。ヒトが忘れるべきモノを無意味に知る必要はない」
デネブが深い溜息をついた。
「それを使ったあなたに言われたくないわ」
「何をしにきた? 私の魔法を種明かししてみせに来たわけではないだろう?」
「えぇ、もちろん。私は取り引きに来た。一方的に得るのでは無く、対価をもって交換に応じ、望みを叶える契約よ」
「等価の交換は、望む対価を与えれば、相手はそれを拒む事は出来ない。ヒトは時々その理を反故するが・・・、なるほど、今の私がヒトでなきモノだから出来る契約というわけか」
デネブは無言で手を左目に掠め、軽く握る。世界が半減したような感じだった。右目が別れを惜しむように潤んでくるのを堪える。
「望むモノがここにある。受け取る準備はいい?」
「それが代償か?」
「そうよ。あなたは視る力を望んでいた。魔力を使い、モノを把握する術はあるけど、それでは光は得られない」
「何を求めている?」
「一時的でもいい、私達をこの結界から出しなさい。帝國は、またここに飛行機を飛ばしてくるわ」
「ふん。懲りもせずに、犠牲を出したがる」
「それは私達が落としてあげる」
「どういうことだ? 同じ側に属するモノをなぜ殺そうとする?」
「たとえ帝國に属していても、私達には敵でしかないのよ」
「いや、違う。あの男だな。他人のために、自分が代償を払う?」
その質問にはデネブは答えなかった。どんな事を言っても、ただの言い訳と思った。自分が犠牲になる理由、それを求める事が本当に必要あるのだろうか。たとえ、うまく表現などできなくても、選んだことなのだ。この対価は、同じものでも有川には辛過ぎる。
ラムサスが対価を受け取り、もと来た道を指差した。
「さぁ、いけ。だが、私は逃がさんぞ。ここへ足を踏み入れたとき、運命はすでに決まっている」
「あなたの失敗は、この場所に結界を張るのと一緒に自分にも結界を掛けてしまった事よ」
捨て台詞を吐いて、デネブは背を向けた。
「言っただろう、これが最後の戦いだ。もはや、生きているのか死んでいるのかすら判らぬ私にはこの場所しかない」
ラムサスの言葉に、微かな哀愁を感じて降り返る。しかし、その時にはデネブは森の外にはじき出されていた。
空の上は、殺すか殺されるかという単純な法則しかなかった。
油圧計を一瞬だけチェックし、照準環からずれる敵機に追いすがる。敵機は上昇。インメルマン・ターン、高度15000フィートで頂点になる。それと同時に、ラダーを蹴り、機体をバンクさせるとすぐさま右旋回に移った。
スロットルを開き、エンジンを開放にして、射軸に敵機を捉え撃つ。ガンを撃つ時は、右手は自分の右手でなくなっている。まるで操縦幹の一部のように、敵機を捉えると動いている。目が発射のタイミングを右手に命じていた。自分の身体が、まるで自分ではないようで、如いて言えば戦闘機と一体になっていた。
当らない。距離はみるみると近づくが、相手もしきりに横転旋回を繰り返し、攻撃をかわそうと必死になる。いや、もしかして余裕の笑みを浮かべているのかもしれない。そんな気さえしてきた。
敵機は、一度機首を沈めたかと思うと、それがまるで圧縮されたスプリングのように機体を放り上げ、再び上昇する。高々度戦に持ち込むきなのか、ほぼ垂直の角度で上昇。
ついて行くしかない。
スティックを引く。
もう少し高度をとっていれば、絶好の射撃ポジションを取れたのだろうに。そんな後悔さえ、次の瞬間には消し飛んでしまっている。
背面のまま、トリガーを指を掛けたが撃たなかった。牽制に使うほどの無駄弾はもうない。確実に命中させなければならない。
敵機はロールをうって、ダイブ。
こちらがエンジンを全開にした瞬間、敵機がブレークした。しくじった!と思った。ラダーを蹴り、咄嗟に旋回に移る。
相手も、その機動を読んでいた。背面ロール、翼の揚力を剥離させ、速度を急激に落とす。
背後を取られた。
銃撃が背後からキャノピーを掠める。無理に旋回せず、あのまま飛び抜けていればよかったんだ。そうすれば、仕切りなおす時間もあったかもしれない。だが、過ぎた事を後悔するのは愚かだった。弾薬を消費した事から、焦りがあったのだ。
最後の手段、スパイラル・ダイブ。しかし、それが決定的な致命傷になった。敵機はそれまで読んでいた。慌ててスロットルを開こうとするが、機速が遅すぎた。敵機が迫る。
背後からの衝撃で、自分がやられたのだと思った。もうすぐ自分は、バラバラに砕ける破片の一部になって、空に散る。
この空では、判断が出来なくて運のない弱い奴が負ける。
しかし、自分にその時は訪れなかった。バック・ミラーの中に、敵機が砕け散のが映った。
「なんだ?」
敵機の背後から、もう一機の戦闘機が現れ、自機の上を過ぎ去ってゆく。細身の身体に、長大な翼がクロスした優美なラインを持つ戦闘機。
「あれは・・・」
Ta152だ。機番など見なくても分かった。あれは、自分の翼だ。それを自分が見上げている。
不思議だった。
あれに乗っているのは、誰だ?
誰が、助けてくれた・・・?
有川が目を覚ましたとき、いつ眠ってしまった事に気付かず、何が起きたのかさえわからなかった。カンテラの灯りが眩しくて、再び目をつぶった。
空中戦をしている夢だった。でも搭乗機は思い出せない、敵機もなんだたのだろうか。でも、一つだけ、自分を助けてくれたのはTa152だった。間違い無く。
灯りに慣らしながら、ゆっくりと目を開ける。どうやらTa152E改の主脚を背もたれに眠っていたらしい。ようやく、辺りを見回す余裕が出来た。すでに西の空が白み始め、夜が終焉を迎え様としていた。
背後に人の気配を感じ、振り向くとデネブがサバイバル・キッドを仕舞いているところだった。
「しまった・・・、俺は眠ってしまったのか? 」
「でも時間は有効に使ったわよ。もう一度、ラムサスに会ってきた」
有川がぎょっと目を丸くする。
「結界は解いたわ。さぁ、行きましょうか」
「行く? 何所に?」
デネブが不思議そうな顔で有川を見た。
「空に決まっているじゃない? 有川にはまだやることがあるでしょう」
デネブは、すでにエナーシャハンドルを持ち出し、エンジンを回そうとしていた。何か見落としている気がして、どうも釈然としなかった。
「ぼけっとしてないでエナーシャ回すの手伝ってよ」
主翼には構造上一人しか乗れない、すでにデネブが主翼に乗っているので、有川は台になりそうな物を前縁の前に置いて手を伸ばした。
ふと見上げたデネブに、何かが欠けたような妙な違和感を覚えた。
「ちょっと、待て!」
エナーシャを回そうとしていたデネブの腕を掴む。「なによ?」とデネブが怪訝な顔をしたが、有川はかまわず腕を引っ張り地面に降ろすと、瞳を見据えた。
「そんな・・・」
左右の目が色違いになっていた。
高度が上がると、上空の色は青ではなく黒に戻って行く。デネブの瞳は丁度そんな色をしていた。良く見える目だと思っていた。しかし、今の左目は地上から見た空の色だった。地上の人間が「澄みきった空だ」という軽薄な色、綺麗だが本当の色じゃない。モノが見える目ではなかった。
デネブが、掴まれた腕を軽く振った。力が無くなってゆく手を振り解くのは造作もない。有川も離れてゆくデネブを止めるような事はしなかった。
「・・・その左目はどうした?」
Ta152の主翼に寄り掛かり、諦めたようにデネブが息を吐く。
「結界を解くために左目を対価にしたわ。もう、無いのよ」
「なんだって?」
「対価には自分では払う事の出来ないモノもある。左目を失って悲しくないとは言えないけど、私だってこんな所で終るのはいやよ」
「なんでだよ! ほかに方法はなかったのか!?」
「私に出来ると思うの? もし魔法が使えたとしても、あんなにも目を大切にしている有川から、目を取るなんてこと出来ないよ」
返す言葉を見失い、有川は奥歯を噛んだ。デネブの言う通りだ。魔法を使えたとしたら、自分はこんな方法を選んだだろうか? 彼女が左目を失ったのが悲しかった。空を飛びたいのは自分なのに・・・。
「・・・有川」
こうなるだろうと思っていたが、有川を見ていると胸がノッキングしたみたいに詰まった。だが、結局こうする以外になかったのだ。
「行きましょう。時間がないわ」
デネブが、再び主翼に上がりエナーシャハンドルを掴んだ。今度は一人でも回す気だったが、有川も無言で手伝った。コンタクト。エンジンが小気味良い震動をして回りはじめる。
「あの時、俺を怒らせようとしたのは俺に術を掛けやすくする為か?」
車輪止めを外した有川が、問いかけた。
「言えば、有川は止めたでしょう?」
後席に着こうとしたデネブが、振り返らず答えた。
「ああ、たぶんな・・・」
「わたしなら大丈夫、左目は後悔してない」
有川もコクピットにつく。始動したばかりのエンジンを十分間のアイドリング。暖気を終えると、機首を湖に向け、スロットルを押し上げる。Ta152E改が走り出す。始めはタイヤがごろごろと鳴って耳障りだった。
地上にいると嫌な事が多い、早く空に上がりたい。
このチャンスを掴むために、デネブが払った代償は小さくない。それは、もっと心苦しい思いをするはずなのに、別の自分がそう囁いていた。
「俺は・・・ただ、飛ぶだけなのかもしれない」
Ta152が地面を蹴る。
最終更新:2007年10月31日 01:32