外伝Ⅱ 不帰順領域 第2話


「結界だって、これは魔法か!?」

 有川も、この世界に魔法が存在する事は知っていた。元々自分が属する飛鳥島科学研究所所属、独立観測航空隊自体その魔法の謎を解明するために創設された部署であり、戦地を駆け巡り敵性魔法の情報を回収することが目的である。

「対魔装置が壊れていないなら間違いないでしょう、ここ一帯に魔力が張られてる。でも、こんなに広い空間に結界を張り続けるなんて、並の術じゃないわ」

 異世界からやってきた有川とは違い、この世界の住人であるデネブは自身で魔法を使う事が出来たし、魔術についても知識を持っていた。そのデネブが悩むのだから、自分がどれほど異様な自体に遭遇しているのか有川には想像することすら出来なった。
 ふと、消えた三機のムスタングが気になった。 

「・・・ドロシー達はどうなったんだ?」

「結界は、来る者を拒み、去る者を阻むモノ。無理に出入り出来ないわ。もし、すればやられる」

「やられる?」

 デネブが、視線をTa152E改に逸らせる。左主翼の先が、ボロボロに崩れているのを認め、有川は悟った。
 溜息を吐く。

「どうする? これから」

「抜け出す手段を考える、っと言いたいけど俺は魔法は駄目だ」

 魔法なんて、自分には御伽噺の中のモノでしかなかった。理解するとか、しないとかそういうモノではない。ただ、存在しているのだから自分はそれを認めているだけでしかない。

「私も思いつかないけど、ところでいつも不時着したときってどうするの?」

 有川はようやく、Ta152E改で不時着したのは初めてだった事に気付いた。ひとまず緊急手順通り、とりあえず機体を点検を始める。
 Ta152E改の周りを巡り細部を点検。左主翼の先の損傷はたいした事なさそうだったし、エンジン系統にも問題はない。なにより、タイヤがパンクしていないのが幸運だった。
 機体の点検を終えると有川はコクピットの後ろの貨物庫からサバイバル・キッドを引っ張り出した。数日分の携帯食、ある程度の医療品、信号弾、銃、浄水剤、クックリ・ナイフ、ロープetc。機外に並べて個数を確認する。
 その間にデネブが後席に戻り、無線を試してみた。

「どうだ?」

「駄目みたいね、ここからじゃ電波が届いてないのかしら?」

「電力を節約したい。受信状態にして、他の電子機材は切ってくれ」

 救難機がくる可能性は低かったが、だからと言って自ら救助手段を拒否するのは抵抗があった。

「有川は、その銃は使えるの?」

 デネブが、有川の持っていた折畳みストックの付きコンパクトなライフル銃を指差す。銃は帝國軍歩兵の正規小銃をコンパクトにしたAKS-74Uとよばれる物で、有川のいた世界では某テロリストが使っていた為にビンラディン・モデルといわれるタイプだった。 

「さぁ、どうだろう? 基礎訓練以来ろくに構っちゃいない。デネブの分もあるがどうする?」

「音にびっくりして気絶するのがオチだと思うけど」

「俺もオオカミを脅かせられればいいとこだな・・・」

 言い掛けて、有川はハッと空を見上げた。ワイバーンを探す。こんな所を見つかれば一溜まりもない。サバイバル・キッドの中にカモフラ・ネットがあることを思い出し急いで広げた。

「今はいないみたい」

 機体の反対側に廻ったデネブがネットを引っ張りながら空を見渡した。

「ここに結界が張られているという事は術士がいるんだろ? 銃はやっぱり持ってろ、ローディス軍の敗残兵かもしれない」

「そうでなくても、この場所、私達に敵意がある事は間違いないみたいよ」

 仕方なさそうにAKS-74Uを受け取りデネブが言った。

「なぁ、デネブ。俺は魔法なんてわからない、けどこの魔術が術士の力ならば、その術士を倒せば、この結界を解けるんじゃないか?」

「倒すってのは、殺すって事?」

「ああ、そうだ。詭弁だったよ」

「いろんな場合があるけど、だいたいはそうなるわね。でも、これほどの術が使える相手だと難しいわよ。第一、私達は相手側のエリアにいるんだし」

 言い淀んでデネブが、ふと考え込んだ。
 この結界はどうもおかしい。この霧は、術の影響だろうか? 飛んでいるときは積極的に仕掛けてきたのに、着陸してからまるで自分達に興味を失ったみたいだ。ワイバーンが襲って来ないのは、単に見失っただけだろうか? あのワイバーンの群れも変だった。ワイバーンは本来単独で生きている生物のはずで、繁殖のために群れを作る時期はもうに過ぎている。
 そもそも、どんな術法を組んでも、こんな巨大な結界が張れるはずがない。ヒトのチカラを越えている・・・
 「どうした?」と有川に声を掛けられ、我にかえった。

「どうにも、わからない事だらけだわ。なんとか考えてみるけど」

 デネブが空を見上げる。霧の中に浮かんだ太陽が山脈の影に掛かり、闇の気配が近づいていた。

「ピクニックがキャンプになりそうよ」

「夜が明けたら、太陽の昇る方に歩くさ」

 有川が、妙に確信めいて答えたので「なぜ?」とデネブが訊いた。

「先人の足跡さ。アンリ・ギヨメはそうして助かった」



 帝國空軍第393戦略爆撃飛行隊の富岡隆志少佐が帝國空軍の総司令官である上杉中将の司令室に出頭を命じられたのは、乗機していたB-29Dスーパーフォートレス“サンダーボルト号”を降りてすぐだった。この緊急で極秘の召還は、なにか特別な任務らしいという話が噂されていた。
 富岡少佐は、その名前通り前の世界では日本軍に属していたが、その頃は陸軍で戦車部隊を指揮していた。この世界に移転した当初のころ、対米戦で空軍パイロットが不足し、陸軍の兵士を即席でパイロットに仕立て飛行機に乗せていた時期にパイロットに転向した。

「まぁ、掛けてくれ、何か飲むかね?」

 司令席に座る上杉中将が、応接席を勧めた。

「いえ、このままで聞かせていただきます」

 直立不動のまま富岡少佐が答えると、上杉中将は「そうか」と答え一息間を置いて話をはじめた。

「少佐は元陸軍だそうだが、航空機にはもう慣れたかね?」

「戦車の頃と比べ、高さというベクトルもありますので違和感がありましたが、編成や指揮に手間取ることはありません。とくに今の爆撃機隊の場合は、完璧にものにしていると思います」

 富岡は多少嘘をついた。空軍に入った頃は、指揮ミスで編隊機を空中衝突させてしまった事は一度や二度じゃなかった。今でこそ、帝國でも数少ないB-29D爆撃部隊の編隊長をしているが、ここにいたるまでに犠牲にしたものも少なくなかった。

「では、B-29Dはどうだね?」

「素晴らしい爆撃機です。翼幅43メートルの巨鳥が、10000メートル以上の高々度を、時速600キロで駆け抜けます。敵に反撃の術はありません」

 そして、都市を灰燼に帰する。爆撃を高度10000メートルからの見ていると、打ち上げ花火を見下ろしているように見える。逃げ惑う人は見えない。それだけが富岡にとって唯一の救いだった。

「単機の、それも地上支援を受けない隠密任務では?」

「私のサンダーボルト号ならば、編隊長機を務めるにあたり、あらゆる航法・レーダー・電子装備が施されています。むろん、爆撃照準機、機体構造、与圧システムその他も、WWⅡ時代のものとは比べ物になりません。まったくの別物の爆撃機です。単機での偵察任務でも問題ありません」

「よろしい、君に特殊な任務を命じる。ただし、偵察任務ではない」

 それまで無表情で受け答えをしていた富岡が、僅かに目を細めた。

「では、どのような任務でしょうか?」

「爆撃慣熟訓練だ。明朝より出撃、フンファ飛行場にて燃料補給を受け、ガルカイオ高地でおこなう」

「ガルカイオ?」

「旧ローディス領内の辺境に位置する無心地帯だ。この訓練は非常に重要性が高いものだと認識してくれ」

 ガルカイオという所は富岡は知らなかったが、爆撃慣熟訓練など建て前だと気付いていた。単機の爆撃機で戦略級の効果をもたらす爆撃など、核爆弾の投下以外ありえない。
 司令室を出る時、来るべき時が来たと富岡は思った。帝國はいよいよ核を使う。かつて己を焼いた焔を、今度は自らが持つのだ。その引き金を、自分は引けるだろうか?・・・



結局、ワイバーンの襲撃はなかったが、かわりに夜の帳がガルカイオ高地を囲む山脈の向こうから姿を現し、空と地を制圧した。暗くなると有川はサバイバル・キッドに入っていたカンテラを取り出し、Ta152E改のMK151機関砲のバレルに引っ掛けた。
 カンテラの灯りを頼りに飛行服のポケットから見返り烏の装飾がされたスキットルボトルを取り出したのを見て、デネブがクスクスと笑った。

「あきれたもんね。こんな時でもお酒を手放さないないなんて」

「お守りで持ってるだけだ、酔っ払う気はないよ。それに、今ならかえってシラフよりいいアイディアが浮かぶかもしれないぞ」

「お酒もいいけど、私はなにか食べたいな。有川の国の言葉に何かあったでしょ?」

「腹がへっては戦が出来ぬ、か?」

 サバイバル・キッドから、固形型の携帯食と魔法瓶を取り出し、夕食にした。
 携帯食は、栄養学のみで作られたような代物でうまくない。何度か世話になった有川はともかく、デネブはさすがに参った様子で「干し肉ぐらい入れてもらおう」とぼやきながら食べた。

「俺達を罠にかけた奴は、いったいどんな奴なんだろう・・・」

 食事が終わる頃、有川が誰にともなく独り言のように呟いた。

「ヒトであるかどうか、わからないかも」

 最後の一口を、魔法瓶に入った紅茶で呑み込みながらデネブが答えた。

「人じゃない? じゃあ一体なんだ」

「心当たりがないわけじゃないけど、あんまりアテになるもんじゃないわね」

「魔法まで使われて、いまさら何が起きてもおかしくないさ」

 有川が皮肉を込めて言った。

「魔法は有川の思っているほど便利なものじゃないわよ」

 「そうなのか?」と有川。魔法の存在が頭ではわかっていても、今だにかみ砕けないでいる。

「そんなに魔法が不思議?」

「ああ、まったく。俺にはわからない代物だ」

「有川から見れば、私達のやる事はでたらめにみえるかもしれないけど、魔法もちゃんとした秩序と戒律の存在なのよ、それで・・・」

 デネブが急に言葉を止め、「どうした?」と有川が尋ねると「静かに・・・」と答え、耳をすませた。
 不意に森から物音が聞こえ、反射的に二人はその方を向いた。森の奥に何かいて、ゆっくりとこちらに近づいてくる。

「・・・なんだ?」

 遅れて気付いた有川が声をひそめ、銃に手を伸ばした。セイフティを外し、チャンバーに初弾を込める。
 茂みから、細長い鼻がのっそりと出てきた。

「犬? いや、狼か・・・?」

 双眸がこちらを見ているが、それ以上近づいてはこなかった。表情は警戒しているとも、物欲しそうにしているともいえず、携帯食の匂いでつられて来たわけでは無いようだった。
 有川は辺りを見まわし、周囲の気配を探った。群れならば、どちらにしろ厄介な相手だ。だが、そうにはみえない。一匹だけのはぐれモノだろうか。

「いえ、見張り役のようね。この結界の」

 デネブが、じっとその獣を疑視した。銃は持たないが、ピリピリと警戒している気配は伝わってくる。

「結界の見張り役?」

「向こうから先に出てきたみたい。どうやら辛抱ならなくなったのね」

「じゃあ、あれはなんだ?」

「有川の苦手な魔法の一種。姿を持たないモノに姿を与えていると言ったところ。その代わりに使役につかせているわ」

 最後の言葉が、妙に険が篭っていた。

「私達を監視させに来たのか。しかたない・・・」

 デネブはそう呟き、立ち上がって獣に近づいた。
 獣は近づいても逃げなかったが、かわりに牙を剥きうなり声を上げて威嚇した。有川が「止せ!」と叫び、銃を構える。
 デネブは振り返って「銃はいらない」と合図すると右手を前に出し、獣の頭を押えつけた。腕に噛み付かれるぞ! と有川は思った。だが、手を当てると獣は急に大人しくなり、デネブに押えられ頭を下げた。

「姿なきモノよ。お前に偽りの姿を与えし者、お前を遣わせている者のもとへ、我を導け」

 デネブが、言い聞かせる様に告げる。
 軽く手を放すと、獣はくるりと身を翻し森の中へ帰って行った。

「さぁ、後を追いましょう」

 デネブがついて行くので、有川は慌てて後を追った。何が起こっているのか、さっぱりわからなかった。

「何をやったんだ? さっきが呪文なのか?」

「まぁね」

 二人は獣の後に続いて暗い森の中へ入った。有川が光量を絞ったライトで足元を照らした。獣はこちらと一定の距離を保っていたが、距離が離れると立ち止まり二人を待っている。たしかに案内している感じはした。

「魔法ってやつは、便利なもんだよな」

「そうでもないわよ。使役の魔術は、術が破られれば術士はその報いを受ける。だから、とても危険でとても恐ろしい」

「報い?」

「そう。使役されるモノは、術士によって自由を奪われている、正しい方法で術を解かなければもっとも憎むべき術を掛けた当事者を襲うわ」

 デネブの言う事の凄みは有川にはわからなかったが、それが尋常ならざるものであることは伝わっていた。

「あれを操ってる奴は相当な度胸があるということか」

「今、使役しているのは私よ」

 「えっ?」と有川が目を丸くする。

「もとの主を案内させているの。それは、たぶん私達をこの結界へ閉じ込めた張本人だと思う」

「危険じゃないのか? 報いがあるとか言ってただろ?」

「だから、これでもちょっと神経使ってる。術を解くのはタイミングが大事なんだから」

 デネブの表情が少し強張ってているのを見て、有川は口をつぐんだ。あのまま、Ta152E改の所でじっとしていてもしかたない。解決への一歩なのだ。彼女の判断に、自分が口出しをすべきでないと思った。
 頼みの獣は、やはり少し前を歩いては立ち止まるのを繰り返していた。二人はこの無言の引率者に案内され、次第に森の奥へと導かれた。それから数十分は森の中を歩いた。
 獣が止まり、こちらを振り返る。今度は有川達が近づいても離れなかった。

「・・・そう。ここまで、ありがとう」

 獣の様子に悟ったデネブが言った。なんの事はわからない有川だったが、獣の異変に気付いて目を擦った。凛とした姿勢で止まっていた獣の姿が、なんの前触れもなく風に吹かれたように掻き消えた。

「消えちまったぞ!?」

「元々姿なきモノだったんだから、役割を終えて霧散したのよ。でも、随分中途半端なところに案内されたものね」

 デネブが首を振って見回す。周りは鬱蒼とした森だが、ここだけ広場のようになっていて、上からそそぐ月明かりで足元がはっきりと見えるほど明るい。だが、それ以上に何もない。この場所だけ周囲から疎外されたみたいだった。

「呪詛返しの出来る人間がいたとは、すこし見くびっていたようだ」

 背後から掛けられた声に、有川が反射的に銃を構え振り返る。
 振り返ると思わず、「なに・・・!?」と有川が驚愕の声をもらした。今まで歩いていた道が消え、見上げるような巨木が立ち塞がっていた。
 巨木の下に声主の影があった。月明かりが、巨木の枝に遮られ影だけが地面に映っている。

「誰だ!?」

 影を睨みつけ有川が誰何した。
 影が歩を進め、正体が月明かりの下に姿を現しはじめた。現われたのは、ゆったりと長い外衣に黒いフードを被った男だった。長身だが、頬が削げて痩せてみえる。目を伏せていて、物静かな初老の男に見えたが、それ以上に冷たい気配を感じた。

「お前達は、帝國の者だな?」

 質問に質問で返されムッとしたが、有川が何か言う前にデネブが前に出た。

「私はデネブ・ローブ。あの使役はあなたが遣わせたモノね?」

 デネブに肩を押えながら「ローディス軍よ」と囁かれ、有川は男の外衣に付けられたローディス国の紋章に気付いた。

「ほぅ、あの使役の術を解くとは、大した魔術師のようだ」

「クレリックよ、元だけど」

「カール・ラムサス、ローディスの近衛魔導師だ」 

「ラムサス?」

 聞き覚えのある名前だった。いつか、著作の書物を読んだ事がある。長きに渡りローディスという小国を支えるめしいの魔導師だとデネブは覚えていた。

「ザーブゼネのパウルスと同じく大陸で五本の指に入る魔力を持つ魔術師だったわね」

 自分達の前にいるのは、この大陸でも屈指の魔法使いだ。魔力では敵うはずもないが、臆した態度を見せるわけにはいかなかった。

「パウルスか、ザーブゼネを売った男と比べられるのは癪だが、魔法に長けし者としては敬意を払う相手だ」

「国に忠義を尽くす者が、なぜこんなことを?」

「ローディスは滅んだ、貴様らの侵略によってな。都は落ち、国は失われた」

「そうよ、戦争は終ったはず・・・」

「誰が終らせた?」

 ラムサスが、鋭く遮った。

「降伏を受け入れれば、それで戦争は終りか?」

 一瞬、何を言っているのか有川とデネブにはわからなかった。しかし、まずい相手だ、と視線を交わした。敗残兵に違いないが、どうも様子がおかしい。

「ローディスは帝國の講和に応じたはずだ」

 デネブにかわり、有川が答えた。

「そんな道化の結んだ条約で、納得できるものか・・・」

 ラムサスが反発する。だが、静かだった。憤怒が現れているのに、口調は落ちついていた。

「ローディスは、今は見る影もない。解放を叫び、お前達が入ってきてから、風の匂いも変わってしまった」

「あなたは、何のために結界を張っているの?」

「ローディスは、まだここにある。これは、最後の戦いだ」

「どういう事・・・?」 

 とデネブ。 
 だが、有川にはわかった。こいつに目的なんて無い、国を奪った自分たちへの復讐心だけで動いている。

「ただの復讐だ!」

 有川がラムサスに銃を向ける。だが、ラムサスが臆すどころか、口元に歪ませ嘲笑した。

「火の出る筒か? これは怖い。では、私も対抗させてもらおう」

 甲高い雄叫びが空から響く。突然、周囲が暗くなり、有川が開けた空を見上げる。何かが月を遮った。長い首と尾、そして翼を持った黒い影が降りてくる。
 突風と共に現われたワイバーンが、ラムサスの背後に立ち、有川とデネブを見下ろす。空で見たときよりも遥かに巨大で、剥き出した牙が二人に恐怖を与えていた。

「そんな・・・、魔獣を使役に使うなんて!?」

 デネブが目を見開き驚く。ワイバーンは自らも魔力を持っているため、他の魔力を防ぐ力がとても強い。並の術法ではどうにも出来ないはずの相手だった。ラムサスは、それを操っているのだ。それはデネブの知る限り大岩を素手で押して移動させるより難しいはずだった。

「そうだとも、私が魔獣を使役を使い、私が結界を張っている」

「うそ! そんなこと出来るはずがない! そんなの、ヒトのチカラを越えている・・・」

 ハッとデネブが言葉を止めた。まるで、その事に気付いた自分を恐れているように震える声で「まさか・・・」と呟く。

「デネブ! そいつから離れろ!!」

 有川がラムサスに銃を向け叫ぶ。だが、デネブは驚愕に目を見開き動かなかった。僅かの間、そして呪うように喉の奥からようやく言葉を吐き出した。

「あなた! 魂を売ったわね!?」

 咄嗟に、有川がデネブの腕を掴み走り出す。森の中へ逃げ込んだ。

「逃げるぞ」

「逃げるって、どこへ!?」

 走りながら、デネブが尋ねる。

「あいつは、ただ復讐がしたいだけだ!」

「でも、ここは彼の結界の中なのよ!」

 ワイバーンが、後を追ってくる。
 二人は脱兎の如く走っていたが、ワイバーンから見ればそれはまさにウサギを追い詰めるようなものだった。双眸で逃げ去る二匹のウサギを捉えると、ふわりと飛び上がり二人の前に舞い降りた。
 有川が立ちはだかるワイバーンに向けて銃を撃った。だが、5.56ミリの小口径弾では大して効きそうにはない。

「駄目か!」

 空になったマガジンを投げ捨てる。

「デネブ、あいつを操れないか!?」

「無茶言わないでよ! 私には魔獣に術を掛けれる力はないわ!」

 ワイバーンが首をもたげ口を薄く開く。ファイヤーブレスだ、と有川とデネブは直感した。だが、防ぐ術がない。せいぜい、身を強張らせる程度の事しか動けなかった。二人が死を覚悟する、が―

「まぁ、いい。今は逃がしてやる」

 聞えたラムサスの声は、異様に近くに感じた。
 火を吹く直前だったワイバーンが動きを止め、翼を広げ飛び去る。
 腕で突き出し、羽ばたきの起こす風を防いでいた有川が目をあけると、目の前は森でなく湖だった。

「なに・・・?」

 言葉がうまく出ない。
 湖の対岸、その遥か向こうの森に見覚えのある巨大な樹が立っていた。さっきまで自分達のいた場所に違いなかった。だが、森の中を闇雲に走ったとはいえ、辿りつけるような距離ではない。

「私達・・・、あそばれてるみたいね」

 二人は虚脱感に襲われ、その場に立ち尽した。



飛鳥島 第三飛行場
 格納庫から引き出される巨鳥は、その場にいた兵士達の士気をいやがうえにも高める事になった。その巨鳥、B-29D“スーパーフォートレス”戦略爆撃機は最終的な配備数でも200機前後しかない。しかし、“超空の要塞”と謳われるその性能、上昇高度、巡航速度、爆弾搭載量、そして航続距離は、B-17Gフライングフォートレス、B-25Jミッチェルなどの他の帝國空軍の爆撃機を圧倒している。まさに戦略級の作戦をおこなうため爆撃機であり、その姿は目に見える形となって兵士達に強靭な帝國軍を現していた。
 四発のP&W・R-4360-35・ワスプメジャー空冷星型エンジンが猛々しく唸り、あたりが轟音に包まれる。それはまさしく巨鳥の咆哮となり、飛び立つ時を待っていた。
 富岡少佐が巨鳥の足元に歩み寄ると、副操縦士のバグナード中尉が敬礼で迎えた。

「状況は?」

「整備及び燃料、電源、弾薬、その他すべての補給は完了です。あとは荷物だけですが、警備部の連中が何やら渋ってまして・・・」

 なにしろ、核兵器だ。同じ帝國軍人だろうと、ここの人間ならなるべく外部の見せたくないに決まっている。
 富岡がさりげなく人払いをすると、大尉の階級を持った警備主任が富岡に近づいてきた。

「富岡少佐ですね?」

「そうだ」

 傲然とした口調で答え、「離陸予定時間が迫っている。すぐにでも搭載作業に掛ってもらいたい」と催促した。

「了解しました。特殊装備の搭載は少佐の到着後という事でしたので」

 作業班がすぐさま梱包された巨大なケースをB-29Dの爆弾倉の下へと運んで行く。ケースの側面には鮮やかな色で放射能マークが描きこまれていた。
 なるほど、俺に見届けさせようというのか。自分の目で、これから成すことの重さを自覚しろと言わせたいのだな。
 富岡は、愛機B-29Dスーパーフォートレス“サンダーボルト号”上げた。油断すると、武者震いがして止まらなかった。
 ふと、B-29Dの上を何が通りすぎて行ったように思った。周りがありったけのライトで照らされているために、星空すらみえないが、ワスプメジャー・エンジンとは違う爆音が聞えた気がした。
 なんだろう、と富岡は思った。あるいは、目の前の核から目を背けたかったのかもしれない。飛鳥島には、今のところ実戦部隊は駐屯していない。特別な式典か、今回のような極秘の召還以外、定期外の航空機を飛ばす機会は無いはずだった。
 まして、今は自分達のB-29D以外は、近づく事すら許可されないだろう。
 いや、たった一部隊いたな。もっとも、そいつらは軍隊じゃない。科学研究所が飼ってるハゲタカどもだ。戦場の空に現れては、下界を冷ややかに見下ろし、去ってゆく。兵士達の間では『実体のある幽霊機』と揶揄されていた。 そいつらが飛んでいったのか? また、どこかの戦場で亡骸を食いつばむために。
 特殊装備の搭載を確認すると、富岡は書類にサインを書き込み、B-29Dに乗り込んだ。すでに他のクルーは搭乗していた。機長席につき、となりのコ・パイ席に座るバグナード中尉と交互にチェックリストを読みあげる。エンジンの暖気を終え、機体を滑走路へ移動させる。
 管制から離陸許可が出た。離陸開始。滑走路を離れ、B-29Dが離陸する。雲海の上へ昇っても、なお空の高みへと上がっていった。富岡が目指すのは高度10000メートルというB-29Dの支配空域だった。



 飛鳥島 地下兵器研究所
 科学技術総監執務室
 照明の消された室内、スクリーンに映されているのはリアルタイムで送信されている独立観測航空隊所属の観測機『アンタレス』から撮影されたものだった。

「やれやれ、まさか本気でE・プランを取るとはね」

 片肘を付いた氷室は、あきれた声だが、顔は笑っていた。おそらく後席員がカメラを回しているのだろうか、スクリーンには雲海の上を飛翔するB-29が右斜め後上方から撮られている。『アンタレス』のアスペクト比が高い主翼が見切れていた。

「E・プランとは、核爆弾投下による区域完全破壊作戦のコードだったんですね?」

 背後に立つ大林が言うと、氷室はわざわざ大林の方を向いて説明してやった。

「そうさ、“End of Plan”、最終作戦は、実に素敵な作戦だ。敵を制圧するなら、核兵器の使用すらいとわないんいだ。まさしく攻略の本懐だろ?」

「今回の場合、敵と呼べるものがいるか疑問ですけどね」

「上杉はあのエリアだけで数十機の戦闘機を失っている。ただ一撃の反撃もせずにだよ。敵もなかなかの示威篭城戦をするじゃないか?」

 氷室はスクリーンに向き直った。

「見ろ、あのありさま。まさしく狂気を運ぶ道具だよ。なんて神々しく、なんて禍々しい姿だろう。彼らは行っては帰れぬところへ行くのだ、終末の場所へ。いったいそこには誰が待ち構えているのだろうか?」

「ところで総監。『レイブン』がまだ戻っていませんが、やられたんでしょうか?」

「さぁ、どうだろう」

 氷室はあまり関心がない様子で、素っ気無く答えた。

「レイブンは大水ののち、残された大地を探すため放たれたが、漂う死肉を貪るうちに自分の目的を忘れてしまい、その怠慢を呪われ羽を黒く染めた。そう言う事だ。
 よろしい大林君、アンタレスに帰投指示を出したまえ」

 執務室に灯りが戻り、大林が管制室へと出て行く。一人になった氷室は、薄っすら笑みを浮かべた。

「神はサイコロを振らない。レイブン、それがお前の運命か?」



 夕暮れ時の霧が嘘のように、ひどく乾いた夜だった。
 Ta152E改の機関銃のバレルに吊るされたカンテラで照らされる範囲が、彼らの安全圏であるかのようで、灯りの下有川はTa152の主脚の下に座り込み、デネブは膝をだかえて塞ぎ込んでいた。
 あれから二人は湖畔を歩き、Ta152E改のところへ戻ってきた。何もかも、振り出しに戻った。いや、それどころか今の自分達が置かれている状況は絶望的なほど厳しく、逃げ出せないという事実を二人に与えていた。

「なあ、デネブ」

 有川が、ようやく口を開いたが、「なに?」とデネブが答えるが、すぐに話題が出てこなかった。黙っていてはネガティブな気分になってしまう。結界の中に閉じ込められ、これが自分達の最後だと思うと、やりきれない。
 ラムサスから逃げ出すとき、デネブの言い掛けた言葉が気に止まった。

「あの時言った、魂を売った、というのはどういうことだ?」

 「その言葉の通り」とデネブが顔を上げ、溜息混じりに答えた。

「チカラを得るために、魂をその対価に置いた」

「・・・よくわからないな」

「あなた達は魔法の力を勘違いしている。帝國軍が魔法に科学で対抗できているのは、物量に勝っているからというのもあるだろうけど、今はヒトはヒトの魔力でしか魔法を使わないもの」

「人の魔力? 俺から見れば手の平から炎を出されるだけで、人間技じゃないと思えるけど?」

「私だって翼もないのに、空が飛べるなんて思わなかったわ」

 デネブが、沈んだ気持ちを紛らわせるかのように僅かに口元を緩ませて笑う。有川が魔法を知らないように、こちらの世界ではまだ科学が発達していない。

「それでも、前に有川が話していたでしょ? 戦闘機乗りが9倍以上の加重に耐えられなかった様に、ヒトに出来る事は限られている。どんな人間でも、人はヒトである以上、出来ることと出来ないこと、個人差はあるけど、あまりに超越した事は出来ないわ」

 時速160キロでボールを投げなれる投手はいても、音速を超えるボールを投げる奴などいない。そういう事か、と有川は解釈した。

「あいつは何をやったんだ?」

「人間が人間以上のチカラを持ち、より魔力を得る為には、なにかを渡さなきゃならない。ラムサスはそれに魂を対価に置いた。だから、もう彼に人間の道理は通じない」

「でも魂だろ、命を失ったなら生きてはいないはずじゃないのか?」

「いろんな言い方があるけど。卵に例えるなら命は殻で、魂は黄身かしらね。命としての外殻は残っていても、中身は失ってしまっている。それは自分が自分であるため持っていなければならないモノよ。失うのはヒトのすることじゃないわ・・・」

「誰に売るんだ?」

 それまで話すときはしっかり顔を向けて話していたデネブが、初めて目をそらした。心なしか、おろおろして動揺していた。

「それはわからない。きっと、ヒトのチカラを超越してモノにでしょう。でもそれは魔法を扱うものにとって最大の禁忌よ。もっとも、それを知る者自体があまりいない。それほど昔からヒトはそれを忘れようとしていた」

「護るものが無くなっているのに、諦めきれないのか。国なんて・・・」

 自分にとっての国は、やむからに責務を背負わせ、奉仕を強要し、搾取するシステムでしかなかった。国軍に入ることは、国のためにという動機ではない、単に食うためだけに過ぎなかった。
 しかし、ローディスという国は、ラムサスにとって一心同体の存在だったのだろう。
 国が滅ぶと同時に死ぬべきだったはずだ。だが、死ねなかった。

「自分を捨ててまでする復讐か・・・」

「私にはわからない! 禁忌を犯してまでもすることなの!?」

 突然、金切り声でデネブがわめいた。有川がびっくりして、デネブの顔を覗き込む。彼女が、ここまで感情的になるのは初めて見た。

「あなたに彼が満足しているように見える!?」

 「いや」と有川が首を振る。

「・・・安心した。有川の目は正常よ」

「戦闘機が搭載する最も優秀なセンサは、パイロットの目と感さ」

 それまで沈黙を続けていたTa152E改の無線機が、なんの前触れもなく作動した。

「現時点・・・第三種警戒・・・に移行・・・、・・・爆撃機の到着・・・待て・・・、最終ポイント・ガルカイオ・・・」

「無線が聞える? デネブ、試してみてくれるか?」

 主翼を足掛かりにして、デネブがTa152E改の後席に入り込む。今は夜間に計器盤を見る為に点灯するランプすら惜しい。カンテラを持った有川が、すぐに主翼に登ってきて後席コンソールを照らした。
 交信を試みたが、結局聞えてくるのは飛行場から発信される無線だけだった。

「駄目みたいね。この機の出力じゃ送信は出来そうにないみたい」

「でも、なんだこの暗号? 随分セキュリティが高いぞ」

 無線は、戦術級ではありえない戦略級でもかなり高度な暗号を組んでいた。あらゆる情報を収集すべく最新のCOMINT能力を持つTa152E改の解読装置ですら、解読にタイムラグを生じさせていた。

「・・・特殊作業員はN装備を着用、E・プラン第二段階を実行せよ。全ては大帝國と人民のために!」

 無線はそれで終った。受信ランプが消え、あたりに静寂が戻る。

「E・プラン? なんのこと・・・?」

 デネブには、聞いた事のない意味不明なコードだったが、有川は違った。
 「エンド・オブ・プラン・・・」、震えた声で口に出す。恐怖に満ちていた。全てを消し去り、終わりにするための最終計画だ。

「くそ、上杉のチキンめ・・・、核兵器を使う気か!?」

 苦虫を噛み潰し、口悪く誰にともなく罵る。空軍は戦闘機部隊を失った腹いせに、この呪われた土地を消滅させるつもりだ。

「デネブ、この無線をモニターしてくれないか? いつ実行されるのかが知りたい」

「・・・それを知って、どうする気?」

 不審そうにデネブが問い返す。
 どうするか、なんて考えていなかった。しかし、核兵器を積んだ爆撃機がこちらへ来る、ここに落とすために。そうすれば、この結界も自分達も、あの魔導師もワイバーンも含め、ガルカイオは地上から消滅するだろう。帝國にとって脅威が排除されるのだ。それは帝國全体の利益に違いない。
 だが。
 核兵器は、単に兵器として扱い破壊力をキロトンで表すものではない、感情的に「狂気の産物だ!」と叫ぶものでもない。
 あの時、飛鳥島で見逃し、嘲笑ように落ちていった。自分にとっては許しがたい負い目だ。
 有川はしばらく黙っていたが、重く口を開いた。

「・・・デネブ、今の俺には奴の気持ちがすこしわかった」

 デネブが、ぎょっと目を丸くした。

「あいつは許せなかったんだ、自分を。だから、こんな事をするんだろう」

「なぜ!? 有川は禁忌を軽く見過ぎている!」

「理由はない、目的も。必要ないんだよ。たとえ間違っているとわかっていても、続けるしか無くなっちまう」

「そんなのじゃ、自分で自分を追い込んでしまうだけよ。どうして気付かないの?」

「始めから、結果なんか求めちゃいない。得るモノなんか・・・」 

「爆撃機を墜とす気ね? 放っていてもP-51と同じ運命になるとわかっているくせに。今の有川は、ラムサスと同じだわ!」

 「そうだ」と、有川があっさり認め自嘲する。
 あの魔導師が国を失い、禁忌をおかしてまで復讐を続けているように、自分は核兵器という負い目を清算しようとしている。デネブには納得できないだろう。自分でも、それで何の解決にもならないことはわかっている。しかし、それでは自分が保てないのだ。
 デネブは額を押え、あきれ顔で首を振った。
溜息混じりに呟く。

「馬鹿みたい・・・」



最終更新:2007年10月31日 01:31