第1話

 
世界で唯一ロータリーエンジンを搭載するマツダのRX-7は首都高が荒川を渡る頃、浦安のテーマパーク帰りの集団に巻き込まれていた。
 運転席の男は腕時計で、時間を確認するとカーナビの画面を位置情報から民放に切り替えた。
 六時台のトップニュースはすべて同じ、久しぶりのバルカン発のニュースは3週間経った今でもセンセーショナルに報じられていた。

「まぁ、国際貢献ってとこですかね。常任理事国への道も近づくし」

 ハンドルを握る川島一尉は助手席の上司に問い掛ける。

「じゃあ、何で歩兵はおろか戦車まで持ち出しているドイツが、常任理事国になれないんだ」
「知りませんよ。そんなこと」
「結局、これがシリビアンコントロールなのさ、軍がよくても政府が馬鹿なら意味が無い」

 萩原三佐の答えは辛辣だった。脊髄反射のような即断即決がモットーの三佐は、この手のわずらわしい話しが嫌いだった。
 結局、渋滞を向けないまま四ツ谷インターでおり、市ヶ谷の防衛庁の地下駐車場へ滑り込む。
 せっかくのセカンダリータービンが自慢できないと川原のひがみを聞き流しながら、萩原はビルへ入った。
 顔見知りの警備員は、何も知らない様子で「お前、こんなところで何しているんだ?」と尋ねると、萩原三佐は「なんでもねぇよ」と生返事で答えた。
 エレベーターで上の階へ上がり、その階の突き当たりの会議室へ入ると、会議室には陸海空の背広組と桜田門から訪ねてきたらしい来客が円卓を囲んでいた。
 末席が二つ空いており萩原と川島はその前に立った。席の前には何枚かの書類が置かれていた。

「かけてくれ」

 一番奥の席にいた雷倉陸将補が言った。二人が座ると陸将の隣にいた男が腰を上げ、壁に埋め込まれた大型モニターの前に立った。モニターには勢力エリア事に色分けされたバルカン半島が写し出されていた。

「これよりバルカン半島に関する概要と自衛隊展開に関する説明させていただきます。報告は高根ニ尉が行います。
 まず、初めにこの動向を捉えたのはおよそ3ヶ月前、公安の外事部でした。その時の報告ではセルビア軍のキャンプ地に大量の兵器―、お手もとの書類はロシア製と書かれていますが、後の調査でフランス、アメリカ製のものもあるという話しです。これが運び込まれ、またスイス銀行経由で多額の資金が流れ込んでいるというものでした。それから2ヶ月後、おりしもアメリカ軍の全部隊がバルカンから中東へ移動が決定し、代わって我々が支援艦隊を派遣する時期になってセルビアでクーデターの兆候ありとの報告が入ります。我々は大急ぎで支援艦隊に自衛装備を載せました。
 そして3週間前、旧セルビア軍から構成されるセルビア解放軍が蜂起しバルカン半島は再び戦争状態に突入しました、彼らは解放軍団と名乗っていますがやっていることは民族浄化、つまり他民族の虐殺です。
 三枚目の写真をご覧ください」

 萩原は写真の貼られた書類を取り出した。地平線をバックに雲を描いて旋回する戦闘機の影が映っていた。萩原はそれがF-16戦闘機だと見抜いた。

「この戦争の戦局を左右されるといわれる正体不明の戦闘機部隊、通称セルビアスポンサーです。機体はロッキードF-16 ファイティングファルコン、この辺りではイタリア、ギリシャ、トルコその他多くのNATO諸国が配備しています。国籍を隠すにはこれ以上適切な機体はありません。制空権はアメリカから引継いだイギリスとフランスが掌握していますが、彼らは正確な情報と高度な技能によって低空侵入してきます。
 平和安定化部隊が我々に求めていることは、支援物資ではなく制空権を確保する戦闘機と前線に出る兵隊です。これに対し官邸は珍しく素早い出動命令を出しました」

 萩原が席を立った。

「我々がその先鋒を切る部隊です」

 一同の視線が萩原に集中する。

「機動化学科中隊、皆さんの中には我々のことを知らない方もいると思いますが、公式には存在しない部隊です。そのあたりをご留意ください」
「萩原三佐率いる機動化学科中隊は94.BC兵器テロ後、東部方面隊内で結成された対NBC部隊です」

 高根ニ尉が続けた。

「第101化学防護部隊より一個小隊、第一空挺団より出向する二個小隊― 萩原三佐は本来ここに所属しています。第一師団より一個施設科小隊、同師団より一個通信科小隊で編成されています。
 指揮権は化学学校の馬瀬ニ佐に所管されていますが、馬瀬ニ佐は所用で現在出席されていません
 彼らによる作戦は現在トゥズラに展開中のデンマーク軍の部隊と入れ替わり、継続して治安維持にあたることです」

「萩原君、正直なところ作戦は可能かね」

 陸将が尋ねた。

「治安維持だけなら問題ありません。比較的穏やかな人々が暮らしています。ただし前線の戦局が悪化すれば、それだけ任務が困難になる。トゥズラから東へ七〇キロも行けば戦場です。攻め入られれば盆地であるサラエボと違い、あのような平坦な地形の場所など大部隊を入れれば簡単に制圧されるでしょう。それまでに必要な援軍が来ることを願います」

「君達がトゥズラに展開後、第七機甲師団と第二師団より諸科連合部隊を編成して送る手筈は整えてある。アドリア海に展開する支援艦隊からも援軍が出向くだろう。空自は状況をみてイタリアに入る。世論の動向によりスケジュールに誤差が出るものと思ってくれ」
「バルカンは忘れ去られた戦場です。国民は地球の裏側の半島より隣の半島のほうに目がいってます」
「作戦の成功を祈っている」
「今回は情勢視察として公安より警部補が一名出向します」

 背広を着た男が言った。知らない顔だったので公安当局の人間だろうと思った。
「清見昭彦警部補です」

 隣のひょろりした男が立ち上がった。

「彼の専門はロシア語ですが、バルカンではまだ英語よりロシア語のほうが公用語です。状況視察として現地へ入ります。よろしいですね」
「了解しています」

 萩原が答えた。今回の任務で最大の不確定要因だった。

「では、これにてバルカン半島に関する概要と自衛隊展開の事前説明を終わりにいたします」

 皆が席を立ち、入り口へ出て行く。萩原と川島はその列の最後尾で警部補を待った。
「噂はかねがね、萩原俊樹三佐と右腕の川島重雄一尉ですね」

 ひょろりとした警部補は二人に近づき握手を求めた。

「うれしいですね、そんな風に呼ばれているとは」
「浮かれている場合じゃないぞ川島、習志野に帰って装備の最終チェックだ。他の隊のヤツらももう集まっているだろう」

 地下駐車場に戻りリアシートに清見警部補をのせ、川島のRX-7は首都高を東へ向けて疾駆した。



 習志野の駐屯地では機動化学科中隊の出撃準備で上へ下への大忙しになっていた。機動化学科中隊の装備は空挺団の装備以外にも、化学科、施設科、通信科の機材資材のほか技本からの装備も持ち運ばれる。空挺以外の各部隊が到着するまでに、それらをすべて捌かなければならなかった。

「おい、高鷲。しっかり持てよ」

 弾薬ケースをトラックから下ろす土岐ニ曹は受け取る側の目の薄い士長に怒鳴った。その士長は起きているのか寝ているのか判らないほど細い目が特徴的で、風貌にまるで覇気が無く。そのため事故で入院した隊員の見舞いに行ったときなど、こちらが患者と間違われるというエピソードを持っていた。

「一体何キロあるんだこれ」

 高鷲士長がぼやいた。
 階級は違うが高鷲と土岐は小中高と机を並べた竹馬の友で、彼らの階級の違いは入隊時の試験科目によるものだった。土岐は曹候補士試験を受け普通科から陸自一の人気部隊である空挺に志願し転属したのに対し、高鷲は“免許を取るため”ニ士として入隊し、しばらく特科にいたが射撃のセンスを見込まれ冬季戦技教育隊へ転属、そこで萩原にスカウトされ機動化学科中隊に入ったという異端の経歴だった。

「知っても重さは変わらんぞ」

 高鷲がぶつぶつ言いながらケースを運んでゆく。あまりに頼り気無い後姿だったが、体力テストでは高鷲は土岐を上回っていた。ようはやる気が無いのだ。

 萩原が習志野へ戻ると基地外からは見えない位置にある倉庫で完全装備の一団が互いの装備をチェックしあっていた。川島はRX-7をそこから百メートルほど離れた位置で止めると萩原と清見を降ろし、自分は駐車場へ向かった。

「君は我々の部隊の知識をどれだけもっている」

 倉庫へ歩きながら萩原が尋ねた。

「二日前、高根ニ尉から当面必要なことは学びました。94.BC兵器テロをきっかけに発足した対NBC部隊で、仮想敵部隊は特殊部隊から一個大隊規模の正規軍、ゲリラ部隊さまざまな状況下で継続的に任務を遂行できるよう編成されている」

「うん、それは表向きの理由だな。君も疑問に思っているだろう、なぜバルカンに派遣されるのが空挺本隊でなく我々なのか」

 萩原は百人はいるであろう集団の輪へ入っていくと、足元のコンテナをこついた。

「藤橋」

 萩原が呼ぶと集団の中から一人の士官が飛び出してきた。

「こいつは化学科小隊を率いる藤橋ニ尉だ。藤橋、いつものヤツはどれだけ手に入った」

「40ミリグレネードタイプで50発、60ミリタイプが30発、81ミリ迫撃砲タイプが17発、足元にあるのは120ミリ迫撃砲タイプです。化学学校と技本中からかき集めてきました」

 藤橋ニ尉とその部下がコンテナを開けると、紫色の弾頭がついた120ミリ迫撃砲弾が顔を出した。

「なんですこれは?」

 清見警部補は度肝を抜かれた様子だった。

「我々がスクリュードライバーと呼んでいる非致死性ガス兵器だ。俺はよく知らんがこいつを吸うと悪酔いの酷いやつになったようになる。その症状からスクリュードライバー・カクテルの名を取った。我々が扱う装備の中でもっとも優秀なものだ」

「暴徒鎮圧用ですか?」

「いやいや、それに使うには強力過ぎる。こいつは我々の通常作戦に使われるものだ。我々の敵はおもにイカレた連中だ。94.BC兵器テロ以降同じようなテロを企てる輩が出てきた。まぁ、これがアメリカやロシアなら通常のSOFを派遣して皆殺しにしてかたつければいいが、我々はそうはいかん迅速にそれでいて敵を殺さずに任務を遂行しなければならない。たぶん、君達が自然消滅とかたつけた不信集団のいくつかは我々が潰した」

「派遣の理由は、戦闘状態になっても敵兵の犠牲を最小限に押さえられる?」

「皆無といわないところがうれしいな。そういうことだ。小隊指揮官は集まってくれ」

 萩原の前に四人の士官が並ぶ。空挺第一個小隊を率いる川島一尉はまだ姿が見えなかった。士官の中には見なれない火器を持ったものもいた。

「各小隊、コンディションは?」
「第一第二空挺小隊ともベストです」

 第二空挺小隊の古川小隊長が答えた。川島小隊長が不在の場合、第一空挺小隊は彼が報告するきまりだった。二個空挺小隊は事実上、機動化学科中隊の主戦力だった。

「化学小隊、問題ありません」

 次に機動化学科中隊のコアである化学防護小隊の藤橋ニ尉が答える。

「施設小隊、問題ありません。重火器および高機動車ニ台はすでにのは入間のハーキュリーズに積み込みました」

 施設科小隊長の小坂一尉が報告した。彼の小隊は四五人と機動化学科中隊の中で最も多い部下を連れている。現地では施設科としての活動以外にも、整備、輸送、補給業務と多彩な任務をこなし、部隊のライフラインである兵站を扱うため「影の指揮官」と揶揄されていた。

「通信、問題ありません。必要な機材はすべて積み込みました」

 最後に部隊の遠征地での通信網を預かる通信科の久々野ニ尉が報告する。

「編成は高根から聞いたとおり。空挺二個小隊、化学科、施設科、通信科各一個小隊で中隊を結成している。中隊長は俺だ。この部隊の指揮官である化学学校の馬瀬ニ佐は現地には行かず日本に留まって陸幕との調整役に回る。なぁに、馬瀬は防大の同期だ、こちらの作戦にも理解はある。
 少々特異な装備を持っているものもいるが、我々の部隊は新装備のテストも兼ねている。そう理解してくれ。あまり公表して欲しくないものでね」

「私は現地入りすれば多分別行動となるでしょう。そこまで気を使っていただく必要はありません」

「謙虚で結構、よし小隊長は各自トラックへ乗り込め、明日は戦場だ。気引き締めていけ」

 総勢150名の隊員がトラックへ乗り込んでいく、2時間後にはC-130ハーキュリーズ輸送機に乗り込み、明日の夜には現地へ入る予定だった。
 


 サラエボの街はほとんど瓦礫の山とかしていた。建物の屋根は崩れ落ち、壁にはいたるところに銃痕がある。前紛争終結以降一時的に回復したと聞いていたが、まったく元に戻っていた。
 ニナ・ユーリィブナをのせたBTR装甲車はサラエボの街を東西に貫く通称スナイパー通りに面した煉瓦造りの建物の前で止まった。本当はサラエボ市内の入り口までだったがヴラチーミル中尉の好意だった。

「それではシクヴァル・ニナ、フスィヴォー ハローシヴァ!(幸運を!)」
「お心遣い、感謝します」

 ニナは礼を言うと十五キロはある防弾ベストを着て、そのレンガ造りの建物まで全力疾走した。
 ノックもせずに玄関に飛び込む。この通りでは毎日誰かが打たれ死傷していた。ジャーナリストといっても油断は出来なかった、つい三日前背中にでっかくフリーランスであることを示すマークが書かれたフランス人ジャーナリストが撃たれ、重傷を負っていた。
 扉の音を聞いたのか、奥から人影が現れた。

「ようこそ、世界一ピューリッツァー賞に近い地へ!」

 クセのない見事なブロンドのロングヘアを持った美人がニナを出迎えた。ニナの知識ではこの人物は宗教問題に取り組む、この世界では有名なイギリス人フリーランスだった。

「フリーランス・ユニオンのネリィ・オルソンです。一応ここの責任者です」

 あいてが英語だったので、ニナも英語で応じた。ロシア人であるニナの英語はゴルバチョフが大統領に就任したとき、父親に続いて学んだものでクセがあった。

「ニナ・ユーリィブナ・ベラーヤです。フリーランス・ユニオンへの加入を希望します」
「ニナさんね。立ち話もなんだから中へいらっっしゃい」

 事務所へ通されるとネリィはニナを隅のソファーに座らせた。事務所の中は同業者と一目でわかる人達が机に向かっていた。

「紅茶でいいかしら、それともロシアンティーがいい?」
「紅茶で結構です」

 ティーポットとシェラカップを持ったネリィはニナと対面して座った。

「しかし、あなたのようなお嬢さんを戦場に向かわせるとは通信社も非情よね」
「自分で志願しましたから…、これでもチェチェンとアフガンへ2度ほど行っています」
「じゃ、銃声を聞いても泣き喚くことはないのね」

 ニナは大きく頷いた。

「さすがはシクヴァル・ニナだわ、フリーランス・ユニオンの入会を許可します。といっても情報を共有して、単に泊まる場所とほんの少しの物資を提供できるだけだけど」

「ここでは一匹狼ではやっていけませんから、一人で掻き集められる情報は限られています。私達の最大の武器は情報とそれを媒介できることです。
それは偵察機より早く、戦車より威圧感があり、核兵器より強力で、それでいてクリーンな兵器です」

 ニナはそう言い切るとシェラカップに注がれた紅茶に口をつけた。

「どこで私の名前を?」

 ニナはふとネリィが自分のペンネームを使ったことが気になった。自分はロシア国内の雑誌でしか書いていないはずで、あまり有名ではない。ただ一度気まぐれで書いた『兵器の価値は?』が軍人に好評だっただけだった。

「ああ、人に聞いたのよ。今日くる予定のロシア人は軍事に関しては結構知識があるって、喜びなさいよ。それだけ有名になったって事なんですから」
「はぁ…」
「それで、ニナはこれからどこへ取材にいくの?」
「トゥズラです。今一番戦場に近い」
「虎穴入らずば…ってとこね。トゥズラにもセーフハウスがあるけど、陥落しそうになったら逃げなさいよ。セーフハウスの備蓄物資で篭城なんて出来ないんだから」
「危なくなったら近くのロシア軍基地へ逃げますよ。私は軍人には人気があるようですから」
「そう、明日中にはなにか足になるものを手配しましょう」

 外から銃声が響いた。これも前紛争時と同じだった。しかし、まだ戦車の砲撃音が聞こえないだけマシなことは確かである。

「とりあえず今日はここに泊まりなさい、2階が仮眠室になってます。シャワーはこの頃出が悪いけど身体を拭くくらいなら何とかなるわ」
「ありがとうございます。ネリィさん」

 ニナが出て行くは入れ替わりに、大きなバックを肩にかけた長身のおっとりとした顔立ちのドイツ人が入ってきた。よく見るとバックに生々しい銃痕の跡がついていた。

「おや、グリマーさん。ヴィシェグラードはどうでした?」

 ネリィはバックの銃痕など気にも止めずに問した。

「もうすぐ陥落だな。途中に山があるからサラエボにくるには大きく迂回しなきゃならない。つぎはいよいよトゥズラを狙ってくるぞ。すまないが裁縫箱なかったかな」

 ネリィは棚から自前の裁縫箱を取り出した。それは現地民との交流会に使え、便利のいい工具箱にもなった。
「そういえば、例のロシア人来てましたよ」
「ほう、どうだった?」
「精悍、その一言ですね」
「例の計画、いい場所が見つかった」
「へぇ、どこです」
「ヴラセニツァの北にあるストルーイカという小さな町だ」
「ヴラセニツァ?、予定よりずいぶん東になる。セルビア解放軍が近いですよ」
「その分臨場感が出る。衛星のほうは頼んだよ」
「はいはい、ようやく希望が出てきたわね」
「盲目の希望だけどね」

 グリマーは裁縫箱を受け取るとバックを繕い始めた。彼のバックは同じような傷でいっぱいだった。



 支援艦隊を率いる輸送艦「おおすみ」のブリッジで海津宏則海将補は少し不機嫌になっていた。呉を出港した当初おおすみを含む四隻の護衛艦と二十隻に上る民間業者から借り上げた、海自隊員が乗る貨物船によって構成されていた支援艦隊は出港から五日後、急に佐世保を出たイージス艦「こんごう」率いる五隻の護衛艦と合流し、バルカン半島へ向かっていた。思えばあの頃に気付くべきだった。
 二十九隻に膨れ上がった艦隊は喜報岬回りでジブラルタル海峡へ入り、イタリアの海の玄関口であるティレニア湾へ差し掛かっていた。

「いったい、いつの間にもぐり込んだんだ…」 

 海津海将補はニ列縦隊にならぶ艦隊の中で、前から三隻目に位置し本艦と平行する自動車運搬船を見遣った。甲板の上でAH-1Sコブラ攻撃ヘリがひなたぼっこしていた。

「艦内じゃ、赤城といっていますよ」

 おおすみの艦長を務める南濃一佐が言った。まさしく空母だった。甲板の支柱は強化され100トンを持ち上げるエレベーターを持ち、排水量は海上自衛隊最大級のおおすみよりでかい。その中に三十機を越える各種ヘリコプターが搭載されていた。

「名前は大層なものですが、実質的にはヘリ輸送艦です。おそらくパイロットより機体の数の方が多い」
「いざとなったら明野辺りからパイロットも入れる腹積もりだろう。こうなるともうニ、三隻、戦車揚陸艦が潜んどるかも知れんな」

 海津海将補が冗談めいた台詞を言うと、ブリッジの何処かから「そいつは頼もしい」と相づちが入った。
 もちろん、艦隊の中にそのような超大型船は存在しなかったが、支援物資をつむ貨物船はおおむね「おおすみ」級より、大きな船体を持っていた。

「まぁ、なんにしても戦場へ行くのには、それなりの準備が要るということですか」
「しかし、市ヶ谷も水臭いじゃないか、一言ぐらい言ってくれてもいいのじゃないのかね」
「だめですよ、秘密なんてものは結局万人が知ることになる。なにしろこの頃はインターネットっていう便利なものが地引網より細かく世界を覆っている。いまでこそ戒厳令がしかれていますが、日本の近くで言ったら明日の朝刊の一面は決定したも同然です」
「忘れていたが、近海にいたころはバルカンは平和だった」
「ああ、そうでしたね」

 いまのバルカン半島はもう十年は続いているかのような泥沼の戦場になっていた。それは、つかの間の平和な時間があったとは思えないほどだった。



 次の日、ニナはフリーランス・ユニオン本部に隣接する車庫で出発の準備をしていた。見送りに来た同業者達がそのあまりに場慣れした装備に驚いていた。裾の長いパーカーの下に防弾ベストを着込み、フリーランス・ユニオンが用意したスズキの125ccバイクにガソリンを入れタイヤの空気圧をチェックする。首には身元を証明するためのドックタグを下げ、荷台に縛り付けたダッフルバックの中身は安物の一眼カメラに、フィルム、、衣類、食料、地図、栄養食品、ノート、そして注射器と抗生物質などなど。たいがいユニオン側が用意するものをニナは自前で持ってきていた。

「まぁ、私達の出番が無いわね」

 見送りに来たネリィが今日手を腰に宛がい、やれやれといった顔をした。ユニオン側が用意したものは会員であることを示す腕章ぐらいしかなかった。

「トゥズラからの朝一の報告では、向こうは落ち着いているそうよ。向こうについたら連絡頂戴」

 行方不明になっているユニオン所属のフリーランスが五人ほどいた。ネリィはそのことをがずっと気になっていた。前の紛争では100人近いジャーナリストが死亡行方不明になっていた。
 ニナは見送りに来た同業者に軽く手を振ると、バイクのエンジンをかけ車庫を後にした。夕方までにはつきたいと思っていたが、すこし東に寄って行きたいとも思っていた。



 機動化学科中隊を乗せた五機のC-130はウクライナ経由でバルカン半島へ入った。
 空挺団第一小隊の乗る一番機では萩原と川島は三十人の隊員で狭っ苦しいカーゴを離れ、コクピットの後ろで清見警部補から現地の詳しい状況についてレクチャーをうけていた。

「まず、われわれの展開する場所は世界でもっとも複雑な場所だと言うことを覚えておいてください。
 6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家は有名な数え歌ですが、まさしくモザイク国家の代表的なエリアです。紛争の始まりは冷戦の終結と、オイルショックによる経済危機だといわれています。もともとこの国は矛盾を抱えていましたが80年代はチトーのカリスマ性もありオリンピックがひられるほどの国力を持つ第3世界のリーダーとして輝いていました。しかし、90年代に入ると支持を固めようとする政治家らの扇動によって民族主義が高まり、まずスロベニアが独立を宣言します。この独立運動はスロベニアの民族の九割以上がスロベニア人であったことなどで、わずか十数日間の戦闘により終結しました。しかし、続いて独立を試みたクロアチアで問題が起こります。クロアチアには若干セルビア人が多く旧ユーゴとの戦争は拡大し、もっとも複雑に民族の入り組んだボスニアに飛び火し大規模な紛争地帯になりました」

 清見警部補の講話は他の機体に乗る小隊長にも伝えられ、そのままリアルタイムで質問を受け付けることも出来た。
 しばらく、各少隊長からの質疑応答が続き、最後に萩原が尋ねた。

「一つ聞きたいことがある」
「この戦争、セルビア解放軍を撃滅させてすむのか」
「戦後処理という意味ですか」
「そうだ。前紛争では下火になった状態が長く続いた」
「各国のシンクタンクが様々な考察を出していますが、芳しい結論は得られておりません」

 ヘッドセットからの通信が二人の会話を遮った。周囲の無線連絡を傍受する通信小隊からのものだった。

「隊長、緊急通信です。ここから十五キロ南のイースト14監視ポストが攻撃を受け、援護を要請しています」
「そんなのここんらじゃ、日常茶飯事だろ?」
「そのイースト14なんですが、どうやら我々と交代する予定のデンマーク軍の部隊が入っているようなんです」
「なんだって!、デンマーク軍はトゥズラに駐屯しているだけじゃないのか!?」
「それがどうも、イースト14の部隊交換の際、スケジュールに穴があったらしくてデンマーク軍が穴埋めをしているようです」
「よし、わかった。川島、お前のとこの一個分隊つけていくぞ」
「ちょっと、何考えているんです。我々は与えられた任務をやればいいんです」

 清見警部補が慌てて制した。

「あのね、警部補。ゴラン高原で自衛隊がどれだけ苦労したか知らないのか!?、ここでは信頼がもっとも重要なんだ。今デンマーク軍の頭上を素通りしてみろ、あとあとネチネチ言われ続けてすんなり通るものも通らなくなる。それで弁解が法律上駄目でした、の一言でかたつけられるものじゃない。これはこの地で任務を遂行するために必要な緊急措置だ」

「しかし…」

「じゃあ、あんたがあとでデンマーク軍の駐屯地へ出向いて弁解してくれるなら素通りしてもいいぞ。多分向こうは殺気立ってるから、東洋人の顔なんて見かけたらたちまちズドンだろうな」

 清見警部補はすっかり狼狽してしまった。同じ価値観を持つように振舞っていても、どうせこいつはどこぞから仕向けられた俺達の監視員だろ。この様子なら、すこしびびらしておけば問題は起こらない。萩原は少し愉快な気分になった。

「そういうことだ。川島、準備しろ」

「はい、隊長。地獄の果てまでお供します」

 89式空挺小銃を持った川島一尉が軽く敬礼し、八名の部下に次々と命じた。

「第一分隊は出撃準備、神岡、宮川、国府は連装グレネードランチャーにスクリュードライバーを装填、根尾、揖斐、春日はパンツァーファストをもってけ、土岐と高鷲は狙撃だ」

 部下達がコンテナをあけ装備品を引っ張り出した。
 C-130が軽く旋回して機首方位を向ける。軽くとは言っても機内の中はまるでジェットコースターのように揺さ振られた。目的地の下は砲火の閃光が煌いていた。

「暗視装置及び無線機を確認しろ、フレアは無し、降下後は各チーム散開して敵の進行を阻め」

 C-130が減圧され、カーゴ扉が開かれる。萩原三佐と川島一尉を先頭にして降下する計十名の陸上自衛官が並んだ。

「隊長、何か訓示はありますか」
「そうだな・・・」

 萩原がくるりと振り返り出撃する八名の部下達一人一人に視線をくれた。

「わかっていると思うが我々の本分はトゥズラにある。トゥズラには150名の中隊が駐屯することになっており、勝手に部隊人数を変えられては俺が迷惑だ。一人の欠員も無く、作戦を遂行しトゥズラに入る。
 各員、日ごろの訓練の成果を示せ。いくぞ!」

 萩原三佐と川島一尉が軽くジャンプして虚空に消えた。
 2列に並ぶ隊員達の中で最後尾の土岐恭兵ニ曹は「ここは地獄の一丁目だよな」と呟いた。

「この先、何丁目まであるかわからない」

 隣に並ぶ高鷲士長が言った。高鷲士長は肩にブレイザー社のR93LSR2狙撃銃を担いでいた。狙撃銃としては比較的軽量で5.4キロしかない、ストレートプル・ボルトアクションはこの手のボルトアクション狙撃銃に比べ迅速な射撃が可能だった。しかし今回はサイレンサーと暗視装置をつけているため重量は10キロを僅かに越えていた。土岐はその観測手を務めいていた。
 順番になり、ドアの前に立って下を見下ろした。まるで花火のようにそこらかしこで閃光が見え、綺麗だったがその一つ一つが人を殺すための光りだった。
 軽くジャンプして、外へ飛び出す。高度3000メートルからの降下だった。先に飛び降りた二人と合流し、円陣を組む。高度300メートルで円陣を崩しパラシュートを開いた。鷲掴みにされたような衝撃が身体を襲う。着地する寸前、ショックを逃がすためわざと転ぶように着地した。あたりは砲火に包まれていた。

「根尾、揖斐、春日、宮川、国府は前に出て戦車を足止めしろ、高鷲と土岐は丘から歩兵部隊を制圧、神岡はついて来い」

 パンツァーファスト対戦車ロケットランチャーと連装グレネードランチャーを持った隊員を先頭に、監視ポストまで走り出す。

「こちら春日、前方左200メートルのブッシュに人影が見えます。4、5人くらいでしょうか」
「わかった。デンマーク軍かもしれん。俺が話す」

 萩原が破片手榴弾を握って、前にでると「国連軍かッ!!」と怒鳴った。

「そうだ!!」

 応答があるやいなや、ブッシュの中から兵士達が飛び出してくる。

「伏せてろ、指揮官はどこだ!」
「前だ、戦車がくる!」

 対機甲チームがその横をすり抜け、対戦車戦を仕掛け始めた。敵は戦車で地ならししたあと、歩兵を入れて制圧する戦法を取っているようだった。うまくいけば人的被害は減らせるが、人馬一体の原則を守らないのは愚かなことだと思った。
 もう、五〇〇メートル走ると、戦車砲が抉ったクレーターの中に大尉の階級章をつけた兵士を含む三人がその場に伏せて双眼鏡で覗いていた。萩原と川島がその中に飛び込んだ。

「ジャパン・セルフ・ディフェンス・フォース萩原三佐です。救援に参りました」
「デンマーク陸軍オルボル大尉です。いったいどこから」
「ほんの通りがかりです。お空から参りました」

 近くに戦車砲が着弾し、土砂が頭上を襲った。

「まもなくここは制圧されます。ですが奴らは朝になれば引き上げますので一旦撤退します」
「了解しました。撤退を支援します」

 無線が、対機甲チームが配置についたことを知らせた。

「撤退する。前方の戦車を撃破して足止めしろ!」

 パンツァーファスト対戦車ロケットランチャーが発射され、楔隊形の先端にいたT-54戦車の砲塔が吹き飛んだ。後続の戦車が一旦停止して警戒をはじめる。ニ発目が発射され、左翼側の最後尾の戦車が撃破された。
 生き残った戦車たちがあたり構わず砲撃をはじめる。続いて連装グレネードランチャーを持った隊員がおよそ400メートルの最大射程からスクリュードライバー・ガス・グレネードを投擲した。気味の悪い青紫の靄が戦車陣を覆った。

「君達は一体何を持ってきたんだい」

 オルボル大尉が驚いて萩原に質した。青紫の靄が覆った戦車部隊は明かに行動能力が減衰していた。後退しようとしているのはわかるが、あまりにのろのろとした動きだった。

「ただの催涙ガスです」

 萩原はさらりと言った。一応、秘密兵器なのであまり見られたくなかったが、仕方無い。

「さあ、今のうちに撤退しましょう」

 萩原はクレーターを出ると無線で対機甲チームに撤収するように告げた。別方向から歩兵部隊が迫っているはずだが、それは狙撃チームの担当だった。



 ニナ・ユーリィブナは小高い丘の上で始めて見る平野部での戦闘を見ていた。チェチェンやアフガンでみた山岳部の戦場とは違う開けた戦場だ。検問所を避けるため迂回したのだが、ずいぶん時間が掛ってしまった。しかし、その代償としては中々のものだと思った。
 バイクをその場に倒し、自分も腹ばいに寝転がった。ダッフルバックから望遠レンズを取り出し、カメラに装着した。カメラを覗くと、真っ先に見えたのは撃破され燃え上がる戦車だった。ニ回だけシャッターを切る。無駄なフィルムは使わないのがニナのモットーだった。
 カメラから目を離して、あたりの様子を疑う。戦車部隊の近くに歩兵がいなかったところを見ると別方向から前進してくるということだろう、警戒するに越したことは無い。
 生き残った戦車が無差別砲撃を始め、流れ弾が前方で炸裂し土砂を被った。頭を振って頭の土を払う。視界の中に一瞬だけ違和感があった。人だろうか? ニナは伏せたまま息を殺して、見を潜めた。
 高鷲と土岐は狙撃に適した場所を目指して中腰の姿勢のまま丘を駆け上がった。移動方法はいつも通り一人が前進し、もう一人がその援護につく。
 もうすこしで丘の上に上がるとき、前進していたのは高鷲だった。まばらに灌木の生えるブッシュの中に奇妙な気配がした。気配の正体はすぐにわかった。オイルだ、オイルの匂いがする。
 すぐに伏せ、土岐に待てと合図した。その場に邪魔になる狙撃銃を置き、少しずつ草木を揺らさないように前進する。もちろん音もすべて殺した。
 目の前に転倒したバイクが現れ、その向こうに人影をみた。相手はまだこちらには気付いていない様子が、手に何かを持っている。敵兵の先客だろうかと思った。
 高鷲は右足の付け根のナイフホルダーからバヨネットを取り出し、格闘戦に備える。3メートル内の接近した状態では拳銃よりナイフのほうが有利だった。
 ニナは、僅か3メートルに位置から草むらから人が飛び出るまで、相手のいる場所がわからなかった。あっという間に手首を掴まれカメラを払い落とされた。だが、ニナにもチャンスはあった。相手がこちらの顔を見てきょとんとした顔をして一瞬動きが止まったのだ。その一瞬だけでニナには十分だった。手を振り解き、近くに転がっていたダッフルバックを掴んで相手のわき腹めがけ思いっきり振り回した。たとえ相手が防弾チョッキを着ていようと構造上わき腹だけは守ることは出来ない。重さにして10キロを越えるダッフルバックは、時として強力な武器になった。
 相手は転がり、戦車砲の抉った窪みの中へ落ちていった。わき目も振らずカメラとダッフルバックを拾い上げ、バイクに跨り脱兎のごとく逃げ出した。僅か数秒の悪夢だった。

 遅れて上がってきた土岐は、窪みの中で動かない高鷲に歩み寄った。

「さっきのエンジン音はなんだ! 何があったんだ!?」
「ちょっとしくじっただけだ。仕事をしよう」

 高鷲は起き上がると、何事も無かったかのように狙撃銃を拾い上げニ架脚を伸ばしプローン姿勢をとる。途中、土岐が「大丈夫か?」と尋ねると、高鷲は「ああ」と生返事で答えた。土岐は警戒しながらあたりに対人センサーをしかけると、その隣で赤外線暗視装置の付いた双眼鏡で歩兵部隊を探した。

「いたいた、戦車部隊の500メートル北だ。数は100かそこらだろう、中隊規模だ。頭の小隊を叩く」
「小隊のボスはどこだ?」
「後方にいる3人組みの一人、たぶん左の奴だ。距離700、気温11、湿度60、風ニノット東」
「了解…」

 高鷲が一度深呼吸して体を落ち着かせた。先ほどのことで動揺しては狙撃手は務まらない。スコープに目標を捕らえる。すでに監視ポストから五十メートルまで接近していた。引き金を捻る。銃声は響いたが、ノイズ・サプレッサーのおかげでマズルフラッシュは見えなかった。スコープの画面の中で人影が後ろにひっくり返る。

「次、右側の奴だ。通信兵だろう。殺れ」

 次弾も命中する。

「よし、部隊が浮き足立ってるぞ。先頭の奴から狙っていけ」
 次から狙う兵は高鷲は殺さなかった。腰から下を撃って負傷させるだけだ。戦場では死者よりも負傷者のほうが、攻撃側としては価値がある。
 装弾数五発のマガジンを空にすると、次のマガジンを取り出しそれも空にした。
 三個目のマガジンを取り出そうとすると、萩原隊長から撤収命令が下った。

「本隊が反対側へ逃げてる」

 土岐が呟いた。

「後方撹乱は空挺の本分だろ」

 高鷲は腰を上げると、対人センサーを回収を始めた。 



 同じ頃、ニナは山を一つ越えサラエボとトゥズラを結ぶ道路へ出た。まったく散々な目にあった。ふと、バイクを止め立ち止まる。耳を澄ませると微かだがバタバタという音が聞こえた。

「ヘリ…?」

 山の向こう側なので減音効果が強かったがヘリのローター音だった。それも聞きなれたロシア軍のミルヘリコプターのものに思えた。
 さっきの兵士はセルビア解放軍団ともボスニア兵とも違った。今考えると、戦場が平和安定化部隊の監視ポストだったので国連軍かと思った。一瞬だけ顔を見たが東洋系の顔立ちだった。すると、いまのヘリは国連軍のヘリだろうか、あの兵士は助かるのだろうか、まぁ自分には関係ないことだ。
 ニナは北方角を一度振り返ると、バイクを走らせトゥズラに向かった。



 デンマーク軍と自衛隊は基地から少し離れた台地の上で防衛ラインを敷いて、歩兵部隊の進行を阻止していた。ここでもスクリュードライバー・ガス・グレネードが役に立った。何しろガス・グレネードは効果範囲が広く、一発撃つだけで二個分隊は行動不能に陥っていた。ただし、敵の数はガス・グレネードの数を上回っていた。
 そこら中で、うめき声が聞こえる。ガスを吸った兵士は完全に戦闘能力を喪失していた、スクリュードライバー・ガスの威力だった。
 萩原隊長は自ら防衛ラインの先頭に陣取って、89式小銃で構えていた。敵は次から次へと沸いてくる。キリが無かった。スクリュードライバーの残弾を確認させるが、芳しくない。グレネードの使用を控えさせねばならなかった。パンツァーファストが、まだ一発だけあるのが強みだった。

「オルボル大尉、もっと後退した方がいいんじゃないか?」
「もう少し粘ってください」

 オルボル大尉もG3ライフルで応戦していた。ここに留まれと命じたのは萩原ではなくオルボル大尉だった。たしかに相手より上位を取っているので、戦闘には有利だがいかんせん敵の数が多すぎる。デンマーク軍には、若干の負傷者が出始めていた。

「ワイルドキャットよりセンチュリオンへ」

 コールサインによる無線が入った。ワイルドキャットは土岐ニ曹、センチュリオンは萩原三佐のものだった。機動化学科中隊では個人に関しては敵を欺くため好き勝手なコールサインを採用していた。しかし、それはある程度役割を含ませてあり、土岐は標的を見つける狩人の目、萩原は古代ローマの百人隊長という意味があった。

「こちらセンチュリオン、今どこだ?」
「敵部隊後方、200メートルです。そちらは包囲されているようですが?」

 土岐と高鷲は部隊との合流を諦め、林の中で身を潜め敵をやり過ごし後方に回っていた。

「ああ、幅3,400メートルに展開している。厚さはそんなに無いようだが、数が多い。
「中隊長とおもしき人物は後ろから狙撃しました。そのほか指揮官と思われる兵士も幾人か処理しました」
「じぁなんだ、こいつら指揮無しで戦ってるのか?」

 無線越しに銃声が響いていた。

「はい、おそらく」
「左翼側の敵が薄い、援護してやるから上がって来い」
「了解」

 土岐は無線を切ると、高鷲に「敵中突破する」と告げた。

「そりゃ、俺の仕事じゃないよ」

 高鷲のコールサインは「ミスト」、霧の様に音も無く、圧力をかける。そういった意味だった。

「ぐだぐだ言うな。行くぞ」

 二人は中腰の姿勢で坂を上がり始めた。先ほどの事もあり、二人はお互い適度に距離を離して同時に移動していた。坂の少しへこんでいる部分を見つけては、そこに飛び込んだ。
 高鷲が「チッ、チッ」と舌を鳴らして、土岐の注意を引きハンドシグナルで伏せろと命じた。しばらくすると、土岐にも足音が聞こえた。高鷲は手でピストルを作り「殺る」と合図し、土岐も同意した。
 相手は二人、高鷲と土岐で一人ずつ受け持つことになった。ホルスターからシグ・SP2009ピストルを取りだし、銃口にノイズ・サプレッサーを取りつけた。音はそこら中から銃声が響いているのでよいのだが、周りを敵に囲まれている状態で不用意にマズルフラッシュを焚きたくは無かった。
 二十メートル前をファマス・ライフルを抱かえた兵士が小走りに駆けて行く、伏せたまま銃を両手で握り引き金を引いた。土岐は頭を、高鷲は首の下、延髄のあたりを狙った。二人の兵士が前につんのめって倒れ込んだ。
 二人は無言のまま死体を窪みに引きずり込んで隠すと、また坂を登り始めた。



 萩原は移動途中、部下が持っていたパンツァーファストを借りて左翼側に陣取っていた。薄いとは言ったが全体とさして変わらなかった。残りのスクリュードライバーを装填した連装ランチャーを持った川島が後ろにつき、土岐との連絡を試みていた。

「ハチロクよりワイルドキャット、聞こえるか?」

 ピッという電子音がした。無線機の試験通信用に使う音だ。どうやら声を出せないらしい。そういった状態では、試験通信用に使う電子音での交信をする規則だった。

「移動出きるか」

 ピッ、ピッ、電子音が二回、「NO」という意味だった。 

「スクリュードライバーとパンツァーファストで一時的に制圧する。その間に上がって来い」
 ピッ

「通信終わる。いいか?」
 ピッ

 土岐と高鷲は坂の途中で同じ窪みに身を伏せていた。まったく身動きできなかった。一度ならず、ほんの五メートル横を一個分隊もの兵士が通りすぎたこともあった。

 「マジかいな・・・?」

 無線を聞いていた高鷲が呟いた。スクリュードライバーだけならまだしも、対戦車ロケット弾まで持ち出されるのは、少しごめんだった。
 しかし、スクリュードライバー・ガスを万能ではない。特殊ガスは、確かに人を無力化するまで痛めつけるが、やはり個人差があった。百人いれば九九人が頭を押さえてもだえ苦しみ気絶するが、一人ぐらいは辛うじて意識を保つ奴がいる。その一人が危険だった。
 二人は音を立てないように注意しながら、顔にガスマスクをはめた。
 萩原はパンツァーファストを担ぎ狙いを定めた。後ろから第一波攻撃を行う川原が仰角をつけて連装ランチャーを構えた。ポン、ポン、ポンと連続した投擲が行われる。半径五十メートルがスクリュードライバー・ガスの汚染地域になる。
 萩原が耳をそばだてながら、一番咳き込む声のする場所へパンツァーファストを叩き込んだ。
 ロケット弾が、土岐達の二十メートルほど斜め右前に爆発し、兵士達が吹き飛んだ。

「行くぞ!」

 二人が全速力で白煙の中を走り出した。
 萩原は煙の中から両手両足を使い急斜面を這い上がってくるガスマスクの二人に89式空艇小銃の銃床を差し伸べた。一人がそれに掴まり、もう一人が自力で這い上がった。掴まったのは土岐、自力で登ったのは高鷲だった。
 ヒューンという音が聞こえ、萩原は反射的に「伏せろ!」と叫んだ。いよいよ敵はロケット弾を使ってきたらしい、一刻も早く探し出して潰さなければならない。
 しかし、ロケット弾は敵部隊の中に着弾した。吹き飛ばされた人間が暗視ゴーグルに映った。

「隊長、ヘリです。ヘリが来ます!」

 高鷲が西の空を指して叫んでいた。
 突然現れた三機のロシア製のヘリコプターにデンマーク軍の兵士達が歓声を上げた。

「いつの間に…」

 萩原が呟いた。

「もともと、こういう手はずだったのさ」

 今度はオルボル大尉が事も無げに言った。

「ドゥルミトルに内偵がいるんでね、襲撃を察知できた。そのためにわざさわざスケジュールに穴をあけて小規模な部隊を入れていた」
「じぁ、我々は無駄骨だったのか?」
「いや、本当は襲撃される前に撤退する手筈だった。あなた方が来てくれなければ我々は犠牲を払っていたでしょう。感謝します」

 楔隊形を組んでいたヘリの編隊が崩れ、両サイドにいたミル24ハインドヘリが、戦車部隊に対しロケット弾攻撃をしかけた。逃げ切れないと悟った戦車兵達が次々と戦車から飛び出す。
 中央にいたミル17ヘリが横腹を見せ降下をはじめた。降下途中、誰かが側部ドアを開け放ち、ロケットランチャーをぶっ放した。ロケット弾は敵歩兵部隊のど真ん中で炸裂し、部隊は今度こそ撤退をはじめた。
 ヘリが着陸すると煙の立つRPGランチャーを担いだヴラチーミル中尉が「奥へ!、奥へ!」と怒鳴った。

「地獄に仏とはこの事だな」 

 萩原が呟き、こんなことなら一個小隊を降ろせばよかったと後悔した。
 収容に掛ったのは僅か数秒だった。

「よし、上がれ!」

 ミル17ヘリが上昇し、空中で二機のハインドと合流する。
 あたりが落ち着くと、ヴラチーミル中尉が萩原にヘッドセットを渡した。それ無しではローターの爆音で会話など出来たものではなかった。

「ロシア陸軍、ヴラチーミル・イワノビッチ・ゾーロトフ中尉です。日本軍がいるとは聞いてませんが?」
「ジャパン・アーミーではありません。ジャパン・セルフ・ディフェンス・フォースの萩原三佐です。我々はほんの通りがかりで、デンマーク軍は自力で撤退しました」

「ああ、わかったよ少佐。トゥズラでデンマーク軍と交代する部隊だね。空港にはもうハーキュリーズが入っている。自衛隊は全員ハーキュリーズで入国した。そういうことにしておきましょう」


 萩原たちを乗せたヘリがトゥズラに入る頃、ニナもまたトゥズラに入った。サラエボに比べればいくらかマシな感じがした。サラエボのように瓦礫のなかに街があるのではなく、街の中に瓦礫がある。そんな感じだった。平野部という地形が幸いしたのだろう。
 その街はボスニアにおけるムスリム勢力最大の拠点だった。
 紹介されたセーフハウスにつくと、こちらでもフリーランス・ユニオンの会員が出迎えてくれた

「どうも、ここの管理人のアル・ハザットです。ニナさんのことは本部から連絡が来てます。心配しましたよ、こんなに遅くなるとは思わなかった」
「すみません。途中でちょっと取材をしていました」
「取材?、もしかして国連軍の監視ポストが襲撃されたやつですか」
「ええ、ずいぶん情報が早いんですね」
「いま、ザグレブの平和安定化部隊の司令部で記者会見が開かれてます」

 アルがテレビのある応接間へ案内すると、何人かのフリーランスがテレビに噛り付いていた。テレビでは平和安定化部隊司令官のフランス軍の将軍が、イースト14監視ポストで戦闘が起り、国連軍が巻き込まれたと発表していた。

「おい、みんな。いま、現場にいた同業者が来たぞ」

 彼らの目がいっせいにニナに集中した。

「どちらが押してました」

 誰かが真っ先に聞いた。

「えっ、そうですね。セルビア解放軍の戦車隊が手痛くやられていたようです。国連軍もいたようですが…、さっきヘリが通りませんでした」
「十分前ハインドとヒップが通ったな。たぶん空港を管理しているロシア軍のだ」
「じゃあ、逃げ延びたでしょう。私が見たときは救援に向かっていたようです」
「ああ、そうだ。三十分くらい前になるかな。ハーリューリーズが何機か連なって空港に入っていったよ」

 別の誰かが言った。

「いよいよ、日本軍が出張ってきたらしい」
「まぁ、期待するくらいの働きをするかが見どころだと思います。なにしろPKOで実戦部隊を送り込むのは初めてのようですから」
「写真ある?、何なら焼いてあげるけど」
「まだ二枚しかないからいいですよ」

 ニナは平和安定化部隊の発表を最後まで聞くことなくさっさと寝ることにした。今日の収穫は写真二枚、
初日にしてはまずまずだとおもった。



昨日今日という事もあってデンマーク軍との部隊交換はすんなりと行われた。
 デンマーク軍の使用していた基地は、トゥズラ郊外の東の丘にある学校とおぼしき建物をそのまま兵舎にしていた。

「こういう地形だからね。狙撃の心配は無い。前紛争時はたまにロケット弾を撃ち込まれたりしたが、たいした被害は無かった」

 デンマーク軍指揮官の大佐は基地のゲートを抜けて行く自軍のレオパルルト1戦車を見ながら、萩原三佐に基地の特徴を説明していた。

「我々は二個小隊でここの任務についていたが、君達は一個中隊規模なんだろ。基地を拡大せねばならんと思う」
「必要な資材を持ってきました。それに我々の中隊には工兵もいますから、戦車が出ていってくれたら校庭にテントを建てます」

 萩原三佐が答えた。

「現在、トゥズラの東戦線ではセルビア解放軍とムスリム兵が睨み合っている。東戦線が突破されれば、事実上この基地が前線基地となり最終防衛ラインになるだろうな。戦車もない君達で守りきれるとは思えないが」
「我々は先遣隊です。本国から本隊が来れば何とかしのげるでしょう。大丈夫我々もプロですから」

 校庭では施設科部隊がトラックから資材を下ろす作業を行い、そのとなりでは空挺部隊がシャベルを持って塹壕掘りに勤しんでいた。通信小隊は機材を持って校舎の中に入り、調整にあたっていた。

「増援はいつ頃くるのかね」
「いつになるやら、なにしろ我が国では、世論という障壁がありますからね。でもまぁ、私は楽観視していますよ。隣がごちゃごちゃしているのに地球の裏側のことなんて気に止める国民はいない、2、3日中とは思いませんが、海には海軍がいるし東戦線が突破されるまでには連隊ぐらい連れてくるでしょう」

 3階建ての校舎の一室では高鷲と土岐が日本から持ってきたトランプを取り出しポーカーに興じていた。昨日の戦闘に出た空挺第一小隊第一分隊は今日の作業は免除され、休息を取れと命じられていた。

「それで、あの丘には誰がいたんだ」

 優位に立つ土岐が尋ねた。

「また、その話しか、話題の無い奴だな」

 高鷲が難しい顔をしてトランプの束から、一枚引いた。

「気になるじゃないか?」

 ほとんどトランプに集中している高鷲が、ぽつりと呟いた。

「なんであんな所にいたんだろう?、でも美人だったな」
「はぁ?」

 支離滅裂な言葉に、土岐は訳がわからなかった。高鷲はそれ以降一切しゃべらず、ポーカーを続けた。勝負は最後に高鷲の逆転に終わった。
 自衛隊初の実戦場へのPKO派遣初日は「ワレ、万事予定通リ任務ヲ遂行中」という一言が六本木に送られ、終了した。しかし、六本木の後援部隊がそれを読んだのは、およそ十時間後のことで後続部隊の手配や輸送・補給手段の確保ですでに戦場と化していた。戦場というのは概ねそのようなものだった。

  
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最終更新:2008年02月24日 23:06