第2話


 自衛隊がトゥズラに入って三日が経過した。パトロール任務は、二個分隊ほどがそれぞれ別ルートで街の中を歩き回っていた。パトロール部隊はおもに空挺があてられ、朝九時から夜十時まで常に二個分隊十六名が街に出ている。
 それ自体、すでに部隊内のルーチンワークとなっていた。

「増援はいつ来るんだい…」

 土岐恭兵ニ曹は二つに折った地図を眺めながらぼやいた。

「まぁ、そういうな。幕だって調整に大変なんだよ」

 機動化学科中隊第一空挺小隊小隊長の川島一尉が仕方なさそうな顔をした。

「わざわざ隊長がパトロールに出なくてもいいんですけど」

 第一空挺小隊第一分隊の分隊長神岡曹長が言った。

「部下との親睦を深めるのはこういうのが一番だろ」

 川島が肩に担いだ89式空挺小銃を振りながら答えた。89式空挺小銃は安全装置がかけられ、マガジンも抜かれている。それを八人の自衛隊員達がマガジンを抜いてあることが、それとなくわかるように担いでおり、川島の小銃には国連を示す「UN」のマークが入ったハンカチが縛ってあった。
 川島は腕時計のちらりと見ると後ろの部下達に振りかえった。

「さぁ、みんなあと1時間半で基地に帰えれる。その後には施設の連中が用意した暖かい料理が待ってるんだ。もうひと踏ん張りするぞ。こんなのレンジャーに比べれば対したこと無いだろ」

「隊長、第二分隊から支援要請です。セルビア人とクロアチア人が喧嘩をしてるとか」

 通信員の春日が無線から耳を離した。

「やれやれ、またかよ」

 セルビア解放軍が押し迫っているため、民族対立が激化していた。それは時に銃まで持ち出してくるほどの事態になることもあり、パトロール任務は機動化学科中隊の隊員に戦場にいるのとを極めて短期間で実感させた。
 結局、彼らが基地に戻ったのは2時間後のことで、ここでは日常茶飯事な出来事だった。



 機動化学科中隊隊長の萩原三佐は通信小隊が用意した衛星通信システムのモニターの前に座り、回線が開くと、モニターに映るボサボサ頭のニ佐に、開口一番「なんて格好だよ」とあきれ口調で言った。

「馬瀬、幕のところに出向するんだからもうちょっとシャキッとしろ」

 萩原は、上官とはいえ同期である機動化学科中隊の指揮官に敬語など使わなかった。

「こっちはもう戦場だ。なにしろうちの輸送機じゃ戦闘装甲車一両運べない。ロシアとウクライナから巨人機借りる手筈なんだけど、第七師団の師団長がなかなか了承しないんだ」
「そりゃ、そうだろ。ありゃ機密が多すぎる」
「ほかに手筈が無いんだよ。とりあえず世論は北の新情報をそことなく公開して引き付けてある。まぁ、数日中には補給物資を送る。空港を管理しているロシア軍とは仲良くしといてくれよな」
「補給物資に高機動車のオプションをありったけ運んでくれ。106ミリ無反動砲に重MAT、93式対空システムは必ずだ。そのほか携帯装備、パンツァーファスト、弾薬、ノイズ・サプレッサー、グレネード…」
「歩兵だけで戦争する気か?」

 馬瀬ニ佐がメモを取りながら尋ねた。

「ここ数日町に変な噂が流れてる。セルビア解放軍の次の目標がここだってな。最悪、増援が間に合わんかもしれん」
「わかった。対戦車装備の高機動車をもう二台送る。VADSはいるか?」
「対空バルカン砲座か、あれは弾の補給に手間がかかる。後続でいい。」
「ほかには?」
「スクリュードライバーをあるだけ送れ。いざって時は戦場にばら撒いて足止めする。はぁ、まるでWWⅠの毒ガス戦だな」

 馬瀬が、ペンを止めた。

「スクリュードライバーか、ありゃ難しいぞ。整備が藤橋の小隊だけじゃ間に合わなくなる」
「ドライアイスで固めとけばいいんじゃないのか?」
「違う、違う。それだと使用時の拡散率が…、まぁ化学式のわからん奴に言っても無理か。とにかく現状で何とかしてくれ。次、生活面は・・・」
「食料は足りている。基地は規模拡大が必要だ。資材を送ってくれ。プレハブ小屋と天幕、カモフラネット、物見やぐら、炊事道具は一通りあるが後続には野外炊事機材を持ってこさせろ。ああ、水洗式のトイレがあるといいな。士気が上がる」
「文明人の偏屈だな、後続だ。ロシア軍の交流会に何か日本食を出したいと思っている」
「スシ、サシミか?」

 萩原がわざと変な口調で言った。

「だめだな、パックに容積を取られる。もっと小さく収まるものにしてくれ」
「じゃあ、お好み焼きとかそういうのでいいんじゃないか?」
「わかった」
「俺はもう寝かしてもらうよ。時差ぼけが酷いうえ、パトロールの人手が足りない。帰ったら遠征任務用に編成を組替えないと」
「しっかりしてくれよ。お前らは陸自の看板背負ってるんだからな」
「わかったよ、アウト」

 萩原は通信室を後にすると、糧食庫でスポーツドリンクをくすねて宿舎の一室にある作戦室へ向かった。各小隊長と下士官がつめる作戦室に入ると壁にかけられた基地の鳥瞰図を眺めながら、今夜の警戒シフトを練った。
 自衛隊が展開するトゥズラ基地はトゥズラ市街から東に位置する丘の上にあり、もとは地元の学校で南北に200メートル、東西に70メートルの長方形をしていた。その中には東側に設けられた校舎があり、西側はほとんど運動場で今は施設科が張ったテントが林立していた。
 防備の点は基地を囲むように二十メートルおきに塹壕が掘られている。この二十メートルというのがみそで普段はひとつ飛ばしにしか塹壕に人をいれなくてもカバー出来る距離だった。大口径機関銃として二挺だけ持ち込んだM2キャリバー重機関銃は東側と北側の塹壕に設置され、お互いカバー出来るようになっていた。基地の西側はすぐ市街なので人を立たせておくだけでよく、南側は基地の拡張するため草木が刈り払われており、監視がしやすくなっていた。
 萩原の心配事は赤外線監視装置を設置した校舎の屋上で、どう考えても単なる的でしかなかった。
 鳥瞰図の下に「祝、自衛隊初海外基地」と書いてあった。

「なんだ、こりゃ。誰がこんなのかいた」
「さぁ」

 藤橋ニ尉が両手を肩の高さに上げて返事をした。

「消しとけ」
「しかし、中隊長。いずれはこの基地にも名前を付けなければならんと思います」

 施設科の小坂一尉が椅子から腰を上げた。

「名前って言ってもな」
「いずれはいるでしょうね。いつまでもトゥズラ基地じゃしまりませんからね」

 藤橋が後押しした。

「じぁ、なにか案を出しといてくれ。俺は寝る」

 作戦室の隅に衝立で仕切られた一角が萩原の仮眠室になっていた。



 午前四時という時間帯は人の注意が一番鈍感になる時間帯だった。ヴラチーミル・イワノビッチ中尉は耳に突っ込んだイヤホンの音で目を覚ますと、隣で寝ている同僚を起こさないように静かに行動した。上着を着て宿舎から外に出ると、薄靄の掛った道を歩いた。エプロンにはハインド攻撃ヘリが静かに佇んでいた。
 通信大隊がつめるセンターにトイレの窓から侵入し、2階の一室に入った。その部屋には机の上に何基も交換機が並べられ、椅子に私用禁止と張り紙がされていた。
 ヴラチーミル中尉はそのうちの一つに椅子に近づき、張り紙を裏返しにして座った。
 この瞬間がヴラチーミル中尉が一番好きな時だった。少年の頃、黙って父親が隠している酒を飲んだときのような、ささやかな悪戯心と緊張感が心地よかった。
 受話器を取るとまずアメリカの電話会社にかけ、そこからほとんど無料といっていい料金でロシアに国際電話をした。
 朝早い時間帯だったが、相手は起きていた。

「ヴァローヂャ、いつまでもこんなことしていると、今に見つかるよ」
「ああ、カーチャ。わかってる」

 こんな時間帯に電話が掛ってくるのを待っているのだ、ヴラチーミルそれがたまらなく嬉しかった。

「そっちはなんか危なそうだけど大丈夫?」
「最前線さ、この前も監視ポストが襲われて、俺が救援に向かったんだぜ」

 ヴラチーミルが自慢気だった。

「ヴァローヂャ、自慢話はまた今度でいいわ。とにかく体に気を付けてよ」
「祈っててくれ。そういえば数日前だったかなニナにあったよ」
「ニナ?、もしかしてシクヴァル・ニナのこと」
「そう、兵器の価値は?のシクヴァル・ニナ」
「有名人じゃない。どんな人だった」

 電話の相手が声を弾ませた。

「少し東洋系が入ってたね。日系ドイツ人とのハーフだそうだ。美人だよ」
「ヴァローヂャ、浮気心なんて起こさないでよ」
「まさか、こんなところに恋人が来るんじゃ、俺は落ち着いて任務なんて出来ないよ」
「まったく、鼻の下伸ばして…」

 突然、ガガ…と雑音が入り電話が通じなくなった。 

「あれ? カーチャ?」

 ヴラチーミルは慌てて他の電話も取ってみるが、どれも同じだった。

「故障か?」

 部屋を飛び出したが、そこで自分が思い違いをしていることに気付いた。

「ECM、ジャミングだ!」

 ヴラチーミルは最近の読んだ報告書を思い出した。セルビアスポンサーが都市部を襲撃するさい、通信手段を封じるため、きわめて強力な電磁妨害をかけてくるという内容だった。
 すぐさま非常ボタンを押す。飛行場中にサイレンが鳴り響き、驚いたトゥズラの役場の職員がすぐさま空襲警報のボタンを押した。街中に空襲警報が鳴り響いていた。
 予測されていた最悪の事態が起きようとしていた。



 萩原は空襲警報の音で目を覚ました。

「どうした!!」

 衝立を倒して作戦室に飛び込むと、その場にいた全員があわてて機材を運び出そうとしていた。

「空襲警報です!。セルビアスポンサーが現れました!!」

 誰かが叫んだ。

「全員を基地外へ退避させろ。91式はどこだ!」
「運動場の第六塹壕です。三発しかありませんよ」

 外に飛び出ると塹壕の中で寝ていた。施設科の隊員が北東に広がる森の中へ逃げていくのが見えた。

「宿舎にいる奴らはどうした!」
「我々が最後です。隊長が起きなかったんですよ!」

 施設小隊の小坂一尉が後ろから叫んだ。
 腹に響く轟音が頭上を駆けた。

「来やがった!」

 二機のF-16戦闘機が基地の上を飛び去ると、高度を取って何かを投下した。

「すごい!、こんな低空を音速近くで飛んでる!」

 航空機が低高度を音速近くで飛行すると、音が聞こえてからでは航空機は飛び去ったあとという不思議な現象をもたらす。しかし、その後に続く爆風の衝撃のほうが恐ろしかった。
 爆風でテントが宙を舞う。萩原達はその場に伏せて何とかしのいだ。
 街のほうで爆音が響き、小さなきのこ雲があがった。

「くそ、小坂ついて来い」

 萩原は小坂一尉を連れて運動場に掘られた大きめな塹壕のひとつに飛び込んだ。塹壕の中には91式携帯対空誘導弾を収めたコンテナが転がっていた。

「隊長、バッテリーを入れる時間が要ります」

 F-16戦闘機が急旋回してこちらに戻ってきた。

「伏せろ!!」

 二発の爆弾が校舎に落とされ、衝撃で吹き飛ばされそうになった。
 塹壕から顔を上げると、ロシア軍の航空基地から対空火器の幾重もの火線が走っていた。しかし、あまり集中しておらず当たる気配が無かった。

「あれじゃあ、的になるぞ」

 案の定、F-16戦闘機が機首をそちらに向けた。
 突然、後ろから91式の発射音が響いた。ポンとランチャーから飛び出た91式誘導弾がブースターに点火し、F-16戦闘機の方へ飛び去る。

「小坂!?」

 萩原が振り返るとランチャーを構えた小坂一尉がニヤリと笑った。

「普通はシーカーを冷やさないといけませんが、91式には画像イメージ照準がありますからね。画像オンリーで撃ちましたよ」

 F-16戦闘機がアプローチを中止してフレアを巻きながら雲の中へ逃げた。

「あれじゃ追尾できない!」

 目標を見失った91式誘導弾はよろよろと飛んでいたが、燃料切れにより重力の法則にしたがって地面へと吸い込まれ爆発した。

「一機が爆撃機、もう一機が護衛のようですね」

 小坂がシーカーの入った保冷ケースを塹壕から引っ張り出した。

「目標は俺達と都市機能の麻痺か」
「すぐ第二波が来るでしょう。俺達も避難しましょう」

 雲から顔を出したF-16が、ロシア軍の飛行場へ向けて爆弾を落とした。

「滑走路に落ちたな」
「補給、遅れますね…」

 施設科として部隊の裏役をになう小坂はげんなりとした顔だった。

「セット完了。次はいけます」
「よし、いけ」

 飛行場へ再度アプローチしてきたF-16へ向けて91式誘導弾が発射される。射程はほとんどギリギリだった。F-16戦闘機が再びフレアを放ってブレイクに移る。

「日本の光学技術はそんな線香花火じゃ騙せない!」

 91式誘導弾はフレアに惑わされること無く、雲の中に突っ込んだ直後のF-16のエンジン付近で爆発した。雲から顔を出したF-16はエンジンから煙を上げ、喘ぎながら飛んでいた。
 ロシア軍の対空火器が容赦無く砲撃を浴びせ、F-16の機体は爆発する前に文字通り八つ裂きになった。パイロットのベルアウトは無かった。いや、脱出するのはどう考えても無理だった。一瞬でズタズタに切り裂かれたのだ。
 残ったもう一機が慌てて地表近くへダイブしクラッターに隠れながら逃げ去った。

「やりましたね」
「ああ、犠牲が大きすぎる」

 萩原と小坂はしばらく破壊された校舎を眺めた。トゥズラの街もいくつか黒煙が上っていた。
 どこに隠れていたのか通信科の久々野ニ尉が駆け寄ってきた。

「中隊長、ロシア軍より電信が入ってます」
「よめ」
「はっ!、ワレ、自衛隊ノ協力ニ感謝、今回ノ撃墜ハ共同トス」

 萩原はその場にあぐらをかいて座りこみ、顔を押さえた。

「はぁ~、難しいよなぁ、交戦規定はクリアしていても人殺してるからなぁ」
「返信はどうしましょう」
「そっちの手柄にしていいよって言っといて、ロシアも国際社会で名を売るチャンスだから」
「了解」

 野々村は萩原の言葉に自衛隊の規定や自国世論の動向を織り交ぜ、やんわりと拒否する文章で返信した。 平和安定化部隊は新参者に仇を奪われるというかたちで、始めてセルビアスポンサーに勝利した。しかし、それは平和安定化部隊の兵士たちにとって最高の吉報にほかならず。戦意高揚に大きな役割を果たした。



 ニナ・ユーリィブナは2階建ての家屋のベランダから、フリーランス・ユニオンから借りたビデオカメラでサイレンが鳴ってから戦闘機が撃墜されるまで始終を記録していた。

「シクヴァル・ニナ、大丈夫ですか」

 この街のユニオン支部の管理人を務めるアル・ハザットが部屋の中でソファーの陰に隠れたまま尋ねた。

「一機撃墜されました。もう一機は逃げていったみたいですね」
「まったく、無茶する人だ」

 ニナは爆弾が街に落ちた瞬間もカメラを離さなかった。おかげでベランダから落ちるところを後から駆けつけたアルに助けられていた。

「さぁ、外へ行きましょう」

 通りに出るとそこら中で煙が上がり、人々が助けを求めていた。ニナはそれに容赦無くカメラを向けた。

「酷いな…」

 アルが呟いた

「グロズヌイに比べればマシなほうですよ」

 ニナがさらりと言った。
 教会の前ではセルビア人とムスリム人が一瞬触発の状態になっていた。

「うぁ、これは銃撃戦になるぞ」

 アルがうめいた。ピストルを持ったセルビア人の男の後ろで妻が血塗れになった我が子を抱いて、必死に男を制していた。
 カメラを向けたニナをアルが止めさせた。

「今は取らない方がいいね。フラッシュが刺激するよ」

 車のエンジンの排気音がして自衛隊の高機動車が間に割って入った。

「みなさん!、ここは公共の場であり争う場所ではありません。すぐさま解散してください!」

 川島は高機動車から飛び降りると、メガホンを持って即急で作った即応ロシア語マニュアルの中身を大声で叫んだ。

「イッジェーズニィ!」

 誰かが怒鳴り返した。

「おい、高鷲。なんて言っているんだ」

 冬戦教で、ロシア語を学んだ高鷲が首を出した。

「消えうせろって言ってます」

 高鷲が荷台から顔を出した。

「切りが無いな。あの男が銃を撃とうとしたら撃ち落せ」
「了解」

 高鷲は幌を被った荷台に引っ込むと銃口を幌から出さないように注意しながらR93LSR2狙撃銃を構えた。
 ニナは荷台から顔を出した兵士が、あの丘にいた兵士だと一目でわかった。

 「ふぅ」と肩の力を抜くと「帰りましょう」とアルに声をかけた。

 アルはすっかり拍子抜けしてしまいながらニナの後に歩いた。滅多に見られない自衛隊の治安維持活動だ。今なら絶好のシャッターチャンスなのに。
 争いは結局、川島の粘り強い説得によって男が銃を下ろした。



 空襲されたその日の夜は街は異様に明るかった。焼け出された人々が外で寒さと戦うため町のいたる所で焚き火をしていたのだ。自衛隊トゥズラ基地も似たようなものだった。宿舎にしていた校舎が完全に破壊され、テントがほとんど吹き飛んでしまっていた。隊員たちは塹壕の中で寝袋を着て寒さをしのぎ、夜番の隊員が焚き火で暖を取っていた。
 萩原は塹壕に移された通信室で後援の馬瀬ニ佐に連絡を取っていた。モニター機材が割れたため音声オンリーの会話だった。

「それで、死傷者はいないんだな」
「うちにはいない。ロシア軍は少し出たようだ。近いうちにお悔やみに行くことにした」
「よし、本題だ萩原。自衛隊が本格的に動くことになった。そちらには一個連隊が出向くことになっている」
「ずいぶん急な話じゃないか。一体どうしたんだ?」
「テレビ見てないのか。あの空襲劇、初めて全世界に報じられたんだよ。撃墜シーンもな」
「あいにくそういった文明の利器はない。だれが報じたんだ」
「バンカンに創立した自由契約報道者連合組合通称フリーランス・ユニオンの会員でシクヴァル・ニナとかいうロシア人だ。凄かったぞ、最初に超低空飛行で侵入してくるところから、街に爆弾が落とされ、空港が襲撃される。そして戦闘機がミサイルに被弾して対空機関砲に撃墜されるまで、まるで映画のようだった。後続の奴らにビデオを持たせるよ」
「そんなもの積めるのなら弾薬を積め」
「まぁ、そんなわけで世論は今回のPKOを肯定してくれている。第七師団の師団長も警備をつけるということで合意してくれた。いま、千歳ではロシアの貨物機に搭載作業を行っている。二日後にはそちらに向かう。今度は空自のF-15が護衛につき、そのままイタリアに入る」
「どこに下りるんだ。サラエボは近いけど危ないぞ。ザグレブは遠い」
「指令部はザダルだが、そこに主力を降ろす」

 受話器の向こうで馬瀬が自分に指をさしている気がした。

「バカかお前は、ロシア軍の滑走路には穴が空けられたんだぞ。着陸できるわけが無い」
「いやいや、元々滑走路の長さが足りなかったんだ。そこでお前らの出番となる」
「施設科を使って滑走路を修復拡張するのか」
「ああ、出来れば全部隊を使って欲しい」
「ちょっとまて、輸送部隊はいつ来るといった!?」
「二日後」
「無理だぞ、それは!」

 萩原がたまらず声を荒げた。

「大丈夫、ちゃんと考えてある。滑走路の補修と滑走路を延長しておいて、4000くらいな」

 馬瀬の通信は唐突に途切れた。

「くそ、久々野。各小隊長と下士官を叩き起して集めろ」

 小隊長と下士官が集まる間に地面にそのまま置かれたFAXから派遣部隊の編成表が吐き出された。

「いいニュースと悪いニュースがある」
「いいニュースからにしてください」

 後ろの方で。誰かが言った。

「いよいよ本隊が駆け付ける事になった。二日後だ」

 隊員たちから歓声が上がった。

「部隊は第七師団と第二師団から編成された分遣隊だ、分遣隊司令部は支援艦隊の接岸予定地であるザダル(アドリア海に面した街)に設けられる。トゥズラ基地には二個戦車中隊、三個普通中隊、その他特科、施設、補給部隊と一個連隊に規模の部隊が派遣される」
「主戦力ですか?」
「そうだ。我々も一個中隊として編入される」
「派遣はわかりましたが、トゥズラにはいるのはいつです」

 滑走路が破壊されるところを見ている小坂が尋ねた。

「安心しろ、派遣される部隊は当日付けでトゥズラ基地に入る」
「どうやって!」
「魔法でも使うんだろ。二日後つまり明後日にトゥズラは派遣部隊をすべて受け入れる。明日からロシア軍の滑走路を突貫工事するぞ。穴を埋め滑走路を伸ばす。休む暇は無い。全員今のうちにしっかり休息を取っておけ。解散」

 隊員たちが、うなだれて塹壕から出て行く。萩原もげんなりとしていた。どう考えても明日一日で滑走路を工事するのは不可能だった。



 翌日になり、機動化学科中隊は20人しかいない通信小隊を残し、トゥズラ基地を出発した。瓦解した街を突っ切りロシア軍の管理する飛行場へ入ると、エプロンに瓦礫の山が積み上げられていた。

「ひどいな…」

 高機動車を降りると萩原が思わず漏らした。

「久しぶりです少佐」

 自衛隊との連絡将校にまわされたヴラチーミル中尉が挨拶に出た。

「久しぶりだな中尉、こっちはどうだった?」
「五名が戦死しました。今回最悪の被害です」
「戦死された兵士にお悔やみ申しあげる」
「負傷者はその倍です。後送する予定ですが、滑走路がこの状態で…」

 滑走路には少なくても大穴が三つは空いていた。

「本国からの指令で滑走路の復旧をするよう命じられた。基地指令に挨拶したいが?」
「こちらにも連絡が届いてます。なにしろ運んでくるのは我が軍の輸送機ですから、こちらです」

 萩原は川島を連れ、ヴラチーミル中尉の後に続いた。

「今回はお手柄だったな中尉」

 川島がヴラチーミル中尉に話しかけた。

「からかわないでくださいよ。運がよかっただけです」

 まさか人目を盗んで恋人と私用電話していたなんて、こっ恥ずかしくて上官にも言えなかった。
 地下室に移された指揮所は会議室並みの広さで、士官たちが忙しく動き回っていた。

「日本軍トゥズラ派遣隊の指揮官をお連れしました」

 ヴラチーミル中尉は韓国製のテレビを見ながら受話器を握る男に声を最敬礼をした。男は振り返ると受話器を置き席を立った。大佐の階級章が見て取れた。

「ロシア軍トゥズラ航空基地指揮官、レフ・アナトーリエビッチ・ベールイ大佐です」

 レフ大佐は滑らかな英語で萩原に握手を求めた。

「ジャパン・セルフ・ディフェンス・フォース、ハギワラ・トシキです。階級は少佐にあたります」

「少佐、早速だが滑走路の復旧工事に当たってもらいたい。君たちの部隊を運んでくる輸送機は虎の子なんだ。これが先ほどこちらに届いた滑走路の工事に関する詳細な計画書だ」

 レフ大佐は厚さ数ミリのプリント集を萩原に渡した。萩原はそれを斜め読みしながら全体の作業内容を掴んだ。想像していたより作業内容は少なかった、滑走路の穴を埋め、滑走路を伸ばすため森林を開拓せよというだけで、舗装などの工事は予定に無かった。ロシア機がいくら丈夫だとはいえ、計画書にあるだけの中途半端な滑走路では危ないと思う。

「わずか一日しかないが、可能かね」
「人手さえ貸してもらえれば可能です。しかし、滑走路を固めるだけでいいとは、どういうことでしょうかな?」
「何か策があるんでしょうな。日本の建築技術を持ってすれば容易いでしょう」
「我々は専門職の人間ではありません。まぁ工兵もいますが、半分以上が歩兵です」
「ヴラチーミル中尉、君に二個中隊を預ける。日本軍と協力して滑走路の復旧に努めよ」
「了解です」

 ヴラチーミル中尉が返礼する。

「レフ大佐、出来れば戦車を貸してもらいたい。地面を固めるのに使いたい」
「わかった。T-80戦車を二両出そう」



「まいったよな」

 土岐ニ曹はチェーンソーで滑走路の端から広がる森を切り開いていた。滑走路の長さが足りず、両脇の森を切り開かないと、要求された4000メートルに届かなかった。切った木は高機動車とロシア軍のBTP装甲車がワイヤーを引っ掛けて隅に運んでいた。

「土岐、切り株はもっと低く切るんだよ。引っかかるだろ」

 同じくチェーンソーをもつ高鷲が注意した。

「お前、楽しそうだな」
「たまにはいいじゃないか、いつも銃だけを握ってちゃ気が滅入る」
「狙撃銃と寝食を共にする奴がそういうことをいうのか?」

 滑走路のほうは施設科とロシア軍の戦車が入っていた。大穴を埋め戦車で地面を固める作業が続いていた。舗装の仕事が無くなっているのを皆が気にしていた。ロシア軍の大半の部隊がトゥズラに出て復旧任務についていた。空港の施設自体もかなりの被害を受けていたが、二の次になっているのが現状である。
 萩原三佐はロシア軍が急設した天幕の中でヴラチーミル中尉と工事の進行状況を確認していた。

「この滑走路全長2000メートルで東西に延びでます」
「東側はすぐ山にあたる、西側を伐開するしかないか」
「はい、作業員の割合は現状でよろしいでしょう。休憩は1時間につき五分から十分、食事は五十分としています。これは野外行軍のタイムテーブルを参考にしました。兵士たちの士気は昨日の撃墜で上がっています。何とか今日中に作業を終わらせたいのですね。投光機が襲撃でお釈迦になりました、夜間作業には危険が伴い士気も下がります」

「今の進行状態では夜まで掛っても終わらない。明日にもつれるな。今夜は出来るだけ深夜までやりたいが、明日に疲れを残すのはまずい」
「はい、そこで思案しましたが、車輌のヘッドライトを使い作業をあたらせることにしています。同時に休息を伸ばし士気の低下を防ぎ、作業自体は10時をもって切り上げることにします」

 萩原はなかなか頭のいい士官だと思った。そのくらいで切り上げれば明日の作業に差し支えることも無い。

「輸送機部隊の到着は?」
「明日の夕方となっています。相当無茶するようですね。たった二日で地球の裏側から大部隊を運び込むなんて」
「二次攻撃の恐れがあるそうだ。部隊が到着すれば厚いエア・カバーを提供出来る」
「期待しています。我が軍のミグが逃げ出したときとは、日本の防空能力は格段に進歩していますからね」
「あの頃は防空網なんて無かった。レーダーは薄いし、迎撃機といえばセイバーぐらいだったからな」
「イーグルがこればセルビアスポンサーのF-16なんて怖くないですよ」

 日本が現在要撃機として運用するF-15イーグル戦闘機は世界に僅か四カ国しかユーザーのいない、高価格な高性能機だった。

「さて、我々もスコップを持つことにしましょう。指揮官が何もとないのでは兵士に嫌われますから」
「君は、ずいぶん士気を気にするな?」

 萩原は隅においてある剣先スコップを掴み、一つをヴラチーミル中尉に渡した。

「我が軍はアフガンやチェチェンで嫌になるほど教えられましたから」

 その日の作業は予定通り午後10時をもって打ち切られた。滑走路の穴はほぼ埋まり、延長工事も七割がた森を切り開いた。次の日の午前中には計画された作業は終わった。


 午後1時。

「来ました!」

 外の声で萩原達が天幕を出ると東の空から二機のC-130ハーキュリーズ輸送機がこちらに向かっていた。

「滑走路予定地にいるものは退避せよ」

 ヴラチーミル中尉がマイクで呼びかけると、滑走路上で休んでいたロシア兵達がわらわらと走りだした。
 ハーキュリーズ輸送機は着陸するのではないかと思わせるほどの低空飛行で滑走路に進入するとカーゴ扉を開きパレットをいくつも放出した。一機が高度を取って離脱すると、もう一機が同じようにパレットを放出した。

「滑走路の応急修理機材か」

 応急修理機材は平坦な場所に並べて広げると簡易滑走路が出来あがる。一機が放出しただけで2000メートルの滑走路がカバーでき、二機で4000メートルの滑走路が設置されるのだ。

「よし、最後の仕上げだ。作業にかかれ」

 作業員たちがパレットに向かって走り出した。
 3時間後、世界最大の輸送機ウクライナ語で「夢」という意味を持つアントノフ225「ムリヤ」を先頭にした輸送機編隊がトゥズラの飛行場に飛来した。そのあまりの大きさに護衛につくイーグル戦闘機などまるで小さなコバンザメのように見えた。
 ムリヤ一機で五十トンの重量を持つ90式戦車がなんと5輌も搭載していた。その後に続くアントノフ124 「ルスラン」は3輌の戦車を運んでくる。最も機数が多いイリューシン76輸送機は装甲車等の軽重量車輌等を運び込み、C-130飛行隊が約1500人の自衛隊員をおろした。
 三十機を越える輸送機が貨物を降ろしては飛び去っていった。
 始めに着陸したムリヤ輸送機に搭載されていた90式戦車が1輌砲塔を後ろに向けたまま天幕に近づいてきた。

「萩原はどこだ!?」

 戦車長用キューポラを開けて出てきた男はがっちりとした体格で、一佐の階級章をつけていた。

「だれかと思ったら大洞じゃないか」

 萩原が戦車に近づいた。大洞は軽い見のこなしで戦車から飛び降りた。

「お前が連隊長か」
「少しは礼儀を使えよ。二階級も上なんだぜ」
「同期に敬語を使う義理は無い。防大時代の貸しはまだ残っているだろ」

 遠くで見ていた土岐が「俺達の隊長、一体何期なんだ」と呟いた。

「どんじり組みらしいが、そいうのは話しは伏せておいたほうがいいな」

 川島が後ろから答えた。

「俺と同じで出世に興味が無いんですよ」

 と高鷲。

「まぁ、この階級も今回貧乏クジ引く代わりにぶん取ったものだけどな」
「まったく変わってないな俺達」
「まったくだ」

 二人はゲラゲラ笑った。
 天幕からレフ大佐が出てきた。

「ロシア軍トゥズラ航空基地指揮官、レフ・アナトーリエビッチ・ベールイ大佐です」
「陸上自衛隊トゥズラ連隊指揮官、大洞慎吾一佐です。先遣中隊が御世話になりました」
「いやいや、おたくの国でどう報じられたかは知らないが、セルビアスポンサーへの最初の一撃は自衛隊のものでしたよ」 

 大洞が上品に笑った。

「我が国ではロシア軍の勇敢なる攻撃が自衛隊員の生命を救ったと報じられましたよ。まぁ、そう言う事にしてください。自衛隊が先に攻撃したのでは、世論が硬化し我々は何もしないうちに撤退しなければならなくなる恐れがあるので」

「わかってるよ同志。私はすっかり西側ナイズされているらしいから、多分君達と意見が食い違う恐れは無いと思う。マスコミの恐ろしさは知っているよ」
「大佐の英語を聞けばわかりますよ」

 僅かの会話でレフと大洞すっかり打ち解けた感じがした。

「さて、大佐。我々は基地の設営に行かなければならないので、この辺で失礼するよ。萩原、基地はどこだ?」
「東の丘だ。二日前に爆撃されて何も無い」
「お前ら、東の丘だ!。さっさとねぐらを作るぞ!」

 大洞が命じると自衛官を乗せた機甲部隊とトラック隊が空港を出発した

「萩原少佐、この応急修理機材はもう使えないですよね」

 ヴラチーミル中尉が滑走路を指差した。応急修理機材で作られた滑走路は短時間に大量の大型輸送機に離着陸されたためズタズタになっていた。

「まぁ、普通の滑走路でも無茶なことだったからな」
「ああ、手が開いたらこっちの工兵で本当の滑走路を復旧させるよ。この滑走路が無いと今後の補給業務に支障が出るからな」

 大洞が答えると近くの高機動車に飛び乗った。

「じゃあな、中尉」

 萩原もその高機動車に乗り空港を後にした。
 陸上自衛隊はわずか1日で二個戦車中隊28両とその倍に上る戦闘装甲車と対空車輌、自走砲そして1500名を越える隊員をトゥズラに展開させた。トゥズラは1日にして平和安定化部隊最大の戦力を配備されたのだった。
 のちにマスコミから「一夜城作戦」と滑稽な名前が付けられた自衛隊初の海外大規模展開作戦は、ようやく部隊の投入が終了した。





最終更新:2007年10月30日 22:44