外伝Ⅰ 実体のある幽霊機


 しかし大鴉はひとり静かに胸像の上に止まり、
 その魂を一言こめたがごとくに、あの言葉を吐いたばかり。
 それから何も言わなかった、またいささかも羽博かず―
 やがて私は僅かに呟いた、「たの友達はむかし去つていつた―
 明日になればあれは私の許を去るだろう、私の希望がむかし去つていつように」
 この時烏はないた、「またとない」

 『大鴉』(ポー)


「レイヴン、フォックス・ツー、フォックス・ツー!」

 日本空軍第311飛行隊所属、有川祐二中尉は背後を取った敵機に向かい、躊躇わずレリーズを押した。間を置かずしてパイロンから滑り出した2発の短射程ミサイルが、弧を描き敵機へ吸い込まれる。敵機は旋回と同時にフレアを撒いて対抗するが、IIRホーミングのミサイルをかわす事はできなかった。主翼の付け根部分に命中し、一瞬でバラバラになり燃え尽きる。
 有川は「命中」とだけ短く言い、首を左右に振った。次の獲物を探す為、そして自分が獲物になら無いために。

「どれが敵で、どれが味方やら・・・」

 いくつも航跡が飛び交い、爆発が起き、HUDの中のコンテナ・マークが消える。その瞬間、誰かが撃墜された。次は自分かもしれない。レーダー警戒装置が引っ切り無しに悲鳴を上げ続けていた。
 この戦争・・・、日本は再びアメリカと戦争をおっぱじめたのだ。原因なんて、星の巡りが悪かったとしかいえない。どうだい、今はそんなことを考えているときじゃない、少しでも長く生き残る為に、戦うことに全てを集中させなければならない。
 ただ、一つ言える事は対米戦争の最終戦は、ここ飛鳥島だった。

「アスカGCI、こちらレイヴン。311thSQ(飛行隊)の位置を教えてくれ!、僚機はどこだ!?」

「アスカGCIよりレイヴン、311thSQは全機撃墜された模様、残機はあなただけだ」

 アスカGCIの応答に「くそ・・・」と毒突く。自分の飛行隊はいつの間にか壊滅していた。
 レイヴン。渡り鴉。空を飛ぶことに憧れてつけたコールサインだ。
 第311飛行隊は、第2次真珠湾航空戦から戦友達だった。一緒に酒を飲み、喧嘩もしたりしたが、気のいい奴らばかりだったな・・・、今はもう顔を見る事も無い。俺も、向こうにいったら会えるのか?

「レイヴン、帰投を許可する。飛鳥島に降りて、こちらの部隊と合流してくれ。グランド・パス(着陸進路)には確実に従え、対空弾幕の餌食になるぞ」

「・・・了解した」

 交戦空域を離脱。残燃料は、すでに帰投出来るぎりぎりまで減っていた。それほど時が経つほど戦っていた。体力も限界で、ナビに従ってコースを取る以外、何も考える事が出来なかった。仲間を失ったことに、涙一つ零れやしない。それを不思議に思った。いや、わかっているのに実感が湧かないのだ。滑走路へ降りれば、すぐに集まってきて出撃前に半分だけ飲んだコーヒーの残りを勧めててくれる。それが有り得ない事だとわかっていても、そんな気がしていた。
 飛鳥島へ引き返す途中、レーダーが引っかき傷のようなエコーをつけた。電子戦による影響かと思ったが、有川には何故か気になった。島に近い。

「なんだ、こいつ?」

 次のスイープ走査では消えている。周波数を変えてみるが変化はなかった。

「アスカGCI、島に何か接近している。方位、1-5-0」

「確認出来ない。こちらのレーダーにはなにも映っていない」

「いや、何かいる!」

 アフターバーナーに火を入れ、スナップ・ロール。進路を変更し、追跡に移る。

「レイヴン! 危険だ、対空弾幕に撒き込まれるぞ!」

 GCIが警告するが、言われなくてもわかった。目前には、猛烈な対空戦闘をおこなう飛鳥島が見えた。対空砲から放たれる幾重もの火線が、まるで波立つのように空を覆い、その合間をミサイルが飛び抜けてゆく。ここに飛び込むのは、悪魔の口の中に飛び込むのと同じだった。
 上等だ。どうせ飛行隊は俺一人しか残っちゃいないんだ、全滅したってかわりない。最後にこいつの正体だけ見極めたい。高度を下げ、対空弾幕を縫うように飛鳥島の上を音速で疾駆する。あのエコーが敵機なら、おそらく同じコースを辿っているはずだと思った。
 レーダーが再び目標を捕らえる前に、レイヴンは自分の目で見つけてしまった。巨大な黒い影が目の前に迫った。急上昇し、あやうく追突を逃れる。

「そんな・・・!」

 振り返り見たものは、巨大な蝙蝠が翼を広げているような姿をした爆撃機だった。B-2A『スピリット』ステルス爆撃機、スピリット・オブ・アナハイムだ。巨大な爆撃機がそこにいた。
 アスカGCIが、急に喚き散らしだした。水平を保っていたスピリットが、今度は急に旋回を始める。いつの日か航空学校で見た、エノラ・ゲイ号と同じ動きのような気がした。核爆弾投下行程の避難機動だ、まさか・・・
 限界Gで旋回。プレッシャースーツが身体を締め上げ、視界が狭くなる。ブラックアウト寸前で、旋回を緩めた。正面にスピリットがいた。スピリットのパイロットが目を向いて驚いている。距離が近すぎた。ウェポン・セレクターをガンに合わせ、トリガーを引く。
 うねった曳航がスピリットのコクピットからエンジンにかけて突き刺さった。ラダーを蹴り機体を捻って、スピリットの下方に滑り込む。次の瞬間、スピリットのエンジンが火を吹き、スピリットがバンクを回復せぬまま海面に落ちて行く。
 しかし、レイヴンは自分が手遅れだった事を悟った。スピリットの後方で降下していく戦略核爆弾を、レイヴンは見逃すことしかできなかった。



 眼下では、熾烈な地上戦がおこなわれていた。
 インビンシブル大帝國の機甲部隊が楔隊形を組み、砲撃で敵を圧しながら突き進んで行く。その上空を同じく楔隊形で進む飛行隊があった。Ju87スツーカ(急降下爆撃機の意)、この電撃戦には欠かせない『空飛ぶ砲兵』である。

「こちら雷鳴、対戦車壕を確保した」

「こちらカエデ、着弾地点を前に移せ」

「こちら鋲1、前進!」

「アドラーからフラウ、攻撃されたし」

 地上からの支援要請を受けたスツーカ隊が、目標へ向けて降下を始めた。命中率が高い急降下爆撃は、目標から50フィートと外さず着弾する。地上では次々と重なって爆発が起き、敵の火砲が沈黙して行く。
 爆撃を終えたスツーカが、再び編隊を整えようと集まりだした。と、次の瞬間、編隊の最後尾にいたスツーカが突然爆発した。

「バーニング・スフィアだ!」

 スツーカの編隊長がすぐさま散開を命じる。その間にも2機目の犠牲者がでた。火球が、次々とスツーカに襲いかかる。
 バーニング・スフィア(発火する火球)とは、いま最もインビンシブル大帝國軍に損害をあたえている敵の戦力だ。いわゆる魔法と言うやつで、戦車の装甲ですら時に突き通す熱量がある。直進性があり、速度も早いので狙われると、装甲の薄い航空機などひとたまりも無い。法陣も、術士の姿も見当たらない未知の攻撃だった。
 空は地獄と化した。



 その遥か上空、高度45000フィートの誰にも辿りつく事の出来ない高度に、一機のレシプロ機が飛んでいる。
 出力増加装置付き液冷倒立V型12気筒エンジンを収めた細長い胴体に、その1.4倍の翼幅を持つ長大な翼、その姿はまるで十字架を思わせた。すべては高々度を飛ぶ為には必要なものだ。
 『Ta152E改』高々度観測機、インビンシブル大帝國が大戦機での空軍を造る際に、サンプルとして製造された『フォッケウォルフTa152H高々度戦闘機』を改造した航空機だった。
 しかし、この機はTa152シリーズの純粋な複製ではない。搭載機材は機体に似合わず、合成開口レーダーから夜間観測も可能とする高感度パノラマカメラまで搭載された戦略偵察機並の装備をしている。
 その複雑化した機材を操作する為、このタンクTa152E改は従来の単座ではなく複座にされ、パイロットとオペレーターが乗っており、その他にも、要所要所で改造された部分があるが、基本的な性能はタンクTa152Hと同じだった。
 15000メートルという、途方もない空の高みから下界を見下ろしている。

「今日は4割りがやられたわ・・・」

 オペレーターのデネブ・ローブの呟きが、酸素マスクに付けられたインターカムを通じて聞えてくる。少し憐憫の感情の入った言葉だった。パイロットは、それに黙って頷く。
 しかし、損害は想定範囲だ。帝國軍の電撃戦は、とどまる事無く続いている。
 想定範囲・・・、兵士にとってたった一つしか無い命も、エントロピーの法則が支配するこの場所では単なる統計上の数字でしかない。

「帝國陸軍、目標地点に到達、確保。作戦目標の達成を確認。有川、戻りましょう」

 今度はハッキリとした声でデネブが告げた。「了解」とパイロットの有川祐二は答え、ラダーを踏む。Ta152改が、浅いバンクを掛け旋回、戦場から離脱する。これから飛鳥島までの長いフライトだった。
 彼らは、自分達の存在を地上部隊や他の空軍に知らせない。誰何された場合にも「敵ではない」の一点張りで、戦闘に参加せず、観測活動をおこない帰ってゆく。
 口の悪い奴には『実体のある幽霊機』と呼ばれていた。
 誰の味方でもなく、戦場に紛れ込み、人知れず去って行く。その仇名通り幽霊みたく存在しないかのように振る舞う観測機だった。



 Ta152E改は、巡航スピードで飛鳥島を目指す。デネブがようやく収集した観測データの処理を終え「ふぅ」と人心地つき、目頭を押えて揉み解した。

「目が痛い・・・」

 まるで徹夜でレポートを仕上げた残業明けみたいな言い方だな、と有川は思った。このTa152E改の後席コンソールには、パソコンのディスプレイが、そのまま埋め込まれている。観測機材を操作する為に載せたもので、タッチパネルで操作するが、使い慣れないデネブは人差し指で一つずつ操作している。

「画面までの距離が近すぎるんだよ。デネブ、今日昨日乗ったわけじゃないんだ。タイピングを覚えれば楽になる」

 デネブ・ローブは、この世界の人間だった。この世界、どう表現すればいいのだろう。あの時の事は、ハッキリと覚えていない。気付いたときには、この世界にいた。

「貴方達って前の世界では、こんなもの使っていたの?」

「使える奴らはな。しばらく、遠くを見ていろ。目を悪くするのは損だ」

 もうすぐ夜を迎える時間だ。太陽は西の水平線にその姿を隠し、東の空から闇が広がってきている。有川はそのコントラストが気に入っていた。
 西の空は、まるで上等な葉でいれた紅茶のような色をしている。一日を終える時に、こんな紅茶を飲みながら終えれたら最高だろう。

「何かいる・・・」

 デネブがコクピット枠に手をつき、下界を覗き込んだ。有川もそれに習う。注意して見ると、雲の上に浮かぶ、小さな点が見えた。あんなもの、よく見つけるものだ。もしかして、デネブは自分より視力がいいのかもしれない。

「上昇してきた。こっちに来る気?」

「こちらに構うなと言っておけ」

 デネブが無線で交信を試すが、向こうからの応答は無い。

「まだ昇ってくる。無茶やるわね」

「まったくだ」

 いまのTa152E改は高度13000メートルだ。空軍のMe262ジェット戦闘機でも無理だろう。P-51ならタンク博士がやったように、GM1を使って振り切ればいい。
 正体不明の影が、徐々にTa152E改の方へ近づいてきた。

「奴は・・・、戦る気か?」

 自分達の任務は、観測した情報を飛鳥島まで持ち帰ることだ。そのためなら、味方ですら敵に回す。

「可能性はあるわ。このままだと、こちらの飛行進路と重なる」

「機種を判断できるか?」

「翼がMe262に似てるわね。でも、エンジンが付いてない。機首に大穴があいてるわ。まるで葉巻みたい」

「ジェットか、・・・もういい引き離すぞ、GM1・オン」

 GM1出力増幅装置を作動させ、Ta152E改が加速する。速度があっという間に時速760キロを越え、アンノウンは追いつけない。正体は気になったが、これ以上の接触は危険だと判断した。
 戦闘は自分の任務ではない。



 飛鳥島
 レシプロ特有の軽快なエンジン音で奏でながらTa152E改は着陸した。駐機場に機体を止め、整備員の用意したラダーで地面に降りる。飛行帽を取って振り返ると、デネブがデータの入ったブルーディスクを取り出し降りてきた。
 デネブ・ローブは有川とコンビを組んで長くなる。元は教会でクレリックをしていたという話だが、なぜこんなところに来たのか、有川は尋ねた事は無い、これからも尋ねる気もなかった。

「やぁ、おかえり。有川、ローブ」

 軽い声を掛けたのは科学技術総監の氷室清一郎だった。九条元帥の馴染で、飛鳥島の科学者、技術者達の元締め、そしてマッドサイエンティスト。一部の人間からは、敬意と畏怖から『探求者』と呼ばれている。

「お土産はあるかい?」

「バーニング・スフィアの新しい画が撮れてます」

 デネブがブルーディスクを渡すと、氷室が顔をにんまりとほころばせた。

「うん、さすがだね。わざわざ上杉中将から引き抜いたかいがあるよ」

 上杉中将とは、自分のもと司令官だった男だ。図体はでかいが、気の弱い将軍だった。飛鳥島が転移した当初、有川は上杉の率いる空軍に再編入されていたが、全滅した飛行隊でたった一人生き残ったパイロットの宿命なのかタライ回しにあっていたところ氷室に拾われたのだ。
 有川とデネブの所属は、氷室が長官を務める飛鳥島の研究所に所属する『独立観測航空隊』だった。空軍でない空軍。各地の戦場を駆け回り、情報を収集し、後の研究に反映させる。Ta152E改高々度観測機は、そのための翼だった。

「ところで、何かあったかい?」

 氷室が薄笑いを浮かべて尋ねる。
 有川とデネブは顔を見合わせたが「いいえ」と素っ気無く答えた。独立観測航空隊の任務は、活動区域で定められた観測活動を行い、確実に持ち帰る事だ。それ以外は関係無い。たとえ観測活動中に、巧妙に隠された敵の司令部や物資集積場などを発見し、戦況を覆すような情報を得ようと、彼らはそれを帝國軍部隊に知らせるような事はしない。

「そうか、ならいいよ。お疲れさん」

 氷室があっさりと引き下がり、手を振りながら立ち去った。

「あの人は苦手だわ。何を考えてるのかわからない」

 氷室の後ろ姿を見ながらデネブが小声で言った。

「別名『探求者』だ。我が道を行くってやつだろう」

 デブリーフィングをおこないレポートを提出すると、デネブとはパイロットルームの前で別れた。これから施設内の礼拝堂に行くのだという。長らく教会にいた癖で、今でも主に今日も無事に戻れた事への感謝と、明日の飛行を祈るそうだ。
 飛行機乗りがゲンを担ぐのは珍しい事じゃない。有川も、これから自分なりの儀式で今日の無事を祝福するつもりでいる。
 飛鳥島内の娯楽エリアに向かい、バー『ギムレット』の一番隅の席でワイルドターキーを飲んだ。有川が落ちついて座る席はTa152E改のコクピットを除けば、この席だけだった。
 バー『ギムレット』は珍しく混んでいた。島にいた部隊が大陸へ向かってから、いつも客は少なく静かにローレライを流す店だったが、今日は随分と大入りだった。

「何かあったのかい?」

 ツマミを運んで来たウェイターに尋ねる。

「新設された飛行隊の編成式があったそうです」

「なるほど、ここは二次会の会場にされたわけか」

 パイロットジャンパーに真新しいワッペンが付けられている。騒いでいる連中に一瞥だけ目を遣り、ワイルドターキーを口をつけた。楽しそうだとは思わなかった、騒いでいるだけだ。帝國正規空軍の様だが、戦闘飛行隊だろうか? 爆撃飛行隊だろうか? はたまた、偵察、輸送、連絡・・・?
 まぁ、いい。彼らと戦場で会う機会はあっても、関わる機会は無いだろう。そう、自分は・・・

「独立観測航空隊か、あんた?」

 騒いでいる連中の一人が宴の輪を離れ、有川に近づき話し掛けた。途端に、店中の注目が有川に注がれる。

「戦場を遥か上空から見下ろし、どんなに苦戦していようとなんの手助けもせずに帰ってゆく。まるでそこに存在しない様らしいじゃないか? 本当に実体のある幽霊機だな」

「所属が違うからな」

 ぼそりと有川は答えた。実際、有川の見ている前で全滅したインビジブル帝國軍の部隊も少なく無い。そんな時にも、『実体のある幽霊機』は何もせず「全滅しました」と報告しただけだった。

「あんたの持ち返った観測情報は空軍の統合情報作戦部にはこない。ここの科学技術部に入るだけだ」

「わかっているじゃないか。アンタ達と俺は違う、それだけだ」

 「とりつくしまもねぇな」と吐き捨て、正規空軍の兵士は宴の輪に戻った。

「いたいた。やっぱりここだったか」

 バーのドアが勢い良く開き、思いがけない人物が入って来た。科学技術総監の氷室だった。とんでもない大物の登場に、騒ぎ掛けた店内が一瞬で静かになる。

「ああ、みんなそのままでいいよ。僕はちょっと、そこのパイロットに用事があるだけだから」

 満客の店内を掻き分け、なんの挨拶もせず有川の前にどんと腰を下ろし、なんの前置きも無しに言った。

「Ta152E改にね。新しい装備を乗せたんだ」

 またか?
 有川はさして興味も無い様子で応じた。Ta152E改は、常に改造され続けている。はじめは航空カメラを数台載せただけの観測機だったが、後にそれは夜間も観測可能な赤外線カメラとなり、マッピング機能を搭載された合成開口レーダーが追加され、後席が設けられ、エンジンは出力アップのチューニングが施されている。

「今度はスゴイぞ。魔法の発動を事前に見つける装置だ」

 氷室が、わくわくした声で説明をはじめる。「今度はスゴイぞ」は毎度のセリフだ。

「魔法が発動されるときに、エーテルの波動に若干の乱れあることがわかった。どうやら、魔術者が術を使う時に出るある種の脳波が影響してるらしいんだけど、そこから先はまだわかっちゃいない」

 有川は黙ってワイルドターキーのグラスを傾けた。別に聞き逃しているわけじゃなかったが、自分のTa152がまだいじられるのかと思うと、すこし気がふさぐ。デネブに、あとで説明に行かないとな・・・。

「明日の任務を言っとくよ。空軍の第509爆撃航空軍のB-17フライングフォートレス爆撃機が、アケステース砦を爆撃する予定だ。たぶん、バーニング・スフィアの迎撃もあるだろう。君にはこの感知装置がバーニング・スフィアに対応できるか調べる為に、第509航空群に随行してエーテル感知装置を試してもらいたい。
 ああ、現場レベルの反応を知りたいから、高度はいつもの高々度じゃなくて、爆撃機と同じにしてね」

「爆撃機の編隊に混じって、射的の的になれってのか?」

 Ta152E改は、その上昇性能でバーニング・スフィアに対応して来た。高々度を飛ぶ事でバーニング・スフィアの射程外から観測活動を行うのだ。だが、B-17フライングフォートレス爆撃機の飛行高度に合わせると、その利点をみすみす失うことになる。

「いつもより低く飛ぶ。うまくいけば、バーニング・スフィアに付いてまた何か判るだろう」

「帰ってこられれば」

 有川はワイルドターキーを飲み干し、すっと席を立った。

「吉報を期待してるよ」

 氷室の気のない応援を受け、バーを出た。そのまま、その足で明日も命運を共にする仲間が、翼を休める格納庫へ向かう。
 照明の絞られた薄暗い格納庫には、デネブもいた。Ta152E改の後席に篭り、新しく追加された装備をさっそくチェックしている。有川に気付くと、軽く手を上げて挨拶した。

「明日の事、氷室の部下から聞いたわ」

「奴にとっちゃ、俺達は翼の生えたモルモットさ。この装置は使えるかな?」

「試してみた。魔法を使う瞬間に反応するなんて嘘もいいとこ、思ったより鈍いわ」

「試した? どうやって?」

 デネブは「フフッ・・・」と笑うと、有川を指差して「酒くさい」と注意した。

「今まで飲んでたからな。臭うか? 酔ってるつもりは・・・」

 デネブが顔を近づけふっと息を吹き掛けると、僅かに残っていた酩酊感が身体から溶け出すように引いていった。遅れてエーテル感知装置が警告音を鳴らす。ボリュームを絞っているのか小さな音だった。たしかに反応が遅い。

「驚いた、魔法が使えたのか? 治癒というやつか」

「これでも元クレリックなのよ」

「氷室達には黙っていた方がいい。連中、魔法が使えれば野良猫だってさらっていくぞ」

 「そうね」とデネブが微笑む。
 Ta152E改とデネブ・ローブは、有川に残された最後の仲間だった。たとえ他の味方が全滅しようと、自分たちは生き残らなければならない。たとえ味方から攻撃されても、自分たちは生き残らなければならない。
 有川にとって味方は、インビジブル帝國軍でも飛鳥島の科学技術研究所でもなく、この二人だけしかいない。
 今度は、二日酔いになった時に頼もう。


 翌日
 アケステース砦までの飛行進路を3分の1ほど消化した辺りで、別の飛行場から離陸したB-17フライングフォートレス爆撃機の編隊と合流した。
 今回の任務で一番変わっていたのは、Ta152E改の飛行高度ではなく、同行部隊との通信量だった。編隊の中に入るので、編隊間隔や進路変更など、編隊長機から細かい指示を受ける事になる。Ta152E改のコールサインは『レイヴン』だった。
 黒い鴉が、大鳥達の群れの中に紛れ込む。
 有川が隣に並ぶB-17のコクピットの方を向くと、B-17のクルー達がこっちを指差して、何かを話していた。

 きっと、―

「珍しいな、独立観測航空隊がこんな高度を飛んでるぞ」

「どこを飛んでたって、俺達に無関心なのは変わりがないさ。空気みたいなものだと思え」

「接触の危険がある分、編隊の中にはいられるのが邪魔だな」

 と、でも話しているのだろう。
 手ぐらい振ってやるか? あるいは、武運を込めて敬礼でもするか?
 いや、そんな事はしなくていい。編隊を組むというだけで、それ以上に関わる事は無い。
 さらに飛行を続けると、B-17が密集編隊の隊形を組み始めた。Ta152E改も、編隊長機の指示を受け、編隊内の所定位置へ移動する。

「有川、まもなく境界線を越える。ここからは敵の迎撃があるわよ」

「不安か? デネブ」

 オペレーターの僅かな変化を感じ、有川が声を掛ける。

「まぁね・・・、いつもと一緒、とは言えないでしょ」

 実を言うと、自分も不安だ。任務内容は、はじめての事ではない。しかし、デネブの言うように『いつもと一緒』でも無い。しかし、帰投すれば、後仕事を片尽け、『ギムレット』でワイルドターキーを飲んで、寝る。いつもと一緒だ。帰っても同じ事の繰り返し、たまには変化をつけてもいい。

「デネブ。無事に帰ったら、今日はお祈りは別の礼拝堂にしないか?」

「別の礼拝堂なんてあったっけ?」

「昨日、君の秘密を教えてくれただろ。だから今日は俺の秘密の礼拝堂を教えてやるよ」

「どんなところ?」

「そうだな、教壇と長椅子は無いけど、カウンターとボックス席があり、牧師の代わりは気難しいマスター、主様の像はボトルの列、BGMはパイプオルガンの讃美歌じゃなくて、ジュークボックスから流れるローレライ」

「いいところね。楽しみにしいるわ」

 昨日は宴会だったのだから、バー『ギムレット』は今日は静かにレコードを流してくれるだろう。いつもより強く、帰る理由が出来た。自分はその約束を守る為に全力を尽くせる。

「ところでさ」

「なに?」

「有川って、アルコール教団の布教者だったの?」

 有川が、思わず吹き出す。

「ボンバーより、レイヴン。進路変更だ、応答せよ」

 編隊長機の通信士は、回線ボタンを押した途端、仰天してイヤーパッドを落とした。通信卓の上に転がったイヤーパッドから漏れた音は、明るい人間味のある笑い声だった。

end




最終更新:2007年11月05日 19:13