帝都防空1942・前編




「・・・正面上、黒点一つ」

 副機長の声で、佐上宗太中尉は顔を上げた。

「いや、二つだ」

 佐上中尉もそれを見とめる。 遥か遠方に見える黒点は二つに増えていた。

「例の補給船のかな?」

「ここまで来て送り狼はごめんです」

「一応防空態勢にしよう。銃座は配置に付いてくれ、通信何か言ってきてないか?」

「今来ました。マ・イ・ド・ド・ウ・モ」

「マイドドウモ?」

 副長が訝しげな声で言った。たしかに無電では聞き慣れない言葉だ。

「まいどどうも、ね。彼ららしい言い方だ」

 黒点に見えていた機影は、徐々にその姿を成していき一度佐上たちの左右をパスすると反転して両隣に付いた。それは機首の尖がった日本海軍では見慣れない機体だった。日の丸も付いてはいない。それどころか国籍を示すマークがなく、唯一所属マークだとわかるのは、尾翼に描かれた鳥の絵ぐらいだろう。
 一機が佐上たちの前に出てきて「付いて来い」と言うように翼を振った。先ほどの弱出力の無電といい、ここが日本の制空権内では無いため、可能な限り無線は使わないつもりらしい。

「これはまた・・・」

 眼下に見える船影に佐上は呟いた。

「どうみても空母じゃないか?」

 事前に渡された識別表を見たときも思ったが、実物を見るとますます空母にしか思えない。フラットにされた飛行甲板に左舷に張り出した煙突と一体となった艦橋、そして何より自分達をここまで連れて来た艦載機。どうみても空母だが、海軍ではこれを空母と言ってはいけないらしく、かわりに航空商船と名乗らせていた。

「左舷、飛行艇着水します」

 ウイングの見張り員の声が伝通管を伝いヤクト・ヒュッテに入ってきた。

「ナンバン、舵を預けます。飛行艇の横に付けなさい」

 海図盤の後ろに置いた席にすわる霧神が指示を出す。成瀬社長がいないため、今は霧神が飛鳥の指揮を取っていた。

「ちょっと、止まってくれ」

 無粋な声がして、霧神は内心溜息を吐く。

「我が海軍の飛行艇ならば、横付けぐらいやってのける。待っていればよい」

 窓際で飛行艇の着水を見ている青井宏海軍中佐は、自信に満ちた表情で言った。

「中佐、たしかに海軍パイロットの技量を持ってすれば、飛行艇側からこの船にコンタクトすることは容易いでしょう。さきほどの着水、大型飛行艇とはいえ、波の高い外洋であれほど安定した着水が出来る技量というのは称賛すべきものがあります。それに敬意を表し、我々から接触しようとしたのです」

「なるほど、そういうことならば吝かではないな」

 青井中佐が、満足そうにほほ笑むと、霧神は目で持って操舵手に合図を出した。
 このところ、飛鳥の船内では今のような調子が続いていた。
 開戦より、はや五ヶ月。
 その間に日本軍の攻略作戦は順調に進み、一月二二日にはラバウルを占領、二月初頭にはシンガポールが陥落し、そして今月四月にはついにフィリピンのコレヒドール要塞の攻略により、南方侵攻作戦第一段は完了を見せた。
 しかし、その影で米機動艦隊による南太平洋諸島への攻撃が相次いでいた。
 二月十四日、ギルバード諸島北方より米艦載機部隊が襲来、それを皮切りにマーシャル、クェゼリンなどが空襲され被害を出している。その十日後には猛牛の異名を取るハルゼー提督率いる空母エンタープライズを中心とした機動部隊がウェーク島に対し空撃、砲撃を行い、その後追撃を振り切ると、今度は大胆にも、東京から1000海里しか離れていない南鳥島に対し攻撃を行った。
 これに対し日本も無策だったわけではない。潜水艦部隊による哨戒はもちろんの事、民間の漁船を徴発した特設監視艇による哨戒も行っていた。しかし、広い海洋では、これでも哨戒不足とされ今回のような飛行艇による哨戒活動もたびたび行われていた。
 今回のルフト・クーリエルの業務は、その飛行艇部隊への洋上補給だった。本来なら、これは秘匿性に優れた潜水艦や、大量の物資が持てる特設船で行うべきである。飛鳥は確かに名目こそ商船ではあるが、実体は軽空母とかわらない。それでも、今回海軍が飛鳥にこの任務をおわせたのは、用途に合わせたというより、都合にあわせたという色が濃いからだった。
 開戦当初、コタバル上陸作戦とマレー海戦に深く関与した飛鳥は、軍部の中にも関心を持つものが出始めていた。それは好意的解釈ならば飛鳥の実力を認め始めたといえるが、もう一つの解釈では飛鳥に対する不快感を強めていた。とくに同じ海を生業とし、マレー海戦で出鼻を挫かれる形となった海軍部では後者の方が多かったが、もっとも心配されたのが飛鳥をこのまま陸軍に独占させることだった。なんとか彼らに『海軍』の仕事をおわせようさせた結果が、今回の業務となったわけだ。
 名目上ながら「商船」を名乗っている飛鳥としても断れず受け入れることになったが、本土から500海里も離れた外洋にて活動することになるというため、艦載機材の提供を具申し海軍と妥協した。
 青井中佐とは、この仕事を請け負ったさい海軍が出向かせてきた人物だった。今回の業務では、飛行艇部隊の航法ルートや暗号無線などの機密を多く扱いため、それを管理する将校として名目は補給作業の監督であるのだが、事ある毎に口を出すため船内では煙たがられていた。もっとも、現在船の実質的指揮官である霧神は、早々にこの厄介な外部者を受け流す方法を見出していたが。ようは、彼の自尊心に介入しなければいいのだ。
 今飛鳥は霧神が指揮していた。成瀬も則武は不在である。

「まったく、こんなとき社長達は何処をほっつき歩いているんだ?」

 その様な事が船員達の間で囁かれていたが、青井中佐の茶々以外で船内の様子はとくに代わりがなかった。しかし、本来艦長たる人物や、副長まで不在で、かわりにまだ若い女性の霧神が船を指揮していると言うことは、青井中佐の心情にすくなくない影響を与えていた。生粋の海軍軍人である彼から見れば、この船はいささか変則的過ぎたところがある。青井中佐からしてみれば、霧神ぐらいの年齢の女性なら、さっさと結婚して家庭を守るべきだと思えるだろう。
 しかし、青井中佐がそれを口にしないのは、飛鳥の船内の空気がそれを言わせないからだった。商社の代表である霧神がそう表す事はなかったが、船員達の青井中佐に対する態度には現れていた。
 なにしろ船員達にとって、霧神の主計と言う役職は、給料から食事まで管理する部署だ。つまりあまりに彼女の機嫌を損ねると自分達にとっては、精神的にも物理的にもマズくなる。
 あまり露骨ではなかったが、青井中佐にとってはこの半径500海里に味方が一人もいない現実を考えると、それは十分な牽制になった。
 微妙な均一を保ちながら飛鳥は、飛行艇に接舷した。



 初めて会った時、その人は甲板の上で映えて見えた。
 周りが男衆ばかりで、唯一の女性だったからかもしれないけど、街中の人ごみのなかでもきっとそうだっただろう。
 彼女には、それぐらい自分の気を引く魅力があった。

「・・・ありゃ、グレイス・オマリの生まれ変わりですね。おっかない」

 隣にいた副長がぼっそっと本人に聞こえないぐらい小声で呟いた。
 グレイス・オマリとは、アイルランドの女海賊のことだ。オフハラティの男達を率いて海に乗り出し、英国のアイルランドへの侵略に対しても立ち向かい、英国女王エリザベス1世とも対等に渡りあったこともある女傑だった。
 たしかに、甲板で次々と指示を出す彼女は、毅然として十分に船長としての素質を見せていた。

「おっかない、はないだろう。副長」

「おや、もしかして惚れました? たしかに見くれはいいですけどね」

 「からからうのはよせ」といって、片手を振る 
 たしかに彼女は美人だった。
 けど、そのことは彼女自身意識していないだろう。
 艶のある黒髪なのに邪魔にならないようにとだけひっつめにしたままにしているし、白い肌だが化粧気があるわけでもない。けど、その整った顔立ちは理知的に見える。もっとも、彼女のなかで特徴的だったのが、その双眸だった。すこしきつめだが、大きくて気丈そうな瞳は、凛とした彼女を表している。
 それだけだと、たしかに副長の言うように、「おっかない」という印象を受けるかもしれない。
 ただ、自分には、彼女をそれだけで表すには惜し過ぎる気がした。

「佐上中尉」

 突然呼ばれ、我に返ると副長の姿がなくなったかわりに、彼女が自分の前に立っていた。

「ルフト・クーリエル社、航空商船飛鳥代表の霧神明日香です」

 敬礼の変わりに、ぺこりとお辞儀する。

「横浜海軍航空隊の佐上です」

 多少、ギクシャクした返事になった彼女は慣れた様子で、手に持った書類を渡し説明を始めた。

「準備が整いましたので、これより補給作業に入ります。なにか申告はありますか?」

「とくには・・・」

 何か話すことはないかと考えてみたが、さっぱり思いつかない。
 そうこうしている間にも、自分の大艇の補給作業はきびきびと進んでいた。航空商船飛鳥と二式大艇との補給には、飛鳥の甲板から大艇の主翼の上にラダーや燃料ホースを降ろしおこなわれる。燃料を補給している間、エンジンの簡単な整備もおこなわれた。なにしろ、この飛行艇はすでに10時間以上の長時間飛行をおこなった後なのだ。エンジンのチェックは必要だった。

「内地は、どうだったでしょう?」

 ようやく出た質問は、あまりに陳腐で言った後でしまったと思った。

「それなりに、軍の戦果には喜んでいる人は多いですよ」

 霧神は表情を変えず答えた。あまり長続きしそうにない会話は、そうして途切れた。

「あなたはどう思います?」

 しばらくして、次にでた言葉は、前回に輪を掛けて愚かだと自分でも思った。それを取り繕うように、次の言葉を考えた。

「自分は、一度アメリカに渡った事があります。その時は軍人ではありませんでしたが・・・、それで・・・」

「それはこの戦争に関してのことですか?」

 霧神は佐上に顔を向けて質した。

「えぇ・・・。アメリカは強大な国です。たしかに我々はハワイで太平洋艦隊に大損害を与え、フィリピンを取った。けど、それだけで終わる気がしないのです。あの国なら、艦隊を再編するのに長くは掛からないでしょう。全て新造しても有り余る国力を持っています。それに比べ、我が国は保有艦隊がほぼ全力で闘っています。それだけでは足りず、あなた達まで動員している・・・。
 すみません、こんなこと言って、あの中佐には黙っていてくださいね」

 はにかみ笑いを漏らすと、意外にも彼女の表情が緩んだ気がした。

「そうですね。その話は、私達では及びのつかない所の話ですし」

 補給作業が終わり、二式大艇のエンジンが一発ずつ始動され始めた。僅かだが整備された火星エンジンは、快調そのものの爆音を轟かせる。
 離舷準備が整った直前で、佐上は慌てて霧神に駆け寄った。

「あの、これを貰ってもらえませんか!」

 爆音のなかで佐上が渡そうとしたのは、小さな香水瓶だった。
 突然の事に、霧神がきょとんとした顔をする。佐上は押しつけるように、香水瓶を渡すとすぐに大艇の翼に降りた。
 ヨーイングを使い二式大艇は飛鳥から離れると、高らかに爆音をどろかせ海面を離れ、雲中へと消えていった。



「霧神にねぇ・・・」

 事務所の社長室兼物置で定時連絡として送られる飛鳥からの電文を呼んだ成瀬社長は、独り言のように呟いた。

「間が悪かったな、成瀬。相手のツラが拝めなくて」

 則武がからかう様に笑って言った。 

「なんで、俺があいつと付き合おうなんて考えるヤツの事気にしなきゃならないんだよ?」

「ほぅ、随分寛大じゃないか?」

「当たり前だ。俺は、あいつの事をどうこう言える立場じゃない。お前だってわかっているだろ?」

「まぁ、いい。俺はそいつのツラをちょっと拝んで見たい気もするけどな」

 珍しく成瀬が、ムスっと顔を顰めた。

「逢えるんじゃないか? 渡したのは香水瓶なんだろ」

「ああ、パイロットの香水瓶だ」

 霧神に気のあるらしい海軍パイロットが、なぜ香水瓶なんてをもっていたのか、同じく空を飛ぶ二人はうっすら気付いていた。

「・・・多少、重たい気もするけどな」

 パイロットの中には香水瓶を懐に忍ばせる者もいる。それは、最後の気遣いだった。空から落ちるというのは、恐ろしく破壊的な事だ。人間の身体など簡単に四散し、死体は見るに耐えないものになる。墜落死というのは、世の中でも屈指の悲惨な死に方の一つだといえた。だから、パイロットの中には、香水瓶を持ちせめて死臭ぐらいは薄めようという者達もいるのだ。

「死ぬ気が無いってことだろう?」

 と則武。

「生きてさえいれば、会う機会もあるさ。そうえば、俺も明日、福生に行ってくる」

「福生? 飛行場か?」

「各務原で世話になった新居大尉が来ているらしいんだ。一応、挨拶ぐらいはしておこうと思ってな」

「ハッ、何年の付き合いだと思ってるんだ? お前が挨拶回りなんてするタマかよ。おおかた、その大尉が乗ってる新型機が目当てだろ?」

「当然それもある。けど、期待するなよ、新居は陸軍だから飛鳥に乗せられる機材があるとは思えないからな。お前は筑波に行くんだったな」

「あぁ、松田博士に会ってる。フィリピンで使った新型対空砲弾は、動きの鈍い中型爆撃機には有効だったが信管の調整が手間だ。あれじゃ、艦爆みたいな小型機に対抗できるとは思えん。そのヘンの事を相談してくる。正直、今の態勢でままでは、対空戦力に不安がある」

 成瀬がため息を付き、「ところで・・・」と話題を変えた。

「例の海上護衛総隊の話しはどうなった?」

「まぁまぁ、って所だな。最初は旧式駆逐艦と二等海防艦だけで不安だった。かなり増強される事になった。俺達のせいか、空母を編入するそうだぞ」

「空母? 例の商船改造の鷹型か?」

「それもあるが、大型が一隻。そいつを旗艦兼司令部にするそうだ。それとあと試作艦と大型特設艦が数隻編入される」

「随分気前がいいな」

「赤レンガの奴の話しだと、辻何某とかいうマレーの時にいたらしい陸軍中佐が、散々言い回ったらしい。けどな、こりゃ連合艦隊の奴ら、艦隊決戦以外は全部やらせようって腹だぞ?」

「司令長官は誰になるんだ?」

「最初は及川大将だったが、変更で若木とかいう少将がになったらしい」

「若木だって?」

「知ってるのか?」

「海兵で俺と同期だった奴だ。ハンモックは俺とどっこいだったはずだぞ。なんで将官なんかになってるんだ・・・?」

「そうだな、お前と一緒なら、いっても大佐ぐらいのはずだろう」

「なんか、ヒドイ言われ方だが・・・、そのはずだ」

 フムンと息を洩らし、則武が眉間にしわを寄せた。

「これは穿った考えだが、ようは人身御供にでもされたってことか? 適当な奴を差し出して、一応なりだけ整えようと」

「その可能性がないわけじゃない。しかし、よりによって若木か・・・」

 成瀬は懐かしそうな顔をしながら、心の奥からくる笑いを押し込めた。
 海軍の奴らも、とんでもない奴を出してきたものだ。




「今日で哨戒も終わりだな」

 特設監視艇第23日東丸の艇長、志津曹長は両手を口元に当てたまま、吐息まじり呟いた。
 ハワイ作戦の後と南方作戦の後、連合艦隊が危惧したのは米艦隊による逆襲だった。そのなかでも、ハワイ作戦同様、敵の中枢を狙うような作戦は、自分たちが成功したのと米空母をまだ一隻も屠っていないという事によって、一部海軍内部の中に哨戒を増やすべしという声が上がるようになっていた。
 しかし、哨戒を増やすと言っても海軍艦船にもさほど余裕があるわけではない。まして、今の海軍艦船は稼働率が8割を越え、オーバーワークとなっているのが現実である。
 そこで海軍は民間の漁船を徴用し、無線や僅かな武装を取りつけ特設監視艇として第5艦隊に編入され、哨戒任務についた。特設監視艇に乗り込んでいるのは志津曹長のような海軍人のほかに元の漁船の乗組員も軍属として乗り込んでいた。

「やっと釧路に帰れますね」

 やや疲れたような声で、民間航海士の島田が言った。
 特設監視艇に徴用されるのは、80トンから120トンクラスの遠洋漁業用につかう船舶なので、波の荒い海では木の葉の様に翻弄される。そのため、海に慣れたはずの海軍軍人や漁師であっても、いつも帰港するころには疲労の色が隠せずにいた。

「やはり、一度南に下るか。波が穏やかになれば少しは楽になるからな」

 暖流の流れるところまで下れば、波も穏やかになり、なにより防寒着を着なくてもすむ。凍て付く寒流海域で任務に付いていた者達にとってはなにより嬉しい事だった。
 第23日東丸は暖流を求め南を目指す。だが、その前方の水平線上に突如として黒点が浮かび上がった。

「艇長! 前方に艦隊がいます!」

「なんだとッ!」

 見張り員の声に、志津曹長は咄嗟に首に下げていた双眼鏡を持ち上げた。
 船影は明らかに民間船とは異なるシルエットをしていた。なにより数が多い、そして大きさも様々だった。
 米国艦隊が、こんな所に!?

「空母がいます!」

 海軍軍人の見張りが声を上げた。

 米機動艦隊、出現!!

 志津曹長は体が強張るのを感じ、擦れた無理やりな大声で叫んだ。

「米機動艦隊出現ス! 現在地を含め、至急打電しろ」



 日東丸の通信は、飛鳥でも受信していた。

「・・・近い」

 呟きながら霧神は、チャート台の前に歩み、第23日東丸が送ってきた地点にコンパスを刺し、半径300海里の円を描いた。相手が空母を有する機動部隊なら、相手は艦載機となる。米軍は主にSBDドーントレスで索敵爆撃するため、それを考えた数値だった。
 飛鳥の現在地として置かれた駒はその内側に入っていた。

「警戒体制を第二段階にあげます、見張り員を倍に」

「それと直援を二機上げさせよう」

 そう言ったのは、ルフト・クーリエル社常務兼飛鳥艦載機艦攻隊隊長の佐倉一輝だった。彼と、今本土にいる成瀬、則武がルフト・クーリエル社の実質的な運営者たちだった。
 やれやれと言った調子で佐倉が頭を掻いた。

「このまま進むと本土だろ? 連中も大胆な事をするもんだ。空母から本土までの距離は?」

「約700海里です」

「連中の艦載機では到底届かない距離だ。入っても帰って来れない。おそらく奴らも明日明後日の作戦を予定していただろう」

「引き下がるでしょうか?」

「どうかな?、どうだい向こうも無茶な作戦だとわかっているはずだ。無理にでも押してくる可能性もある。三十六計なんとやらだ。ケツまくれるうちに、まくっておくか」

「撤退の準備を始めます」

 指示を出すため、霧神が伝通管のほうを向いた。

「ちょっとまってくれ」

 背後の声に、霧神の眉が一瞬つり上がった。なんとか自制して振り返ると扉の前に立っていたのは、今一番いてほしくない人物だった。

「敵機動部隊が現れたらしいな、ならば我々は全力でこれを叩かねばならん。違うかね?」

「青井中佐、本船の業務は二式大艇部隊への補給であり、米軍の空母と闘うことではありません」

 空母と言う部分を強調して霧神が反駁する。航空商船の飛鳥も空母といえば空母のカテゴリーに入るが、米軍の正規空母と飛鳥では、排水量で戦艦と軽巡ほどの違いがあり、艦載機も米空母が約100機近いのに対し、飛鳥は常用24機と約4倍の差がある。

「しかし、こちらが敵の位置をある程度把握しているのに対し、敵はまだこちらの位置を掴んでない。日東丸の犠牲はあるが、これは好機ではないかね?
 聞けば君達はマレーではたいそう活躍したそうじゃないか? しからば今回もまた、我々に協力してもらいたい」

 これは青井中佐の意見もたしかにある。敵の位置は日東丸から伝えられていたし、飛鳥は受信を行っただけなので電子的にもまだ位置を掴まれていない。
 だが、飛鳥が攻撃を行わない理由はそれだけではなかった。

「今回の場合、本船の戦闘機では航続距離がありません。攻撃したくとも、そのためには敵艦隊に接近せねばならず、それはこちらの位置を秘匿するという利点を失うことになりませんか?」

 霧神が静かに告げた。
 飛鳥に積まれているHs112戦闘機は航続距離が約1000キロ程で、弾薬類の装備を考えると、これを割り込むことになる。敵艦隊までの距離を300海里と想定しても、行って帰る程度しか出来なかった。艦攻隊の九六式艦攻ならば、航続距離1600キロとあり攻撃範囲内だが、霧神がそれを言わなかったのは、「ならば艦攻だけでいけ」という発想に繋がせないためだった。
 攻撃したくとも、アシ(航続距離)がないという事実を告げられても、青井中佐はまだ余裕の表情を崩さなかった。むしろ、攻撃する気があるというのを間接的にも引き出せ打ただけ、彼には僥倖と言えた。

「本船には、我々の機材を乗せたはずだ。虎の子の零戦と新型艦爆はこのためのものだぞ」

「どちらも一機ずつしかないじゃないですか!?」

 今回の業務に合わせ、飛鳥には零戦と空技廠が新しく開発した新型の艦爆が搭載されていた。どちらも航続距離は1500キロ以上あり爆撃行に十分な性能を持っていた。ただし、霧神が叫んだ通りどちらも一機しかない。
 これは、海軍が本気で零戦や新型艦爆を使う機会はないだろうと思っていたためだった。今の所、ルフトクーリエルは自社であつめた戦闘機と艦攻機を使っている。だが、ルフトクーリエル社が、このまま営業を続けて行くのなら、彼らとて何時までもその機体を使い続けていけるわけではない。その時、ルフトクーリエルが頼るべきなのは、当然海軍機と言うことになるだろうが、そのための布石としてこの二機を飛鳥に積み込ませたのだった。

「たとえ二機だろうと敵の隙を突ければ、それが一撃必殺と成り得る!」

 断言する青井中佐に、霧神は少しだけ目を細め冷たく言った。

「それでも駄目です」

「なぜだ!」

「本船には、航法士がいません」

「なんだと!?」

 たしかに飛鳥のパイロットは、海軍のパイロットのような洋上航法の能力を完璧に会得してはいない。それは飛鳥と空母部隊の運用の違いだった。空母部隊が、母艦から遠くは慣れた場所に攻撃を仕掛けるのに対し、本来船団護衛を目的としている飛鳥では母船から遠くは慣れると言うことを考えていない。
 それに洋上航法訓練のための膨大な航空燃料を振り分けてくれなかったのは、ほかならぬ軍だった。

「これで本船が航空攻撃を行わない理由がお分かりいただけましたか?」

「ならば・・・」



 どうしてこんなことになったのだろう・・・、と七宗は心の中で自問した。
 ここは飛鳥の航空甲板、そして彼の前には、短なスパンの翼に、細面の胴体は液冷特有のとがった機首をもつ艦載機が整備士達の手によって発進準備を進められていた。
 今回の出撃は、前回のマレー沖以上に泥縄式できまったものだった。なにしろ出撃が決まったことすらわずか10分前のことである。

「七宗、ちょっと来てくれ」

 げんなりした気持ちで、発艦作業を待っていると、爆弾倉に中に入っていた年嵩の女性から声を掛けられた。

「なんです。祢々子さん」

 整備長の加納祢々子は、編んだ髪をかき上げ艦載機の方を振り返った。

「今回の機体についてだよ。ちょっと厄介なんでね」

 彼女が受け持ったのは、まだ海軍でも試作の域を出ない代物だった。実用機としてまだ完熟したとは言いがたく、はっきりいえば出来損ないだ。それでも、発進させるまで持っていったのは、偏に彼女の腕のおかげだろう。

「発動機がねぇ、どうもご機嫌斜めなんだよ。こりゃヘタすりゃ、途中で止っちまうかもね」

「そんな・・・、他人事みたいに言わないでくださいよ」

「あたしだって、こんな機体で送り出したくないよ。けど、今回はスポンサー様がねぇ」

 今回の出撃は、ほぼ海軍のごり押しで進められたものだった。出撃する機体も指定されている。それが、今回七宗が乗る十三式試作艦上爆撃機だ。99式艦爆の後継で、護衛機のいらない高速艦爆を目指して開発され、海軍機として初の液冷発動機を搭載し、翼幅も短めながら、航続距離は2000キロを越えている。
 しかし、それだけ求められた性能のゆえに開発は難航し、とくに国産エンジンの不具合が顕著で稼働率が低かった。

「まぁ、とりあえず飛ぶよ」

 祢々子の本心としては憤懣だったが、それでも一通りのことはやったつもりだった。

「トラブルの対応策は?」

「危うくなったら速めに着水することだね。水偵を出しとく。装備は六番爆弾を三点ラックで縦列に二基付けた計6発。うちにはそれしかないからね」

 対艦攻撃なら二五番か五十番爆弾が欲しいところだが、主に対潜作戦を前提としている飛鳥には、対潜用の6番の小型爆弾しか搭載されてはいなかった。

「さっさとバラ撒いてきます」

 溜め息を吐き、七宗は恨めしそうな目で十三式艦爆の隣の機体を見た。

「鵜沼は零戦にのれていいよなぁ」

 十三式艦爆と共に海軍が持ち込んだ零戦二一型は、護衛機として鵜沼が乗ることになっていた。これは二人で、くじ引きをして決めたモノで、七宗は己のくじ運のなさを呪った。零戦といえば、中国重慶での衝撃的なデビュー(13機で倍以上の敵機27機と交戦し、全機撃墜、被撃墜無し)を皮切りに各地で多大な戦果をあげ、海軍の代名詞となっている機体だ。その噂は飛鳥にも届いている。本来戦闘機乗りの七宗としてもぜひ乗ってみたい機体なのに、自分は弾薬庫どころかエンジンにも爆弾を抱えた爆撃機だ。
 そして、七宗の気を重たくするものがもう一つあった。

「機体の準備は出来たかね?」

 声のするほうを振り向くと飛行服を来た青井中佐が立っていた。七宗のもう一つの心痛だ。十三式艦爆は複座機、つまり後ろにもう一人乗る。それが今回は青井中佐だった。   

「まさか、自分が行くとは思いませんでした」

 飛鳥の島型艦橋で発艦作業を見下ろしながら霧神は呟いた。

「一応、技術はあるようだが」

 隣に立つ佐倉が言う。長距離の洋上航法が出来る航法士がいないという理由で盾にする霧神に対し、青井中佐は「ならば自分が航法士として攻撃に参加する」と言って強引にこの出撃を実行させた。どうせ出撃機も2機しかない。零戦には、十三式艦爆の直援として随行させるつもりらしい。
 飛行甲板では二機の航空機が、カタパルトに据え付けられるところだった。

「ところで、なぜ俺を行かせなかった?」

 佐倉が質した。その声は不満ではなく、すこしトゲのある疑問のようなものだった。青井中佐に、霧神は「航法士はいない」と言ったがそれは嘘だった。その時、同じ部屋にいた自分は、元艦攻乗りであり洋上航法もできることは彼女も知っているはずだった。それに彼女もまたマレー沖で洋上航法を行った経験があった。

「この船に航空攻撃に出せる航法士はいません。私は、今はこの船を預かる責任がありますし、佐倉さんは航法士であると同時に今はこの船で最もベテランのパイロットとしてやって貰う事がありますから」

「ほぅ、なにをさせる気だ?」

「船の直援です。私が米空母部隊の司令なら、全周囲に向けて索敵機を放ち、残りの特設監視艇を探している頃でしょう。艦戦隊の指揮をお願いします」

 「なるほど」と佐倉がうなずく。
 「では、撤収の準備を始めます」といって霧神は艦内の戻ろうとした。

「あの二人は人身御供か?」

「あの二人は腕はありますが、ベテランではありません。こちらはどの道断れませんので、リスクと果報を期するなら妥当だと思います」

「じゃあ、あの二人が俺より腕があれば、俺を送り出したかい?」

「もちろん」

 カタパルト要員が腕を振り降ろす。
 たった二機の攻撃隊は、強烈な油圧カタパルトによって空へと放たれた。



 新居大尉は、訪問者の顔を見ると呆れたという顔で苦笑した。

「ひさしぶりだな、大尉」

 そう則武はいい、乗っていたバイクを降りた。

「よくここがわかりましたね・・・」

「蘇原少佐はよろしくといってたよ。まぁ、陸軍大尉が厚木にいるってのも奇妙なもんか」

「多少は自分は慣れたつもりですがね。今でも外から来た海軍さんに会うと奇妙な顔されますよ」

 新居大尉は従兵に、則武のバイクを運ぶように言うと飛行場内の兵舎に案内した。
 それは厚木基地に新たしく作られた建物で、工場で造られたパーツを組み合わせることで短かな工事期間で建築するされたものだという。従来の建物のように柱や梁といった軸組で支えるのではなく、フレーム状に組まれた木材に板を打ち付けた壁や床で支えるという新しい構造を採用したもので、工兵資材の試験目的でここに立てられたものだという話だった。
 二階建て構造の一階部分にある簡易の応接室で、新居大尉はお茶を出した。

「それで今日は何の用件でしょう?」

「用件ということのほどじゃない。見学だよ、見学」

 「ご冗談を」と新居は一笑した。岐阜基地でキ-61の開発と平行して、ルフトクーリエルに付き合った新居大尉は、彼らの性格をある程度見抜いているつもりだった。

「しかし、まさか陸軍の誇る敏腕のテストパイロットを、海軍の基地に送り込むとは航空審査部もずいぶん大胆なことをするな」

「煽てても何も出ませんよ。陸軍からの出向といっても、私を含めてほんの数人だけです。海軍の機材から我々に適合する機種を選べが建前、本音は海軍機の粗探し、まぁ海軍さんは見え張って、いろいろ見せてもらえるんで私としては面白いといえば面白いですけどね。あぁ、機材を勝手に渡すわけにはいきませんよ。私だって、ここでは居候の身なのですから」

「陸軍機もいたようだが?」

「ええ、キ-61と二式複戦を持ってきました。しかし、キ-61は危なかったですね。彼方に言われたとおり、応急的にオリジナルに切り替えておいてよかったですよ。なにしろあちらさんもDB601のライセンス版には手を焼いているみたいですからね」

「海軍の液冷機というと例の新型艦爆か」

「戦闘機の護衛の要らない高速爆撃機なんて夢の産物です。連中、大陸で痛い目にあったのにまだ懲りてないみたいで」

「おいおい、二式艦爆は、今うちの船に積んでるんだぞ・・・」

「あぁ、これは失言でした。しかし何でまた?」

「まぁいい、高速艦爆じゃ対潜哨戒には向かないだろうしな。なに、海軍が幅を利かせたがってるのさ、お宅も早くしないと心変わりされてしますぞ?」

「だから無理ですよ。これから陸軍で渡せるような資材は、せいぜい機載品ぐらいでしょう。陸軍空母構想でも、艦載機は海軍のもの使うという意見が多くなってますし」

「ならいずれ、うちも海軍機に乗るわけか」

「ああそうだ、海軍がやたら誇大している零戦ですが、あれもなかなかピーキーな代物ですね。なにしろ防弾板がなくて骨組みに穴まで開けてるわけですから。たしかに機動性はありますけど、降下じゃ直ぐに皺がよってしまって」

「零戦も積んでるんだが・・・」

 則武の呟きに、おっと、と新居が口に手を当てる。則武は気にするなという風に手を振った。

「そうえば、マレーでは随分活躍だったそうですね」

「まぁ、実際やったのは社長達だ。俺は単に通報しただけさ」

 ふと、則武は妙な違和感に気づいた。

「ん? なんで大尉がそのことを知ってるんだ。マレー沖海戦は海軍の手柄になってるはずだぞ?」

 世界初である戦闘航海中の戦艦部隊を航空隊のみで撃破するという、後の海戦史に戦いであったマレー沖海戦だったが、そのなかでの飛鳥の活躍は、海軍は軍事機密上という理由で封印されているはずであった。それは飛鳥側も承諾し、報奨金と引き換えに緘口令を敷き外部には漏れないようにしてある。もっもと、一聞すれば民間商船が戦艦を撃破したなんて与太話など誰も信じないだろうが。

「それは人の口には戸口は立てれぬという奴です。それに私もここには陸軍海軍の垣根はあっても、個人的には付き合いの良い奴もいますから」

「なるほど、大尉と気が合うとは、同じテストパイロットか?」

「えぇ、鶴野という奴ですが、なかなか面白い機体を考案しています。もっとも海軍の関心はまだ薄いようですが」 

「ほう?」

「あ、ダメですよ。あれは空母には降りれません、陸上用です」

「局地戦機というやつか、しかし空母に降りられないということは双発かなにかか?」

「いいえ、単座単発です。まぁなんといえばいいか・・・、実際見てもらえばわかりますよ」

 新居は一息つくように湯呑みを持ち上げた。
 突然、天井が落ちてくるかと思うような爆音が部屋の中に響き、則武は耳を塞ぐ。「あちッ」と持っていた湯呑みを落とした新居が手を押さえた。

「畜生、また中島親父の酔狂か!」

 新井が布巾で手を拭いながら毒づいた。がなり立てていた轟音が、ドスンと鈍い音を上げ止まった。

「なんだ今のは?」

 耳鳴りのする頭を抑えながら則武が尋ねると、新居大尉は「アレですよ」と言って窓の外さした。
 滑走路の上に一機の零式輸送機が止まっている。しかし、よく見るとその零式輸送機の背中には、剥き出しの巨大なエンジンが背負われるように乗せられていた。

「ハ54・・・、2000馬力エンジンをカリカリにチェーンしたものを串繋ぎにして5000馬力にした無茶な代物です」

「じゃあ、あれが例のZ飛行機機とかいうやつかい?」

 零式輸送機の周りに人が集まりだし、背中のエンジンを見上げている。格納庫の隅のほうから牽引車らしき車輌が現れ、零式輸送機を引っ張っていった。

「うまくいってないようだな」

「はたしてモノになるかどうか。米国本土を叩ける超長距離爆撃機、あいつのお陰で、我々戦闘機乗りはずいぶん皺寄せをくらいましたよ」

「Z飛行機の予算は、陸海軍の両方から出ているんだろ?」

「それでもです。機体、艤装、発動機、すべて新規ですからね。とても単独でやれるものではないし、両軍併せたところで負担軽減にも限界があります。おまけに予算捻出のために、航空部門の統一化なんて与太な話まで出てくる」

「なるほど、そうでなければわざわざ陸軍が次世代機の選定に海軍機まで範囲に入れるわけないか」

「気づいていたんですか?」

「キ-61が難航している以上、陸軍は一式戦の後継に苦労しているわけだろう? 二式戦だけでは足が短すぎる」

 やれやれという顔で新居は茶を啜った。正直なところ、いくら軍に関わりがある人物とはいえ、民間人である彼にどこまで話してもいいものか。いや、そもそも彼はどれぐらいのことを知っているのだろう。岐阜にいた頃から、なんとも胡乱な連中だったが、少なくても自分の上司らと何やらの関わりがあり、海軍にも口を出しているらしい。とはいえ、さすがにこれ以上軍機に触れる話をするものまずいだろう。

「大尉なら、件の海軍機をお勧めするかな?」

「それもおもしろいですね」

 新居は零したお茶の代わりを入れながら、何の気なしに答えた。しかし、考えてみるとそれは良い考えかもしれない。あの機体には奇抜な発想ながら、発展性はなかなかある。今の切り詰めた設計の一式戦や零戦では遠からず限界がくるだろう。その時、ポストゼロの役割が果たせる機体としては適していると思えた。
 もっとも、ものが海軍機だけに陸軍が採用するのはいろいろ齟齬がありそうだが。
 新居の思考は、基地中に鳴り響いたサイレンによって吹き飛ばされた。

「そんな馬鹿な!」

 急須どころか机まで倒しそうな勢いで立ち上がる。則武にいたっては、既に外へと駆け出していた。
 そのサイレンはパイロットを本能的にそうさせた。
 なぜなら、そのサイレンはパイロットをもっもと刺激させる音だったからだ。

「空襲警報!」







最終更新:2010年12月14日 21:12