マレー上陸作戦・後編
マレー作戦の先陣を切るべくコタバル上陸を敢行する陸軍代25軍第18師団第23旅団佗美支隊の指揮官は佗美浩少将だったが、訓示の現れたのは陸軍参謀本部から出向してきたという辻という参謀だった。
「諸君」
演台にあがった辻参謀は、そう語り掛けるように喋り出す。
「私は戦争が好きだ」
彼は、まるで料理のメニューを口にする様に実に自然に言った。
「諸君、私は戦争が好きだ」
彼はもう一度、言った。
「諸君 私は戦争が大好きだ・・・」
三隻の揚陸用貨物船のうち、最も大型である淡路山丸の甲板上が静かに沸き上がる高揚感に包まれ始める。このあたりの盛り上げ方は辻・マジックだろうか。
「殲滅戦が好きだ。電撃戦が好きだ。打撃戦が好きだ。防衛戦が好きだ。包囲戦が好きだ。突破戦が好きだ。退却戦が好きだ。掃討戦が好きだ。撤退戦が好きだ。
平原で、街道で、塹壕で、草原で、凍土で、砂漠で、海上で、空中で、泥中で、湿原で、この地上で行われるありとあらゆる戦争行動が大好きだ。
戦列をならべた砲兵の一斉発射が轟音と共に敵陣を吹き飛ばすのが好きだ。空中高く放り上げられた敵兵が効力射でばらばらになった時など心がおどる。
戦車兵の操るチハ戦車の47ミリ砲が敵戦車を撃破するのが好きだ。悲鳴を上げて燃えさかる戦車から飛び出してきた敵兵を九七式車載機銃でなぎ倒した時など胸がすくような気持ちだった。
銃剣先をそろえた歩兵の横隊が敵の戦列を蹂躙するのが好きだ。恐慌状態の新兵が既に息絶えた敵兵を何度も何度も刺突している様など感動すら覚える。
敗北主義の逃亡兵達を街灯上に吊るし上げていく様などはもうたまらない。泣き叫ぶ俘虜達が私の振り下ろした手の平とともに金切り声を上げる百式短機関銃にばたばたと薙ぎ倒されるのも最高だ。
哀れな抵抗者達が雑多な小火器で健気にも立ち上がってきたのを28センチ砲の榴爆弾で木端微塵に粉砕した時など絶頂すら覚える。
アカの機甲師団に滅茶苦茶にされるのが好きだ。
必死に守るはずだった村々が蹂躙され女子供が犯され殺されていく様はとてもとても悲しいものだ。
物量に押し潰されて殲滅されるのが好きだ。エスベエに追いまわされ害虫の様に地べたを這い回るのは屈辱の極みだ。
諸君 私は戦争を地獄の様な戦争を望んでいる。
諸君 私に付き従う戦友諸君。
君達は一体何を望んでいる?
更なる戦争を望むか?
情け容赦のない糞の様な戦争を望むか?
鉄風雷火の限りを尽くし三千世界の鴉を殺す嵐の様な闘争を望むか?」
「戦争! 戦争! 戦争!」
兵士達が口々に叫んだ。ただ言っておくと、これは奇襲上陸が前提の作戦であるはずなのだが・・・。まぁ、さすがに海岸までは聞えないだろうけど。
辻参謀はそれに満足そうな笑みを浮かべると、右手を振るだけで、兵士達を鎮めた。さすが、辻・マジック。
「よろしい ならば戦争だ
我々は渾身の力をこめて今まさに振り降ろさんとする握り拳だ
だがこの暗い闇の底で臥薪嘗胆と耐え続けてきた我々にただの戦争ではもはや足りない!!
大戦争を!!
一心不乱の大戦争を!!
我らはわずかに一個旅団5500人に満たぬ兵に過ぎない。
だが諸君は一騎当千の古強者だと私は信仰している。
ならば我らは諸君と私で総力100万と1人の軍集団となる。
我々を忘却の彼方へと追いやり眠りこけている連中を叩き起こそう。
髪の毛をつかんで引きずり降ろし眼を開けさせ思い出させよう。
連中に恐怖の味を思い出させてやる。
連中に我々の軍靴の音を思い知らせてやる。
天と地のはざまには奴らの哲学では思いもよらない事があることを思い出させてやる。
我ら皇軍で、世界を燃やし尽くしてやる」
「コタバル海岸の上陸に適す。天候は曇り、風向き東南東、風速7メートル、波高1メートル」
「上陸用舟艇降ろせ」
「海軍艦艇より通信、0040時、艦砲射撃開始予定」
辻参謀が演説する間にも、各要員達はなすべきことをなしていた。淡路山丸、綾戸山丸、佐倉丸はそれぞれ搭載された大発や小発といった上陸用舟艇をデリックで降ろしていく。その総数、実に47艇。これは約二回半の往復で佗美支隊の全てを上陸させられる数であった。作戦予定では、支隊の揚陸が完了した後に、独立工兵によって武器弾薬、食糧、その他の戦備品など物資を揚陸させる。注目すべきは、揚陸後の物資を輸送させるために若干の装甲車両と多数の「リヤカー」が含まれていたことだろう。
そして、運命の12月8日12時40分、第三水雷戦隊旗艦『川内』の砲撃により戦争が始まった。
「マレー上陸作戦、状況を開始せよ」
辻参謀は最後にこう締めくくった。
「征くぞ、諸君!」
「フォイヤァァァーッッッ!!」
オットー元ドイツ海軍大尉の怒号と、それに凄まじい砲声が続き、コタバル沖に停泊している飛鳥は同心円上の白波を立てる。数秒後、海岸で爆発が起きた。
「着弾修整、右50、縦深30!」
「弾種榴弾、装填急げ!」
「装填よし! 安全装置よし!」
実際にはオットーの部下達によって砲撃は行われていた。というか、オットー大尉などただ叫んでいるようにしか見えない。だが、砲声やその他機械の駆動音によって騒然となっている飛鳥の15.5センチ砲塔内で全員に伝わるような大声が出せるのは貴重な存在だった。
「フォイヤァァァーッッッ!!」
砲弾は、その十数秒後に炸裂した。
「ちくしょうッ! 騙された!!」
頭に積った土砂を振り払い、土岐恭平は口の中に溜まった砂を吐き出した。
ここは、コタバル海岸、インド第8旅団の守備陣から僅か数百メートルのところである。つまり、現在、海軍艦隊が砲撃中のド真ん中。
「ん? 何だって?」
横で同じよう伏せている高鷲美並が言った。砲火の最中では、すぐ隣にいる人間の声すら聞き辛い。もっとも聞いてる余裕もないだろうが、幸か不幸か土岐は耳が良かったらしい。
「騙されたんだよ! おれ達は!! なにが上陸だ! ちくしょうめ!」
「大口あけて叫んでると砂がはいるぞ?」
「黙ってたら、気がおかしくなっちまうよ! ったく、なんでこんなことになったんだ!?」
「そりゃ、おまえぇ・・・。自分で手上げただろ・・・? 甲板長が陸に上がるって言うから、付いて行きたい奴って訊かれて」
「ああ、そうだったな!!」
しかし、騙されたという土岐の考えもわからないでもない。陸にあがるというのは、多くの船乗りにとって休暇を意味する。だが、彼らは、自分達の会社がそんな杓子定規な事ばかりとは限らない事を忘れていた。
彼らも含め、上陸を希望した甲板員達は、陸軍部隊に先立ち夜陰に乗じてコタバルに上陸していた。むろん、休暇のためなどではない。
「着弾いま! 効果確認送れ! 急げ!」
背中に背負った無線機から、こちらの気も知らない通信士が催促してくる。こいつ、後でぶん殴ってやろうか・・・? 土岐は心の中にどす黒い野望を抱きながら返信した。
「効果射要求、左30、縦深無し!」
「連中、気付き始めたようだ」
高鷲が、自分の得物である照準眼鏡付き三八式小銃を構えはじめた。
「観測地点を変更する。以上!」
通信を終えると同時に、高鷲が陣地に向かって撃った。
「殺ったか?」
「ちゃんと狙って撃ったさ」
返事はそれだけで十分だった。
二人は中腰の姿勢で海岸を走り抜け、ブッシュの中に飛び込んだ。すぐさま起き上がり周囲を確認する。
「甲板長と合流しよう」
背中合わせ小銃を構えながら高鷲がたずねた。
「甲板長なら、とっくにコタバル市内にはいった。いまさら合流できるかよ?」
「消極的な奴だな・・・」と呆れた口調で高鷲。
「こんなところにいたら、じきに押し寄せてくる日本軍の押しつぶされちまうぞ? うしろは英軍陣地。サンドイッチだ」
「友軍だ、って言えばいいんじゃないのか?」
「簡単に言うな。上陸作戦で沸騰寸前のヤカンみたいになってる兵隊共だぞ? 動いてるもの見つけたら反射的に撃っちまう」
「じゃあ、どうする?」
「人の話し聞けよ。甲板長と合流する」
堂々巡りだと思った土岐が落胆の溜め息を吐いた。コタバルに行くには、目の前のイギリス軍陣地を突破するか、大回りして迂回するしかない。いまはそのどちらも建設的な考えだとは思えなかった。
「だからな・・・」
「伏せろ!」
突然、高鷲が土岐の頭を押さえつけ、地面に伏した。直後にイギリス軍陣地が大爆発を起こし、爆風が頭の上をかすめる。
「な、なんだ!?」
「効果射だよ。さっき、自分で言ってただろ? さて、これで風通しも少しは良くなった。どうだろう? 好機は最大限に活かすべきってのが、俺の主義だけど?」
やれやれという顔で、土岐もベルグマン短機関銃を構えた。
「行くっきゃないだろ!」
「作戦の状況はどうなってる?」
戦闘態勢にはいり、薄暗い赤色燈に照らされたヤクト・ヒュッテの室内で成瀬社長は、作戦のタイムスケジュールを管理する主計課の霧神に向かって訊ねた。
「現在、本船及び、海軍艦艇による砲撃を敢行中。陸軍の上陸予定時刻は0135時です」
飛鳥の15.5センチ三連装砲による砲撃は、このヤクト・ヒュッテにも振動と衝撃によって伝わってくる。バブルウインドウから外を見渡せば、マズルフラッシュによって浮かび上がる海軍の艦も見ることができた。
砲撃に参加しているのは、この飛鳥を含め、第三艦隊水雷戦隊旗艦川内以下駆逐艦7隻の計9隻で計30門以上の砲門がコルタバルに向けられている。上陸予定の海岸線の幅は約2キロほどであり、各艦船によって異なるが、平均では一門あたり100発の射撃を予定しているので、単純計算で66センチ幅に一発の砲弾が着弾している計算になる。
「萩原たちは?」
「定時連絡によれば、さきほど土岐、高鷲の両名と合流。コルタバル市内で待機しています」
「やれやれ、いくらサービスとはいえ、着弾観測に後方撹乱も付けろとは、山下中将も無理おっしゃる」
「現状で我々がすべきことは依頼主の信頼を確保することです」
霧神がにべも無く言った。
やがて砲撃が終了し、戦場は一転して静寂に包まれる。それは正に嵐の前の凪といったところだ。しかし、凪は長くは続かない。低いエンジン音と共に波を荒立てて、上陸艇が海岸線を目指してゆく。
飛鳥はそれを見届けると、船団から離れ一隻だけ後方に移った。
「戦闘機、発艦準備」
二機のHe112が飛行甲板に上げられる。対地支援を予定してFlak18・37ミリ機関砲(例によって社長のドイツ土産)を一門、胴体のハードポイントに装備させた。船を後退させたのは、発艦の際に必要な船速を稼ぐため進路に邪魔がいないようにするためだ。
上陸作戦の動向は陸軍の無線傍受と甲板員有志等の上陸組からの連絡によって知ることができた。陸軍部隊は海岸を制圧しつつあり、同日未明には飛行場を落とせるだろう。
「・・・社長」
背筋にしみるような声だった。
成瀬は、幽霊に呼びかけられたみたいにぎくりと動きを止めた。呼ばれた方に振り返る。そこには電探の操作盤の前に立つ尾崎蓉子がいた。あいかわらずスカーフを深く被っており、赤色灯の明かりしかないヤクト・ヒュッテではことさら表情が伺えない。その幽玄な雰囲気は、ただでさえ出生不明や正体不明やらが多いルフト・クーリエルの間でも一目を置かれていた。
「どうしました?」
なぜか敬語になって成瀬が尋ねる。
「・・・西の空・・・、二つ・・・」
操作盤をまるで水晶珠か何かを操るように、尾崎が呟いた。
「えっ・・・?」
「・・・何かが・・・来ます・・・」
「西の空って・・・、まさか敵機が!?」
まずいことになったと成瀬は思った。いま飛行甲板上げているHe112には、対地支援用としてFlak18・37ミリ機関砲を搭載したままになっている。敵機がもし戦闘機ならば、身軽な装備にした方がいいだろう。しかし、はずしている暇は今は無い。
「両舷全速! 戦闘機隊を上げろ」
飛鳥が海上を疾駆し始める。
コクピットで待機していた七宗と鵜沼は、誘導員の指示に従いラダー、フラップなどの各操舵翼のチェックをしていた。エンジンはすでに暖気を終わらせている。
「やれやれ、こんな重いもんぶら下げて空戦とはついてない」
「がたがた言うな」
二機のHe112がカタパルトではじき出される。二機は、まず指示通り西の空へ向かって飛んだ。
「続報だ。こちらに向かってくる何かには、心臓が二つあるそうらしいぞ」
「・・・え? な、何言ってるんだ、お前・・・?」
「俺が言ったんじゃねぇよ。あの尾崎って人が感じたそうだ」
「ああ・・・」と七宗が呻いた。あの人なら言いそうだ。
「で、心臓が二つとはどういうことだ?」
答えは、しばらくして分かった。鵜沼が下界のジャングルにイギリス軍のロッキード・ハドソン爆撃機を見つけた。
「双発ってことか」
「いくぞ!!」
高度では分があるHe112が、急降下でハドソン爆撃機に襲い掛かる。七宗は、ハドソンの鼻っ面目掛け20ミリ機銃を撃ち込む。しかし、狙いは僅かにはずれ機尾のあたりに命中したが、致命傷にはならなかった。
「ちっ!!」と舌打ちする。爆撃機相手は初めてで、距離間を見誤ったのだ。振り返った七宗は次に爆撃機に襲い掛かる鵜沼を認めた。
「あいつ!!」
七宗は一瞬、鵜沼の行動を疑った。鵜沼は、20ミリ機銃ではなく胴体に装備した37ミリ機関砲をぶっ放していた。発射速度は当然20ミリ機銃より遅い。しかし、威力は絶大だった。一発が主翼の付け根に命中した瞬間、翼が弾け飛んだ。
七宗もすぐにそれを学ぶ。上昇反転で二機目を攻撃する際に37ミリを使った。しかし、それは予想以上に難しいことだった。一撃目は初速の違いを掴み切れず、爆撃機の後方へ外れてしまう。
「無理すんなよ」
鵜沼がけらけらとからかった。しかし、七宗はそれを聞いている暇など無かった。コルタバルはもう目の前だ。20ミリに切り替え、射撃する。こうして、二機の爆撃機は撃墜される。七宗が撃墜した二機目のハドソン爆撃機はコルタバルの近郊に墜落した。おそらく、多くの敵味方の兵士たちが目撃したのだろう。それは確実にイギリス軍の士気を殺ぐものだった。
こうして、英国領コルタバルは陥落した。
最終更新:2010年12月14日 20:02