マレー上陸作戦・前編



「陸軍としては、南方進出の先遣としてマレー半島のシンゴラ、パタニ、タペーほか、英国領コタバルへの上陸を敢行したい」

 サイゴン南遣艦隊司令部で開かれた会談で陸軍第25軍山下奉文中将の主張は、海軍南遣艦隊司令官、小沢治三郎中将の眉を顰めた。

「コタバル沿岸には、機雷が施設されている可能性があり、また飛行場からの航空機の出撃などを考えますと海軍はコタバル上陸には反対です」

「今後の南方進出のためには、コタバルの確保は必須です!」

「しかし、機雷が施設されていた場合、我々に多大な損害を出す可能性があり、海軍は上陸作戦に反対です」

 両軍の間に確執があるにせよ海軍も無碍に陸軍の要請を断わっているわけではない。海軍の懸念は、シンガポールに停泊する戦艦プリンス・オブ・ウェールズを旗艦とした英国東方艦隊にあった。戦艦2、軽巡3、駆逐8で編成される艦隊と対峙し、マレー沖の制海権を確保する為海軍は、ここで貴重な戦力を失いたくしなかったのである。
 両者の主張が真っ向から対立した会議は、長期戦の様相を見せていたが、以外な訪問者がこの状況を打開する足掛かりとなった。

「よろしいでしょうか? 皆さん」

 全員の目が会議室の扉へ集中する。

「誰だね、君は?」

「申し遅れました。ルフト・クーリエルの馬場です」

 そこにいたのは『ルフト・クーリエル』社の馬場だった。
 ご丁寧に名刺を取り出し、二人の軍人に渡す。

「ルフト・クーリエル? ああ、あの海運会社の・・・」

 小沢中将は数日前に渡された報告書に、民間の空母が南進する旨を伝えたものがある事を思い出した。なんでもドイツ帰りの社長が、海軍払い下げの軽巡を空母に改装し自社で運用しようと言うとんでもないもので、航空機に関して先見の明がある小沢だったが、GF以外の空母部隊というのはあまり快い存在ではなかった。

「民間人が南遺隊司令部になんのようだ?」

「我々の独自調査によるコタバルの調査報告を持って参りました」

 周りの軍関係者が目を剥く中で、馬場は平然と言ってのけるとゼロハリの鞄からレポートを取り出し、二人に渡した。内容は、過去一ヶ月間のコタバル飛行場の活動や、同地に展開しているインド第八旅団の動向などが細かく記されたものだった。

「・・・これはどれほど信頼できるものなのかね?」

 さすがに、こんな物をいきなり提出されては、疑がわれるのも致し方ない。なにしろ相手は民間企業のセールスマン。そのまま鵜呑みにして信じろと言うのには無理がある。

「私どもが現地調査を行い調べたものです」

「それを証明するものはあるのかね?」

 馬場は、「そうですね~」とわざとらしい演技で悩んだふりをする。

「付近に展開中の潜水艦の気象報告をご参考ください。あの辺りは天気が変わりやすいですから、天候が一致すれば、その時我々がいた証明になるでしょう」

 すぐさま南遺隊司令部の書類がひっくり返され、さらには潜水戦隊旗艦や地上通信隊への問い掛けが行われたが、結局それは馬場のレポートを肯定するものになった。

「では、コタバル沿岸には機雷の敷設はないわけだね?」

「はい、山下閣下」

 馬場のきっばりとした答えに、山下中将は満足そうにうなずいた。

「小沢さん、このレポートを見ての通りです。コタバルに機雷がない以上、陸軍はコタバルへの上陸を敢行します。海軍にはその支援を要求します」

「しかし・・・」

 どうやら小沢中将はまだレポートに疑心をいだいているらしい。だが、ここまできてもまだ煮え切らない小沢の態度に山下がキレた。

「私が聞きたいのは一つだ! Yesか、Noかッ!?」

 こうしてコタバル上陸作戦は決行された。



 12月7日
 その日、航空商船『飛鳥』は陸軍船団に同行し、南シナ海を進んでいた。陸軍船団はバンコクへ向けて航海している事になっているが、それは偽装航路であり湾中央へ進んだところで編成を解き、各上陸地点に向けて舵を取る手筈になっている。その内、コタバルへ向かうのは佗美支隊5500名が乗り込む淡路山丸、綾戸山丸、佐倉丸、そして飛鳥の4隻と海軍第三水雷戦隊の一部である軽巡「川内」を旗艦とした駆逐艦7隻で編成された支援艦隊となっていた。

「・・・眠い・・・」

 早朝から始まった哨戒飛行、無線から聞えた僚機の呟き声に七宗はぎょっと目を剥いた。

「おい! 巣南ッ!!」

 左後方に並んでいた僚機の姿がない。
 まさか、落ちたか?
 すぐに下を覗き込んだ七宗の目の前を、He112が迫ってきた。咄嗟に操縦桿を倒して衝突をかわす。七宗機に突っ込んで来たHe112は、そのままループして元の定位置に戻ってきた。

「何しやがる!!」

「眠気覚ましにはアクロバットが一番だな」

 巣南が、パタパタと翼を振って軽口で答える。

「いや~、昨日は親睦も兼ねて徹マンだったからさぁ」

「・・・はぁ?」

「だってさ、俺らってあの船に来たのここ2、3日前じゃん? これから同じ釜の飯を食う仲間だし、背中預け合う戦友って訳だから、こーゆーことも必要だと思ったんだよ」

「それで麻雀かよ・・・」

 呆れ混じりに七宗。各務原の訓練期間以来の仲だが、いまいちコイツの性格がつかめない。
 一見気楽に話している二人だが、二人がこうして気楽に話せるために使用される無線機は、ルフト・クーリエルにとって気楽な存在ではなかった。
 事の始まりは、成瀬社長が偽装貨物船として日本へ向かう飛鳥に積み込まれる物資をチェックしていた頃である。艦載機は日本で調達する予定であったが、ふと無線はどうしたものか気に掛かった。飛鳥の無線機は同じ電子機材であるレーダーとの電波干渉を避ける為、ドイツ製のものを搭載していた。しかし、それが日本で使用される機載無線器が使用するバンドと適合するかわからない。そこで成瀬は、「日本の無線機ってこっちの規格に合うか?」と電報で尋ねたところ、日本にいた則武から帰ってきた答えは「あぁ、あんなのただの重りだ!」という辛辣な返信だった。つまり、日本の機載無線機はかなり性能が悪いということらしい。急いで無線機を取り寄せようにも、飛鳥の出港日は目前、いまさら発注しても到底間に合わない。なんとか成瀬は八方手を尽くし(人脈を使って融通してもらったものが多いが、ちょっと飛行場に忍び込んで拝借したものもあった。機数分の数を揃え飛鳥に積み込んだが、それを日本へ輸送するのも楽ではなかった。
 偽装貨物船「飛鳥」は運送船「浅香丸」と合流し日本への航海へ向かう予定であったのだが、途中のフランスで受けた臨検はドイツ出国船であることが禍し、厳重なものであった。飛鳥に載せられた貨物は機密品が多かった為、事前に船内に巧妙に隠匿されていたが、急遽搬
入された無線機はそうはいかない。急いで船内いろいろな場所に隠したが万全ではない、ここで無線機が見付かれば芋づる式に他の機密品も調べられるかもしれない。船員達が戦々恐々とした気持ちで臨検を受け、なんとか誤魔化し通すことができた。
 こうした苦労の末、He112に取り付ける事が出来た無線機なのである。もっとも、そんな事など七宗も巣南も露ほど知らないので、無線機はいたって気楽に使われているが。

「絆を培うのに麻雀をする以外方法があるか?」

 もはや、それ以外ないような言い方で巣南が断言する。七宗もあえてこれ以上ツッコミをするような事はしない。疲れるから。
 だけど、結果だけは聞いておこうと思った。

「絆は深まったのか?」

「あぁ・・・、しばらく死なせてもらえなくなった」

 どうやら負けたらしい。

「僚機がそうそう落ちられない立場にいることは、俺としては僥倖だな。
 先に言っとくが、貸さんぞ」

「オニ!」

「なんとでも言え。
 けどなぁ、今はそうじゃなくても落ちるわけにはいかないぞ。なにしろ艦載機がおれ達しかいないんだからな」

 研修生のなかで若辰が合格をだし、サイゴンで合流が出来た飛鳥の艦載機隊のパイロットは、七宗と巣南の二人しかまだいなかった。他に引率役だった則武飛行隊長がいたが、則武はこの船に来てからいろいろ貯めていた仕事をかたつけなければならなく、早々パイロット枠
から除外された。そもそも取締役専務と兼用しようというのに無理がある。
 肝心の艦載機もまったく足りていない。艦載予定の航空機を研修用に使っているからだ。そのため、今ある艦載機は七宗と巣南が乗って来た艦載仕様のHe112の二機の他に、則武が乗っていた九六式艦攻と、呉から乗せていた成瀬社長の自家用機が搭載されているだけであ
る。
 よって稼動機は最大ニ機であり、今その二人とも出撃したため航空商船『飛鳥』は“哨戒飛行で全力出撃”という痛々しい事態になっていた。

「ところでさぁ」

「なんだ?」

「哨戒飛行ってのは、なにをすればいいんだ?」

「なにって・・・、そりゃ見張りに決まっているだろ。敵機が来ないか見張ってるんだよ」

「見張って、敵機が来たらどうする?」

 「えっ?」と七宗。たしかに、どうすればいいのだろう。なにしろ、まだ開戦前だ。見つけても勝手に攻撃するというわけにはいかない。
 あれこれ悩んでいた七宗の思考は、巣南の次の言葉で打ち砕かれた。

「3時方向に、コンソリだ」



「・・・タバコを」

 成瀬は差し出されたタバコに火を付けると、海図板から離れ窓際の壁に背を預けた。
 He112からの報告で『飛鳥』の艦内は、蜂の巣を突ついたような大騒ぎとなった。すぐさま艦内の主要スタッフが召集される。航空商船『飛鳥』は操舵や航法などは通常航海に関することは艦橋で指揮を取っていたが、戦闘という新たな分野は飛行甲板前方の直下に置かれた「ヤクト・ヒュッテ(狩猟小屋)」とよばれる部署で行われるようになっていた。部屋の様式は、海図の貼られた卓台を中心に、各部署と連絡を取る為の電話が引かれ、さらにレーダー機材の一部もここに置かれレーダー室とリンクしている。まさに『飛鳥』の戦闘情報区画として機能すべく設置された部署である。あえて英悟読みにするなら「Combat Information Center」、略すと『CIC』いったところだろう。
 そこに人員が集められ配置される理由、「ヤクト・ヒュッテ」が機能しはじめる理由、それは戦闘が行わているか、これから行われる以外にない。
 船団に接近してきたコンソリーデット・PBY・カタリナ飛行艇は、おそらくコタバル基地から飛来したものだろう。
 報告はすでに第二艦隊にも行っているはずだが、返信は今だに帰って来ない。どうやら小沢提督はこの事態を利用して、ルフト・クーリエル社の実力を計る腹積りらしい。
 タバコを噛み締める。

「俺もよくよく運のない男だ」

 腹の底から絞り出すような声で、成瀬が決断した。

「撃墜しろ」

 逡巡を振り払うように強い口調で告げる。

「打電を打たれる前にコンソリを撃墜するんだ」

 命令が伝達され「了解」と答えが返ってくる。敵の傍聴を考え、無線はすぐに切られた。あとは戦闘機隊の仕事だ。
 成瀬社長が苛立たしげに拳を握り、卓台に歩み寄った。

「俺の判断は正しいのか、間違っているのか・・・?」

 とくに誰かに向けて問いてわけではなかったし、成瀬も答えてくれる者を期待していた訳ではなかったが、ただ一人、霧神が毅然として口を開いた。

「正誤の判断など致しません、私はただ社員ですので。決断されればそれに従うのみです。それでは、お茶でもいれましょうか? 香港で仕入れたダージリンの特級葉がありますが?」



「すみませんね、中尉殿。急にパイロットなど頼んでしまって」

 PBYカタリナ飛行艇の副操縦士の少尉が横を向きながらぺこりと頭を下げる。機長席のローレンス・フォルク中尉は「いやいや」と首を振った。

「こっちは基地に間借りさせている身分だ。これぐらいはお安い御用さ」

 ローレンス・フォルク中尉は元々海軍戦闘機隊のパイロットだった。本来なら空母インドミタブルのマートレット艦載機にのって、Z艦隊の直援が任務であったが、途中でインドミタブルが機関不調により艦隊から脱落してしまったため任務の続行が不能となってしまった。だが、ここまで運んできた艦載機もこのまま引き返すのは、なにか勿体無い。作戦域がマレー周辺ならば、地元地上基地からでも艦隊直援は可能だ。艦隊司令部はそういう結論にいたり(母艦と艦載機を分離するという発想は、マルタ島増援作戦によって培われていた。基地間の連絡を掌る部署にはいい迷惑だが)、インドミタブルは艦載機隊だけ、インド洋からマレー半島までの英国領下の基地を拠点として艦隊に同行した。Z艦隊が無事シンガポールに入港すると、彼らは予め日本との開戦にそなえ予め前進しておくこととなり、コタバル基地に飛来した。
 ローレンス・フォルク中尉もその一員としてコタバルにやっていたのだが、今カタリナ飛行艇に乗っているのは、元々の操縦士が体調不良で、その代わりを買って出たためだった。

「中尉、針路を260へ」

 航法士のネス・クロウリー軍曹の指示で操縦桿を操る。この航法士とは、同じインドミタブル組だった。個人的にも友人であり、今日は飛行艇に乗るんだと言ったら付いてきた物好きな男だった。まぁ、物好きなのは自分もおなじだが。昔は船乗りをしていてらしいく、戦闘機乗りとしてはともかく、航法技術ならローレンスの知る限り最も腕がいい。

「来るんすかねぇ、日本軍?」

 私語だとクロウリー軍曹は少しタメ口を使う用になる。とはいっても、他人には聞えない様、インコムをとうしていた。

「さぁな、やつらナチと組んでるし、アメリカも禁輸措置に本腰を入れたようだ。だいたい、それを見越しての東洋艦隊派遣だろう? まぁ、ナチはビスマルクを沈めて以来、Uボート以外たいした艦船をもってないからな。ここいらで戦果を上げて、予算確保をしておきたいと言うのが艦隊司令部の本音かもしれないけどな」

「その割りには戦艦2隻が主力というは、どうなんでしよう?」

「攻勢でなく、守備や抑止力としてなら十分だろ? まずナチを倒し、それから攻め立てればいい」

「その前に、アメリカに獲物を奪われなけりゃいいですがね。おっと、中尉いきすぎですよ」

「風に流されてるんだよ」

 苦笑いしながら針路を直そうとしたローレンスは、断雲の隙間から覗いた海面に信じられないものを見つけてしまった。 

「三時方向下、船団!」

 観測員達がその方向に注視する。眼下の船団は二列縦隊で西に進んでいた。日本の船団がバンコクに向けて移動しているという情報は既知していたが、それならばもう北上している頃合だ。しかも、この先にあるのはまちがいなくコタバルである。いまの速度ならば、今夜にでも到着するに違いない。

「信じられない・・・! 空母がいる」

 クロウリー軍曹が叫んだ。ローレンスは咄嗟に操縦桿を捻り、急旋回をおこなった。急な機動により乗員達が床に転がる。しかし、それにかまってはいられなかった。
 刹那に、強烈な銃撃が降りかかってきた。

「六時方向、敵機二機!」

 言われるまでもなく、それは戦闘機による攻撃だった。ローレンスは条件反射的に「空母発見」の報から、すぐに迎撃機の存在を考え回避行動をとっていた。
 しかし・・・、逃げ切れるだろうか?
 今乗っているのは、いつもの戦闘機ではない。速度も精々300キロいけばいいような低速な飛行艇だ。後方で7.7ミリ機銃座の唸り声が聞えたが、戦闘機に対してこの手の機銃がある程度の威嚇にしかならないが、ローレンスはバトル・オブ・ブリテンの爆撃機迎撃でよく知っていた。まさか、自分がその立場になるとは思いもよらなかったが。

「基地に打電だ! ワレ、船団ヲ捕捉、迎撃ヲ受ケリ!」

 逃げ込める雲を探しながら、ローレンスは指示を出した。自分たちのことはともかく、ここで船団の存在を知らせなければ、コタバルはみすみす奇襲上陸をうけることになる。おそらく日本軍はコタバルを橋頭堡を築き、ゆくゆくはシンガボールまで進撃するに違いない。一度上陸されれば迎撃は困難なモノになるだろう。ならば、ここで叩いておかねばならなかった。
 しかし、ローレンスの願いはかなわなかった。カタリナは続く銃撃でエンジンを破壊され、無線機の電源が落ちる。そして破壊の嵐は、その後も機体を傷付け、乗員を殺傷し、ついに機体強度の限界点に達した。エンジンが火を吹く。それでも、ローレンスは操縦を諦めなかった。



 軽巡「川丙」の艦橋で小沢提督は、目前の光景に息を呑んだ。今、一機の飛行艇が火だるまになりながら落下している。もちろん、ここであの飛行艇を落とさなければ、自分達の存在は米英に露呈し、マレー作戦は頓挫する可能性があった。
 しかし、今はまだ開戦前である。それなのに、あの空母モドキの指揮官はなんの躊躇いもなく、飛行艇を撃墜するよう命じた。
 小沢提督は、それに何か得たいの知れない空恐ろしいものを感じた。彼らは、もしかしたら自分達以上に戦争というものを知っているのではないのか? この総力戦というものを・・・。
 おなじ光景を、成瀬も「ヤクト・ヒュッテ」から望んでいた。ドイツ帰りの彼にとって、戦争はすでに始まっていた。

「よく見ろ、日本人。これが戦争だ」

 成瀬が、自分に言い聞かせる様に呟く。
 飛行艇は海面に激突した。






最終更新:2010年12月14日 19:57