前編


 有川祐二とデネブ・ローブの乗るTa152E改は、大陸での偵察任務を終えて飛鳥島への帰途に就いていた。機体の調子は快調そのものであった。
 飛行場への着陸コースに入るべく雲の下へ降下した時、彼らの視界に1機の飛行機が飛び込んできた。
 空軍のB-25ミッチェル双発爆撃機だった。魔導師か空の魔獣による攻撃を受けたらしく、機体に空いた穴からは火炎と黒煙が噴き出していた。コクピットや銃座には、深手を負ったり死んだりした搭乗員の姿が確認できた。飛んでいるのが不思議なほどのダメージであった。
 Ta152に気付いた血まみれのパイロットが、通信機のインカムに向かって何かをわめき散らしていた。助けを求めているのか罵っているのかは判らなかったが、その声を有川らに届けるはずのアンテナは根元からもぎ取られていた。パラシュートで脱出しようにも、ハッチや天蓋のフレームが歪んでいて不可能のようであった。不時着も無理だろう。エンジンだけが、火を吹きながらもプロペラを弱々しく回転させていた。

「ひどい……」

 デネブは思わず呟いた。成層圏から戦場を見下ろすことには慣れていたが、傷付いた飛行機が眼前を虫の息で飛んでいるとなると、話は若干違うようであった。
 もっとも、有川は何の感慨も抱かなかった。
 俺達は奴らと関係ない。今の俺がすべきことは、飛鳥島への帰還だ。
 操縦桿を倒してミッチェルからの距離を取ろうとした時、ピィーという甲高く耳障りな警報が鳴り響いた。対魔力探知機の反応ではなかった。

「有川、レーダー波照射!」

 デネブが告げた直後、ヴウンと空気を切り裂く鋭い擦過音が聞こえ、巨大な火球が機体の近くで炸裂した。無数の金属片が機体に当たり、ガンガンと不快音を奏でた。

「!!!」

 デネブが声にならない悲鳴を上げた。

「離脱する!!」

 ユモ213エンジンが唸りを上げ、Ta152は急旋回しながら海面近くまで急降下した。逆転する視界に、複数の火球に包まれて粉微塵に爆砕するミッチェルの姿が映った。

「何……だったの?」

 機体が水平飛行に戻ると、デネブは荒い息を整えながら訊いた。

「高射砲だな。俺達が近くにいるのを承知で、ミッチェルを狙っていたんだ……」

 言いようのない憤りが、有川の心中に渦巻いていた。


 硝煙のたなびく中、鉄帽を被った男達が空を睨み据えていた。

「隊長、アルファ目標の撃墜を確認しました。ベータ目標は回避機動で逃げました」

 レシーバーから聞こえてきた声に、隊長と呼ばれた男は答えた。

「了解。目視でも確認した。よーし、撃ち方やめえ」

「撃ち方やめっ」

 彼の傍らにいた部下らしき男が復唱した。

「みんな喜べ! 我が隊初の撃墜だぞ!」

 男の張り上げた声に、周囲から割れるような歓声が湧き起こった。 

「死に損なったばかりに、俺の頭上へフラフラ飛んできたのが悪いんだ」

 隊長と呼ばれた男は言うと、太い葉巻にジッポライターで着火して深々と吸い込み、副流煙を盛大に吐き出した。その姿は、深い満足感を感じさせるものがあった。


 その夜、有川はいつものようにバー「ギムレット」の一番奥のボックス席に座り、ワイルドターキーを飲んでいた。
 帰還したTa152は、高射砲弾による爆風と破片の影響を受けていた。整備班の話では、明日までには修理できるとのことだったが、今の彼には慰めにならなかった。有川にとってTa152は、愛機という表現だけでは語れない存在であった。そのTa152をどこの誰かも判らぬ馬の骨に傷付けられた屈辱が、彼の機嫌を悪くしていた。

「おい」

 それが自分に向けられた声だと判るのに、数秒の時間を要した。有川が振り返ると、太い葉巻を手にした帝國陸軍兵が立っていた。その顔は笑っていたが、目はギラギラとただならぬ光を放っていた。
 赤銅色に日焼けした肌、太い眉と口髭が特徴的な大男だった。上半身はラグビー選手のように頑強で、肩から首まで隆々たる筋肉が付いていた。腹も少し出ていたが、決して不摂生を感じさせるものではなく、がっしりした体躯に貫禄を与えていた。軍服の肩章から、階級は大尉だと判った。
 彼が着ているツナギ型の黒い軍服はパンツァー・ユニフォームと呼ばれるもので、戦車兵または自走砲兵であることを示していた。
 インビンシブル帝國軍の軍服は、有川の世界でナチス・ドイツが使用していたものに若干のアレンジを加えたものだった。ナチスの軍服は実用性のみならずデザイン性においても優れているため、帝國国民への宣伝に威力を発揮していたが、パンツァー・ユニフォームは陸軍の花形の証として、特に人気が高かった。

「お前、独立観測航空隊の搭乗員だろ」

「それがどうした。あんたは誰だ?」

「第1砲兵軍団司令部付隊の松川三郎だ。砲兵といっても、野戦砲兵ではなく防空砲兵だがね」

 松川と名乗った大尉は、軍服の襟元を指差して言った。そこに縫い付けられた兵科章は、大砲とロケット弾を組み合わせた野戦砲兵ではなく、高射砲と機関砲を組み合わせた防空砲兵のものだった。その防空砲兵である彼がパンツァー・ユニフォームを着ていることに、有川は何の関心も持たなかった。

「知らない名だな。興味もない」

 有川は顔を背けると、グラスを傾けた。

「くたばり損ないのB-25を撃墜した男と言えば、少しは関心を持つだろう」

 有川の眉がピクリと動いた。

「どうせ助からないだろうから一思いに死なせてやろうと思ってな。奴らも空軍兵士なら、空の塵になれて本望だったと思うがね」

 松川は有川の隣の席にドカリと腰を下ろすと、ウェイターを手招きで呼んだ。

「御注文は」

「チキンカツのシーザーサラダ仕立てを1つ。それと、生ビールを大ジョッキでもらおうか」

「かしこまりました。料理は少々お待ち下さい」

 ウェイターは大ジョッキを出してから、厨房へ引き返していった。
 松川はさっそく大ジョッキをあおった。

「クーッ、うめえ」

「用があるなら早く言ったらどうだ」

 有川は顔を向けずに言った。

「本当のことを言うと、お前も一緒に落としてやりたかった。むしろ、お前が単機で飛んでいても、撃ったかもしれん。俺はそもそも、飛行機ってやつが気に入らねえ。そしたら、よりによってそいつにやられたよ……」

 松川が最初から自分に絡むつもりだったことに気付いた有川は、半ば諦めた。

「飛鳥島のことか」

「飛鳥島だけじゃねえ。俺は前の戦争で歩兵をやってたんだが、どこの戦場でもいつだって敵の飛行機に追い回され、惨めな思いをしてきたんだ。飛鳥島に転属した時には、輸送船が敵機にボカ沈されて海に放り出されもした。戦友のほとんどはそこで死んじまった。最終決戦では、ミサイルと爆弾が降り注ぐ中を対空火器の給弾作業に追われてた。その挙げ句が、核攻撃よ」

 視線をわずかに落とした松川の声には、ドス黒い憎悪と恨みが込められていた。
 黙っていても同じことだと腹をくくった有川は、心の深淵に封印していた苦い記憶を口に出した。

「核を落としたB-2をインターセプトしたのは、俺だ」

「何?」

「僚機が全滅して俺だけ基地へ戻る途中、偶然B-2と鉢合わせしたんだ。撃墜はしたが、爆弾の落下は止められなかった……」

 カウンターの隅に座るマスターが、なぜか新聞をめくる手を一瞬止めたように見えた。

「ほぉ……」

 松川は意外そうな声で応じた。

「……フフフフフ」

 押し殺した笑い声を、彼は喉の奥から発した。やがてそれは、轟音とも言うべき大音声となって店内に響き渡った。

「フッフッフッフッ……アハハハハハハハハ…… ウワッハッハッハッハッハッハッ!」

「俺を嘲笑ってるのか」

「いや、別にそのことでお前を責めてるわけじゃねえ。仮にお前が先に爆撃機を落とせたとしても、いずれ俺達は全員死ぬ運命だったろうからな。再度の核攻撃で島ごと蒸発するか、上陸部隊になぶり殺しにされるかのどちらかでな。問題なのは、お前が俺の嫌いなパイロット、それもあの独立観測航空隊のパイロットだということだ……」

「だから何だ」

「お前、まだ飛行機に乗れていることを嬉しく思うか?」

「俺は飛ぶことしかできない人間だ。他には何もない」

「なるほどな。下界を空から見下ろす以外は何もないってか?」

 ウェイターが運んできたチキンカツを、松川はいきなりフォークで突き刺すや否や口に運び、勢いよく咀嚼した。

「下界で何が起ころうと、俺には関係ない。ただ飛び、偵察し、帰還する。それだけだ」

「達観どころか諦観したような言い草だな。前の戦争で生きてる人間の上に爆弾を落とす時、どんな気分がした? 必死に地ベタを這いずり回って逃げる人間の気持ちを考えたことがあるか?」

「考えたことはない。そんなことを考えていたら、戦闘機に乗って飛ぶことすらできなかった」

「ふん。いいよなあ、お前らは。高いところを飛べて、椅子に座ったまま戦場へ行けて、椅子に座ったまま戦えたんだからな……」

「そんな楽なものじゃない」

 有川は切り捨てるように言うと、またグラスをあおった。
 たいていの子供は、椅子に座ってボタンを押していれば飛行機を飛ばせると考えている。あるいは、無知な大人でもそう考えるかもしれない。
 だが、旅客機ならともかく、戦闘機のパイロットは強烈なGに耐えて操縦しなければならない。1回の空戦でパイロットは数リットルの汗をかき、体中の毛細血管が破れる。着陸時には離陸時よりも体重が数キロ減っているほどだ。戦闘機乗りは、文字通り己の身を削って飛ぶのである。
 当の有川も、高校を出て操縦学生として空軍に入隊したての頃は、Gに耐えるための基礎体力を養うため、あらゆる手段でしごき抜かれたものだった。

「楽かどうかはともかく、俺はいつも下から空を見上げていて、飛べるお前らがうらやましくて仕方がなかった。そのうらやましい奴が、俺の全てをブチ壊しやがったんだ……」

 松川はチキンカツを平らげ、大ジョッキに残ったビールも飲み干した。

「お勘定、頼めるかい。こいつの分も俺が払うよ」

 彼はウェイターに料金を払うと、有川を促した。

「来な。お前に見せたいものがある」


 松川は有川を連れて「ギムレット」を出ると、高速交通システムに乗った。
 高速交通システムとは、飛鳥島の地下都市に張り巡らされたリニアモーター式高速モノレールのことだ。島と呼ぶにはいささか広大な飛鳥島での移動には、必要不可欠な乗り物である。飛鳥島で居住もしくは勤務する者は、IDカードさえあれば無料で乗れた。
 もっとも、有川はほとんど利用したことがない。彼の飛鳥島における行動範囲は、独立観測航空隊の基地と「ギムレット」の間だけに限られており、その距離は徒歩で十分な距離だったからである。
 十数分ほどして、陸軍兵器工廠エリアのモータープールが車窓から見えてくると、松川は有川を伴って下車した。
 モータープールには、戦車や装甲車からトラックに至るまで、工廠で生産もしくは整備された軍用車両が所狭しと並んでいた。その一角で松川は足を止めた。

「見ろ」

 彼が指差した先には、見慣れぬ装甲戦闘車両が鎮座していた。戦車の車体に長砲身の大砲を載せて四方を装甲で覆ったその姿は、第二次大戦末期のナチス・ドイツで大量生産された駆逐戦車や対戦車自走砲の類を連想させた。
 陸軍の兵器に関しては門外漢である有川も、それが試作車両であることを垢抜けないデザインから見抜いた。

「新開発の21試自走88ミリ高射砲だ。ソ連製T-34戦車の車体にドイツ製フラック36を搭載したものだ。12.7ミリ機銃と7.62ミリ機銃も1丁ずつ、自衛用に積んでいる」

 松川は得意気になって説明を始めた。

「4両の自走高射砲と1両の射撃管制車で1個射撃小隊を構成する。射撃管制車にはヴルツブルグ・レーダーと光学照準装置が装備されていて、各砲車に射撃諸元を指示するわけだ。威力と精度は、今日の昼に証明した通りだ」

 有川は無反応で説明を聞いていた。

「間もなく大陸に運ばれ、実戦テストを受けることになっている。今のところはまだ砲兵軍団付の実験部隊に過ぎんが、いずれこいつが量産されて活躍する時が来る。地上部隊の脅威になるドラゴンやらワイバーンやらを、この88ミリでバタバタと叩き落とすわけよ。空軍の力なんぞ必要ねえ」

「なぜ俺にこんなものを見せる」

「決まってるじゃねえか」

 松川は、いきなり有川の胸倉をふんづかんで自分の顔面に引き寄せた。

「いつも澄ました顔で空を飛んでいる、お前に釘を刺しておきたかったのさ。これからは敵だけでなく、味方の砲弾にも気を付けて飛びな」

 松川は有川を解放すると、ガハハと豪快に笑いながら歩き去っていった。


 基地に帰った有川は、その足でTa152の格納庫に赴いた。整備員が総出で機体に取り付き、修理作業を行っているのが見えた。

「松川大尉に会ったそうだね」

 振り返ると、氷室清一郎がいた。仕事が終わった後らしく、白衣を脱ぎ、ワイシャツだけの格好だった。

「奴を知ってるのか」

「僕もあの自走高射砲の開発には一枚噛んでるからね。大尉の部隊がミッチェルを撃墜したのは、海岸の射場で実弾訓練を終えて工廠へ戻る途中だったんだよ。もちろん空軍司令官の上杉中将は紫芝大将を通じて抗議したけど、どうせ墜落は避けられなかったらしいし、処分は始末書と反省文で済んだと聞いたね。君もあの時、相当手荒い歓迎を受けたそうじゃないか」

 見るからに楽しそうに氷室は言った。
 有川は、自分がミッチェルに接近していることをレーダーで確認しながら、氷室は敢えて警告も出さずに放っておいたのだと直感した。自分が松川の砲撃をかわすことも、「ギムレット」で彼に絡まれることも想定した上で。嫌な奴だと、改めて思った。

「あ、そうそう。もうじき大陸で武装勢力の掃討作戦が始まるけど、その追跡調査に君も飛んでもらうことになるよ。ひょっとしたら、またどこかで大尉と鉢合わせするかもしれないね」

「二度とごめんだ」

 冗談じゃないと言わんばかりに吐き捨て、有川はハンガーを後にした。


 それから数日後、大陸における帝國軍の大規模作戦「ネストバスター」が開始された。




最終更新:2009年09月03日 02:25