俺は熱田の工人、堀田木八郎に仕事を依頼した。
仕事の内容は、平衡錘投石機の製作である。
当初は難色を示されるかと思っていたのだが、具体的に話してみたところ意外にも乗り気だった。
説得に苦労するだろうという考えは杞憂に終わったが、肩透かしを食らってこちらのペースを崩された。

その後、気を取り直してから仕事について色々と細かな部分の話をした後、なんとなしに堀田の話を堀田自身に直接聞いてみたところ、それなりに偉い人間である事が分かった。
あくまでも工人衆の中での話、特に木工分野に偏ってはいるのだが、それなりに配下も抱えていた。
堀田の話から、今後良い関係を築いていけば何かと役に立ちそうだと考えた俺は、その配下の工人衆を紹介してもらった。
勿論、いきなり紹介してくれといわれても難色を示されるのは当然である。
なので、あくまでも仕事の関係上、堀田配下の面々について知っておかなければならないからという名目での紹介ということになった。

堀田自身が頭が固いせいなのか、配下には堅物が多かった。
融通が利かなさそうな雰囲気を多くの者が持っていたが、彼らの仕事場や実際の作業を見たところ、腕は悪くはなさそうだった。

これはちょっとした自慢だが、俺はそういう職人の腕前を測る目には自信があった。
それは決してハッタリなどではなく、本当にこの目に狂いはないと言い切れるほどのものと自負している。
昔から俺は工具で色んな物を弄り回して何かを作るのが好きだったから、そうした経験と、身近に職人が実際にいて、その姿をつぶさに見てきた事から生まれた自信だ。

職人を見てきたと言っても、別に実家が工場というわけではない。
ただ、自分の叔父がそれなりの規模の工場を持っていて、俺は度々そこへ遊びにいく機会に恵まれたという話だ。
工場といっても、いわゆる町工場という奴で、完全に自動化されて次々に同様の品質の製品が生産されていくというものとは違う。
熟練した工員一人一人が工具や工作機械を巧みに操り、一つの高精度な製品を作り出す、工業における職人芸の極地といえるものだ。
実際、そうした工員は現代の高度な機械よりも、より正確で精度の高い製品を生み出す事ができる。
そのような人材は貴重だ。しかし、近年では、彼らのような職人達は皆、歳を取り、衰えて消えていき、その技術さえも途絶えてしまうことが珍しくない。

……少々話が脱線した。だが、俺はそういう素晴らしい技術を持った彼らと接する機会に恵まれた。
工場へ赴き、そこで彼らの仕事振りを見て、時にはちょっかいをかけては怒られ、たまに差し入れを持って行っては頭をくしゃくしゃに撫でられ、暇つぶしがてらに機械や工具の使い方を教えてもらった。
顔を何度も出しているうちに、工場を所有している叔父とも良い関係を築けた。叔父は誰とも結婚をしなかったし、子供もいなかったから、俺を息子代わりに可愛がってくれたのだろう。
大きくなってからは叔父の趣味であった帆船模型の製作もよく手伝ったりしたものだ。工場の人たちに教えられた機械や工具の使い方も、その時結構役に立った。
そして、自慢げに言うのだ。これは工場の皆から教えてもらったやり方なんだ、と。
そう言うと叔父は、何も言わずに、ただ微笑んでくれたものだ。

―――だけど、もう会えない。

工場の人たちとも、叔父とも、俺の家族とも。
もう皆には会えない。帰れない。
この凄惨な戦国時代に存在している俺にはもう誰とも会うことは出来ない。出来はしない。
でも、俺はここで自分のやる事を見つけた。生涯をかけるに値するものを見つけたから。
だから、願わくば、俺のいなくなった世界で、俺の無事を祈っていて欲しい。

それだけで、もう十分だから。



気晴らしに書いた現実から戦国 第五話「門前巡り」



堀田とその配下に仕事を頼んだ後、俺は熱田の門前町をうろついていた。
わりと活気があるものの、やはり現代と比べると今ひとつ町が小さく感じられる。居住している人口からいって当然であるが。
供の人間も一緒についてきているが、どうにも話が弾まないので半ば意識からはずしている。
擦れ違う町人なんかとは平然と会話はするけど。

これが中々聞き捨てならない情報も手に入るのでマメに聞いて置いて損はない。
たとえば、織田領内は他所と比べるとかなり治安がいいとか。
その他所の治安状況を実際に見たわけではないので、正確かどうかは確証は持てないが、四人五人と聞いたところ、誰もがそう言うのでそれなりに確度は高そうだ。

織田領内では一銭斬りという法があり、その効果によるもののようだ。
一銭斬りとは、たとえ銭一枚であってもネコババしたり、あるいは盗んだりしたら即刻首を刎ねるという極端な法律だ。
百年ほど前にワラキアの君主であったヴラド三世に通じるものがある。
まぁ、彼の場合は、罪人や貧民、あるいは村々からの爪弾き者などの真面目に働く気力のないものを小屋の中に押し込めて火を放って殺し、他の犯罪者も串刺しだけでなく、皮を剥いだり、釜で茹でたり様々な方法で死刑にしている。
単純に首を刎ねるというだけの信長様に対して、ヴラド三世は残虐性が高い。
より高い見せしめの効果を狙ったためなのかはわからないが、ともあれヴラド三世の治世の間は、治安が向上し、泉の傍に金の杯が置いてあっても、それで水を飲むものはいても盗むものは現れなかったという逸話も存在している。

まぁ、ヴラド三世の事は置いておくとして、信長様の一銭斬りによる効果により、織田領内に限り女の一人旅さえも可能なくらいだそうな。
詳しい話を聞いているうちに、そういえばそんな話もあったと、かつて学んだ知識を思い返していた。
最近は、この時期やこれから先の日本史や世界史を思い出しつつ、紙につらつらと書いているのだが、それでもちょっとした事は抜けてしまう。
今回のような話も、それなりに有名だったはずだが、どうにも他にも思い出して書いておかないといけない事が多すぎて、つい見逃してしまう。

……まぁ、実は世界史関連の書籍持ってるのだがね。図説付きの。

信長様にスルーされた鞄の中の収納スペースにあった本の一つがそれである。
他に地図帳だってある。これらは信長様どころかこの時代の人間に見られてはいけない本だ。
本来ならば、織田家に仕える立場の人間として、少なくとも信長様には公開するべきであろうが、そこに俺の意思によって待ったがかかっている。
正直、これを見せる事は危なすぎるのだ。あまりに歴史に与える影響が大きすぎて、それによって何が起こるか分からないという恐怖、それが俺を留まらせる。
そして、それ以上にこれを信長様に見せた場合、俺は口封じに殺されかねない。
当たり前だ。こんなとんでもない情報を持っている人間を生かしておくはずはない。見せたら奪われて、挙句俺は殺される。屋敷にいる面々も同様。
信長様は下手な人間よりは信用できる人ではある。だが今、俺が立って存在しているこの日本は戦国時代。
己の利のために平気で他者を裏切り、家臣が主君を殺す時代だ。とてもじゃないが、見せられたものではない。

……よもや、帝○書院も人の生死に関わる本を出したとは夢にも思ってはいまい。

そんな事を考えていると、唐突に声をかけられた。

「おお、司馬様ではありませんか」

その声の方向を向くと、見覚えのある顔があった。
俺は顔に笑みを浮かべて答えた。

「ああ、これはこれは伊藤殿。伊藤殿も何か熱田に所用ですかな」

話しかけてきた相手は、伊藤惣十郎。清洲伊藤屋を構える商家の御当主、豪商だ。
俺が硝石を率先して売却している相手でもある。
また、後に信長様に商人司に任じられて尾張や美濃の商人統制を行うのがこの人だ。
両国の間で取引される唐物や国産呉服を扱う商人たちの負担税額などを取り決めた事で知られる。

「ええ。ちょっと商売上の関係でして」
「なるほど。いや、商人が商売にきているのは当然。それくらいは察するべきでしたか」
「いえいえ、熱田に参拝しに来る事もありますから。ところで司馬様は何をしに熱田へ?」

にこやかに伊藤が何気ない様子で聞いてくる。
しかし、俺は伊藤の目を見て探りを入れてきていることを実感した。

この男、豪商だけあって結構侮れないのだ。
実際、初対面の時に硝石を売ろうとしたら、相当足元を見られた。
人当たりのいい笑みを浮かべているくせに、商いにおいては完全に容赦がないとでも言うかのように買い叩こうとしてきたのでこちらも猛反発したものだ。
事前に硝石の相場価格を把握していなかったら、売っていたかもしれない。

その後の値段交渉では、一先ず満足と言える程度には上手く事を運べたが、相当綱渡りだった。
信長様の家臣という立場を利用したり、あるいはこの熱田を拠点に尾張に数々の利権を持つ熱田加藤氏への売却を示唆したり。

……まぁ、こちらが一先ず満足の値段というのはあちらも満足の値段だったようで、やけにニコニコしていたのが今でも気に食わない。

硝石は売り手市場だからだろうとは思うが、結構暴利を貪っているのだろうなと思うと寒気がしてくる。
ただ、伊藤とのコネを作れたというのは大きい。そう考えるのならば、アレは言わば投資とでも思ったほうがいいだろう。
その方が多少は溜飲も下がるというものだ。

「司馬様?」
「ん? ……ああ、熱田へ来たのは神人衆へ頼み事をしにちょっとな」
「ははぁ、左様でございましたか……」

具体的な内容は話さなかったが、伊藤は何度も頷くばかりで、それ以上は突っ込んで聞いてこないようだ。
今後の関係を踏まえ、俺に不快感や不信感を与えないように配慮しているのだろうか?
まぁ俺からではなく、神人衆からにでも聞けばいいだけの話ではあるが、見習うべき深謀遠慮だろう。
俺には武力と言えるようなものはないのだから、頭で出世するしかないのだし。

それからは他愛もない世間話をしつつ、美濃の状況を聞いたり、織田家の話をしたり、あるいは商売の話に花を咲かせた。
そうする事によって、お互いの情報をそれとなく交換したのだ。
とはいえ、ずっとそうしている訳もなく、切りのいいところで話を終わらせる。

「ああ、話に夢中になってましたが、そろそろ行きませんと」
「左様ですか。いや、お引止めして申し訳ありませんでした」
「いやいや、今度もまた見かけましたら気にせず声をかけてください。こちらも何か儲け話の一つでもあれば伊藤殿に知らせますよ。では」

互いにお辞儀をして別れる。
供の者は全員が暇そうにしていたが、こちらの話が終わったことで、ようやく動けると安堵しているように見受けられた。
彼らには何も配慮しなかったが、今度からは多少注意しておこう。

学んでおく事、考えておく事。それはまだまだ数多にあった。
戦国を生き抜いていくには、まだまだ俺も甘いんだろうと、空の雲を眺めながらぼんやり思った。




最終更新:2009年01月16日 22:22