鉄血外伝・Imagine Sense 前編


「いてっ!」

 芝のせいで地面との距離を見誤り、偵察任務は無様な尻餅から始まった。
 最先の悪いスタートだ。
 目の前にいる七飯がくすくすと忍び笑いをしていたので、睨みつけてやる。案の定、すぐに笑いを引っ込めた。
 ヘリに合図を送り、離脱を確認する。こちらも少し離れた茂みの中で装備を確認した。
 個人携帯火器はMP5SD、これはマガジンが6個ある。サイドアームとしてシグ・ザウエルとマガジンが3個、その他に手榴弾を5個持っている。レーション、水筒、ファーストエイドキッド、ナイフ、ロープ、コンパス、信号弾、バッテリー、カモフラネット、スターライト式暗視装置、携帯型無線機。
 一度ザックから出して確認し、再び詰め込む。ザックのうえに今回の任務で一番重要となるレーザー照準器を置き、上蓋に挟んで縛りつけた。
 俺に比べると七飯の荷物は少ない。なにしろ火器の類を一切持ってい無いのだ。こいつの武器は、その頭の中にあった。通信機の暗号を記憶しているのだ。いわゆる暗号兵という奴だった。頭の中に、無線やレーザー照準で使う暗号を記憶している。俺は、いわばその護衛役、そして最悪の場合における最後の処理役も兼ねている。俺の持つシグ・ザウエルはそう言う意味を持っている。

「忘れ物は無いね?」

 七飯がそう聞いてきた。

「あぁ、お前もねぇだろうな?」

「なんとかね」

 苦笑い。
 こいつがそそっかしいのはよく知ってる。

「けど、驚いたよ。まさか第一危機即応連隊にいたなんて」

 俺から言わせれば、お前が自衛隊にいる事の方が驚きだ。
 七飯とは古い付き合いだが、なんでこんなところにいるのか、未だによく分からない。兵隊なんてガラじゃないだろうに。

「あぁ、聞いてねぇのか? 俺は出向組だ」

「出向?」

「連隊の補充要員が表向き、裏じゃどうやら連隊の影響を残して置きたい何処かの誰かさんが差し向けたらしい」

「じゃあ、元の部隊は?」

「機動化学科中隊、と言っても知らないか・・・」

「機動化学科中隊? 化学学校の?」

「なんだ、知ってるのか?」

 そう尋ねると七飯はにんまりと笑い得意げな顔で言った。

「僕は通信系だよ。機動化学科中隊、大宮の化学学校を本拠地としたカウンターテロ部隊でしょ? 空挺から二個普通科小隊を主力に、施設科、通信科、化学科を各一個小隊で編成された・・・」

「ごった煮部隊だ。もっとも、俺もつい最近入ったばかりだがな。
 そろそろ仕事にかかるぞ」

 無線機で上空を飛んでいるXEV-22オスプレイを呼び出す。 

「マザーシスター、こちらスケープゴート。降下地点についた、これより移動を開始する。送レ」

「こちらマザーシスター、了解したスケープゴート。出来る限りモニターする、君は一人じゃない。健闘を祈る。送レ」

「感謝するマザーシスター、オワリ」

 腰を上げ、歩き始める。歩兵は、歩くのが商売なのだ。これから山を二つ越え、敵の物資集積所を目指ざす。
 パスキル支援作戦、「夜の声」作戦は今夜2200時に発動される。その内容には、前線での敵の撃破だけでなく継戦能力を削ぐための後方での撹乱作戦も含まれていた。いくら第一危機即応連隊が、この世界において圧倒的な火力を持っているとはいえ、所詮は一個連隊の部隊でしかない。戦闘が長引けば、それだけこちらが不利になって行く。なにより、こちらの弾薬は、船団に載っているだけしかないのだ。有限の火力を有効に使うには、適切な誘導が必要だった。誘導員として送り込まれる隊員は、おそらくこの作戦でもっとも危険な任務を割り当てられたといえる。
 俺のような奴が、他にもいるのだろうか?
 ブリーフィングでは、そのような話は出なかった。捕虜になったとき、そこから漏れる情報を少なくするためだろう。下手をすれば、作戦全体に影響がでかねない。

「ねぇ、機動化学科中隊にいたってことは、実戦経験とかあるの?」

「静かにしろよ。俺が隊に入ったのは半年前だ。そうそうあるわけじゃない」

「どう言うこと?」

「俺はインスタントってことだ」

 もっとも、訓練だけはみっちりやらされたがな・・・。
 機動化学科中隊は、俺を隊員として見ていたかは怪しい。空挺降下が主な侵入手段であるはずなのに、一度もその訓練をしたことがない。水中からの侵入訓練も無かった。これでは、作戦に同行するのは難しいだろう。けど、その他の訓練ではまったく手を抜かなかった。それどころか、他の隊員達より多くの弾薬を持たせ、何度も射撃訓練をさせられた。射撃だけではない、白兵戦、行軍訓練、机上学習とさまざまな事を叩きこまれ、中隊にいた半年間は地獄のようだった。
 一つ目の山は山道の峠道を越えられたが、二つ目は道をはずれ山を登った。道の無い山を登るのは時間がかかる。
 日没が近づいていた。作戦開始まであと2時間。

「間に合うかな・・・」

 七飯がぼやいた。
 静かにしろよ・・・。
 けど、七飯の心配も分からなくは無い。時間に間に合わなければ、航空隊は夜闇の中、なんの誘導もなく爆撃を行わなければならない。それでは大した戦果は得られないだろう。それどころか急峻な山地では墜落の危険すらある。
 今まで一時間ごとに10分の小休止をとっていて、それをやめようかと考えたが、頭を振ってその考えを振り払った。それはただ疲労をためるだけだ。
 小休止の間に地図を見て、現在地を確認する。目的地まであと一時間というところか。

「ギリギリだな」

 七飯が暗視装置を掛け、コンパスを見ながら先行して歩き、その後に俺が歩数を数えながら続く。歩数で距離を計り、地図に記入しながら行軍する。
 目的地についたのは作戦開始から僅か10分前だった。そこは山の高台の上で、目標を望める場所だった。事前に航空偵察で目星をつけていたポイントだ。暗視ゴーグルで見渡すと、狭隘な山地のなかに僅かに開けた盆地があり、そこに目標となる物資集積所が設営されていた。

「すぐ準備するぞ。照準器をセットする、周辺を警戒しろ」

 ミニ三脚付きのレーザー照準器を地面に置き、物資集積所に向ける。小型軽量を第一に考え作られたレーザー照準器は、レーザー誘導爆弾を精密誘導させるほどの能力は無いが、目標の位置をXEV-22オスプレイを伝えることは出来る。物資集積場のような大型の目標ならば、十分な性能だった。

「OK、まわりに人気はないよ。そっちは?」

「クリアだ。よく見えてる。修道女を呼び出す」

 七飯の暗号を聞きながら無線機のチューナーを操作し、XEV-22オスプレイへ回線を開いた。 

「マーザーシスター、こちらスケープゴート。目標地点に到達、準備よし。送レ」

「マザーシスター、了解した。すでにノワールが向かっている。異常は無いか? 送レ」

「なし、目標にも動きは無い。主の降臨を望む」

「ノワール(黒)の神様って、大黒様のことかな?」

 七飯がふざけた調子でちゃちゃを入れた。

「黙ってろ」

「スケープゴート、どうかしたか?」

「なんでもない、シスター」

「ノワールは5分以内で到着する。誘導を頼む」

「了解、終リ」

 無線を切って顔をあげると、七飯が憤然とした顔をしていた。

「別に怒ること無いじゃん!」

「黙れ。まったく・・・、時間がない。照準器の調子はどうだ?」

「作動良好」

 しばしの間、そのまま待機する。
 爆撃は、俺にとってもまったくの奇襲だった。
 亜音速で侵入してくる航空機による爆撃は、音が聞こえると同時に爆弾が落ちてるという、不思議な事態を起こさせる。その真下にいた兵士達は、おそらく何も感じぬまま文字通り木っ端微塵になった。爆発は一度ではなかった。爆発で膨れ上がる焔は、収まる前にその意思を託すように、次の焔が沸き起こる。誘爆だ。補給品の中に弾薬や燃料があったのだろう。爆発はしばらく収まる気配を見せなかった。
 俺は、それを半ば現実とは思えない喪失したような心地で見ていた。目を焼く閃光をまぶしいとは思わず、頬を叩く爆風を痛みとは感じられない。奇妙な感覚だった。いや、感覚がなくなってしまったのだ。
 突然、膝が折られ、現実が頭を打った。

「七飯! 何しやがる!?」

「どうかしているのは、そっちだろう!? なにぼけっと突っ立てるんだよ!」

 あぁ、そうだな・・・。
 爆発が収まるのを待って、双眼鏡でもう一度、物資集積所を確認した。
 ひどいものだった。そこら中で火災がおき、事前に確認していた山積みになった木箱や缶はもはや跡形もなく吹き飛んでいる。その周りに焼け焦げになった消し炭が幾つも転がっていた。蠢いているものもあるが、じきに動かなくなるだろう。破壊の後の姿には、慈悲や情といったものを全て喪失させてしまう。あるのはただ、圧倒的なまでの現実だけだ。

「・・・こちらスケープゴート、マザーシスター。ノワールの攻撃を確認。スケープゴートは戦果をカテゴリーAと評価する」

 できるだけ抑揚を押さえた声で報告する。この現実を伝えるのは感情では無理だ。規定要綱に沿った言葉を選ぶだけだ。受領側もそれを求めている。
 ああ、まったく、カテゴリーA(最高)の戦果だよ。

「マザーシスター了解した、スケープゴート。敵はこれで前線物資の3分の1を破壊されたことになる。帰還ポイント・LZホテルへの移動を急がれたし、ヘリは手配済みだ。送レ」

「了解、オワリ」

 すぐに辺りの痕跡を隠し、移動する準備に入る。

「移動は別ルートを使うぞ。追跡されていたら鉢合わせになる」

「騒ぎを起こした後だし、慎重に行こう」



 今度は道を一切使わない移動だった。道は、どんな小道であっても緊張する場面だった。なにしろ遮蔽物の一切ないところを横切らなければならないのだ。捕捉されていたら、一発でやられる。
 突然、雲が光り、送れてどこからともなくドーンという遠い音が、山中にこだました。

「雷か?」

「違うよ 本隊の攻撃が始まったんだ」

 山の尾根に登ると、山々の輪郭がはっきりとわかるほど空が輝いていた。夜明けの光ではない。地獄の炎だ。戦火。稜線の向こうにある雲が瞬く。またドーンという音がこだまする。
 だが、ここで見ていると、それはなぜだかすごく遠くの出来事のように思えて来る。
 遠くの出来事だって?
 前線から僅か20マイルだぞ?
 重砲なら射程圏内だ。
 それに今さっき、敵の重要な補給所を破壊したばかりじゃないか?
 そこら中に、血の気立った敵がうろうろしている。

「いこう。今なら敵の注意もあっちに向いてるよ」

 そっと七飯が言った。
 尾根を降り、暗闇の中黙々と歩き続ける。小休止は挟んでいたが心持ち短めにした。歩いていた方が気が紛れる。警戒や気配への注意ではなく、今の状況や、これからの事についてだ。
 不安だった。突然、異世界に飛ばされ、今は戦争にまでなっている。まだ一月足らずの間にだ。今だに心の整理がつかない。不安定なままだ。そういえば、俺はずっと不安定なままだったな・・・。
 自衛隊に入ったのは、単に無職になるぐらいならという理由だからだ。なにかの見際めをしていたわけじゃない。そのためかいろんな隊をたらい回しにされたあげく、あの部隊に放り込まれ、今度はそれまでが生易しかったと思うほど過酷な訓練を受けさせなれた。今こうして歩いているのは、ほとんど条件反射みたいなものだ。無条件にひたすら歩くというのを、そのとき身につけた。
 いつも何か不安定なままだった気がする。曖昧、その一言に尽きるような生き方。
 七飯は、コンパスだけを頼りに歩き続けている。
 こいつとは随分古い付き合いだった。こんなところでも会うなんてなんとも腐れ縁だ。
 正直、俺はこいつが少し嫌いだった。いつもなよなよしていて、はっきりしない。
 けど、これじゃ俺も自分を笑えないな・・・
 その背中を見続けていると、俺がポイントマンだったらあんなに自信をもって先頭を歩けるだろうかと思えてきた。なにしろ、異世界なんてところに飛ばされては、土地勘なんてあったもんじゃない。天測をはじめ、今まで教わったオリエンテーション技術の半分はもう使えなくなっている。
 それなのに、七飯はしっかりとした足取りで前を進んで行く。それを妙だと感じるのは、きっと今の俺がなよなよしているからだろう。
 夜明け近くになって、ようやく俺は自分が不安なる理由を一つ見つけた。

「暗闇は、全てを飲み込む」

 そういうことだ。暗闇は人の心まで飲み込んでしまう。いくら暗視ゴーグルがあろうが、視力でほとんどの情報を得る人間では、暗闇ほど恐ろしむ対象はないのだ。
 それだけで、あの不安感を全て否定しようとは思わない。ただ、明りが出てきた事で、すこしだけ心が軽くなった。無論、周囲への警戒は今まで異常に引き締めなければならないのだが。
 帰還ポイントの空き地まではもう少しだった。
 思えば長い日だった気がする。時間にすれば、まだ基地を出て24時間と経っていないのにだ。なんとも疲れた。この作戦の参加者は、作戦が終了した後には、ほぼ基地で休息を取る事を許されるはずだった。まさか、俺だけは一発の銃弾も撃っていないからと言って、これからあの空を焦がすほどの戦場だった場所で死体漁りをしろなんて言われないだろう。
 無意識に苦笑が零れる。
 前を歩いていた七飯が突然立ち止まった。

「おい、どうした?」

 咄嗟に銃を構え、小声で尋ねる。

「まずいよ・・・、これを見て」

 七飯が足元の折れた枝を指差した。

「誰かが先を歩いてる。折れた部分が乾燥していないから、まだそんなに時間は経ってない」

「先回りされたって言うのか?」

「ないと思うよりはあると思ったほうがいいよ。道を外れて、この痕跡を追跡しよう」

「ヘリが到着するまで時間がないぞ? この遠地じゃ空中待機にも限界がある」

 けど、議論している時間もないのは確かだった。結局、七飯の言う通り道を外れ、道と平行するように歩く。痕跡は間違いなくLZとなる空き地へと向かっていた。
 七飯が足を止め、人差し指を立てて口を当てると、そっと茂みの向こうを指差した。音を立てぬよう注意を払い、その方向を覗き込む。空き地の切れ目にある茂みの影にラプトルを引き連れた2人組の兵士が、膝を付き座っていた。睨むような視線は、まっすぐ空き地の方向いている。

「畜生、なんで奴らヘリボーンを知っているんだ」

「ヘリボーンやヘリコプターを知らなくても、ヘリの特徴がわかればこれくらい思いつくよ。僕らは彼らの目の前でヘリを飛ばしていたんだ」

「どう言うことだ?」

「ヘリは翼竜と違って翼をたためない。少なくてもローター分の半径はある空き地が必要だ。それさえわかれば、ポイントを特定して待ち伏せすることも出来る」

 すばやくその場から離れ、身を隠しやすい窪地を見つけると周囲を警戒しながら無線でXEV-22オスプレイを呼び出す。

「スケープゴートより、マザーシスター。緊急コール、LZホテルは敵が待ち伏せをしている。ヘリを退避させろ。送レ」

「マザースシター、緊急コール了解。状況を詳細に報告せよ。送レ」

「敵はヘリの着陸ポイントを特定しているもよう。他の予備LZも同様の状態だと推測される」

「スケープゴート、それは君の潜入がばれていると言うことか?」

「いい仕事をしすぎたらしい」

「スケープゴート、別のピックアップ手段をこれから検討する。ステータスは?」

「弾薬の消耗はない。レーションは一日分だが、食い伸ばせば三日ぐらいは持つ。足りないのは神様の幸運だ」

「了解、祈っている。定時連絡を欠かすな。三回途切れたら、司令部はMIAと処理するぞ」

「了解。オワリ」

 MIA、作戦中行方不明と言う奴だ。殆どの場合は死亡と同じ意味をもつ。生きているのに死亡なんてごめんだ、幽霊みたいじゃないか。その時点で、司令部は俺に対するあらゆる救援活動を終了するだろう。
 地図を広げ、LZのところにペケをつけてゆく。ヘリボーンはしばらく使えない。そうなると自力で味方の戦線までいくことになるが、今行くと敵の敗残兵とぶつかる可能性もある。

「追跡隊はどれぐらいかな? 夜の攻撃を考えるとあまり大部隊の兵員を割けるほどの余裕はないと思うけど、それでも他のLZにも見張りを付けているなら中隊規模ぐらいはあるかもしれない。確認しよう」

「敵に接近する事になるぞ」

「その敵が、どれぐらいの兵力なのか知らなきゃ、こっちも身動きの取り方が違ってくるよ」

 ああ、まったくこいつの言うことは正しい。
 俺は忘れかけていたが、全部あの中隊で習ったことだ。

「ポイント2-85の小山に上ろう。ここからなら西に平地が見下ろせる。敵の指揮官は、分散させた兵力を一旦集めようとするだろうから、それが見えるかもしれない」

「わかった」

最終更新:2009年01月06日 21:28