更に数ヶ月の月日が経った。
文字はもう完全に覚えた。練習のための紙と墨の代金が高額だったり、たまに文法で間違えるところはあったりするが問題はない。
おかげで最近は、織田家で事務方の仕事もやらせてもらえるようになった。
それまではたまに信長様に面会して、世界の歴史や産物、地理、そして俺が持っていた本について語らされるのが主な俺の仕事だった。

俺がここに飛ばされ、鞄ごと荷物が没収されて牢に閉じ込められていた時、信長様はその俺の鞄に入っていた書籍を読む機会があった。
読んだ本は、植物図鑑と化学や数学の教科書、簿記の参考書だったらしい。

ただ、植物図鑑は兎も角、化学や数学、簿記で使われているアラビア数字は流石に読めなかったため、書いてある内容が理解できなかったようだ。
但し、本に使われている素材や本にプリントされている写真に強い興味を抱き、ついでにそれらを持っていた俺にも好奇心を持ったそうだ。
それで俺を召抱えて内容を聞く事にしたみたいだ。ただ、その時点で既に海外の状況も詳しく知りたいようであったが。

まぁ、それらの本以外にも、鞄にはこの時代の人間に見られたら特にやばい本が入っていたのだが、鞄の中に更に収納スペースがあることに気づかなかったようなのでスルーされたようだ。
ジッパーを飾りか何かだと思ったのだろう。元々、鞄自体は最初から開いていたから中身は簡単に見れたのだろうが、ジッパーのついている部分は開けられた形跡がない。
でなければ、真っ先にその本について問い詰められているだろうと身震いする。

まぁ、俺の仕事はそういう楽なものだったので悠々自適に生活できた。
自分の屋敷も貰い、最初は日常生活で苦労を強いられたものの、俺の世話のために女中さんを三人付けられてからは相当楽だった。
自分の主観であるが、全員可愛らしい容姿をしていたというのも目の保養から言ってよかった。
ただ、問題は背が低くて、まだ子供にしか見えないというところで、それが俺の罪悪感をチクチク刺激してちょっとストレスを感じたという事だろう。
この時代では平均身長自体が低い。だから、それはもう仕方のないことなのだと諦めるしかないのだが、慣れるまでまだ多少の時間が必要に思えた。

まぁ、とりあえず、俺の生活自体はそれなりに不満はあったものの、最悪なまでに悪いというわけではない。
そうして毎日が穏やかに過ぎていく―――はずだった。

だが、そうなる事は無かった。
この数ヶ月の間で、俺は決定的に変わる事を余儀なくされた。

思えば、最初から俺は色々と楽観視しすぎたのだ。
それは現実逃避だったのかもしれないと思う……いや、事実そうだったのだろう。
命の価値がとことん軽い戦国時代に自分がいることを認めたくなくて、無定見に何とかなるとか大丈夫だとか決め付けていた。
ただ、そういう気楽さによって、異常な状況に置かれた自分の精神を安定させる事が出来たのは良い点ではある。
ひょっとしたら、自分の無意識が俺の精神を守るために、そのように考えさせたのかもしれない。



気晴らしに書いた現実から戦国 第三話「戦国時代の現実」



「親父様! ただ今帰りました!」

玄関から聞こえる元気な子供特有の声。
俺はそれを聞くとニコニコしながら声の下へと歩みを進めた。

向かった玄関にいたのは、やはり子供、男の子だった。
この時代では、さして珍しくない麻布の衣服を身に纏い、ちょこんとそこに立っていた。

俺はその男の子に優しく語り掛ける。

「ああ、平太郎おかえり。五郎と三郎太はどうしたんだい?」
「二人は荷車を片付けています! オイラは皆で帰ってきたって、親父様に伝えにきました!」
「そうか。じゃあ、手足の土を洗い落としてきなさい。団子を用意させるから、二人が戻ってきたら皆で一緒に食べよう」
「はい、親父様!」

ぺこっと一礼して小走りに去る平太郎。
俺はそれを見て一息ついていた。

今、俺の屋敷には自身を含めて男が六人、女中三人を含めて女が八人、全部で十四人が住んでいる。……かなりの大所帯だ。
ただ当然ながら、これら全員に対して血縁関係はない。その殆どが個人的に引き取ったものたちである。
そして、引き取った彼ら彼女らは孤児だった。

この戦国時代において、戦災孤児というものは全く珍しくない。
それこそ幾らでもいるし、そうした者達が野垂れ死ぬのも当たり前の時世だ。

また、孤児は戦災孤児だけというわけではない。
医療がまだまだ発達していない以上、流行り病で親がぽっくり亡くなってしまうこともある。
乳児の死亡率だって信じ難いほどに高いし、その母体である母親も出産で亡くなる危険が大きい。
それに事故で川に落ちたり、高所から転落したり、何かと死ぬ危険はある。様々な事に対して安全基準が確立されていない事も大きいだろう。
これらを原因としながら、戦国乱世という混迷の時代が孤児の発生を助長させていると言える。

そして、俺はそういう状況で、親を亡くし、親戚にも引き取られず、自力で生活していく力のない孤児たちを引き取って面倒を見ていた。
最初は同情心からだった。現代の日本社会で生まれ育った俺にとって、この時代の孤児たちがそこらの道端で野垂れ死んでいく姿は衝撃的でありすぎた。
引き取ったあと、まずは看病が必要だった。酷く痩せて弱っていた子らが多く、それらには女中に命じ、米の研ぎ汁を温かくして少しずつ与えた。
いきなり粥や飯を与えると、胃がやられ、最悪死ぬ危険性があると判断したからだ。
あとは、お湯で濡らした布を使って身体を拭いたり、暖かくさせて寝かせたりした。
それでも亡くなる者が出る。その度に悲観に暮れもした。

だが、亡くなる者もいれば助かる者もいる。そういった者たちは、継続して面倒を見ていった。
順調に回復していくと、彼らはとても俺に懐いてくれた。感謝してくれた。そして俺のために働きたい、何かしたいと言ってくれた。

これが兎に角、嬉しかった。気恥ずかしさも感じていたが、それを超えるくらいに嬉しかった。
それにまだ俺は自身のことを一介の大学生に過ぎないと考えていたのに、彼らは俺のことをとても慕って親父様と呼んできた。
父親と呼ばれるにはまだまだ早いと感じていたし、お兄さんと呼んで欲しいとも思ったが、この時代では俺くらいの年の父親なんてたくさんいる。
だから、好きに呼ばせることにしていた。そのまま家にも置いた。教育も始めているし、武芸は教えられなかったが、基礎体力トレーニング程度なら教えていた。教えるたびに彼らは喜んだ。

充実感があった。
大学生として学校に通っていた頃は、ただ将来を漠然と考えて、毎日を無為に生きているだけだと感じていた自分にこんなにできるとはまるで思っていなかった。
なのに、ここではこんなにも感謝されて、喜ばれている。これ以上のことはないと、深く感じた。

だが、俺は現実的な問題にも直面する。経済的に限界になりつつあったのだ。
あくまで手持ちの金は信長様から頂いた20貫。数日面倒を見るだけなら十分だ。
だが、長期的に、そして大人数をとなると話が違う。とてもじゃないが、面倒なんて見切れない。

この事に気づいたときの絶望感は重かった。とことん、重かった。
所詮、俺の経済状況で引き取れる数なんて高が知れていると、気づかされたのだから。
俺が救える数には限りがある。俺の手は、そんなに長くは無かったのだ。

でも、俺はこの事に関しては簡単に諦められなかった。だから考えた。何か方法があるんじゃないのかと。
そして考えた末に結論を出した。出世だ。織田家での出世、栄達。

結局、俺の手を伸ばすには、より多くの孤児たちの面倒を見るには、出世するしかない。
だから織田家で働く。そして、家中のものたちにも信頼され、何より信長様に気に入られるのが大事になる。
そうすれば、出世もしやすい。立ち回りが重要になるだろうし、他者からの妬みや恨みを買いかねないが、それでもやらなければならない。
だから、どれだけ屈辱的なことだろうと我慢しよう。出世できるなら媚も売ろう。腹黒いことだってやってやる。

……もうその覚悟は出来ているのだから。

すぐには上手くいかないだろう。しかし、焦らずに慎重に動く。
それに具体的な用途こそ、ろくに考えていなかったが、既に将来のために硝石作りで資金も集めている。これもいずれ何かに生かされるはずだ。

勿論、この資金から孤児たちの養育費も一部出している。清い金とは言えないが、それでも孤児たちのためになるのなら使うに決まってる。
だが、あまり派手にやりすぎれば俺のしている事がばれて、俺も彼らも首を刎ねられかねない。そうなれば本末転倒だ。
だから、多くの孤児たちを満足に助ける事が出来ない現状に我慢しながら一歩一歩、確実に前に進むしかない。
不正に得た金銭によってコソコソ動くのではなく、堂々と大手を振って、大勢の孤児たちを助けれるようになるためには、それしかないのだ。

「親父さまー、片付け終わりましたー!」
「ましたー!」

長々と考え事をしているうちに、もう残りの子供たちが帰ってきていた。
すぐさま帰ってきた彼らを暖かく微笑んで出迎える。

「おお、おかえり。五郎も三郎太も、ご苦労様。団子を用意させるから、手と足を洗っておいで。平太郎はもう向こうにいるから」
「はい!」
「はーい!」

はしゃいで走り去る彼らの姿を見て、自然と胸中に穏やかな気持ちを抱く。
彼らには、ずっと笑っていて欲しいと、つくづく思う。そして、彼らを見守り育む事こそが今の自分の役割なのだ。
そのように己の使命感を更に強め、決意を新たにする。

―――この両手で、より多くを絶対に救い上げてみせる。たとえ、どんな事をしようとも。




最終更新:2008年12月05日 19:46