激闘!マレー沖海戦



 12月7日
 この日、今だかつて無い航空攻撃が行われた。言わずと知れたハワイ作戦である。日本の空母戦力を結集し、作戦参加機は第一波第二波あわせて360機にのぼる攻撃により、アメリカ軍は戦艦アリゾナ撃沈以下17隻の艦艇に損害、航空機231機を損失し、4000人近い戦死者を出した。
 日本側も攻撃により、29機の作戦機を失い、特殊潜航艇に至っては全艇未帰還という結果をもたらしていた。

「日本の布告通牒が遅れたようです」

 飛鳥のヤクト・ヒュッテで、馬場が言った。
 いつも余裕を持った表情ではない。めずらしく少し憂鬱そうな顔だった。

「まずいかなぁ」

 と成瀬社長も溜息をつく。

「良くはないでしょう。まぁ、宣戦布告は戦争の常識なんていうのは一部の偏見でしかありませんが、これでアメリカ世論を敵に回した事は確かです。彼らは団結しますよ、『真珠湾を忘れるな』といって」

「どの道避けられん道だったさ、先の大戦で燻ったものが今頃炊きついて来たんだ。ハルノートなんぞきっかけに過ぎん。この出航のための油を集めるのにどれだけ苦労したか忘れたわけじゃないだろ?」

「要約しすぎですよ、それ」

「歴史の講義なら他所に任せる。さて、我々の当面の敵はイギリス軍だ。状況はどうなってる?」

「山下将軍の第25軍司令部はシンゴラに上陸しました。その他の部隊も各上陸地点に結集中。タイとは軍隊通過協定を結んでおいたので問題なかったようです。最大の懸念であったコタバルも二日前の上陸作戦を無事完遂したことで払拭されました」

「これで、当面の問題はシンガポール港に停泊している東方艦隊か」

「ええ、それについては・・・」

 「失礼します」といって霧神がヤクト・ヒュッテに入ってきた。

「無線室が、潜水艦の無線を傍受しました」

 潜水艦の無線を傍受した、と聞いても成瀬社長はそんなに驚きはしなかった。なにしろここは『ルフト・クーリエル』社なのだ。軍隊の無線傍受一つもせずに、世界の海を渡っていたわけではない。

「発・伊65 宛・第五潜水戦隊司令部 敵レパルス型戦艦二隻ヲ見ユ。位置コチサ11 進路340 速度14ノット 1515時」

「コチサ?」

「コチサといえば、この先ですよ」

 馬場が海図に歩み寄り確認した。

「日本海軍は?」

「小沢提督指揮下の馬来部隊は、現在シャム湾にいるはずです」

 と霧神。

「遠いな・・・、反転しよう。このままでは海軍より先に、我々が英軍とかち合うことになるぞ」

 実際、海軍から飛鳥を含む輸送船団に揚陸作業の中止とタイランド湾北方への避退が指示されたのは、その二時間後だった。つまり、それは小沢提督に二隻の英国戦艦の存在が報告されたのが、飛鳥の無線室より二時間後だったということだった。

「馬来部隊が偵察機を出したようです」 

「両軍の接触は時間の問題か・・・。これは夜戦になるな」

「小沢提督の狙いもそうでしょう。しかし、馬来部隊は重巡が旗艦ですから砲火力では戦艦をもつイギリス海軍に劣ります。火力の差を埋めのために、肉薄雷撃を行うつもりだと思われます。ですが」

「なんだ?」

「天候が悪化しています。伊65の発信地点付近まで偵察機が行く事は可能だと思われますが、後続の馬来部隊が行く頃にはスコールになっているでしょう。万一遭遇戦になったとしても、波浪で雷撃は有効とは思えません」

「つまり、今夜のうちには決着がつかないと言うことか?」

「そうです。明日になれば天候も回復しますから、サイゴンの海軍航空隊も活動を始めるでしょう」

「航空攻撃か・・・、だが、今回はタラントやハワイとは違うぞ。戦闘航行中の艦隊だ」

「確かに効果は未知数です。しかし、まったく無視できるものではありません」

「では、我々はどうするか?、だ。なるべくなら戦闘域には居たくないな」

 このころは、まだ空母と戦艦では戦艦の方が有効であると言うのが通論だった。たしかに射程と言うてんでは40キロ先に砲弾を飛ばす戦艦より、400キロ先に爆弾を落とせる艦載機のほうに分があるだろう。しかし、戦艦は、海に浮かぶ要塞とよばれるように防御力が高く、防空火器の搭載数も他の艦種より遥かに多い。それに比べ空母は防御力が脆弱であり、搭載火器も対空用がほとんどで直接対決では圧倒的に不利だった。

「天候の回復を待って、こちらも索敵を出しましょう。敵の位置さえ知れば、迂闊に近づく危険を減らせます」

「なら、当分はこのまま北上だな。馬来部隊の背後に回り込もう」

「馬来部隊と接触するのですか?」

 霧神が怪訝な顔で尋ねる。海軍部隊との不用意な接触は、ルフト・クーリエルにとって不にはなっても良にはならない。ただでさえ今回は、『陸軍』の船団を護衛するという仕事を請け負ったため、『海軍』から目を付けられる事になった。しかし、開戦からまだ数日、海軍がハワイやらフィリピンに上陸するため船団を用意していたというならともかく、そう言う事はしていないのでルフト・クーリエルとしては陸軍から仕事をとるしかない。

「ミクロならノー、マクロな意味ではイエスってところだな」

「英国艦隊を撃滅するのは、たしかに脅威を排除できるのですから船団護衛でしょう。けど、それは海軍の仕事ではないでしょうか? 横から手を出しても煙たがられるだけだと思いますよ」

 仮に飛鳥が英国艦隊を撃滅しても、海軍はいい顔しないだろうと霧神には思えた。というか、まず、そんなこと無理だ。
 「いや」と成瀬が首を振って否定した。

「霧神の言うとおり、英国艦隊の相手は海軍の仕事さ。そりゃ撃滅できればベストだろうが、リスクがでかすぎる。出来るかどうかもわからない。しかし、我々の仕事はあくまで船団護衛だ」

「馬来部隊に随行しても、英国艦隊には手を出すつもりはない、と」

「今の状況で、英国艦隊が船団にとって最大の脅威であることにはかわりない。しかし、脅威の排除はイコール英国艦隊撃滅ではなく、船団の安全を守ることだ」

 霧神が、口元に手をあてしばし考える。

「ああ、なるほど。馬来部隊を囮にするのですね?」

「囮とは人聞きがわるいな・・・」

「我々の立場からすれば、馬来部隊は囮に他なりません。このまま馬来部隊に付いて行って、戦闘になったらとっとと逃げ出そというわけでしょう? 馬来部隊との戦闘の時点で、英国艦隊の位置が判明しますから我々は回避航路を船団に送ればいい。そんなところですか?」

「まぁ、そんなところだな」

 言いたかった事を全て言われてしまったため、口をへの字にまげて成瀬が答えた。

「今の英国艦隊に散兵戦術を使うメリットはない。各個撃破されるのがオチだからな。そして、英国艦隊を発見すれば、我々の仕事は終わったも同然だ。あとは海軍の仕事さ」

 成瀬は話をしながら、本来コレは飛鳥のような船がするべきでないとも思っていた。もっと小型のできれば駆逐艦のような船がするべきだろう。同じような事は霧神や、ヤクトヒュッテの他のスタッフも幾人か思っているだろうが、口には出さなかった。ルフト・クーリエル社にある船は、唯一この飛鳥だけだ。無いものねだりしてもしかたが無い。 
 天気は、暗くなるにつれ徐々に雨の勢いが増してゆき、午後九時ごろには視界ゼロの驟雨となった。

「ひどい時化だな・・・」

 窓に叩きつける雨を見ながら成瀬は誰にともなく呟いた。ヤクト・ヒュッテには成瀬以外に人影が見えない。本格的な戦闘が明日になると言う予測から、ヤクト・ヒュッテの要員は早めに休ませていた。飛鳥の航海自体は甲板上部のアイランド・ブリッジに置かれた航海艦橋で行われるため、航海だけならばここは無人でもかまわないのだ。
 雨音にまじってかすかに爆音が聞こえた気がした。

「・・・なんだ?」

 時間が経つにつれ、爆音は確かなものになる。気になった成瀬は、インカムで航海艦橋を呼び出した。

「発動機の音がするが整備中か?」 

「いえ、整備はすでに終わってます。こちらでも聞こえますが、これは外ですよ」

 航海艦橋の当直係が答えた。

「外? こんな嵐に飛んでる奴がいるのか?」

「それと、これは私の勘ですが、日本軍機のものです。・・・金星系ですね、おそらく九六式陸攻です。編隊で低空を飛んでます」

「って言うことは、サイパン基地は活動中ということか? そっちからは見えるか?」

 飛行甲板の前部直下にあるヤクト・ヒュッテでは、上空に対する視界が悪い。もともと、なるべく直接視認以外の情報で作戦立案のためにスペースを確保できる場所と言う配置ということで決められた位置なので、対空監視は両端のウィングと航海艦橋に任せていた。

「はい、10時方向、三機編隊で飛んでます。接近中」

 爆音がドンドン近くなる。

「我々を見つけたかな?」

「はい、おそらく・・・」

 突然、窓が光った。成瀬は窓に近づき、発光源を見遣る。チリチリと輝くマグネシウムの明りだった。

「・・・ん? 吊光弾?」

「社長! 狙われてますよッ!」

 インカムの声が霧神に替わった。急に繋がったところをみると、どうやら通信室から掛けてきたらしい。事務室と通信室はすぐ隣に置かれているので、外の異変に気付き連絡を取ろうと通信室に来たのだろう。

「あぁ、やっぱりそう思うか? 艦橋、様子はどうだ?」

「二手に分かれた。左右から挟撃するつもりです」

「この波で攻撃は難しいと思うけどな。霧神、連絡はついたか?」 

 霧神がインカムに出た時点で、すでに頭上の航空機に無線や発光信号を試しているだろうことは成瀬には予測がついていた。

「駄目です。発光信号は通じてませんし、無線は周波数がまだ特定できません」

 さすがの『ルフト・クーリエル』社でも、航空機の機載無線まで把握はしていなかった。もともと今まで係わり合いがなかったのだから仕方ないのだが、今回はそれが裏目に出た。

「わかった。サイゴンの松永司令に打電しろ。中攻3機『鳥海』上空にあり、吊光弾下にあるは『鳥海』なり、だ」

「鳥海?」

「ここは海軍を装った方がいい、時間がないからな。間に合わずに爆弾が落とされたらたまらないだろ?」

 確かに、先の潜水艦による敵艦隊発見の報は2時間遅れで第三艦隊に届く事態だったので、ここは民間船だというより、海軍を装って打電したほうがいいというのが成瀬の考えた。この悪天候なら艦影ぐらい誤魔化せるだろう。
 ほどなくして、上空にいた三機の九六式陸攻は基地からの通信により引き返すことになる。
 しかし、ここで思わぬ事態が生じた。基地からの返信、「三機の九六式陸攻は、命令を受理、攻撃を中止した」という報を鳥海が受信したのだ。鳥海としては寝耳に水の話だった。

「危機一髪だった・・・」

 鳥海の艦橋で小沢提督が呟く。

「この悪天候では、これ以上の強行は危険だ。一旦、離脱し南方部隊本部と合流しよう」



「しかし・・・、お前さんも仕事熱心だね」

 飛鳥の飛行甲板で武生は呆れまじりな口調で、九六式艦攻に乗り込む馬場に言った。

「なにしろ開戦してまだ二日目ですからね。ゆっくりしてられませんよ」

「けど、その格好はどうにかならんのか?」

 ハーネス付きの救命胴衣こそ付けて入るものの、馬場はいつものようにビジネススーツを着ていた。

「ビジネススーツは営業マンの戦闘服です!」

 馬場が胸を張って答える。
 やれやれという顔の武生の横で、成瀬が苦笑した。

「25軍の山下将軍にはよろしく言っておいてくれ。まさかシンガポールまで付き合えなんて言われないようにな」

「次はもう少し楽な仕事を貰えるようにしましょう」

「馬来部隊の戦闘は確認されていません。英国艦隊の動向は不明のままです」

 霧神が短く状況報告をした。

「無線傍受では伊58の報告から英国艦隊はシンガポールに向かうため南下しているものと予想されますが、警戒は疎かにしないでください」

「ああ、こいつをコタバルに下ろしたらすぐ帰ってくるよ」

 軽く手を上げて答え、武生も九六式艦攻に乗り込む。機上の二人が始機チェックを済ませ、整備員の手によって九六式艦攻のエンジンが始動された。離陸速度が遅いと言う複葉機の数少ない利点のおかげで、発艦はカタパルトを使わず合成風力だけで何とかなった。

「英国艦隊かぁ、そうえば今朝には馬来部隊も居なくなっていたんだよな?」

「えぇ、嵐の中で見失ってしまったようですね」

 馬来部隊を見失った事は飛鳥にとって、暗闇で灯りを失うのと同じだった。無論、成瀬や霧神はすぐに手を打った。馬来部隊を見失った段階で、見張り員の数を大幅に増やし、無線の傍受にも力を入れていた。偵察機はまだ使っていなかった。その理由はパイロットの技量によるもので、たしかに七尾と巣南は優れた技量を持っていたが、艦載機パイロットとしての洋上航法など経験不足であることは否めない。飛鳥のパイロットの中で、一番高い技量を持っているのは武生に違いは無く、成瀬はまず武生に連絡員となる馬場を乗せることにした。英国艦隊の動向を知るためには、どうしても飛鳥だけでは能力として不足になる分はいなめない。そこで、他の場所からも情報を集めるために馬場を送るわけだが、そのパイロットにもっとも確実な武生を使うのは、ある意味では賭けにも等しい。むろん、馬場にはそれだけの能力をかっているという意味でもあるが。
 武生と馬場を乗せた九六式艦攻は、すぐ北上するのではなく一度西に向かっていた。
 消去法からいけば昨日の馬来艦隊が南下したルートと英国艦隊のルートが交錯する可能性は低い。さらにここからまっすぐ北では、基地航空隊の偵察機による索敵網が濃密になる。武生の狙いは西に行く事によって、わずかでも索敵網の空白地帯を埋めることだった。

「ところで、俺たちが英国艦隊を見つけたらどうするんだ?」

「まず、飛鳥に通報して、それから海軍なり陸軍なりに通報します」

「信じるか? 奴らが」

 武生がムスッと顔をしかめる。
 彼らの立場は、軍からはあまり歓迎されていない。勝手にしゃしゃり出てきたのだから、同じ海を生業とする海軍の反感は相当なものだった。もとより「船団護衛など女子供の仕事だろう」ぐらいとしか考えて無かったため、かろうじて『ルフト・クーリエル』の活動を認めてはいたものの、コタバルでの爆撃機撃墜などの派手な戦果は、現場ではともかく司令部クラスだと好意的とばかり受け入れられていない。

「嫌われ者には嫌われ者らしいやり方がありますよ」

「また、昨日の夜みたいに海軍艦艇を装って無線打ったりするのかい?」

「うちの通信課の仕事は早いですからね。今朝には、もう海軍の航空無線も特定したらしいです。あの後も航空機は飛び回ってたようですから」

 馬場は、そこで一度言葉を区切った。

「まぁ、いればですけど」

「いるんだ」

 武生の鋭い視線が、水平線上に現れた影を捉えていた。

「えっ?」

「敵艦見ユ、だ。すぐ飛鳥に知らせろ」

 叫ぶや否や九六式艦攻は横転降下を行い速度を稼ぎながら艦隊に接近する。艦隊の規模が見えてきた。戦艦二隻に駆逐艦が五隻ほど、戦艦のうち一隻は、四連装砲塔の上に二連装砲塔を載せるという特徴的な配置になっている。間違いないプリンス・オブ・ウェールズだ。武生は、さらに高度を下げながら戦艦へと向かった。

「ちっ、ちょっと! この機体には爆弾も魚雷も積んで無いんですよ!」

 無線機を扱っていた馬場は、九六式艦攻はプリンス・オブ・ウェールズに肉薄している事に気付き慌てて叫んだ。

「そうえば、やけに身軽だったな・・・」

「気付いてください!」

 「ええぃ!」と武生は操縦桿を倒し、急いで戦艦から離脱する。戦艦からの攻撃はまだなかった。彼らとしても、突然現れた複葉機に、どう対応するか戸惑ったのだろう。もしかすれば、それは味方のソードフィッシュかもしれないと勘違いしていたのかもしれない。しかし、九六式艦攻が横転旋回によってその姿を晒した事は皮肉にも彼らの対応を決定づかせた。

「敵機だ!」

 機関銃座が一斉に火を吹き始めたが、そのころには九六式艦攻は射程外に逃げ延びていた。

「どうするんだ、これから? 飛鳥からなんか言ってきるか?」

「このままコタバルへ行って知らせてきてくれだそうです」

「コタバルに向かう? 飛鳥に積み込んであった艦攻はこれ一機だろ? どうするつもりだ?」

「きっと、何とかするんじゃないですか?」



「何とかしなきゃならん」

 ヤクト・ヒュッテで武生からの打電を受け取った成瀬は海図板に歩み寄った。

「このままだと、コタバルをみすみす砲撃されることになるぞ」

 霧神は海図版の上に英国艦隊のコマを置く。馬来艦隊のコマは仏印南方上で戦艦二隻を含む近藤中将指揮の本隊とセットで置かれていた。

「馬来艦隊は間に合いそうにはないですね。距離が遠すぎます」

「まったく、通報するだけでも事だってのにな」

 船団護衛が目的であるはずのルフト・クーリエルが、この状況に対し行動をおこすかどうかは、微妙なところだった。英国艦隊の位置がわれた時点で、飛鳥は予定通り輸送船団に避難航路を送り、自船も回避進路を取っている。しかし、コタバルはそう言うわけには行かなかった。ここ二日間でタイから越境して来た増援部隊も合わせ部隊を再編している途中で、すぐに行動できる状態ではなかった。また、これから始まる南下作戦のための物資も大量に置かれている。これらが焼き尽くされれば、日本軍の馬来作戦は事実上頓挫するかもしれなかった。もし、そのような事になればルフト・クーリエルはその存在意味を失う事になる。いくら船が守れても積み荷が守られなければ意味が無い。船から降ろした時点で、管轄外ではないのかと言われるかもしれないが、現状ではそれはただの詭弁となるかもしれなかった。

「現状では、我々が足止めするのが得策でしょう」

「しかし、どうする? 対潜用の6番爆弾程度じゃかすり傷にしかならんぞ」

 尋ねる成瀬に、海図から顔を上げた霧神は少し鋭い目つきになって、「社長」と見遣った。 

「海軍の工廠から持ち出したのは大和の副砲だけですか?」

「・・・なんだよ。藪から棒に」

「15センチ砲は、たしかに駆逐艦程度の相手となら渡り合えますし、コルタバルでは役に立ちました。しかし、わざわざ連合艦隊の新旗艦から取り出すようなものでしょうか?」

「おいおい、あれは元々飛鳥の・・・」

「この船に詰まれていた物は、舷側ではなく主砲後ろに搭載されたモノでした。社長も知っているはずです。事を隠すために事を起こす。計略の基本ですね」

「計略とは人聞きがわるいな・・・」

 言葉切れの悪く喋る成瀬は、ふぅと溜息を吐くとやれやれという顔で白状した。

「まさか、こんなにも早く切り札を出すとは思わなかった・・・」

「では、倉庫にあるアレを使用します。6番爆弾より効果はあるでしょう」

「しかし、よくあんなもの気付いたな。うまく隠したと思ったのに」

「主計課ですから」

 あまり答えになってない気がすると成瀬は思ったが、そんな成瀬を無視して霧神は「では、準備をしてきます」とヤクト・ヒュッテから出ていこうとした。

「おい、この船に積んである艦攻はさっき武生が乗っていっちまったぞ?」

 そんな事には気付いたますと言いたげに霧神が振り返った。

「社長は先ほど仰りましたよ? 何とかするんです」



 ついに来るべき時が来たか・・・。 
 七宗は愛機He112と一緒にエレベーターで上がったところで、目にした光景にそう思った。
 飛鳥の飛行甲板上では、今は蜂の巣を突付いたような大騒ぎになっていた。出撃機は自分も含め僅か三機、それでこの騒ぎと言うのはこれが今までのような連絡や哨戒のための発艦でなく。初の攻撃のための発艦になるからだろう。野次馬の数がいつもより多い。
 忙しく動き回る整備員を避けながら、艦橋まで走り出す。途中、大型の台車が目の前通り過ぎる。それに載ったものに七宗は気を取られた。
 あれは・・・。
 振り帰ろうとしたが、その前に「こっちだぞ」と巣南に呼ばれ、そのまま艦橋まで走った。
 艦橋のところまで着くと、なぜか飛行服姿の成瀬社長と霧神がいた。

「よし、これで出撃メンバは揃ったな。急いでいるから状況は短く言うぞ。先に出て行った武生が、英国艦隊を発見した。この位置だ」

 壁にかけられた黒板に、成瀬は船のような絵を書く。艦橋の所に大砲みたいな物がついているのは、たぶん戦艦を表したいらしい。黒板にはすでにマレー半島っぽい絵が書かれていた。「で、今俺達がこのヘンにいる」ともう一つ、戦艦からすこし右の方に、もう一つ船みたいなを描く。艦橋を四角く描いたのは、飛鳥がアイランド艦橋だからのようだ。

「俺たちは、この英国艦隊を攻撃する。以上だ」

 飛鳥から、戦艦まで真っ直ぐな矢印線を描いて成瀬はチョークを叩いた。
 「えっ?」と一瞬、七宗はあっけに取られた顔をする。

「あの、これで終わりですか?」

「そうだよ。急いでるから」

「そんな無茶な」

 なにしろ、ほんの10分前まで部屋で寝ていたのだ。同室の巣南に叩き起こされ、顔も洗ってないまま、飛行服に着替えここに来ている。
 成瀬社長より先に、霧神が前に進み出て答えた。

「航法は私がHs126で行います。二機はその後を追ってきてください」

「攻撃って、だいたい二機とも戦闘機ですよ? どうやって戦艦なんか・・・」

 言いかけて、七宗ははっとした様子で後ろを振り返った。
 先ほどの台車が自分のHe112に止められている。そして、その台車に乗っていたものが、今まさにHe112に取り付けられようとしていた。

「・・・随分大きな増槽だな」

「現実逃避は止めろよ」

 遠い目になる巣南の肩を叩き、七宗は振り返って尋ねた。

「魚雷ですか?」

「研修期間の評価では、二人とも雷撃技量でAを取ってますね」 

「雷撃Aって言われても・・・」

 なにしろ、その雷撃評価というやつは、どれだけ低空飛行が出来るかという単純極まりないものだけで評価された怪しいものだった。しかも、七宗と巣南の二人は互いをビビらせようとした結果、地面を舐めるような超低空飛行を行い(プロペラが地面に擦るかと思うような超低空飛行に追いかけられることは、かなりの恐怖心を増幅させる)得た結果に過ぎない。
 つまり、低空飛行が出来るという以外、雷撃とはあまり関係ない。もともと、二人とも艦戦研修者であり、教導していた武生も戦闘機がメインで雷撃や爆撃はあまり明るくなかった。さらに、本来もの役目をおうはずの艦攻隊がいないのは、この二人の影響もある。この様子を見ていた艦攻研修組はその技量に触発され、艦攻研修が延長と言う事になり間に合わなかったのだ。

「ま、とりあえずこれ読んどいてくれ」

 成瀬社長はそう言って、七宗に冊子を渡した。
 七宗はそれは受け取り、明らかに手書きをで書かれたタイトルを見た。

『必中! 雷撃戦完全攻略・初級編』

 なんだこれ、と思いながら七宗はパラパラとページを捲ってみる。

「速度150ノット以上、高度30メートル以下で投下ぁ?」 

 雷撃ってこんなに難しかったかぁ?
 詳しいわけではないが、七宗の知識にある雷撃は高度50メートルが理想と言われていた。もっとも、対空砲もあるためもっと低くを飛ぶことになるが、この高度で150ノットはかなりの高速だった。
 「お~い」と呼ぶ声で後ろを振り返った。
 巣南がいつの間にか機体のところまで行って装着された魚雷の後ろを指差している。

「なんでこれ、スクリューのところに木枠なんかつけてんだ?」



 飛鳥が風上に向け、疾走をはじめる。元が商船であるため最大速度でも25ノットも出れば良いほどの船速だが僅かな合成風力でも逃がしたくはなかった。
 先に飛び発ったHs126で、成瀬と霧神がその様子を見ていた。

「うまくいくかな?」

「魚雷の重さは800キロ、戦闘機に積むには重すぎますが出来る限りの事はしました。、燃料は往復できる最低限の量に、機銃も降ろしています。船速最大、タパルトを最大出力、あとはあの二人と飛鳥の力を信じましょう」

 後席の霧神の答えに、成瀬はふと感慨を持った。
 いままで霧神明日香は飛鳥のことをを、「あれ」や「この船」としか呼ばなかった。たしかに主計課という霧神の立場からは、これまでの飛鳥は厄介の塊でしかなかっただろう。たしかにこの船には、『ルフト・クーリエル』のあらゆる資本を投入している。そのために、残りの持ち船を全て売ってしまったのだ。その間、『ルフト・クーリエル』の金庫を預かっていた霧神の奮迅ぶり凄まじかった。それを考えれば霧神にとって、飛鳥の印象は恨みとは言わなくてもいい印象は持っていないかもしれない。
 単に、自分と同じ名前というのが気恥ずかしかったのかもしれないが。
 だが、霧神は初めて飛鳥を名前を読んだ。船は、よく人と同列で見られる。船の名前は、人の名前と同じ意味を持つのだ。名前を呼ぶのは、その船を始めて認めた事とも言える。
 これは良い兆候かもしれないと成瀬は思った。
 二機の魚雷を積んだHe112は、カタパルトから弾き出されると一旦高度を下げたものの、踏みとどまり何とか発艦する。なんだかよたよたとした飛び方だった。やはり魚雷が重いのか、ふらふらしている。

「全機集合」

 無線で霧神が呼びかける。
 背後につく二機を認め、成瀬はゴーグルを掛けなおした。

「よし、何とかなるかもな」



「缶チューハイ3ダースに日本酒6合、それと焼酎8合、これ以上はどうにもならんそうです」

「松永め、最後までケチりやがったな」

 九六式陸攻にまとわりつく様に飛ぶ、武生の九六艦攻はさらに接近しコクピットの前を掠めた。

「あ、あぶないじゃないですか!」

「ついて来い。英国艦隊まで案内してやる」

 九六艦攻と索敵活動を取っていたサイゴン基地所属の鹿屋陸攻隊の九六式陸攻との邂逅は、ある意味では偶然ではあったが、予測の範囲内であった。英国艦隊を発見した武生はすぐに転進し、まっすぐ北へと向かった。そうすると、当然、索敵活動をしていた陸攻隊の索敵線と重なるので、遠方に見える黒点を発見した武生は、すぐに接近し無線でコンタクトを取った。
 いわく、

「敵艦隊発見セリ、いくらで買う?」

 『ルフト・クーリエル』社が企業である以上、最終達成目標は利潤である。そのためにあらゆる物を扱っている。情報もその一つだった。


「さすがにセコ過ぎましたかねぇ」

 無線が切れている事を確認し、馬場がぼやいた。

「いや、こーゆーのは初めが肝心だからな。早く、俺達の立場ってやつを知らせておいたほうがいい」

「ルフト・クーリエルの立場ですか?」

「そうだ」

 武生は一度言葉を区切り、バック・ミラーで九六式陸攻が付いてきている事を確認した。

「俺達は、海運商社だが空母を持っている。それだけでも海軍にとっては、目の上のたんこぶなのさ。なにしろ空母ってのは立派な軍艦でもあるからな。おめおめしているとうっかりどこぞの艦隊に編入されかねん。
 兵力ってのは、箱だけじゃなくて、人もあわせて兵力なんだ。とくに空母みてぇな、船と飛行機の合わさったもんになるとなおの事だ。それだけ、使えるまでに時間が掛かる。それがポンと横から入ってくるなら、こんなうまい話はないだろ?」

「飛鳥が正規軍が望むような兵力として使えるかどうかは、まだわかりませんよ」

「使えるさ、そうでなきゃ仕事ができん。今は、こうして海軍には俺や佐倉のコネがあるからなんとかなるかもしれんが、それがなくなった時、どうにもなりませんでしたじゃ目も当てられん」

「だから、英国艦隊の位置を商品として出したのですか? まぁ、今回は物々交換みたいなもんですけど」

「今のは、な。警告だよ。我々は慈善事業でやってるわけじゃないってな。向こうが、あくまで商人として俺達を見てくれるようにしてゆく布石だよ」

「でも、それって本来、僕らが気にしなくちゃならないことですよね」

「なに、そっちはそっちでやればいい。俺は俺の立場でやっただけのことだ。
 さて、世間話はこれぐらいにして、仕事にかかるぞ」



「二時方向、艦隊、戦艦二、駆逐艦三」

 武生からの報告があった場所から、攻撃隊が到達するまでの時間、それに艦隊の移動進路と速度を計算した邂逅予測地点とほぼおなじポイントで、後席の霧神が告げた。

「駆逐艦が足りないな」

 武生からの報告では、英国艦隊の駆逐艦は五隻だった。

「おそらくなんだかの理由で、艦隊を離れたのでしょう。周囲にも見当たりません」

「まぁ、迎撃戦力が減ったと喜んでおくか。それで、王子様はどこだ?」

「縦陣形の最後尾です。いけます」

「よし、では攻撃開始だ。突撃ッ!!」

 三機の攻撃隊は、艦隊の側面からではなく後方から追いすがる形で接近する。航行中への、航空雷撃は的速から1引いた角度で行われるためだ。さすがに二度目の襲撃では、英国艦隊側もすばやく反応した。高角砲や機関銃の弾幕が三機に向かって襲いかかる。

「くっ、さすがにやる!!」

 目の前で弾ける無数の砲弾に、成瀬が目をかしめる。
 このとき、縦陣形を組んでいた英国艦隊は、けして理想的な迎撃弾幕を張れていたわけではなかった。しかし、襲撃してきた攻撃機が僅か三機なのと、さすがに新鋭艦だけありその弾幕は苛烈である。

「霧神、後ろの奴はちゃんと付いて来ているか! 逃げたりしてないだろうなッ!!」

「付いて来てます!」

「ほぅ、さすが武生の見込んだ奴らだ!」

 成瀬は感心して言ったが、七宗と巣南としてはそんなカッコの良い理由で続いているのではない。もはや、弾幕の下を潜るような状態では、下手に離脱しようとして機体を横に向ける事さえ危険なのだ。二人にはこのまま続いていくと言う選択肢しかなかった。
 しかし、仲間がいると言うのは成瀬には心強いとこであるには変わりない。たとえ部下の部下であろうと一緒に行ってくれる奴らがいるのだ。

「よし・・・、てーぃッ!!」

 Hs126が胴体下部に持っていた増槽を切り捨てる。それはプリンス・オブ・ウェールズの船員達から見れば紛れもなく魚雷攻撃に見えただろう。巨大な艨艟がその身を揺るがす。しかし、攻撃の本命は、後ろに続くニ機だった。無理やり魚雷を載せたHe112戦闘機は、進路を変更した戦艦に対し、こちらも角度を直し投下する。
 瞬間、800キロの重しが無くなり、機体が跳ね上がった。しかし、ここで上を向こうものなら、弾幕の中に飛び込む様なモノなので、それを強引におさえつける。
 戦艦はさらに進路を変更しようとするが、巨大な慣性にあがなうことは容易ではなかった。
 二機のHe112が手をつないでいるような横隊を取っていたためだろう。魚雷はプリンス・オブ・ウェールズの船首と船尾にそれぞれ命中する。

「やったぜ!」

 一足先に上空へ戻っていた成瀬が確信したようにガッツポーズを取った。

「まだです!」

 霧神が反駁する。全弾命中したと言っても、僅か二発だ。これでは沈んでくれるほど戦艦はやわではない。げんに対空砲火は依然凄まじさを落としてはいなかった。

「機関部をやったはずだ。これで奴の舵はもう効かない」

 成瀬の言う通り、船尾に命中した魚雷は機関部を浸水させ、操舵装置を破壊していた。これによりプリンス・オブ・ウェールズは操艦不能となり、徐々にその速度を落としていた。

「ビスマルクと同じだ。あいつの命運は尽きた」

 「それに見ろ」と言って成瀬が前方を指差す。その先には、大勢の陸攻隊を引き連れた九六艦攻の姿だった。
 のちにマレー沖海戦と呼ばれるこの日の戦闘は、日本軍の航空隊によるほぼワンサイドゲームで幕を閉じた。英国海軍の誇る『プリンス・オブ・ウェールズ』、『レパルス』の撃沈が、これから起こるであろうマレー半島を巡る日英の攻防に大きな影響を与えることになり、また航空機のみで戦闘航海中の艦隊を撃滅したという事実は、世界中の海軍に衝撃を与えた。
 しかし、大本営海軍部の大々的な宣伝の中に「飛鳥」という言葉は含まれていなかった。



 ローレンス・フォルク中尉が目を覚ましたのは、自身が操縦桿を握っていたカタリナが撃墜されて三日後だった。

「ラリー中尉!!」

「おい、目を覚ましたぞ! 医者を呼んで来い!」

 まだぼやけた視界だったが、数人が自分の事を見ているのだとわかった。一人は聞いた事のある声だ。

「なんだ、ネス。天国ってのはやけに喧しいな・・・」

「ヘブン(天国)? いや、ここは楽園です」

「楽園(アヴァロン)?」

 寝かされている事に気付いて、身体を起こそうと力をいれる。突如、予想外の激痛が走り「うッ」と声を漏らした。

「無理しないでください。中尉はまる三日寝ていたのですから」

 白衣を来た男が言った。

「駆逐艦『アヴァロン』へようこそ。ローレンス中尉」

「アヴァロン、・・・Z艦隊か?」

「えぇ、もっともZ艦隊はもうありませんが」

「なにッ!?」

 思わず身を乗り出したローレンスが呻く。ネスが、それを介抱しながら説明した。

「あれから二日後、つまり昨日ですが、Z艦隊は主力のプリンス・オブ・ウェールズ、レパルスともに日本軍に撃沈されたんです」 

「二隻とも戦艦だぞ。情報部の話では、オザワ艦隊は重巡が旗艦じゃなかったのか?」

「航空隊にやられました。やつら、飛行機を雲霞のように集めて来たんですよ。魚雷と爆弾に散々叩かれたようです」

「ビスマルクの時の意趣返しだな」

「本艦は、シンガポールへ引き返すテネドスの護衛として本隊を離れたので難を逃れたのですが・・・」 

 医官は苦しそうに声をすぼめた。この医官の気持ちはローレンスには、痛いほどわかった。二大戦艦を失った今、イギリス海軍は、この地においてプレゼンスを失ったのと同じだ。それは、この後の攻防にとって芳しくない影響を与えるに違いない。少なくても、これで日本側が勢い付く事ははまちがいないだろう。

「それで・・・、この艦はこのままシンガポールに向かうのか?」

「はい、そうですが、状況によっては、もっと後方のセイロンまで下がることになるかもしれないと、もっぱら艦内では噂になってます」

「やれやれ」

 完全に浮き足立っているとローレンスは思った。二大戦艦がやられたことは、同じ海軍でも航空隊の自分より、船乗り達の方が衝撃が大きかったようだ。

「この借りは、いずれ返させて貰うさ」

 ローレンスは、唇の端を曲げ少し笑って言った。 

「とくに、あの空母にはね」
最終更新:2008年09月16日 21:24