飛鳥 就航ス



1941年 9月初旬
 東京駅で汽車を降りた成瀬健次郎は、しばらく立ち止まって迎えを待った。ふと、空を仰く。彼にとっては、久しぶりやって来たの祖国の地であり、新しい門出の日でもあった。

「社長、こちらでしたか」

 人ごみの中からひょろりと背の高い男が、声を掛けて来た。まだ残暑が残るためか、背広を脱いで肩に掛けている。あまり“社長”を迎える格好ではないが、成瀬はたいして気にした様子をみせなず「おう!」と片手を上げて応じた。

「馬場君か、久しぶりだな。フランクフルター・ツァイトゥングから連絡を受けたときは驚いたぞ」

「間に合いましたか。バルバロッサが始まった時は心配しました」

「シベリア鉄道の最後の客さ。君のくれた旅券が役に立ったよ」

 互いに握手をかわし、駅の出入り口へ向け成瀬と馬場は歩いた。

「X-ディは恐らく12月にはいってからです。私の予測では第一か第二日曜あたりですね」

「フム・・・、相手はキリスト教徒だからな。間違いではないが、すっきりしないね」

「あれ? 社長も、クリスチャンでしたっけ?」

「まぁ、一応な。向こうで生まれた時、聖水は浴びたらしい。気にするな、こっちはカトリックだ。向こうはプロテスタントだよ。
 さて、飛鳥のお嬢ちゃんは元気か?」

「はい、浅香と一緒に戻りました。今は実家に帰ってますよ」

「俺の手土産もうまく届いたかな?」

「えぇ、行李の奥に」

 馬場はニヤリと笑いそれ以上言わなかった。

「そいつ良かった。変な虫が付かないかヒヤヒヤしていたよ。それで衣替えはいつ頃終わる?」

「多少手間取ってますが、お見合いにはなんとか間に合いますよ」

 二人が道路まで出ると、一台のサイドカーと運転手が待っていた。

 「私はこれで」と馬場が歩みを止める。どのみち、サイドカーには運転手をのぞけば一人しか乗れないので馬場は残るしかない。だが、どうやら馬場にはこの後も予定がある様子だった。
 成瀬とも顔見知りの運転手は、久しぶりの再会を喜び成瀬を乗せて走り出す。

「飛行機に乗れる奴はってのは、バイクもうまいものなんか!」

 爆音の消されない様に、成瀬は運転手に向って大声で叫んだ。

「さぁな、でも俺は車よりこいつの方が好きだね。むろん飛行機が一番だ」

 成瀬と同年代の運転手が答える。

「求人募集はどうだ?」

「船はなんとか動く。元々いた社員達でほぼ賄える。問題は俺みたいなパイロットだ」

「まったくか?」

「まったくじゃないが・・・、まぁ、陸にも海にも俺みたいな奴もいるからな。まだ使えるのはほんの数人だ」

「いざとなったら、俺も乗ってやるよ」

 冗談か、本気なのか、成瀬社長は不敵に笑う。本気かもしれないと運転手、武生修司元海軍中尉は思った。
 海運会社『ルフト・クーリエル』はドイツに拠点を置く零細会社の一つだった。持ち船も僅か数隻、しかし海外航路、それも遥か地球の反対側に位置する日本との交易に使われる船を持つなど、身の上知らずなところがある会社として周囲からは見られていた。なにしろ世間は、世界恐慌と呼ばれる嵐に飲まれている御時世だ。
 そんな会社に、『飛鳥』がやってきたのはいろいろと紆余曲折がある。
 帝国海軍を除籍された飛鳥は、日本最大の船舶企業である日本郵船に買い取られた。除籍されたとはいえ、船体はまだ廃船にするには新しく商船に転用が可能と思われたからだ。有事には徴募できる大量の船舶を持った日本郵船との関係を考え、海軍も快く飛鳥の引渡しに応
じた。日本郵船は、優秀船舶建造助成施設を使い(建造するわけではないが、改装工事の内容はほぼ新造に近かった)、貨客船『飛鳥』となり、欧州航路に使用された。
 しかし、僅か一度目の航海でドイツヘ渡った直後、第二次大戦が勃発。往路が危うくなった飛鳥はドイツ海軍へ譲渡される。ドイツ海軍は、初めこの船を仮想巡洋艦に改装しイギリスに対しての通商破壊に使用したが、すぐにこの船が元軽巡洋艦であることに気付いた。しかし、ならばとばかりに本格的に巡洋艦へ改装しようとしたが、何故かうまくいかない。
 結局、試験艦として建造され、貨客船、仮装巡洋艦と渡り歩いた異色の経歴をもつ飛鳥の中途半端な船体は、厳格なドイツ人の気質には合わなかったらしく、民間に払い下げにされる。それを買い取った会社こそドイツ在住の日本人、成瀬健次郎が興した『ルフト・クーリエル』社であった。



「・・・はい。これで必要な書類は確かに預かりました」 

 担当の海軍士官は、応接室で書類を確認すると封筒にしまう。
 成瀬と武生は、その足で海軍省に向かった。事前の予備交渉は馬場が済ませておいてくれた為、海軍との交渉はスムーズに進んだ。

「では海軍が譲渡する機材につきましては、後日そちらが取りに来られると言う事で」

 トントンと封筒の底をテーブルを叩いて整えながら海軍将校は、事務的な態度で言う。
 この地での新規業務のため、『ルフト・クーリエル』は軍部(彼らは陸軍とも交渉していた)から、いくらかの機材を払い下げという形で譲渡させてもらうことになった。譲渡品の主な内訳としては、民間では手に入り難い重砲火器類だが、対潜爆雷や魚雷(61ミリではなく、旧式の53ミリだが)と海防船としても過剰なモノまで含まれている。中には航空機まで含まれていた。常識的に考えれば、今の開戦直前だろうが、平時だろうが海軍がそれらの火器類を民間に融通することなどありえない。だが、それについてはドイツ帰りの成瀬の密書によって黙認された。

「では、我々はこれで」

「ああ・・・、ちょっと・・・」

 席を外そうとした成瀬達を海軍将校が呼び止める。

「例の船の艦種なんですが、すこし変えられませんか?」

「えっ? 駄目なんですか? しかし、今の飛鳥はアレしか言いようがないですよ」

「ええ、それは・・・、間違いではないんですが、公文書に記載するのにその名称は海軍としまして・・・」

 海軍将校も言い難そうだった。実際、海軍将校といっても下っ端の彼では、上意下達は変えられない。中間管理職の悲しいところだ。
 成瀬はすこし気分を悪くしたが、そんな些細な事で海軍との取り引きにケチをつけるのもバカらしい。すでにそのことは予測していたので、代案も用意してあった。
 すこし芝居がかった口ぶりで成瀬はそれを出す。

「まぁ、うちは軍隊じゃないですからね。あくまで会社ですから、むろん飛鳥も商船です」

「では、なんと?」

「航空機搭載商業船舶、省して航空商船『飛鳥』」

「航空商船・・・?」

 海軍士官に、成瀬は不敵な笑みをみせた。

「稼がせてもらいますよ」



「・・・と、大見得切ってみたんだが、どうだろ実際?」

 『ルフト・クーリエル』日本支社のある東京浅草の雑居ビルの二階で、社内の主要スタッフを前に成瀬は問い掛けた。スタッフ達が異口同音なため息をつき、皆一様に「まったくコイツは」というような視線を成瀬に向ける。

「たった三ヶ月で一人前な空母を育てるとは、海軍が聞いたら卒倒しそうな話だな」

 そう言ったのは、飛鳥改装後に甲板長になる予定の萩原一太だった。

「俺のところだって定員は八割ぐらいしか集まってないんだぞ? それでもまだ良いほうだ。そっちはどうだい? 航海さん」

 萩原が、ちょうど給水室からでてきた航海士に首を振った。

「たしかに、今の状態で3シフトはえらいですねぇ。ニコルが辞めた痛手がまだ残ってますから」

 自分で淹れた紅茶をすすりながら、航海士の国松はもの静かな声で答えた。
 『ルフト・クーリエル』社は、海外航路も持つ海運会社であるため、日本人だけでなくヨーロッパ人の社員も多かった。しかし、日独伊三国同盟が結ばれてからは、どことなくそれ以外のイギリス人やフランス人の船員達が居辛い雰囲気が出来てしまった為、今ではほとんどその三国の船員たちで占められる様になってしまった。
 国松の部下は、優れた航海術をもったイギリス人の船員が居たのだが、最近突然退職してしまい、その後継の育成が芳しくなかった。

「わたしの所は十分揃ってるよ」

 他の部署も似たり寄ったりの苦い人材難の中、ただ一人ドイツ人のオットー・ベルケが笑みを浮かべて言った。

「そりゃアンタ、部下もそのまま連れて来ているからだろ・・・」

「だがハギワラ、私も部下も元々はフォーゲルに乗船する予定だったんだぞ? そのために訓練もしてきた。フォーゲルが駄目になった時は涙を飲んだが、それが今、役立つ時がきたのだ。なにも問題あるまい?」

 ベルケはもともとドイツ海軍の大尉だった。乗艦予定であった巡洋艦フォーゲル(飛鳥の第四回改装時)が頓挫してしまったため、しばらく閑職に追いやられていた軍人だった。だが、しばらくしてフォーゲルを日本に連れて行き新たに運用されると聞き、まだドイツにいた成瀬を訊ね「自分達を雇わないか?」と話してみた。しかし、フォーゲルが空母・・・、ではなく航空商船になるのだと聞かされると、自分の専科はお呼びでなくがっかりしたが、成瀬は「いえ! 貴方の技術が必要です」とベルケを雇った。しかも、成瀬は「部下にも声を掛けて頂きませんか?」とも言ってきたので、ベルケは散り散りになった部下に声を掛け、こうして貨物船『飛鳥』(第五回改装時)に乗って日本へと赴いた。彼の日本語はその時船員達に習ったものだという。

「まったく、社長もなんで鉄砲屋なんか雇い入れたんだか」

 「必要だからさ」と成瀬。なんで必要なのか、そこまで言う気はないらしい。

「あぁ、そういや、いつもこんなとき騒ぎ立てる小喧しい小娘がいないじゃないか?」

 これ以上付き合っても無駄だと悟った萩原は早々と話題を変えた。

「機関のオヤジと一緒に、しばらく呉に行ってる。しばらくこっちへはこないはずだと馬場に聞いたぞ」

「呉? 飛鳥か? ・・・ははん、社長、どうやらその隙をついてこっちへ来たな?」

「帰ってきて、早々小言を言われるんじゃたまんないよ。しかし、そうも人手が足りないとは・・・」

「今更、悩むなよ」

 「でしたら、社長」と国松が指摘するように指を立てた。

「ご自分でやってみたらどうです?」



 運送船『浅香丸』と一緒に日本へ帰還を果たした飛鳥は、呉のドッグに入り改装工事を進めていた。今回の飛鳥の改装は、過去の改造と比べても異色なものになっていた。なぜなら、煙突は水直式から誘導煙路によって右舷から排出される舷側排煙式になり、内部は必要な部分を除いて空洞化され、最上部の甲板は平坦にされている。
 そう、飛鳥は海軍関係者が言うところの『航空母艦』になろうとしていた。

 パチ、パチ、パチ、パチ

「やれやれ、せっかく嫁に出したのに、もう戻ってくるとわね」

 キャットウォークの手摺りに肘を突きながら、このドッグを掌る田部所長は独り言のように漏らした。それは、本当の独り言ではなく、隣に立つ人物に対する軽い当て付けのようなものだった。

 パチ、パチ、パチ、パチ

「嫁にだそうが御盆や正月ぐらい実家に戻って来るだろうが。正直に喜べないのか?」

 隣に立つ人物、江田謙二が言った。飛鳥は二人からすれば、娘のような船だった。なにしろ自分達が手掛けた船(建造時は艦だったが)だ。江田は機関士として飛鳥に乗船していたが、田部にとってはドックから出して以来の再会だった。

 パチ、パチ、パチ、パチ

「けど、ここまで変わっちまうとは流石に思わなかったよ。たしかに空母ってのは、これからの海の花形かもしけないが、こうも変わっちまうとなんだか素直には喜べないな」

 パチ、パチ、パチ、パチ

「空母といっても、軽空母だ。海軍も同じように商船を改造したものを作るらしい」

 パチ、パチ、パチ、パチ

「空母っていうと飛行機が乗るんだろ?」

 パチ、パチ、パチ、パチ

「飛行機が乗ってこそ、空母だ」

 パチ、パチ、パチ、パチ

「だから、その飛行機はどうするんだ? パイロットだって、お前の会社にいるのは武生一人じゃないか?」

 パチ、パチ、パチ、パチ

「飛行機は、海軍から用済みのをもらうつもりらしい。パイロットは武生が引き込んで来たのを訓練している。今頃、各務原で新兵追い掛けまわして遊んでるんじゃないか?」

 パチ、パチ、パチ、パチ

「なるほど・・・、ところで・・・」

 田部がようやく音のする方に顔を向けた。手摺りにソロバンを置いて、器用に演算をしている女性がいる。さっきからのパチパチという音は彼女が弾いていたソロバンの音だった。

「あの・・・、さすがにもう削れる所はないと思いますよ・・・、もともと軍艦なんて経費度外視で浮いてるようなものなんですか・・・」

 同世代にはタメ口だった田部が、その明らかに年下の女性に、何か爆弾解体のように丁寧な口調で喋り掛ける。田部にしてみれば彼女の癇癪は、16インチ砲弾を削り出して作る800キロ徹甲爆弾より遥かに強力な爆弾だった。

「海軍ならそうは言えるでしょうけど、あたし達は企業なんです! だいたい、この船にはいつも世話をやかされているんですよ!」

 二人の横でソロバンを弾く霧神明日香は剣呑というより、鷹かなにか猛禽類のような眼で飛鳥を睨む。『ルフト・クーリエル』社経理担当主任の明日香は、飛鳥が『ルフト・クーリエル』社に来た時から「厄介なものになる」という予感を感じとっていた。なにしろ元が軍艦だ、扱い難いに決まっている。そして今、その予感は当り飛鳥は厄介なモノになろうとしていた。奇しくも、自分と同じ名前なのがなおさら気に掛かる。

「アレは一体なんです!? あんなの設計図にのってなかったじゃないですか!」

 飛鳥がクレーンに吊られた砲台を指差した。高角砲として使われる剥き出しの88ミリ砲と違い、ちゃんと基部を鋼鉄の鎧に覆われた三連装の砲塔だった。

「ああ、15.5センチ砲だな」

 江田が、満足そうに15.5センチ砲を見上げる。設計図にのってなかったのに、すでに飛鳥の右舷後方にはそれを入れる為のヴァーベットが作られていた。つまり砲は後ろ向きに設置されると言う事である。これは船の設計上、前方部には置けない為で、なぜこのような配置になったのかといえば始めから取り付けるつもりはなかったため、載せられる所に載せておこうという結果だった。

「なんで空母に15.5センチ砲なんて積むんです!?」

「なんでって・・・、これはもともと飛鳥のものだぞ?」

「はぁ?」

 訝しむ明日香は、にんまりとした江田の横顔に嫌な予感を感じだ。

「だからさ、飛鳥が生まれた時、儀装された砲だよ、あれは」

「・・・試験艦時代の砲換装の話ですか?」

「そうだ。もっともすぐに取り上げられて最上に付けられちまったがな。最上も20.3センチに換えるっていうんで、これはチャンスと別の奴に付けられる前に頂いて来たらしい」

「別の奴・・・ ちょ、ちょっとまってください。別の奴ってまさか・・・!」

 最上級の砲換装自体は霧神も知っている。そして、その取り外された砲の本当の行方も・・・。

「戦艦大和の副砲を頂いた」



 成瀬社長の仕事は、新規採用者を取るための面接官になっていた。『ルフト・クーリエル』は零細会社なので、立ってる者は社長でも使う。この世界的に不況だという時に事業拡張を狙うとはなんとも大胆な話ではあるが、『ルフト・クーリエル』社がこれから行う事業を考えると、まだまだ人手が足りない。一番足りないのは飛行機を操縦できる人材だが、それは完全に一から集めなければならなかったからだった。これに関しては成瀬では手も足も出なく、唯一武生が海軍時代のツテやその他いろいろな手段を使いっているらしい。
 船の方も問題だった。船を動かし、航海させるだけなら、今の社員達でも出来る。だが、現在改装工事中の飛鳥をフルに稼動させるには、今の社員だけでは足りなかった。今度の飛鳥には88ミリ高角砲や、25ミリ対空機銃など、物騒なモノが山積みになっている。だが、これらの火器類だけならさほど問題ではない。なぜなら『ルフト・クーリエル』社の社員達の多くは、軍縮時代に職にあぶれた者達だった。そのため、砲火器については将校から兵まで一揃えは整っている。彼らは優秀な教官でもあり、短期間で軍務の経験のない船員や新規採用者にそれらの取り扱いを覚えさせる事が出来た。
 問題なのは、新設される支援機材、主にレーダーやソナーなどの今大戦で新たに出現しはじめたもので、特にレーダー機器に関しては、当時の日本ではまだまだ未開の領域であり(ハワイ作戦の一ヶ月前に海軍が基地設置用の警戒レーダーの開発に成功しているぐらい)、専門職にいた人などは皆無に等しく、成瀬も頭を悩ましはじめていた。なにしろ、飛鳥に設置予定のドイツ製対空水上試作レーダーは、成瀬が苦労して日本に持ち込んだ“手土産”の一つなのだ。

「えっ? 船舶勤務が御希望ですか?」

 いつものように面接官を仕事をしていた成瀬社長は、応接室でテーブルを挟んで向い側に座る女性の希望部署を聞いてすこし驚いた。
 「はい」と小さいがはっきりと聞える声で女性(履歴書には尾崎蓉子という名が書かれていた)が答える。尾崎蓉子という女性は、濃い紫色の和装をして、同じような色のスカーフを目深く被り表情がうかがえない。職歴の最終覧に占い師と書などと書かれている。その幽玄な雰囲気のためか、本来なら門前払いにでもしようかとおもった成瀬も、なかなか断われず面接を続けていた。
 客船以外で女性であっても船舶勤務につく事は『ルフト・クーリエル』社では、前例がない訳ではない。だいたい、社長が面接官をしている会社だ。慢性的な人手不足は当たり前で、使える人材はなんでも使う。だが、当時の日本で自ら船舶勤務を希望する女性は珍しかっただろう。

「主がそうせよと」

「主ですか・・・」

 ああ、そうえば応募理由も「主の御告げ」がどうのこうのだったな、と成瀬は思い出す。けど、さっきから主ってなんだ? なにかの信者や教徒には見えないが・・・? いや、どちらかというとこの人、魔女みたいな感じだし・・・。ん、待てよ? 魔女って船に乗せると、その船は沈むと言われていたような気が・・・。

「どうされました?」

 考え込んでいた成瀬は、幽霊に呼び掛けられでもしたかの様にハッと我に帰る。彼女の声は、けして大きくないのに良く聞えた。いや、聞こうとせずとも頭に直接響く感じだった。

「あっ、いえ。すみません、ちょっと考え事を・・・」

 なんで謝ってんだろ?
 どことなく、いつものペースを崩されてると感じながら成瀬は次の質問にとりかかる。

「では、自分の最も活躍できそうな仕事はなんでしょうか?」

「闇夜に目を凝らし、その向こうを見よ。主はそう仰いました」

「・・・どういう意味でしょう?」

 これもお告げですか? と喉まででかかったがなんとか飲み込んだ。

「漆黒を通る光が姿を照らす、私はそれを見るのです」

「なんか矛盾してませんか? 暗闇では光はありませんよ」

「光は必ずしも闇を照らすのではありません。光とは本来この世に満ちる波なのです。見ると言うのは少々誤解のある表現かもしれません。しかし、視覚から得る情報の多いヒトの感覚ではやはり見るという一番適度な言い方になってしまいます」

「ええっと・・・、では、あなたは闇を照らさない光を見ることができるのですか?」

「主の命において」

 答えになってない気がしたが、闇を照らさない光というのに成瀬は心当たりがあった。

「あの、レーダーというものをご存知ですか?」



「天高く馬肥ゆる秋、か・・・」

 そんな言葉がぴたりとあてはまるような日だった。滑走路の脇道をあるいていた七宗孝は、ふと立ち止まり空を見上げていた。遠くでエンジン音がする。どこだろう? 首を振って見るが、機影は見当たらない。しかし、エンジン音はますます近づくてきた。
 嫌な予感。
 これは、殺気・・・?

「げっ!!」

 まさかと思い後を振り返ると、真後ろから二機の航空機がこちらを目掛け突っ込んできた。仰天した七宗は逃げ出そうとした瞬間、足が絡み前のめりに地面に突っ伏す。航空機はその真上をパスすると、七宗をからかうように勝者のロールを描き、着陸体制に入った。

「武生隊長と巣南か・・・? 無茶しやがる!」

 『ルフト・クーリエル』社が使っている滑走路は、端から長さ200メートルで区切ってある。二機の航空機はその線からはみだすことなく止まった。それだけでも二機の航空機に乗る搭乗者達が、いい腕の持ち主だとわかるだろう。

「七宗早くしろ。次はお前の番だぞ」

 航空機を降りた武生隊長が、先ほどの事などなかったようになんの悪びれもなく呼び掛ける。
 素早く身体を起こし七宗は駆け足で向った。
 飛鳥は改装工事中、社長は面接官をしてるころ『ルフト・クーリエル』社取締役専務兼飛行長兼飛行隊長の武生元海軍少佐は、海軍から譲渡された航空機を使って訓練に明け暮れていた。彼らの乗る航空機は、ハインケル社が開発したHe112と呼ばれる液冷機だった。He112は海軍が局地戦闘機として輸入したものだが、新鋭の96式艦上戦闘機に優るところがないと言われ、格納庫で眠っていた。それを『ルフト・クーリエル』が貰い受け、各部を強化し、着艦フックを付けるなど艦載機に仕立て上げたわけだが、いま彼らがいるのは岐阜の各務原飛行場、つまり陸軍の飛行場だった。
 『ルフト・クーリエル』は海上を仕事場とする以上海軍との繋がりも持っていたが、同時に陸軍との繋がりも重視していた。海上輸送で一番のお得意様といったら陸軍だ。補給路や兵員輸送など、彼らも船舶の必要性が高く割りと協力的だった。それに各務原では現在開発中の液冷戦闘機三式戦『飛燕』について、従来の空冷戦闘機とは違う液冷機の操縦や整備などを研究する格好のテストケースになっている。さらに、まだ噂のレベルだが陸軍には『空母』を持とうとする動きがあるらしい。まぁ、民間の商船隊が軽空母地味た航空商船などいう船を持っているのだから無理もない話だが・・・。

「後方チェックが甘いなぁ」

 武生の僚機を勤めていた巣南がニヤニヤ笑って言う。巣南は、武生と同じ搭乗機研修生で、人事では七宗の僚機に配属されるパイロットだった。七宗と同じ日本飛行学校の出身だというが、同年代なのだが七宗には学校で巣南を見た記憶はない。その辺りの事情は武生隊長も
薄々感じている様子だった。要するに履歴不明というやつだが、腕は確だ。

「戦闘機乗りなら、常に周囲に気を配らなくちゃな」

「お前・・・、その言葉憶えてろよ」

 訓練が始まって十数分後、七宗は雷撃技量でA評価を貰った。



 1942年12月2日
 航空商船『飛鳥』の改修工事がようやく終わった。生まれ変わった飛鳥は、公試排水量17000トン、全長172メートル、全幅23メートルの見た目は立派な軽空母となった。ただし、帝國海軍はそれを認めていない。飛鳥はあくまで傭船であり航空商船なので、大袈裟な進水式もない。『ルフト・クーリエル』社として進水式をしてもよかったのだが、そんな予算があればとっくに艦の工費にされている。

「・・・以上で物資の積み込み終わりました。」

 飛鳥の航空甲板の上で、成瀬は霧神から報告を聞いていた。

「結局、飛行機は間に合わなかったな・・・」

 成瀬が残念そうな顔で言った。艦載機はまだパイロットが訓練不足と言う理由で乗せていなかった。艦攻組は訓練が長引いてるらしく、比較的訓練が進んですると思われていた艦戦のほうも、ギリギリまでしっかり育てたいらしい。
 飛鳥の艦載機については、苦い話になる。艦戦のHe112はまだいい、性能的には合格であるし、数も揃っている。艦爆は海軍から九九式艦爆を貰おうとしたが、担当者からもの凄い剣幕で断られた。まぁ、海軍自体でも精鋭機であるからしかたない。結局、爆撃が出来ると言えば、成瀬社長の自家用機であるヘンシェルHs126が一機だけ。正直、使えるかどうかわからない。対潜攻撃の主力になる艦攻は海軍から九七式艦攻をと思い駄目モトで頼んだら、以外な事に了承を得た。しかし、届いた現物は九七式艦攻ではなく、複葉の九六式艦攻だった。どうやら、大和の副砲を盗んだ仕返しらしい。それが6機ほど、時代的にはもはや旧式機なのだが、贅沢は言えないのでそれらも受領した。その他、水上偵察機として九五式水偵を三機ほど頂いた。
 そして、それらはまだ一機も飛鳥には届いていない。飛行機の載っていない空母と言うのはなんなのだろう? もはや、アイデンティティーやレゾンデートルの問題じゃないか。

「サイゴンで合流する予定です」

 成瀬の不満を切り捨てる様に霧神が告げる。そして「では、私はこれで」と艦内ヘ引き返していった。西を見ればすでに日は山陰へ沈みかけている。海軍関係者は口が裂けても言わないが、さすがに見た目は「空母」なので飛鳥の出港は人目の無い夜間となっていた。

「まぁ・・・、なんとか形はできたか」

 一人残された成瀬が感慨深くつぶやく。

 『ルフト・クーリエル』営業部の馬場によれば、開戦はもはや目前だ。おそらくこの一週間のうちに始まるだろう。その時、『ルフト・クーリエル』とこの飛鳥の真価が問われるのだ。

「しかし、随分すっきりしたものだな」

 湾内を見渡した成瀬は、少し残念そうに苦笑した。港にいる船の数は少なかった。これから飛鳥も出港するのでもっと淋しくなる。数ヶ月前まではこの港には『ルフト・クーリエル』籍の貨物船が全隻いたのだが、その姿ももはやない。今、『ルフト・クーリエル』は持ち船は飛鳥しかなかった。理由をあげるとすれば、それは社員が足りないというところにいきつく。社長まで狩り出して採用者をとったのだが足りなかった。さすがに軽空母となると、その定員は1000人を近くになる。そのため、それまで片手で数えられるだけの持ち船しかなかった『ルフト・クーリエル』にとっては、総動員でなければならない人手が必要となり、ルフト・クーリエル』には持ち船が、飛鳥しかいないという状態へとなってしまった。
 だが、これらの整理は経理担当の霧神に任せているので、彼女なりに合理性を重視した結果なのかもしれない。たしかに合理性は必要だ。『ルフト・クーリエル』は会社であって、軍ではない。企業と呼ばれるモノの最終達成目標は利益であるかぎり、その目標達成ために錯雑を整理し余剰を処分するのは当然だろう。なにしろ、これから『ルフト・クーリエル』社は“戦争”という、最も非効率で非生産的な所業を生業とするのだ。
 主計課に出入りした船員達曰く、「本当の戦争を教えてやる・・・」とタイガー計算機を回しながら呟いていたとかいないとか。
 彼らの立場は日本政府の雇った傭船の乗員ということになっていた。軍属かどうかすら微妙な立場なるだが、とりあえず正規軍ではないものの国から認められた(黙認に近いが)兵力として位置付けられている。かなり特殊な立場ではあるが、アルマダ海戦におけるイギリス側のドレイク艦隊も元は似たようなモノ(ようするに海賊)なので、彼らの存在自体は前例がないわけではない。
 しかし、彼らの海賊となって海を荒す事ではない。むしろ用心棒のような存在になるのが、彼らのこれからの生業だった。成瀬は、同じ島国国家であるイギリスを見本に海上輸送の重要性を十分を認知していた。しかも、それは攻撃側であるドイツ側からの視点で、彼らはUボートに長距離哨戒爆撃機、仮装巡洋艦、果ては戦艦まで動員し通商破壊を行いイギリスの戦時経済を窒息寸前まで追い詰めている。もし、同じような通商破壊が日本に対して行われれば、どうなるか? こちらに出来て、向こうに出来ないなどという道理など存在しないのだ。

「総力戦だよな・・・」

 成瀬は夕日に向かって呟いた。

「社長~」

 声のする方を振り返ると、アイランド艦橋から顔を出した伝令当番が手を振っていた。

「電報届きましたよ~」

「おう、わかった。今、行く」

 艦橋へ戻った成瀬は、一枚の電報を受け取った。その電報は暗号化されていたが、彼らの能力を持ってすれば解読は可能であった。そして、それには短くこう記されていた。

『ニイタカヤマ
 ノボレ
 十二〇八』




最終更新:2008年09月16日 21:16