第七豊橋丸  200X年1月18日 03:28


 第七豊橋丸は東シナ海を全速力で北上する。
 速度計は34ノットを示し、エンジンはフル回転していた。

「敵機、さらに加速! 糞、レーダーが……。大尉! レーダーがへそを曲げちまいました!!」

 操舵室上部にある戦闘指揮所にいる大尉へ、レーダー担当の曹長が叫ぶ。

「なんてこった、こんなときに!」

 この船に配備されたレーダーが、へそ曲がりの気分屋であったことが災いした。
 こんな大事なときにまでへそを曲げるなんて!
 通信士はすでにブースト圧縮した暗号を本土へ送っていたが……。

「修理を……、いや、まて。もうそろそろ目視で見えるはずだ。よく見張らせろ!」

 完全な吹曝しの戦闘指揮所から自身も双眼鏡を使い、暗闇の中からなんとか敵機を見つけようとする。
 彼らを覆い隠そうとしていた霧はもう晴れ始めていた。
 だが、相手がヘリなら、エンジンの爆音がそろそろ響いてきてもいいはずだ。
 しかし、いつまで経ってもヘリは現れない。
 向こうも見失ったのか?
 緊張感が張り詰め、全員が纏わりついた霧の残滓と冷や汗に、不快感を感じながら周辺の監視をする。
 と、そのときだった。
 正面から“何か”が、霧の海を突き破って現れた。

「なんだありゃ!?」

 最初にそれを見つけたのは、戦闘指揮所で双眼鏡を偶然正面に向けた大尉だった。
 飛来してきたのはヘリコプターでも、ましてや飛行機などですらない。
 25、6メートルあろうかという、巨大な鳥のような物体だったのだ。
 そしてその鳥は、上昇の気配も見せずに、まっすぐ第七豊橋丸へと向かってきた。
 まるで第二次世界大戦時の、急降下爆撃機のようにまっすぐものすごい速さで突っ込んできた。
 近づいてきたことで、ようやく飛行物体の接近に気がついた甲板にいた全隊員が、声にもならぬ悲鳴をあげその場に身を投げ出した。
 吹き曝しの戦闘指揮所では、大尉も思わず頭に手をやり、首をすくめてしまった。
 
「な、な、な、なんだありゃ!?」

 甲板の誰かが叫ぶ。 
 場数になれた彼ら熟練の兵隊でさえ、今の化け物鳥には驚きを隠せない。

「また来たぞ!!」

 その声と同時に、今度は二匹の鳥が奇怪な泣き声をあげて船の頭上を通り過ぎる。
 今度はさらに近かった。
 獣の匂いが漂ってきそうである。

「ふざけやがって、ぶっ殺してやる!」

「この馬鹿野郎!」

 まるで自分たちを舐めているように、超低空飛行で飛ぶ鳥に拳銃を向けようとした一等兵が、軍曹に鉄拳制裁を喰らって甲板に転がった。
 あの馬鹿でかい鳥を無用に刺激しないほうがいいのが、誰の目にもあきらかだったことと、彼がどうやっても役に立ちそうの無い、中国製の54式拳銃(トカレフ拳銃の中国製コピー)を取り出したことが理由だったが。
 だが、それは他の兵たちを刺激させるのに十分だった。

「エンジンを止めろ! 奴らは音に近寄ってるのかもしれん!」

 大尉は伝声管に向かって叫ぶ。
 力強いエンジン音が止められると、海は徐々に静けさを取り戻していった。
 聞こえてくるのは、あの怪鳥の不気味な羽音だけであった。

「少尉…」

「は、はい? なんでしょうか」

「武器庫から武器を出せ。あれがどこから来たにせよ、この音から察するにまだ相当な数がいるようだ。なにがあってもすぐ対処できるようにしておけ。後、対空要員も全員配置に就かせろ、急ぐんだ」

 早口で喋る大尉のその口調には、若干のあせりが焦りが含まれていた。

「わ、わかりました」

 少尉はそういうと、ラッタルをすべるように降りていき、船内へ消えていった。
 やがて、水色の防水シートがつけられていた対空機銃のところへ、対空要員が足早に向かっていき、防水シートを剥ぎ取った。
 鈍色の銃身が露になり、装弾作業が行われ始める。
 その間に、甲板では北中国製のAK-47突撃銃のコピー品、56式自動歩槍が全員に配られていた。
 後に大尉は、このとき武器を配るのが早すぎた、という叱責を受けて軍法会議に掛けられることになるが、それはずっと後の話である。
 海上に響くのは、海の音と巨大な鳥が立てる羽音。
 そして、殺気だった空気と言葉では言い表せない威圧感が、まだ垢抜けしない新入りの精神を病み始めていた。
 さきほど殴られた先輩の上等兵は言うまでも無く、武器が配られた時点で全員が殺気を漲らせていたのだ。

(なんでこんなことに……)

 ただ射撃の腕が、初めて配属された国境警備軍(国家保安軍の隷下にある)で、上位に入るくらい良かっただけなのに。
 お節介な上官と酒びたりの政治将校が書いてくれなくてもいい推薦状を書いてしまい、国家保安軍のなかでも有数の実戦部隊に入れられてしまったうえに、あんな得体の知れない化け物鳥を相手にしなきゃいけないなんて。
 彼の銃を持つ手は震えていた。
 大尉は、この船に配属されたのは全員が実戦経験豊富な熟練者ばかりだと思っていたが、其れは実は大きな誤りであった。
 
(あんな化けものに食われるなんて嫌だ、嫌だ、いやだ、いやだ、イヤダ、イヤダ………)

 その瞬間だった。
 右舷方向から霧の海を突き破って、羽音を響かせてさらにもう一匹、いや、その後ろにさらにもう一匹が出現した。  
 その刹那。
 彼は、迷わずに引き金を引いた。  
 56式自動歩槍は、射手の命令どおりに働き、7.62ミリ弾を剣呑な銃声と共に吐き出した。
 その瞬間、甲板にいた全員の緊張の糸が……切れた。
 八丁の56式自動歩槍が、二丁の74式班用机槍(分隊支援用軽機関銃)が、一呼吸遅れて7.62ミリ六銃身ガトリング機銃が、一斉に火を噴いた。
 銃声が海上に響き渡り、兵たちの叫び声をかき消した。
 銃声に驚いたのか、先頭にいた鳥が大きく旋回しようとしたが、それがいけなかった。
 鳥は両翼と下腹を晒してしまった。
 急に大きくなった目標に、隊員たちは何も考えずにそれに向かって引き金を引いていた。
 たちまち7.62ミリ弾が翼を毟り取り、下腹に食い込んでいくたびに鳥が悲鳴を上げた。
 わずか数秒の間に、全身を蜂の巣にされた化け物鳥は、力なく海へ落下した。


 今、目の前で起こった出来事を現実と認識するのに十数秒はかかった。
 セレスティアはあの凄まじい音で、反射的に手綱を引いた。
 彼女の眼前で、王国軍の精鋭が、竜騎士団の騎士が自らの愛竜にして親友たる竜とともにぼろぎれの如く、ずだずだに引き裂かれたのを。
 あの竜に騎乗していたアイゼーン騎士爵は、百竜長(百人の竜騎士隊の長)になることが内定していたほどの豪の物だった。
 その彼が何も出来ずにやられてしまった。
 騎士団の中でもその実力を鼻に掛けず、人柄の良さと度量の大きさで、彼は騎士団に勤める全ての人間から好かれていた。
 彼女も幼少の頃、彼に随分世話になった。
 まだ手綱も握れなかった私を、彼は厳しく鍛えてくれた。
 竜や剣の扱いも、何でも教えてくれた。
 だが、その彼は……………もう、いない。
 彼女の内心で、荒々しい怒りが燃え上がり、その緑色の瞳にサッと怒りの色が現れた。
 アイゼーン騎士爵は、彼は……あんな死に方をする人ではなかった。
 彼女は、自らの乗る竜を再びあの船へと向けた。

「絶対に………許さない!!」

 
「大尉、もう一匹がまた戻ってきます!」

「糞、逆効果だったか!?」

 どうも一匹を倒したのが逆効果だったらしい。

(糞、いったい誰が撃ちやがったんだ、大馬鹿野郎!)
 
 心の中で銃火を開いたまぬけを罵る。

「ストレラの準備は!?」

「今やってます!」

 船の内部では、対空ミサイル要員である伍長が使い捨て式ファイバーグラス製容器を、ストレラミサイル発射機に装填しているところであった。
 装填作業の間に、気まぐれなレーダーが一時的に復帰し、南から来る飛行物体を捕らえたという報告が来る。
 さらに状況は悪化していく。
 自分たちの姿を覆い隠していた真っ白い霧が、徐々に引き始めていた。
 このままではジリ貧になってしまうことは火を見るより明らかであった。

「機関長! エンジン始動! 最大速力!!」

 その瞬間、対空砲と突撃銃が再び火を噴いた。
 真鍮の薬きょうが排出されるたびに、甲板に当たって小気味よい金属音を奏でるが、それを圧倒するガトリングと突撃銃の咆哮。
 南側の脅威を圧倒的な弾幕で追い散らす傍らで、ゴーグルをかけた伍長が装填作業を追え、撃鉄を押してシーカーを作動状態にしていた。
 このシーカーには、熱源に敏感な反射式光学器材が入った自動追跡装置が密封されている。
 再度、真正面から向かってきた目標に、三人の兵士が突撃銃を撃ちまくる。
 伍長がシーカー・ヘッドを作動させ、発射機を目標に向ける。
 ストレラミサイルは、シーカー・ヘッドの赤外線探知機が敵機の熱源を捕捉すると、緑色灯が点灯するようになっているが、生き物を相手どるように作られてはいない。
 伍長は内心で、社会主義系列国家では一応は存在否定されている神様に祈り、発射機を目標へ向けた。
 シーカーはなんとか、目標の放射する赤外線を補足してくれたらしく、音声とランプで伍長にロックしたことを知らせる。

(神様、ありがとう……!)

 内心で自分の頭の中で思い描いた神様へ頭を下げ、伍長は船へ近づいてくる怪鳥に向かって引き金を引いた。



 彼女は自分の愛竜にブレスを吐かせた。
 しかし、それはただの火炎ブレスではなく、火球状に形成したものであった。
 それは、通常の火炎ブレスと違い広域制圧力に欠けるが、圧縮した分威力が増し、ただブレスに比べれば遠くまで飛ばせることができる。
 また、自らも竜戦槍(竜騎士が用いるため軽く、長く、鋭く作られた槍)を、鞍から引き抜いた。
 誇り高い竜騎士は、自らの天敵となる弓を使わない。
 騎士同士の戦いに飛び道具は無粋なものである。

「はぁぁああああ!!!!」

 裂帛の気合の掛け声と共に、竜と騎士は向かっていく。
 竜の口から、オレンジ色をした球状の火炎ブレスが吐き出された。
 セレスティアは魔法の詠唱するとともに、槍にその魔力を送る。
 トラキア王国の編み出した魔法槍術“裁きの槍”。
 魔力を纏った槍は地表に落ちた瞬間、その周辺にいる敵兵を焼き払うことが出来る。
 ブレスが海上に落着。
 水しぶきを上げ、相手の視界を奪う。
 セレスティアはそのまま船の上空へと差し掛かる。
 右腕を振り下ろして槍を投げつける。
 いかに目標が動こうとも、あの槍の破壊力からは逃げられない。
 海上に落ちた槍は魔力を解放、凄まじい爆発と水しぶきがあがった。
 船の頭上を通り過ぎ、戦果を確認しようとした彼女の目にそれはうつった。



 怪鳥の口から放たれた火球が船の周囲に、水柱を立てていた。
 その時点では、全員が海水に濡れるだけですんでいるが、次の攻撃は違った。
 怪鳥から降って来た光る何かが、海に落ちたと同時に爆発した。
 その爆発の衝撃は船を大きく揺さぶり、南側へ射撃を行っていた対空機関銃手が水柱にさらわれたのか、影も形もなくなってしまっていた。
 さらに、衝撃波をまともに受けたことで船の上は地震にあったかのように大きく揺れ、三人の兵士が海へと落ちた。
 そして、その中にはストレラを構えていた伍長もいた。
 だが彼は任務を遂行した。
 彼は爆発と同時に引き金を引いたらしく、ストレラミサイルの発射筒からロケット雲を引きながら飛んでいった。
 二個目のロケットが噴射を開始して、ミサイルは一気に最高速度まで加速、それと同時にシーカー・ヘッドが、反射する竜の熱源の角度を測定していた。
 ミサイルに組み込まれた電子の頭脳は、ミサイルの可変翼を調整しつつシーカー・ヘッドの向きとミサイルの飛翔方向を一致させた。
 怪鳥は、ストレラミサイルに気がついたのか、あわてて進路を右方向に向ける。
 だが、完全に熱源を捕らえた電子の目は、ごまかされない。
 ストレラは反時計回りに回転し、追跡コースに入る。
 反時計回りに回転するのは、ミサイルは弾道を安定させるためである。
 怪鳥はそれをみて外れたと思い込んだのだろうが、そうは問屋がおろさない。
 ストレラは毎秒430メートルの速度で移動するのだ。
 鳥ごときに引き離されるなどありえない。
 自分の尻に喰らいつくストレラを避けようと、蛇行飛行となっているがもう遅い。
 電子の槍が、怪鳥の腹を貫き………爆発した。


 
 最初に聞こえたのは耳を劈く悲鳴だった。 
 彼女の愛竜があげた悲鳴。
 苦楽を共にした愛竜が、魔物の群れと戦い深手を負ったときでさえ苦痛の声すら上げなかった相棒が、悲鳴を上げたのだ。

「レファー!」

 愛竜の名前を叫んだ。
 だが、それに返答は帰らず、ただただ悲痛の泣き声をあげ、海面へ激突した。
 水柱が上がり、あっという間に竜も人も姿が見えなくなる。

「「「姫様!!」」」

 竜騎士たちが叫ぶ。
 しかし、海面には白い泡が浮かぶだけだ。
 騎士たちは、このあたりは凶暴な海蛇や鮫の生息地ということを知っていた。
 もはや、彼女の命は……。

「全員聞け! この海域から撤退するぞ!」

『な! 副長、何を言っているのかわかってるんですか!?』

 竜騎士の一人が副長に叫んだ。
 敬愛する上官を、守るべき姫を殺され、このままおめおめと逃げ帰るなど。

「だめだ、我々の今の戦力ではあの火を吹く船に勝てない!」

 最初はただの大きい船としか思わなかった。
 だが、あの船から突如として轟音が響きわたり、最初にアイゼーン百竜長が落ちた。
 そして、攻撃を仕掛けた姫は船から飛び立った“なにか”追いかけられ、そのまま海に落ちた。
 まるで生き物のように、だが、信じられないほどの速さで姫の竜に追いつき、そのまま爆発してしまった。
 あれに狙われては、自分たちも姫の二の舞になるのは眼に見えている。

「これは命令だ、今の我々の戦力ではどうしようもない!」

『畜生!!』

 誰かが叫んだ。
 それは副長である彼も同じ気持ちであった。
 守るべき姫を見捨てて、逃げるほかないなど、武人の風上にも置けない。
 だが、それ以上にあれは危険なのだ。
 このまま全員で立ち向かっても、勝てるチャンスはまったくない。

(姫……もうしわけ……ありません)

 心の中で血の涙を流し、血が滲むほど歯を食いしばり、副長たちは本国へと戻っていった。



「大尉、連中が逃げていきます!」

 見張りのもたらした報告で、船内にいた全員が肩をなでおろした。
 あの鳥が投下した“爆弾”によってエンジンが一部おかしくなり、さらにレーダーが完全に死んだが、他の機械は生きているし、死者はなし。

「よし、連中が戻ってこないうちにさっさとずらかるぞ。エンジン始動――」

「待ってください!」

 大尉の言葉をさえぎって、見張りの声が響き渡った。
 
「どうした?!」

「八時の方向に何かが浮かんでいます!」

 糞!まだ何かあるっていうのか。
 大尉は内心で悪態をつくと、八時方向を双眼鏡で調べはじめる。
 たしかに、そこには血に塗れた鳥の死体と思しきものが浮かんでいる。
 だが、その今にも沈みそうなその巨体の側に、ぐったりとしている人間が浮かんでいるのを、大尉は見逃さなかった。

「人だ!」

 思わず声を上げてしまう。
 あの化け物鳥に人が乗っていたというのか!?
 見間違いではないかと、眼をこすってみたりしたが、どう見てもあれは人間にしか見えなかった。
 どうする?
 大尉は一瞬考えたが、すぐに結論を出した。

「おい!すぐにあの化け物鳥のそばに船を寄せろ、急げ!」

 すぐに船は息を吹き返した。
 船はゆっくりと化け物鳥の死骸に近づいていったが、近づくにつれて、それが鳥ではないことが徐々にわかり始めた。
 目視できるところまでくると、仰向けになって海面に浮かんでいるその怪鳥が、もっと別の生物であるとわかる。
 大尉は船に積んでいるゴムボートを下ろさせ、死骸に近づいていく。
 怪鳥、いや、まるでファンタジー小説に出てくるドラゴンのようであった。
 その腹からは、止め処なく赤い血が流れ、海を赤黒く染めあげており、ミサイルの破片が深々と突き刺さっている。
 そして、そんな竜のそばには……。

「ありゃ…人……女?」

 長い銀髪が、波に揺られていた。
 軽装の鎧を身に纏っている点を除けば、その整った顔つきなどで、すぐに女だとわかった。

「何でこんなところに女が?」

「わからん。………だが、急いだほうがよさそうだぞ」

 訝しげに大尉を見た部下は、その理由がすぐにわかった。
 海面から黒い三角形の物体が突き出ていた。
 その正体はいやでも察しがついた。
 
「回収を急げ。鮫に食われるのはごめんだぞ」

 ゴムボートに女を引きずりこむと、大尉たちはすぐにその場から離れ始めた。
 後ろでは、ついに鮫が動かない獲物に喰らいつき始めたようだ。
 それにしても……。
 大尉は考える。
 見たこともない巨大な鳥もどきに、それに乗っていたと思しき少女。
 
「一体全体……なにがおこってるっていうんだ」

 その問いに答えれる者は、その場には誰もいなかった。
最終更新:2009年01月17日 21:58