第4話


 日本国家保安省管轄 三沢人民空軍基地姉沼通信所

 姉沼と小川原湖に挟まれた一帯に設置されているこの基地は、CIAから "Security Hill" と呼ばれており、米国の軍事衛星の追跡、軍事衛星通信の傍受などを行っている。
 これは、アメリカを盟主とした西側アングロ・サクソン諸国の世界的通信傍受ネットワーク“エシュロン”に対抗するため、旧ソ連時代にGRUが、そして現在は情報保全の責任を有する機関ФАПСИ(FAPSI 連邦政府通信情報局)が引き継いだ“敵データ統合記録システム(SOUD)”と呼ばれる同種の傍受網に、日本が参加した際に作られたものである。
 その後、このシステムは冷戦崩壊後は“エシュロン”への対抗策として、また国家保安省が昨今発達してきたインターネットへの監視のために新部署を設置したことで、さらに重要度を増していた。

「第6~17までの各ネット不通」

「青の非常回線に切り替えろ。衛星を開いても構わん。そうだ。現状は?」

 管制官の非常報告に司令官が素早く対処する。
 突然の停電と全国内を除く全世界の通信電波がいっせいに途絶えたのだ。

「外部との全ネット、情報回線、完全に途絶えています」

「ロシア、及び北中国との交信が途絶えました!」

「国防省通信電波管理局から通信、我が軍を除いた全世界規模でいっせいに通信機器の電波が途絶えたとのことです!」

「中佐、樺太特別自治州からの定時連絡が途絶えました。電波すら発信されていないようです」

 樺太までもが……。

「……一体何が起こったんだ」

 一方。
 この大異変を知りえたのは、軍や政府関係者以外にも多数いた。
 多くは、衛星放送を視聴していたり、インターネットにアクセスして海外サイトを見ていた者などである。
 停電はわずか数秒で直ったが、海外から送られてきたはずの電波は途絶え、海外サーバーは障害を起こし、エラー以外何も表示されなくなった。
 異常事態に気がついた人間からの携帯電話などの使用が増え始め、翌日になる前に情報インフラはパンク状態に陥り、公共機関の公式サイト、テレビ局や電話局への通信が殺到しはじめ、国家保安省によって回線が規制される異常事態にまで発展した。
 だが、国家保安省にとって幸いだったのは、この異常事態の最中に、先の政変で失脚した大澤の邸宅が火災で焼失し、焼け跡から大澤本人と思われる焼死体が発見されたニュースが、瑣末な扱いをされた程度で終わったことであった。
 同時に、国内の不法滞在者を支援するいくつもの団体の施設にも国家保安省の強制捜査の手が入ったことは、報道にすら上がらずに情報の闇へ葬り去られていった。


 東シナ海 国家保安省第6局作戦課情報収集隊所属“第七豊橋丸”

 月明かりに照らし出された東シナ海は、雲ひとつ無い晴天であったため、奥を見つめると、まるで満天の星がちりばめられた硝子細工のようであった。
 そんな東シナ海に一隻の船が浮かんでいた。
 漁船、というにはいささか大きすぎたうえに、不自然なまでにアンテナが乱立しているその船の甲板上では、何人もの男たちが周辺を見張っていた。

「大尉、何が起こったんでしょうか?」

 雑音しか出さない電波情報受信機の組み立てを終えて、後ろに立っている上官に聞いた。
 この第七豊橋丸は、一見すると大型の漁船のように見えるが、実際は国家保安省所属の情報収集艦であった。
 現在の任務は東シナ海で行動する日米中(左から、南日本、アメリカ、中華民国)海軍の潜水艦の探知と、南日本の軍用通信の傍受であるが、彼らはこのほかにもう一つ任務を帯びていた。
 元山の朝鮮海軍港で積み込んだ物資を、南中国の人間に引き渡すことであった。

「それは俺に聞かないほうがいい。少尉、それよりも沿岸警備隊に注意しろ。そろそろ“向こう側”の客がくるはずだ」

 了解、と一言残し、少尉と呼ばれた男は無線機に向き直り機器をいじり始めた。
 大尉と呼ばれた男は、彼を残して船倉へと降りる。
 従事する作戦が、潜入任務である場合は、船内には小型漁船のように偽装した上陸用の小型艇か潜水艇を搭載するが、今回船倉の中身は防水加工された大量の箱でいっぱいであった。
 ふと、高い波にぶつかったのか、船が揺れて箱の一つが落ちて中身が零れ落ちた。
 しっかりと防水パックされた白いパッケージが落ちてくる。
 それこそ、満州産の芥子の花から作られた、ドラックの王者“ヘロイン”であった。
 ヘロイン。
 ドイツの製薬会社であるバイエル社が、当初喘息の薬品として世界に発売したこの薬品は、いまや世界でもっとも危険な麻薬であった。
 芥子から採取した乳液上のものを乾燥させた阿片をモルヒネにし、その後にできる塩酸モルヒネを濃縮アンモニアや無水酢酸で処理し、不純物を取り除いた“ホワイト・スノー”と称されるヘロインをエーテルと塩酸で処理すると、ようやくヘロインとなる。
 文章で書くと簡単そうに思えるが、この処置を行うのには莫大な金と労力が必要になる。
 この船に積み込んでいるのは、満州産阿片で作られた“ナンバー4”と呼ばれる高純度ヘロインで、この船に積まれている全てが、今夜の取引相手である南中国の幇(中国マフィア)に渡されることになっていた。
 そして、その代金は全て国家保安省の秘密口座に蓄えられるのだ。
 無論ながら、その口座は一つや二つではなく、世界中のタックスヘイブン(租税回避地)にあった。
 大尉は内心で毒づいて、こぼれ出たパッケージを箱の中に戻し、上に戻り始めた。
 もうそろそろ取引の時刻であった。

「大尉!」

 レーダーを見ていた曹長が大声を張り上げた。

「どうした!」

「対空レーダーに反応が! 方位287から接近中! この速度からおそらくヘリコプターだと思われます!」

 糞っ!
 大尉は甲板に出て、首からぶら下げていた双眼鏡を構えた。
 だが、いつの間にか発生していた濃い霧によって、視界の中に機影を捉えることはできない。
 こんな時間にヘリが飛んでくるなんて聞いてないし、霧がでるとも聞いてない。
 南中国海軍か、傀儡政権軍か、アメリカ軍か。
 それによって対応は違ってくるが、最終的には尻に帆を掛けて逃げるだけだ。
 幸いこの船は、日本製とスウェーデン製の強力なエンジンを四基搭載しており、35ノットの最高速力を出せるため軍艦さえ振り切れる。
 だが、ヘリコプターとなれば話は別だ。
 これほど濃厚な霧なら逃げ切れるかもしれないが、下手をすれば一戦交えなければならなくなる。

「大尉、対空戦闘配置を命じますか?」

「……そうだな。機関銃手を配置につかせろ。あと、ストレラも準備しておけ」

「了解」

 この第七豊橋丸には、擬装を施した14.5ミリ連装機関砲が装備されている。
 戦闘機相手では無力だが、ヘリコプターなら何とか相手になるだろう。
 他にもこの船は、7.62ミリ六砲身ガトリング機関銃を2基搭載していた。
 どちらも対空戦力としては、戦闘機相手では無力だが、ヘリコプターなら(無論対戦車用の重装甲ヘリは別だが)十分に撃墜できる。
 かたや、防水シートにくるまれたストレラJは、ソビエトが1959年に開発を始めた携帯式地対空ミサイルを原型とするもので、NATOコードのSA-7のほうが有名なミサイルだ。
 日本製のストレラJは、本家のロシア製よりも性能がよく価格も安かったため、アフリカの発展途上国などで採用している国が多かった。
 だが、ストレラJがいくら高性能だろうと、元のスペックが多少良くなった程度である。
 戦闘機のフレア(熱源欺瞞装置)であっという間に回避されてしまう。
 それは数で補えばまったく問題は無いが、この船に配備されているのはたった二つだけだ。
 とはいえ、ヘリコプター相手ならば問題は無いのには変わりない。
 大尉は船内へと戻り、操舵手へ戻る帰還を命じた。

「エンジン始動! 領海へ戻るぞ!」

「了解!」

 船が身震いした刹那、エンジン音が力強く響き渡った。

「来るなら来て見ろ、帝国主義者ども。返り討ちにしてやる」




 レナリアーナ海を北上する十五騎の飛竜が、見事な楔を保ったまま、北へ向かっていく。
 鑑定眼のある人間がみれば、どの飛竜も皆黒に近い灰色のうろこを持つ、准ラグアワイバーンクラスばかりである。
 その背にくくりつけられた鞍には、闇夜にも鮮やかな純白のマントを羽織った男女がいた。
 それがレナリアーナ海一体の島々を所持するトラキア王国のほこる“聖トラキア竜騎士団”の騎士たちであることは、子供でもわかる。
 その純白のマントに描かれた百合と竜の紋章は、ほこり高き竜騎士の証であった。

「隊長、竜が何かをかぎつけたようです!」

 無論、この空の上で、しかも風が強くなりはじめたこの時間では、会話など出来るわけがない。
 騎士団の印が刻まれた指輪を媒体とした、魔法通信がなければできないことであった。
 その報告に、隊長らしき楔の最先頭にいた人物が目を向けると、まるで何かに怯えているように、身を震わせている愛竜をなだめている部下が目に留まった。
 飛竜が怯えるなど、本来ならありえない。
 竜族の中でももっとも下位に位置するワイバーンだが、その力は並みの騎士が五人が束でかかってきても倒せるかは半々の確率、というほど部の悪いものである。
 しかも、このワイバーンは軍用に特別に調教されたものである。
 それが怯えるとは。

「どれくらいで確認できる?」

「この反応ですと、だいぶ近いようです! たぶん半時もあれば……」

 強い海風が吹いた。
 隊長のかぶったフードが風に流され、後ろに流した長い銀髪があらわになった。
 隊長は、この国でもまだ一個小隊ほどしかいない女竜騎士は、フードを直さずに風に髪の毛をなびかせたまま思考している。
 彼女、セレスティア・デ・トラキアーナ・ヴァン・ルイーザは、その名の示すとおり、このトラキア王国の王位継承権を持つ王族の一員であった。
 彼女は思案する。
 下界に下りれば霧の海に突入することになるが、新入隊員を連れてきていることが、彼女を下へ降りさせることを躊躇させた。
 たかが海賊討伐だが、相手がもし万が一他国の水軍ならば、まずいことになる。
 はるか西の地では、二つの大陸を巻き込んだ大戦争が始まっているという話だ。
 いるはずはないだろうが、もし神聖同盟かアルトメキアの軍船を攻撃した場合、非常にまずいことになる。

「オルス、ルーッツ」

 彼女は決断を下した。

「新入りを連れて戻りなさい。残りは私についてきなさい」

『姫様!?』

『隊長! 私たちは決して足手まといには!』

「そんなこと言ってる場合じゃないわ、これは命令よ。さぁ、いきなさい!」

 無論、六人の若い竜騎士は抗議するが、彼女はそれを命令という形で抑えた。
 オルスとルーッツと呼ばれた騎士が、竜の頭をかたちどった兜に右の拳をあわせる敬礼を行うと、そのまま六人を連れて本土へと戻っていった。
 若い騎士たちは何度もこちらを振り返っていたが、しぶしぶよいった感で、本土へと戻っていった。

「よし、副長! 先頭を任せた。わかってるとは思うが……」

『他国の水軍の場合は手出しをせずに警告のみ、ですね』

「そうだ。大陸から渡ってきた火の粉をあえてかぶることは無い」

 トラキア王国の東、エルシェル大陸では今その南の大陸を巻き込んだ大戦争が起こっていた
 南のモルトリア大陸に君臨する大国“アルトメキア帝国”の皇帝が、かつて両大陸を支配したエリラート帝国の正当なる後継者を名乗ったことがきっかけであった。
 元々南大陸はエリラート帝国時代、流刑地として使われていただけに過ぎず、帝国の認める宗教キリキア正教会を信じぬ異端者たちの逃亡先でしかなかった。
 だが、エリラート帝国の崩壊が全てを変えた。
 度重なる自然災害と凶作による農民一揆、そして権力階層の腐敗と宮廷の混乱・政争は、エリラート帝国の屋台骨をゆるがせていった。
 そして、帝国暦661年。
 モルトリア大陸の帝国支配地の領主に任じられていたフェローバ・デ・アルトメキア子爵が、当時帝国で異端とされたマナ教に改宗し、帝国へ反旗を翻したのだ。
 これが帝国にとって止めとなり、各地で貴族、諸侯が反乱農民と合流、最終的には皇帝の三男が治めていた東部直轄領までもが反乱を起こし、帝国は崩壊した。
 以後、両大陸は混沌の戦国時代を向かえた。
 その後、アルトメキアはモルトリア大陸の半分を制し、以後エルシェル大陸諸国と何度か小競り合いを起こしていた。
 そのアルトメキアが、突如として全世界へむけてエリラート帝国の復活と、宣戦の布告を宣言。
 モルトリア大陸とエルシェル大陸を結ぶグラドヴィル半島を征服し、エルシェル大陸南部諸王国にもその魔手をのばし始めた。
 アルトメキアが、なぜそこまで強大な軍事力を得ることが出来たのか?
 それは、人々の夢であった天翔ける船、『飛空艇』の存在であった。
 その機動力は、地上で暮らす全ての人々の夢の実現であったばかりか、王族の欲望を満たす手段になってしまったのであった。
 しかし、ここでエルシェル大陸の各国は、キリキア教教皇ファルネリアスⅧ世の提案である諸国軍事同盟、ファルネリウス同盟(以下、神聖同盟)締結し、アルトメキアに対し一致団結することを宣言することとなる。
 また、かつてエリラートのライバル国家だった“ローレンシア公国”が同盟に参加したことで、両大国は均衡状態へと陥った。
 ローレンシア公国はポセイドン海峡を挟んで、グラドヴィル半島やアルトメキア帝国本土を狙える位置にある軍事国家あり、その軍事力はアルトメキアといえども無視できないものであった。
 だが、そんな中で悲劇は起こった。
 アルトメキア帝国の新皇帝“セントメーナⅣ世”は親征を発表した矢先に、流行病で病死したのだ(この病死は暗殺の噂が強く残った)。
 大陸北部へ侵略するため戦力を整え始めていた帝国は、この隙を突いて攻勢を掛けた神聖同盟軍に撃退され、停戦を結ばざる終えなくなった。
 そして、それから四十年たった現在。
 仮初の平和は、再びアルトメキア側によって破られた。
 アルトメキア軍は四十年前に揃えた精鋭をさらに増強し、総計五十万の大軍団が二つの鋼鉄の拳となって襲い掛かったのだ。
 こうして、再び両大陸は血で血を洗う大戦争へと投入したのだが、その戦争の火の粉がここまで飛んでくるとは、彼女には思えなかった。
 だが、実際にトラキアでは戦争の影響が如実に現れ始めていた。
 この戦争によって船の保険料が天井知らずで高くなっていることで、商人たちは船をだしたがらなくなり、港にはこの国の輸出品たる小麦はワインは倉庫や樽の中でうずたかく積みあがっている。
 両大陸とも、今年の収穫高が旱魃と長雨で散々な結果に終わったことで、どちらも喉から手が出るほど、食料をほしがっている。
 そしてどちらも相手にそれを渡すまいと、この広い大海に私掠船を無数に放っている。
 保険料が高騰している理由はそれであった。

(アルトメキアの飛行艇は、たしか水上にも着水できると聞いたことがある。用心するに越したことは無いわね。でも……)

 アルトメキアの飛行艇がこんなところまで来れるかと、彼女はそう思っていた。
 だが、あれは国家機密の塊である。
 航続距離も飛竜十頭分以上あると考えていたが、もしかしたらそれ以上かもしれない。

(考えても仕方ないわね。今は正体を見極めるのが先だわ)

 七人の騎士たちは、レナリアーナ海を進んでいくのであった。



最終更新:2008年06月02日 19:18