第3話

 200X年1月16日 20:30 太平洋 深度76メートル


「艦長、まもなく定時連絡受信時刻です」

「通信長、通信アンテナをあげろ」

「宜候。通信アンテナをあげます」

 その四分後、艦内に備え付けられた通信暗号解読機に、本土から飛ばされた電波が圧縮されて届けられた。

「受信中………受信完了しました」

「通信アンテナ下げ!」

 無線受信という目的を果たすと、通信に使うワイヤー状の通信アンテナを巻き取りはじめる。
 いつまでも不用意にアンテナを上げておくのは、秘匿性の保持を優先事項とする潜水艦にとってとても好ましくない。
 潜水艦乗りは臆病なくらいがちょうどいい。

「アンテナ収容終了!」

「深度三五〇、速力七」

「宜候、深度二五〇、速力七!」

 光が届かない暗き海の底へと、それはゆっくりと降りていく。
 世界最大の鯨よりも巨大なその人工の巨鯨の名は“グルファクシ”。
 日本人民海軍が世界に誇る超弩級潜水空母であった。


 八十年代終わりごろ、当時ソビエトと冷戦中であったアメリカ合衆国において、とある退役海軍中将が独自の論文をアメリカ海軍協会誌プロシーディングスに掲載した。
 この論文こそが、後のアーセナル・シップ構想であった。
 しかし、論文そのものは注目を集めたが、米海軍で採用されることはなかったが、大きく興味を示した国家があった。
 太平洋を挟んだ極東の島国、日本民主主義人民共和国である。
 日本は独自の弾道ミサイル迎撃システムとして“ストーンヘンジ”という最強の盾を開発し、弾道弾迎撃については現在においてもおそらく世界でもっとも優秀なシステムを保有している唯一の国家である。
 だが、ソビエト連邦はそれで満足しなかった。
 忠実な同盟国日本に対して、ソビエトは自国が攻撃された場合に反撃を行える能力を日本にも要求した。
 日本側がその能力を備えるまで、ソ連北洋艦隊から二隻の潜水艦が派遣された。
 ソ連北洋艦隊から派遣された世界最大の潜水艦、西側から“タイフーン級”と呼ばれている弾道ミサイル原子力潜水艦TK-202、TK-12の二隻だった。
 だが、これはある意味の厄介払いの意味も含んでいた。
 八十年代終わりごろ、ソビエト連邦は世界中の友好国に派遣していた軍事顧問団を引き上げさせ、さらに友好国価格で格安提供していた資源を国際水準にするなど、すでに財政的にも軍事的にもなりふり構わなくなっていた。
 それは極東の日本でも同じであった。
 1945年の第一次中華動乱から、膨張の一途をたどっていた在日ソ連軍。
 八十年代にはソビエト太平洋艦隊はおろか、他の陸海空軍の部隊までも駐留経費未払いという状態であった。
 日本とソ連の経済関係が逆転した七十年代には、在日ソ連軍は日本人民軍の総数を上回った。
 それは西側から見れば、日本がソ連に占領されたようなものであった。
 一例を挙げてみよう。
 1990年、ソ連太平洋艦隊には海軍の約68%の艦艇が配備されていた。
 特に旧ソ連海軍が、日本やドイツから接収した技術で作り上げた超弩級戦艦、ソ連海軍初の大型正規空母をはじめ大型艦の優先配備が、北洋艦隊より太平洋艦隊に重点が置かれていたが、これには太平洋艦隊の根拠地がウラジオストクから日本に移ったことで、稼働率が他の三艦隊より高くなったことが理由であった。
 ソ連地上軍とソ連空挺軍は、山岳地域の多い日本の地形を考慮し、自動車化狙撃兵師団や戦車師団よりも、山岳歩兵や航空強襲部隊、対戦車ヘリ部隊を中心に配置していた。
 1979年のアフガン“解放”では、一時期ではあるがアフガニスタンに派遣される極東の部隊が、日本の山岳地帯で訓練を受けていたこともあった。
 最後に、ソ連空軍は“戦略航空隊”を含めた二個航空軍を日本の各地に駐留させていたが、在日ソ連空軍は常に最新鋭機が優先配備されており、他の軍管区とは違う扱いを受けていた。
 極東の島国にあふれ出んばかりに配置された莫大な戦力を維持する費用は、当然ながら当時のソ連には荷が重すぎた。
 そこで日本側は、在日ソ連軍基地で働く日本人従業員の給与の一部を日本側が負担するという決定を下した。
 当時の国防大臣が、マスコミの発表に対して「思いやりの立場で対処すべき」と答弁したことから、“思いやり予算”と呼ばれるようになったこの予算の存在があったからこそ、ここまで膨張した在日ソ連軍がソ連崩壊まで日本にとどまり、その高い稼働率を維持できたのだ。
 ソ連崩壊時には、“思いやり予算”は五千億円以上にまで膨れ上がっており、それらは各地の在日ソ連軍の施設維持費どころか、将兵らの給与にまで使われていたのであった。
 そして当然といえば当然ながら、在日ソ連軍の将兵は、上は将軍から提督、下は徴募兵に至るまで全員が日本残留を希望した。
 沈んだ船にいつまでも乗る気はなかったということの証明であった。
 むろんの事ながら、一部の人間は故国へと帰ろうとしていたが、ソ連崩壊後、保守派とロシア政府があちこちで武力衝突を起こし、また、ソ連構成国が次々と独立し始め、内戦に発展したことで、帰ろうにも帰れない状態になってしまった。


 話はそれたが、日本に配属された二隻のアクラ級(ロシアではタイフーン級はアクラ級と呼ばれている)は、接収後は日本側から徹底的な調査を受けた。
 そしてソ連という傘が無くなった日本は、かつての盟主が要求した、自国が攻撃された場合に反撃を行える能力を、この艦に見出したのだった。
 おりしも1994年、先のアーセナル・シップ構想をさらに発展させた“次世代戦艦構想”が海軍へ提出され、このプランを出したドイツ系の元人民海軍将校が長を勤める設計局がその設計を全て任された。
 潜水艦の隠密性と巡洋艦並みの制圧力を持ちながら、空母並みの航空機搭載量と戦艦並み攻撃力を持つ“次世代戦艦構想”は、日本最大の建造設備を持つ“大神海軍工廠”の02ドックで開始された。
 完成時、命名権を持っている設計局は北欧神話にちなみ、一番艦をシンファクシと命名する。
 無論宗教を否定する共産主義国家という体制からか、一部批判が起こったのはたしかだが、其れは圧倒的少数派だった。
 元々日本人は宗教に対する帰属意識は薄い。
 イベントとしてのクリスマス、バレンタインデー、教会結婚式、ハロウィン等の宗教儀礼に参加しながら、正月には神社に初詣に行き、人が亡くなれば仏式に限らず葬送儀礼は必ずといっていいほど行われる。
 かつての明治政府や旧ソ連のように、廃仏毀釈などで宗教を取り締まったり寺社仏閣を取り壊したりせず、あくまで特殊法人として登録させ、そのままにしている。
 だからこそ、山手教会聖堂も、ニコライ堂も、法隆寺も、出雲大社も、取り壊されず今日まで平穏無事にその姿をとどめてこれたのだ。
 無論、かつての盟主国指導者であったフルシチョフは、この日本の宗教対策を手ぬるいと批判していたが。
 ともかく、命名に関してはひと悶着は起きたものの、シンファクシ級はそのまま就役することとなった。
 そして、今この太平洋にいるグルファクシは、シンファクシ級三番艦であり、二年ほど前に就役したばかりの最新鋭艦である。
 シンファクシが攻撃型潜水艦としての、リムファクシがミサイルプラットフォーム艦としての性格が強いのに対し、末娘のグルファクシはアーセナル・シップとしての性格が強く現れていた。
 シンファクシとリムファクシが、軽空母に匹敵するほどの艦載機の運用能力を有している潜水空母であるのに対し、グルファクシはその航空機運用能力を全て取り払っていた。
 かわりに対空ミサイルや対艦ミサイルのVLSを増強、さらに散弾ミサイルの異名で知られる二種類の多用途炸裂弾頭ミサイル(MPBM:Multi-Purpose Burst Missile&SWBM:Shock Wave Ballistic Missile)の配備数を増加、さらに艦載戦闘システムを全て純国産のものへ一新し、ロシア製ライセンス電子装置の性能向上型よりもさらに強力となっていた。
 この国産システムは、性能はイージスには劣るがロシア製のあらゆる武器管制システムを凌駕しており、西側ではバロールシステムと呼ばれている。
 極端に無駄を省いたことは艦の省力化にもつながり、これほどの超大型潜水艦にもかかわらず乗員は僅か52名であった。

「米艦隊の位置変わらず、有事の際はこれを殲滅せよ、か。なるべくなら起こってほしくは無いが……」

「それはどういう意味ですかな、艦長?」

 艦長の最後の独り言にいやみたっぷりに政治将校が口を挟む。
 彼は交通事故で入院した前任者の変わりに、この艦に配属されたのだが、配属からわずか一週間で艦内の全員から蛇蝎のように嫌われていた。
 一度など、この愚か者は火気厳禁のミサイル庫でたばこを吸おうとして、整備兵がこの間抜けの後頭部に大型レンチを振り下ろしそうになったほどだ。

「そのままの意味だ、同志。敵とはいえ、彼らは敬意を表すべき強敵であるとともに、我々と同じ人間だ」

「艦長、聞き捨てなりませんな。それは悪しきブルジョア・ヒューマニズムではないですか? 仮にもあなたは人民と国家のために奉仕する海軍の軍人、しかもこの最新鋭艦を任されているのですぞ。そんな甘い考えを持っていては任務に差しさわりが……」

 この無能が。
 今回ばかりはさすがに全員が黙っていない。
 こいつの親が党本部の勤務だろうがなんだろうが、知ったことじゃない。
 戦争が始まれば、予想外のことは何時でも起こるということを、市ヶ谷のお偉いさんは知ってるんだからな。
 発令所にいた全員が同じ事を考えてるようだ。
 一人自分の演説によっているこの男に、全員が遠慮なく冷たい視線を向けていた。
 そして、政治将校のくだらない演説を右から左に聞き流しながら、全員は戦争が始まらないことを心の中で祈っていた。





 200X年1月17日 15:11

 屋内射撃訓練場から銃声が聞こえる。
 突撃銃の銃声ではなく、ハンドガンタイプの銃声だ。
 マンターゲットのど真ん中にぎざぎざの風穴が開くたびに、観客たちは口笛を吹いたり、やいのやいのと騒ぎだす。
 チェコスロヴァキア軍のCZ75自動拳銃をライセンス購入して作られたミネベア9ミリ拳銃を持つのは、神崎直哉大尉であった。

「点いくつだ? 距離半分でもう一度やり直すか、片桐?」

「点五百だよ、畜生。もうやめるよ」

 片桐と呼ばれた男が、財布から金を取り出す。
 観客たちも各々財布から金を出しては賭けに参加していた連中へと、金を渡し始める。
 最後の挑戦者だった片桐が降りたことで、場は自然に解散ムードになっていた。
 散々稼いだ直哉も射撃場を後にし、宿舎に戻った。
 その途中だった。

「直哉、待てよ」

「片桐か。なんだ? 愚痴なら聞かないぞ」

「馬鹿、そんなこと言うかって。それよりお前に聞きたいことがあってな」

 いつもは軽薄なこの男が、ここまで難しい表情をしているとなるとよほどのことだろう。

「何だ?」

「……本当に戦争になるのか?」

 やはりその話になるか。
 いや、たぶんあの場にいた全員がそれを聞きたかったんだろう。

「………俺にもわからないよ」

 直哉はそういってたばこに火をつける。
 彼自身にもわからない。
 いや、それはおそらく東京の茅葺総理にすらわからないだろう。

「まぁ、なるようにしかならんさ。映画だって唐突に事件はおこるものだろう?」

 そして、事件は唐突におこった。
 彼らの知らぬところで。



 同時刻 東京日比谷


「クーデター政権は~、米帝に対して断固たる態度を取れ!」

「売国政権は直ちに総辞職せよ! 大澤首相万歳!!」

 シュプレヒコールを挙げるデモ隊は、口々にクーデター政権(茅葺政権)の退陣を求め、罵声を張り上げる。
 大澤を支持する党員や民衆が、手を取り合ってデモを広げていた。
 茅葺政権が緊張状態にある太平洋において、アメリカに譲歩することを公表してから、ネットでは弱腰政権と批判の嵐が渦巻き、どういうことかその一時間後には、まるで図ったかのように現在のような状態へとなっていた。
 すでにメディアは集まっており、デモ隊の様子を生中継で茶の間に伝えていた。
 警視庁と国家保安省は、機動隊と国境警備軍を配置、デモの取り締まりを開始すべくデモ隊へ突入を開始した。
 その様子を、東京郊外の豪勢な邸宅に自宅軟禁された大澤は、グラスを傾けながら薄笑いを浮かながら、携帯電話で自分を支持する団体へ連絡を取っていた。

「世論に訴えるんだ。茅葺めの思い通りにはさせてはいかん。あの女はこの国をアメリカに売るつもりだ」

 内容がもはや飛躍を通り越して超越していることに、この男は気づいていない。
 元々大澤は、現政権より極左派的な思考を持つ親中朝派のボスである。
 彼の派閥は党内ではけして主流派になることは無かったが、彼の息のかかった人間は今まで幹部会に幾人も送り込まれていた。
 そして、必ずといっていいほど彼らは足を引っ張った。
 政治・経済・軍事の三面で。
 親ソ共産国家を旨としたこの国で、ソ連崩壊後に残る共産圏の結束を固めようと動く彼らは、経済が立ち遅れ、日本の支援なしで生きられなくなった北中国・朝鮮を支持してきた。
 だが、それは日本という国家そのものの足を引っ張った。
 しかし、大澤たちにはそんなことは関係なかった。
 たとえその両国から食い詰めの不法滞在者による犯罪率の増加で治安悪化があろうとも、永住権も得ずに日本に勝手に居つき、挙句に日本を非難する活動を行おうとする輩がでようとも。
 大澤は自分の信念を貫こうとした。
 自分は世界に通用する器であり、日本を正しい道に導ける真の指導者であり、自分の理想は日本を良くすると、彼は本気で考えていた。
 その理想の行き着く果ては、アジア同胞との平和連合共産国家の誕生である。
 そのためには、沖縄を北中国へ差し出しても、固有の領土たる竹島や対馬を朝鮮に差し出してもいいと考えていた。
 もちろん、そんなことをしたところで、中朝は感謝はしないだろう。
 だが、彼にはそれで十分だった。

「そうだ。彼が死んだのは惜しいことだが、軍と国家保安省はあの女に忠誠を誓った。もはや当てにはできん。だからこそ今は世論に、人民に訴えなければならん。だからこそ君たちには大いに期待しているんだ」

 だが、彼は気がついていない。 
 自分の支持組織である“日本国内の朝鮮人同胞支援会”という、永住権も持たない不法滞在の朝鮮人たちを守る団体への電話は、盗聴防止装置をつけていることで安心していたが、この盗聴防止装置はすでに国家保安省に解読されていたのだ。


「少佐、いつ突入するんです?」

「まだだ、トグサ。今課長が上から許可が下りるのを待っている。それまで待機だ」

 少佐、と呼ばれた若い女が言った。
 トグサ、と呼ばれた男は短く、了解、とだけ言った。

「まったく、それまでこのくだらねー話聴かされるのか。さっさと突入しちまえばカタはつくぜ」

 さらにもう一人、バンの後部にいた大柄で厳つい大男が、会話に加わってきた。
 大澤邸より少し離れた場所に駐車している建設会社のバンの中には、すでに国家保安省第二総局公安部の特殊部隊である第九課が待機していた。
 屋敷の周りは九課の人員が、その支援部隊と共に全て配置についており、即座に突入できる態勢を整えていたのだ。
 大澤の運命は、彼自身のあずかり知らぬところですでに決まっていたのだった。

「ぼやくな、バトー。……ただし、課長が上を説得出来なかった時は、監視業務を撤収、事後をスメルシ(国家保安省防諜総局)に任せ、ヌードバーでやけ酒だ」

「うほっ、そりゃいいぜ」

 口笛交じりに、厳つい大男がバンから出て外の“作業”の確認に出る。
 男が消えたあと、車内には少佐とトグサの二人が残った。
 車内を沈黙が支配する。
 空気が重い。
 もくもくと自分のAKS-74Jを点検している少佐に、トグサは思い切って声を掛けた。

「…………少佐。前から聞いてみたいと思ってたんですが、なんで俺みたいな男を、本庁から引き抜いたんです?」

 少佐は心なし一瞬手を止め、ほんの少しだけ沈黙したが、すぐに作業を再開した。
 答えは期待していなかった。
 まぁ、場の空気に耐えられなかっただけだ。
 トグサはまた前を向こうとしたそのとき、少佐の声が響いた。

「おまえがそういう男だからさ。不正規活動の経験のない刑事あがりで、おまけに所帯持ち。実戦経験は無いが現場での判断力はぴか一。戦闘単位として、どんなに優秀であっても、同じ規格品で構成されたシステムは、どこかに致命的な欠陥を持つことになるわ。それは、組織も人間も同じ。特殊化の果てにあるのは、ゆるやかな死………。それだけよ」

 こんなに長話をする少佐を、トグサは今まで見たことが無かった。
 そうやってトグサが妙な感慨に浸っていると、少佐は突然話題を変えた。

「ところで、バトーから聞いたけど、まだリボルバー使ってるそうね?」

 そう尋ねる少佐の声は、普段の声に戻っていた。
 質問に対して期待も非難も好奇も持っていない、ただただ無機質で透明な声。
 そこらの工場にある作業用AIの合成音のほうがまだ血が通っている気がする。

「……俺はマテバが好きなんです」

 トグサはそう呟いた。
 もちろん、本来正式採用されていない銃を使うのにためらいがなかったわけではない。
 ただトグサはこの銃に自分の命を預けたかったのだ。
 自分が最も信頼しているこの銃に。
 だが少佐はそんなこと知ってか知らずか、正論を組み立て逃げ道を潰していく。

「バックアップされる身としては、好みよりも実効制圧力を重視してもらいたいわね。危ない目にあうのはこっちなのよ。ツァスタバかヴァリヤグになさい」

 それに対してトグサがなんと答えようとしたのか、それはわからない。
 なぜならトグサを口を開く一瞬前、待ちかねた言葉が2人のイヤホンから流れた。

『少佐、本部より通信。“彗星が堕ちた”』

「おしゃべりは終わりだ。いくぞ、トグサ」


 太平洋上 人民海軍第三艦隊 原子力偵察艦“極光” 23:51

 九十年代後半に就役した原子力偵察艦“極光”は、共産圏最高のレーダー技術が使われた艦船である。
 NATOでは、この艦を一時期“電子情報管制艦”という艦種としていたが、実際は原型となったソビエト・ロシア海軍の原子力偵察艦SSV-33と同じく、この艦は情報収集や衛星・弾道ミサイル追尾、艦隊指揮、通信や電子妨害などに使われる多用途特務艦として建造されており、電子情報管制艦というのはある意味であってはいるが、同時に間違っているといっていい。
 現在、“極光”の任務は艦隊周辺のジャミングと、米海軍の通信傍受である。
 薄暗いCICには、当直の水兵達が各々のうけもつ部署の画面を眺めながら異常がないかを監視していた。
 この部屋では電子機器の発する音や、呼吸といった音以外は聞こえていない。
 そんな中で、通信傍受を担当していた隊員がある異変に気付いた。

「あれ?」

 ヘッドフォンを指とこつこつと叩く。

「どうした?」

 隣の席の同僚が声をかける。

「いや、アメリカ人のお喋りが急に聞こえなくなった」

「……故障か?」

「いや……違う。突然会話が聞こえなくなった……」

 そして今度は反対側のレーダー担当班から悲鳴に似た絶叫が上がった。

「ど、同志少佐、大変です! レーダーパルスに異常発生! レーダー使用不能!」

「なんだと!?」

「対水上レーダー反射波を捕らえられません……………。米艦隊をロストしました!!」

「馬鹿な! レーダーがきかないはずないだろう! 出力最大で探せ!!」

 CICを預かる少佐があわてたように指示をだす。
 最悪だ、もしこの瞬間に米海軍が我々に攻撃を掛けようとしても、我々は何もわからぬままに蹂躙されてしまう。

「だめです、レーダー、完全に沈黙!」

「ジャ、ジャミングが発生しています!」

「まずいぞ、艦隊に警報を出せ!」

 警報が全艦に発せられた。
 全艦隊で水兵たちが蟻のようにぞろぞろと艦内から飛び出る。
 艦隊は蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
 一方、本土から艦隊の防空任務へと派遣された空軍の戦闘機部隊も同様の混乱に見舞われていた。

「ロト1から全空軍機へ。警戒を怠るな、目を凝らせ。アメリカ人どもが襲い掛かるのなら、今が絶好の機会だぞ」

 護衛部隊長である、ロト1こと、デトレフ・フレイジャー中佐が落ち着いて指示を出す。
 彼は“赤いツバメ”の異名で知られる赤い日本きってのエリートパイロットである。
 彼の率いる四機編成からなる部隊は全てMiG-29MJによって構成されており、全ての機体は統一されたカラーリングを施されている。
 特に“赤いツバメ”と呼ばれる所以は、その赤く彩られた機首によるところが大きい。
 赤い日本が兵器市場に送り出すMiG-29はアメリカ軍から“スーパー・ファルクラム”と呼ばれるほど、本家のものと性能に大きな差がある。
 ワルシャワ条約機構向けのダウングレード・タイプのMiG-29Aを、日本国営兵器産業廠が徹底的に大改装を行い、オリジナルとは似て非なる物として見なされるほどである。
 このMIG-29をさらに再設計・近代化したMiG-29Mこと、MiG-29MJ“ウルトラ・ファルクラム”を操る日本人民空軍中佐デトレフ・フレイジャーは、第三次中華動乱で南中国軍と傀儡日本政権軍の戦闘機をそれぞれ3機ずつ撃墜しているエースであった。

「AWACS、第三艦隊から何か言ってきたか?………くそ、AWACSともだめか」

 無線から帰ってくるのは、テレビの砂嵐のような音だけ。
 先ほどの自分の無線すら、届いているかは微妙なのだ。

「一体、何が起こっているというんだ……」



 同時刻 神奈川県某所

 横浜と横須賀の中間地点にある閑静な住宅街に、しっかりしたつくりの二階建ての家があった。
 その家の持ち主は、近所でも知らぬものがいない有名人であった。
 日本人民海軍幕僚総監である、藤堂進海軍元帥の家であったからだ。

「ん……」

 その日、藤堂進は寝付けなかった。
 隣の布団で寝ている妻の雪子はまだ安らかな寝息を立てて眠っていた。
 そんな妻の様子を見て、彼はふと笑みをこぼすが、どうも寝付けそうになかった。
 妙にはっきりと目が覚めてしまっている。
 どうにもいやな予感がする。
 こんなに頭が冴え渡っている時に限って、ろくでもない知らせが舞い込んでくることを自分の経験から導き出し、そのまま隣の妻を起こさぬように起き上がると、そのまま庭に面した部屋へ向かった。
 カーディガンを羽織っているとはいえ、まだまだ寒い。
 東北は雪に閉ざされている時期だが、こちらは雪がない分、暖かいと向こうの人間は言うだろうが、こちらの人間からすれば十分すぎるほど寒いのだ。
 庭に植えられた桜の木も、吹き付ける風に頼りなさげに枝がゆれている。

(そういえば………兄ちゃんが逝った日も、たしかこんな日だったっけな)

 日本人民空軍の偉大なるエースにして、日本人民空軍をアメリカ合衆国空軍と並ぶ精強な軍へと成長させた、自分の兄が死んだ日もこんな寒々とした日だった。
 突然の訃報が届けられたあの日は、ちょうど東北の大湊基地へ視察に出ていた日だった。
 東京から電車で一時間ほどの場所、秋津にある屋上にヘリポートまで完備している十五階建ての軍高級幹部専用のフラットの最上階で、兄、藤堂守は横たわっていた。
 死因は癌だった。
 奥方であるサーシャさんにも、兄であるアレクセイ・コンドラチェンコ大将にも誰にも言わず、兄は闘病を続けていたのだ。
 その最後は眠るように息を引き取ったという。
 進が最後にみた兄の顔は安らかな寝顔だった。
 青白くさめていることを除けば、まるで農家のお百姓が道端で昼寝をしているかのような、安らかな寝顔だった。
 その二週間後、喪も明けないうちに、サーシャさんも後を追うように他界した。
 だが、兄の一人娘はついに実家に帰らなかった。
 悲しいことだ。
 進む道をお互い譲らなかったばかりに、あんな仲の良かった親子が。
 回想の海へ沈む進の耳に電話の音が聞こえてきた。
 進は電気をつけ、すぐに電話に出た。

「藤堂です」

『閣下、緊急事態が発生しました。迎えはすでにそちらに向かわせてあります』

「何が起こった?」

『わかりません、しかし国防大臣閣下から正式な命令でありますので』

「わかった、すぐに支度をする」

 電話を切ったとき、居間に明かりがついるのに気がついた。
 居間には、雪子が彼の制服を持って待っていた。

「早く着替えて。どうせならかっこよく出かけて」

 かくして、日本は混乱の渦中に巻き込まれるときが、やってきたのであった。



最終更新:2009年01月17日 21:57