第1話
200X年1月14日
その年、北海道は久方ぶりに例年に無いほどの大雪が全土に降っていた。
そして、この日も朝から雪が轟々と風とともに舞い降りていた。
そんな吹雪の中、かつて旧ソ連太平洋艦隊が駐留していた最大の軍港であり、現在は日本人民海軍苫小牧地方隊の基地がある、ここ苫小牧軍港から艦隊が出航のサイレンをバックミュージックに、次々と港を離れていった。
今、この国は政治の季節を迎えていた。
日本民主主義人民共和国共産党最高幹部会議長であり現首相の危篤、このことが今、世界の目を日本へと向けさせていた。
現首相の健康悪化は数年前からささやかれていたが、一週間前の党大会の演説中に倒れ、危篤状態に陥っていた。
三代目首相である彼が死ぬことは、現在の“赤い日本”トロイカ体制(党政治局による共産党書記長、首相を選出する集団指導体制) の崩壊の危険があると、アメリカは考えているようだ。
士官食堂では、つけられたままのテレビの中で、レポーターが視聴者に向かい喋っていた。
『我が国を恫喝せんとする米帝は、輝かしき人民軍の手によって粉砕されることでしょう!』
大湊から出航した赤衛海軍第三艦隊は、現在太平洋に展開しているアメリカ海軍の監視のために出航していた。
各艦の鐘楼に掲げられた海軍旗が、緩やかな潮風に翻っている。
「機関は順調かね?」
「は、艦長!出力、現在二十万馬力。速力三十ノット。極めて好調です」
エンジンの調子を尋ね、何の問題もないことを知った艦隊司令官は軽く頷いた。
この艦は艦齢五十年近い老齢艦だが、艦の心臓たるスイスBBC社に発注された二十万馬力のタービンは、いまだに力強く動いていた。
彼が乗っている艦は、西側自慢のハイテクの塊であるイージス艦を模倣したような形の22350型フリゲートでなければ、航空機を多数船内に抱える航空母艦でもない。
彼が乗っている船、それは戦艦である。
「さすがは戦艦、といったところかな?」
「まったくです」
と、答えたのはこの艦の艦長。
司令官とは赤衛海軍幹部候補生学校で先輩後輩の間柄であった。
彼らはCICを離れ、艦橋へと歩いていく。
「そういえば、この“解放”の退役がもうしばらく伸びるそうだ。もちろん、呉の“大和”もな」
「このソヴィエツカヤ・ウクライナも、中々に数奇な運命をたどっていますね。設計者も極東の同盟国の元で使われるなんて思いもしなかったでしょうね」
「まったくだ。船は仕えられる主を選べないからな」
ソヴィエツカヤ・ウクライナ。
かつての共産主義国家の盟主ソヴィエト連邦が作り出した超ド級戦艦の二番艦。
1936年に海軍拡張計画が策定され、この中で“プロジェクト23”と名付けられた戦艦建造計画が発動。
第三次五カ年計画のもと四隻の戦艦建造が1938年1月21日に正式決定した。
そして、この戦艦のネームシップ“ソヴィエツキー・ソユーズ”は、独ソ戦終戦後の1948年に完成された。
だが、スターリンの関心はすでにこの戦艦にはなく、米国が中国で使用した原爆という新兵器に向いていた。
スターリンはアメリカに負けじと原爆開発に必死になり、物資・人材ともに全てをそちらに注ぎ込んだのだ。
この結果、ソ連初の超ド級戦艦となったソヴィエツキー・ソユーズ級は捨て置かれる羽目になった。
そしてそれから数年後、モスクワの国防省のある役人が、この船を最高の状態に保っておけばいつか役立つ日が来るかもしれないと進言し、これが受け入れられ、ソヴィエツキー・ソユーズ級は命を救われたのだ。
しかし、建造途中だった二番艦“ソヴィエツカヤ・ウクライナ”とそれ以降の計画艦は運がよくなかった。
ニコライエフのマルティ南工廠にて起工したこの戦艦は、独ソ戦時にドイツ軍に鹵獲され、44年の撤退時に船台を爆破し建造中止とせざる終えなくなった。
結果、二番艦以降の計画は全て中止となり、工事進歩率75%という状態で、ソヴィエツカヤ・ウクライナはスクラップとして廃棄されるはずだった。
だがこの船に救いの手が差し伸べられた。
それは他ならぬスターリン自身だった。
彼はようやく手に入れた極東の防壁たる日本を失いたくは無かった。
そのため、彼は再建中だった日本人民軍のために様々な援助を行った。
この建造途中だったソヴィエツカヤ・ウクライナを日本へ譲渡もその一貫であった。
結果、紆余曲折を経てスターリンの死んだ53年、ソヴィエツカヤ・ウクライナは九州の大神に作られた旧帝国海軍最大の造船工廠に運ばれ、そこで第二の人生を歩むことになった。
譲渡されたソヴィエツカヤ・ウクライナは日本の手により建造が再開され、1960年4月1日に竣工した。
このとき、日本は新たな名前をこの艦にあたえた。
『解放』
この戦艦が、いつの日にか行われる南の解放という聖戦のときに、シンボルとなるように。
という意味を含め、時の日本軍首脳部はこの艦にこの名を与えたのだ。
「しかし、本当に戦争になるのでしょうか?」
艦橋に向かうエレベーターの中で、艦長が言った。
それは若干の不安を孕んだ声であった。
「……東京のごたごたが落ち着けば、この馬鹿騒ぎは止まるだろう」
実際、司令官も艦長もアメリカ海軍に勝てるなどとは思ってもいない。
アメリカ海軍は少なくとも空母三隻(ニミッツ、アイゼンハワー、エンタープライズ)、戦艦二隻(アイオワ、ニュージャージー)、その他二十数隻という大艦隊だ。
対するこちらは戦艦一隻、航空巡洋艦二隻、原子力偵察艦一隻、巡洋艦五隻、駆逐艦九隻程度だ。
「だが、この作戦は訓練にはもってこいだ。相手は世界最強のアメリカ海軍だ。将兵にもいい刺激になるだろう」
「えぇ、特に“祥鳳”の神崎中佐は気合十分なようです」
「彼女か。まぁ、何事も無ければいいがな」
彼らはそういうと、『解放』の艦橋からすぐ右横にいる『祥鳳』を見た。
同時刻、航空重巡洋艦『祥鳳』
赤衛海軍第三艦隊所属の航空巡洋艦『祥鳳』。
元は旧ソ連海軍太平洋艦隊所属だったキエフ級航空重巡洋艦“ノヴォロシースク”である。
外の飛行甲板では、対艦ミサイルを装備した国産VTOL戦闘機F-1(西側名称:ハリアースキー)が飛び立とうとしている。
その『祥鳳』のCIC(戦闘情報中央指揮所)は、薄暗い部屋に何十台と設置されたディスプレイが埋め込まれ、そこから発する光が、操作員の顔を染めていた。
そして、その様子を眺めていた女性士官がいた。
整った顔立ちにきめ細かい白い肌、茶色の艶やかなロングヘアー、海軍の白い制服に包まれたグラマラスな体つき。
百人中百人の男性が、彼女を見れば“美人”というであろう。
「神崎副長」
彼女を呼ぶ声が聞こえる。
彼女は声が聞こえた方を見ると、そこには制帽をかぶった上官、『祥鳳』艦長の竹内孝義大佐がいた。
「どうかしましたか、艦長?」
「少し肩に力が入りすぎてるぞ。楽にしていなさい。アメリカは先に喧嘩を吹っかけるような無茶はしない」
彼はそう言って白い歯をむき出して笑った。
第二次フォークランド紛争と、イラン・イラク戦争に義勇軍として参加した実戦経験を持つ彼は、その反政治的言動が無ければ、とっくに将官に昇進していてもおかしくはない人間だった。
「ですが、万が一ということもあります。艦長」
「そのために呉の第一艦隊も合流するんだろう? 心配ないさ」
綾香はそう単純には考えられなかったが、あえて発言はしなかった。
だが、彼女の胸の中にはなにかもやもやしたものが渦巻いていた。
それがなんなのかはわからない。
だが、彼女はその不快感が気になって仕方が無かった。
竹内艦長はそんな彼女の横顔を見て、内心ため息をついた。
(やれやれ、人民軍参謀総長どのの御息女は、今の回答にも不安ありか。これが初めての初陣になるのかもしれないのだから、無理も無いか)
「味方航空部隊、上空を通過します」
CICのディスプレイに友軍機を示す青い五つのブリップが表示された。
「識別でました。空母“信濃”航空隊です」
「ほぉ、となると“白き猟犬”か。こいつは心強い」
「白き猟犬? まさか第二次黄海海戦の英雄?」
白き猟犬。
ホーリー・ハウンド小隊と呼ばれる、海軍航空隊の最新鋭機Su-37jk(米軍名:ジーク)で構成された、海軍第二艦隊空母信濃航空隊所属のパイロットの異名である。
ソ連崩壊から今日まで、ユーラシア大陸では旧ソ連を中心に、たがが外れたように紛争が日常茶飯事に起こっていた。
特に、分断国家となっていた中国では南北国境でいさかいが絶えず、その中でも南中国(中華民国)の飛び地となっている山東半島では、一触即発の危機が頻繁に起こっていた。
50年代に起こった国共内戦と70年代の渤海事件、この二回の国境紛争は、どちらか一方が国連の仲介により停戦すると、再び元のにらみ合いに戻るということを繰り返していた。
しかし、ソ連崩壊後におこった三回目は違った。
赤い日本(日本民主主義人民共和国)、朝鮮民主主義人民共和国、日本(日本共和国)、アメリカ合衆国を巻き込んだそれは、大規模な紛争に発展。
赤い日本は即座に義勇軍を派遣を決定した。
そんな派遣軍の中で、ホーリー・ハウンド小隊は、日本人民空軍が世界に誇る最強のエース部隊“第156戦術戦闘航空団アクィラ”(通称 黄色中隊)や“第009戦術飛行隊シュトリゴン”と同等の戦果をあげ、日本海軍航空部隊の技量を世界に知らしめた。
その第三次中華動乱(米軍呼称:第三次山東紛争)の最中に黄海でおこった日本義勇軍と中華民国空軍の空戦で、同小隊長“秋元 健太”中尉は単独で中華民国空軍機十機を撃墜し、部隊全体で五十機以上の戦果をあげたという。
「彼らが空にいるのなら、安心できるな」
「そうですね」
そのときさらにブリップが追加された。
今度は緑のマーク、友軍機ではあるが空軍機だ。
「空軍のフランカーもきたようだな」
正確には、そのとき上空に飛来したのはSu-27ではなく、それをベースに複座・マルチロールファイター化したSu-27シリーズの最新作たるSu-30MKJだった。
ソ連崩壊後、赤い日本はソ連の技術者たちを自国へと招聘し、内乱の泥沼につかろうとしていた赤い大国から有能な技術者たちを引き抜いていた。
そしてその結果、わが国は世界でも有数の技術力を誇る国家となっていったのだ。
次々と現れる友軍のブリップ。
太平洋は双方の航空機で溢れんばかりであった。
一方。
日本民主主義人民共和国首都東京。
かつて帝都と呼ばれた、徳川の時代から続くこの大都市の郊外に、ひっそりとたたずむ洋館があった。
華族と呼ばれた、形を変えた特権階級が存在していた50年以上前に、その中の一人が建設したものだ。
だが、時代と支配者が変わり、日本が(建前上)労働者の天国たるべき共産主義国家となると、華族制度は廃止されその財産は政府に没収された。
この洋館もその一つである。
そして、ここは今物々しい空気に包まれていた。
周りを囲む森林には獰猛で訓練されたドーベルマンを連れたロシア系の元スペツナズ隊員と、国家保安軍特殊部隊の将兵たちが警戒しており、さらに洋館に向かうまでには四つ以上の検問が作られていた。
そして、白亜の洋館の前には、おびただしい数の高級車がそろっている。
いずれも防弾使用の国産車で、党幹部専用のものばかりである。
持ち主たちはみな、この館の一階に設けられた豪勢な会議室にいた。
その会議室にいるのは、いずれも党政治局の高官たちであった。
出席者は党中央委員会の議席を持つ三十五人の人間たちであるが、その中の最高決定権を持つものはわずかに十人で、諸外国からは“十人委員会”と呼ばれていた。
大半は背広姿の政治家だが、軍服姿の人間も見受けられた。
「アメリカ軍は今週中にも、さらに増援を追加するでしょう。同時に、沖縄の傀儡政権からも艦艇の出動を確認しました」
日本の秘密警察兼諜報機関である国家保安省を牛耳る男、寺津勝成がまず口を開いた。
彼は日本民主主義人民共和国最初の首相となった、寺津賢次郎の息子である。
国家保安軍元帥の制服を着こなした彼は、恐らくこの部屋の中で最も恐れられている人間だろう。
「宗像上級大将、あなたはどう思われますか?」
「当たり前の話ですが、我が軍はアメリカ軍にかないません。この場にいる皆様にあえて言う必要はありませんが、核攻撃を前提とした先制攻撃を行えれば、展開しているアメリカ軍を壊滅させることは十分可能です」
寺津の問いに丁寧な口調で答えたのは、腕に空軍の紋章がついたワッペンが縫いこまれている紺色の軍服を着ている、まだ五十代前半の若き将官、宗像孝治空軍上級大将である。
数年前に病死した藤堂守人民空軍元帥の副官であり腹心であった人物だ。
西側で“イエロー・ゲーリング”と呼ばれていた故藤堂守元帥は、日本人民空軍を共産圏最強の技能を有する集団にまで育て上げた、ジェット戦闘機黎明期のエースパイロットである。
そして、その腹心である宗像も(この部屋の中では)若いが、優秀な熟練パイロットであり、特殊部隊員でもあった。
「……海軍としてはどうなのかね?」
神経質なのか、ハンカチで厚手のめがねレンズを先ほどから拭いている国家産業会委員長が、日本人民海軍幕僚総監である藤堂進海軍元帥へと質問した。
彼は藤堂守空軍元帥の弟であり、兄に劣らない優秀な海軍軍人である。
「海軍はいつでも出動命令さえ出ればアメリカ海軍の迎撃を行える。すでに各艦隊には厳戒態勢を勧告しているし、舞鶴の空中艦隊は攻撃命令を下せば即座に出撃できる」
「しかし、いつまでも臨戦態勢のままというのは、賛成は出来ません」
政治局唯一の女性政治局員である、茅葺よう子外務大臣(兼財務貿易産業大臣)が発言する。
彼女も若いながら、その辣腕ぶりは彼女が“国家経済計画委員会”(Jゴスプラン)時代から知られており、西側マスコミは、彼女を“赤いサッチャー”と呼んでいる。
「今の戦時レベルを維持すれば、わが国の備蓄燃料はもって一ヶ月、下手をすれば二週間で枯渇します。さらに、半島と北中国が余計な動きをしかねません。特に、北中国はすでに警戒レベルをあげています。もし向こうが暴走すれば、我々は好む好まざるに関わらず、戦争という泥沼につからなければならなくなります」
「だが」
と、そのとき会議室へノックの音が響いた。
中に入ってきた警備員が何事かを大澤一最高幹部会議議長にささやくと、彼は警備員を追い払い、室内の全員に言った。
「諸君、同志首相の容態が急変されたそうだ。いったん会議を終了し、後日改めて再開したい」
洋館からあわただしく大澤最高幹部会議議長と、彼の取り巻きが出て行った。
タイヤを軋ませながら急発進した高級車を尻目に、寺津は洋館からゆっくりと出てきた。
黒塗りの高級車がハンドルを切って洋館の正面へと回され、車の運転手と思しき大男が外に出て後部ドアを開き、寺津を車内へと導く。
「ご苦労様です」
「あぁ、すまんな」
車内には先客がいた。
寺津の部下で、国家保安省第二総局公安部第九課の課長を務める荒巻大輔大佐だった。
公安九課は国家保安相直轄のカウンター・テロ部隊であり、その長である荒巻は、寺津の懐刀と呼ばれるほどの切れ者であった。
「ずいぶん早く終わりましたな」
「首相の容態が急変したそうだ。まぁ、大澤の本音は政治的遺言を残していないかどうか確認だろう。まったく」
「やはり首相は?」
そういいながらも、口調はまったく驚いていない荒巻に、寺津は嫌悪感からかはき捨てるように喋る。
「あぁ。実際のところ、あの人はもう一週間前に死んでいた。ただ、政治的な都合で生かされていただけだ……それより」
彼は声を低くし、荒巻に話かける。
「問題は大澤だ。首相の容態が急変したということは、やつが事起こすに絶好の機会だ。厚生省の麻薬取締局と陸軍の首都防衛第二師団の一部が不穏な動きを見せているそうだな?」
厚生省は大澤派の人間が取り仕切っており、その中で、厚生省の武力部門である麻薬取締局強制介入隊の人間が、陸軍の大澤派の将校と接触を持っていたことが、荒巻からの報告で上がっていた。
さらに、麻薬取締局強制介入隊は最近武装と人員を大幅に増加させており、表向きは麻薬犯罪対策への強化とも見れるが、新巻の報告ではこれらの部隊に配属された人員は、陸軍の中でも大澤派に属している(と思われる)将校たちの息のかかった元軍人であった。
これの兆候から、意味するものはただ一つ。
クーデター。
無論、彼らはそうは言わないだろう。
世界平和のために、周辺国との融和政策のため。
近年日本に蔓延りだした自称平和主義者たちが好みそうな美辞麗句を掲げ、自分たちの行為を正当化するだろう。
戦後間もなくに作られた憲法九条には、「戦争の放棄」、「戦力の不保持」、「交戦権の否認」など、もしそのままあれば世界史上に例を見ない素晴しいものとなったろう。
だが、それは“日本を取り巻く環境”という点を考慮にいるのを忘れた、夢物語に過ぎなかった。
「ネット世界では、ずいぶんと好き勝手に言っていますな。現政権は原点に返り、反省しなければならない。無用な戦争を煽るのをやめよう。………ですが、暴力が嫌っている、という点では我々は同じです」
「だが、それは偽善にしかすぎんぞ。君がそれを一番良く知っているはずだ、大佐。彼らは夢だけを求めて現実を見ようとしていない。むしろそれを煽ろうとしている。前に君の部下が言っていただろ? “世の中に不満があるならまず自分が変わらなければならない。それが嫌なら耳と目を閉じ口を噤んで孤独に暮らせばいい ”ってな。 冷戦が終わった今、この国はやっと親父の望んだ真の独立国になったんだ。それをいまさら、あんな現実を見ようとしないで自分の利益ばかり優先させる連中が幅を利かせてみろ。ソ連の二の舞だ」
それについて荒巻は何も答えない。
むしろ本心では納得さえしている。
ソビエト連邦という巨大な国家を崩壊させたのは、軍事力でも経済力の差でもない。
崩壊に導いたのは人間なのだ。
国を作るのも人間であれば、壊すのも人間だ。
ウラジミール・レーニンが築き上げた労働者の天国、共産主義の総本山は、スターリンという鋼鉄の意志が礎を築き上げ、フルシチョフがそれを否定し、ブレジネフが腐らせて行ったのだ。
止めを刺したゴルバチョフは、自身が進めたペレストロイカとグラスチノフで膨れ上がり破裂した民族主義が原因で、レーニンの築き上げた国家をばらばらにしてしまい、最後は自分自身も民族テロの業火に焼かれた。
「国民は甘やかされた餓鬼と同じだ。一つおもちゃを与えると次のおもちゃをねだりだす。与えられなければ、ろくでもないことしか言わないその口で自分自身の正しさを延々と語りだす。 大澤たちはそんな国民にいい顔をして、事を有利に進めようとするだろうが、最後はソ連と同じになる。自分自身の欲望につぶれる。だが、そうなったころにはこの国は政治的な植民地になってるだろう。だからこそ、今奴らに事を起こされるのはなんとしても避けたい」
「日本という国が、今以上に混乱するのを防ぐために、ですな」
「そうだ。南北で別れてしまったこの国が、真の独立を保つために。そのためにはどんな代価でも払わなければならん」
車内に沈黙が戻った。
車はやがて幹線道路に入り、首都中心部へと入りつつあった。
「大澤の飼い犬どもが事を起こすその前に、すべて抑えるんだ。大澤はこちらのほうで身柄を押さえる」
「……わかりました」
荒巻が懐から携帯電話を取り出す。
「少佐、堰が切られた。行動を開始しろ」
東京 西新宿某所
「もはや猶予は無い!」
高層ビルの窓をバックに、太った男は叫んだ。
演台の周りは黒服のボディガードがおり、興奮しきった聴衆をサングラスで隠した鋭い視線で油断無く見張る。
「米帝や傀儡はすでに我が国を滅ぼさんと軍を集結させている! いつまでも政治的空白を作るわけには行かない!」
「そうだー!」
聴衆から賛同の声が飛ぶ。
皆現在の政権に不満を、いや、現在の政権を、日本の未来を“憂いている”と主張しているメンバーである。
そして演台の男、首都防衛部隊所属の特殊戦部隊“国家防衛師団”の師団長は、党の左派の首領格である大澤の親友であった。
「ただちに党は早急に指導者を決め、米帝に対して断固とした措置をとるべきである! それが受け入れられないのであれば、我々は命を掛けて党を説得しようではないか!」
『あらそう?』
演説に酔いきった男の耳に届いたのは、聴衆の歓呼の声ではなく、嘲笑交じりの女の声。
『じゃあ死になさい』
同じ声とは思えないほど、鋭く冷たい声。
瞬間、その言葉を実行するかのように男の全身を高速徹甲弾が襲った。
放たれた弾丸は、その軸線上ある全てを容赦なく撃ち抜き、撃ち貫き、撃ち倒した。
あっという間に窓もろとも、男は上半身をミンチにされ、蜂の巣へと早変わりして崩れ落ちた。
「窓の外だ!」
拳銃を懐から取り出したボディガードが叫ぶ。
打ち砕かれた窓の下を見た彼らは見た。
地上へと落ちていく、サブマシンガンを持った女を。
その女が周辺の景色と溶け込むように消えていった光景を。
「そ、そんな…馬鹿な……こ、光学迷彩だと……」
驚愕に満ちた声を絞り出すボディーガードたち。
そんな彼らを尻目に、後ろの聴衆たちは我先にと会場から逃げ出していた。
だが、彼らを地上で待っていたのは、完全武装の警視庁機動隊と国家保安軍特務憲兵隊であった。
この日、新宿に集まった大澤派の決起集会は主催者の死亡と参加者の一斉検挙で幕を閉じた。
同時に、厚生省麻薬取締局が国家騒乱罪および秩序維持法違反で検挙、切り札を失った大澤派は翌日党から追放処分並びに秩序維持法違反の容疑で全員が国会から締め出されたのであった。
ちょうちん持ちのマスコミ各社はこぞって号外をだした。
「号外、号外ーっ!」
新聞売りの高らかな声とベルが東京の街に響いた。
新聞の見出しは“反動主義者、国会から一斉追放。茅葺政権成立へ!”
戦後日本の政権で、いや、日本近代史上初めての女性総理の誕生であった。
最終更新:2008年06月23日 19:45