第16章 嵐の後


 殺戮と破壊から一夜明けた朝。
 死屍累々の国境地帯は、そのおぞましい光景を白日の下にさらしていた。
 ネワディン軍を夜間攻撃で撃退した自衛隊は、そのまま戦場処理を行っていた。本来ならばパスキル軍がすべきことだが、自前で後始末まで済ませた方がパスキル側に対する印象をよくするであろうとの配慮からであった。
 施設科隊員の操るブルドーザーやパワーショベルが、砲爆弾によって地面に空けられたクレーターを埋めるべく縦横無尽に動き回り、爆発物処理班に所属する隊員は、金属探知器で不発弾を捜し出しプラスチック爆薬で爆破処分していた。
 捕虜となったネワディン兵は、パスキル兵や自衛隊員の監視下で遺体埋葬や障害物撤去などの作業に従事していた。作業のできない重傷者は、野戦救護所で応急処置を受けた後にトラックやヘリで後方へ運ばれていった。
 田中川はジープに乗って前進基地から戦跡の視察に来ていた。運転手の他には、船橋と武内、そして2名の普通科中隊長が同乗していた。
 運転手を始めとする他の同乗者は、誰もが口元をハンカチで押さえたり眉をしかめたりと、離れていても漂ってくる死臭に不快感を露わにしていた。中でも武内は我慢できず、紙袋の中に嘔吐していた。
 それに対して、田中川だけは無表情を崩さずに冷然としていた。決して無関心なのではない。一切の感情を排除し、ただただ正確に状況を脳内にインプットし、解析しているのである。
 唐突に、無線電話の呼び出し音が鳴った。
「大隊長、帝都の丸ノ内一佐から通信です」
 応対をした運転手が告げた。
「貸せ」
 短く応じて、田中川は受話器を受け取った。
「丸ノ内だ。そちらの状況は?」
「国境地帯の制圧は完了しました。約数万名の敵兵を死亡させたと推定されます。投降した1000名強の生存者を捕虜にしました。これとは別に、百数十名ほどが徒歩で自国領土へ引き返した模様です。味方の損害は皆無です」
 田中川は、淡々と報告した。
「そうか。敵の潜入部隊の動向が気になるが、それに関して何か情報は?」
「ありません。現在は戦闘態勢から警戒態勢に移行し、必要なだけの監視要員を交代で国境へ出しています」
「捕虜は今どうしている?」
「重傷者には野戦救護所で治療を施し、軽傷者その他は戦場処理に従事させています。医官や衛生隊員が不足しているため、海自と空自からも応援を得ています。また、捕虜の中に参謀らしき高級将校1名が含まれていました。命には別状ありませんが、ショックと衰弱で意識はまだ回復していないようです」
「分かった。くれぐれも、隊員の精神状態には留意してくれ」
「承知しております。戦闘に参加した隊員は全て前進基地に戻し、休養させております。戦場処理には残りの隊員を充てておりますが、遺体回収などの精神的負担が多い作業は直接させないようにしています」
「御苦労。今の状況でこんなことを言うのは何だが、これで一段落することを祈りたいものだな」
「………」
 丸ノ内の言葉に対し、田中川は相槌を打たなかった。
「ではな、副連隊長。よろしく頼む」
「はっ」
 田中川は受話器を置いたが、その時にボソリと発した独り言に気付いた者はいなかった。
「これで終わるわけはあるまい……」

 巨大な鉄の怪物が、燃える大地を踏み潰しながら猛然と疾走していた。それも1頭ではなく、10頭以上はいた。角張った胴体の上にある頭がグルグルと回転し、そこから突き出た異形の鼻を思わせる長い筒が轟音と共に火炎を吐き出すと、遠く離れた場所にいる友軍兵士が肉体をバラバラに引き裂かれて死んでいく。怪物の上には目の部分を爛々と光らせた魔物のような男が乗り、悪鬼のような狂った笑い声を上げ続けていた。
 この場から逃げ出さねばとカフカルドは考えたが、足腰から力が完全に抜けてしまい、できなかった。気付いた時には、怪物は自分の眼前に迫っていた。
「死ねぇええええええええっ!!」
 怪物の主人らしき男が、喜悦を含んだ声で絶叫した。
「うわぁああああああああっ!!」
 カフカルドは絶叫しながらベッドから跳び起きた。荒い息を吐きながら、彼は恐る恐る目を開いた。
 整然と並べられたベッドの上に寝かされた負傷兵で、周りは一杯だった。あちこちから苦痛を訴える彼らの声が上がり、緑色の軍服を着た救護兵がベッドの間を慌ただしく動き回っていた。
 自分が死んでおらず、救護所らしき所に収容されたことだけは理解できた。そして、それがネワディン軍のものではないということも。
 やや落ち着きを取り戻した彼は、ゆっくりとベッドに横たわった。
(まさにあれは……悪夢としか思えない光景だった)
 脳内に、ついさっきまで見ていた悪夢のシーンがフラッシュバックした。
(だが……あれは幻などではなく確かに存在していた)
 カフカルドは爆風で塹壕の土壁に叩き付けられて失神しかけていたが、陣地内で歩を止めた怪物に向けて拳銃弾を放った。それで怪物を倒せるとは、もちろん思っていなかった。あくまで、怪物が幻影でなく本物であることを確認するために、その行動を取ったのである。
 果たして彼は、弾丸が鋼鉄の皮膚に当たって弾ける音を聞いた。夢とは異なり、怪物に乗っていた眼鏡面の兵士が激しく動揺してわめいていたことも、記憶に残っていた。
(我々が敵を見くびり過ぎていたのは理解できるが、パスキル軍があのような戦力を持っていたとはどうしても信じられん……)
「お目覚めですか?」
 彼のそばに女性救護兵がやって来て訊いた。彼女は衛生士の横山葉寧美二曹だった。
「今、薬を注射しますから動かないで下さい」
 横山は注射器でアンプルの中身を吸い上げながら言った。
「ここは……どこだ?」
「パスキル軍の野戦救護所です。あなたは塹壕の中で気絶しているところを、助け出されたんです」
「私は捕虜になったのか?」
 注射針を通して薬液が右腕に注入される痛みに眉をしかめながら、カフカルドは訊いた。
「そういうことですね。ですが御安心下さい。我々はあなた方を人道的に扱いますので」
 横山は注射針を抜いて傷口にガーゼを貼ると、去り際に言い残した。
「あなたは高級将校のようですから、快復したら何度も取り調べを受けるでしょう。ゆっくり休んでおいて下さい」
(そう言われてみれば、確かに疲れた……)
 カフカルドは侵攻作戦が開始されてから、ろくに休む間もなく参謀として働いてきた。挙げ句の果てに、無能な指揮官の代わりに撤退戦の指揮を執り、捕虜にまでなってしまった。考えるのは休んでからでもいいと思うと、急に眠気が押し寄せてきた。

 陸自前進基地への補給と山脈群島への支援攻撃を終えた海自の艦隊は、パスキリー港に戻ってきていた。
 港内に錨を降ろした「たんご」の右舷側ウイングでは、梨林が港に向けて双眼鏡を構えていた。自分達を見る水軍兵士や一般市民の目が変わっているのに、梨林は気付いた。彼らの視線には、今までには見られなかった畏怖と恐怖が含まれていたのである。
「もう噂は広まっているようですね」
 岩田が言った。
「うむ。情報化が進んでいない社会では、噂や口コミの浸透する時間が早いからな」
 と、パスキル水軍の旗を掲げた1艘の小舟が「たんご」の右舷に寄り添ってきた。
「ナシバヤシ様はこの船におられますか!?」
 小舟に乗った騎士らしき男が、立ち上がって叫んだ。
「私が梨林吾郎だが」
 ウイングから身を乗り出し、梨林が答えた。
「皇帝陛下からお預かりした親書をお届けに参りました!」
「分かった。舷側に掛けられたラッタル……いや、階段を昇って甲板に上がってくれ。今からそちらへ行く」
 梨林は艦橋を降りると、騎士が待つ舷門に向かって歩いていった。
「パスキル帝国宮中府近衛騎士団長のロザク・ギルドであります!」
 ギルドは、梨林らとさして変わらぬ敬礼をしながら言った。
「御苦労。貴官とは、前に会ったような気がするな」
「はっ。この船での会談に臨まれた皇帝陛下にお供いたしました」
「なるほど、思い出した。では、謹んで親書を頂戴する。皇帝陛下によろしく伝えておいてくれないか」
 梨林は親書の入った封筒を受け取ると、ギルドが目に涙を溜めて震えているのに気付いた。
「どうした?」
「いえ、一軍の将ともあろう方が御自ら親書を取りに来られるとは……自分は閣下のお人柄に感服いたしました!」
「ははは、そうかね。いや、ありがとう」
「はい閣下、光栄であります!!」
 ギルドは感極まって叫んだ。
「よしてくれよ……」
 梨林は苦笑しながら艦橋に戻ると、封筒を開けて親書を読み始めた。
「ふむ……」
「陛下は、何と?」
 岩田が訊いた。
「船務士、艦内放送を全艦に繋いでくれ」
「はっ、どうぞ」
「梨林より全隊員に告ぐ」
 梨林の声が各艦内のスピーカーから響いた。
「この1か月間は、本当に御苦労だった。極秘にして長期の海外派遣命令、出航、超科学現象、異国の地、そして初の実戦……私も諸君と同じ苦悩を味わってきたと自覚している」
 梨林は、一語一語噛んで含むように言った。
「私としては、諸君に対して大いに感謝すると同時に、ささやかながらその労をねぎらいたい。そこで、かねてから帝国首脳陣に打診していた件について再度問い合わせてみたところ、隊員の帝都近郊への外出を許可するとの回答があった。私は、この御厚意に甘えさせていただこうと思う」
 即座に、各艦のあちこちで割れんばかりの歓声が上がり始めた。その大音声は、ギルドらのみならず港に来ていた見物人をも驚かせた。

 ネワディン王国には、要塞化された軍需工場が無数にある。それは王都・ヴァータとて例外ではない。文字通り林立した煙突からはモウモウと黒煙が吐き出され、町中には重々しい金属音が常に響き渡っていた。
 王都の中心に位置する王宮は、幾重にも掘られた壕とその内側に隙間なく配置された火砲によって守られており、まさに鉄と石の城という風情を漂わせていた。だが、城のデザインからは、この種の建物に備わっていてしかるべき優美さや華麗さが全く感じられなかった。さらに中庭には、1本の花すら植えられてなかった。
 王宮の悪趣味極まりない外観は、この国に文化的感性を持った建築家が皆無であることを示していた。あるのは異常なまでの攻撃性と無機質さだけだ。
 城の最上階にある国王室には、軍大臣のアール・レーマールが召還されていた。戦線から歩いて命からがら逃げ帰り、そのまま休む間もなく王都へ連れ戻された彼は、どこから見ても憔悴していた。
「ひどいザマよのぅ、レーマールよ」
 国王のガース・パルプが、長い顎髭をしきりにいじりながら言った。
「は……」
 蚊の鳴くような声で、レーマールは応じた。
 レーマールは軍服こそ新調したものを着ていたが、その下の体は無数の傷に覆われていた。いつもは高慢という言葉を具現化したようにふてぶてしい表情も、今は冴えずにうつむいていた。軍服では隠せない左頬の大きなアザが、部下の参謀に殴られてできたものであれば、なおさらであった。
「重装甲歩兵3万名のうち約2万8000名が戦死または行方不明、切り札の竜騎兵700名に至っては全員戦死ときた。まさに、我が王国軍の戦史の中で最悪の数字だ」
「め、面目ございません、国王陛下……」
「まぁ、面目などはどうでもよい。これから反撃すればよいだけだ。完膚なきまでに、な。ところで、貴様はこれだけの被害をもたらした敵が何者であるか、考えてみたか?」
「いえ、到底思い浮かびませぬ……」
「ふん。だが無理もない。私自身、いまだに信じられぬのだからな。貴様や行方不明になったカフカルドを責めたところで、何にもならん」
「………」
 レーマールは押し黙ったまま、内心では焦りを感じていた。彼は接見の場で、戦死したと思われるカフカルドに全ての責任を押し付けるつもりでいたのだが、この状況下では切り出せるわけもなかった。
「貴様は侵攻作戦が始まる前の一件を覚えているか?」
「一件……と申しますと?」
「パスキリー北西方面で活動中だった潜入部隊が、ヴェロキラプトル1頭と兵1名を除いて全滅した件よ。百戦錬磨のラプトルと潜入兵を始末するなど、そう簡単なことではない。大規模な兵力でもって狩り立てれば不可能ではないが、現場はそれが難しい密林地帯だった」
 顔をタラタラと流れ落ちる冷や汗の量が増えるのを感じながら、レーマールは荒い呼吸を制御するのに精一杯になっていた。
「さらに、あの直後から始まったパスキル軍の不審な動き……貴様は今回の戦闘との接点があるとは思わんか?」
「た、確かに……」
 それだけ言って、レーマールは震える手で辛うじて顔の汗をぬぐった。
「そこでだ、貴様には次の作戦でも全軍の指揮を執ってもらう。今度こそ失敗は許されんぞ」
「しょ、承知しております。このアール・レーマール、この命を懸けてでも必ずや、おこがましく帝国を名乗る蛮族共の国家を粉砕して御覧に入れます!」
 表向きは力強く答えたレーマールの態度は、しかし虚勢そのものだった。
「ただし、カフカルドの後任として、参謀にトアケンを付ける。トアケン!」
「はっ」
 いつの間に来ていたのか、柱の陰からクウド・トアケンが姿を現した。
「貴様をネワディン王国軍総参謀に任命する」
「ありがとうございます。しかし陛下、私は参謀などよりも戦竜軍団長の方が性に合っているのですがね」
「心配するな。貴様が自ら心血を注いで創り上げた軍団を手放せなどとは言わぬ。兼任でよい」
「とういうわけで、よろしく。閣下」
 トアケンのニタリとした笑顔を見た瞬間、レーマールは生理的嫌悪感と屈辱が嘔吐感となって腹を突き抜けるのを感じた。
「どうした。私の決定に異存があるのか?」
「いえ、ありませぬ」
「よし。では帰れ。帰って貴様がすべきことをしろ」
「ははーっ!!」
 レーマールは腰を折れんばかりに大きく傾けると、回れ右をして軍帽を被りながら歩き去っていった。
「ふん。バカと何かは使いようとは、よく言ったものだ」
 レーマールの後ろ姿が扉の向こうに消えると、パルプは侮蔑を露わにして言った。
「あのような俗物に引き回されたカフカルドも、いい面の皮でしたな」
 トアケンもまた、パルプと同様の口調で応じた。
「全くだ。奴と多くの兵を失ったのは、全くもって痛手だったがな」
 パルプは心にもないことを、さぞ惜しそうに口にした。
「陛下、それよりも伺っておきたいことがあります。なぜ前回の作戦の総指揮を私ではなくカフカルドなどに任せられたのですか?」
「決まっておろうが。貴様に任せたら最後、歯止めがなくなってしまうからな。あのような小さい島国で、貴様を暴走させるわけにはいかん。ただ、カフカルドはいい意味でも悪い意味でも、軍人としては平凡な男だったからな。未知の敵を相手にするには、貴様のようにある程度狂った男でなければ務まらん」
「はは、さすがは陛下ですな。まぁ、大陸では少々派手にやり過ぎでしまったと、一応自覚しておりますが」
 やや照れたようにトアケンが言った。
「安心せい。パスキルを占領すれば、外海への進出が可能となる。そうなれば、今度は残りの世界全てが貴様の相手となるのだ。存分に暴れられよう」
「はい。今から楽しみであります」
 トアケンの表情は、少年のように心底楽しげであった。
「しかし、ま、連中も哀れなものだ。生ぬるい国是ゆえに、我が国に滅ぼされるとはな。いかに強力な牙を持っていようと、それを敵よりも早く突き立てる意志がなければ、結局は敗れよう」
 またも嘲りを含んだ口調でパルプが言った。
「信頼あるいは信愛なるものは、この弱肉強食の世界で生き残るためには有害無益そのものです。強者の肉にされぬためには、弱者を徹底的に食い滅ぼし、己の身に取り込まねばならぬのですよ。別の言い方をすれば、弱者も強者の血肉になることで役に立てるということです」
 トアケンの顔には陰惨な笑みが浮かんでいた。
「模範解答だな」
 パルプが負けず劣らずの邪悪な顔で応じた。
「失礼します!」
 衛兵が入ってきて大声を張り上げた。
「何だ」
「大地竜帝国から、マグノ将軍が来られました!」
「通せ」
 衛兵が退出すると、全身を茶色いベールで覆い隠した、異様に背の高い人物が姿を現した。
「これはこれは。よう来られた、将軍。遠路さぞ疲れたであろう」
「お目に掛かれて光栄です、国王陛下」
 ベールの人物はパルプの前で跪き、彼に敬意を表した。
「今度の再侵攻作戦では、貴官ら大地竜帝国との協力が不可欠となる。よろしく頼む」
「御意」
 立ち上がりながら、ベールの人物は重々しい口調で応じた。
「では閣下、さっそく具体的な作戦の検討に入りましょうか」
 トアケンはベールの人物を、地図が敷かれたテーブルに促した。


最終更新:2007年10月31日 03:13