第13章 作戦「夜の声」発動


 ディエクトは、パスキリーと山脈群島とのほぼ中間点に位置する海辺の田舎町である。人口は2000人程度しかいない。
 今、その田舎町の外れに陸上自衛隊の前進基地が置かれていた。第1危機即応連隊は、その戦力の全てをこの前線基地に集結させていたのだ。
 前進基地は、隊員の宿営するテント群、駐車場、ヘリポート、物資集積所などから成っていた。基本的な構造はパスキリーの宿営地とさして変わらないが、周囲には鉄条網が張り巡らされ、その外側には堀が掘られていた。鉄条網の内側では、完全武装の歩哨が緊張した表情で往き来し、前進基地の前進基地たる緊張感を匂い立たせていた。
 浜辺にはLCACや艦載艇が、輸送艦と補給艦から物資をピストン輸送するために出入りしており、降ろされた荷をトラックが続々と前進基地に運び込んでいた。また、2機のFF-X水上戦闘機もロープで係留されていた。
 前線司令官には副連隊長の田中川が就任していた。当初は連隊長の丸ノ内自身、前線で指揮を執りたいと考えていたのだが、帝国軍上層部との折衝などのために、やむなく少数の隊員と共にパスキリーに残留したのだった。
「連隊を、重装備の機動打撃部隊と軽装備の待機部隊とに分割する。混成機動大隊は高射特科小隊を除く全部隊を投入する。この混成機動大隊に、普通科大隊を構成する2個中隊のうち第1中隊を付随させる。さらに、第2中隊から対戦車小隊と迫撃砲小隊、必要分の装甲車両とその乗員を第1中隊に組み込む」
 前進基地内の大型天幕に置かれた司令部では、田中川が部隊の運用について部下に説明していた。
「第2中隊は前進基地内で待機とするが、臨戦態勢は維持しておきたい。帝国軍による王国軍撹乱部隊の掃討が長引いた場合、いつ応援の要請が来るとも判らん」
「ゲリコマ対策ですね」
 運用幹部が言った。ゲリコマとは陸自でゲリラと特殊部隊を指す用語である。
「そうだ。レンジャー部隊要員に指定されている隊員を集め、レンジャー小隊を編成できるようにしておく。第2中隊はもちろんだが、第1中隊からもだ。欠けた分は調整しろ」
「分かりました。各部隊指揮官に通達します」
 人事担当の幕僚が答える。
「混成機動大隊内の航空中隊はいかがいたしますか?」
 混成機動大隊長の船橋が訊いた。 機動打撃部隊の指揮は彼が執ることになっていた。
「対戦車ヘリ小隊のコブラ3機を機動打撃部隊に加える。OH-1もだ。ただし、ヘリ小隊の汎用ヘリ3機と、チヌークは残留させる。普通科第2中隊の出番が来たら、その輸送支援に回さねばならんからな」
「はっ」

 パスキル帝国の国防を司る護国院は、他の国家機関と同様に宮殿内に設けられている。
 入口に剣とティラノサウルスをあしらった紋章が飾られた大会議室の中では、帝国軍の将軍らと自衛隊の幕僚らが作戦会議を行っていた。
 しかし、場の雰囲気は例によってよくなかった。作戦の進行から情報収集まで、自衛隊が全て主導権を握ってしまっているためであった。また、各地に散ったゲリラの掃討はともかくとして、侵攻中のネワディン王国軍主力部隊への対処は自衛隊に任せる以外ないため、帝国軍首脳部が無力感と嫉妬感を募らせる結果になったのである。
 丸ノ内は後悔していた。やはり、田中川を無理矢理にでも帝国軍との交渉役にすべきだったと。この場から抜け出すことができるのなら、最前線で戦闘部隊の指揮をやってもいいとすら思った。
「お配りした写真、いや絵は、国境から流入中のネワディン軍部隊を上空から捉えたものであります。御覧の通り、越境後に前進を一時停止しています。領内奥深くへの侵攻に備え、準備を整えているものと思われます。また、国境周辺の土地と山脈群島に橋頭堡を構築中であることも確認されています」
 連隊長補佐を務める若い一尉が言った。
「それで?」
 坊主頭の老将軍が、大きな目をギョロリと動かして訊いた。
「明日、我々はこの敵主力部隊に直接攻撃を敢行します。最大限の被害と混乱を与えるため、攻撃は日没後に行います。作戦名は『夜の声』と決定しました」
「そち達は500名にも満たぬ兵で、しかも夜間に3万の大軍団を撃退するつもりか?」
「はい。残りは不測の事態に備えて待機させておく必要がありますので。しかし、我々の武器はいかなる大軍勢をも打ち倒すことが可能です。また、闇夜を昼間と同じように見通せる道具もあります」
「もし防げなかった場合には相応の責任を取ってもらうが、よいな?」
「………」
 痩せた陰気そうな将軍が嫌味を含んだ口調で言ったのに対して、さすがの自衛官達も怒りを感じずにはいられなかった。ならば自分らでやってみせろ、と出かかった言葉を丸ノ内は危うく呑み込み、代わりに皮肉めいたことを言った。
「よろしい、いかなる処罰もお受けいたしましょう。ただ、その時は我々のみならず、あなた方の最期でもあるということをお忘れなく」
 その将軍が負い目を感じて押し黙ったのを確認し、少しだけ楽な気分になった丸ノ内は、ギブソムに訊いた。
「パスキル軍はどのように動いていますか?」
「前線から後退しつつ、兵力の再編と補充をしておる。また、各地で敵潜入兵の掃討作戦を展開中だ」
 憮然とした答えが、間を置かずに返ってくる。
「我々が作戦している間は、避難民の保護と後方の警備、伏兵の掃討をよろしくお願いしたい」
「すでにやっておる。防衛策については貴公らに一任してある。好きにすればよかろう」
「ありがとうございます。では、本日の会議はこれにて終わらせていただきます」
 重苦しい会議が終わると、丸ノ内らは自衛隊の連絡事務所として貸し与えられた部屋に戻った。室内には宿営地から持ち込まれたパソコンやその周辺機器、通信システムなどが置かれ、数名の隊員が働いていた。
「疲れたなァ……」
 丸ノ内は書類を机の上に投げ出し、恐竜の革でできた安楽椅子に身を沈め、近くにいた一士に声を掛けた。
「おい、水をくれ」
「ハッ」
 彼はコップに注がれたお冷やを一口飲み、副官に顔を向けて言った。
「状況を説明してくれ」
「船橋二佐麾下の機動打撃部隊は2040時に作戦を開始、夜間移動を開始します。翌早朝には前線に到着し、展開を完了する予定です。海空からの支援準備も、滞りなく進んでいます」
「地上部隊の交通路に問題はないか?」
「ありません。パスキル軍部隊の先導を受け、比較的広い道を進むことになっています。事前の航空偵察で安全は確認済みです。すでに偵察小隊が先行し、現地で活動中であります」
 丸ノ内は左手を軽く挙げて副官を一時黙らせると、通信士官の青山三尉に訊いた。
「偵察小隊から、敵軍の動きに関する情報は入っているか?」
「大きな動きはいまだありませんが、前進準備を着々と整えている模様です」
「撤退勧告への反応は?」
「最初のうちは、どこからともなく響いてきた大音声に動揺する者もいたようですが、内容を聞くうちにゲラゲラ笑い始めて、それ以降は完全に無視しているそうです」
「だろうな」
 わざわざ質問したことを丸ノ内は少し後悔した。判り切っていたことだ。
 偵察小隊に与えられた任務は、情報収集を行うと同時にスピーカーで撤退を促すという無難なものだった。もっとも、誰も効果があるとは思っていない。あくまでもこちら側の正当性を明らかにしておくために必要とされたのだ。
 しかし、作戦名「夜の声」は、この茶番めいた警告に大きく関係していた。昼間に流れる撤退勧告を無視した場合、夜中に鳴り響くのは砲声であるという意図が込められていたのだ。
 彼は挙げていた左手を下ろし、再び副官に問うた。
「明日の日没は?」
「1900時と推定、誤差は2ないし3分です」
「よし。では攻撃開始は日没の1時間後、2000時に設定する。武器はもちろんだが、暗視装置の点検を兵員に徹底させろ。攻撃するつもりで出ていって、暗がりでおたおたしたり同士討ちをしては話にならんからな」
「了解しました」
 副官が傍らを去るとほぼ同時に、青山が言った。
「連隊長、安達原一等海佐からお電話が入っております」
「こっちに回してくれ」
 今頃何の用だよと思いつつ、丸ノ内は卓上に置かれた野戦電話の受話器を取った。
「はい」
「よぉ、元気か」
 安達原の精力的で張りのある声が返ってきた。彼は3隻の護衛艦を率い、洋上から国境戦線への対地支援攻撃を行うために行動中だった。
「最悪だ。帝国軍の連中の尊大ぶりにはかなわん。鉄面皮の田中川を交渉役に据えればよかったと、つくづく思うよ」
「彼は戦闘指揮官として最適なんだろ。パイプ役は、適当に隙のあるお前でちょうどいいんじゃないか」
「かもな。もしお前なんかを交渉担当にしたら、王国だけでなく帝国とも戦争しなけりゃならなくなるだろうからな。そういう意味では俺以上の適任者はいないだろうよ」
 自分の苦労も知らぬまま、簡単に言ってのけた安達原に腹の立った丸ノ内は、半ば自嘲的に言った。
「言ってくれるぜ」
「そんなことより、早く用件を言え」
「ああ。地上戦を行うに当たって、注意すべき点をアドバイスしておこうと思ってな。知ってると思うが、山脈群島は追撃戦を行うには不向きな地形だ。ここの地形は、複雑で起伏が激しい。機械化部隊が追撃を行えるのは、国境線の外側へわずか出た辺りまでだ。戦線は前方に山岳地帯、後方に森林地帯が広がっている。森林地帯には、草食・肉食を問わず多数の野生恐竜が生息していることが、ヘリと地上偵察部隊の調査により確認されているはずだ」
「そうだが」
「先日の皇帝陛下のお言葉にもあったが、問題となるのはこれら野生恐竜だ。俺の方で独自に調査したんだが、入港前に戦闘をやった地帯では影響が出たようだ。ケンカの多発や産卵異常、食欲の不振などで、銃撃や砲撃によるノイローゼが原因と思われる。また、多くの樹木が焼かれたり倒れたりした」
「銃撃を除けば、全部お前が独断でやった艦砲射撃のせいだろ」
 丸ノ内は思わず失笑した。
「……まあ、それを言うな。そんなことは万に一つもないと思うが、戦線後方の森林地帯まで戦闘を持ち込まないことが最善の策だ」
「要は、敵をさっさと壊滅させればいいということだろう?」
 安達原の声にバツの悪そうなものが混じったのに満足してから、彼は改めて確認した。
「そういうことになるな」
「言われるまでもない。田中川と船橋に伝えておく。お前こそ、誤射や流れ弾には十分注意しろよ」
「部下に徹底してある。ではな。健闘を祈るぜ」
 電話が切れた。

 陸自偵察小隊は、ネワディン軍の先鋒から5キロの地点に布陣していた。
 車両には念入りに木の枝や葉でカモフラージュされ、遠目にはまるで車両に緑が生い茂っているようにも見えた。隊員も同じようにヘルメットや戦闘服を擬装し、特撮番組の植物怪人さながらの格好をしていた。あまり知られていないことであるが、陸自の擬装技術の高さは世界の軍隊でもトップレベルである。
「クソ暑いなぁ。おい、ちゃんとエアコン入ってるのか?」
 87式偵察警戒車の砲塔ハッチから顔を出したまま、小隊長の斉木三尉は部下に訊いた。
「はい。最大出力にしてあります」
「ヘッ、やってらんねえなぁ。奴ら、あんな鎧なんか着込んでて何とも感じねえのかよ?」
 彼は、前方に展開しているネワディン軍重装甲歩兵部隊を顎でしゃくった。中世ヨーロッパのものよりも重厚な鎧を着込んだ彼らは、身じろぎすらせず兵隊人形のように隊列を組んでいた。
「いくら慣れているとはいえ、同じ人間なのか疑いたくなりますね」
「ま、本隊が到着するまで我慢すればこっちのもんだな。ディエクトの前進基地まで後退して、一服できるぜ」
 斉木は少しでもエアコンの恩恵を享受しようと、車内に入った。
「ネワディン王国軍の将兵に警告する。明日の日没までに、パスキル領内からの撤退を開始せよ。撤退が完了するまで、我々は一切干渉しない。ただしこれを無視した場合、貴軍にいかなる損害が生じようとも、我々に責任は一切ないものとする。貴軍がパスキル侵攻後に行ったのは、殺人、破壊、略奪、領土の不法占拠など、犯罪行為には事欠かない。だがパスキル帝国首脳部は、貴国との交渉の場を設けることを希望している。両国の関係をこれ以上悪化させぬためにも、速やかに国に帰れ……」
 テープに録音された撤退勧告が、各所に設置されたスピーカーから空しく響いていた。

 時は過ぎ、星で満ちた天空には満月が浮かんでいた。
 前進基地の司令部に置かれたデジタル電波時計が、20時40分を示した。
「時間であります」
 田中川は情報幕僚の声に頷くと、口を開いた。
「これより、作戦『夜の声』を発動する」
 その言葉を今や遅しと待っていた船橋は、席を立つと彼に敬礼して言った。
「機動打撃部隊は、これより任務を遂行します」
 田中川は無言で答礼を返した。
 敬礼を解いた船橋は司令部を出ると、命令を発した。
「混成機動大隊及び普通科第1中隊、総員乗車!」
 車両が次々にエンジンを始動し、ヘッドライトを灯す。
 あらかじめ夕食を摂り、装備をまとめて待機していた隊員が、次々と乗車してゆく。
「黒崎」
 戦車小隊長の黒崎三尉は、セミトレーラーに載せられた74式戦車改2型の砲塔によじ登ろうとして、嘉城二尉の声に振り返った。彼の所属は普通科第2中隊だった。
「行くのか」
「ああ。ま、戦車に乗ってる限りは大丈夫だと思うけどよ」
「そうか。間違っても死ぬなよ」
「バーカ、お前こそ市街戦なんかで死ぬんじゃねえぞ」
 黒崎は笑いながらおどけた敬礼をし、ハッチの中に滑り込んだ。
「大隊長より全車、前進を開始する」
 大隊指揮車である00式指揮通信車に乗った船橋は、ヘルメットを備え付けの戦車帽に被り直し、マイクに吹き込んだ。
 一層高く大きなエンジンの唸り声を上げ、各種車両群が動き始めた。
「頑張れー!」
「さっさと終わらせて無事に帰ってこいよー!」
「負けるなぁー!」
 普通科第2中隊を始めとする残留組の隊員は、手や帽子や部隊旗を振りながら声援を送り始めた。機動打撃部隊の隊員も、車両の上からそれに応えた。
「何だかなぁ……」
 車列に向かって帽子を振りながら、小野寺がどこか腑に落ちなさそうな声を出した。
「戦闘に行かずに済んで、よかったじゃないですか」
 同じように帽子を振りながら、尾川が言う。
「そりゃそうだけどよ、せっかく緊張感持ってたのに拍子抜けしちゃったぜ」
「でしたら、『俺達の分も取っとけよ』とでも言います?」
「……やめとく」
 そうこうしている間に、部隊の先頭を行く指揮通信車が門をくぐった。
(これが最後の扉か)
 陳腐だとは思いながら、船橋はそんな感慨を抱いた。


最終更新:2007年10月31日 03:10