第12章 開かれる戦場への道


 山脈群島一帯は、ネワディン王国軍によって完全に制圧されていた。
 花崗岩で形成された起伏の激しい丘陵地帯を、ネワディン軍自慢の重装甲歩兵と騎兵が進軍してゆく。
 海岸には多数の船が接岸し、兵士や物資を次々に陸揚げしていた。
 スラウ・カフカルドは高台に設けた司令部から、望遠鏡でその様子を見ていた。司令部といっても、小さな椅子とテーブルが1つずつあるだけである。そして、それは彼の直属の上官であるアール・レーマールに占領されてしまっていた。
 作戦指揮は本来、カフカルドが執ることになっていた。しかしレーマールは、精強な軍の指揮を自らしたいと言って聞かず、強引に付いてきてしまったのである。もっとも、危険な前線に出る気などは毛頭なかった。
「作戦の進み具合は、どうか?」
 両腕と両足を組んだレーマールが、横柄な口調で訊いてきた。見れば判るだろうと心中に吐き捨てたカフカルドは、俗物へのせめてもの抵抗として彼に背を向けたまま、「順調であります」と無感情に言った。
「本国の国境から山脈群島、パスキル国境までの全域を確保しました。現在、要所要所に陣地を構築中です。海路からも増援が続々と到着しており、兵力は逐一増強されています。なお、各地に潜入した撹乱部隊は破壊活動を展開中であります」
「完璧だな。帝都の占領はどのくらいでできるか?」
 有頂天のレーマールは、彼の無礼には関心が行き届かなかったらしく、長靴を履いた足をゆさゆさと揺すりながら重ねて訊いた。
「は。帝都周辺の防備は地方と比べて格段に固いため、潜入部隊はいまだ動けていません。そこで、我が本隊が帝都まで進撃するのに呼応して、一斉に行動に移る予定であります。1週間もあれば可能でありましょう」
「ならば、よい。暴動を煽って小娘を引きずり下ろし、傀儡を仕立てて降伏……いや、委任統治を認めさせればな。それで幕だ。成功の暁には、国王陛下もさぞお喜びになるだろう」
「……さようで」
「重装甲歩兵軍団3万に加えて、トアケン将軍の戦竜軍団から借りたヴェロキラプトルと騎兵が700ずつだ。この大軍勢を防ぐ術など、この星の上には存在せん」
 ガハハと大声で笑ったレーマールに対し、カフカルドは今度こそ無視を決め込んだ。
「参謀閣下!」
 屈強な重装甲歩兵の指揮官が、坂をものともせず駆け上がってきた。
「何か」
「兵達の間に妙な動揺が広がっています。先刻飛来した、奇妙な翼竜に関することであります」
「ああ、一応話は聞いている。高空をかなりの速さで羽ばたくこともなく飛び、しばらくして去っていったらしいな」
「はい。パスキル国内には未知の恐竜が複数いて、我々を待ち構えているのではないかと……」
「ははは。未開の国ならば、いてもおかしくはあるまい」
 横槍を入れてきたレーマールを改めて侮蔑しながら、カフカルドは指揮官に言った。
「分かった。士気とは関係ないのだな?」
「ありません」
「それでいい。新種の恐竜が出てこようと、我が軍の勝利は不動だ。そのようなことは、後から来る連中に任せればよい。次の進撃までに十分な休息を取っておけ」
「ハッ!」
 指揮官は坂を下りていった。
 どちらにせよ、早く終わって欲しいとカフカルドは思った。これ以上、立場が高いだけの俗物に手駒としていいように使われるのは、我慢できなかったからである。また、小国を圧倒的な力でねじ伏せるというのは好みではなかった。それが自国の生き残る道であったとしてもだ。
 雑念を抱いている自分に気付いた彼は、再び望遠鏡を手にした。

 梨林、安達原、丸ノ内、今井の4人は、王座の前で直立不動になり、リネル・シェルカの声を待っていた。周りには帝国の重臣らが勢揃いしている。
 梨林の決断が帝国側に伝達されてからわずか約1時間後、リネルは彼に大至急会談したいと打診してきた。延期を要請する理由は何もなかった。梨林はすぐさま、護衛の隊員も引き連れぬまま帝宮へ向かうことを即決した。
 一行は、丸ノ内が自ら運転する連隊長用の大型ジープで練兵場を出た後、オルニトミムスに乗った近衛騎士団員に護衛され、その20分後には高台にそびえ立つ帝宮に到着し、城門をくぐっていた。
「我が国の防衛に協力していただけると聞きましたが……ナシバヤシ閣下、本当によろしいのですね?」
 リネルは梨林らを見下ろし、いつもの物静かな口調で切り出した。
「はい。ぜひ協力させていただきたいのです」
 梨林は即答した。
「では、もはや私から言うことは何もありません。よろしくお願いします」
「ははっ!」
 彼らは自然のうちに腰を折った。
「ただし」
 リネルが付け加えた。
「これだけはお忘れなきよう。この世界には、私やあなた方のような人間だけでなく、恐竜達も暮らしているということを。人間と恐竜の力の均衡が取れ、それぞれの領域が分かれているからこそ、この国は平穏を保つことができたのです」
「………」
「あなた方の力は、人の知恵と技が生み出した偉大なものでしょう。しかしそれは、決して自然と相容れるものではないということも想像できます。これはネワディン王国軍の戦力にも言えることです」
「は……つまり、可能な限り野生の恐竜らを刺激しないように戦え、ということでしょうか?」
「そうです。自然の秩序を乱すことは、できるだけ避けるようにして下さい」
「心得ましょう」
 梨林は答えながら、再び頭を下げた。
「すでに承知しているとは思うが……」
 王座の脇に控えていたギブソムが、相も変わらず友好的とは思えぬ声で言った。
「いかに名目上とはいえ、お手前らは我がパスキル帝国軍の指揮下に入ることになっている。軍事行動に関して、独断専行は一切認めん。必ず我が軍との協議を経てからにしてもらう」
 ギブソムの言は、自衛隊に対する牽制であった。彼のみならず、帝国軍内部には自衛隊の存在を快く思わない人間が複数いた。仮に自衛隊がネワディン軍を領内から駆逐した場合、新たな脅威になり得ると考えていたのである。
「皇帝と違って、軍の連中の態度は快く思えませんな」
 ジープのシートに座ってドアを閉めてから、安達原が憮然として言った。
「期待と信頼は、我々が自ら勝ち取ることができる。今後の働きによってな」
 梨林はあくまでも落ち着いていた。
「司令の言う通りだぞ、安達原。真っ先に参戦を進言したお前が、彼らの姿勢などに気を取られていてどうする」
 丸ノ内が彼の後を引き継いだ。
「言われるまでもない」
「そういうことだ、安達原君。さて、戻ったらすぐに作戦の調整だ。我々だけでできることは、やっておかなければならん。戦場となる地域の気候や地形、恐竜の生息状況なども、早急に調べ上げておく必要があるぞ」
「了解」
 丸ノ内はエンジンを掛けた。
「ニッポン国の軍隊、自衛隊か……」
 力強いエンジン音を上げて発進するジープを柱の陰から見ながら、ミジャータ・ミグドットは呟いた。
「味方に付いてくれたこととは別に、彼らはこの世界の秩序を保つのか、それとも根底から覆す存在なのか、見極める必要があるな……」
 彼女は切れ長の目をわずかに細めると、宮殿の中へ戻っていった。

 同じ頃、ネワディン王国のとある城塞都市の某所。
「カフカルドの軍はさしたる抵抗も受けることなく、順調に進撃中との報告が入っておる。トアケン、貴様はどう考えるか?」
 ガース・パルプは白髪をぼりぼりと掻きながら、眼前のクウド・トアケンに訊いた。
「私の勘では」
 トアケンが口を開いた。
「我らの真の敵は、まだ牙を隠し続けています。もし奴らがパスキル軍の部隊であれば、カフカルドの軍が国境を越え、私の部隊が各地で攻撃を始めた時点で動いていたでしょう。とすれば……」
「何だ?」
「奴らはここ数日の間に、その本性を現すはずです」
「フン、小娘め。我々にいい顔をしながら、裏では密かに用心棒を招き入れていたということか。それがはっきりすれば、いよいよ貴様の出番というわけだな。あの国を徹底的に叩き潰し、後顧の憂いを消し去ることができる。大陸と同様の活躍を期待しておるぞ」
「ありがとうございます。私も正直なところ、カフカルドが苦もなくあの国を制圧してしまうのはつまらないと思っていましたのでね」
 トアケンはクククと喉を鳴らした。

「じゃあこれ、食後に3錠、水と一緒に飲んで。5日分あるから。先生も大丈夫だって言ってたから、もう心配はないと思うけど」
「ハァ……」
 衛生士の横井二曹が、やつれた小野寺と尾川に消化剤と胃腸薬の入った紙袋を手渡した。
 衛生科のテントだった。彼らは3日の間、昼夜を問わず腹痛と下痢に苦しみ続けた後、ようやく原隊復帰を許されたのだった。
「どうも、ありがとうございました……」
「ハイ、お大事に」
 テントの外に出た小野寺が、天を仰いで呟いた。
「くそ……空気が澄んでるせいだろうが、太陽の光が強過ぎるな。日本を出る時にサングラスでも持ってくればよかった」
「小野寺さんには似合いませんよ。それよりも大丈夫ですか? まだ顔が青いですよ」
「一応な。当分、恐竜の肉は食いたくないけどな」
 彼は無理に笑った。
「それにしても、糧食班長がたった半日で快復したのはすごかったですね」
「ああ。海外派遣に何度も行って、サルモネラ菌や赤痢菌とかと格闘してた人だからなあ」
「それより、戦争が始まったって話ですよ? 部隊も出動待機に入ったとか」
「海自の司令が参戦を決めたって話だな。そりゃまあ、生き残るためには分からないこともないけど、どうもピンとしねえんだよなあ」
 まるで他人事のように話していた、その時だった。
「総員集合!! 各隊ごとに完全武装で表に整列しろっ! 10分でやれ!」
 中隊付先任陸曹の張り上げた大声が鼓膜を震わせ、なぜと考える以前に反射神経が肉体を動かしていた。大急ぎで班のテントに走り込み、仲間と挨拶を交わす間もなく、防弾チョッキを着込み、弾帯を吊るサスペンダーを装着し、ガスマスク入れを肩から掛け、背嚢を背負い、ヘルメットを被り、小野寺は84ミリ無反動砲と9ミリ機関拳銃を、尾川は89式小銃をそれぞれ持って外に駆け出した。
 総勢1040名の連隊員が整列を終えた後、田中川副連隊長が号令を掛けた。
「全体、気を付け! 連隊長に敬礼!」
 丸ノ内が壇上に立って連隊員に答礼をし、「休め」と言ってから話し始めた。
「隊員諸君も知っての通り、パスキル帝国は現在、隣国・ネワディン王国の軍事的脅威にさらされている。これを受けて、自衛隊がパスキル防衛に参加することも聞いていると思う。我が第1危機即応連隊の任務は、侵攻中のネワディン軍との直接戦闘を行い、撃退することである。決して楽なことではないが、これにはパスキル国民のみならず、我々自身の生存も懸かっている。日頃の訓練成果を最大限に発揮せよ。以上である」
 小野寺は再び胃腸の痛みを覚えたが、それは腹下しのように不快なだけの痛みではなく、興奮と不安とがないまぜとなって神経を圧迫した痛みだった。


最終更新:2007年10月31日 03:09