第11章 侵攻と決断


 早朝だった。
 数頭のヴェロキラプトルを従えた黒尽くめの男達が、林の中から集落を見ていた。
「家が10軒程度です。あの程度なら、我らだけでも事足りるかと」
 部下がリーダーに言った。
「いや。なるべく派手にやれとの命が出ておる。奴らにやらせろ」
 リーダーは答えると、手を振ってラプトルに合図を出した。
「やれ」
 おぞましい咆哮を上げながら、ラプトルが集落に殺到した。

 「たんご」の士官食堂では、梨林司令ら幹部が朝食を摂っていた。
 入港以来、艦隊の食事は比較的あっさりしたものに変わっていた。この時のメニューは、麦飯と薄味の味噌汁、卵焼き、たくあん、リンゴ、それに緑茶という和食スタイルだった。
「ヘルシーな献立も結構だが、どうも物足りないな」
 幹部の中でも比較的肥えた部類に入る機関長が呟いた。
「これで十分だよ、機関長。ただでさえ上陸許可が下りず、乗員達はフラストレーションが溜まってるんだ。訓練で気を引き締めようにも、停泊中の艦内では訓練らしい訓練もできないからな。こんな時に高カロリーの飯を出されてみろ。ゲンナリしちまうよ」
 隣に座る副長が言った。彼は機関長とは対照的に、かなりの痩せ型だった。
「上陸したところで、行き場所などありませんよ。映画館にパチンコ屋、それに飲み屋も。陸自と空自の隊員ですら、いまだに練兵場の外へ出られないそうじゃないですか」
 水雷長が自嘲気味に言った。
「陸上と航空はまだ幸せですよ。文字通り地に足を着けて、地ベタの上で生活できるんですからね。連中を妬む声も艦内のあちこちで聞こえますよ。精神衛生上の問題ですな」
 艦隊幹部がお茶を飲みながら、声を歪めて言った。
「とにかく、このままでは艦内の規律の乱れが表面化しよう。我々幹部はともかくとして、血気盛んな曹士は我慢できないだろうからな」
 彼の不作法に顔をしかめながら、岩田艦長が言った。
「規律の乱れは訓練で正せばいい。停泊中の艦内では訓練らしい訓練もできない? 冗談じゃありません。やろうと思えばどんな訓練だってできます。甲板で一日中、自衛隊体操をやるとか」
 船務長が言ってのけた。艦の訓練計画を作成するのは、
主に船務長の仕事だ。
「船務長、声が大きいぞ。給仕当番の海士に聞かれて、飲み物や味噌汁に何か混ぜられてもいいのか?」
 副長の一言に船務長がギョッとすると、周囲から大爆笑が起こった。
「諸君」
 梨林が口を開くと同時に、笑いがやんだ。
「地面を踏めないという意味では、確かに我々は陸自や空自より恵まれていない。しかし、彼らが蒸し暑い中で野営しているのに対し、我々は冷房の行き届いた艦内で暮らせているではないか。あくまで一長一短だということを忘れてはならん。上陸の件は、今日中に私が向こう側を説得する。それまで艦内の規律と士気と保つよう、努力して欲しい」
「はっ!」
 幹部達が声を揃えて返事をした直後、若い海士がドアノックもせず入ってきた。
「失礼します。司令、お食事が済みましたら大至急練兵場においで下さい」

 兵舎の応接室には、安達原、丸ノ内、今井、それにギブソムとナイトウがすでにいた。
 梨林は入室すると、丸ノ内から1枚の紙切れを渡された。それは目の粗いパスキル製の紙だった。書き方は象形文字と間違えるほどであったが、
そこに羅列されているのは紛れもなく日本語だった。
 この世界で日本語が常用語となっていることを知った時、最初はそれが救いだと思っていたが、今では逆の思いだった。紙片に書かれていた内容は、まさに悪夢そのものだったからだ。
「ネワディン王国は、パスキル帝国内部に浸透しつつある敵対勢力を排除し、同国に秩序と安定を回復すべく、軍を直接投入せんとするものである……か」
 梨林は思わず溜め息をついた。
「奴らの常套手段だ」
 ギブソムが爆発寸前の怒りを露わにした顔で、吐き出すように言った。
「狙った国や地域に、それ専門に訓練した少数の兵と恐竜を送り込んで破壊と混乱を招き、それを平定するという名目で軍を侵攻させる……卑怯なやり方だ」
「内容はバカバカしいですが、これで連中の狙いは明らかになりましたな。それで、実際にはどうなっているのです?」
 安達原が訊いた。
「いくつかの村や集落との間で、連絡が取れなくなっておる」
「帝都の周辺で連絡が取れなくなった地区はありますか?」
「郊外に1つ、小さな村がある。今さっき、
近衛騎士団が状況を確かめるために向かったところだ」
「人口は?」
「3、40人程度だろう」
「これが届けられたのはいつです?」
「今朝早くだ。帝宮を巡回していた番兵が発見したのだ。正式に使者もよこさずゴミのように放り込むとは、全くもって外道な!!」
 ギブソムの怒声が応接室を震わせ、梨林達は否応なしに緊張を高めさせられた。
「護国大臣、どうか気をお鎮めになって下さい」
「分かっておる、外交院長。あとは貴公に説明して欲しい」
「無論、我が国はこの侵略を認めません。皇帝陛下は、帝国軍の出動を即断いたしました。また、国境から流入しようとしているネワディン軍に、使者を出したところです」
 ナイトウが言った。
「危険ですぞ、それは! すぐに呼び戻しなさい。奴らの餌食になるだけですぞ。それと、動員令が全土に行き渡るまで、どのくらい掛かりますか!?」
 丸ノ内が一気に喋った。
「恐らく、2日ないし3日は必要かと思います」
 俺達の祖先もこういう風に戦っていたのかと思うと、丸ノ内はどこか自嘲的な気分に駆られた。戦が離れた地
で勃発し、その情報が伝わるまでに数日。軍勢を整え、進撃を開始するまでに数日。戦場に向かい、戦闘を開始するまでさらに数日必要という構図は、近代戦の概念から見れば恐ろしいまでのスローペースだ。
 しかし、情報が伝わるのと進撃を開始するのを抜きにしたとしても、ネワディン軍の行動はあまりにも素早かった。
「その通告文も、潜入部隊が投げ込んでいったのでしょう。奴ら、帝国がどういう対応を取ろうと攻め込むつもりで準備していたとしか思えませんな」
 今井が言った。
「司令。今はとにかく、情報の収集が必要です。航空機と潜水艦による偵察を許可して下さい。今後は一切の情報を一元化し、『たんご』で指揮を執りましょう」
 安達原が進言した。
「うむ……許可しよう」
 梨林は深刻な声で答えると、ギブソムとナイトウに向き合った。
「非常事態につき、我々は独自に協議したい。皇帝陛下と内府閣下によろしくお伝え下さい」

 練兵場は、上級兵に怒声を浴びせられながら兵舎から飛び出し、隊伍を組むパスキル兵の群れで騒然となっていた。
 宿営
地内の陸上・航空自衛隊員も、点呼・掌握がなされた後、自由行動を固く禁じられた。作業や連絡業務のために艦を降りていた海上自衛隊員にも、帰艦命令と下艦禁止命令が出された。
 午前9時、潜水艦「ふかしお」が「たんご」から降ろされた2機のFF-Xを曳航して出航した。大音響を立てて離水する機体が、可能な限り人目に付かぬようにするための配慮であった。「ふかしお」が沖合に出て約20分後、FF-Xはロープを切り離して発進した。やがて「ふかしお」も潜航し、国境の海域へ進路を取った。

 「たんご」の作戦指揮室は喧噪に包まれていた。伝令がひっきりなしに出入りし、オペレーターや通信員は次々に送られてくる情報を処理するのに追われていた。会議テーブルに陣取る主要幹部達も、それら整理された情報から対策を練り出すのに必死になっていた。
「偵察機は現在、国境付近へ向け飛行中です。到着予定時刻、0940。『ふかしお』も現在、水中速度20ノットにて急行中。正午には現場海域に到着し、潜望鏡と水上レーダーで陸地の状況を調べます」
 通信士官の青山
三尉が報告してくる。
「これを御覧下さい」
 田中川副連隊長が、射殺死体の写真をテーブルに並べた。
「先日の戦闘で死亡した不審者です。黒服に比較的軽装備、強靭な肉体が特徴です」
 そしてこちらがと付け加えながら、彼はパスキル製の紙に描かれた図を取り出した。
「帝国軍から提供された、ネワディン王国軍潜入部隊兵士の服装です。御覧の通り、同一です。この後方撹乱と破壊工作のプロ集団が、パスキル全土に散らばっていると考えていいでしょう」
「ネワディン側に、これを証拠として叩き付けてやればいいじゃありませんか。連中の陰謀だということが一目瞭然ですよ」
 今井が言った。
「数日前にやったらしいが、無関係だと切り捨てられてそれっきりだそうだ」
 丸ノ内は半ば投げやりに言い捨てると、地図をスティックで指した。
「パスキルとネワディンを結んでいるのは、この山脈群島だ。正確なデータがないので何とも言えないが、地上部隊を進撃させるためには、山脈の両側にある幅の狭い海岸を通る以外ないはずだ」
 山脈群島は、海底火山帯の噴火と隆起
で形成されたもので、標高は数百から数千メートルある。パスキル帝国とネワディン王国の緩衝地帯の役割を果たしていた地域である。
「こんなことなら、入港する前にもっと航空偵察をしておくべきでしたな」
 船橋二佐が口惜しそうに言った。パスキリーに入港する前に実施した航空偵察は、国境側とは反対方向であったことが判明していた。
 自衛隊が入手したパスキルの地図は、どれも大ざっぱなものしかなかった。測量技術が未発達だからではなく、比較的正確な全国地図の提供を帝国側が渋ったからだ。軍事上重要な地図を、敵でも味方でもない難民に渡すことはできないというのが理由だった。
 もっとも、彼らの対応は偏狭でも何でもなく、至極当然のものであった。古今東西、地図が戦略的に大きな役割を持つことは常識だからだ。江戸時代にはオランダのシーボルト医師が、伊能忠敬の日本地図を国外に持ち出そうとして処罰されている。近代戦においても、遠距離から誘導兵器をピンポイントで撃ち込むためには、デジタルマップが必要不可欠である。
 安達原はあの手この手を使
って正確な地図を入手しようとしたが、結局不可能に終わっていた。彼は諦めることなく、夜間にヘリと偵察機を飛ばして地形データを収集すべきだと主張したが、帝国の世話になる以上は手前勝手な行動を慎むべきである、との反対意見が大勢を占めたため、却下されていた。
「敵の進入経路が判ったところで、我々にできるのはパスキル軍にそれを教えてやることだけだ。そして彼らには、ネワディン軍を食い止めるだけの力はない」
 丸ノ内はスティックを地図の上に放り出した。
「こちらノワール・ワン。国境上空に到達した」
「こちらノワール・ツー。同じく、全て予定通りに飛行中だ」
 FF-Xから通信が入った。
「こちらグレープガーデン。状況を報告せよ。送れ」
 管制官の空曹が答えた。
「無数の軍団が進撃しているのが見える。恐竜も一緒だ。山脈群島と国境は、連中に埋め尽くされてる。一部はすでに国境を越えている」
「恐竜の種類は判るか」
「サイのような恐竜が、資材か何かを載せた荷車を牽引しているようだ。小型の恐竜には兵士が1人ずつ乗っている」
「小型恐竜はダチョウ恐竜か?」
「いや違う。もっと凶暴な感じがする。あと、国境周辺には村や集落がいくつか確認できるが、あちこちから火と煙が上がっている。住民の生存は絶望的と推定。以上」
 木戸が交信を終えた。
「畜生、ミサイルと機関砲弾を積んでいればな。こんなクソ居心地の悪い高見の見物なんかやめて、野郎共を吹っ飛ばしてやるのに」
 大橋が悔しがるのが聞こえた。前回の偵察飛行で積んでいた武装が外されたのは、パイロットが逆上して勝手に攻撃する恐れがあったからである。
「くそっ!」
 安達原が罵りながら、いきなりテーブルを両の拳でドンッと叩いた。
「安達原、どうした?」
 丸ノ内が訊いた。
「飼い慣らしたヴェロキラプトルを潜入兵士が使っているというのは納得できたが、まさか向こうでは軍馬の代わりにまでなっているとは……!」
「どういうことだ?」
「分からんか? オルニトミムスは雑食のダチョウ恐竜だ。一方ラプトルは、獰猛この上ない肉食恐竜だぞ。そんな軍団が一気に攻め込んできてみろ。どうなると思う?」
 考えたくもない、
しかし容易に想像できる結果だった。
「司令、我々はこのまま傍観しているだけなのですか」
 安達原が梨林に迫った。
「何度言えば分かるのだ。我々はどちらの敵にも味方にもなるわけにはいかん。あくまで中立を貫くのだ」
 言っていることとは裏腹に、梨林が板挟みになり葛藤の極みにあることは、誰の目にも明らかだった。
「すでに我々は1度、ネワディン軍と交戦しています。さらに現在、パスキル帝国の庇護下にある以上、彼らは敵です」
「あれは自衛のためのやむを得ざる戦闘だ。集団的自衛権は発動しておらん」
「分かりました。では、これにサインをお願いします」
 安達原はファイルから1枚の書類を取り出した。
「何だこれは」
「自衛隊の現有戦力の全てを、人命救助に使用できるようにするための許可書です。司令は最高指揮官として、これにサインするだけで結構です。あなたが責任を取らされることはありません」
「ちょっと待て。今、人命救助と言ったか?」
 木林がいぶかしげな顔で訊いた。
「そうです。世界情勢や政治体制の違いこそあれ、罪のない人
々が殺戮されるのを傍観することは、人道上許されません」
「圧倒的な火力でネワディン人を殺すことが人道的行為だと君は言うのかっ!」
 木林の怒声が飛んだ。
「では先任はどうなさるおつもりですか? ここで仮に帝国を見捨てて海へ逃げ出したとしましょう。我々は難民という立場ですし、連中には引き止める権利はないはずです。しかし、それでは振り出しに戻るだけです。燃料と食料が尽きるまで安住の地を探し続けるのがいいと先任がおっしゃるなら、もう反論はしませんが」
「それは……そうは言っとらんが……」
 木林が答えに窮した。
「司令、もはや一刻の猶予もありません。今こそ御決断を」
「やめてくれ!」
 梨林の悲痛な叫びに、全員が振り返った。彼がこのような弱音を吐くのは、初めてであったからだ。
「……私とて、全能ではない。そんな重大な決断は、私には荷が重過ぎる……」
 絞り出すように言うと、梨林は苦悶に歪んだ顔を両手で覆ってしまった。
 室内に駆け込んできた若い陸士が報告した。
「伝令。近衛騎士団が、パスキリー郊外の村の全
滅を確認したそうです。村人は全員惨殺され、現場は凄惨そのものだとか……」
 丸ノ内が彼に御苦労と言って退出させた時には、暗く重苦しい雰囲気が作戦指揮室を満たしていた。
 と、梨林は思い切ったように、許可書にサインをした。
「し、司令!」
 木林が思わず叫んだ。
「私は腹をくくることにした。国家と国民から与えられた隊員と装備を私物化することは、確かに指揮官としては最低の行為だろう。だが、どう努力しても私は、残虐な侵略行為を見過ごせるほど冷酷にはなれない。それは皆も同じだと信ずる」
 梨林は席を立つと、宣言した。
「現時点をもって、自衛隊はパスキル帝国防衛のための行動を開始する。全部隊を出動態勢に入れ、具体的な作戦の検討を行う。直ちに帝国首脳部へ連絡を入れろ!」
 この時を境に、自衛隊員2500名の運命は大きく動き出した。



最終更新:2007年10月31日 03:07