第9章 難民軍隊


 人間的な潤いが一切感じられぬ無彩色の城塞都市。
 石畳に覆われたその街道を、百数十名もの重装甲歩兵が一糸乱れぬ行進をしていく。
 彼らの甲冑が発する重々しい金属音は、城内にまで響き渡っていた。
「それにしても、パスキルの野蛮人共は全くおめでたい連中だな。我が国に上っ面の協力さえしていれば、竜人の牙に掛かることもないと思っているのだろうな。ハハ、ハハハ」
 馬鹿にした感じで笑っている老人は、ネワディン王国国王のガース・パルプである。白い髪と髭を伸び放題に伸ばし、けばけばしい装飾を施した王服を軍服の上から羽織り、短い軍靴を履いている。
「全く、国王陛下のおっしゃる通りですな。ま、そのお陰でこちらは心置きなく、かねてからの計画を実行に移すことができるのですがね」
 実質上の国王代理でもある、軍大臣のアール・レーマールが相槌を打った。
 彼の副官のスラウ・カフカルド参謀は、腹の底から這い上がってくる嫌悪感を抑えながら、不動の姿勢を取り続けるのに必死であった。彼はこの暴君と俗物と、その下で働かされている自分とが、心の底から大嫌いであったからだ。
 と、壮年の将軍が顔をニヤつかせながら部屋に入ってきた。ネワディン王国軍の最精鋭である戦竜軍団を率いる、クウド・トアケンだった。
 カフカルドは喉元まで一気に上ってきた嘔吐感に辛うじて耐え、トアケンに敬礼した。彼はパルプやレーマール以上に、この人物に慢性的な生理的嫌悪感を抱いていた。
「おお、来たかトアケン。パスキルの各地に潜入した貴様の部隊は、どうなっておる?」
 レーマールが訊いた。
「全て予定通りに展開しております。ただ、兵10名とヴェロキラプトル10頭から成る一隊が、全滅するという事件が起こりましてね」
「何ィ、全滅だと!?」
 レーマールが驚愕の声を上げた。
「口の中に大火傷を負ったラプトル1頭と重傷の兵が1名、奇跡的に生き残り、辛うじて大まかな情報を手に入れることができました。どうやら、あの国のママゴト軍隊の仕業ではなさそうです」
「パスキル軍の精鋭部隊ではないのか?」
「その可能性もありますが、どうも別物ではないかと。それからもう1つ、妙な知らせが入りましてね。パスキリーの水軍基地に数隻の巨大な船が入港し、その直後から近くの練兵場で、1000人以上もの人間が野営を始めたというのです」
「それは別に珍しくも何ともないことではないか。徴兵されたか、志願して軍に入った青二才連中が、古参兵に怒鳴り散らされながら兵隊ごっこに励んでいるのだろうよ」
「今のところ不明ですが、潜入隊を全滅させた連中と何らかの関係があると思われます」
「ふん。野蛮人の弱小軍隊だけでは、貴様と戦竜軍団には物足りまい。強敵だとすれば、まさに特上の獲物ではないか。せいぜい美味に料理してみせろ。楽しみにしておるぞ」
「お任せを。敵が何者であれ血祭りに上げるのが、私の役目ですので」
 パルプの言に対し、トアケンが狂気を含んだ不気味な笑みを浮かべるのを見たカフカルドは、思わず生唾を飲み込んだ。

 自衛隊イラク攻撃支援部隊がパスキル帝国に辿り着いてから、10日が過ぎた。
 海上自衛隊の艦隊は、ミゼロ湾にあるパスキル帝国水軍基地の近くに錨を下ろし、漂泊していた。艦の大きさが埠頭の面積を遙かに凌駕していたために、港に係留できなかったのだ。
 梨林はウイングと呼ばれる艦橋張り出しに立ち、双眼鏡で基地の風景を観察していた。
 基地は、埠頭や倉庫、水軍兵士の兵舎などで構成されていた。埠頭には大小の木造船が十数隻、係留されていた。訓練は休みになっているらしく、人影はまばらだった。
「司令……いや梨林さん。必要な物資のリストを補給長……土田親方が作りました。後で目を通しておいてもらいたいとのことです」
 慌てて口調を直し、挙げかけた右手を下げながら、岩田が言った。
「御苦労、艦……いや岩田君。しかし、どうもやりにくいものだな」
 帝国側は自衛隊の保護を認めるに際して、ある条件を提示してきた。それは何と、「軍隊であることを忘れて、難民の集団を演じて欲しい」という驚くべきものであった。
 迷彩服や作業衣の類を民族衣装と考えるのは無理な話であったが、その気になってしまえば、どうということはない。女性の数が極端に少ないのも、そういう人口比率だということにすればよい。
 唯一にして最大の問題は、自衛官として骨の髄まで叩き込まれた階級を無視しなければならないことであった。階級をなくしても、指揮系統は維持しなければならないからだ。
 幹部全員が頭を抱える中、面白いからやりましょうぜ梨林親分と、他ならぬ安達原が嬉々として言ったことで全ては決まった。
「かつての中国人民解放軍には階級が存在しなかったそうだが、やはりやりにくかったのかもしれんな」
「それにしても、年間数十人程度しか難民を受け入れてない日本と比べて、ここはすこぶる寛大な国ですね」
 岩田がしみじみと言った。
「違いないな。ま、我々にとっては大助かりだがね」
「2500人全員で茶番を演じるか、武器を全て破棄するか、どちらかを選べと言われた時にはさすがに驚きましたが、もし元の世界に戻れた時に『国民の血税の結晶である装備を捨ててきました』などとは口が裂けても言えないでしょう。しかしまあ、結局は国民に知られたくない任務ですからね……」
「そうだな」
 他人事のような物言いであった。
「ところで、丸ノ内君はどこかね? 乗員の上陸について、打ち合わせをしたいんだが」
「さあ……何でも、ギブソム護国大臣に呼ばれているそうですが」

「……歌を歌って士気を高めるのが悪いなどとは、一言も言っておらぬ」
 ギブソム護国大臣と向き合って立っている丸ノ内の姿は、職員室に呼び出された悪童のそれに似ていた。
「わしが言いたいのは、その歌詞や調子が、武人として歌うにふさわしいものかどうかということだ」
 陸上自衛隊の宿営地とされたパスキリー練兵場は、海岸に面した広大な草原だった。九州出身の叩き上げ幹部である船橋二佐などは、その風景がかつて新隊員教育を受けた佐世保の駐屯地にあまりにも似ていたので、懐かしさに思わず目を潤ませていたこともあった。
 居住用のテントとプレハブを総出で設営したまではよかったものの、すぐに隊員はただボンヤリと暇を持て余す格好になった。体調を崩したり、点呼にも来ずにゴロ寝している者が、3日と経たないうちに続出し始めた。
 このため、体育や座学などが時間を決めて行われることになった。出航前の駐屯地における生活と、ほとんど変わりはない。ただし、無用のトラブルや燃料の浪費を避けるため、車両やヘリコプターのエンジンは試運転以外に動かすことを厳禁された。火器の射撃訓練に至っては、論外中の論外である。 
 しかし練兵場では、精鋭の近衛騎士団から一般の歩兵隊、民兵隊まで、パスキル帝国軍の様々な部隊が交替で訓練を行っていた。本来の使用者である彼らに、別の場所で訓練しろと言うわけにもいかなかった。互いが接触する機会が多くなるのは、不可避であった。
 問題はある日、突如として起こった。50名ほどの隊員が隊列を組みながらTシャツと短パンの格好でランニングをしていたところ、遠巻きにそれを見ていた騎士隊員がもう我慢ならぬという顔をしながら、先頭で音頭を取っていた陸曹長に剣を引き抜いて詰め寄ったのだ。幸い、仲間の騎士が止めに入ったために事なきを得たものの、場は一時騒然となった。
 問題の根源は、隊員らの唱歌にあった。彼らが歌っていた歌詞は、元の世界で平和主義者と称する人々が耳にすれば、眉をひそめるどころか顔を真っ赤にして防衛庁へ殴り込みかねないほどに、仮想敵国の指導者や国家体制を下品に腐した内容だった。それをアメリカ海兵隊の粗暴なランニングソングに乗せて歌っていたのだから、なおさらであった。
「お国のしきたりや風習はよく知らぬが、お手前らはあの歌を武人の誇りに懸けて歌うにふさわしいと思っているのか?」
「いえ……」
「ならば、やめてもらいたいものだな」
「しかし我々は一応、武人ではなく難民です。言うなれば、烏合の衆です。全員がそうだとは言いませんが、中には不届きな者も混じっています。それに、あの歌は我々の伝統的な民謡ということになっているのです。今後は歌わせないようにいたしますから、ぜひ善処して下さい」
「……確かにそうであったな。まあ、よかろう」
 ギブソムがきびすを返して歩き出したのと同時に、丸ノ内は大きな溜め息を吐き出し、額に浮いた汗をハンカチで拭いた。わずかな時間とはいえ、圧倒的威圧感を持った人物と接することの心理的重圧を、彼は改めて思い知った。
 やがて丸ノ内は、おぼつかない足取りで水軍基地へ向かった。10分と掛からぬ距離だ。
「嘉城二尉、安達原一等海佐はどこか?」
 兵舎の裏から出てきた嘉城を呼び止めて訊いた。
「ハッ、総合研究室の方におられます」
 彼の顔は、どこから見てもやつれ気味であった。
「君はあれから連日連夜、奴から質問攻めに遭ってきたみたいだが、大丈夫か?」
「はい、何とか……」 
「昼寝でもするといい。もし外出許可が下りたら、君の小隊を最優先させてやろう」
「はい。ありがとうございます……」
 そのまま彼は、宿営地の方角へ歩き去っていった。
 「総合研究室」と書かれた表札が置かれたプレハブは、すぐに見つかった。
「安達原、丸ノ内だ。入るぞ」
 ドアを開けて中に足を踏み入れた瞬間、丸ノ内は大学の研究室に紛れ込んだような錯覚に襲われた。4畳半ほどの狭い空間には、恐竜図鑑、植物分類表、空撮写真、地図、分析表といった資料が、所狭しと置かれていたのだった。
「よう。かなり絞られたらしいな」
 ノートパソコンから目を離し、作業服姿の安達原が言った。
「ああ。個室に引っ込んで自分の趣味だけやってればいい誰かさんと違って、俺は色々と苦労が多くてね」
 丸ノ内は皮肉たっぷりに言った。
「すねるなよ。もし帰還できたら、内閣府やら文部科学省やらから資料の提出を求められるだろうからな。それを作成するのも重要な任務だ」
「そんなのは何とでも言えようが」
「怒るなって。麦茶でも出すよ」
「それにしてもすごいもんだな、これは」
 丸ノ内は部屋中に積み上げられた資料を慎重に避け、パイプ椅子に座った。
「研究には個室が必要かと思ってね。最初は艦の艦長室を使っていたんだが、副長の奴がどうもうるさくてな。結局、お前んとこの施設小隊の先任陸曹……何て名前だったっけ?」
「村上曹長」
「そうそう、村上のオッチャン。おねだりしてプレハブを1つ、都合してもらったんだ」
 安達原は答えながら、冷えた麦茶を魔法瓶からグラスに注ぎ、丸ノ内に手渡した。
「エアコンも、だろ。ま、これでようやく子供の頃からの夢が実現されたわけか」
 丸ノ内は苦笑した。
「例の黒尽くめ兵の遺体はどうした?」
「衛生科の医官が病理解剖した後、パスキルの連中に引き渡した。そのまま共同墓地に葬られたんだそうだ」
 安達原は興味なさそうに答えた。
「ラプトルは?」
「当然、解剖診断書からレントゲン写真まで、全部コピーしてもらったさ。体組織の標本と、DNAサンプルも作ってもらった」
「そいつはどこにある」
「『たんご』艦内の医務室だ。艦内の検査機器もあるにはあるが、やはり持ち帰っての本格的な調査が必要になるだろうからな」
「やめろよ、気持ち悪い」
「何が気持ち悪いだ。二度と手に入らぬ研究資料だぞ。ノーベル賞も間違いなしだ」
 丸ノ内は呆れ顔をしながら、麦茶を一気に飲み干した。
「ところで、この世界の情勢は少しは判ったかい」
「ああ。簡単に説明すると……」
 安達原は大儀そうにパイプ椅子から立ち上がると、壁に貼った手描き地図を棒で指した。
 「ヴァンデラール大陸」と書かれた広大な大陸と、その東側から伸びている「ヘイブル半島」、さらにそこから垂れ下がった細長い島国があった。
「まず、山脈群島でヘイブル半島と繋がっているこの島国が、パスキル帝国だ。ヴァンデラール大陸は、全域が大地竜帝国の支配下にある。そしてこっちのヘイブル半島を支配しているのが、この世界で最も科学技術が発達しているとされるネワディン王国だ」
「どんな国だ?」
「とてもいい国とは言えんね。軍隊は組織化された兵団で、火薬を使った武器まで持ってる。独裁指導者は老人性痴呆症と誇大妄想に冒されてる。最悪だ」
「じゃあ、大地竜帝国っていうのは?」
「もっとひどい。連中は竜人だ」
「何だそれは?」
「文字通り2本の足で立ち歩き、言葉と道具を使う恐竜人類よ」
 丸ノ内は一瞬、耳を疑った。
「おいおい安達原、いくら何でもそれは恐竜図鑑のコラムか、SF作家のアイディアでしかないだろ?」
「俺は恐竜のことに関しては嘘は言わん。この世界の厳然たる事実だ。当然、奴らは人間を下等な生物として嫌う。竜人の方が、生物として何もかも優れているからだ。俺達人類が好き勝手に自然環境を破壊し、野生動植物を駆逐してきたツケが、この何千万年か何億年か後の世界に回ってきているというわけだ」
「パスキルとネワディン以外には、人間の国家は存在せんのか?」
「パスキルの周囲にはいくつか小国があるが、それ以外はまだ確認されていないそうだ」
「待てよ……ではなぜ大地竜帝国はネワディン王国を攻め滅ぼそうとしない? 奴らこそ竜人の脅威そのものじゃないか」
 素朴な疑問だった。
「それが判らんのだよ。俺も不思議に思っているんだが、ただ単に抑止力が効いているだけではなさそうだ。きっと裏に何かがあると思う」
「研究もいいが、明日から帝国側と本格的な実務者協議に入る。その時はお前も来い」
「無論だ」
 丸ノ内はそびえ立つ資料の山々の狭間をくぐり抜け、ドアへ向かった。
 安達原は椅子に座り直そうとしたが、その足元にコンビニ袋が落ちているのには気付かなかった。
 彼が足を滑らせたと気付いた時には、ドドドという音と共に大崩落が起こっていた。
 思わず顔を両手で覆った丸ノ内が、指の間から恐る恐る様子を見てみると、散乱した資料とその下に埋もれた安達原の両足が見えた。
 丸ノ内は、これをどうやって片付ければよいのだろうかと思い、またしても大きな溜め息を吐いた。防大に入りたての頃、教官にベッドをひっくり返されて途方に暮れたのを、ふと思い出した。
 安達原の足が、小刻みな痙攣を続けていた。



最終更新:2007年10月31日 03:05