第6章 接近遭遇


 午後3時、FF-X試作水戦2機とXEV-22オスプレイの編隊は、高度5000メートルで巡航しながら偵察活動を行っていた。艦隊から北北東300キロという地点である。
 オスプレイの3名のオペレーターは、AEW&C340警戒管制システムのチェックに余念がなかった。
 スウェーデン空軍が使用しているこのシステムは、機体背面に設けられたPS-890エリアイ・レーダーを中心に、敵味方識別装置や電波逆探装置などの各種電子機器から構成されており、同時に数百の目標を捕捉・追尾できる。柱状レーダーアンテナの特性から、索敵範囲は上下10度及び左右110度に限られているが、その探知距離は350キロ以上と、航空自衛隊のE-767早期警戒管制機・AWACSに匹敵している。イージス艦と並ぶ海上自衛隊の艦隊防空能力向上の要として、早くも期待されているゆえんであった。
「マザーシスターへ。こちら『しゅり』CIC。ターゲットは確認できるか」
「こちらマザーシスター。レーダーに複数の目標探知。全て翼竜か鳥かと思われる。ラジオ放送や無線通信を含めて電波反応は一切なし。これよりデータを送信する。オーバー」
 管制士官はモニターを見詰めたまま、手元のデータ送信キーを押した。
 AEW&C340は比較的小型の機体にも搭載できるように作られたシステムであるが、それゆえに機上での管制はせず、収集したデータをリンクシステムによって基地へ転送し、そこから管制が行われるのが通常ミッションとなっている。
「ノワール・ワン及びツーへ。何か目視で確認できるか」
 管制士官がヘッドセットを通じて訊いた。
「こちらノワール・ワン。飛んでから今まで、陸地には広大な森林しか見えない。海上にも航行物体なし。オーバー」
「こちらノワール・ツー。超低空まで降下すれば何か見えると思うが」
 2号機パイロットの木戸二尉が、片手でカメラのシャッターを切りながら言った。
「許可できない。今は電子情報と地形データの収集だけでいい」
「ツー、了解」
 不満そうにしながらも、木戸は命令に従った。

「みんな頑張れ、この丘を越えれば先の景色が一望できるぞ」
 嘉城は後ろに続く部下らを励ましながら、小高い丘の急斜面を登っていた。隊員の疲労は極限に達しようとしていたが、必死で雑草を掴み、互いの体を引っ張り上げていた。
「……はぁはぁ、ワ……ワッチウインドへ。今……丘の上に着いた……。向こう側はどうなってる?」
 息絶え絶えになりながら、辛うじてOH-1に通信を入れた。
「おい……こりゃすごいぞ。目ン玉見開けてよく見てみろ」
 イヤホンに返ってきた鳥谷の声は、驚きに満ちていた。
「え、何?」
 目はとても開けられなかったが、嘉城は顔を上げてみた。
「………」
 力の抜けた手から64式小銃が離れ、肩に当たってガシャリと音を立てた。
「二尉、どうしました?」
 這い上がってきた隊員達が、彼の視線の先に顔を向けた。
「お、おい……」
「これって……夢じゃないよな?」
「あ、ああ」
「信じらんねえ」
「だけど現実だぞ、こりゃあ……」 
 口々に言う隊員の眼下に広がっていたのは、紛れもない中生代の恐竜世界であった。
 空を大小の翼竜が舞い、巨大な草食恐竜が長い首を使って巨木の葉を食べ、それを大型の肉食恐竜がやや距離を置いて物欲しげに見ていた。
「……すげえや」
 小野寺が、ヘルメットのヒサシを上げて呟いた。
「カメラを持ってくりゃよかったなあ」
 尾川は引きつった微笑を浮かべながら、防弾チョッキの胸ポケットから手帳を取り出し、鉛筆でスケッチを始めた。

 現場から送られてきた映像を見た自衛隊員は、高級幹部から二士に至るまで、ただ1人の例外を除いて驚きのあまり立ち尽くすだけだった。無論、ただ1人の例外とは安達原康行である。
「な、何てこった! す、すごいぞ! 俺の説は正しかったんだ! おおっ、あの肉食恐竜はメガロサウルスだな、間違いない!!」
 安達原は「しゅり」の艦橋で、初めて恐竜図鑑を読んだ幼稚園児のようにはしゃぎ続けていた。
「おい、当直士官!! 見ろ見ろ、アパトサウルスだぞアパトサウルス! あのバカでかい草食恐竜だよ!! 別名はブロントザウルスだ、知ってるだろ?」
「……は、はあ。まあ、一応名前だけは何かで……」
「一応とは何だ一応とは! それからな、あのサイみたいなのはトリケラトプスだ。短い角が鼻の上に1本、長い角が目の上に2本生えてる奴だ。分かるな?」
「はあ……」
「おい副長、メガロサウルスの名の由来を言ってみろ!」
「知りません」
「知らんだと? 他に言える者は」
「………」
「バカモン! 貴様ら一体何年自衛官やってるんだ!! いいか、メガロサウルスというのは『大きなトカゲ』という意味だ。なぜこの名前が付けられたと思う? 1824年、史上初めて正式に“恐竜”として発表された恐竜だからだ。確かにその2年前、イギリスのマンテル夫妻が『イグアナの歯』という意味のイグアノドンを発表しているが、それが恐竜の一種だと判ったのは後の話だ。しかるにィ、このメガロサウルスこそ……聴いてるのかお前ら」
 艦橋配置の隊員らは安達原の怒声に近い説明を聴かされながら、恐竜時代以外ならばどの世界に行ってもよいと本心から思っていた。

 嘉城の小隊は丘の上で小休止をしていた。恐竜からはかなりの距離があったが、彼らは万一を考慮して低い姿勢になり、ヘルメットの偽装ネットに雑草を差していた。
「小隊長。ワッチウインドからの連絡によると、偵察小隊が今こっちへ向かっています。ただ、木が茂っている上に道が悪いので、合流には時間が掛かりそうだとのことです」
 通信士が、無線機の受話器を持ったまま言った。
「分かった。どっちにしろ、もうあのジャングルを歩きで戻るのは嫌だな。帰りはヘリを呼ぶか、偵察小隊の装甲車に乗せてもらおう」
 嘉城は、野戦軍手で顔の汗を拭いながら答えた。
「おいっ、何だあれは!?」
 小野寺の叫び声に、小隊全員が後ろを振り返った。ダチョウのようにスマートな恐竜に乗った人間の一団が、自衛隊員を警戒しながらゆっくりと丘を上がってきていた。
 彼らは、丈夫な布でできたカーキ色の服の上から軽装の鎧を着込み、肘と膝にはプロテクターを装着していた。頭部は鋭角的なデザインの兜に覆われ、ズボンの裾は布で固定した革靴の中に折り込まれている。そして各員が刀剣や弓矢、槍などで武装していた。人数は20名強ほどで、人種は判別しがたかった。
「何なんだ貴様らァ!!」
 即座に62式機関銃を構え、島崎が怒号を張り上げた。
「そちらこそ何者だ!!」
 先頭を進んでいたリーダーらしき若い男が、腰からサーベルを抜きつつ日本語で叫び返した。それに反応し、双方の兵員がおのおのの武器を相手側に向け始めた。
「相手を刺激するな! 命令があるまで絶対に撃つなよ!」
 両手を広げて命令を伝えると、嘉城はリーダーの男の方へと歩き始めた。
「あ、あのー、エ、エクスキューズミー、ホワッツ・ユアネーム? マイネームイズ・オガワ……」
「バカ、日本語喋ってるだろうが!」
 にわか英語を披露しようとした尾川に、小野寺が即座に野次を飛ばした。
「あ、そうか。でも何であいつらが日本語なんか知ってるんですか?」
「さあ」
「お前達、静かにしろ! 話は小隊長が交渉から帰ってからやれ!」
 島崎の大声が2人を黙らせた。
 嘉城はリーダーの前で立ち止まると、手にしていた64式小銃を肩に掛け、敵対意志のないことを示した。リーダーは嘉城とほぼ同年齢に見えたが、鍛え抜かれた戦士と形容するにふさわしい強靱な肉体と精神の持ち主であることが、一目で判った。
「貴公の名を名乗られたい」
 男が、丁重ながらも威圧感のある口調で言った。
「日本国陸上自衛隊の嘉城洋三と申します。36名の部下を率いて、ここに上陸しました」
「私はフォン・シーマイル。パスキル帝国近衛騎士団の少年騎士隊長を務めている者だ。ニッポンなどという国名は聞いたこともない。ヴァンデラール大陸の裏側にある国か? それから、ジエイタイというのは一体何だ?」
「日本はアジアと呼ばれる地域にある島国です。それから、自衛隊は日本の軍隊の名称です。自らの国を守る軍という意味で、そう呼ばれています。失礼ですが、我々もそのヴァンデラ何たらとかパステル何とかというのは、全く知らないのですが……」
「本当に何も知らんのか……信じられんな」
 シーマイルと名乗った男は、疑いと驚きの入り交じった視線で嘉城を見下ろした。
「隊長、この人達は……」
「レンス、お前は黙っていろ」
 後ろにいた少年騎士が何か言おうとしたが、隊長に制止されてすぐに黙り込んだ。
「理由はどうあれ、我らの領内に許可なく立ち入ったことに変わりはない。物腰や姿格好は、ネワディン王国や大地竜帝国の手の者とは明らかに違うが、一緒に来ていただこう」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
 嘉城は慌てた。
「よこしまな企みがないのなら、拒む理由はなかろう」
 騎士とダチョウ恐竜が、小隊を包囲する隊形を組み始めた。
「いかんぞ。奴ら、我々を拘束してどこかへ連行する気だ。我々の常識でも武装した不法入国者は、当然犯罪者だからな」
 12番口径野戦散弾銃を肩から外しながら、江見原が緊張した声で言った。
「隊長! 撃つ許可を下さい!!」
 嘉城は背後から響く島崎の声を聞きながら、ヘリや艦隊をまだ目撃されていないのが不幸中の幸いだと痛感していた。そうでなければ、間違いなく侵略軍の先遣隊と受け取られ、問答無用で殺されていたに違いなかった。
「……仲間と相談する時間が欲しいのですが。決して逃げたり、抵抗したりはしません」
 取り敢えず浮かんだ考えを、そのまま口に出した。
「よかろう」
 シーマイルの了解を得て、嘉城は部下らの元に戻った。
「状況は見ての通りだ。どうすべきだと思う?」
「奴らは偵察ヘリや自衛艦隊を見たんですか?」
 江見原が訊いた。
「いや、その様子はない。見られてたら、僕らの命はとうになかっただろう」
「先制攻撃すべきです。今なら、我々の火力で奴らを圧倒できます」
 島崎が穏やかざる策を持ち出した。
「あいつの話によると、連中は少年騎士隊の隊員だそうだ。後方に連中の仲間が詰めてるかもしれない。それに、森林での戦闘は奴らの方が得意に決まってる」
 行軍中の醜態を思い出しながら、嘉城は自嘲的に言った。
「それよりも何であいつら日本語喋って、変てこな格好をしながら恐竜に乗って、騎士隊なんか組んどるんですか!?」
 別の班長が、やや興奮気味に言った。
「こんな状況になったのが何より不可思議なんだ。くだらんことをいちいち考えるな!」
 江見原が先任曹長らしい大声で言うと、その班長は申しわけなさそうに口をつぐんだ。
「いずれにせよ、相手が対話の可能な文明人だったのが幸運だったな。通信士、連隊本部に繋いでくれ」
「はっ」
 通信士が通信機のチューナーを調節し、嘉城に受話器を差し出した。
「本部、こちら嘉城……」
 嘉城の眼前を、光る物体が一閃した。それは受話器のカールコードを切断し、彼の足元に突き刺さった。
「何だ!?」
「投げナイフだあ!!」
 通信士が絶叫し、飛び退いた。
「ぜ、全周警戒っ!!」
 嘉城の声に弾かれたように、小隊員は周囲を取り囲む騎士隊員に銃の照準を合わせた。
「カシロ……殿、いかがなされた!?」
「どうもこうもないだろう!! いきなりナイフなんか投げやがって、どういうつもりだ!!」
 自らも64式小銃の銃口をシーマイルに向けながら、普段は絶対に上げない怒声を吐き散らした。
「投げナイフだと!? それはネワディン王国の潜入兵共のものだ!!」
「だから何だ!! そのネワビン何とかってのは……」
 彼が先程までの丁寧な物言いをかなぐり捨て、さらに詰問しようとした時、グルルッという気味の悪い鳴き声が、森の中からいくつも発せられた。それを聞いたダチョウ恐竜が、パニックに陥り始めた。
「チッ、やはり奴らか! ラプトルが来る、襲撃に備えろっ!!」
 シーマイルが、部下達に叫んだ。
「ラプトル?」
「二尉、ヴェロキラプトルのことじゃないでしょうか」
 小隊の中では比較的恐竜の知識がある小野寺が言った。
「小野寺士長、それは肉食恐竜か?」
「肉食恐竜の中で一番ヤバイ部類に入る奴ですよ。体の大きさはあのダチョウ野郎とそれほど変わらないんですが、鋭い牙と爪を使って群れで狩りをするんです」
 嘉城を始めとする小隊全員が、恐怖で凍り付いた。不気味な鳴き声は、なおも大きくなりながら近付いてきている。
「総員、射撃用意。命令次第、一斉に撃て」
 嘉城の声は震えていた。隊員らがめいめいの銃砲を森に向けた。
「どうなるんだ……」
 尾川は89式小銃の二脚を立て、伏せ撃ちの姿勢を取りながら呟いた。汗が際限なく皮膚から吹き出していた。
「テーッ!!」
 オレンジ色の発砲炎と耳をつんざくような射撃音が、空気を引き裂いた。



最終更新:2007年10月31日 03:02