第5章 敵はジャングル


 「たんご」の作戦指揮室には、陸海空の高級指揮官が全員集合していた。連隊本部員やオペレーターなどのスタッフ以外は、完全にシャットアウトされている。
 陸海空の指揮官はU字型の会議テーブルに着席し、前方の巨大なカラーデータ・スクリーンに見入っていた。スクリーンには、OH-1から送られてくるライブ映像に加え、データ処理された艦隊の現在状況も映し出されていた。
「壮観だな」
 丸ノ内が薄暗い室内を見回して呟いた。不審船事件や大災害などが起こるたびにIT化や情報伝達の遅れを指摘されてきた自衛隊だけあって、思わず感心したのであった。
「行動中の各隊に異状ないか?」
 彼は、プログラマーや通信員が詰めている室内後方に声を掛けた。
「ありません。全て順調です」
 ヘッドセットに耳を傾けながら、連隊本部付通信士官の青山三尉が顔を上げて答えた。
「日頃の訓練の成果を、ここでゆっくりお手並み拝見というわけか」
 艦隊幕僚の1人が漏らした。
「だがジャングル内を捜索するのに普通科小隊1個とは、やはり少な過ぎたかもしれんな。やはり、大隊を構成する2個中隊のうち1個を丸ごと投入すべきだったのではないのか? 田中川二佐」
 丸ノ内が田中川に言った。
「その必要はありません」
 スクリーンの映像から視線を逸らさぬまま、彼は口を開いた。
「身動きの取りにくいジャングルで、中隊規模の兵員をろくな間隔も空けずに動かすのは危険です。敵に襲撃された際、同士討ちの恐れもある」 
「なら、せめて精鋭のレンジャー隊員を選抜して部隊を編成すべきだったと思うが」
 田中川がレンジャー資格を持つ隊員を極めて重く見ており、その中で特に能力の優れた者に特別訓練を受けさせているのは丸ノ内も知っていた。
「彼らは不測の事態に備えるために残留させます。一般の隊員も、レンジャーに劣ることなく鍛えたつもりですが」
「私は二佐を信頼するよ」
 二佐の実戦経験を信頼してな、という言葉を口から出かかったところで呑み込み、丸ノ内は視線をスクリーンに戻した。

 鳥谷は、ヘリを海岸上空100メートルでホバリングさせ、センサーサイトを起動した。
「海岸に障害物及び移動物体は皆無。着陸も揚陸も可能です」
 モニター画面を覗いた観測員が言った。
「ワッチウインドよりビッグ並びにLCACへ。各自、ランディング及びビーチングに入られたし」
「ビッグ了解」
「1号艇了解」
「2号艇了解」
 連絡を入れた鳥谷のイヤホンに、それぞれの返信が届いた。
 まずLCACが、発進してから1分足らずで砂浜に乗り上げ、そのまま数十メートル突き進んで停止した。次にエアクッションの空気を抜いて船体を地面に接地させると、前後のゲートを開き、偵察車両を順次上陸させていった。
 揚陸作業が完了すると、白い砂塵を轟々と巻き上げながらチヌークが着陸した。
「周囲を確認! 降下っ!」
 後部ドアが開かれ、嘉城以下37名の普通科小隊がアメリカ海兵隊式の全周警戒をしながら、素早く展開した。全員の降着が終了すると、チヌークはすぐに離陸した。
「ジャングルの切れ目まで同行する。着いたら俺の小隊は外側から偵察するから、あんたらはそのままジャングルの中に入ってくれ、嘉城二尉。何かあったら、すぐ支援に向かいますぜ」
 87式偵察警戒車の砲塔ハッチから顔を出しながら、斉木が言った。
「分かりました」
 嘉城は答えると手招きで通信士を呼び、背負い式野戦通信機の受話器を手にした。回線は「たんご」艦内の作戦指揮室に通じている。
「普通科小隊より連隊本部へ。ただ今より行動開始する。送れ」
「了解。直ちに行動開始されたし」
 青山の凛とした声が返ってきた。
「小隊、縦一列。前へ!」
 大きく左手を振って小隊員に命令を伝えると、嘉城は先頭に立って歩き始めた。狙撃用スコープを取り付けた64式7.62ミリ小銃を脇に抱え、周りを見渡しつつゆっくりと歩いた。
「偵察小隊、前進! 普通科隊を護衛せよ」
 斉木は車両で嘉城の小隊を囲むように隊形を組み、徒歩に合わせた徐行運転で走らせた。
(このままずっと静かならいいんだけどな)
 タイヤと半長靴が濡れた砂を踏み鳴らす音と、エンジン音だけが響く海岸を歩きながら、嘉城はそう思った。
「尾川、行軍中まで世話焼かすなよ。分かったな」
 カール・グスタフ84ミリ無反動砲を重そうに担ぎながら、小野寺は前を歩く尾川に声を掛けた。
「……へい」
 陰湿な声で尾川が返事した。先程殴られた左頬は、まだ赤く腫れ上がったままだ。
(オタクのくせに上官らしく殴ったり命令しやがって、この野郎。面倒見のいい先輩でなけりゃ、立ち小便してるところを後ろから撃ってやるんだけどな……)
 彼は、手にした89式小銃をチンチンと指で叩いた。
「歩きながら各自、顔に迷彩ドーランを塗れ」
 嘉城の命令を聞くと、小隊員はズボンのポケットからカモフラージュセットを取り出し、慌ただしく顔に迷彩化粧を施し始めた。偵察小隊の隊員らもまた同様だった。
 部隊がジャングルの端に着くには、5分と掛からなかった。
「普通科小隊よりワッチウインドへ」
 嘉城は、肩掛け式携帯無線機のトークボタンを押し、リップマイクを口に近付けた。
「これよりジャングル内の捜索活動に入る。上空からの監視を厳重に願う。以上」
「ワッチウインド了解」
 上空のOH-1が、嘉城らの頭上高くでホバリングした。
「偵察小隊は装甲車班とジープ班、バイク班とに分かれて活動せよ。散開!」
 斉木も自分の部下に命令を出した。

 作戦指揮室のカラーデータ・スクリーンには、2つの地上小隊からの映像が新たに加えられていた。ビデオカメラで撮影された映像を、無線機で中継して受信しているのである。
「始まったな」
 梨林が緊張した声で言った。
「とにかく私は、安達原の説が間違っていることを祈りますよ。自動小銃は猛獣狩り用の大口径ライフルやら大型散弾銃とは違いますからね。ロケットランチャーや無反動砲もあるにはありますが、隊員の全員が持っているわけはありませんし」
 丸ノ内は彼の言葉に相槌を打った。
「俺も虎なら倒したことがあるが、さすがに恐竜はまだだな」
 ボソリと田中川が言ったのを、丸ノ内は聞き逃さなかった。そっと耳打ちした。
「虎を倒したって……銃でか?」
「いえ。最初は撃ちましたが、途中で弾が切れたのでナイフで首を。7年前、フィリピンでのことでしたがね」
 彼は田中川の経歴の噂について、もはや疑いを持とうと思わなかった。

 最初は力強く足を踏み出していた隊員も、すさまじい湿気と高温と息苦しさとですぐに体力を奪われていった。また、周囲に生い茂る自分達の背丈ほどもある雑草は、彼らの精神をさらに疲労困憊させた。
「隊長、全部の班が間隔を空けるどころか、バラバラになってます。一時、停止させませんと」
 江見原が肩で息をし、額から汗をダラダラ流しながら嘉城に言った。
「みんな、ばててるか?」
「ばててます。気息奄々という言葉がぴったりです」
 嘉城自身、足を引きずるようにして歩いていたのだった。腕時計を見てみると、ジャングルに進入してからまだ10分も経っていないことが判り、自ずと溜め息が出た。
「各班長へ、こちら小隊長。ここで小休止する。歩哨を交代で立たせろ。以上」
 命令を無線で伝えると、彼はその場にへたり込んだ。防弾チョッキも戦闘服も下着も、全て水を被ったかのように汗でぐっしょり濡れていた。
 嘉城は防大から幹部候補生学校を経た後、地元の沖縄に駐屯する第1混成団に籍を置いていたことがある。暑いには暑かったが、住み慣れていたためにさほどの苦にはならなかった。さらに、治安維持と災害救援を主任務とするこの部隊では、野外行軍訓練も少なかった。その後志願して入った第1危機即応連隊では、ゲリラの侵入に備えるために野戦訓練を嫌なほどやらされたが、これほど劣悪な環境下で行ったことはなかった。
(やっぱり、黒崎と一緒に幹部レンジャー訓練受けとけばよかったかな……)
 嘉城はそう感想を持った。
「くそっ、どこのどいつがこんな欠陥防弾チョッキなんか作ったんだ。重くてムンムン暑苦しいくせして、ろくにライフル弾も防げないのによ」
 ない方がましだと言わんばかりに、小野寺が防弾チョッキの前を乱暴に開いた。
「小野寺よ、ぜいたく言うな。砲弾の破片や拳銃弾くらいはこれでもストップできるぜ。コンバットナイフとか恐竜の爪なんかも、ある程度は大丈夫なはずだ。それにレンジャー訓練じゃなあ、数十キロの重さの装備を背負って夜通し山ん中を歩き回るんだ。それに比べりゃ、こんなのはまだ楽な方さ。不快指数が高いのと、息苦しいのを除けばな」
 同じように防弾チョッキの前を開けた島崎の左胸には、ダイヤモンドに月桂樹の葉をあしらった名誉あるレンジャー徽章が輝いていた。
「班長はいつレンジャー訓練をやったんです?」
「10年前、陸士長から試験で三等陸曹に昇進したすぐ後だ。ちょうど今のお前と同じくらいの歳だったな」
「それにしても、何でこんなに息が苦しいんですか?」
 巨大なヤシの木の根本に腰を下ろしていた尾川が訊いた。
「炭酸ガス濃度が高いからなんだとさ。多分近くに火山脈があって、地面の割れ目からガスが吹き出てるんだろうよ」
 小野寺がタオルで首周りを拭きながら、だるそうに答えた。
「お前達、今のうちに水分とミネラルの補給はしっかりやっとけよ。熱射病でくたばっちまうぞ」
 島崎は食塩の錠剤を口に放り込むと、スポーツドリンクが入った水筒をあおった。
「やっぱり普通に大学に上がればよかった……」
 遠い目をしながら尾川が言ったその時、ブツリという音を立ててサッカーボール大の腐ったココナッツが枝から落下し、彼の頭をヘルメット越しにゴーンと直撃した。
「うっうわぁぁぁぁぁぁぁ!!」
 突如として脳天に強烈な衝撃を食らった尾川は、一瞬でパニックに陥った。反射的に自動小銃のセレクターを安全装置から連射モードに切り替えた。薬室には、すでに初弾が装填してあった。頭上に向かって引き金を引いた。鉛の弾頭を銅で被甲したフルメタル・ジャケット弾30発が、木の幹にブスブスと食い込んだ。
「何だ何だ今のはァ!」
「敵襲、敵襲、敵襲ー!!」
「総員戦闘配置に就けぇ!!」
「敵はどこだ!?」
 銃声を耳にした小隊員は、大急ぎで臨戦態勢を整えた。
「尾川、何があったんだ!」
 島崎が62式機関銃を構えながら怒鳴った。しかし、尾川は眼を血走らせ、荒い息をしながら、弾が尽きた小銃の引き金をガチガチと引き続けるだけだった。
「島崎班、何があった! 至急状況を知らせ!」
 島崎のトランシーバーのイヤホンから、嘉城の大声が聞こえてきた。慌ててリップマイクに向かって喋ろうとした時、何かがポトリポトリと隊員達目掛けて落ちてきた。
「何だあ?」
「ぐわぁー、ヒルだあぁぁぁ!」
 木の枝の上にいた吸血ヒルが、銃撃のショックで一斉に落下したのだった。演習場の林の中にいるような小さなものではなく、南米や東南アジアにすら生息していないであろうワラジほどの巨大なヒルだった。
「は、早く払い落とすんだ!」
「逃げろぉぉぉ!!」
「走れえー!!」
 装備を抱え、火器を引きずり、彼らはジャングルを走り回った。
 ようやくヒルの大群を振り切った時には、小隊全員が死んだようにグッタリしながら木陰や草むらに寝転がっていた。尾川は恐怖と情けなさで、うずくまりながら身をブルブル震わすことしかできなかった。
 鳥谷の偵察ヘリから通信が入った。
「ワッチウインドより普通科小隊! 何があった! さっきの銃声は何だ? 応答せよ! 応答せよ!!」
 嘉城はいまいましげに通信機を引っ張り、トークボタンを押した。
「こちら普通科小隊。ヒルに襲われただけだ。以上」
 尾川を横目で睨みながら、つっけんどんに言ってのけた。
 隊員のほとんどがヒルに血を吸われてしまっていた。その症状は出血が止まりにくく、痛がゆい感覚が続くのが特徴である。彼らは傷口にかゆみ止めの軟膏を塗り、絆創膏を貼るだけで精一杯だった。
「くそっ、ここも見通しが悪いな」
 周りを見渡し、嘉城は毒づいた。
「ワッチウインドへ。シダや雑草の背が比較的低い場所は近くにないか。送れ」
「3時方向に100メートルほど進んだところに空き地がある。そこへ向かえ」
「了解」
 通信機を肩に掛け直すと、彼は手信号で前進の合図を送った。
「いつまでも休んでる場合じゃないだろ」
 小野寺が尾川の尻を軽く蹴飛ばした。怯えたように頷くと、尾川は重い腰を上げて歩き始めた。
(何で俺がこんな目に……しかも小隊のみんなにまで迷惑掛けるなんて……クソッ……クソッ……)
 彼の心の中には、自責と後悔の念が渦を巻いていた。
 少し歩いたところに、1メートル強ほどの土山がそびえ立っていた。尾川は、思い切り半長靴で蹴り崩した。それを破壊することによって、少しでもストレスを発散しようと考えたのだった。結果、その目的はある程度達せられた。
 ところが、奇怪なことが起こった。崩れた土がモゾモゾと動き、足に這い上がってきたのである。
「な、何だよこれ」
 尾川は慌てた。手で取り除こうとしたが、土は上半身まで上がってきた。
「うっうわあぁー!!」
 土の正体は真っ黒な大アリであった。またもや絶叫を放った。
「この大馬鹿野郎が! アリ塚をぶっ壊しやがって!!」
 後ろで小野寺がわめいた。アリの大群は、一瞬のうちに小隊を内側から包囲してしまった。
「くそっ、噛まれた! 痛い!」
「銃の中に入らすな、故障するぞ!」
「早く叩けえ!!」
「逃げろぉー!!」
 小隊員は、息絶え絶えになりながらも再び全力疾走しなければならなかった。

「………」
 丸ノ内を始めとする陸自の指揮官は面目を丸潰れにされ、ただただ沈黙していた。ヒルとアリに襲撃され逃げ惑う自分の部下らの姿を、地上と上空からの中継でスクリーンに音声ごと流されてしまったからだ。
 丸ノ内は恐る恐る、海空の幕僚や後方に詰めている本部スタッフを見てみた。笑いを必死で我慢している者もいれば、呆けた表情で固まっている者もいる。わずかながら、抱腹絶倒の爆笑を響かせている者もあった。
「一応訊くが」
 ドスの利いた重い声で言った。
「あれがレンジャーに劣らず鍛え上げられた隊員のさらす醜態か」
 田中川はスクリーンを見たまま、答えなかった。
「いや、何でもない」
 根掘り葉掘り質問することによって恥の上塗りをすることを恐れた丸ノ内は、それ以上何も言わずにスクリーンの方に向き直った。

 36名の隊員が、地面に這いつくばった尾川を見下ろしていた。全員が例外なく軽蔑と憎悪の視線を彼に向けていた。
「も、も、も」
 尾川は冷や汗を顔から吹き出しながら、激しくどもった。
「申しわけありません!!」
 言って、湿った土に顔をこすり付けた。土下座であった。小隊を混乱に陥れたことに対する懲罰としては、これでもまだ軽い方だと言わざるを得なかった。
「もういい、立て」
 嘉城が言った。 
「尾川二士、今度だけは勘弁してやる。だがな、次に何かやったら置いてけぼりにするから、そのつもりでいろ」
「は、はいっ!!」
 尾川は思わず背筋を正した。罵詈雑言こそ浴びせないものの、この温和な小隊長が本気で怒っているのが彼には分かった。
「小野寺士長もな、もう些細なことでいちいち後輩を殴るのはやめろ。少しは指揮官の身にもなってくれよな」
「は、はっ!」
 小野寺も大声で応じた。
「ところで尾川、そりゃ何だ?」
 後ろから島崎が指差した。
「はい?」
「お前が立ってる地面だよ。よく見ろ」
 視線を落とすと、3つに枝分かれした数十センチほどの大きさの窪みがあった。
「こ、これって……恐竜の足跡じゃねえのか」
 隊員の1人が呟いた。
「多分な。よし、これを辿ってみよう。ワッチウインド応答せよ、送れ」
「こちらワッチウインド」
「恐竜の痕跡らしきものを発見した。捜索を続行する」
「了解した。慎重に頼む」
 交信を終えると、小隊は行軍を再開した。

 1人の男が、木々の間を驚くべき速さで疾走していた。小枝を多数縫い付けた黒尽くめの服を着込み、腰にはナイフを下げ、裾を細縄で縛った革靴を履いていた。
 男は、同じ格好をした仲間が集まっている岩陰へと走り込んだ。
「どうであったか?」
 リーダー格の屈強な男が訊いた。
「はい。全員が、草むらに入れば見分けられないようなまだら模様の服を着ていました。しかも、何とも不思議な武器を持っております」
 息を全く乱さず、部下の男ははっきりと答えた。
「つまり、強敵ということか……」
「いえ。道具が優れていても、兵は驚くほど間抜けな者共です。森の何たるかを知らないうつけ者の集団かと」
「ふん、そうか。どこの連中かは知らんが、あのまま進めばじきに奴らとぶつかる。鉢合わせして慌てているところを、せいぜい一緒に片付けてやれ」
 リーダーの顔に、残忍な笑みが宿った。



最終更新:2007年10月31日 03:02