第3章 探索


 10月1日の朝が来た。派遣艦隊は、洋上に停止していた。
 8時から旗艦「たんご」の会議室で、梨林司令が召集した会議が始まった。各艦の艦長や艦隊幕僚のみならず、陸自第1危機即応連隊の幹部や空自航空業務支援小隊の指揮官らも出席していた。
 各艦にはテレビ電話会議システムが備わっているが、このような状況では主要幹部全員が直接話し合った方がいいと、梨林が判断したのである。
「それでは副司令、頼む」
「はっ」
 梨林に呼ばれて安達原一佐が立ち上がった。
「諸官らも御存知の通り、昨日1415時に始まった通信不能とレーダー失探は、現在も終息の兆しを見せていない。さらに夜間には、星座の類が全て識別できないことが判明した。日中の天測も、太陽の位置が本来とかなり違っており、ほとんど頼りにならぬ状況である。ジャイロコンパスに至っては、もはや気休めにしか使えなくなっている。そしてこれまた信じがたいことではあるが、海底をソナースキャンしたところ、大陸棚である沖縄近海とは明らかに違う深海域が広がっているのが確認された。よって、ライブラリーに収録されている海底図データも役に立たない」
 彼はマジックで、ホワイトボードに簡単な地球の絵を描いた。
「そこで何よりも重要になるのは、今後我々はどうするかだ。当然、状況が打開するまで生き続けなければならない。燃料は、補給艦『さろま』にある分も合わせればかなりの量があるし、食料も生鮮類はともかくとして各艦に半年から1年分が蓄えられている。補給分も加えれば、2年以上は何とかなろう。問題は、何も起こらないままその備蓄が尽きてしまった時のことだ」
「なるほどなあ。鳥を撃って魚釣りして、艦内で野菜でも植えるか」
 イージス艦「くろひめ」艦長の木林一佐が、自嘲的に言った。彼は年下の安達原が自分より上の立場にいるのが気に食わず、派遣艦隊の編成以来、顔を合わせるたびに反発し合ってばかりいた。
「でしたら先任、真っ先に御自分の部屋を畑に改造なさって下さい」
 木林がムッとするのを無視し、「現実的には、食料を食い尽くすまでに隊員の神経が極限に達し、そこここで暴動や反乱が起こるのが先だろう。そこで、これからどのように行動すべきか、諸官らに意見を述べてもらいたい」と安達原は続けた。
「決まっておる。このまま予定通りに航海を続けるのだ。それ以外に何の選択肢がある」
 木林が、またも安達原を馬鹿にした口調で言った。
「あらゆる航法が役に立たないということを申し上げたはずですが、それで艦隊が難破でもしたら先任の責任ですぞ。それは御承知でしょうか?」
 負けじと安達原が言い返した。
「なら、君は任務を放棄して勝手気ままに海を走り回れと言うのかね。明白な職務放棄と越権行為だな」
「職務放棄と越権行為ですと!」
 頭に来た安達原が木林に詰め寄った。他の幹部らの間に、ざわめきが広がった。
「いつの時代でも、軍隊が崩壊するのは無能な指揮官がいるからです。先任は歴史の汚点を増やすおつもりですか!!」
「何だと!!」
 怒り心頭に発した木林が、椅子を蹴って立ち上がった。もはや両者とも後に退けなくなっていた。
「やめんかあッ!!」
 梨林が、温厚な彼にしては珍しく怒声を上げた。
「この部屋で世界最終戦争はよしたまえ。今は安達原一佐の言う通り、これからの行動指針を決めるのが先決だろう」
 安達原と木林は、すごすごと席に戻った。
「私は、向かうべき陸地を探すべきだと思います。艦隊には早期警戒機1機と哨戒ヘリ3機、空自の水上戦闘機2機があるはずです。航続距離や捜索能力は大してありませんが、連隊の航空中隊にも各種ヘリが8機あります。これらの航空機をフルに飛ばし、各艦のレーダーで全周囲を捜索すればよいかと」
 陸自連隊長の丸ノ内一佐が発言した。
「自分は丸ノ内連隊長の意見に賛成です」
 潜水艦「ふかしお」艦長の浦子二佐が相槌を打った。
「私もです。一か八か、陸を発見する可能性に賭けてみるべきです」
 安達原も賛同した。
「うむ……」
 梨林は結論を出すべく目を閉じ、腕を組んで考え始めた。
「司令! 我々は任務を、任務を全うすべきです!!」
 木林が考えを曲げずに訴えた。
「……岩田艦長。海流や海底図等のデータから、大まかな陸の方角を知ることはできるか?」
「はっ。データを総合した結果ですが、東方に浅海が広がっている公算が大です」
「そうか。責任は全て私が取る。任務は遂行不可能として中断する。丸ノ内陸佐の言う通り、陸地発見を最優先とする。ただし、航空偵察は陸地の存在が確定するまでは行わない。以上だ。何か質問はあるか?」
 梨林に木林が何か言おうとしたが、そのまま口を開くことはなかった。
「解散」
 梨林の一言で、幹部達は席を立ち始めた。

 混成機動大隊機甲中隊の偵察小隊に所属する真河潔三等陸曹は、自分のオフロード用オートバイにもたれ掛かりながら床に座っていた。
「待機、待機って、いつまでここにアホみたいにいろってんだ? 体が腐っちまうぜ」」
 真河はイライラしながら独り言を吐いた。昨日の昼過ぎから、食事とトイレを除いた全時間を車両甲板で過ごしていたのである。
 周囲にいる他の隊員の間からも、不平や不満の声が上がり続けていた。
「コマネズミ軍団、よく聴け! モヤモヤが溜まっているところで、いい知らせがある」
 叩き上げのベテラン小隊長である斉木和人三等陸尉が、威勢よく叫んだ。
「各自、車両及び武器の点検整備をしておけ。艦隊は現在、陸を尋ねて三千里中だ。陸地を発見したら、我が小隊は直ちに上陸偵察を行う。以上だ、掛かれぇ!!」
 小隊員は、直ちに作業に取り掛かり始めた。つい先程までのイライラはどこにもなかった。
「なあ、おい」
 真河は、横で9ミリ機関拳銃のスライドを引いて機関部を覗き込んでいる同僚に、オートバイのブレーキを調整しながら話し掛けた。
「上陸偵察はともかくとしてよ、銃なんか必要なわけ?」
「お前には耳がねえのか。そう命令があっただろうが。もし猛獣か人食い人種が襲ってきたら、どうすんだ」
「何、猛獣とか人食い族がいる所に上陸するのか!?」
「俺が知るか! だからガンをメンテナンスしてんだろ!」
 彼は少し考えてから、「やっぱ万一バイクがやられた時には、こいつが頼りか」と言いながら、二脚で立ててあった89式小銃を取り上げ、掃除棒を銃口に出し入れさせ始めた。

 9時40分、艦隊は真東に向け航行を続けていた。全艦が対水上レーダーをフル稼働させ、陸地の影を捉えるのに必死となっていた。
「水上レーダー、目標探知! 範囲、045度から315度。誤差、プラスマイナス1から2度。距離、30キロ前後っ!!」
 イージス艦「くろひめ」のCICで、電測士が興奮を隠し切れずに叫んだ。最初にレーダー失探を報告した彼にとっては、形容しがたい衝撃だった。
「イージス、飛行物体の集団を感知。方位300度。距離10キロ。高度、700メートル。速度、時速65。渡り鳥の群れかと思われます。現在解析中」
 CICは歓声に包まれた。もはや、生物のいる陸地が存在することは疑いようがなかった。
 木林艦長は、艦隊電話でその旨を梨林司令に伝えた。
「司令、海岸線の発見に成功しました。データを送ります」
 受話器の向こう側からも、「たんご」乗員の大歓声が聞こえてきた。
「御苦労だった。こっちでもたった今確認した。監視を続行せよ」
 梨林の返事を聴くと、木林は電話を切った。
「目標のデータ出ます」
 軽快な電子音が響き、モニターに解析値が表示された。
「何だこれは、幅が推定8から9メートルだと? 大コンドルの3倍だぞ! こんな鳥が地球上に存在するわけがないだろう!」
「しかし艦長、現状を見てみれば、新種の鳥の群れが現れても不思議ではないのでは?」
 砲雷長の意見を、木林はもっともだと思った。
「もう少し詳しいデータは出んのか!」
「御存知の通り、生物はレーダー波を反射しにくいため、飛行機のようにレーダースキャンで形状を把握することはできません」
「引き続き警戒しろ。新種の鳥だからといって、学会に発表して済む問題ではないんだ。化け物鳥かもしれん」
「でしたら『しゅり』に連絡して、オスプレイにレーダーと肉眼で目標を確認させてはどうでしょう」
「誰がそこまでしろと言った。とにかく監視を続けろ」
 安達原の奴に頼むのだけは嫌だ、と言わんばかりに彼は吐き捨てた。

 午後1時、「たんご」の飛行甲板から陸自のOH-1観測ヘリが発艦し、海岸周辺の事前偵察に向かった。
 艦隊は海岸からわずか1キロという位置に到達しており、甲板上から緑豊かな陸を見ることができた。
「司令、きれいな所ですな。周りを木々に囲まれた白い砂浜が広がっていますぞ」
 艦橋張り出しに立って双眼鏡を覗きながら、丸ノ内連隊長が梨林に話し掛けた。
「ああ。だが暑いな」
 梨林はハンカチで額の汗を拭いた。
「船務科から先程報告があったのですが、気温は37度で湿度が65パーセントです。大気中の二酸化炭素濃度も、通常値より数パーセント高いようです」
 岩田艦長が答えた。
「いずれにせよ、ここが日本ではないということだけは確かだ。ヘリからの連絡は?」
「はっ。間もなく映像を送信できるそうであります」
「全艦に伝達。艦を海岸と平行になるように向けて投錨し、現在位置で停止せよ」
「アイ・サー」
「リンク14受信。ヘリからの画像、来ます!」
 当直士官の声を聞き、3人は艦橋内に戻った。
 テレビモニターに、鬱蒼と生い茂る樹木が映し出された。砂浜との色彩のコントラストが美しかった。
「一見、無人に見えますな」
 岩田が第一印象を述べた。
「うん、今のところはな。ヘッドセットを貸してくれ。ヘリと交信したい」

 混成機動大隊航空中隊長の鳥谷勤三等陸佐は、眼を皿にしてコクピットから眼下に広がる景色を見ていた。
「お前、こんなのが信じられるか。日本どころか世界のどこ探したって、こんな深々としたジャングルはないぞ。アマゾン以上だ」
 彼は興奮を隠し切れない口調で、後席の観測員に話し掛けた。
「偵察飛行中のOH-1へ。こちら梨林。聞こえるか」
「ワッチウインドより梨林司令。よく聞こえます、どうぞ」
 鳥谷はヘルメットに仕込まれたリップマイクに向けて喋った。
「密林内に生物の姿は確認できるか?」
「視認不能です。今から赤外線映像にチェンジします」
 彼は後ろを振り向き、観測員にアイコンタクトを送った。
「FLIR、起動します」
 FLIRと呼ばれる赤外線暗視装置は、レーザー測距器及びテレビカメラと共に、ローターマスト直前のセンサーサイトに収められている。物体から発せられる赤外線を探知するため、夜間のみならず昼間の索敵にも使用できる。
「ビデオをしっかり録画しとけよ」
「了解、機長」
 赤外線モニターに、真っ黒な森林が映し出された。太陽光線が差している部分のみは白くなっている。
「ワッチウインドより『たんご』へ。映像は届いていますね?」
「ああ。もう少し広い範囲を見せてくれ」
 鳥谷は機をホバリングさせると、慎重に垂直降下した。それと共に、センサーサイトが上下左右に動いて映像を拾った。
「何か見えるか?」
 モニターを覗き込んでいる観測員に訊いた。
「いえ、何も。人っ子一人いません。無人のようです」
「そんなはずはない。これだけの環境があれば、何かしら生物はいるはずだ!」
「内陸部まで飛んでみましょうか?」
「命令では海岸周辺の探査だけだ。もう少し粘れ」
「ん? ちょっと待って下さい。赤外線パターン、生物反応! 3時方向、距離755です!!」
 モニターに、いくつかの真っ白い塊が映った。
「拡大して確認せよ」
「全長数メートルはあります。牛でしょうか? どうやら、周りの草を食っているようです」
「他は?」
「10時方向、距離420に別の熱源を確認。こっちは2メートル強ほどの大きさです。集団行動を取っています。あっ、二本足での歩行を確認! 大型のダチョウか何かですかね?」
「俺は生物学者じゃないぞ。帰ってから映像を分析するんだ」
「他にも、複数の熱源が遠方に認められます。それも広範囲です」
「ワッチウインドより司令へ。森林内に生物らしき多数の移動体を確認。これより帰艦します」
「了解」
 鳥谷はホバリングを解くと、高度100メートルまでOH-1を上昇させた。
「なっ!? 機長、9時方向にインターセプター多数!!」
 突然、機外を見ていた観測員が叫んだ。数十はあろうかという黒い物体が、森の一角から次々と飛び出すのが見えた。
「何ぃ、迎撃機だと!? 今頃になってか!」
 OH-1は、急旋回を繰り返す回避機動に移った。
「しかし何でいきなりこんな森から戦闘機が飛び立ちやがるんだ! それともミサイルか!?」
「目標、さらに接近!」
「回避!!」
 飛行物体の編隊に衝突される寸前、ヘリは急降下してやり過ごすことに成功した。恐ろしい羽音を立てながら、インターセプターは遠ざかっていった。
「なっ……」
 最初に口を開いたのは観測員だった。
「何でしょうか、ありゃあ……」
 インターセプターは生物だった。が、鳥類ではなかった。羽毛は一切生えておらず、翼は薄い膜でできていた。細かい歯の生えた細長い顎を持ち、体の大きさはヘリにも見劣りしていなかった。
「か、怪鳥……」
 鳥谷は、震える口調で言った。
「お、おい。今の、撮ったか……?」
「……は、はあ」
「こちら梨林! 偵察ヘリ! 応答せよ、何があった! 応答せよ!!」
 梨林からの通信で、2人はハッとなって我に返った。
「こ、こちらワッチウインド。たった今、巨大な鳥、いえ未知の飛行生物とニアミスを起こしました! これより直ちに帰艦します!!」
 OH-1は、逃げるように全速力で艦隊を目指して飛び去った。



最終更新:2007年10月31日 03:00