【種別】
施設名
【初出】
名称は新約十七巻
新約十八巻以降の巻にも補足あり
七巻でもクロウリーが1920年~1923年にシチリア島で活動していた事が判明済み
土御門元春は「薬物投与も辞さない覚悟で叡智への接近を試みる」という点で、
学園都市を
テレマの再来と表現。
新約十八巻ではクロウリー自身が学園都市を「形を変えた僧院」と認めている。
新約二十一巻の地の文によると、学園都市とは「徹底的に科学の形に擬態させたテレマの僧院そのもの」
【備考】
史実では信者の男性ラウル・ラブディが死んだことを受けて、
ラブディの妻メイがマスコミに情報を流した事で、テレマ教はマスコミの猛バッシングに晒された。
遂にはムッソリー二政権の捜査が入り、クロウリーは国外追放処分。僧院も閉鎖に追い込まれている。
禁書でも国外追放されたことは判明しているが、やはりクロウリー自身マスコミにもあまりいい印象を抱いていないようだ。
最終更新:2018年10月27日 03:48