神奈川鉄道
改変中:改変中。一部矛盾が生じてる部分があります。なんとかしますハイ。
概要
会社概要
社名 | 神奈川鉄道株式会社 |
英文社名 | Kanagawa Express Railway Co.,Ltd. |
種類 | 株式会社 |
設立 | 1921年 11月25日 |
略称 | 神奈鉄(かなてつ)神鉄(かみてつ・しんてつ) |
郵便番号 | 253-00** |
本社所在地 | 神奈川県茅ヶ崎市行谷 |
電話番号 | 0467-24-2713 |
代表者 | 代表取締役社長 光三百弐 |
業種 | 陸運業 |
事業内容 | 鉄道による一般運輸事業、観光業、土地建物の仲介及び賃貸事業 |
売上高 | 2451億円(鉄道単独) |
8416億円(連結) ※共に2007年度 | |
資本金 | 850億円 |
決算期 | 3月 |
従業員数 | 4284人(2008年3月31日現在) |
コーポレートカラー | ■神奈川ブルー、■神奈川スカイ |
主要子会社 | 湘南高速索道・北関東高速鉄道? |
外部リンク |
解説
神奈川鉄道(かながわてつどう)は、神奈川県・東京都・埼玉県に鉄道路線を有する鉄道事業者である。本社所在地は神奈川県茅ヶ崎市行谷(なめがや)。神奈鉄(かなてつ)、神鉄(しんてつ)と略される。
余談だが、神奈川鉄道としては、「しんてつ」は神戸電鉄と被るので、公式に認めている読み方は「かなてつ」と「かみてつ」のみである。
余談だが、神奈川鉄道としては、「しんてつ」は神戸電鉄と被るので、公式に認めている読み方は「かなてつ」と「かみてつ」のみである。
歴史
1921年:茅ヶ崎町・小出村(当時)内と海岸線を走る「神奈川海岸鉄道」計画発足
1926年:神奈川海岸鉄道の着工
1930年:愛甲鉄道が「城山線計画」を開始
1931年:一部開業したが、資本力の弱さで以後の工事が凍結
1935年:愛甲鉄道城山線が開業
1938年:金融機関からの融資が投入。工事が再開される
1944年:戦争の激化により2度目の工事凍結
1947年:工事が再開される
1948年:神奈川海岸鉄道「湘南海岸線」が全線開通
1953年:第二東海道本線計画始動
1953年:第二高崎・東北本線計画始動
1956年:小田原・茅ヶ崎・横浜等の主要拠点から工事開始
1961年:この路線の運営業者をすでに茅ヶ崎市で市内線を経営していた「神奈川海岸鉄道」に本線の運営を決定。同時に「神奈川鉄道」に改称。
1962年:工事中の路線に加え、神中線の工事を開始。
1970年:「本線」の平塚~大宮間営業運転開始。
1971年:愛甲鉄道が破産、神奈川鉄道が城山線を引き継ぎ運営開始
1972年:「本線」の大宮~宇都宮間及び大宮~神鉄籠原間営業運転開始
1974年:「本線」の神鉄籠原~神鉄前橋間及び平塚~小田原間営業運転開始・本線全線開業
1974年:「急行」より高速な種別「快特」投入。国鉄とのライバル関係に。
1976年:「快特」列車を10両化、これに伴い「DXシート」を導入。国鉄の一等車に挑む。
1978年:本線で「快特」の更に上の種別「新快特K-liner」導入。編成中2両を指定席化。会社のブランドに。
1979年:「新快特」「快特」列車を最高時速125km/h化。所要時間短縮。
1982年:「小橋線」の工事を開始。
1985年:「神中線」開業。「環首都圏交通ネットワーク」の西側完成。「神中線」も「新快特」導入。
1987年:新快特電車を8+8の16両編成化開始。そのほかの種別も4両基準の編成作りを開始。
1989年:「小橋線」開業。新快特電車・快特電車の最高時速130km/h化。8+8の16両編成化完了。
1990年:「神奈川鉄道エレクトロニクス」創業。
1991年:全車冷房化完了。
1992年:神中線の新快特列車に愛称「涼風-SUZUKA-」を付ける。
1993年:城山線の経営状態悪化のため、周辺自治体に援助金を求める。厚木市と清川村が援助
1994年:指定席予約システム「K-liner's・hIspeed・reServe・System」→「Kiss」開始。
1995年:全線の新快特電車と快特電車の最高時速140km/h化。小型車両にホーム用ステップ装着。
1997年:一部の駅にホームドア設置。
1998年:これまでの神奈川鉄道の技術を集約し、群馬県の渋川に、「神奈川鉄道渋川工場」建設。
1999年:神奈川鉄道を2社に分割。主権は神奈川鉄道が全て持つ。
2000年:小橋線と神中線の新快特列車を廃止、快速と急行の速達化を図る
2002年:「鶴見」「白金台」「広尾」「船渡」「西茅ヶ崎」駅。一斉に開業、湘南高速索道2号線が開通、神奈川海岸鉄道の市内線が廃線
2003年:全路線のダイヤの白紙改正。中部地区高速鉄道(仮)の建設を開始。
2004年:湘南高速索道1号線が開通、神奈川海岸鉄道湘南海岸線が廃線。渋川工場にて現時点での最高峰の技術を結集した神奈川鉄道8000系製造開始。
2005年:神奈川鉄道全線(地下も駅以外の場所でも全部)WILLCOMのエリア化。
2006年:湘南高速索道3号線が開通。
2007年:「新快特K-liner」を「新快特」に。イメージのシンプル化を図る。愛静高速鉄道(仮:中部地区高速鉄道)が完成。
2008年:愛静鉄道(株)発足。愛静線開業。本線直通の「特急」「高速特急」の運転を開始。
1926年:神奈川海岸鉄道の着工
1930年:愛甲鉄道が「城山線計画」を開始
1931年:一部開業したが、資本力の弱さで以後の工事が凍結
1935年:愛甲鉄道城山線が開業
1938年:金融機関からの融資が投入。工事が再開される
1944年:戦争の激化により2度目の工事凍結
1947年:工事が再開される
1948年:神奈川海岸鉄道「湘南海岸線」が全線開通
1953年:第二東海道本線計画始動
1953年:第二高崎・東北本線計画始動
1956年:小田原・茅ヶ崎・横浜等の主要拠点から工事開始
1961年:この路線の運営業者をすでに茅ヶ崎市で市内線を経営していた「神奈川海岸鉄道」に本線の運営を決定。同時に「神奈川鉄道」に改称。
1962年:工事中の路線に加え、神中線の工事を開始。
1970年:「本線」の平塚~大宮間営業運転開始。
1971年:愛甲鉄道が破産、神奈川鉄道が城山線を引き継ぎ運営開始
1972年:「本線」の大宮~宇都宮間及び大宮~神鉄籠原間営業運転開始
1974年:「本線」の神鉄籠原~神鉄前橋間及び平塚~小田原間営業運転開始・本線全線開業
1974年:「急行」より高速な種別「快特」投入。国鉄とのライバル関係に。
1976年:「快特」列車を10両化、これに伴い「DXシート」を導入。国鉄の一等車に挑む。
1978年:本線で「快特」の更に上の種別「新快特K-liner」導入。編成中2両を指定席化。会社のブランドに。
1979年:「新快特」「快特」列車を最高時速125km/h化。所要時間短縮。
1982年:「小橋線」の工事を開始。
1985年:「神中線」開業。「環首都圏交通ネットワーク」の西側完成。「神中線」も「新快特」導入。
1987年:新快特電車を8+8の16両編成化開始。そのほかの種別も4両基準の編成作りを開始。
1989年:「小橋線」開業。新快特電車・快特電車の最高時速130km/h化。8+8の16両編成化完了。
1990年:「神奈川鉄道エレクトロニクス」創業。
1991年:全車冷房化完了。
1992年:神中線の新快特列車に愛称「涼風-SUZUKA-」を付ける。
1993年:城山線の経営状態悪化のため、周辺自治体に援助金を求める。厚木市と清川村が援助
1994年:指定席予約システム「K-liner's・hIspeed・reServe・System」→「Kiss」開始。
1995年:全線の新快特電車と快特電車の最高時速140km/h化。小型車両にホーム用ステップ装着。
1997年:一部の駅にホームドア設置。
1998年:これまでの神奈川鉄道の技術を集約し、群馬県の渋川に、「神奈川鉄道渋川工場」建設。
1999年:神奈川鉄道を2社に分割。主権は神奈川鉄道が全て持つ。
2000年:小橋線と神中線の新快特列車を廃止、快速と急行の速達化を図る
2002年:「鶴見」「白金台」「広尾」「船渡」「西茅ヶ崎」駅。一斉に開業、湘南高速索道2号線が開通、神奈川海岸鉄道の市内線が廃線
2003年:全路線のダイヤの白紙改正。中部地区高速鉄道(仮)の建設を開始。
2004年:湘南高速索道1号線が開通、神奈川海岸鉄道湘南海岸線が廃線。渋川工場にて現時点での最高峰の技術を結集した神奈川鉄道8000系製造開始。
2005年:神奈川鉄道全線(地下も駅以外の場所でも全部)WILLCOMのエリア化。
2006年:湘南高速索道3号線が開通。
2007年:「新快特K-liner」を「新快特」に。イメージのシンプル化を図る。愛静高速鉄道(仮:中部地区高速鉄道)が完成。
2008年:愛静鉄道(株)発足。愛静線開業。本線直通の「特急」「高速特急」の運転を開始。
車両
路線
神奈川鉄道・北関東高速鉄道の路線は全て直流1500V、軌間1450mmとしている。
車両は2社両方とも18m車とし、将来の京浜急行、京成電鉄などへの乗り入れも考慮している。
車両は2社両方とも18m車とし、将来の京浜急行、京成電鉄などへの乗り入れも考慮している。
神奈川鉄道本線
中部高速線
2007年4月20日より開業する。
本線の最西端の駅である神奈川県の小田原駅から更に西に延び、主に新幹線の停まる駅を通りながら名古屋・岐阜へ向かう路線である。
専用車両を使用、最高時速を300km/hにすることによって、新宿~名古屋間を2時間10分で結ぶようになる。
主に、静岡県へ向かうニーズに応えたものであり、新幹線の「こだま」に対抗する存在になると社長は主張している。
また、この路線の高速列車として神奈川鉄道8000系が用意されている
本線の最西端の駅である神奈川県の小田原駅から更に西に延び、主に新幹線の停まる駅を通りながら名古屋・岐阜へ向かう路線である。
専用車両を使用、最高時速を300km/hにすることによって、新宿~名古屋間を2時間10分で結ぶようになる。
主に、静岡県へ向かうニーズに応えたものであり、新幹線の「こだま」に対抗する存在になると社長は主張している。
また、この路線の高速列車として神奈川鉄道8000系が用意されている
神奈川鉄道三浦線
神奈川鉄道神中線
城山線
城山線は、当時完全な別会社の愛甲鉄道として、1930年に計画され、1935年に開業した。
しかし、モータリゼーションの波で、元々人口密度の低い地域を走る愛甲鉄道は破産。それと同時に、神奈川県の援助金とともに神奈川鉄道が城山線を継続営業すると発表。3箇月の空白を持ち再スタート。
しかし、バブルが崩壊した後の93年。神奈川鉄道も単独営業では継続が困難とし、周辺自治体に援助金を求めた。その結果、厚木市と相模原市、清川村が援助金投入を決定し、営業の継続が実現した。
そしてその援助金(50億円)を元に、運賃の大幅値下げ、駅設備の更新(バリアフリー化)や車両の更新(車内設備更新・ワンマン設備の取り付け)を行い、さらに城山線への誘致プロジェクトを開始し、乗客の増加を目論んだ。また、神奈川中央交通バス(現:東鷹神奈交バス・神奈川鉄道バス)との連携を強化した結果、乗客は90年度に比べて1.5倍にまで増えた。
また、その後99年に新車・100型を2両固定20編成導入し、そのうち2編成は観光用として製作、折しも宮が瀬ダムという新たな観光スポットが完成する1年前ということもあり、観光路線としての役割をいっそう強く持った。
これにより、現在は90年度に比べてちょうど2倍の乗客が利用するようになり、黒字転換が成された。ちなみに援助金は2001年で終了。理由は「援助金とほぼ同額分の利益を得るようになったから」神奈川鉄道側から援助金終了を要求した。
路線は途中、神中線の南海老名駅から分かれ、厚木市に入った後はしばらくこまめに駅が続き、愛川町に入ると山岳路線の様な姿となる。
そこからは山を登り、宮ヶ瀬湖・津久井湖を通りJR中央本線の相模湖駅に接続する。
途中、神中線の南海老名駅から分かれるという性質から、この路線は神中線の支線という扱いになっている。
種別は、急行と普通の2種類になっている。各駅停車のことを「各停」ではなく「普通」と呼ぶのは神奈川鉄道ではこの路線だけである。
車両も独特のものを使用していて、14mという短く、また車幅も狭く、本線を客扱いして走ることはできない。(架線電圧や軌間・保安装置は同一なので、回送列車としては走ることができる)
しかし、モータリゼーションの波で、元々人口密度の低い地域を走る愛甲鉄道は破産。それと同時に、神奈川県の援助金とともに神奈川鉄道が城山線を継続営業すると発表。3箇月の空白を持ち再スタート。
しかし、バブルが崩壊した後の93年。神奈川鉄道も単独営業では継続が困難とし、周辺自治体に援助金を求めた。その結果、厚木市と相模原市、清川村が援助金投入を決定し、営業の継続が実現した。
そしてその援助金(50億円)を元に、運賃の大幅値下げ、駅設備の更新(バリアフリー化)や車両の更新(車内設備更新・ワンマン設備の取り付け)を行い、さらに城山線への誘致プロジェクトを開始し、乗客の増加を目論んだ。また、神奈川中央交通バス(現:東鷹神奈交バス・神奈川鉄道バス)との連携を強化した結果、乗客は90年度に比べて1.5倍にまで増えた。
また、その後99年に新車・100型を2両固定20編成導入し、そのうち2編成は観光用として製作、折しも宮が瀬ダムという新たな観光スポットが完成する1年前ということもあり、観光路線としての役割をいっそう強く持った。
これにより、現在は90年度に比べてちょうど2倍の乗客が利用するようになり、黒字転換が成された。ちなみに援助金は2001年で終了。理由は「援助金とほぼ同額分の利益を得るようになったから」神奈川鉄道側から援助金終了を要求した。
路線は途中、神中線の南海老名駅から分かれ、厚木市に入った後はしばらくこまめに駅が続き、愛川町に入ると山岳路線の様な姿となる。
そこからは山を登り、宮ヶ瀬湖・津久井湖を通りJR中央本線の相模湖駅に接続する。
途中、神中線の南海老名駅から分かれるという性質から、この路線は神中線の支線という扱いになっている。
種別は、急行と普通の2種類になっている。各駅停車のことを「各停」ではなく「普通」と呼ぶのは神奈川鉄道ではこの路線だけである。
車両も独特のものを使用していて、14mという短く、また車幅も狭く、本線を客扱いして走ることはできない。(架線電圧や軌間・保安装置は同一なので、回送列車としては走ることができる)
神奈川鉄道の問題点
赤字列車(解決方向)
現在赤字列車が神奈川鉄道には未だ多く存在する。
現在、赤字列車が多く存在するのは神中線の高麗川~高崎間で、酷い時は営業指数が500を上回るものもある。
現在、赤字列車が多く存在するのは神中線の高麗川~高崎間で、酷い時は営業指数が500を上回るものもある。
連合会各社との反発
ある経済情報誌のインタビュー内で「東海道湾岸鉄道が単体で 6122億8900万円、連結で 1兆2191億3200万円という私鉄第2位の売り上げを誇る結果が出ましたが、ライバル路線として現状いかがですか」という質問がでた。
これに対し神奈川鉄道代表取締役社長は「べつに良いんじゃないでしょうか。日本経済の活性化には良いと思いますけど。」とした反面、「この売上高の詳細がみてみたい。どこでどのように稼いでいるかをね。」との疑問も出ているようだ。
これに対し神奈川鉄道代表取締役社長は「べつに良いんじゃないでしょうか。日本経済の活性化には良いと思いますけど。」とした反面、「この売上高の詳細がみてみたい。どこでどのように稼いでいるかをね。」との疑問も出ているようだ。